わたしたちの奉仕を成功させる ― 定期性を保つことによって
1 イエスはご自分の追随者たちに次のような招待を差し伸べられました。「わたしのくびきを負ってわたしの弟子になりなさい。わたしのくびきはここちよく,わたしの荷は軽いのです」。(マタイ 11:29,30)わたしたちは自分から喜んでこの『ここちよいくびき』を負いイエスの弟子になりました。しかしながら『軽い荷』とは何を意味していますか。
2 それは,クリスチャンとして行なうべき業です。わたしたち個人の奉仕の務めを意味しています。家族に対する責任,会衆に対する責任などがありますが,それ以上にわたしたちのすべてはエホバ神のお名前を立証する責任を持っています。これこそ最大の務めであり,またわたしたちの強い願いでもあります。(マタイ 6:9)このことは,み名をできるだけ広く宣明することによって,またみ名にふさわしい生活をすることによって成し遂げられるでしょう。それで,野外奉仕の務めはクリスチャンが喜んで担う『軽い荷』です。
3 野外奉仕の務めを成功させるのは難しいことですか。決してそうではありません。もしわたしたちが神を愛し,働き続けるならば,わたしたちの奉仕の務めは成功しているのです。(ヨハネ第一 5:3)言い換えれば,わたしたちがやめてしまうときにのみ,わたしたちの奉仕の務めは失敗してしまうのです。費やした時間や配布した出版物の数,その他奉仕の効果性などにこの奉仕の成功あるいは失敗が依存するのではありません。それにしても,失敗することがあり得るのでしょうか。
4 丸一か月間,良いたよりを他の人々にまったく伝えないでいるならば,それは生じ得ます。そのような月を時々もつ人は不定期的な伝道者,そして連続して6か月間その状態が続いた人は不活発になった人とみなされます。そうした人々は「信仰において安定した者」ではなく,奉仕の務めあるいは業をやめてしまう危険があります。(コロサイ 2:7)それに加えて,健康や他の制限がないにもかかわらず,毎月わずかの時間だけ奉仕に参加している人のこともわたしたちは心配しています。できれば毎週,少なくとも毎月定期的に奉仕に参加し,業をやめる者ではなく,「りっぱな業に熱心な民」の一人であることを実証し続けることはなんと大切なことでしょう。(テトス 1:14)あなたは定期的に奉仕することによって「常に賛美の犠牲を神にささげ」るように決意しておられますか。―ヘブライ 13:15。
5 日本において,奉仕者の約8%が野外奉仕に不定期的であることが報告されています。世俗の仕事,妊娠や出産,本人や子供の病気,移転,家族の反対,経済的な圧力,学校の試験などが原因の主なものとしてあげられておりますが,これらが奉仕の定期性を保つ上での障害となり得ることは十分に理解できます。しかし,ある程度予期できる事柄に備えて,さらには突然生じうる事柄さえ予期して前もってよく計画し,あらかじめ時間を買い取っておく熱意を示し,そして野外に出掛けられないとしても非公式にでも音信を他の人に伝えたいとの意欲を示すことによって定期性を保ってまいりましょう。イエスは「収穫に働き人を遣わしてくださるよう収穫の主人にお願いしなさい」と言われました。(マタイ 9:37,38)パウロも「賢い者の歩き方であるようにし,自分のために,よい時を買い取りなさい」と勧めています。―エフェソス 5:15,16。
6 エホバやイエス・キリストがわたしたちにできる以上を求めておられるのではないことを知るのは,なんと大きな励みになることでしょう。イエスの「くびきはここちよく」,「荷は軽いのです」。わたしたちに求められているのは魂をこめた奉仕です。ですからわたしたちはそれぞれの境遇に応じた予定表をつくり,それに野外奉仕を必ず組み入れ,しっかりとつき従うことによって奉仕の定期性を保つように努めましょう。そうすれば,あなたの奉仕の務めは成功し続けるに違いありません。