あなたは自分の命をどのように用いていますか
明らかに人類の大多数は自分のためだけに生きているのではありませんか。それらの人々は他の人たちのことは気にもとめず,自分で適当だと考える仕方で自分の命を用いています。しかし,私たちはどうでしょうか。使徒パウロはエホバに仕える仲間のしもべたちに次のように書き送りました。「事実,わたしたちはだれひとり,自分についてのみ生きるのではありません。また,だれひとり自分についてのみ死ぬのでもありません。わたしたちは,生きるならエホバに対して生き,また,死ぬならエホバに対して死ぬからです。それゆえ,生きるにしても死ぬにしても,わたしたちはエホバのものなのです」― ローマ 14:7,8。
これは私たちすべてが真剣に考えるべき事柄です。つまり,エホバの民であると言いながら,自分自身に関してだけ生きようとするのであれば,それは私たちにとって全く不相応なことです。使徒パウロが書いたとおりです。「あなたがたは自分自身のものではありません。あなたがたは代価をもって買われたからです。どうあっても,あなたがたの体によって神の栄光を表わしなさい」― コリント第一 6:19,20。
エホバ神は私たちを買い取ってくださったので,今や私たちはエホバのものです。私たちはこのことに感謝してはいないでしょうか。エホバはご自分の愛するみ子の命をもって私たちをあがなってくださったので,私たちは永遠の死の宿命をたどる必要がないばかりか,私たちの前途には永遠の命を享受する機会があるのです。(ヨハネ 3:16,36)こうした神の愛ある備えによってあなたはどのように心を動かされていますか。そのことに動かされて,深い感謝の気持ちをエホバに表わしたいと願っているのではありませんか。使徒ペテロは,もし私たちが正しい精神的傾向を持っているなら,私たちは「肉体における[自分の]残りの時を,もはや人間の欲望のためにではなく,神のご意志に関して生きる」よう動かされるはずであることを指摘しました。―ペテロ第一 4:2。
それこそあなたが行なっている事柄ですか。あなたはもはや単に個人的な野心あるいは欲望を充足させるためではなく,神の意志を行なうために生きていますか。神の意志を行なうことになおいっそう十分にあずかれる方法があるでしょうか。
私たちに対する神の意志
今日の私たちに対するエホバの意志の中には,この体制の終わりが到来する前に王国について宣べ伝える重大なわざを完遂することが含まれています。エホバはこのことをみ言葉の中で明らかにしておられます。(マタイ 24:14)同様のわざを行なったイエス・キリストは言われました。「わたしはほかの都市にも神の王国の良いたよりを宣明しなければなりません。わたしはそのために遣わされたからです」― ルカ 4:43。
イエスはためらうどころか,魂をこめて神への奉仕に携わりました。福音書に記されている歴史的なその奉仕の記録を読むと,王国を宣べ伝えるわざを行なう点でのイエスの行動力と熱心さに何と感動させられるのでしょう! イエスはごく短い時間しか持ち合わせていないことを知っておられたので,骨身を惜しまず働いてご自分の割当てを果たしました。今日,私たちはイエスの模範に見倣うべきではありませんか。王国を宣べ伝えるわざを完了するための残された時間が今やこれほど少なくなっているのですから,なおのことそうすべきではないでしょうか。
そうです,この体制の終わりはまさに非常に近づいています! それは私たちの活動を増大させるべき理由ではありませんか。この点で私たちは,レースの終わりに近づいて猛然とラストスパートをかけるランナーから大切なことを学べます。イエスを見てください。明らかに彼は,地上におけるその最後の何日かの期間の活動の速度を速めました。事実,福音書の資料の27%余は,地上におけるイエスの奉仕の専ら最後の一週間の活動を扱ったものなのです!―マタイ 21:1–27:50。マルコ 11:1–15:37。ルカ 19:29–23:46。ヨハネ 11:55–19:30。
私たちもまた,慎重に,そして祈りの気持ちをこめて自分自身の事情を吟味してみるなら,現行の体制が終わる前のこの最後の期間中宣べ伝えるわざにもっと多くの時間や精力を費やせるということがわかるかもしれません。私たちの兄弟姉妹の多くはまさにそうしています。このことは開拓者の人数が急速に増えていることからも明らかです。
