ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔59 12/1 445–450ページ
  • ヱホバの道に従つてすべてのことをしなさい

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • ヱホバの道に従つてすべてのことをしなさい
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1959
  • 関連する記事
  • ヱホバの名の中に歩く
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1959
  • 平和をつくり出す人たちの信仰の戦い
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1958
  • 創造主の下にすべての人類をひとつとなす
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1956
  • この時代における崇拝の一致 ― 何を意味するか
    唯一まことの神を崇拝する
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1959
塔59 12/1 445–450ページ

ヱホバの道に従つてすべてのことをしなさい

「また,あなたが右に行き,あるいは左に行く時,そのうしろで「これは道だ,これに歩め」という言葉を耳に聞く。」― イザヤ 30:21,新口。

1 どのようにすれば私たちは神を知ることができますか。どんな質問に対する答は必要ですか。

大いなる生命の与え主,ヱホバを知つてのみ,私たちは永遠の生命の希望を持ちます。私たち対するヱホバの指示,私たちに対するヱホバの要求,私たちが歩くようヱホバののぞまれている道を知らねばなりません。そのわけで詩篇記者ダビデは,次のように語つたのです,「主よ,あなたの道を私に教え,……私を平らかな道にみちびいてください」(詩 27:21,新口)。多数の人にとつて神の道はばくぜんとしたもので,分りにくいものですが,誠実な気持で謙遜に知識を求める人には,神の道はきわめて明白な,はつきりした道になります。私たちは,宇宙を調べることにより,また私たちの住んでいる世界を調べることにより,ヱホバを尋ね求めることができます。そして,ヱホバが創造の神,無限の力を持つ神,知恵と知識の神であることを悟ります。しかし,彼の名前は何ですか。人間の運命は何ですか。なぜ問題や不幸は,地上につづくのですか。これらのものは,神からのものですか。私たちの前におかれている道についてのそれらの質問に対する答は,神の啓示された言葉,聖書に頼ることによつてのみ得ることができます。

2 (イ)ヱホバはどんな神ですか。(ロ)私たちはどんな態度を取らねばなりませんか。

2 ヱホバは御自分の御言葉を通して,御自分が全能者なること,全能でめぐみ深く,愛と親切に満ちる宇宙の支配者なることを示しておられます。ヱホバは,創造の神,行為と仕事の神であられるだけでなく,その予言の中に示されているごとく,時間を正確に守られる御方です。(伝道の書 3:17)ヱホバは,御自分の道を私たちからかくす神ではなく,人間から隠れていたいと欲する神でもありません。むしろ,私たちが彼を知り,永遠の生命を得るための神の要求が何であるかを知るようにと,のぞまれています。ペテロは次のように語りました,「(彼は)ひとりも滅びることがなく,すべての者が悔改めに至ることを望み,あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」(ペテロ後 3:9,新口)。それで,私たちがヱホバについて学ぼうと努めるとき,ヱホバは私たちを援助するでしよう。そして,私たちが右か左にそれるとき,私たちを正しい道にみちびくでしよう。私たちの態度は,両親に従がう子供のようなものでなければなりません,すなわち理解を願い求め,受け取る正しい導きに従わねばならないのです。子供が自分の父母に見ならおうとするごとく,私たちもヱホバとその妻のごとき制度の正しい原則にしつかり従わねばなりません。そうするとき,ヱホバの道は単に平らな道,はつきりとした従い易い道であるだけでなく,また正義の道でもあります。それで,詩篇 27篇11節のダビデの祈りは,新世訳によると次のように示されています,「ヱホバよ,あなたの道を私に教えて下さい。私の敵の故に私を正義の道にみちびいて下さい」。

