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目ざめよ! 1975
目75 3/8 24–25ページ

イタリア,離婚法を可決

イタリアの「目ざめよ!」通信員

40年以上もの間,イタリアにおいて結婚に関する事柄は,1929年に教会と政府との間で調印された協定の条項に合わせて取り扱われました。この条約(または政教条約)は,ムッソリーニ政府とバチカン市国間で成立しました。それは同政府を支持するという交換条件で教会に数々の特別の便宜を与えるものとなりました。

同政教条約の条項のもとで,カトリックの僧職者は政府から財政的援助を受けました。カトリックの宗教以外どんな宗教も公立学校では教えることが許されませんでした。また,教会は税金を免除されました。このような特典は教会に優勢な立場を与えるものとなり,教会は国民に対して大きな影響力を行使できるようになりました。

結婚に関しては,政教条約は教会の見解を支持していました。同協定は民事結婚を認める一方,結婚の解消に関する独占的な特権をカトリック教会に与えました。しかも,結婚は死によってのみ解消されるというのが同教会の立場でした。これは,イエス・キリストご自身がこの問題についてとられた立場を無視するものでした。イエスは,特定の状況下における離婚を許されました。―マタイ 19:9。

しかしながら,離婚はあり得ないとする教会の主張には,「抜け穴」がありました。結婚の「無効宣言」が認められていたのです。言いかえれば,離婚はあり得ないけれども,いろいろな理由で婚姻関係が数会により是認されない状況下に入った旨教会は言明することができました。したがって,そのような結婚関係は存在しないものと宣言することができました。そのような訳で,結婚関係を「無効」と認められた人は,再婚することが可能でした。

この手続きに要する費用は相当なものでした。そのために,ごく少数の人だけが結婚関係を無効にしてもらうことができました。そのような人はたいてい舞台や映画の俳優,政治指導者,実業家その他の裕福な人々でした。貧しい人々はそうしてもらうための費用をまかなうことができないので,わざわざそのようなことはしませんでした。無効宣言を取り付けずに配偶者と別れる人は,多くの場合だれか他の人と同棲して姦淫を行なうことになりました。推定約五百万人もの人々がそのような内縁関係の生活をしていると言われています。しかし,そうすることにより,そのような関係のもとで生まれた子供を父親が合法的に自分の子供として認知することはできなくなりました。その結果,ある特定の恩恵にはあずかれないことになりました。

結婚および離婚に関して多くの不都合な事態が見られることに気付いたイタリア議会のいろいろの議員は長年にわたって離婚を認める法案を通過させるよう努力しました。しかし1970年12月1日に至るまでは,そのいずれも受け入れられませんでしたが,その日,フォルチュナおよびバスリーニ両代議士の提出した法案は立法化されました。ついに,イタリアにおいて離婚が許されることになりました。ただし,配偶者が少なくとも五年間別居している場合です。当事者の一方が離婚に反対する場合には,六年か七年間の別居の後,他方の当事者は離婚を申し出ることができます。また,その法律には,子供と妻を助ける特別な規定が含まれていました。

国民投票

1970年に成立したその法律は,反対なしに成立したわけではありません。しかも,その反対はその後も続きました。その反対は政府の内外両方から,それも特にローマ・カトリック教会からもたらされました。そして,離婚反対派が国民投票を行なわせる権利を勝ち得るに至って,その頂点に達しました。

多くの政治指導者はその国民投票に反対しました。たいへんな苦労をした末にやっと達成した政党間の協調関係の微妙な均衡が破られ,政治的危機が引き起こされはしまいかと恐れたのです。しかし,そのような恐れがあったにもかかわらず,離婚反対派は事を進めてゆきました。

一つの結果として,確かに政党間には明らかに分裂が生じました。多数党(キリスト教民主党)は,その離婚法の廃止を主張しました。他の主な政党(共産党と社会党)は,離婚法の存続を主張しました。

政治の分野でそのような対立が生じた一方,ローマ・カトリック教会の内部では何が起きていましたか。

教会の態度

昨年の2月,イタリアの司教会議は同教会の公式の立場を明らかにし,離婚反対派を支持する態度をきっぱりと表明しました。

その公式見解を記した知らせは,各地の教会で読ませるため司教たちによってすべての司祭に送られました。その見解に関する一つの解釈が,モンシニョール・ゲタノ・ボニセリにより出されましたが,彼は,「カトリック教徒でありながら,あるいはカトリック教徒と自称している者と呼ぶほうが当たっているかもしれないが,そのような人でこの離婚法存続に対する賛成票を投ずる人々は,もはや,『カトリック教徒』とみなすことはできない」と言明しました。