そうです。1971年9月以来,開拓者の人数はただ1か月を除いてあとは毎月新最高数を記録し続けており,今日本では正規および特別開拓者は合計3,859人という空前の新最高数に達しました。これは2年半前の時よりも1,717人も増え,実に80%もの増加に当たります。これは私たちの心を暖めるものではありませんか。家や資産を売って,開拓奉仕をしてこの古い体制における自分たちの残りの日々を過ごそうとする兄弟たちのことをよく耳にしますが,確かにそれは,邪悪な世が終わる前に残された短い時間を過ごす優れた方法です。―ヨハネ第一 2:17。
野外における奉仕の務めの点であなたの行ない得る事柄は,不健康あるいは家族に関する責任などの種々の事情のために制約される場合があるかもしれません。それにもかかわらず,開拓者の隊伍の中には,家族をかかえている人はもとより,健康上の制約を持っている人も少なくありません。しかし,それらの兄弟姉妹は生活を調整して,それぞれの責務を果たし,しかもなお野外の奉仕の務めに,開拓者に要求されているとおり,年に1,200時間,つまり月平均100時間を費やすことができるのです。
ですから,自分にも開拓奉仕ができるかもしれないという見込みをあまり性急に退けてはなりません。慎重に,祈りの気持ちをこめて考慮してください。事情を分析してみると,もしかして自分の生活は取り除いて開拓奉仕を行なえるような不必要な重荷に煩わされているということがわかるかもしれません。もしあなたが独身だったり,あるいは結婚していても子供がいなかったりする場合は特にそうかもしれません。―ヘブライ 12:1。
それてはこう自問してみてください。私は自分の命をどのように用いているだろうか。開拓奉仕を行なえるよう物事を調節できるだろうか。もし調節できるのにそうしないとすれば,私はエホバの意志を行なうよりもむしろ,個人的な欲望を充足させるために生きていることをエホバに示すことになるのだろうか。私たちはみな,使徒パウロが述べたように言い得る者でありたいと思います。「実際,わたしは自分が肉にあって今生きている命を,神のみ子に対する信仰によって生きているのです。み子はわたしを愛し,わたしのためにご自身を渡してくださったのです。わたしは神の過分のご親切を押しのけるようなことはしません」― ガラテア 2:20,21。
種々の事柄を調節して開拓奉仕を行なえる人たちには真実の祝福が待ち受けています。第一に,神がそのしもべたちすべてに今行なわせようと意図しておられる,宣べ伝えるわざに全時間あずかる点で確かに満足感が深まります。開拓奉仕をすれば,「大群衆」の成員となる見込みのある,なお散らされている人々を「救う」機会が増大します。(テモテ第一 4:16。啓示 7:9,14)また,奉仕があまり頻繁に行なわれていない区域にあなたが特別開拓者として派遣される特権が差し伸べられるかもしれません。
それで,自分の命をどのように用いているかというこの問題をさっそく真剣に考慮してください。種々の事柄を整理して開拓奉仕を行なえるかどうかを考えてみてください。既に開拓奉仕をしている人たち,あるいは会衆の長老たちとこの問題を相談してはいかがですか。
たぶんご存じのように,正規開拓者としての資格を得るには,バプテスマを受けて少なくとも6か月を経ていなければならず,また過去6か月間毎月野外奉仕に参加していなければなりません。同時に,クリスチャンとしてのりっぱな行状をもって知られていることは非常に大切です。
『健全な思いをもちなさい』
近づいた終わりについて書き記した使徒はこう言いました。「しかし,すべての事物の終わりが近づきました。ですから,健全な思いをもち,祈りのために目ざめていなさい」。(ペテロ第一 4:7)ここに述べられている,『健全な思いをもちなさい』という言葉に注目してください。それはクリスチャンは思慮深く,つまり分別のある,道理にかなった仕方で行動することを意味しています。私たちは世の終わりが到来するある特定の年代に万事をかけているのではありません。むしろ,私たちはエホバに対する私たちの献身が全時間のそれであることを認識しています。私たちは来る年も来る年も,つまり永遠にわたってエホバに仕えるつもりでいるのです。「大患難」がどの年に訪れようと,それは義の王国をもたらす一つの段階に過ぎないことを私たちは理解しています。私たちはある年代にではなく,神の新秩序で命を得るということに目をとめていなければなりません。
