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アカ 記事5
エホバの証人たちがスペイン語の「ものみの塔」誌を持って集会所の前に立っている。建物の看板にはスペイン語で「文化研究ホール」と書かれている。1952年

アーカイブから

聖書のメッセージを伝えた文化団体

1917年,国際聖書研究者(現在のエホバの証人)は,親切なメキシコの人たちへの組織的な伝道を始めました。その後数十年の間に,多くの誠実な人が真の崇拝を行うようになりました。しかし第2次世界大戦中,メキシコ政府は,エホバの証人が集会を開いたり教えたりする場所を問題にするようになりました。

当時,メキシコの法律によると,公の宗教活動は全て政府所有の建物で行わなければなりませんでした。でも,エホバの証人は一般の施設で大会を開き,兄弟姉妹の自宅で毎週の集会を開いていました。また,家々を回って奉仕したり街頭で伝道したりしていました。

それでエホバの証人は1943年,国の法律に従い,教育によって国民の福祉を促進する,非営利の市民文化団体としての登録を申請しました。そして,宗教団体としてではなく文化団体として認められました。その結果,政府所有の建物で活動を行わなくてもよくなりました。

エホバの証人の活動には,文化的・教育的なプログラムが含まれていました。それで,市民文化団体に対する政府の要求を十分に満たすことができました。(ローマ 13:1)もちろん,聖書のメッセージを伝えることで人々を助けたいという気持ちは変わりませんでした。(イザヤ 48:17,18)この新しいやり方をエホバが祝福していることは,すぐに分かりました。その後の素晴らしい増加の基礎となったのです。多くの兄弟姉妹は,今でも当時のことをはっきりと覚えています。

伝道の方法を調整する

メキシコのエホバの証人は,神の王国の良い知らせを伝える活動をずっと大切にしてきました。とはいえ,使徒パウロのように状況に合わせて伝道の方法を調整しました。(コリント第一 9:20-23)例えば,パウロはアレオパゴスでアテネの人々に話し掛けた時,聖書の言葉を直接引用することはありませんでした。(使徒 17:22-31)私たちも伝道には聖書を持っていかず,人々と会話を始める時も聖書を使うことはありませんでした。

姉妹たちが肩に,雑誌配布用のかばんを下げている。

姉妹たちが公共の場所で聖書を持たずに伝道している。1945年

当時を振り返って,イサベルはこう言います。「自己紹介する時には,『文化教育団体の者です』と言っていました。『目ざめよ!』の聖書的な話題以外の記事を紹介することがよくありました」。もし相手が神についてもっと知りたいと思った場合には,聖書のメッセージを伝えました。「聖書を持っていかなかったので,たくさんの聖句を暗記しなければなりませんでした」とオーロラは言います。相手の聖書を使うとよく聞いてくれました。

家から家の伝道を続けるために

法的な認可を得ているのかと言う人に対して,いつでも答えられるようにしていました。(フィリピ 1:7)政府発行の証明書は役に立ちました。a マリアは「いつも外務大臣のサインが入った身分証明書を携帯していました」と言っています。「当局者に呼び止められて『何をしているんだ』と言われたら,この証明書を見せました」とサムエルは言います。

身分証明書のおかげで,反対があっても伝道を続けることができました。ハリスコ州で奉仕していたヘススはこう言っています。「1974年,司祭に率いられた暴徒が,私たちの活動をやめさせようとしてエホバの証人の夫婦と私を地元当局に連れて行きました。私たちが当局者に身分証明書を見せると,騒ぎは収まりました。法的な後ろ盾を得ていたので,その地域の関心を持つ人たちを引き続き助けることができました。今ではその町に幾つもの会衆があります」。

聖書レッスンと読み書き教室

教育を推進する文化団体として,無料で学べる読み書き教室を開きました。b アリエルはこう言っています。「この取り組みはちょうど良い時に始まりました。当時,多くの人たちは学校に行けませんでしたが,それでも聖書を読みたいと強く願っていました。文字の読み書きを教わると,すぐに私たちと聖書を学ぶようになりました」。

ルトはこう言います。「そうした人たちは読み書きができるようになると,みるみる進歩していきました。自信がつき,充実感を味わっているようでした。エホバとの絆を強めていく様子も見ることができました」。

エホバの証人が市民文化団体として登録されていたのは,1943年から1993年までです。その期間に12万7000人以上が読み書きを学び,3万7000人以上がもっと上手に読み書きできるようになりました。エホバの証人は,識字率向上に貢献したことで政府当局から称賛されました。(ローマ 13:3)例えば,2010年には,「何十年にもわたって読み書きを教え,メキシコ州や全国の大勢の人々の生活を向上させてきた」として表彰されました。

