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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2000
塔00 12/15 12–13ページ

あなたが神に仕えるのはなぜですか

かつて,神を恐れる一人の王は息子に,「あなたの父の神を知り,全き心と喜ばしい魂とをもって神に仕えるように」と助言しました。(歴代第一 28:9)この言葉から分かるように,エホバは,僕たちが感謝の念にあふれた心をもってご自分に仕えることを望んでおられます。

エホバの証人であるわたしたちは,聖書の数々の約束を初めて説明してもらったとき,感謝の気持ちで胸がいっぱいになったのではないでしょうか。日ごとに,神の目的について,それまで知らなかった事柄を学んでゆきました。エホバについて学べば学ぶほど,「全き心と喜ばしい魂とをもって」その方に仕えたいという願いが強まってゆきました。

エホバの証人となる大勢の人たちは,生涯にわたり,限りない喜びをもってエホバに仕えつづけます。しかしクリスチャンの中には,良いスタートを切ったものの,時たつうちに,神に仕える動機づけとなる強力な理由を見失ってしまう人たちがいます。あなたにも思い当たる節がありますか。もしそうであっても,がっかりしないでください。失った喜びを取り戻すことは可能です。では,どうしたら取り戻せるのでしょうか。

受けている祝福を数え上げる

まず,神から日々受けている祝福を思い巡らしてみてください。エホバからの良い賜物について考えるのです。例えば,社会的また経済的な地位に関係なくだれもが楽しめる多種多様な創造のみ業,食べ物や飲み物といった自然の恵み,享受しているある程度の健康,聖書の真理についての知識,そして何よりも,み子という賜物です。み子の死によって,清い良心をもって神に仕えるための道が整えられました。(ヨハネ 3:16。ヤコブ 1:17)神の善良さについて思い巡らせば巡らすほど,神に対する感謝は深まります。そうすれば,神が行なってくださったすべての事柄に対する感謝の念に動かされ,神に仕えたいと心から願うようになるでしょう。そして,次のように書いた詩編作者と同じ気持ちを再び抱くようになるに違いありません。「わたしの神エホバよ,あなた自ら多くのことを行なわれました。すなわち,あなたのくすしいみ業と,わたしたちに対するそのお考えとを。あなたに比べられるものは何もありません。……それは語り尽くすことができないほど多くなりました」。―詩編 40:5。

この言葉を書いたダビデが問題のない人生を送ったとは,とうてい言えません。ダビデは若いころ,邪悪な王サウルとその護衛たちに命を付け狙われていたため,逃げ回らなければなりませんでした。(サムエル第一 23:7,8,19-23)さらに,自分自身の数々の弱点と闘わなければなりませんでした。そうした問題を認めて,詩編 40編でこう述べています。「もはや数えることができなくなるまでも,災いがわたしを取り巻いたからです。わたしが見ることのできない程の多くのわたしのとががわたしに追いつきました。それらはわたしの髪の毛よりも多くなり……ました」。(詩編 40:12)そうです,ダビデは様々な問題を抱えていました。それでも,打ちのめされたりはしませんでした。問題があったにもかかわらず,エホバが祝福してくださっている様々な点に注目し,そうした祝福に比べると,自分の悩みなど全く取るに足りないということを悟ったのです。

個人的な問題や,自分はだめだという気持ちに押しつぶされそうなときには,ダビデがしたように,時間を取り,受けている祝福を数え上げてみるのは良いことです。あなたは,そのような祝福に対する感謝の気持ちからエホバに献身なさったに違いありません。その点を考えることによっても,失った喜びを再び燃え立たせ,感謝の心から神に仕えることができるでしょう。

会衆の集会は助けになる

エホバの善良さをひとりで思い巡らすことに加えて,仲間のクリスチャンと交わることも必要です。神を愛し,神に仕える決意をしている男女や若者たちと定期的に集うなら,元気づけられます。その人たちの模範から刺激を受け,魂を込めてエホバに仕えるよう促されます。あなたが王国会館に行くなら,みんなも元気づけられることでしょう。

確かに,一日のきつい仕事を終えて帰宅したとき,あるいは何らかの問題や弱さのために落ち込んでいるときなどは,王国会館での集会に出席するような気分ではないかもしれません。そのような時には,自分自身に対して毅然とした態度を取り,仲間のクリスチャンと集まり合うようにという命令に従うよう,言わば『自分の体を打ちたたく』必要があるでしょう。―コリント第一 9:26,27。ヘブライ 10:23-25。

そうする必要がある場合,自分はエホバを本当に愛してはいないのだと決めつけてよいでしょうか。いいえ,そう考えてはなりません。神への愛を確かに抱いていた昔の円熟したクリスチャンたちも,神のご意志を行なうには精力的に努力しなければなりませんでした。(ルカ 13:24)使徒パウロはそのようなクリスチャンの一人です。自分の気持ちを,次のように率直に書いています。「わたしは自分のうち,つまり自分の肉のうちに,良いものが何も宿っていないことを知っているのです。願う能力はわたしにあるのですが,りっぱな事柄を生み出す能力はないからです。自分の願う良い事柄は行なわず,自分の願わない悪い事柄,それが自分の常に行なうところとなっているのです」。(ローマ 7:18,19)また,コリント人にもこう述べています。「わたしが良いたよりを宣明しているとしても,それがわたしの誇る理由ではないのです。わたしにはその必要が課せられているからです。……もしこれを進んで行なえば,わたしには報いがあります。しかしそれを自分の意志に逆らってするとしても,わたしにはやはり家令の仕事が託されています」。―コリント第一 9:16,17。

わたしたちの多くと同様,パウロにも,正しいことをしたいという願いを妨げる罪深い傾向がありました。しかし,そうした傾向と懸命に闘い,ほとんどの場合に成功を収めました。もちろん,パウロは自分の力でそうできたのではありません。「自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっているのです」と書いています。(フィリピ 4:13)あなたが助けを求めるなら,パウロに力を与えたエホバは,正しいことを行なうための力をあなたにも与えてくださるでしょう。(フィリピ 4:6,7)ですから,「信仰のために厳しい戦い」をしてください。そうするなら,エホバは祝福してくださいます。―ユダ 3。

この戦いを独りで行なう必要はありません。エホバの証人の会衆では,『信仰のための戦い』を根気強く続けている円熟したクリスチャンの長老たちが,喜んで助けになってくれます。助けを求めて長老に近づくなら,長老は「慰めのことばをかけ(て)」くれるでしょう。(テサロニケ第一 5:14)長老は,「風からの隠れ場,雨あらしからの隠れ場所……のように」行動したいと思っているのです。―イザヤ 32:2。

「神は愛」であられ,僕たちが愛の気持ちからご自分に仕えることを望んでおられます。(ヨハネ第一 4:8)神に対する愛を再び燃え立たせる必要があるなら,この記事で取り上げられた適切な処置を講じてください。後で振り返って,そうして良かったと思うことでしょう。

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