「真理はあなたがたに自由を得させるであろう」(英文)と題する1943年に発行された書籍を始めとして現在に至るまで,協会はある年代,つまり1972年,1974年,1975年そして再び1974年がこの地上の人類の歴史の6,000年の満了する年代と考えられることを示す証拠を公表してきました。しかし,それは「大患難」が1970年代の半ばのある特定の時点に起こると考えられるという意味ですか。「その日と時刻についてはだれも知りません」。(マタイ 24:34,36)私たちは「大患難」が非常に近いことは知っていますが,ある年代,もしくはある時期を独断的にふれ告げるべきではありません。統治体のある成員が述べた言葉として注目されているように,年代表に関する協会の見方が正しかったかどうかを調べるのは非常に興味深い事柄です。
戸口で人々に証言するさい,私たちはある特定の年を「すべての事物の終わり」の時として芝居がかりに表現して,みだりに人騒がせをする軽率な人と思われるようなことがあってはなりません。むしろ,私たちは輝かしい王国の支配と,まもなく王国が地にもたらす幸福と平和と義とについて人々に告げて,人々の心に訴えるべきです。そのすばらしい希望について穏やかに,また暖かさをこめて話すなら,正しい事を好む気持ちのある人はその同じ希望を持ちたいと願って耳を傾けるものです。同様に,千年統治が近づいたことを考える点で『思いが健全で』あれば,開拓奉仕を始めることに関して道理にかなった実際的な取決めを設けるよう私たちは動かされるはずです。単にある年までエホバに全時間仕えるという計画を立てるべきではありません。私たちはいわば「万事を捨てる」のではなく,「健全な思い」をもってあらゆる事情を考慮に入れ,開拓奉仕を行なうため,また今後の年々開拓奉仕を続行するために必要な調節を行なうべきです。計画を立てるさい,自分に課されている責務や今後の年々果たさねばならなくなると思われる責務を考えに入れるべきです。
大切に扱うべき奉仕
1974年3月,日本では65人のベテルの働き人に加えて,最高数となった6,269人の開拓者が全時間奉仕に活発に従事しました。それらの人たちのすべては,全時間奉仕を輝かしい宝と呼び,一緒にそのわざに加わるよう他の人々を励ましています。次に掲げる二,三人の開拓者の言葉は,開拓奉仕を始め,またその奉仕に留まるためにある開拓者は何を行なったか,そしてどんな喜びを見いだしたかを示しています。それら開拓者はあなたに開拓奉仕を勧めています。
今日,多くの家庭の主婦も開拓奉仕を楽しんでいます。千葉・東会衆のそのような開拓者の一人は,まず最初,年に2回一時開拓者としての奉仕を試みましたが,やがてひと月おきにそのようにして奉仕できることに気づいたと述べています。十分の信仰を持つということ以外には,現実に問題となる事は何もなかったので,姉妹は1970年9月に正規開拓者としての奉仕を始め,それ以来8人の人たちを宣べ伝えるわざに携われるように導き,今ではそのほとんどがバプテスマを受けました。
しかし,姉妹の夫についてはどうですか。21年間会社に勤めていた,会衆の一長老であるその夫はこう書いています。
「今までの仕事は〔ある有名な〕時計会社の技術関係の管理部門の業務でしたので,会社からは留まるように勧められましたが,固い決意を示し,仕事上の問題ではなく,個人的な信仰上の問題で退職する旨を述べ,人事移動と合わせて後任を決めてもらい,1か月後に退職許可をもらうことができました。
「退職後は少しばかりの退職金を有効に用い,近くでパートタイムの仕事をして得られる収入を合わせて生計を立てる予定でいたところ,退社に際して直属の上司の好意により,都合のよい時間を用いて今までの経験を生かして行なえる仕事(外国特許の翻訳分類)を与えられ,現在奉仕の合い間を見てはその仕事をしています。
「その仕事に費やす時間は月50時間程度ですから,収入は今までの三分の一以下ですが,家族3人が生活してゆくのに今のところ不自由はありませんので,エホバの取計らいに感謝しております。
「開拓奉仕を始めて2か月経過しましたが,会衆の兄弟たちが相次いで正規開拓奉仕に入られ(9月3名; 10月2名; 11,12月3名),それまで3名だった開拓者が一躍11名と4倍近くに増えたことは,私ばかりでなく,会衆全体にとって大きな励みとなっています。
「以前は世俗の仕事のために私の霊の思いはいつも上下し,動揺していましたが,開拓奉仕を始めてからはいつもエホバを身近に感じ,会衆の兄弟姉妹たちと一緒に奉仕や集会を楽しみつつ,充実した毎日を送ることができ,心からエホバに感謝しています」。
