エホバに似るものとなるよう努める
1 エホバは人々を愛しておられます。エホバはこのことを霊的な面でも物質面でも示されました。わたしたちには今日,物質面で楽しみを与えるものがたくさんありますが,アダムがエデンの園にいた遠い昔にエホバが希望の音信や良いたよりを備えてくださっていたという事実を見逃したくありません。神の愛に見倣おうとすることはすべて感謝の心を持つ被造物の願いではありませんか。
神の示しておられる愛
2 神が人々を愛しておられる証拠は至る所にあり,物質の創造物それ自体にも見られます。人間の健康や楽しみや福祉を図って何と細心の注意を払って造られているのでしょう。神の愛の最大の表われは忠実なみ子イエスという贈り物でした。(ヨハネ 3:16)しかしながら,もし神が聖書と,その音信をわたしたちに伝達する手段とを備えてくださらなかったとしたら,わたしたちはどうなっていたことでしょう。聖書は人生の諸問題に対する答えを与え,将来の希望を差し伸べています。わたしたちがこれらすべてを,そしてさらに多くのものを持っているのは,神が人々を愛しておられるからにほかなりません。
わたしたちは神に見倣うことができる
3 愛という資質をわたしたち身分の低い,不完全な被造物が見倣うことができるのですか。そうです,できるのです。パウロはこう言っています。「それゆえ,愛される子どもとして,神を見倣う者となりなさい。そして……愛のうちに歩んでゆきなさい」― エフェソス 5:1,2。
4 あなたは人々に対する心からの愛をとぎれることなく示し,奉仕において自分が不活発になったり不定期になることなく,神について一生懸命語る努力をしますか。まだ良いたよりの伝道によって多くの人が見いだされ,救いにいたるエホバの道を教えられるでしょう。時にこれは,わたしたちの時間や精力をいくらか余分に費やすことを意味するかもしれませんが,報いは大きいのです。
5 使徒パウロは良いたよりを宣べ伝えることが自分にとって苦しみや自己犠牲を意味するものであったにもかかわらず,良いたよりを他の人々に伝えるために喜んで自分を用いました。彼はこう言っています。「なんでも益になることをあなたがたに話し,また公にも家から家にもあなたがたを教えることを差し控えたりしませんでした。むしろ……徹底的に証しをしたのです。……自分の行程と,主イエスから受けた奉仕の務め,すなわち神の過分のご親切に関する良いたよりについて徹底的に証しすることとを全うできさえすれば,わたしは自分の魂を少しも惜しいとは思いません」― 使徒 20:20,21,24。
6 兄弟たちの多くは今日この同じ熱意と信仰を表わし示しており,エホバのみ手から多くの祝福を受けています。この事物の体制の最高潮の前の,胸をおどらせるこの時代に,エホバの愛を豊かに受けるのは何という喜びでしょう。自分自身を最大限に他の人々に与えてゆくことによりエホバに似るものとなるようあらゆる努力を払いましょう。