みんなで集まる

文化団体として登録されていたため,集会場所は学校の教室のようになっていて,文化研究ホールと呼ばれていました。そこで集会と読み書き教室が行われていました。

アンヘルはこう言います。「大抵は,兄弟たちの家の一部がこうしたホールに使われました。多くの家族はあまり裕福ではありませんでしたが,ホールのために家の一部を喜んで提供し,自分たちは限られたスペースで暮らしていました。本当に素晴らしいと思いました」。

いろんな面で犠牲を払う必要がありました。会衆の集会の様子について,アンヘルはこう述べています。「出席者が多くて,中に入れないこともありました。コメントするには,窓をのぞき込まなければいけませんでした。でも,集会はいつでも楽しいものでした」。

問題を避けるため,集会で歌ったり声に出して祈ったりすることはありませんでした。エドムンドはこう言います。「文化講演会(今で言う公開講演)の話し手は,生活に役立つ聖書のアドバイスを取り上げ,聴衆の文化や生活を向上させる話をしました」。やがて聖書の書名を使うこともしなくなりました。聖句を引用する時はどうしたのでしょうか。マヌエルはこう説明します。「例えば,啓示 21章3,4節のことは,『66番の書,21の3と4』などと言っていました」。モイセスもこう言っています。「聖句を見つけるには,各書の番号を覚えなければなりませんでした」。

メキシコのエホバの証人の歴史から学べること

メキシコのエホバの証人は,世界の他の場所のエホバの証人と同じように活動を行ってきました。崇拝の面で幾らかの制限はありましたが,エホバが祝福してくださっていることは明らかでした。1943年に文化団体として登録された時,メキシコには1565人の伝道者がいました。宗教団体として法的認可を受けた1993年には,平均伝道者数が36万6177人に達しました。そして,この伝道者たちの働きがさらなる増加につながりました。2021年には,メキシコの平均伝道者数が86万4633人にまで増えたのです。この出来事からどんなことを学べるでしょうか。

問題が起きたら柔軟に対応する。そのようにしてきたので,メキシコでは50年もの間,法的認可を得ながら活動することができました。マリオはこう述べています。「ほかの国と同じようにエホバを崇拝できないのはなぜだろうと思うことがありました。でも,組織の指導を疑うような発言は聞いたことがありません。エホバが導いてくれていることをいつも確信していたので,私たちはみんなとても従順でした」。

エホバと共に働いていることを忘れない。グアダルーペはこう述べています。「人々を弟子とする活動に忙しくしていたので,ささいなことはあまり気になりませんでした。エホバのために働けていることが幸せでした。それが私たちにとって一番大事なことでした」。

仲間のクリスチャンとの絆を大切にする。アニータはこう言います。「王国の歌を歌うことなど,文化研究ホールでできないことは家の中で行いました。私たちはいつも一緒にいて,おしゃべりをしたり遊んだりしていました。こうした交友の時にみんながいつも話題にしていたのは,エホバや聖書のことでした」。

フロレンティーノは文化団体だった頃のことを振り返り,こう述べています。「この時期にも良い面がいろいろあり,大切なことをたくさん学べました。活動するのが難しい中でも,エホバが物事を導いていたのは明らかです」。

a この証明書を取得していたのは,あくまで身分を証明するのに役立ったからです。聖書によると,個々のクリスチャンが伝道するのに法的な認可を得る必要はありません。近年,エホバの証人は個人的にこうした証明書を取得したり登録を申請したりすることはありません。

b 国の統計によると,1940年代と50年代,メキシコの約半数の人たちは読み書きができませんでした。

メキシコのエホバの証人が増えたのはなぜか

ダニエル

「メキシコ人は大家族で暮らし,家族の絆が強いのが特徴です。それで,1人の人と聖書レッスンが始まると,家族の人にも参加するよう勧めていました。ある時,1人の若者とのレッスンが始まりましたが,あっという間にその人の家族20人もレッスンを始めました。みんなバプテスマを受けました」。ダニエル

エドウィン

「エホバの証人は愛と友情の強い絆で結ばれています。本当の家族のようで,互いに親切を示しています。聖書を学んでいる人たちは,集会でこの愛を感じ取り,組織に引き寄せられました」。エドウィン

コンセプシオン

「メキシコ人はとても信心深い人たちです。最初はそのことが真理を受け入れる妨げとなるように思えます。しかし,聖書を学び始めると,その熱意は真理に向けられるようになりました」。コンセプシオン

フェルナンド

「私たちは伝道する責任を真剣に受け止めています。フルタイムの仕事をしている人たちも,何とかして晩の奉仕に参加したり週末をフル活用したりしました。その精神がみんなに広がりました」。フェルナンド

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