ブロシュアーを用いて家庭聖書研究を取り決める
1 宣教活動の最終的な目標は,人々がイエス・キリストを通してエホバに近づくように助けることです。この面で,わたしたちはどのようにエホバ神と協働することができるでしょうか。(コリ一 3:6-9)「ものみの塔」誌,1999年7月15日号,12ページには,「わたしたちは神と共に働く者として,忠実に人々の心に『王国の言葉』を植え,次いで少しでも関心を示す人がいるなら,入念に準備した再訪問と聖書研究によって水を注がなければなりません。土つまり心が良いものであれば,エホバはご自分の分を果たし,聖書の真理の種を産出的な植物へと成長させてくださいます」とあります。
2 再訪問の初期の段階では,短い訪問を繰り返しながら家の人の最も関心のあることを扱うかもしれません。聖書研究を取り決めるには,やがて特定の出版物を用いた組織的な話し合いを目指す必要があります。そのために,各種のブロシュアーはたいへん役立ちます。実際,一人の地域監督は,「人々の関心事をよく見極め,様々なブロシュアーの特徴に精通している奉仕者が聖書研究を数多く取り決めている」と述べています。これから三つのブロシュアーの特徴を振り返り,どのように用いることができるかを考慮しましょう。
「すべての人のための書物」
3 このブロシュアーは,聖書が霊感を受けた本であるという見解を受け入れるよう人々に無理強いするものではありません。主題そのものが示すとおり,どの国に住み,どんな宗教を持ち,どんな立場にある人にとっても,聖書は少なくとも調べてみるだけの価値のある本であることを,読者に納得してもらうことを目的としています。聖書にあまりなじみのない人に,調べてみたいという気持ちを抱かせることを当面の目標にして,このブロシュアーを用いることができるでしょう。
4 ブロシュアーの特徴を生かす: このブロシュアーの特徴の一つは,各章で,興味深い情報を提示し,最後に押しつけがましくない仕方で結論が示されていることです。例えば,「世界で最も広く配布されている書物」(6ページ)の章では,聖書が歴史上最も広く流布された書物であることを説明し,その理由を考えるよう読者に促しています。この特徴を活用し,資料を共に考慮した後に,「このような書物には,調べてみるだけの価値があると思われませんか」と尋ねてみることができます。
5 もう一つの特徴は,質問が印刷されていないことです。質問と答えによる研究というスタイルを,型にはめられると感じる人もいるようですから,研究の初期の段階で,このブロシュアーを用いて話し合うのは効果的と言えます。それぞれの章の最初にイタリック体で書かれた部分があり,資料を学ぶ動機づけを与えていることも大きな特徴です。最初,この部分に注意を向け,相手の意見を聞いたり,自分の感想を述べたりするなら,研究の意欲を高めることができます。
6 これらの特徴を生かしてどのように資料を討議できるでしょうか。一例として,飽くことのない民族紛争や宗教紛争に関心を持つ人と,10-13ページの資料を話し合うことができます。そうした問題に取り組んでいたインドのガンジーが,ヒンズー教徒でありながら,聖書を高く評価していたことに触れ,「ヒンズー教や仏教が優勢なアジアに住む人たちが聖書から啓発を受けたのはなぜだと思いますか」と尋ねてみます。聖書が数々のアジアの言語に翻訳されてきたことに注意を向け,そのことの意味を10ページのイタリック体の部分から読みます。そして,10-13ページから一,二の興味深いエピソードを話し合い,13ページ2,3節の結論を共に読むことができます。相手の関心に合わせてふさわしい章を選び,上記のような方法で話し合うことができるかもしれません。
7 再訪問や研究で用いることのできる実例: 奉仕者たちが用いて成功している方法を考慮しましょう。ブロシュアーの32ページには,聖書を調べてみるだけの価値がある七つの理由が挙げられています。その部分を共に読み,どの点に特に関心があるか尋ねます。相手の述べるところに応じて特定の章から話し合うことができます。
