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  • 「あなた方は彼を見たことはありませんが,彼を愛しています」
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1997
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1997
塔97 2/1 14–19ページ

「あなた方は彼を見たことはありませんが,彼を愛しています」

「あなた方は彼を見たことはありませんが,彼を愛しています。現在彼を見ていませんが,彼に信仰を働かせ,……大いに歓んでいます」― ペテロ第一 1:8。

1 今日,地上にいる人でイエスを見たことのある人はだれもいませんが,宗教的な人々の中には,どのようにしてイエスに対する専心を示そうと努める人たちがいますか。

今日,地上に生きている人でイエス・キリストを見たことのある人はだれもいません。それでも,幾百幾千万という人々が,イエスを愛していると言います。フィリピンのマニラでは,毎年,1月9日になると,同国の国民的宗教の最も盛大で最も壮観な祭りと描写されてきた行事において,十字架を背負ったイエス・キリストの等身大の像が山車に載せられて街路を引いて行かれます。興奮した群衆は押し合い圧し合いし,熱狂して他人の背中や肩に登ってでもその像に触ろうとします。その場にいてこれを見守る多くの人は,おもにその祝祭の行列に心をひかれています。それでも,中には誠実な気持ちでイエスに引き寄せられるように感じる人もいることは確かです。そのような人は,その証拠として,十字架の首飾りをしているかもしれず,定期的に教会に通っているかもしれません。しかし,そのような偶像礼拝を真の崇拝とみなすことができるでしょうか。

2,3 (イ)実際にイエスを見,イエスの話を聞いたのは,追随者たちのうちのどんな人たちでしたか。(ロ)1世紀当時,ほかにどんな人々が,個人的にはイエスを見たことがなくても,イエスを愛し,イエスに信仰を置きましたか。

2 1世紀当時,ローマ帝国の属州であったユダヤ,サマリア,ペレア,ガリラヤには,個人的にイエス・キリストを実際に見たり,イエスの話を聞いたりした人が大勢いました。それらの人は,イエスが神の王国に関する心温まる真理を説明された時,それを聴きました。彼らはイエスの行なわれた奇跡の目撃証人でした。それらの人々のうち幾人かはイエスの献身的な弟子になり,イエスこそ「キリスト,生ける神の子」である,と確信しました。(マタイ 16:16)しかし,使徒ペテロが霊感による自分の最初の手紙を送った人たちは,それらの人々の中には入っていませんでした。

3 ペテロが手紙をあてた人々は,ローマ帝国の属州であったポントス,ガラテア,カパドキア,アジア,およびビチニアにいました。それらの属州はすべて,現代のトルコの領域にあります。彼らにあててペテロはこう書きました。「あなた方は彼を見たことはありませんが,彼を愛しています。現在彼を見ていませんが,彼に信仰を働かせ,言い表わすことのできない栄えある喜びをもって大いに歓んでいます」。(ペテロ第一 1:1,8)彼らはどのようにしてイエス・キリストを知るようになり,イエスを愛し,イエスに信仰を働かせるまでになったのでしょうか。

4,5 イエスを見たことがなかったそれらの人々は,イエスを愛し,イエスに信仰を置くことができるほど多くのイエスに関する事柄をどのようにして学びましたか。

4 一部の人々は,使徒ペテロが西暦33年のペンテコステの祭りに来ていた群衆に証言した時,エルサレムにいたものと思われます。弟子となった多くの人たちは,使徒たちからさらに教えを受けるために,祭りの後もエルサレムにとどまりました。(使徒 2:9,41,42。ペテロ第一 1:1と比較してください。)使徒パウロは,繰り返し宣教旅行に出かけ,その地域に住んでいた人々の間でも熱心な宣教を行ないました。それらの人々に対して,後にペテロは,聖書の一部となった自分の名の付された最初の手紙を送ったのです。―使徒 18:23; 19:10。ガラテア 1:1,2。

5 イエスを見たことがなかったそれらの人々が,なぜそれほど強くイエスにひかれたのでしょうか。今日,世界中でさらに幾百万もの人々がイエスを深く愛しているのはなぜでしょうか。