3 ヱホバに依り頼むことは,なぜ賢明ですか。

3 私たちの創造主であるヱホバは,私たちにとつて最善の福祉が何であるかを知つておられます。ヱホバの見地は,私たちの見地よりも,はるかに高くすぐれたものです。ヱホバは,私たちが見る時よりもずつと以前に,危険やおとし穴を見ます。彼の知恵は,人間が50年たらずの中に得る限られた知恵とか経験にもとずきません。むしろ,幾時代にもわたる神の知恵にもとずいているのです。それですから,ヱホバ神は私たちの裁き人,律法の与え主,私たちの王としての地位を正しく取ります。私たちはヱホバよりはるかに低い者であり,ヱホバに頼つて生命をいただいている故,すべてのことをヱホバの道に従い行うことにより,ヱホバをよろこばすことについての深い関心を是非とも持つべきです。私たちは,次の確信をもつてこのことをすることができます,すなわちヱホバは,私たちに祝福をもたらすだけでなく,ヱホバの御名に誉をもたらす道に,私たちをみちびくという確信を持ちます。これこそ私たちの生涯の目標でなければなりません,すなわちなんらかの仕方の中に私たちは活発に神に奉仕し,神に誉を捧げる,ということです。詩篇 23篇は,次のように告げています,「ヱホバはわが牧者なり……御名の故をもて我をただしきみちにみちびき給う」。ちようど羊が羊飼の賢明にしてたしかなみちびきに従うごとく,私たちは大いなる羊飼の指示の下に,そのみちびきによろこんで従うべきでしよう。シンゲン 3章5-7節も,次のように述べています,「なんじ心をつくしてヱホバにより頼め,おのれのさとりによることなかれ。なんじすべての道にてヱホバをみとめよ。さらばなんじの道を直くしたまうべし。自ら見てさとしとするなかれ。ヱホバを畏れて悪を離れよ」。

4 将来が何であるか,私たちはどのように知ることができますか。

4 多数の人はこんな風に感じます,つまり良い生活をして悪から離れているなら,ヱホバの道にいることであるし,それだけが必要とされるすべてのことだ,というのです。しかし,その人たちは聖書の知識をごくわずかしか持つていません。将来はどうか,また信仰の人のために地に対する神の目的は何かと尋ねるとき,それらの人々は「神だけが御存知さ」と答えます。たしかに神は御存知です。しかし,神は知りたいと望む人々に,そのことを知らせます。アモス書 3章7節は,私たちにこう保証しています,「それ主ヱホバは,その隠れたることをその僕なる予言者に伝えずしては何事をも為したまわざるなり」。ヱホバは,御自分の御言葉の頁を通して,その御目的を民に知らせました。地の将来を告げる多くの聖句の一つは,詩篇 37編11節(新世)に書かれています,「しかし柔和な者は地を所有し,平和の豊かなことにおおくのよろこびを見出すであろう」。この知らせは,私たちのために記録されています。私たちはそのことを読んで学び,ヱホバの目的を知ることができます。

5 良い生活をしさえすれば,神をよろこばしますか。

5 良い生活をするだけが,神の要求しておられることの全部でない,とイエスは認めました。もしそうなら,彼は30歳までの大工生活という静かな生活を続けたはずです。創造主に個人的な奉仕を捧げることも,ヱホバの道に従つて事柄を行うことの一部である,と彼は知つていました。そして,このことにおいても彼は私たちのための模範を残されたのです。私たちがこのみちびきに従うとき,神の御言葉を理解し,また神に奉仕することから得る大きな幸福を持ちます。シンゲン 3章13-18節(新口)は,このことについて次のような註の言葉を述べています,「知恵を求め得る人,悟りを得る人はさいわいである。……その右の手には長寿があり,その道は楽しい道であり,その道筋はみな平安である。知恵は,これを捕える者には命の木である。これをしつかり捕える人はさいわいである」。神を知るというこの幸福が牧師級だけに限定されるということは神の目的ではありません。聖書を研究して真の知恵と理解を求めるすべての人は,その幸福を持つことができます。それをつかんで自分たちのものにするためには,私たちは努力しなければなりません。しかし,私たちが努力して,それをしつかり保ちつづけるなら私たちは幸福です。