8 3ページも人々の関心を高める上でとても効果的です。囲み記事にあるハイネの言葉,3節の教育者の言葉などを引用することができます。1節から,聖書がわたしたちの生活に影響を及ぼしていることを述べ,「三つ子の魂百まで」,「時は金なり」,「七転び八起き」などのことわざと箴言 22章6節,エフェソス 5章16節,箴言 24章16節などを比較してみることもできます。その後,4節を共に考えてから,ふさわしい章に移ることができるでしょう。
9 22-26ページの「現代の生活に役立つ実際的な書物」の章を用いて研究を取り決めている奉仕者は少なくありません。そこでは聖書の原則が結婚生活,子どもの教育,健康,対人関係などの面で役立つことを示しています。それぞれの点について詳細な情報を扱っているのではなく,特定の聖書の原則を取り上げ,それが歴史の評価にどのように耐えてきたのかを示していますので,聖書の原則に対する敬意を高めることができます。どのようにこの資料を用いることができるでしょうか。
10 ある奉仕者は家の人が最も必要としている事柄を洞察し,何回か再訪問を行なった上で,ブロシュアーに結びつけて成功しています。例えば,十代の子どもを持つ人を再訪問する場合,1回目は「目ざめよ!」誌,1993年7月22日号から子どもの抱えるストレスについて,2回目は「若い人が尋ねる」の本の9章から仲間の圧力に対処することについて,3回目は「目ざめよ!」誌,1994年8月8日号から子どもが学校で抱える問題について話し合います。毎回の訪問で一度は聖書を開くように努め,その聖句を記したメモを渡すなどして聖書に親しみを感じてもらうようにすることもできます。その後,ブロシュアーの24ページにある「親のための実際的な導き」と,22ページの「時代を超越した原則」を用いて話し合うことにより,聖書をさらに調べてみたいとの気持ちを高めることができました。様々なタイプの人にどんな話題を提供し,ブロシュアーのどの箇所に結びつけることができるか考えてみることができるでしょう。
11 家の人の関心事に合わせて特定の資料を扱い,成功している奉仕者もいます。文学に興味を持つ人であることが分かったなら,ブロシュアーを最初から扱い,聖書という書物について話し合います。科学に興味を持つ若者の場合,18-21ページの資料を用います。世界史が好きな人なら,14-17,27-29ページは関心を高める資料となるようです。
12 ある人々は,キリスト教世界が過去に行なった事柄を知り,聖書を受け入れることはできないと考えます。しかし,教会史やそれぞれの宗派の形成について知らない人に対して,キリスト教とキリスト教世界の違いを説明することに困難を感じることがあります。その場合には,4,5ページのガリレオの例を用いることができるでしょう。彼自身,教会が地動説に反対するのは聖書が間違っているのではなく,聖書の解釈の違いであると確信していたことを取り上げ,5ページ6節の結論を共に考慮することができます。
13 このブロシュアーを用いて話し合いができたなら,家の人の状況や背景を考慮した上で,他のブロシュアーや「幸せな家庭」の本などを用いるか,「知識」の本の研究に移るかを決めることができるでしょう。
「神は本当にわたしたちのことを気遣っておられますか」
14 このブロシュアーはほとんどの人が抱く共通の疑問,すなわち「もし本当に気遣ってくれる神がおられるなら,神はどうしてこんなに多くの苦しみを許しておられるのか」という質問に見事に答えた画期的な出版物です。まず,このブロシュアーの特徴に目を向けてみましょう。
15 ブロシュアーの特徴を生かす: 『神は気遣っておられますか』のブロシュアーは,「見よ!」のブロシュアーと同じく聖書の基本的な教理を取り上げていますが,話題の提供の仕方が異なっています。日本人は,自分で宗教を選択するというより,人生経験を重ねてゆくにつれ,宗教的になってゆく人が多いと言われることがあります。体験すること,見聞きすることを通して,少しずつ霊的な事柄を考えるようになるというわけです。このブロシュアーは,そのような人たちが霊的な事柄を考えるきっかけとなる疑問に対する答えを提示しています。