彼らが聞いた事柄

6 (イ)あなたは,西暦33年のペンテコステの日にペテロがイエスについて証言するのを聞いたとしたら,どんなことを学べたでしょうか。(ロ)このことは,その場にいた約3,000人にどのような影響を与えましたか。

6 西暦33年のその祭りに来ていた群衆にペテロが話しかけた時,あなたがもしエルサレムにいたとしたら,イエスについてどんなことを学んだでしょうか。疑いなく,イエスが数々の奇跡を行なったことから,神の遣わされた方であることが分かりました。また,イエスが,罪深い人たちの手で死に処されたものの,もはや墓の中にはおらず,復活させられて天の神の右に高められたことも知りました。イエスは確かにキリスト,すなわち預言者たちが書いていたメシアでした。イエス・キリストを通して聖霊がイエスの追随者たちの上に注ぎ出されたので,彼らは神がみ子によって行なっておられる壮大な事柄について,多くの国から来た人々にすぐに証言することができたのです。その機会にペテロの話を聞いた多くの人の心は深く感動し,およそ3,000人がバプテスマを受けてクリスチャンの弟子となりました。(使徒 2:14-42)あなたも,その場にいたとしたら,そのような果敢な行動をとりましたか。

7 (イ)あなたは,使徒パウロがアンティオキアで宣べ伝えた時そこにいたとしたら,どんなことを学んだかもしれませんか。(ロ)群衆の中の幾人かが信者となって他の人々に良いたよりを伝えたのはなぜですか。

7 使徒パウロがローマ帝国ガラテア州のアンティオキアで教えた時,あなたもその場にいた人の一人だったとしたら,イエスについてほかにどんなことを学んだでしょうか。あなたは,イエスがエルサレムの支配者たちから死刑を宣告されたのは預言者たちの予告していたことである,とパウロが説明するのを聞いたことでしょう。また,イエスの復活については目撃者たちの証言がある,という点についても聞いたことでしょう。あなたはきっと,エホバはイエスを死人の中から復活させることにより,この者は確かに神の子であるとの確証をお与えになった,というパウロの説明に感銘を受けたことでしょう。そして,イエスに対する信仰によって罪を許していただくことができ,これが永遠の命につながるという点を学んで,心が熱くなったのではないでしょうか。(使徒 13:16-41,46,47。ローマ 1:4)アンティオキアの幾人かの人は,聞いた事柄の重要性を認め,弟子となって活発に他の人に良いたよりを伝えました。伝えれば激しい迫害に遭うことになるのを承知で,そうしたのです。―使徒 13:42,43,48-52; 14:1-7,21-23。

8 もしあなたがエフェソス会衆の集会に出席していて,その時,その会衆あてのパウロの手紙が届いたとしたら,どんなことを学べたでしょうか。

8 もしあなたが,ローマ帝国アジア州のエフェソスにあったクリスチャン会衆に交わっていて,その時,そこの弟子たちへの霊感によるパウロの手紙が届いたとしたらどうでしょう。その手紙から,神の目的におけるイエスの役割についてどんなことを学べたでしょうか。パウロはその手紙の中で,天と地にあるすべてのものがキリストを通して神と和合した状態に戻されること,キリストを通して与えられる神の賜物はすべての国民に差し伸べられること,罪過のゆえに神から見て死んでいた個々の人がキリストに対する信仰によって生かされていること,またこうした備えの結果,人間が神の愛する子らとなることが再び可能であることを説明しました。―エフェソス 1:1,5-10; 2:4,5,11-13。

9 (イ)パウロがエフェソス人にあてて書いた事柄の重要性を,あなたが個人的に把握しているかどうかを識別するのに,何が助けになりますか。(ロ)ペテロが言及したローマ帝国内の幾つかの州の兄弟たちは,イエスについて学んだ事柄からどのような影響を受けましたか。

