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  • 驚くべき不公正!
  • 目ざめよ! 1983
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目ざめよ! 1983
目83 1/22 24–27ページ

驚くべき不公正!

自分や自分の身内の者たちが不公正をじかに経験するとき,あなたはそれに憤りを覚えるのではないでしょうか。しかし他の人が不正に扱われる場合でも,わたしたちは関心を持つべきです。不公正な扱いの型ができると,一国全体,あるいは文化全体が危うくなることがあるのです。

驚くべき不公正がイタリアのサルジニア島で生じています。その島で,ジュゼッペ・オネダとコンシリア・オネダという若い夫婦が,まな娘の死の罪を問われ,現在投獄されています。この二人はテロリストよりも厳しく扱われているため,二人の裁判は国際的な関心を集めています。事実を調べるなら,生じた事柄が,少数派に対する攻撃であることがお分かりになるでしょう。それはまた,医師や病院の差し伸べる治療を選ぶ権利,そして子供を適切に世話する親の権利を危うくするものでもあります。

オネダ家の人々

オネダ家の人々はサルジニア島の小さな町サロークに住んでいます。1977年12月23日,待ちかねた最初の子供イザベラが生まれた時の喜びはきっとご想像いただけるでしょう。しかしこの家族はやがて大きな悲しみを経験することになりました。6か月もしないうちに二人は,イザベラの顔色が悪く,正常に発育していないことに気付いたからです。オネダ夫妻が医師に診てもらったところ,イザベラは地中海貧血にかかっていると医師から告げられました。医師たちはこの赤ちゃんに輸血を施して治療を始めましたが,病気は悪化する一方でした。

この時期にオネダ夫妻はエホバの証人と聖書を勉強するようになり,いつの日か神が苦しみと死を終わらせてくださるということを学び,慰めを得ました。(啓示 21:4)エホバの証人は命に対して深い敬意を払い,現代の医療を受け入れます。エホバの証人の中には医師も大勢います。それでも,「ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない」といった聖書の幾つかの言葉により,輸血は禁じられていると確信しています。(創世記 9:3,4)同時に,最初の使徒会議が,『淫行と血を避ける』ようクリスチャンに命じたことも知っています。―使徒 15:19,20。

オネダ夫妻は,聖書を勉強して親が子供に愛ある世話を施すべきであることを一層痛切に感じました。二人は非常に誠実で,幼いイザベラに良い食事をさせ,良い医療を受けさせるための資金を増やそうと,時々食事を抜かすほどでした。

イザベラの病気は何だったか

イザベラは重症地中海貧血(クーリー氏病とも呼ばれる)という容易ならぬ血液障害を起こしていました。これは,地中海沿岸に住む多くの人々がかかる遺伝病です。治療法としては普通輸血が施されますが,これも一時しのぎにすぎません。残念ながらこの病気を治す手だてはないのです。この病気にかかった人の大半は子供の時に死んでゆきます。血液の病気に関するある出版物によれば,イザベラのように,この異常が乳幼児に現われた場合,「最初の2年以内に」その病気によって命を奪われるのが普通です。―U・テオドリの病理学小冊子,1976年,ローマにて発行。

この親が取った行動

1978年中,および1979年の初めまでオネダ夫妻はカリアリ大学の第2診療所にイザベラを何度も連れてゆきました。それでもイザベラはよくなりませんでした。結局1979年の6月に二人は聖書に基づいた決定を下しました。これからは,輸血を受けさせるためにイザベラを連れて来ることはないと医師たちに告げたのです。しかし二人は,他の治療なら何でも受け入れるということを明らかにしました。オネダ夫妻は北イタリア,スイス,ドイツ,フランスなどの医師たちの診察まで受けさせて,イザベラのために並々ならぬ気遣いを示し続けました。

診療所の社会奉仕課は,未成年裁判所と連絡を取りました。同裁判所は診療所が地方官憲と連絡を取り,この子供を連れて来るように取り計らえ,という指示を与えました。診療所は何度もサロークの当局者と連絡を取り,次いで地元の警察官が子供を連れて行くためにやって来ました。このようにして,幼いイザベラに幾度も強制的に輸血が施されました。

ところが,1980年3月半ばから7月2日に至るまで,同診療所はイザベラを連れて来させて治療することをしませんでした。この期間に,オネダ夫妻は第2子である健康な女の子を授かり,二人はこの子をも愛し,よく世話しました。次いで1980年7月2日,警察は再度イザベラを診療所へ連れて行き,イザベラはその診療所で輸血を施されている最中に死亡しました。