6 神に仕えるのに多くの道がある,とイエスは信じましたか。

6 各人の気まぐれとか,好みにしたがつてヱホバを崇拝する仕方がたくさんあるなどということはヱホバの備え給うたものではありません。神は人間ののぞみを叶えねばなりませんか。むしろ,私たちが当然創造者に仕えるべきではありませんか。自分自身の好みに盲目的に従いながら,しかも神をよろこばす道を見出すと希望することはできません。どの道を見ても,それは別の宗教,別の哲学,人生についての別の理論があります。どんな崇拝でも良く,すべての者は同じ報いを受けると,多数の人は信じて自己満足の感じにひたります。しかし,それはイエスの教えたことではありません。マタイ伝 7章13,14節(新口)でイエスは次のように語つておられます,「滅びにいたる門は大きく,その道は広い。そして,そこからはいつて行く者が多い。命にいたる門は狭く,その道は細い。そして,それを見いだす者が少ない」。これは不信者とか異教国だけに言及するものではありません。そのことは,更にイエスの次の言葉からも分ります,「わたしにむかつて『主よ,主よ』と言う者が,みな天国にはいるのではなく,ただ,天にいますわが父の御旨を行う者だけが,はいるのである」(マタイ 7:21,新口)。イエスは更に当時の宗教指導者たちについて次のように語りました,「私の天の父がお植えにならなかつたものは,みな抜き取られるであろう。彼らをそのままにしておけ。彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら,ふたりとも穴に落ちこむであろう」。滅びの穴に落ちこむのを避けたいと欲するなら,ヱホバが私たちに指示する道に目を開いて見つづけねばなりません。これは,分裂した宗教的な信仰の道でなく,また人間の哲学の道でもありません。それはヱホバの真理の道,正義の道であります。―マタイ 15:13,14,新口。

7 カインとアベルの道を対照させなさい。

7 いままでの長い世紀中,人間はいつでも選択をすることが必要でした。ヱホバの示される道を得るために,エレミヤは真の崇拝の古い道を求めよと私たちにすすめました。ずつと以前の人々は,これらの道に従つていたのです。しかし正義の原則と専心の献身という点でヱホバが私たちに要求せられている事柄は変つていません。アベルは,ヱホバの道に従つて事柄を行つた信仰の人で,ヱホバの是認を得ました。彼の崇拝についての記録から見るとき,人が宗教的であるといつても正しい道を見出したということにはなりません。カインとアベルの両人は犠牲をささげ,両人とも同じ神に献身しているように見えました。しかし,アベルはヱホバの道に従つて彼の犠牲をささげたのです。カインは,自分の犠牲が受け入れられないということを知つたとき,変えることをこばみ,自分の弟を殺してヱホバの道に全くさからいました。カインは,議遜な態度の中に自分の神と共に歩かず,かえつて反逆の行いをして,家族から追い出され地上の放浪者になりました。―ヘブル 11:4。創世 4:1-16。

