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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1964
塔64 1/15 53–56ページ

春の散歩からベテル奉仕へ

ジュール・フェラーの経験

41年前,地に対するエホバの目的について初めて聞いた時,ニューヨーク市ブックリンの,ものみの塔ギレアデ聖書学校1963年のクラスに自分がはいっていようとは考えてもみませんでした。

しかし今,私は,ギレアデ第38回生の一人として,いっそうの責任を担うにたる奉仕者となるため,10ヵ月の訓練を受けています。毎日の勉強に耐え得るだろうか。言葉の不便を克服して,同級の人たちについてゆけるだろうか。こゝに着いた時にはこうした疑問が自分の心を走りました。正直に言って,これは私の大きな心配でした。しかし,聖書にある神の約束を思い出しては自ら力づけました。でも,どうして私がこゝに来るようになったか,どんな段階を経てこのギレアデ聖書学校に招かれたかから書きましょう。

ある春の美しい日

1922年の春のことでした。スイスのフランス語地方での長期滞在を終え,ベルンに戻って間もなく,弟と私はおじの一人から,散歩に行かないかとのさそいを受けました。喜んでそれに応じた二人は,約束の午後を楽しみに待ちました。

実に美しく,実に温かな日でした。自然は,私たちの遠出を歓迎して,とりわけよそおいをこらしたとさえ見えました。この輝くばかりの春の日の美しさが三人の会話の中心になりました。おじは,なにか私たちには耳あたらしい事に,二人の注意をひきました。そして,まさにころ良い時に,自分のポケットから本を一つ出して見せました。その表紙には金字で「聖書」と彫り込んでありました。のどかな気分をいっぱいに含んだこの美しい春の日に連想するものがあったのか,おじは本の頁をめくりつつ私たち二人に話しかけました。『今日のようにきれいな楽園の来る日が近い事を聖書は言っているんだよ。いや,それはもっときれいかも知れない。一日や二日でなくもっと長く続くのだから。そう,それはいつまでも続くんだよ』。

この言葉を初めとして,おじは,心配も痛みも,悪も争いもない所,病気も死もなくなる世界の様子を話してくれました。その時には,死んだ人の復活だってあるんだよ,とおじが言いました。これを聞いた二人の胸にはなにか喜びに似た気持がわいて来ました。はやく死に分かれた両親の事を思い出したからです。このすばらしい時代はそんなに先の事ではないんだよ,と語調を強めて言うおじの様子には確信さえ感じられました。この話にすっかり夢中になった二人は,自分たちがどこにいるのか忘れ,すでにその新しい時代にいるのではないかと思ったほどでした。私たちが驚いた別の事は,おじが何か言っては必ずその後に黙示録 21章4節など聖書の言葉を引用して見せる事でした。

この日におじがまいた良い種は,私たちの心の土に落ちました。(マタイ 13:8)どのように,とおたずねになるでしょう。この話をもっと良く理解していただくために,私の子供の頃までさかのぼっていただかねばなりません。

悲しみ

私たちは,父と母,男と女の兄弟二人ずつ,全部で6人の幸福な家族でした。しかし,私が7才の時,母親が死に,家族の幸福は終りになりました。父はこの喪失を深くいたみ,その悲しみから二度と立ち直らなかったように思われます。数年して父も死にました。残った私たちは分かれ分かれになりました。

その後に,第一次大戦の悲惨な年が続きました。中立国スイスの子供に生まれた私は恵まれていました。たゞ良く覚えているのは,フランスやベルギーから疎開して来た子供をいっぱいのせた汽車がベルンにしばらく止まり,安全な私たちの国の奥へまた出てゆく事でした。負傷兵をたくさん乗せた汽車もはいって来ました。こうした光景は,なにか消しがたい記憶として幼い私の心にいつまでも残りました。何度も自分に聞きました。なぜこんな事があるんだろう。なぜ人はこんな苦労をしなければならぬのだろう。どうしてフランス人とドイツ人が殺し合わねばならないのだろう。こうした淋しさ,もの悲しさ,満たされぬ思いのすべてが,私の心になにか真に良いものを求める気持を起こさせました。

こうした経験は私の心に数々の疑念を抱かせると共に,本当の答を聞くための準備をさせました。そして,あの美しい春の日に,おじが話してくれた事こそ,私の疑問に対する答となりました。恵まれて,その午後の散歩の時に聞いた事柄は私の心の礎石となり,後に私をしてベテル奉仕にはいらせるものとなりました。その時以来,聖書とものみの塔協会の出版物の勉強を始めました。間もなくベルンで開かれていた集会に出席し,そこでは温い歓迎を受けました。

