すぐれた漆器細工
沖繩の「目ざめよ!」通信員
あなたは非常に美しい漆器を見たことがありますか。そのみごとにみがき上げられた表面は高度につや出しのしてある陶器に匹敵します。たぶん漆器はあなたに,中国,日本,韓国などの東洋の国を思い出させるでしょう。ところであなたは,最も上質の漆器のあるものが沖縄で作られることをご存じでしたか。
たいていの場合,漆器の土台となるものは木です。木片はびん,盆,皿などに形造られていきます。木片が驚くほどの薄さに加工されるのには全く感心させられます。時おり紙と同じくらい薄いものさえあります! それから特別なウルシを幾度となく順番に薄く塗り上げ,器物に硬度と耐久性を与えます。
りっぱな漆器は何百年たってもいたみが見られません。かつて漆器の所蔵品が船とともに沈んだことがあります。18か月のちにそれは回収され,1878年にウィーンで展示されました。長期間海水にさらされていましたが漆器はなんの損傷も受けていなかったのです!
この耐久性のあるウルシは,中国,日本,その他東洋の国々に育つスーマックの木の変種,ルスウエルニキフルアの樹液から作られます。それはふつうにはウルシの木と呼ばれています。日本のウルシは上質とされています。そしてその理由は,日本では樹液が最高の状態にあるときにのみ,つまり6月から9月までのあいだしか,樹液を採らないからであると考えられています。
中国人は何千年も昔に漆器を細工する方法を考え出しました。漢王朝(紀元前206年 ― 西暦220年)にまでさかのぼるころの工芸品が発見されています。日本人はのちになって中国人からその技術を学びました。
日本人の探検者たちが琉球諸島 ― そのうちで沖縄が最大 ― をおとずれたのは西暦714年ごろでした。おそらく彼らは沖縄へ初めて漆器を持って行ったことでしょう。グラディス・ザビカは「沖縄の習慣と文化」の中でこう述べています。「1437年に7人の沖縄人は漆器の作り方を学ぶため日本に旅をした。数年ののち彼らは沖縄に帰り他の者を訓練した」。
この著者はさらにこう述べています。「光沢のあるわんや盆が人々の間で非常に人気がでてきたので,彼らは質を改善する方法を実験し始めた。彼らは新しい製法を考案し,材料を改善することに成功し,沖縄の漆器は東洋全体にわたって有名になり日本からインドにいたるまで東洋における最上品と考えられるほどにまでなった」。沖縄の漆器は,他の国々のそれとなぜそれほど違うのですか。一つの違いは粘土の台を準備する独特な方法にあるのです。また木と原料の違いもあります。
ここでたいてい用いられている木材は琉球諸島で成長した樹木からのものです。それはとても軽く,容易に割れることがなく,また湿度の高い気候でも丈夫です。
原木は十分に乾燥されなければなりません。なまの木にはそりが生じ,加工されたあとで曲がるからです。木材のかたまりは動力で回転する旋盤にかけ,わん,はち,盆その他の物に仕上げます。
その品物には次に特別なのりが塗られます。1年ほど前までこののりは豚の血,粘土そして桐油からできていました。しかし今ではポリサイト合成のりが使われています。それは粘着力がより強く,容易にははがれません。
十分に乾燥された品物は次に紙やすりとと石でみがかれます。続いてウルシが塗られ,乾操され,そして炭でこすられます。この方法が何回となくくり返されます。そのあと最終的にウルシが塗られます。
今度は品物に装飾がほどこされます。ここで用いられているものには3つの基本的な装飾法があります。その1つは真珠貝です。もう1つは堆錦と呼ばれるものです。着色したウルシを薄く引きのばし,それをバナナの木,ハイビスカス,デイゴの花,竹などのかたちに切りとり,それを漆器にはりつけるのです。最後の装飾法は蒔絵と呼ばれ,手で絵模様を書き表わすものです。
漆器は品質において多種多様です。しかしいろいろな漆器を調べてみるとき,その多くのものがほんとうに美しい美術品であるのに深い感銘を受けます。