8 神に受け入れられる崇拝をするのに,教育や地位は必要ですか。

8 それから幾世紀もの後,ふたりの人は正しい崇拝の問題に直面しました。両人ともこの世の知恵という面では高等教育を受けていましたが,その中のひとりだけがヱホバの道に従つて事柄を行うというすぐれた知恵を認めていました。崇拝の自由という質問がパロに提出されたとき,彼はそれを拒絶して『ヱホバとは誰であるか,彼の民を行かせることなど決してしない』と叫びました。パロの心はかたくなりました。宗教的な奉仕の時を与えてもらいたい,というモーセの願いにたいして,彼の心は閉じました。パロは,エジプト人を支配していた神のように裁決しました。そして,その時までの彼の言葉は,イスラエルの奴隷にとつては法律でした。人々はパロに近づくとき,腹ばいになつて平伏しました。しかし,ヱホバの御名によつて来たモーセは,そのようなことをしませんでした。彼は,幾百万という人々の指導者であり,パロの息子として育てられ,エジプトの世界強国としての知識と背景を持つていました。しかし,彼は異なつていたのです。モーセはヱホバを認めました。ヱホバの目的と道が彼に示されたとき,彼はすぐにそれに従いました。モーセは多くの事柄を断念せざるを得ませんでした。すなわち,エジプト人の友人とか,自分の生まれた国とか,自分の安全とか,「罪のはかない歓楽」を断念しました。しかし,彼は賢明な選択をしました。パロは,ヱホバについて学ぶ機会が十度ありましたが,彼は十度とも心をかたくなにしました。ついにパロはエジプト人の軍勢の先に立ち,去り行くイスラエル人に向かつて追跡しましたが,その結果は紅海で死を遂げることになつたのです。この愚かなパロの墓を記念する記念碑というものはありません。ただ,この者は創造主に敵対したという記憶だけが残つているのです。

9 イエスは,ヱホバの道に従つて事柄を行つたことをどのように示しましたか。

9 私たちはパロのごとき国家の支配者でなく,またモーセの持つていたような教育と背景を持つていないでしよう。しかし,私たちも選ぶことができるのです。賢明な道は,ヱホバの道を見出して,それに従うことです。完全な人であつたイエスでさえも,自分の道に従つて行なわず,むしろヱホバの道に従つて行ないました。彼は次のように語つています,「私の思いでなく,あなたの御こころが成るように」。イエスが誘惑を受けたとき,サタンは聖句を曲解してイエスをまどわそうとしました。そのとき,イエスは神の書かれた御言葉こそ自分の正しい導きであると認め,「そのように書かれている」と語つて聖句を正しく適用しました。このことにおいてイエスは私たちに模範を残しました。彼は天的な御父に指示をあおぎ,神の完全な御こころをする際のみちびきを与えていただきたいと願い求めました。それで,彼は次のように語りました,「私は自分からは何もせず,ただ父が教えて下さつたままを話していた」。(ヨハネ 8:28,新口),彼は当時の宗教家たちの偽りのみちびきに従わず,かえつて彼らは盲目の導きであると強く暴露しました。私たちも同じく神のたしかな言葉のみちびきを受け,生命に達するヱホバの道に従うべきです。なぜなら,シンゲン 14章12節(新口)は次のように警告しているからです,「人が見て自ら正しいとする道でも,その終りはついに死に至る道となるものがある」。

10 今日,真理を知ることはなぜ肝要ですか

10 今日,ヱホバの道にしたがつて事柄を正しく行なうため,私たちはヱホバの与える教訓を注意深く考えねばなりません。法律を破つたときに,法律を知らないといつても言訳にならないごとく,ヱホバの道を知らないなら,私たちは生命を得ません。ヱホバの道は,全国民の前に示されており,今では地上のいちばん遠いところにまでも達しています。イエスがそのようになると,あらかじめに告げた通りです,「そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう」(マタイ 24:14,新口)。いわゆる「暗黒のアフリカ」と言われるところでも真理は人々のところに達しています。「ものみの塔協会」の中央アフリカ支部から送られた最近の報告は,次のように述べていました,「過去二年間わたくしたちは多くの数量の『御国のこの良いたより』の冊子を配布しましたので,この国内で文字を読める家族の一つごとに1冊を配布したことになります。また,『これは永遠の生命を意味する』という本はシベンバ語を語る人々の家庭ですくなくとも4軒に1軒の割合で配布されました。シベンバ語は,この地方ではいちばん大ぜいの人が語るアフリカ語です」。それで,アフリカの「未開」地でも,人々は永遠の生命を意味するこの知識を得ることができるのです。―ヨハネ 17:3。

