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  • 「神がそれをずっと成長させてくださった」 コリ一 3:6

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  • 「神がそれをずっと成長させてくださった」 コリ一 3:6
  • 2017 エホバの証人の年鑑
  • 副見出し
  • 関心を持つ人を助けるための精力的な努力
  • 記念式が関心を集める
  • 思い出に残る記念式
  • 熱心な開拓者が新しい区域へ
  • 自己犠牲の精神は報われた
2017 エホバの証人の年鑑
鑑17 111–119ページ
1992年,トビリシの集まりに来た兄弟たち

1992年,トビリシの集まりに来た兄弟たち

ジョージア | 1991-1997年

「神がそれをずっと成長させてくださった」 コリ一 3:6

ゲナディ・グダゼ

ゲナディ・グダゼ,1990年代初めに巡回監督として奉仕した

1991年,ソビエト連邦は崩壊し,ジョージアは独立しました。しかし政治的変動と社会の混乱のため人々の生活は一気に厳しいものとなりました。そのような時期に巡回監督として奉仕したゲナディ・グダゼは,人々がパンを買うために丸1日並んでいたのを覚えています。

証人たちは,そのようにして並んでいる大勢の人たちに聖書の音信を伝えたものです。ゲナディは言います。「その大変な時期に,だれもが真理に好意的になったように思えました。聖書研究を望む人の住所を記したメモを何百枚も受け取りました」。

毎回の集会後,責任ある兄弟たちは訪問を依頼した人たちの名前と住所を読み上げたものです。そして奉仕者たちが手分けして家々を訪問しました。

1人のエホバの証人が,パンの列に並んで待っている人々に証言している

1990年代,パンの列に並ぶ人たちに宣べ伝える

トビリシで長老として奉仕していたレバニ・サバシビリ兄弟は,訪問を依頼してきた夫婦についてこう振り返ります。「リストにあったほとんどの家を奉仕者たちは訪ねましたが,この夫婦を訪問しようとする人はいませんでした。その家がずいぶん遠く,わたしたちの多くはすでに数件の聖書研究を持っていたからです」。

数か月後,同じ夫婦が再び訪問を依頼してきました。やがて3度目の依頼が送られてきて,この度はメモが添えられていました。証人たちが血について潔白であるために,どうか来てほしい,とありました。(使徒 20:26,27)レバニはこう言います。「それは新年の時期で,普段なら人々を訪問しないのですが,これ以上先延ばしにはできないと感じました」。

真理を求めていたこの夫婦,ロイニ・グリガラシビリと妻のナナは目を疑いました。ある寒い朝,レバニともう1人の兄弟が戸口に立っていました。この夫婦はすぐに聖書研究を始めました。ロイニとナナは今では子どもたちと共に正規開拓者として奉仕しています。

関心を持つ人を助けるための精力的な努力

真理を受け入れた人たちは,とても感謝していたので,良いたよりをさらに他の人々に宣べ伝えるため,自分の時間,エネルギー,資産を惜しみなく差し出しました。バドリ・コパリアニと妻のマリーナには子どもがいましたが,誠実な人たちを助けるため精力的に遠くの村へ出かけて行きました。

週末になると,バドリとマリーナは10代の息子ゴチャとレバニを連れて,トビリシ北方の美しい山岳地帯ドシェティに行きました。時には遠くの村に行くために,曲がりくねった道を150㌔も移動しました。

ある日,1人の女性が自分の職場にバドリとマリーナを招きました。バドリはこう言います。「大きな部屋に招かれましたが,そこには約50人もの人が待っていました。びっくりしましたが,エホバに祈ってから,終わりの日のしるしについてマタイ 24章の聖句から話しました。驚いた1人の人は,『どうしてわれわれの司祭はこのことを教えてくれないんだろう』と言いました」。

記念式が関心を集める

イエスの死の記念式も多くの誠実なジョージア人が真理を聞く機会となりました。例えば1990年にトビリシのイーア・バドリーゼ姉妹の家で開かれた記念式は,近隣の人々の関心を大いに集めました。

イーア・バドリーゼ

イーア・バドリーゼは記念式の時200人を自分のアパートに迎えた

バドリーゼ姉妹は自分のアパートを記念式のために提供しました。子どもたちの助けを借りて,リビングルームに場所を作りましたが,出席者のために必要ないすをどうすれば準備できるでしょうか。ジョージアでは家族の大きな集まりのためにテーブルやいすを借りるのは普通のことでした。彼女がいすばかり借りるので,「テーブルは必要ないのですか? どうやって食事をするんですか」と店の人に何度も尋ねられました。