16 第3部の「神がおられることはどうして分かるか」は興味深い資料です。現在宣教で用いているブロシュアーの中で,自然界から神の存在について考えさせる資料としては,特に充実した内容と言えるでしょう。まず宇宙,そして地球,生物の細胞,最後に人体と視点を絞ってゆき,わたしたちのことを真に気遣ってくださる神がおられることを説明しています。様々な経験のために信仰を失ってしまった人にも,あるいはこれまで創造者についてあまり考えたことのない人にも効果的な資料です。
17 このブロシュアーのもう一つの特徴は,各部を学ぶにつれてエホバ神をより身近に親しく感じることができるように資料配分が考え抜かれていることです。それで可能な時にはいつでも,神がわたしたち一人一人に関心を払ってくださる方であることを強調してください。第5部の「自由意志というすばらしい贈り物」では,自由意志が与えられていることのすばらしさとそれに伴う責任について深い洞察が得られます。
18 再訪問や研究で用いることのできる実例: このブロシュアーのテーマのようなことを率直に話し合うには,家の人と奉仕者の間に友好的な関係が必要でしょう。例えば,ある人に雑誌を定期的に届ける際,興味深い一つの記事を話し合うことにより霊的な関心を高め,同時に親しい関係を築くように努めるなら,次第に家の人は抱えている問題や疑問について打ち明けてくれるようになるかもしれません。その場合には,ブロシュアーの第1部から話し合うことができます。さらに身近な例を「創造者」の本の166ページから取り上げることができますし,167ページ1節には,苦しみの原因についての日本人の一般的な考えが記されていますので,そこを読み,続く2節の女性の言葉から,そのような考え方に納得がゆくかどうか尋ねてみることができます。聖書の示す答えがどのように自分の支えになっているかなど,奉仕者自身の感想を交えて話し合うなら,このブロシュアーを調べる良い動機づけとなるでしょう。
19 わたしたちの身近な出来事や話題の中に,神の存在と結びつけることのできるものがあれば,それを糸口にして第3部から話し合うことができます。例えば,「目ざめよ!」誌,1998年6月22日号の「人間 単なる高等動物ですか」の特集記事には,進化か創造かという問題は,人の道徳的な強さと深い関係があると記されています。衝動的に行動する若者が増えていることや,正しい道徳教育をどのように行なうかと言ったことが話題になっていることに言及した上でこの記事を用いるなら,人々の関心をブロシュアーの第3部に向けることができるかもしれません。
20 第3部を家の人の関心を高める仕方で扱うためにどうすればよいでしょうか。「創造」の本や「創造者」の本などを視覚に訴える資料として用いることができます。「創造」の本の9,10,14章や,「創造者」の本の2,4章などを,第3部の討議を補足する形で随所に持ち出すなら,関心を高める手段となるでしょう。例えば,第3部3節を考慮する際,「創造」の本の122ページの写真とその下のコメントに注目することができます。このような話し合いは,第3部を生き生きとした仕方で扱う上で役立つことでしょう。
21 第4部では聖書のことを取り上げていますが,聖書が神の言葉であることを論証することがこの部分の主な目的ではありません。愛のある神であれば人々が抱く霊的な質問に対する答えを与えてくださるはずであり,聖書はまさにそのための神からの贈り物であるということを指摘し,第5部への橋渡しとなっています。それで可能であれば,ここは深く掘り下げずに先に進みますが,家の人の必要に応じて生活面で役立つ聖句を幾つか例に挙げて,10節に出てくるリンカーンの言葉を補強したり,場合によっては,「創造」の本の17,18章から聖書が神の言葉であることについて幾らかを取り上げる必要があるでしょう。
22 第5-7部はこのブロシュアーの本題と言えます。人が特別な精神的また感情的な特質を持つ者として創造されたこと,その中心に自由意志があって,それを正しく働かせる時,人は最も幸福であるように造られていること,それゆえ自由意志は神からのすばらしい贈り物であることを理解してもらいたいと思います。そうするなら,現在の状況が“製造者”の責任ではなく“使用者”の問題であることを家の人に納得してもらい,神を愛する上での障害を取り除くことができるでしょう。家の人の霊的なことへの関心の程度により,ブロシュアーを最後まで学ぶか,3ないし4部まで学んで他の出版物に移行するかを考慮することができます。後者の場合でも,「知識」の本の6章に入る前に,第5-7部を活用することができるかもしれません。