多年長老として仕えてきたもう一人の兄弟は,多くの時間の要る商売をやめて,開拓者をしている自分の家族のほかに,開拓奉仕に入る他の多くの人たちも生計を立てられるような仕事に就いたいきさつについてこう記しています。
「真理を知る以前,仏教を信じていたころ,何か他の人のためになる事をしたいと常に願っていた私にとって,真理を他の人々に伝える機会をエホバ神から与えられたことは大きな喜びでした。伝道を始めてまもなく自分にも開拓奉仕ができればしてみたいと考えましたが,妻と3人の子供と母親の6人家族を養うため食堂を経営しており,朝早くから夜おそくまで働かねばならなかったので,エホバ神に祈りつつ,食堂をやめる決意を固めました。……
「妻は1968年4月から正規開拓奉仕を行なう特権をいただき,その後わたしも1970年9月より正規開拓奉仕を行なう特権をエホバの過分のご親切によって与えられ,以来エホバ神は私たちの上に豊かに恵みを与えてくださいました。
「ふた親が開拓奉仕を行なうことにより,3人の子供たちも,宣教の重要性を悟ることができ,また1973年夏の大阪の『神の勝利』国際大会で3人の子供たちがそろってバプテスマを受けることができるまでになったのは,ひとえにエホバ神の深いあわれみと導きのお蔭であることを思い感謝しております。そして,翌8月には親子5人そろって開拓奉仕を行なう特権にもあずかりました。
「これまでに私たち夫婦は開拓奉仕を通して11人の人々をバプテスマを受けるまでに導くことができ,また私の新しい仕事を通して10人ほどの兄弟姉妹が全時間奉仕者として働くようになり,それぞれ必要の大きい土地へ任命されて行くのを見る大きな喜びをも与えられ,感謝しています」。
3月に,横浜・緑会衆は36人の正規開拓者,22人の一時開拓者そして54人の伝道者(これらの方々のうちの多くはバプテスマの準備をしています)を報告しています。開拓者精神は確かにこの会衆にみなぎっています。この奉仕における自分自身の喜びについて,現在の主宰監督は次のように書いています。
「妻は正規開拓者として,1972年7月から働いています。9月には新しく設立された横浜・緑会衆に仕事の関係で移り,私は新しい会衆で奉仕のしもべとして十分に働くことができました。また,仕事はピアノとエレクトーンの教授をして区域の小さな子供たちに教えるものです。一時開拓が可能となり,毎月続けて6か月行なう特権にあずかりました。ついに1973年4月に正規開拓奉仕者として任命され,下の男の子も伝道者になりました。こんなに祝福を受けてもよいものかと今度は声を出して感謝の祈りをしました!
「夫婦で正規開拓者として,また,二人の愛する子供も伝道者として会衆で働き,1973奉仕年度から長老として任命され,約100名の奉仕者が働く大きな会衆の主宰監督として働かせていただいています。すべてエホバ神の過分の恵みです。
「現在,私の研究は会衆の御主人三人と,小学校の校長先生と,そして自分の二人の子供との合計六つです。全員集会に出席しています。一人の姉妹の御主人は伝道者になられました。小学校の校長先生は非常な進歩をとげられて全部の集会を支持され,神権学校の話を二回行なわれました。巡回訪問の週から伝道者として働いています。数々のエホバ神の恵みと祝福を受けて,現在最も幸せです。
「自分の経験を通して感じたことは,開拓奉仕を行ないたいと強く願うこと,すべてのことに時があること,神権組織が任命した兄弟の助言を重要視して受け入れ,それにそって努力すること,成し得た小さな事柄をもエホバ神の祝福と見なし,まず感謝をささげること,奉仕は特権であり,家族に対する責任を果たしてから与えられるものである,ということでした。しかし,自分の努力以上の祝福がいつも与えられましたから,すべての祝福はエホバからのもので,エホバ神は本当に愛とあわれみに富んだ神です」。
ほとんどあらゆる階層からの他の多くの人々も同様に,開拓奉仕に入り,またその奉仕に留まるよう積極的努力を払った結果もたらされた大きな喜びについて証言できます。あなたもそうした人々の価値ある模範に従える人のひとりになれるのではないでしょうか。