9 こうしたことすべてを感謝して受け止めたなら,神のみ子に対する愛は深まったのではないでしょうか。その愛は,使徒パウロがエフェソス人への手紙の4章から6章で励ましたように,あなたの日々の生活に影響を及ぼしたのではないでしょうか。あなたはそのような感謝の念に促されて,自分の生活における物事の優先順位を注意深く吟味したのではないでしょうか。そして,神への愛と,み子に対する感謝の気持ちから,神のご意志を行なうことが本当に生活の中心になるよう必要な調整をしたのではないでしょうか。(エフェソス 5:15-17)アジアやガラテアその他のローマ属州にいたクリスチャンが,学んだ事柄からどのような影響を受けたかに関し,使徒ペテロは彼らにあててこう書きました。「あなた方は[イエス・キリスト]を見たことはありませんが,彼を愛しています。……彼に信仰を働かせ,言い表わすことのできない栄えある喜びをもって大いに歓んでいます」― ペテロ第一 1:8。

10 (イ)初期のクリスチャンはイエスを愛するようになりましたが,これには確かに何が寄与しましたか。(ロ)どうすればわたしたちも益を得られますか。

10 ペテロが手紙をあてたそれら初期のクリスチャンは神のみ子を愛するようになりましたが,そのことに確かに寄与した事柄がほかにもあります。それは何だったでしょうか。ペテロが自分の最初の手紙を書いたころにはすでに,少なくとも二つの福音書 ― マタイとルカ ― は回覧されていました。1世紀当時のクリスチャンでイエスを見たことがなかった人たちは,それら福音書の記述を読むことができました。わたしたちも読むことができます。福音書は空想に基づいた記述ではありません。最も信頼できる歴史の特徴をすべて備えています。わたしたちはそれら霊感による記録の中に,神のみ子への愛を深めさせてくれるものを数多く見いだします。

イエスの示した霊

11,12 イエスが他の人間に対して示した霊には,イエスを愛する理由となるどんな面が見られますか。

11 イエスの生涯に関する書き記された記録から,わたしたちはイエスが他の人間をどのように扱われたかを学びます。イエスの示した霊は,イエスの死後1,960年余り経過した今でさえ,人々の心を感動させます。生きている人は皆,罪の影響という荷を負っています。幾百幾千万人もの人々が,不正の被害者になっており,病気に苦しみ,あるいは他の様々な理由でひどく失意しています。そのような人すべてに対して,イエスはこう言われます。「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう。わたしのくびきを負って,わたしから学びなさい。わたしは気質が温和で,心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。わたしのくびきは心地よく,わたしの荷は軽いのです」― マタイ 11:28-30。

12 イエスは,貧しい人々,飢えている人,悲しんでいる人たちに対して深い気遣いを示されました。状況から判断して必要と思われたときには,奇跡によって大勢の群衆に食べ物を与えることさえされました。(ルカ 9:12-17)イエスは人々を,伝統に隷従している状態から自由にしました。また,政治的,経済的な虐げを終わらせる神の備えに対する人々の信仰を築き上げました。イエスは,すでに踏みにじられていた人々の霊を砕くようなことはしませんでした。優しさと愛をもって巧みに,柔和な人々の意気を高揚させました。また,二つに折れ曲がった打ち傷のついた葦のような人たちや,今にも消えそうにくすぶる亜麻の灯心のような人たちを元気づけました。現在に至るまで,イエスの名は,イエスを見たことのない人たちの心にさえ希望を吹き込んでいます。―マタイ 12:15-21; 15:3-10。

13 イエスの罪人に対する接し方が人々の心をひきつけるのはなぜですか。

13 イエスは悪行を是認しませんでしたが,人生で間違いを犯したものの悔い改めてイエスに助けを仰いだ人々に対して理解を示されました。(ルカ 7:36-50)共同社会内でさげすまれていた人々と一緒に座って食事をすることが,彼らを霊的に助ける機会になると思えた場合には,そうされました。(マタイ 9:9-13)イエスがそのような霊を示した結果,同様の状況にある,イエスを見たことのない幾百万という人々が,イエスを知るよう動かされ,イエスに信仰を置くようになりました。

