新年 ― それは変化の時ですか
“アーニョ ヌエボ,ビーダ ヌエバ”とはスペインに昔からある,「新しい年に新しい生活を」という意味の格言です。今日,病人や貧困に苦しむ人,飢えた人,また戦争や暴力に脅かされている人々のみならず,多くの人々は新年を転機に自分個人の生活が良い方向に向かうことを願っています。
しかしほとんどの人は,古い暦を新しい暦に替えたところで実際には何も変化しないことを知っています。1979年1月1日付の新聞を手に取っても,そこには前日とほとんど同じようなニュースが書かれていることでしょう。
と言っても,年の終わりや新年の始まりにはそれなりの意義があります。それはしばしば,自分の生活や過ぎし日々のことを考える機会となります。人はこう自問するかもしれません。「私は一体どこに向かって歩んでいるのだろうか。今は変化する時なのだろうか」。
わたしたちには他の人々を,ましてや世界全体の現状を変えることはできません。しかし自分の生活を新しい方向に向けることによってさらに幸福になることができます。新年の決意はその助けとなりますか。いいえ。大抵の人は二,三日のうちにこうした決意を忘れてしまうからです。ただ年が変わったという理由だけで変化することを決意しても,それは努力を続ける上での本当の強力な動機付けとはなりません。わたしたちを行動に駆り立てる,より大きな力,何かより良いものに対する確固とした希望が必要なのです。
聖書が次のように勧めているのはそのためです。「心をつくして[エホバ]に信頼せよ,自分の知識にたよってはならない。すべての道で[エホバ]を認めよ,そうすれば,[エホバ]はあなたの道をまっすぐにされる」― 箴 3:5,6,口,[新]。
より良い将来に対する希望が単にわたしたち自身やわたしたちの知識や能力に基づくものであるなら,それは大した土台にはならないことを認めねばなりません。たとえそうした希望が一国家全体あるいは世界全体を基盤としていても,実際のところ事情は変わりません。世界にも,わたしたちの持っているのと同じような不完全さがさらに大きな規模で見られるからです。そしてこのことは,1978年やその他の年においてそうであったのと全く同様,1979年においても真実となるでしょう。それで道理にかなった考え方をすれば,自分より高い源,不完全な人類から成る全世界より高遠な源に目を向ける必要があります。
ことによるとあなたは,自分の命を用いて実際何も成し遂げないまま,ただ足踏みをしているように感じられることがありますか。あるいは,あなたの結婚生活や家庭生活に緊張やさらには危険な問題の兆候が見られることに気付いておられますか。また,人類全般が,将来により良いものがもたらされるといった励みとなる希望をほとんどあるいは全く持たずに次から次へと危機を経験し,もがいているように見えるのはなぜだろう,と考えられたことがありますか。
もしそうであるなら,今はあなたにとって聖書の内容を調べるのに最善の時と言えるでしょう。それは暦が新しくなるからではなく,健全な助け,また確固とした希望という点であなたが聖書から得られるもののゆえにです。聖書を学ぶなら生活を変化させることができ,あなたはそれをいつまでも感謝するようになるでしょう。当誌の発行者は,そうした聖書の理解を得る方法をあなたにもお知らせしたいと願っています。
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「心をつくして[エホバ]に信頼せよ,自分の知識にたよってはならない。すべての道で[エホバ]を認めよ,そうすれば,[エホバ]はあなたの道をまっすぐにされる」― 箴 3:5,6,口,[新]。