11 (イ)イエスの臨在のしるしは,どのように成就されていますか。(ロ)ヱホバはどのように御自身を表わし示されていますか。

11 イエスは,私たちの時代の大きなしるしである諸国民のなやみ,戦争,疫病,そして地震のことについて語つたとき,また人々を二つの大きな級に分けることについても語りました。一方の側には創造主に反対する山羊のような人々がおり,他方の側には柔和で従順な羊のような人々がいるでしよう。この分ける仕事は,いま行なわれています。すべての人は,そのどちらかであることを示さねばなりません。神についての無知の時は過ぎ去りました。今こそ人種間の無用な争いから離れて,創造者にささげる清い崇拝の中に一致する時です。「(神は)また,ひとりの人から,あらゆる民族をつくり出して,地の全面に住まわせて,季節を定め,人の住居のさかいを定めて下さつたのである。こうして,人々が熱心に追い求めてさがしさえすれば,神を見出せるようにして下さつた。」次にパウロは,私たちの取るべき道を指摘しています,そして次のことを私たちに保証しています,すなわち神を誠実な気持で求め,神の御言葉を調べる者には,神は「ひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない」。しかし,盲目にも偶像や彫像の導きを求めつづけるなら,神の道を見出すことは決してできないでしょう。また,すばらしい創造をとおし,御言葉を通して啓示される創造者を決して見ることはないでしよう。それで,パウロはこのように述べています,「神たる者を,人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫りつけたものと同じと,見なすべきではない」。彼は,神の道についての知識を得る緊急さを示しました。「神は,こうような無知の時代を,これまでは見過しにされていたが,今はどこにおる人でも,みな悔い改めなければならないことを命じておられる。神は,義をもつてこの世界をさばくためその日を定め,お選びになつたかたによつてそれをなし遂げようとされている」。いまヱホバの目的について無知にとどまる者たちは,自分から選んでそうなつたと正しく言えます。なぜならヱホバは御自分の言葉を全地にひろめて人々に知らしめたからです。―使行 17:26-31,新世。

12 ヱホバは,どんな制度の取り極めを設けましたか。なぜ?

12 ヱホバが前もつて知られておられたごとく,全国民の人々は真理を熱心に探し求めています。彼らは滅びの広い道や,低い堕落の道に満足せず,ヱホバののぞまれている道を,探し求めて,その道に従おうとします。ダニエルも次のように語りました,「多くの者は,あちこちと探り調べ,そして知識が増すでしよう」。聖書の頁のあちこちを個人的に調べるとき,私たちの知識は増します。しかし,ヱホバは私たちに援助をさしのべられているのです。使徒の時代中,初期クリスチャン会衆を教えて監督するために一つの制度が建てられました。イエスは,12使徒や他の円熟した人々で構成される統治体を選ぶことにより,このことの基礎を置きました。これらの人々は,当時の世界中に急速に拡大されていつた,その時の伝道のわざを死ぬときまで監督し,指示しつづけました。イエスは,類似の取り極めが私たちの時代の中に設立されると指摘しました。それは,油そそがれた僕たちの「忠実にしてさとき奴隷」級を起して,必要な時に霊的な食物を供給することです。この神権的な監督の結果以前の背景や訓練にかかわりなく,理解と行為が一致しているひとつの群れがあります。―ダニエル 12:4,新口。マタイ 24:45-47。

13 キリスト教国と新しい世の社会の間には,どんな対照が見られますか。

13 ヱホバの御霊によつて支持されるこの制度の取り極めがあるからこそ,ヱホバの証者の新しい世の社会は一致しており,「御国のこの良いたより」を全国民に発表するという大きな仕事をすることができるのです。ヱホバは,創造と産出の神です。そして,ヱホバの民は,熱心な民,いつしようけんめいに働く民として,それらの特質を反映します。そのことは,分裂しているキリスト教国内の無関心な群れを驚ろかせています。新しい世の社会の者は,ひとつの民として神の御言葉の理解に一致しています。彼らの全部はヱホバに献身しており,現在しなければならぬとイエスの示したわざを行なうのに協力一致して働いています。それはキリスト教国といちじるしい対照を示します。キリスト教国内では,同じ教会内の多数の会員たちは,教会の教えについてちがつた考えを持ち,自分勝手の好みに合わせて信条を受け入れたり,拒絶したりします。

