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  • テムズ川をせきとめる水門
  • 目ざめよ! 1983
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目ざめよ! 1983
目83 10/8 24–27ページ

テムズ川をせきとめる水門

英国の「目ざめよ!」通信員

今夜はロンドン市民のうちの100万人がぐっすり眠れます。これまで彼らの命や家は危険にさらされてきました。大ロンドンのうち約120平方㌔に及ぶ地域は満潮時になると海面よりも低くなります。土地が最も低い地域は上の地図の濃い灰色で示された部分です。大洪水に一度でも見舞われれば,被害額は少なく見積もっても35億ポンド(約1兆4,400億円)に及び,同市の大部分では機能が麻ひしてしまうことでしょう。今日の解決策となっているのは,十の防潮門から成る,テムズ川をせきとめる堰です。これらの防潮門は1982年11月から使用されています。

テムズ川は現在見るようなはっきりした水路をいつも保っていたわけではありません。ロンドンから海に至る地域がただの広大な湿地帯で高潮により周期的に冠水していた時期がありました。しかしロンドン市が大きくなるにつれ,埋め立て地が次第に増え,そこが水につからないようにするため多くの堤防が築かれました。それでも,人間の手に成るこれらの堤防を高潮が洗い,そこを越えることも幾度かありました。アングロ-サクソン年代記には,1099年に大洪水のあったことが報告されています。後の1236年にはテムズ川の水位が堤防を越え,「そこの住民大多数が溺死し,ウエストミンスター大宮殿の広間の中央で,男たちが小舟をこいだ」と歴史家のジョン・ストーは書き記しました。

洪水が10年に一度と非常に頻ぱんになったため,洪水は避けられないものと考えられてきたようです。幾世紀もの間,洪水対策は,自分自身の財産を守るために堤防を築いて維持した土地所有者個人に任されていたのが,1879年の国会制定法により,地元の当局者が責任を負うようになりました。それでもなお,洪水の危険は増し加わってゆきました。

なぜでしょうか。ニュー・サイエンティスト誌は次のように説明しています。「まず,ロンドンは徐々に沈下している。ロンドンを支える粘土質の地盤がゆっくりと圧縮されているのみならず,数世紀にわたり英国全体が傾きつつあり,……英国の南東部が100年につき30㌢の割合で徐々に海中に没しつつある。第二に,北海の潮流は年を追うごとに高くなっている」。これは,北極の氷塊が解けているためだと考えられています。そして第三に,テムズ川の潮の変動の範囲 ― 川を上下する海水の量 ― が増加しました。繰り返し川底をさらい,堤防を高くしたために,海水が川に入り込むためのより深い,よりはっきりとした水路が出来上がったのです。これらすべての要素が重なって,ロンドンの中心部の潮位は,ここ100年の間に約76㌢上昇しました。

潮のうねり ― はなはだしい危険

しかしもっと恐ろしいのは,北海の嵐によって生じるうねりです。低気圧の谷が大西洋を横断し,スコットランドの北端あたりにさしかかると,その気圧の谷に覆われた海は水の“こぶ”のように盛り上がります。増し加わったこの莫大な量の水が強風によってじょうご型をした北海の南側へと追いやられ,それが満潮時と重なると,ロンドンは危うくなるのです。そして,豪雨のために淡水のテムズ川そのものに水があふれているような場合には,さらに複雑な事態の生ずることがありました。

ロンドンの中心部そのものが洪水に見舞われたのは一番新しいところで1928年です。14人が溺死し,大量の商品が台無しにされ,建物や施設に甚大な被害が及びました。1953年には,川下の三角江において,さらに悲惨な洪水があり,300人の命が奪われました。この同じ北海のうねりはオランダで2,000人の命も奪っています。しかしロンドンの中心部の人々はそこでの防災対策が持ちこたえたために難を逃れました。次いで1982年4月8日にもロンドン市は再び悲劇に見舞われるところでした。北海からうねりが南に下り,それが春の満潮と重なったのです。ところがあと数時間というところで風向きが変わり,緊急事態は回避することができました。

保護用の可動堰

ロンドンを洪水から守り,なおかつ船が自由に航行できるようにするために手を打つことが必要でした。選ぶべき道は二つありました。一つは堤防の高さをさらに2㍍高くすることです。堤防には,維持がやさしく,人間の犯す過ちや機械的な故障によって機能が停止する可能性も少ないという利点があります。しかし堤防の高さを上げるとなると,目障りになり見通しが悪くなってしまいます。その理由でこのアイディアは退けられました。