14 病気の人や手足の不自由な人,あるいは肉親に先立たれた人をイエスが助けたことに関して,あなたはどんな点に心をひかれますか。

14 病気の人や手足の不自由な人に対するイエスの接し方は,彼らに救済をもたらしたイエスの能力のみならず,イエスの温かい気持ちや同情心をも証ししています。例えば,全身をらい病に冒されていた男の人がイエスに近づいて助けを嘆願した時,イエスはその人を見てたじろいだりされませんでした。またその人に対して,哀れみは感じるが,病状が進みすぎているから何をしても助けにはならないだろう,とは言われませんでした。その人は哀願し,「主よ,あなたは,ただそうお望みになるだけで,私を清くすることがおできになります」と言いました。イエスはためらうことなく,手を伸ばしてそのらい病の人に触り,「わたしはそう望みます。清くなりなさい」と言われました。(マタイ 8:2,3)別のときには,ある女性がいやされたい一心で人目を引かないようにイエスの衣の房べりに触りました。イエスはその女性を親切に,安心させるように扱われました。(ルカ 8:43-48)また,葬式の行列に出くわした時には,独り息子に死なれて嘆き悲しんでいるやもめを哀れに思われました。イエスは神から与えられた力を,自分が奇跡的に食物を得るために用いようとはされませんでしたが,その死んだ人を復活させて母親のもとに戻すためには惜しみなく用いられました。―ルカ 4:2-4; 7:11-16。

15 あなたはイエスについての記述を読み,それについて黙想するとき,どのような影響を受けますか。

15 こうした記述を読み,イエスの示した霊について黙想するにつれ,人間としての命をなげうってわたしたちが永久に生きられるようにしてくださったこの方に対するわたしたちの愛は深まります。たとえイエスを見たことがなくても,わたしたちはイエスに引き寄せられ,その足跡に従いたいと思います。―ペテロ第一 2:21。

神に謙遜に依り頼むイエスの態度

16 イエスはおもにだれに注意を向けましたか。どうするようわたしたちを励ましましたか。

16 イエスはご自分の注意とわたしたちの注意を,ほかの何よりも天の父なるエホバ神に向けました。律法の中でどれが最大のおきてかを示し,「あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない」と言われました。(マタイ 22:36,37)そして,弟子たちには,「神に信仰を持ちなさい」と諭されました。(マルコ 11:22)また,弟子たちが信仰の重大な試みに直面した時,「絶えず祈り(なさい)」とお勧めになりました。―マタイ 26:41。

17,18 (イ)イエスはみ父に謙遜に依り頼んでいたことをどのようにはっきり示しましたか。(ロ)イエスの行なった事柄がわたしたちにとって非常に重要なのはなぜですか。

17 イエスは自ら手本を示されました。祈りはイエスの生活の重要な部分でした。(マタイ 14:23。ルカ 9:28; 18:1)使徒たちを選ぶべき時が来たとき,イエスは,かつて天のみ使いすべてを監督していた方であったにもかかわらず,自分自身の判断で決めればよいとは考えませんでした。謙遜にも,一晩中み父に祈りました。(ルカ 6:12,13)捕縛と苦痛の伴う死に直面した時も,イエスはやはりみ父に頼り,真剣に祈りました。自分はサタンをよく知っており,その邪悪な者が何を仕掛けてこようと容易に対処できる,という考え方はされませんでした。イエスは自分が失敗しないことがいかに重要かを理解しておられました。失敗するなら,み父にとって全くの恥辱となります。そして,人類にとっては全くの損失となります。人類の命の見込みは,イエスのささげる犠牲にかかっていたからです。

18 イエスは繰り返し祈りました。使徒たちと共にエルサレムの階上の部屋にいた時に祈り,ゲッセマネの園ではさらに熱烈に祈りました。(マタイ 26:36-44。ヨハネ 17:1-26。ヘブライ 5:7)苦しみの杭に掛けられていた時には,嘲弄されてもののしり返したりされませんでした。むしろ,知らないで行動している人たちのために祈り,「父よ,彼らをお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのですから」と言われました。(ルカ 23:34)イエスは思いを終始み父に向け,「義にそって裁く方に……ご自分をゆだねました」。苦しみの杭の上で述べた最後の言葉は,み父への祈りでした。(ペテロ第一 2:23。ルカ 23:46)わたしたちは,イエスがエホバに完全に依り頼んで,み父から託された任務を忠実に成し遂げてくださったことを,心から感謝しています。イエス・キリストを,見たことはなくても,イエスの行なった事柄のゆえに心から深く愛しています。

