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目ざめよ! 1970
目70 7/22 17–18ページ

教えに見られる不一致

かつては,どの宗派の教会に属しているかがわかれば,その牧師の教えがどんなものかもわかりました。牧師はそれぞれの教派の信条を教えたのです。ところが,もはやそうではありません。

今日,キリスト教世界のあらゆる教会制度内では著名な僧職者たちが同じ教派内でさえ意見を異にしており,自分の教派の教えに対してさえ異議を唱えているのです。その中には基本的な教理上の信条も含まれています。

教理上の相違

たとえば,たいていの教会制度は地獄の火に関する教理を公式には信じており,大罪を犯した罪人は永遠にわたって実際に苦しめられるとされています。事実,カトリック教会はこの前の公会議で,罪を永遠に罰するところとして地獄が実在することを再確認しました。

ところが,いずれの宗派でも,地獄についてさまざまの異なったことを教える司祭や牧師がふえる一方です。地獄とは単なる心の状態,または神から離れた状態にすぎない,“地上が地獄”にほかならない,といったぐあいで,自分の教派の公式の信条とも合致していません。デンマークの牧師カー・イエンセンは自著「われわれはどこへ行くのか」の中でこう述べています。

「永ごうの地獄について論ずるのはばかげたことである。それはキリスト教に反する事であり,地獄を信じた伝道師が説教壇から,悪魔や永遠に消えない火について大声で説教したのは昔のはなしで,そのような時代は過ぎ去ったのである」。

地獄の火に関する教会の教えを長年信じてきた人々は,今日のこうした牧師のことばに接してどう感じているでしょうか。

オーストラリアの長老派の3人の牧師は,その教会制度の教えに反して,人間の魂の不滅性を信じない,との見解を公にしました。そのひとりイアン・スティアは語りました。「問題なのは二重標準がある程度あることである。これは長老教会だけの問題ではない。牧師が教わっていることと,教えていることとは時々食い違っている」。

カトリック教徒は教会の権威に対する絶対服従を幼い時から教えられてきました。しかしオランダの有名な司祭・修道女・カトリック教会指導者層の人々37人が,同教会の権威に対するそうした服従をどう思うかと尋ねられたところ,その多くは,もはやそのような服従を認めることはできないと答えました。

カトリック教会の権威に関し,ノートルダム大学で教鞭をとったイエズス会司祭のカトリック神学者ジョン・L・マッケンジーは,カトリック教会は“教階制マフィア”の運営するところであると直言しました。トロント・デーリー・スター紙はこう付け加えています。「彼[マッケンジー]は今日の既成教会制度をネズミの巣くつとさえ評し,『実際,自分はネズミの巣くつに身を投じてきたのだと聞かされて喜ぶ者はいない』と語った」。

なかでも,若い僧職者は教会の教えにあからさまに反対しています。

性道徳

教会に通う人々の大半は,高い道徳基準を牧師が唱道するものと期待しています。ところが今日の牧師は性道徳の問題で大いに分裂しており,淫行・姦淫・同性愛は悪いことではない,とする牧師がふえる一方です。

英国のメソジスト派牧師ロード・ソパーは,「性を結婚関係に限るべきだ,とする考えはばかげている」と語りました。アメリカ,メリーランド州のある女子大で監督教会の牧師F・C・ウッドは述べました。「性を律する法律はありません。繰り返して言いますが,そのような法律は絶対にありません。……婚前交渉……は非常に美しい行為となる場合もあるのです」。またアリゾナ州立大学のローマ・カトリック・ニューマン・センターの理事トーマス・ウォルシュ司祭は語りました。

「私は処女であると唱えたところで,男に一度も自分を触れさせなかったのであれば,それはなにも偉いことではない。そういう女子学生が成功する[純潔を守り通せる]のは,非人間的であるからである。たとえ処女ではなくても,いろいろな人を愛する開放的な女性を私は好ましいと思う。……道徳を説くのはわれわれの務めではない」。

それにしても,神に仕える牧師を自任する者が道徳を説かないとすれば,それをするのはいったいだれですか。それに,教会は同性愛行為を“道徳的中立”とみなすべきであるとした,ニューヨークの監督教会の司祭90人の下した決定を,あなたはどう考えますか。

淫行・姦淫・同性愛を認めようとする最近のこうした傾向について自分が実際にどう考えているかを確かめたいなら,次のように自問してみてください。娘が淫行を犯すのを許せるだろうか。妻が他の男と性交をする,あるいは夫が他の女といっしょに寝るのをわたしは許せるだろうか。同性愛行為をしてもかまわない,とむすこに言えるだろうか。

また,もっと重要な事柄,つまりこの問題に対する神のお考えをも考慮しなければなりません。神はそのみことばの中で,疑問の余地なく明確にこう述べておられるからです。「自ら欺くな,淫行のもの……姦淫をなすもの……男娼となるもの,男色を行ふ者……は,みな神の国を嗣ぐことなきなり」― コリント前 6:9,10。

影響

教えるべき事柄に関して諸教会に見られるこうした混乱と分裂はいずれも人々に影響を及ぼしており,今日多くの人は,次のように語った英国の著述家マルコム・マゲリッジと同様に感じています。

「既成のキリスト教制度は完全に混乱し,明らかに崩解しており,奇跡でもないかぎり,見かけだけでも秩序あるいは信頼性を備えたものとして再び組み立てられることの全く不可能な状態に陥っているように思える。

「その崩壊の現状からすれば,既成のキリスト教制度は……たわごとにすぎない」。

あまりにも多くの教えや行ないに関し諸教会に内部分裂があるため,教会員の多くはうんざりしており,牧師に対する信頼を失い,教会を去っています。

しかし,キリスト教世界の分裂した諸教会がキリスト教を代表するものでないことを知るのは大切です。諸教会の分裂した現状はそのことを証明しています。なぜなら,真のクリスチャンは「おのおの語るところを同じうし,分争することなく同じ心,おなじ念にて全く一つになるべし。キリストは分たるる者ならんや」と聖書がさとしているからです。―コリント前 1:10,13。

真のクリスチャンは分裂していません。しかし諸教会は分裂しています。

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