エホバがイエス・キリストを通して私たちのために行なってくださった事を考えると,私たちは神の意志を成し遂げるためにできるかぎりのことを行ないたいと心を動かされるのではないでしょうか。使徒パウロがコリントの人たちに書き送ったとおりです。「キリストの持つ愛がわたしたちに迫るのです。わたしたちはこう判断しているからです。つまり,ひとりの人がすべての人のために死んだ,だからすべての人はそれ以前に死んでいたのである,そして,彼がすべての人のために死んだのは,生きている者たちがもはや自分のために生きず,自分たちのために死んでよみがえらされたかたのために生きるためである,と」。(コリント第二 5:14,15)あなたはもはや自分のためにではなく,エホバの意志を行なうために生きていますか。もしそうであれば,あなたは何事にせよ,自分にとってそれが現在神の意志と思える事柄を熱心に行なうはずです。
その点に関しては,神がご自分の民に対して持っておられる意志について正しい見方を持ちのは重要なことです。ご自分のしもべたちに対する神の意志は必ず容易なものであると考えてはなりません。たとえば,ノアとその家族が毎日毎日,また来る年も来る年も,しかも今日人の一生と呼ばれているほどの長期間にわたって箱船を建造したのは容易なことでしたか。ネヘミヤとその仲間にとってエルサレムの城壁を再建し終えるのは容易なことでしたか。今日,わざが禁じられている土地で良いたよりを宣べ伝え,そのために投獄や,もしかすると死の危険をさえ冒してそうするのは容易なことでしょうか。ところが,そうした活動に携わるのは,さまざまの時期の神の民にとってほかならぬ神の意志だったのです。エホバのしもべたちはいつでも神の意志を行なうことに喜びを見いだしてきましたし,またそれゆえに行なわれねばならない事柄を喜んで行なうべく自らを捧げるのです。―詩 110:3。
全時間奉仕を行なうよう他の人々を励ましなさい
とはいえ,もしかしてあなたは扶養家族をかかえているゆえに,あるいは老齢や不健康などのために開拓者として全時間奉仕に携われないかもしれません。では,他の人たち,とりわけ若い人たちにそうした格別の特権を捉えるよう励ましてはいかがですか。生きる目標を検討するよう他の人々を助けてください。学校を卒業したら何をするつもりか尋ねてごらんなさい。滅びゆく古い世には提供できるものが何もないことを理解するよう,若い人たちと一緒に筋道を立てて論じ合ってください。エホバの組織が彼らを,特に「若い成年の日」の彼らを最も必要としている所で自発的に奉仕することによって,エホバの過分の親切を本当に感謝していることをエホバに示せるよう,それら若い人たちを助けてください。今開拓奉仕を行なえる資格のある人たちが申込書に必要事項を書き込んでそれを送ることにより,事実上,「ここに私がおります! 私を遣わしてください」と言えるように助けてください。―伝道 12:1; イザヤ 6:8,新。
もしあなたが会衆内の長老でしたら,単に演壇からこの問題について話すだけにせず,機会あるごとに若い兄弟たちと個人的に話し合ってください。親の皆さん,開拓奉仕の宝をいつもお子さんの前に置くようにしてはいかがですか。今多くの人たちは,こうした面で励まされたことを非常にうれしく思っています。また,今すぐ開拓奉仕に入れる立場にはいない会衆の伝道者のあなたも,落胆しないでください! 恐らく時々一時開拓者として名簿に載せてもらうことにより,開拓奉仕の喜びを味わえるでしょう。しかし,たとえその特権があなたの手の届かないものであるとしても,会衆の伝道者として心をこめて行なうあなたの奉仕は,たいへんほめるべき仕方で自分の命を用いていることを示しています。過去何か月かにわたって日本の会衆の伝道者が申し分のない努力を払っているのを見て,私たちは感動させられています。去る1月の皆さんの奉仕時間の平均は20.9時間でした。2月には19.6時間,3月には20.1時間を記録しました。これは開拓者はもとより,会衆の伝道者をも含めて皆さんすべてが,二度と再び繰り返されることのないこのわざを行なう点で真の「開拓者精神」を表わしていることを示すものではありませんか。
確かに,講じ得るどんな方法にせよ,エホバへの奉仕に命を用いるなら,それ相当の幸福がもたらされます。私たちには,それを目ざして生きるべきものが実に数多くあります。エホバに仕えつつ,数々の祝福に永遠にあずかれるのです。確かに私たちすべては,このことを愛するみ子の犠牲によって可能にしてくださったエホバに深く感謝しています。ですから,私たちはみな,各自自分の命を用いる仕方によって心からの感謝の気持ちを表わそうではありませんか。私たちはもはや自分のためにではなく,エホバの意志を行なうために生きていることを実証しましょう。