ベテル奉仕

1924年 ― まだ23才になっていませんでした ― ベルンにあったものみの塔協会印刷工場では,若い人々を求めているという話を聞きました。私をベテルに近づけてくれたのもあのおじさんでした。そこで行なわれている仕事を大まかに知るため,工場とベテルホームの見学に招かれました。そこで働いている人たちが皆,自発奉仕者だと聞いてどんなに驚いた事でしょう。その人たちの親しさ,親切さにも驚きました。一通り見終えた後,ベテルホームの責任を与る人のもとに案内されました。その人は,こゝで奉仕しませんかと私にたずねました。そこで見た事,また聞いた話などにすっかり感動していた私は,すぐに承諾の返事をしました。聖書の真理を知り得た事に対する感謝の気持は大きく,心をつくしてエホバに奉仕しようとの思いがわいて来ました。

ベテルで最初にした仕事は何だかおわかりですか。数週間は,くず紙を木枠に押し込んで縄をかける仕事をしました。ほこりが多く,力のいる仕事でしたが,こゝで兄弟たちと共に働き,こうして神に奉仕しているのだと思うと,うれしさがいっぱいになりました。その後数週間の間,製本部に移り,本の作り方を初めて知りました。さらにその後,製本部から印刷部門に移りました。

輪転機は,私のような新参者には,畏敬の念さえ起こさせました。私は,その巨大な怪物の前に立ちすくみ,たゞ見とれていたのを覚えています。紙を常食とするこの怪物は,大きな巻紙を40分ほどで呑みつくすや,すばやく消化し,雑誌のかたちにして吐き出して見せました。しかし,私がそこに置かれたのは,たゞ見とれているためではありません。ローラーをどのようにすえるか,巻紙をどうやって機械にはめるかを学び,折り機ととじ機に注意し,さらに10いくつの事を見守らねばなりませんでした。

9ヵ月後にその部門を去らねばなりませんでした。それにはもっと良い理由があったからです。すなわち,工場に2台のライノタイプが加えられたからです。二人の人がこの新しい機械の操作を学ぶ事になりました。ポーランドから来た兄弟と私が選ばれました。それを専門の仕事とする兄弟から,植字の仕方を初めて習った時の二人の苦労は忘れられません。その兄弟は,私たちに機械操作の技術を教えるために,フランスのアルサスから来たのです。二人は新しい仕事にうちこみ,すぐ上達しました。

初めて機械の前に坐った日には,その後22年間も休みなく,その機械を運転しつゞける事になるとは思いませんでした。その機械を使って19ヵ国語もの植字をして来た特権をふりかえると,今でも喜びと満足の情がわいて来ます。外国語の原稿を受け取るとそれを自分の前におき,その言葉が話される土地の様子をまず思い浮かべてみました。それは何か以前に学んだ地理の復習をしているような気持でした。自分の心の目の前には,その土地のすがたが徐々に形をなし,そこに住む人々の働く様子が展開してゆきました。それゆえ,前に置いた原稿は,意味のわからぬ言葉や文を並べた単なる紙片を越えて,活力を秘めたものとなり,何かを訴え,何かを物語るものとなりました。

こうして印刷される本や冊子や雑誌が,国中の何万という人の手に渡され,聖書の教えを説明し,命に至る知識を得させるのだと思うと,いつも新たな力がわいて来ました。

次に私が働いたのは製版部門です。でも,数ヵ月して別の仕事につきました。今度は工場事務室です。そのころまでには,事務の仕事もかなり経験していました。しかし,改めて事務作業全般を学び,タイプライターのうち方を知りました。次いで,工場の作業計画作成を委ねられ,さらに,紙その他印刷材料購入の技術を学ぶ事になりました。

障害

これまで38年のベテル奉仕のすべてが,輝く陽光のようであったわけではありません。多様のあらしを心痛と共に切り抜けねばならぬ事も一再ならずありました。特に忘れられないのは1925年です。それは,多くの人々にとって信仰の試練の年となりました。まじわる人の数が半分に,あるいはそれ以下になった会衆がかなりありました。しかし,エホバへの確信を固く保った者たちは,忠実を守り,宣教の仕事を続けました。