バドリーゼ姉妹は,イエスの死を記念するためアパートの13階にある彼女の住まいに来たすべての人々を迎え入れることができました。驚くべきことに200人も出席したのです! 近隣の多くの人がエホバの証人について質問したのも不思議ではありません。

思い出に残る記念式

1992年,記念式のために国の各地で大きな講堂を借りました。ゴリに住んでいたダビット・サムハラゼは旅行する監督が記念式の計画について尋ねたことを思い出します。

奉仕者たちが個人の家で集まる計画でいるのを知って,監督はこう尋ねました。「皆さんの町に大きな講堂はないのですか。どうしてそれを借りないのですか」。講堂は1000人以上収容できたので,100人を超える程度の会衆の奉仕者たちは,そんなに大きな会場は必要ないと思っていました。

旅行する監督は提案しました。「もし奉仕者1人が10人を連れてくれば,会場はいっぱいになりますね」。とても現実的とは思えませんでしたが,奉仕者たちはその提案を受け入れて大いに努力しました。何とうれしいことでしょう! 1036人が記念式に出席したのです。a

熱心な開拓者が新しい区域へ

1992年,ジョージアにはエホバの民が聖書の音信をまだ宣べ伝えていない地域がたくさんありました。国が深刻な経済危機に直面している中で,これらの新しい区域にどのように音信を伝えられるでしょうか。

そのころ西ジョージアに住んでいたタマジ・ビブライアはこのように振り返ります。「旅行する監督がわたしたちの何人かと会合して,どうしたらよいか話し合いました。わたしたちは特別開拓者を割り当てる方法について十分知っていたわけではありませんが,良いたよりを緊急に宣べ伝えなければならないことは理解していました」。(テモ二 4:2)それで16人の開拓者が選ばれ,国内の様々な場所に割り当てられました。―地図を参照。

開拓者たちが5か月間割り当てられた場所を示したジョージアの地図

5か月のあいだ開拓者たちが派遣された場所

1992年5月,これらの地域で5か月間奉仕するように割り当てられた開拓者たちを励ますため,トビリシで3時間の集まりが開催されました。毎月,長老たちは開拓者たちを訪問して霊的な援助を与え,必要に応じて物質的な援助もしました。

2人の開拓者の姉妹,マネア・アダシビリとナジー・ジワニアは,オズルゲチの町に割り当てられました。当時60歳だったマネアはこう言います。「関心を持つ女性がオズルゲチの近くに住んでいることを知っていました。ですから,到着したらすぐにその人に会うことにしました。その人がいる婦人寮に着いてみると,彼女は約30人の人を集めて,わたしたちを待っていました。その日に,何件もの聖書研究が始まりました」。

その後の奉仕もとても生産的なものでした。わずか5か月で,12人にバプテスマの準備が整いました。

自己犠牲の精神は報われた

2人の開拓者の兄弟,パブレ・アブドシェリシビリとパアタ・モルビダゼはツァゲリに派遣されました。そこはキリスト教世界の教えと混ざり合った古い伝統のとりでのような地域です。

ツァゲリの風景

ツァゲリの風景

厳しい冬が近づくころ,5か月の割り当ての期間が過ぎようとしていました。パアタは翻訳作業を手伝うため他の場所に招かれます。パブレは決断を迫られました。こう言います。「ツァゲリの冬が厳しいことを知っていました。でも,聖書研究生は引き続き助けを必要としていました。それで,ツァゲリにとどまることにしました」。

「地元の家族と一緒に住んでいました」とパブレは言います。「ほとんど1日中奉仕に出かけていました。夕方,1階のリビングにある薪ストーブを囲んで家族と共に過ごしました。でも自分の部屋に戻ったら,わたしは厚手の毛布にくるまり暖かい帽子をかぶって眠りました」。

春に長老たちがパブレを訪問してみると,11人がバプテスマを受けていない伝道者の資格を得ていました。そしてすぐに,その全員がバプテスマを受けました。

a 1992年,ジョージアには1869人の熱心な奉仕者がおり,1万332人が記念式に出席しました。

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