14 羊は正しい羊飼の声をどのように認めますか。

14 ヱホバの真理の道に従つている者たちの一致は,彼らが正しい道を見出したことをたしかに証明するものです。初期の会衆内で,ある人々が兄弟たちの一致をいまにもやぶろうとしたとき,パウロは急いで彼らを矯正しました,「さて兄弟たちよ,わたしたちの主イエス・キリストの名によつて,あなたがたにすすめる。みな語ることを一つにし,お互の間に分争がないようにし,同じ心,同じ思いになつて,堅く結び合つていてほしい」(コリント前 1:10,新口)。もし初期のクリスチャンたちがみな同じ心,同じ思いで語つていたのであるなら,今日の神の群れの中にも同じ状態が存在するはずです。たとえ,神の群れは,ちがつた宗教的な言い伝えとか,人間の哲学や,偽りで愚かな信条のため,ひろく散らされていても,羊は正しい羊飼であるイエスの声を聞けばそれを認め,ただ一つの真の群れのなかに来る,とイエスは知つていました。(ヨハネ 10:16,27)善意者たちは,キリスト教国の分裂した者の内に権威の声などは聞けないと絶望していました。しかし,彼らは真理の音を聞くと,それを認めて大いによろこびます。

15 クリスチャンは,キリストとひとつであることをどのように示し得ますか。

15 パウロが指摘しているように,キリストは分かれていません。それでは,彼の民が分れていて,しかもクリスチャンであると言うことはできないでしよう。(コリント前 1:13)キリストが御父と一致しておられるごとく,私たちもキリストと一致しておるべきであると,キリストは示しました。キリストは,ヱホバと私たちの間柄において心と思いの一致を得るための道をはつきり示されました。そして,トマスにこう告げておられます,「わたしは道であり,真理であり,命である。だれでも私によらないでは,父のみもとに行くことはできない」。イエスは,神に奉仕するということにつき,私たちの従うべき模範を残しました。それは実の結ぶ模範であり,分裂とか不一致がなく,愛に根づくものでした。彼は自分の僕たちをぶどうの枝にたとえて,次のように語りました,「私はまことのぶどうの木,わたくしの父は農夫である。わたしにつながつている枝で実を結ばないものは,父がすべてこれをとりのぞき,実を結ぶものは,もつと豊かに実らせるために,手入れしてこれをきれいになさるのである。……人がわたしにつながつていないならば,枝のように外に投げすてられて枯れる」。―ヨハネ 14:6; 15:1-16,新口。

16 ヱホバの制度と共にいることからどんな種類の実が結びますか。それはどのように表明されますか。

16 キリスト教国の各派の枯れた根元には,一致はなく,不一致が見られます。そのことは1959年度の世界年鑑を見ても分ります,それによると,著名な一宗派は27の分派を持ち,別の宗派は21の分派,というような具合です。しかし,真のクリスチャン一致と真実の結実は,新しい世の社会をつくり上げている男子,女子そして子供たちの間に見られます。彼らは,ヱホバの制度の一部であつて,考えにおいても,聖書の理解と認識においても一致しています。彼らの行為は一致しており,全世界において一致した働らきをなしつつ御国奉仕を行なつています。彼らが制度にかたくついて良い実をむすんでいる結果として,ヱホバの御霊は波らと共にあつて,彼らから悪疫とも言うべき言伝えを清めさり,更に多くの実を産出するよう彼らを清めました。ヱホバはその道を彼らに教え,御自分の御名の為に正義の道へ彼らをみちびきます。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする