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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2002
塔02 6/15 30–31ページ

読者からの質問

人が自殺した場合,クリスチャンの奉仕者は,葬式の話を行なってよいでしょうか。

クリスチャンの奉仕者は,自殺したと思われる人のために,正しい良心をもって葬式の話を行なえるかどうかについて,各自が自分で決定する必要があるでしょう。その決定の際,次の点を考慮できます。エホバは自殺をどうご覧になるだろうか。本当に,自ら命を絶ったのだろうか。精神的あるいは感情的な障害がきっかけで自殺したのではないだろうか。土地の人々は自殺をどのように見ているだろうか。

クリスチャンであるわたしたちは,エホバが自殺をどうご覧になるかに関心があります。人間の命は,エホバから見て貴重で,神聖なものです。(創世記 9:5。詩編 36:9)故意に自らの命を絶つことは自分に対する殺人であり,それゆえに神の目に喜ばれません。(出エジプト記 20:13。ヨハネ第一 3:15)これは,自殺した人のために葬式の話をしてはならないということでしょうか。

イスラエルのサウル王の例を考えてみましょう。フィリスティア人との最後の戦いで,生き延びることができないと悟ったサウルは,敵にむごく扱われることがないよう,「剣を取って,その上に突っ伏し(まし)た」。サウルの遺体を見つけたフィリスティア人は,それをベト・シャンの城壁にくくり付けました。フィリスティア人の行なったことを知ったヤベシュ・ギレアデの住民は,遺体を取り外して焼き,その後,その骨を取って葬り,7日間断食することまでしました。断食は,イスラエル人の伝統的な喪の儀式でした。(サムエル第一 31:4,8-13。創世記 50:10)エホバの油そそがれた者ダビデは,ヤベシュ・ギレアデの住民が行なったことを知って,こう言いました。「あなた方がエホバに祝福されますように。それは,あなた方の主に,サウルに対してこのような愛ある親切を表わして,これを葬ったからです。それで今,エホバが愛ある親切と信頼できることをあなた方に対して表わしてくださいますように」。(サムエル第二 2:5,6)神が記させたこの記録は,サウル王の葬儀ともみなせることを行なったヤベシュ・ギレアデの住民を非とするようなものを示していません。この事例と,自らの悪行のゆえに埋葬を許されなかった人々の例とを比較してください。(エレミヤ 25:32,33)クリスチャンの奉仕者は,自殺した人のために葬式の話を行なえるかどうかを決める際に,サウルに関する記述を考慮に入れることができるでしょう。

奉仕者はまた,葬式の目的についても考慮したいと思うことでしょう。エホバの証人は,霊魂不滅を信じる人々とは違い,亡くなった人を別の世界に送り出すという誤った考えで葬式を行なうのではありません。追悼式を行なう主な目的は,亡くなった人の益のためというより,残された遺族を慰め,出席した人たちに死者の状態について証しすることです。(伝道の書 9:5,10。コリント第二 1:3-5)葬式を行なう別の大切な理由は,命のはかなさについて静かに考えるように,出席したすべての人を助けることです。(伝道の書 7:2)自殺した人の追悼式を行なうことによって,これらの目的が果たされるでしょうか。

自殺したその人はそれがエホバに対する罪であることを十分知りながら故意に命を絶った,と感じる人もいることでしょう。しかし,その考えはいつでも証明できるでしょうか。何かのはずみで衝動的に行なった可能性はないでしょうか。自殺を図る人の中には,途中で後悔して思いとどまる人もいます。死んだ後では,自分のしたことを悔い改めることができません。

別の重要な要素は,自殺には精神的あるいは感情的な障害のかかわっている場合が少なくない,という点です。そのような人は,まさしく自殺の犠牲者と言えます。幾つかの統計によると,自殺した人の90%は,何かの精神的あるいは感情的な問題や,依存症の問題を抱えていました。そのような精神的状態の人が行なった自殺をエホバはお許しになるでしょうか。わたしたちは,亡くなったその人がエホバの目に許されない罪を犯したかどうかを判断する立場にはいません。クリスチャンの奉仕者は,自殺の犠牲となったその人のために葬式を行なうかどうかを考える際,その人の状況やそれまでの病気を考慮に入れることでしょう。

もう一つ考慮すべき点があります。それは,地域社会の人々が自殺やその人の死をどのように見ているか,という点です。長老たちは特に,この点に気を配ります。エホバの証人の地元の会衆の評判に関心を抱いているからです。自殺に対する地元の人々の一般的な反応,とりわけいま関係している件に対する反応にもよりますが,長老たちはそのような葬式を公に催したり,王国会館で行なったりしないほうがよいと思うかもしれません。

とはいえ,あるクリスチャンの奉仕者は,葬式を主宰してほしいと頼まれた場合,個人としてそれに応じることができると感じるかもしれません。そうすることに決めた場合,復活する可能性があるかどうかについてはっきりしたことは言わないよう,分別を働かせる必要があります。死者に対する将来の見込みはすべてエホバのみ手の中にあります。ですからだれも,亡くなったその人が復活するかどうかを述べる立場にはいません。奉仕者は,死に関する聖書の真理を伝えることに注意を注ぎ,遺族に慰めを与えることができます。

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