イエスに対する愛を表明する

19 イエスに対する愛を表明するのに,どんな習わしは全く不適当なものとして避けますか。

19 愛しているとは言っても,ただ口先だけのものではないことを,どうすれば証明できるでしょうか。イエスが愛しておられたみ父は,像を作ってそれを専心の対象として扱うことを禁じておられますから,わたしたちは確かに,イエスを敬う行為としてそのような像の付いた鎖を首に掛けたり,像を担いで街路を練り歩いたりはしません。(出エジプト記 20:4,5。ヨハネ 4:24)宗教上の礼拝に出席し,たとえ週に何度もそうしているとしても,週のほかの日にイエスの教えに調和した生活をしないとすれば,それは決してイエスを敬っていることにはなりません。イエスはこう言われました。「わたしのおきてを持ってそれを守り行なう人,その人はわたしを愛する人です。さらに,わたしを愛する人はわたしの父に愛されます」。―ヨハネ 14:21,23; 15:10。

20 わたしたちがイエスを本当に愛しているかどうかを示すものは何ですか。

20 イエスはわたしたちにどんなおきてを与えたでしょうか。まず第一に,まことの神エホバを,しかもこの方だけを崇拝するようにというおきてです。(マタイ 4:10。ヨハネ 17:3)イエスはまた,神の目的におけるご自分の役割のゆえに,この点も教えました。すなわち,わたしたちは神のみ子であるイエスに信仰を働かせなければならず,また邪悪な業を避け,光の中を歩むことによってその信仰を示さなければならない,という点です。(ヨハネ 3:16-21)イエスはわたしたちに,神の王国と神の義をまず求め,それらを身体的な必要物を心配することに優先させるよう助言なさいました。(マタイ 6:31-33)ご自分がわたしたちを愛したとおりに,わたしたちも互いに愛し合うようお命じになりました。(ヨハネ 13:34。ペテロ第一 1:22)また,ご自分が神の目的に関する証人であったのと同じように,わたしたちにも証人としての使命をお与えになりました。(マタイ 24:14; 28:19,20。啓示 3:14)今日,約500万人のエホバの証人は,イエスを見たことはなくても,イエスに対する愛に促されてそれらのおきてを守り行なっています。個人的にはイエスを見たことがないからといって,従順であろうというその決意が弱くなることは決してありません。彼らは自分たちの主が使徒トマスに対して言われたこと,すなわち,「あなたはわたしを見たので信じたのですか。見なくても信じる者は幸いです」という言葉を思い起こします。―ヨハネ 20:29。

21 今年の3月23日の日曜日に行なわれるキリストの死の記念式に出席するなら,どんな益がありますか。

21 あなたは,1997年3月23日,日曜日の日没後,人類に対する神の愛の最大の表明について思い起こすため,また神の忠節なみ子イエス・キリストの死を記念するためにエホバの証人の王国会館に集う世界中の人々の一人であることが期待されています。その機会に話される事柄や行なわれる事柄は,エホバとそのみ子に対する愛を深めさせ,それゆえに神のおきてを守ろうという願いを増し加えるものとなるはずです。―ヨハネ第一 5:3。

どのように答えますか

□ ペテロ第一の手紙があてられた人たちは,どのようにしてイエスを知り,かつ愛するようになっていましたか

□ 初期のクリスチャンが聞いた事柄のうち,あなたはどんな点に感銘を受けますか

□ イエスの示した霊のどんな面に気づくとイエスに対する愛が深まりますか

□ 神に謙遜に依り頼むイエスの態度が,わたしたちにとって非常に重要なのはなぜですか

□ どうすればイエス・キリストに対する愛を実証できますか

[16,17ページの図版]

イエスの示した霊のゆえにわたしたちはイエスに引き寄せられる

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