恐るべき不公正

これで悲しい話はもうおしまいだと思う方がいるかもしれません。ところが,今度は恐ろしい不公正な事態が進展しはじめたのです。1980年の7月5日にオネダ夫妻は逮捕され,故意の殺人,つまり謀殺の罪に問われたのです。信じ難いことに,最初の娘を失って悲しみに暮れていたこのクリスチャンの夫婦は,今度は娘の死を望んでいたという罪に問われる重荷をさらに負うことになりました。

二人は20か月間投獄されていました。ジュゼッペ・オネダは病気であるとの医師の報告にもかかわらず,裁判を待つ間の一時的な自由も認められませんでした。この残酷な仕打ちのために,二人は次女の世話ができませんでした。やっとのことで裁判が開かれました。1982年3月10日,オネダ夫妻は有罪と宣告され,懲役14年に加え,その後の保護監察3年の刑を言い渡されました。考えてみてください,これは数多くのテロリストに対する判決よりも重い判決なのです。

事実が不公正を明らかにする

自由と人権に関心を持つわたしたちは皆,ここで生じた事柄を真剣に考慮すべきです。

診療所の所長は,取調べ判事に宛てたメモの中でこう述べました。「診療所では,重症地中海貧血の症例を数多く扱った(約700件)。これらの人々の多くは,二度と戻って来ないか,戻って来たとしてもたまにやって来るだけである。診療所には,病人を助けるだけの十分の数の人間がいない」。同診療所が,この病気を抱える幾百人という小さな子供たちが治療を受けぬままに放置し,イザベラに関する裁判所の指示にも完全には従っていなかったのであれば,どうしてオネダ夫妻がその子の死について断罪されるのでしょうか。読者の人間性と公正の感覚に答えさせてください。

裁判では数多くの興味深い詳細な点が提示されました。裁判所から指定された医療専門家たちは次の点を示しました。(1)イザベラの病気の「臨床的な段階」は「末期に達していた」,つまりイザベラは危篤状態にあった。(2)イザベラの死の数週間あるいは数か月前の輸血でさえ,「病気の致命的な進行を緩和することに関して言えば,何の臨床的な関連性も,何の法医学的な役割も持ち得なかった」。

医師たちも認めていることですが,輸血がしばしば危険な,時には致命的な結果をもたらすことを示す証拠が多いのは,読者もご存じかもしれません。重度の貧血症の多くの患者の場合,鉄分が体内に蓄積し,その危険な状態は,輸血によって深刻化し得るのです。

エドアルド・ストルティ教授(パビア大学血液学研究所の所長)は,イザベラの検死報告から次のような結論を下しました。「この死は,様々な要素が絡み合って生じたものである。(イ)極度の貧血。(ロ)重要な器官,特に心筋に相当量の鉄分の沈殿があったこと。……どれほど集中的かつ近代的な療法であろうと,病気の進行を著しく緩和できたという意見は疑わしいとも私は思う」。

さらに,イザベラの場合のように,ヘモグロビンの量が5㌘未満で心臓疾患がある患者には,普通の場合輸血が指示されることはありません。輸血は,命取りになりかねない肺水腫を引き起こす可能性があるからです。イザベラの検死の結果,肺水腫の生じていることが明らかになりました。

これらの事実を考えてみると,オネダ夫妻が殺人の罪に問われたのはなぜでしょうか。アンジェロ・フィオリ教授(ローマ聖心カトリック大学,法医学研究所の所長)はこう指摘しました。「容態の悪化が親の行動と関係していると主張するのは……根も葉もない,危険なことだと断言できる」。

別の法医学の専門家は,イザベラが輸血を施されなかったために死亡したと主張するのは,「腫瘍のできている人がその病気の最終段階に達して,ビタミンを投与されなかったために死亡したと主張するのと同じほど不合理なことである」と語りました。

大衆の反応

上訴はなされましたが,二親はまだ獄中にいます。しかし数多くの人々がこの不公正について懸念を表明しました。

1982年3月11日付のイル・テンポ紙はこう述べました。「法廷で傍聴していた法医学者のアレッサンドロ・ブカレッリ博士は,取り調べの段階では,輸血を受けなかったことと地中海貧血の幼児の死との間に因果関係を確立することは不可能だったと言明した」。次いでその記事はこう述べました。「普通,不明確な点がある場合には無罪とされるか再調査が行なわれる。しかしこの度は,不明確な点があるにもかかわらず,被告は有罪宣告を受けた」。なぜでしょうか。