「人生の目的は何ですか ― どうすれば見いだせますか」
23 これは,主題そのものが人々の関心を引くという点で際立ったブロシュアーです。意味のある生活,人生における優れた目標,つまり生きてゆくためのもっともな理由を提供しています。ほとんどの人が遅かれ早かれ考える事柄ですから,このブロシュアーは多くの人の心を引き付けることができるでしょう。
24 ブロシュアーの特徴を生かす: 「人生の目的」のブロシュアーは,「見よ!」や『神は気遣っておられますか』のブロシュアーと異なり,資料の早い段階では楽園の希望について扱っていません。日本人が人生について考える場合,永遠に生きるということよりも,今の生活をどれだけ充実させ,やりがいを持つかという観点に立つことが少なくありませんから,このブロシュアーの論理の展開の仕方は効果的といえます。
25 このブロシュアーの特徴の一つは,大切な要点を説明するために挿絵,写真が効果的に用いられていることです。ブロシュアーの論議を少し難しく感じるとしても,まず挿絵に注目し,それからそれを説明している本文に注目させる形を取るなら,理解を助けることができます。例えと挿絵の組み合わせも効果的です。例えば,6ページ1節にある例えは,7ページの写真でよく説明されています。写真の機械を見ながら,「これは何の機械かよく分かりませんね。しかし,この設計者に尋ねてみるならすぐに分かるのではないでしょうか」と推論させるなら,例えの意味を把握することができます。同様の例は,22ページの挿絵と22,23ページ3-5節にも見られます。
26 再訪問や研究で用いることのできる実例: 第1部は,「人生の目的」のブロシュアーを学ぶ動機づけを与える資料です。「ある人たちは人生の目的についてこのように述べています」と述べてから,4ページ1-3節,とりわけ3節のカーター元大統領の言葉を読み,6ページ16節のアウシュビッツ強制収容所での生活を生き延びたビクター・フランクルの言葉を紹介し,「聖書は,人間は何のために生きているのか,という質問に答えています」と述べることができます。次の訪問では,6,7節を簡単に扱った後,8-13節から,様々な識者が人生の目的をどうとらえているかを一つずつ簡単に紹介し,14,15節に移って,人生の目的を知ることの必要性をもう一度強調できるでしょう。第1部は,家の人が人生の目的について知りたいという意欲を持てるような進め方を心がけましょう。
27 このブロシュアーは,人生の目的は創造者の存在なくしては考えることができないこと,その方が人間を創造する際にお持ちになった目的と意図を学び,それにわたしたちの生き方を合わせる必要があることを訴えています。この真理を奉仕者がいつも意識しているなら,家の人の宗教的な背景や関心により,第2部以降の討議の進め方に調整を加えることができるでしょう。
28 例えば,創造者の存在を受け入れている人の場合は,すぐに第5部に移り,エホバ神が人類を造った際に何を意図されたかを共に考えた上で,第2,第3部に戻ることができます。一方,創造者の存在や人生に目的があることに懐疑的な人の場合には,まず第2部で創造者がおられることについて学んだ上で,第3部,第5部へと討議を進めてゆきます。宗教の偽善に失望し,信仰を失っている人とは第4部を学ぶのが有益ですが,キリスト教世界について詳しく知らない人の場合は,この部分を割愛したほうが関心を持続できるかもしれません。第7部には,マタイ 24章34節に関する調整される前の見解が載せられていますので,その前で他の出版物,例えば『神は気遣っておられますか』の第5部に移行したほうがよいと考える人もいます。
