祈ることには報いがありますか
神は,「あなたのおきてをわたしに教えてください」という祈りを常によしとしてこられました。(詩 119:68,新)現代の数々の例は,神がこうした祈りをかなえることに深い関心を示されることを物語っています。
日本の年配のある婦人は毎日,神棚にご飯と水と線香をあげていました。ある日のこと,手を合わせたまま,「本当の神様がおられるなら,死ぬ前に,どのような方なのか教えてください」と心の中で語りました。
祈り終えるやいなや,玄関の戸が開き,「ごめんください」という声が聞こえました。その年配の婦人が玄関に応対に出ると,訪問者は自分が「真の神」について語るためにやって来たことを丁重に告げました。婦人の祈りはまさに聞き届けられたのです。聖書の研究が始まり,婦人は生ける創造者で,祈りを聞かれる方であるエホバについて多くのことを学びました。
祈りをささげる人がその求めを言い終えないうちに,ご自分に関する知識を求めるその誠実な祈りにエホバ神がこたえてくださることも珍しくありません。ヨーロッパのある国に住む一人の人がアパートで熱烈にそうした願いをささげていると,ドアに何かの当たる音が聞こえました。家の人は戸口に走って行き,ドアを開けました。部屋の前を通った人が偶然自分の手さげかばんをドアにぶつけ,部屋の前を通り過ぎて行ったのです。
家の人は廊下にいた二人の男の人に声をかけましたが,自分はその国の言葉を流ちょうに話せませんでした。ところが,二人の男の人はその人の母国語を話せました。その上に,二人は聖書を教える人たちだったのです。同じ建物の別の人を訪問したのですが,ちょうどその日,目当ての人は留守でした。家の人は大喜びして,その場で定期的な聖書研究が取り決められました。神に関する知識を求めるその人の祈りは確かに聞かれたのです。祈りという祈りが必ずしもこれほど速やかにこたえられるわけではありませんが,神とそのご要求を誠実に知りたいと願っている人々の祈りを神は聞き届けてくださいます。
あなたも,万物の創造者であられる真の神についてさらに知りたいと思ったことがありますか。神のご意志が啓示されるなら,それを喜んで行ないたいと思っておられますか。この雑誌があなたの祈りに対する答えであるとも十分考えられます。発行者またはエホバの証人のだれかと連絡をとって,神について抱いておられる疑問の答えを得るために取決めを設けることができます。
神に是認される別の型の祈りに,神のご意志を行なう助けを求めるものがあります。詩篇作者ダビデは,自分の祈りがかなえられたことをこう証ししています。「わたしはエホバを切に待ち望んだ。それで,主はわたしに耳を傾け,助けを求めるわたしの叫びを聞いてくださった」。どうして聞いてくださったのでしょうか。ダビデが次のような願いを抱いていたことに注目してください。「わたしの神よ,あなたのご意志を行なうことをわたしは喜びとしました」― 詩 40:1,8,新。
一サラリーマンは,クリスチャンの長老たちを訓練する学校に出席するため休暇を取る必要がありました。勤務先の会社にとって一年で非常に忙しい時期であったため,休暇を取るのは無理ではないかと考えていました。しかし,その人はエホバ神に導きを祈り求め,責任者の部屋に入って行って自分の願いを伝えました。責任者からは,「まあいいだろう,休暇を取りたまえ。なかなか良いことのようじゃないか」という思いがけないうれしい返事がありました。
北海道のあるクリスチャンの男性は大工の経験があったので,クリスチャンの建設計画の手助けをして,神のご意志を行ないたいと考えました。当時,この工事現場で働く大工の数が非常に不足していたのです。しかし,その人には家族の様々な責務がありました。そこで,奥さんの励ましを得て,物事を整理できるようエホバの助けを祈り求めました。
この人の家業は豆腐の製造・販売でした。建設工事の手助けをするために町を離れている間,だれが豆腐を配達したらよいでしょうか。その問題は次のようにして解決されました。ある人がやって来て,就職口を知っていたら紹介してほしいと言ったのです。それからこんな会話が交わされました。「運転免許証はありますか」。「ええ,持っています」。「それなら,家に仕事がありますよ」。
しかし,豆腐の製造と包装をだれが取り仕切ったらよいでしょうか。父親が不在の間,3人の子供が朝早くから元気よく豆腐造りの手助けをしました。5歳の男の子までが,水に浮いている豆腐をプラスチック容器に詰めて,仕事の手助けをしました。実際,その男の子は何百丁もの豆腐を一つもこわさずに包装しました。それは経験を積んだ大人でもなかなか難しい仕事です。
妻はそれまで体が丈夫ではありませんでしたが,夫の不在の間,健康上の問題は全くありませんでした。神のご意志を行ないたいという祈りをささげ,その祈りに調和して事を進めるうちに,障害はやがて一つずつ解決されていきました。
祈りに対する答え
あなたの祈りはかなえられているでしょうか。神を本当に知るようになったと感じているでしょうか。生活には深い目的意識や然るべき意義が伴っているでしょうか。神のご意志を知り,それを行なえるよう,神に助けを祈り求めてきたでしょうか。そうであれば,その祈りは必ずかなえられるでしょう。
しかし,それからどうしますか。神に導きを祈り求めることと,祈りが聞かれた時にその導きに従うことは別個の事柄です。イエスはこの点を例示する次のような話をされました。ある男の人が息子の所に行って,「子どもよ,きょう,ぶどう園に行って働きなさい」と言いました。その息子は,「行きます,父上」と答えただけで,出かけて行きませんでした。―マタイ 21:28-32。
今日,神に口先だけで奉仕をし,実際には神のご意志を行ないたいと思っていない人が少なくありません。神に仕えることには関心がなく,神に仕えてもらいたいと望んでいるのです。神により良い奉仕をささげることより,利己的な理由から,試験で良い点を取り,お金をもうけ,幸運が巡ってくるよう助けを求めているのです。(ヤコブ 4:3)そして,神がご自分のご意志に調和してお与えになる答えをあえて無視しているのです。
一方,神を知って喜ばせ,神のご意志が全地で行なわれることを本当に見たいと望んでいる今日の少数の人々の一人であれば,神がその祈りに必ず答えてくださることを確信できるでしょう。エホバの証人は,皆さんが祈りを聞いてくださる方である真の神についてさらに学ばれるのを喜んでご援助いたします。そして,受け入れる姿勢があるなら,祈ることには確かに報いがあるという事実を神は実証してくださいます。