だれが治療法を決めますか
「よらしむべく,知らしむべからず」という態度が,日本では医療の分野に携わる多くの人の間に伝統的に見られてきました。都立駒込病院の外科医長の酒井忠昭氏によると,依然としてそのような傾向が存在します。インフォームド・コンセントや患者の自己決定権の問題が最近取り上げられることが多くなっているにもかかわらず,それを尊重する考えは日本にまだ定着していません。
しかし,患者の権利を確立させようとする努力も払われています。その例として,患者の意思に反しても,医師の裁量で治療を行なってよいかどうかが争点になっている裁判が現在進行しています。そこで取り上げられている事件は1992年9月に起きました。武田みさえさん(66)は,東京大学医科学研究所付属病院で腫瘍の手術を受けました。手術中,武田さんは自分の意思に反して輸血をされたのです。手術に先だって,武田さんは輸血をしないためにどんなことが起きても医師の責任は問わないことを述べた免責証書を提出し,危険な手術になることは承知の上で,無輸血で手術を受けるとの約束を病院側と交わしていました。エホバの証人である武田さんは,『血を避けている』ようにという聖書の律法に基づく信念に従って輸血を拒否したのです。(使徒 15:28,29; 21:25)執刀医は,「本人の意思を尊重し,万一の時はセルセーバーを使う」と,話していました。セルセーバーというのは,手術中に,出血部位から血液を回収して,遠心分離器に掛けた後に赤血球を血流中に戻す装置です。エホバの証人は,その回路が閉ざされており,血液が貯蔵されないのであれば,そのような装置を使うことは必ずしも血に関する聖書の律法に反するものではないと考えています。―申命記 12:23,24。
患者とのこのような約束があり,患者の希望や信条を熟知していたにもかかわらず,医師たちは,手術室の中の武田さんが麻酔下で意識のないときに,手術室の外で待機していた家族の了承も得ることなく輸血を強行したのです。しかも病院側は,手術後も輸血をした事実を本人にも家族にも明らかにしませんでした。後に内部告発があったため,病院側は,患者の意思に反して輸血をしたことを渋々ながら明かしました。
武田さんはエホバの証人として神に献身した歩みを30年以上続けています。手術後2か月以上して,輸血が施されていたことを知らされてどう感じたでしょうか。その時まで無輸血で手術をしてもらったと思い込まされていたのです。昨年の10月4日,東京地裁で本人尋問に立ったこの婦人は,「目の前が真っ暗になりました。何でこんなことをされたのか。これからどうしていったらいいのか。どうして[医師は]輸血をしたのか。頭の中がボーッとしてしまいました。その後も,夜はずっと眠れませんでした」と,語りました。そこまで証言してから,この柔和で,おとなしそうな60歳代の婦人は,語気を強めて,「いくら考えてもくやしい」と語りました。本人の同意なしに,他人の体液を体内に入れられるということが許されてよいのでしょうか。武田さんは法廷で,それは自分にとって強姦されたに等しいと述べ,「意識のないときに,自分の意思に反して輸血をされ,この苦しみ,傷は消えない」と,心中を明らかにしました。
なぜこの婦人は裁判にまで訴えたのでしょうか。命が助かればよいではないか,と考える人もいるかもしれません。東京地裁での尋問でも,その点が尋ねられました。「前もって十分説明していたのに,輸血を強行された。自己決定権,患者自身の意思を尊重してもらいたかった。絶対に自分と同じ経験をほかの人にして欲しくなかった」と,武田さんは自分が法廷に訴えた理由を語りました。
どんな治療を受けるかを決定するのは,だれでしょうか。その権利は医師にありますか。それとも,患者の選択の自由に委ねられているのでしょうか。日本の裁判所はどんな判断を下すのでしょうか。患者の自己決定権が全面に出されて争われているこの裁判は,いま法律家や医療関係者などを含め多くの心ある人々の関心を集めています。