ところが,ほどなくして教会自体の内部で反対が生じました。例えば,ミラノなどの都市では,問題の通告を教会内で読もうとさえしない教区司祭がいました。他の司祭たちは声を大きくして教会の見解を鋭く非難しました。44人のベニスの司祭は同地区の司教や司祭に対する文書の中で,離婚法を存続させるために票を投ずる意向を表明しました。さらに,他の司祭たちは投票は個人の良心上の問題であると述べて,公式見解の趣旨を弱めさせようとしました。

カトリックの平信徒の多くは,教会の方策に反対する態度を表わしました。マントーバでは,ミサの礼拝の途中で僧職者が国民投票に関する司教通告を読み始めたところ,一群のカトリック教徒は教会から出て行きました。他の都市では,教会の立場に反対するデモが行なわれました。教会の種々の階層の成員間でこのような出来事が起きたため,カトリックの一婦人はこう言いました。「この国民投票はカトリック教に敵する者からカトリック教徒を分けるよりはむしろ,おそらくは取り返しがつかないほどに,教会という世界を引き裂くものとなります。この国民投票を主唱する人たちはそのことに気付いているのでしょうか」。

「わたしの王国はこの世のものではない」と題する文書の中で,ベネディクト会修道院,大修道院長ジョバンニ・バティスタ・フランツォーニは,結婚は解消不可能であるとする教会の主張に反して,教会は事実上,有名な「聖パウロ特権」をもって離婚を認めてきたと言明しました。その慣行によれば,すでに合法的に結婚していても,カトリックに改宗した者は,特定の状況の下では『クリスチャンでない』配偶者を捨てて,教会内で再婚しようと思えばそうすることができました。しかし「新カトリック百科事典」でさえ,この「聖パウロ特権」について次のことを認めています。「この用語は,コリント人への前の手紙の7章12-15節の中で聖パウロがこの特権を許したであろうという推測に基づいたものであって,むしろそれは聖パウロのことばを,それ自体の許すところより広義に解釈して教会によって与えられた特権である」。

このようなわけで,教会の立場はカトリック教徒の間の反対を次第にひき起こしました。昨年の4月25日付のバチカンの新聞ロセルバトーレ・ロマーノに掲げられたある記事はその事を認めて次のように述べました。「教育あるカトリック教徒,そして若い司祭たちさえ,またそれ程若くない一部の司祭たちも,イタリアの司教団から伝えられた指示を公に論ぱくし,拒否した」。ある司祭は宗教戦争の可能性が差し迫ってきたとして,次のように警告しました。「用心しないと,われわれすべては気がついた時には台風の目の中にいる事態に陥りかねない」。

もちろん,教会の外でも反対の空気は充満していました。社会党日刊機関紙,「アバンチ!」紙は,教会を「イタリア政府の内政問題に過度に干渉するもの」として非難しました。また,予想どおり,共産党機関紙ウニタは,「僧職者の動員」を「民事の領域への許すべからざる干渉」と呼びました。

これらの出来事がすべて,待望の昨年5月12,13日まで続き,それから国民投票が行なわれました。そして,災難が不意に臨んだのです。

圧倒的敗北

教会および他の離婚反対派がどうしようもないほど驚いたことに,イタリア人の圧倒的多数が離婚法存続に対する賛成票を投じました。その結果,教会は圧倒的敗北を喫しました。教皇パウロ六世は投票結果について次のように述べて,教会指導者層の全般的感情を言い表わしました。「このことはわれわれを驚かせ,苦しめるものである」。

この勝利はほかの事柄をも成し遂げるものとなりました。つまり,他の問題についても一般国民投票を行なう道を開いたのです。そして,離婚を認めることに賛成した諸政党は事実,イタリア国民が他の問題に関しても自分の意志を表明できるよう署名を集めています。そのような関心事の一つは,教会とイタリア政府間の政教条約そのもの,それに同条約によってバチカンに与えられている,特典を有する地位です。

教会は,いわゆるカトリック教徒の『声なき大多数』の支持を当てにしていました。ところが,その『声なき大多数』は少数者に過ぎないことが判明しました。このような訳で,教会はイタリア人の気持ちをひどく誤算していました。そのために,教会は自らのものと主張していた人々そのものからもたらされた屈辱的な敗北という重々しい代償を支払いました。しかも,それはごく近い将来,さらに問題に直面する道を開くものとなったのです。

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