私たちの国を襲った別のあらしは1940年にありました。そして今度は,ベテルも強い打撃を受けました。それは,第二次世界大戦の時であり,ヒトラー軍が勝利に勝利を重ね,スイス国境ぞいの国が次々に侵略されていた時でした。私の国は再度,実戦の憂き目を避けました。しかし,全体主義的な思潮は,国境を抜けてしみ込んで来ました。家屋の捜索さえ行なわれ,なんの前ぶれもなくスイスの軍隊はベテルの周辺を囲み,数時間というもの,ベテルは接収されたかたちになりました。他の制限も加えられました。私たちが出版するものはすべて検閲処分を受け,「ものみの塔」誌の発行は停止されました。ブルックリン本部の兄弟たちとの連絡は絶たれました。でも,どんなに障害が多くなっても,霊的な食物に欠けた事はありません。私たちが得たものは国中の証者に供給し,さらにドイツなど国外の地に住むクリスチャン兄弟たちにも送りました。

こうした状態がいつまでも続いたわけではありません。戦いが終りを告げ,ブルックリン本部との連絡が再開された時,私たちは喜びにあふれました。1945年には,ものみの塔協会会長N・H・ノアと秘書M・G・ヘンシェルがスイスを訪れ,エホバへの感謝の思いはいよいよ深くなりました。工場の隅々が再び活気を取りもどし「ものみの塔」誌もフランス語とドイツ語で再刊され,なんの妨害も受けずに,霊的な食物を求める遠くの兄弟の手元に注ぎ込まれてゆきました。

広がる特権

1950年,スイスから別に70人の兄弟たちと共に,初めて,ニューヨークで開催されたエホバの証者の国際大会に出席する機会を得ました。これこそ忘られぬ経験となりました。たくさんの人々が一つ心で,同じ場所に集まる,かつてそんな光景に恵まれた事はありませんでした。本部事務所,すなわちブルックリンのベテルホームと工場を見たときの感激も忘れられません。

次いで1953年が来ました。それは,私がより大きな大会に出席する機会となりました。この時には英語もやつと上達していたので,大会で行なわれた数々の講演から前にも増して教訓を学び得ました。そして増し加わる喜びとしてその年の9月に始まるギレアデ聖書学校第22クラス入学の招きを受けました。ギレアデ卒業後に受けた任命は,再び元のベルンベテルで奉仕する事であり,それこそ自分の喜びでした。

1957年の夏,スイスと近くの小国リヒテンシュタインでの宣教の仕事を助けるベルン支部の僕に任命されました。この特権のゆえにエホバに深く感謝しています。兄弟たちと共に働き,年々の終りに仕事の拡大を見るのは,喜び以外のなにものでもありません。

1958年,霊のうたげとしては最大の集まり,ニューヨーク国際大会に出席し,自分の国を代表してスイスの良い報告を知らせ,全聴衆と共に喜びを分ちました。

そして今年,1963年,規模を拡大したギレアデ学校の生徒として,7月7日から14日までニューヨーク,ヤンキー野球場で開かれた,「永遠の福音」大会に出席し,10万7483名の喜びあふれた大群衆の中に数えられたのはさらに加わる喜びとなりました。大会中には,ギレアデ学生の訓練の一部として取りきめられた特別の見学計画に参加し,運営中の大会各部門を見ました。

今,10ヵ月の訓練コースもほとんど終ろうとしています。毎日の勉強の計画にも,今日までどうやら追いついて来ました。終りまで十分な訓練を受けられるよう,エホバが助けて来られた事を感じます。初めに抱いた心配も,日と共に小さくなりました。教えのためにそなえられた,このすばらしい機会のゆえに,エホバに感謝せずにはいられません。

人が自ら歩いて来た長年の道を静かにふりかえり,エホバの仕事がいかに拡大して全地に及んだかを見るならば,全時間奉仕者の一人としてベテルで働き,エホバの仕事の一端に加わり得た事に,おのずと喜びの情がわきあがるのを知るでしょう。エホバはご自分の民の仕事を実に豊かに助けて来られました。エホバは私たちを新しい世の門口にまで導き,さらになお私たちのためにそなえられた驚きの数々をのぞかせんとして,その瞥見を許されたのです。それゆえ,絶えず感謝をささげ,エホバのみ名をたたえ,それを広く知らせるべく,すすんで賛美の歌をうたおうではありませんか。

[53ページの図版]

ギレアデ学校図書室で勉強

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