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2016 エホバの証人の年鑑
鑑16 97ページ–99ページ 2節
全長16㍍のケッチ型帆船ライトベアラー号

インドネシア

初期の伝道方法

ラジオ放送

ラジオ放送の送信塔

1933年,兄弟たちはジャカルタのラジオ局からラザフォード兄弟の英語によるラジオ講演の録音を放送し始めました。さらに,オランダ語の講演が真理に関心を持つ男性によって朗読され,それも放送されました。こうした放送は大きな関心を集め,結果として兄弟たちは宣教でたくさんの出版物を配布しました。

放送で,ラザフォード兄弟の「平和と繁栄に及ぼす聖年の影響」という強烈な講演が流されると,カトリックの聖職者たちは業を煮やします。a 聖職者たちは支持者たちに働きかけ,「中傷し,あざけり,敵意を示した」として,ラジオ局に録音を提供していたデ・シュメイカー兄弟を告訴させたのです。兄弟はその告訴内容に対して力強く抗弁しましたが,結局25ギルダーbの罰金と訴訟費用の支払いを命じられました。新聞の主要3紙がこの裁判について報じたため,かえって大々的な証言がなされました。

ライトベアラー号

1935年7月15日,ものみの塔協会の全長16㍍のケッチ型帆船,ライトベアラー号が,オーストラリアのシドニーを出港してから半年後,ジャカルタに寄港します。乗組員7人は熱心な開拓者で,インドネシアとシンガポールとマレーシアに良い知らせを広めることを決意していました。

2年以上にわたって,ライトベアラー号はインドネシア各地の大小様々な港に立ち寄り,大量の聖書文書を配布しました。ジーン・デシャンは当時をこう振り返っています。「小さな港に入るたびに,乗組員は当時のものみの塔協会の会長であったJ・F・ラザフォードの講演の1つを録音したレコードをかけました。外界から隔絶されていたマレー人の村人たちが,港に着いた大きなヨットを見,非常に大きくて力強い声が空気を伝わってくるのを聞いてどれほど驚いたか,想像してみてください。空飛ぶ円盤でも,これほどの関心は呼び起こせなかったでしょう」。

聖職者は兄弟たちの大胆な証言に激高し,最終的には当局に圧力をかけ,ライトベアラー号の寄港を国内の多くの場所で禁止させます。1937年12月,インドネシアでの目覚ましい宣教活動の記録を残し,ライトベアラー号はオーストラリアに戻りました。

ライトベアラー号の乗組員たち

ライトベアラー号の乗組員たち

a ラザフォード兄弟は講演の中で,ローマ・カトリック教会の霊的な腐敗や,政治や商業とのかかわりを暴露しました。

b 現在の約3万6000円に相当します。

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