別の可能性は,川をせきとめる一種の堰を設け,下流の堤防を高くするというものでした。最初には,船が通行できるよう閘門の付いたダムを造ることが提案されました。1世紀にわたりこの計画はドックの所有者から強い反対を受けました。煩わしい閘門があると船舶はどこかほかの所へ行ってしまうのではないか,というわけです。その後,新たに設けられたロンドン港管理委員会からも,ダムができると川にたまる泥が非常に増え,その泥をさらう費用は莫大な額に上る,という理由で反対の声が上がりました。議論に時間をかけ,実現の可能性について調査と実験を繰り返した末に,必要なときにはダムに変わる可動式の堰を建造することが決定されました。1972年の8月に,国会制定法によりその仕事に着手することができるようになりました。選ばれた場所は,タワー橋から13㌔下流のウリッジ・リーチのシルバータウンの近くです。

どのように作動するか

簡単に言うと,この堰は,水門,土台,突堤という三つの主要な部分から成っています。突堤を中にはさんで並ぶ十の水門は,520㍍という川幅いっぱいに広がっています。そのうちの六つは,図に示されているように“上昇式扇形”水門です。これらの門は,使われないときは土台の中に水平にはまり込み,川床に隠れるように設計されています。ですから,川の航行も,潮の流れや川自体の流れも妨げられません。しかし門が閉じると,1953年の災害をもたらした高潮より1.7㍍高い潮のうねりからも人々を保護することができます。これらの門のうち四つは幅が61㍍で,船舶が航行する十分の余裕があります。事実,これら各々の幅は,タワー橋の可動径間と同じです。さらにこれらの鋼鉄製の水門は高さが16㍍あり,使用されるときには川床から測って5階建のビルよりも高くそびえることになります。

バラストを加えると2万3,000㌧の重さがあるこの土台の興味深い特色は,軟らかい川床に支えられているのではないということです。水門自体と同じく,この土台の重量も突堤によって支えられているのです。土台が突堤の間にきっちりはまっているため,そのすき間を通ることのできる水は無視できるほどの少量にすぎません。

水門と土台両方を加えた非常な重量を支えている九つの突堤は,川床の15㍍下にある,コンクリートと同じほど堅固な白亜層にしっかりと埋め込まなければなりませんでした。突堤の先端には,水門を操作するための重い機械類が収められています。船のへさきに似ており,突堤そのものに船の雰囲気を漂わせている,ステンレス製の覆いがこれらの機器を悪天候から守っています。

緊急事態に対処する

緊急事態が発生した際に機能が停止する可能性を最小限に食い止めるため,堰の機器の重要な部品にはすべて予備があります。電気は三つの電源から取ることができ,堰自体に発電装置が備わっているだけでなく,川の北側および南側のどちらからも国営の電力の供給が受けられます。成り行き任せにされた事柄は一つもありませんでした。わずか30分で水門はすべて閉じることができ,緊急時には15分で閉じることができます。すべての水門は,正しく作動することを確認するため,月に2回順次閉じられます。

テムズ川を航行する大型船も小型船も,飛行場上空の飛行機と同じく,レーダーによって絶えず監視されており,緊急事態が発生した場合には2時間前に警告が与えられます。次いで吊り上げ式の巨大な梁が水門を上昇させ,水門は正しい位置に固定され,ロンドンは海から全く隔てられて難を逃れます。水門が作動するようになって初めてこの点が証明されたのは,1983年2月1日の夜から2日にかけて,満潮と北海の強風が重なってロンドンが危険になった時のことでした。当局者は,「装置の働きは万全だった」と報告しました。

5億ポンド(約2,100億円)を超す費用に関して次のような質問が生じます。つまり,これには造るだけの価値があったのかということです。今世紀に残されている期間中,年に二,三回しかこの堰が必要とされないことを考えると,特にそうした疑問が生じます。しかし,もし潮位が過去200年間の割合と同じ割合で上がるとすれば,そしてロンドンが引き続き沈下して行くとすれば,堰の使用頻度は高くなるでしょう。100年間は使うことを見込んで造られているのです。維持費が比較的少なくてすむために,それは首都を守るために,保険期間の始まる時点に保険料を全額払い込んだとみなすことができます。ロンドンに住む人々も,財産,産業,商業,重要業務などに対する莫大な額の投資も,これで安全です。

テムズ川をせきとめる防潮門は,人間が自らの著しい土木技術を平和目的のために用いるときに得られる有益な結果の優れた実例です。

[24ページの地図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

ウェストミンスター

ラムベス

シティー

サザック

タワー・ハムレッツ

ルーイシャム

ニューハム

堰の所在地

グリニッジ

ベックスリー

バーキング

[25ページの図版]

A. 作動していない時の水門。川床に隠れている。

B. 洪水を防ぐために上昇した水門。海からの水をせきとめている。

A 開門の位置

B 閉門の位置

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