29 第2部については24節で指摘したように,例えと写真の説明をもとに討議することができます。『神は気遣っておられますか』のブロシュアーと同じく,「創造」の本や「創造者」の本から補いながら進めることができるかもしれません。家の人が創造者の存在を意識するようになったなら,設計者に尋ねる必要性にもう一度言及し,10ページ25,26節を討議して聖書が造り主の言葉であると述べて,第3部に入ることができます。この方法だと,聖書に関心を持っていなかった人が,調べてみようとの意欲を持つことがしばしばあるようです。
30 ある奉仕者は第3部を扱う際,特に11,12ページ10-15節を用いて家の人の関心を高めています。ヨブ 26章7節の説明を行ない,『掛けている』は英語の“hanging”であり,ニュートンが引力を発見するよりずっと前に,聖書は地球が浮かんでいて見えない力で掛かっていると述べていたことを指摘し,12節の学者の言葉を読みます。また,イザヤ 40章22節で,聖書が地球の形を球体という意味もある「円」という表現で述べていること,これは天から地球を見て表現した言葉とも言えるのではないか,と自分の感動を伝えながら説明し,人々の心を動かすことができました。第3部すべてを扱えなくても,家の人に最もふさわしい事例を幾つか取り上げて生き生きと話し合うことができるでしょう。
31 第5部は,人生の目的について話し合う上で特に大切な資料です。どのように興味深く扱うことができるでしょうか。一つの方法として,「目ざめよ!」誌,1992年4月22日号,8,9ページの論議の進め方を活用することができます。わたしたちの人生の目的とは,神について学び,神のご意志を行なうこと(あるいはこのブロシュアーの論議の進め方であれば,創造者がわたしたちに与えた目的と意図に沿って生きること)であることをこの部分から学ぶよう励ますことができます。
32 その後,創世記 1,2章の記述を共に研究するわけですが,上記の「目ざめよ!」誌に倣い,随所でその考えが道理にかなっていることを話題にすることができます。4節では動物を飼う趣味を持ったり,動物を保護することに一生をささげる人がいること,5節では自然を愛し,採算を度外視して環境問題に真剣に取り組む人が少なくないこと,6節では人には知識を探究したり,精神的,霊的な事柄を学んだりして充足感を味わう傾向があること,7節では家族や結婚生活に生きがいを感じることなどを考慮してみることができます。その上で,これからも聖書に記されている神の目的に自分を調和させるなら,真の生きがいを持てることを強調できるでしょう。―「ものみの塔」誌,1989年8月1日号,10-27ページもご覧ください。
まとめ
33 この記事では,「すべての人のための書物」,『神は気遣っておられますか』,「人生の目的」の3冊のブロシュアーを特に取り上げてみましたが,他のブロシュアーも引き続き用いることができます。「求め」のブロシュアーは,読みやすい体裁になっていますから,これからも積極的に提供しましょう。その際,「王国宣教」2000年5月号,2ページの提案や,2000年4月号の折り込み,6節の証言例を参考にすることができるでしょう。
34 この折り込みの提案をヒントにして,皆さんの区域で最も効果的な方法や個々の人に合った方法を考えてください。人々を取り巻く環境は刻々と変化しますので,奉仕区域の状況にいつでも注意を払うのは良いことです。(コリ一 7:31)わたしたちの区域でも,見知らぬ訪問者への警戒心,若い主婦層の子育てに対する無関心,不況や老人介護の忙しさによる精神的なゆとりのなさなどが増大しています。一人の巡回監督はこのように述べています。「区域の状況は,まけば芽が出る露地栽培のようなものではありません。温室栽培のように,慰めを必要としている人を見いだしたなら,友好的な関係を築き,少しずつ関心を高めるという手間のかかる奉仕をしてゆく必要があります。関心を示す一人一人に時間をかけて再訪問をすることが効果的だと思われます」。
35 区域の人々に慰めとなる音信を伝える必要は確実に増えています。奉仕者各自が個人研究の良い習慣,心からの祈り,集会への参加などにより,エホバからいつも慰めや励ましをいただき,それを力として区域の人々に慰めとなる王国の良いたよりを伝えてまいりましょう。―コリ二 1:4。