事実に通じた,公正な気持ちを持つ人は,法廷自体の鑑定人が表明している不明確な点がなぜ吟味されないのかと不思議に思います。法廷が死因に関する別の仮説を考慮することを拒み,被告側の鑑定人の話を聞こうとしないのはなぜでしょうか。自分たちの宗教的信念に一致する治療法を誠実に受けさせようとした親に,法廷が注意を集中したのはなぜですか。そうです,一体なぜでしょうか。

イル・テンポ紙はこの裁判に出席したカナダ人の一弁護士の言葉を引用しました。「一時,教会に属さない人々を迫害したのは異端審問所だった。現在その迫害はそれほど表立ったものとはなっていないが,本質的には何ら変わるところがない。輸血をしてもしなくても幾百人という子供たちがサルジニア島で死亡する。医学の教科書には,この病気を治す確かな方法はないと記されている。今,検察官は治療法があることを我々に示すと偽って主張しているが,この主張は,子供をだれも治すことのできない病気にならせてしまったという責任しかない,この礼儀正しい夫婦に有罪宣告を下すためのものとみなせる口実にすぎなかった。事実,この子供は,親の同意なしに輸血を受けている時に死亡したのである」。

定期刊行物「スタンパ・セラ」は,トリノから次のような見解を寄せています。「現在望まれているのは,上訴審においてこのような判決が廃棄されることである。実際のところ懲役14年の刑は,7件の謀殺の罪を負うテロリストたちの訴訟の場合には考えられもしない。カリアリのアッシツェス法廷は,なぜこれほどオネダ夫妻に厳しく当たるのかという質問が生じる。毎年サルジニア島では,輸血を受けても受けなくても,幾十人また幾十人と子供たちが地中海貧血で死亡しているからである。……そしてもう一つ,幼いイザベラに輸血を受けさせるための手はずを整えるよう未成年裁判所の裁判官が任命した公務員に対して,何ら非難の声が上がっていないのも奇怪なことである」。

他の国のジャーナリズムも,公正な扱いがなされたかどうかを疑問視しています。スペイン,マドリードのエル・パイス紙は,この裁判に関係しているのは「地中海貧血という不治の病」であり,この病気にかかった子供の命は,「繰り返し輸血を施してもわずかしか延ばすことができない」ことに注目しました。同紙はこう付け加えています。「許し難く思えるのは,この二親が純然たる謀殺事件を起こして銃でイザベラを殺しでもしたかのように……裁判官たちが二親に対して冷酷なことである。この二人には情状酌量の余地が少しも認められていないが,同国では,より悪質な犯罪者に対してさえ情状酌量の余地が差し伸べられている」― 1982年3月12日付。

あなたの人権に対する脅威

読者が住んでおられる国の法律でも,イタリアの法律同様,人間にはある治療を受けるかどうかを決定する権利があるとうたわれていることでしょう。それは理解できることです。堕胎に関係した例を考えてみてください。堕胎を正しいと考えるか否かは別として,警察官が医師たちの指示を受けて家を訪れ,あなたの意志を無視してあなたや家族に堕胎を強制するとしたら,あなたはどう感じますか。

それに,全世界どこでも,親は子供の保護監督について発言権を持つべきであることが認められています。子供が不治の病にかかり,特定の療法では死を早めることが親に分かっている場合,親が警察官により,その療法を受け入れることを余儀なくされてよいものでしょうか。

輸血技術の講師A・D・ファーは,強制的な輸血に関してスコットランドでこう書きました。

「個人のために決定を下すという機能を,国家が次第に奪いつつある。このようにして,自由主義諸国は自由を捨て,全体主義的になっていくのである。……これは単なる気ままな推測ではない。自由は貴重で比較的まれな所有物であり,自由の存在するこれらの国において,自由は大切なものとして保護されねばならない」。

イタリア憲法は,読者の国の憲法と同じように自由を保障しています。しかし,信教の自由と親権がふみにじられるとき,全市民の自由と権利を脅かしかねない危険が生じます。これは既にサルジニア島で生じています。クリスチャンである優しい二親は投獄され,多くの殺人犯よりも厳しい扱いを受けています。自由を愛するすべての人は,このはなはだしい不公正に驚がくし,上訴の結果に関心を持つはずです。「目ざめよ!」誌は,これからもこの重要な裁判についての情報をお伝えします。

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