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  • だれが宗教に本当に関心を持っているか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1978
塔78 4/15 11–13ページ

だれが宗教に本当に関心を持っているか

はい いいえ

あなたは宗教をお持ちですか。 □ □

あなたは宗教に本当に関心がありますか。 □ □

あなたは恐らく最初の質問のあとの,「はい」のところにしるしをつけられたでしょう。というのは,25億を上回る人々が世界のおもな宗教に所属しているからです。また他の宗教に属する人や他の宗教的信条を信奉している人も多数います。

しかし,二番目の質問はどうでしょうか。あなたは宗教に本当に関心がありますか。宗教はあなたの生活の重要な,また大きな影響を及ぼす部分なので,あなたは正しい宗教に関心を示されますか。

今日,多くの人は宗教にほとんど関心を示しません。宗教について話すこともあまりしないし,宗教を特に自分の生活に生かすということもしません。あなたはいかがですか。もしわたしたちが,あなたの隣人,仕事仲間,または学校の同期生などを対象に,あなたが宗教に関心を持っていると考えるかどうか,世論調査を行なうとしたら,大部分の人はどう答えるとあなたはお考えになりますか。

ほとんどの人が関心を持つか

幾つかの点を検討してみると,「だれが本当に宗教に関心を持つか」という質問に答えることがなぜむずかしいか,その理由をよく理解することができるでしょう。

一方,宗教に今日かなりの関心が払われている証拠もいくらかあります。あなたは,例えば,宗教を主題にした本や新聞記事が非常に多いことにお気づきでしょうか。ある作家は宗教書の売れ口について次のように述べています。

「かつては宗教書は信仰の厚い人々に売れたものだ。そして書店は,宗教をけなすような本は店に置かなかった。置くとすれば偶像崇拝か異端の宗教で真の宗教ではないとだれもが知っていた『異教』をけなすような本だった。それが現在では宗教書は,教会へ行かない人々で,因襲的に信仰心のある人はどうして『あのようになるのだろう』,自分もあのようになればもっと幸福になれるだろうか,と考える人々にも売れており,しかもその売れ行きは伸びている」。

さらにわたしたちは,宗教に対して強い関心のあることを物語る別のめいりょうな証拠を見ないわけにはいきません。人々は宗教のゆえに戦っており,互いに殺し合うことさえしています。なるほど人は戦争をそのようには考えないかもしれませんが,実際にはそうしたことが起きているのです。

例えば,フィリピンやレバノンにおける宗派間の激しい戦いはどうですか。ベトナムで生じた仏教徒とカトリック教徒との紛争を思い出しませんか。アイルランドにおけるカトリック・新教徒間の残虐行為も無視できません。そこでは人々が宗教ゆえに射殺されたり,爆弾で吹き飛ばされたりしています。最近の一AP特電は次のようにはじまっています。

「世界の諸宗教は,平和,公正,愛などを教えるが,また誓約,忠誠,熱情なども喚起し,不合理なことに戦争を引き起こすこともある。……『血なまぐさい,残忍な戦争が神の名の下に依然として戦われている』」。

宗教の名において戦うといえば,多くの人が宗教に強い関心を持っているように聞こえるかもしれません。しかし,あなたは,ご自分の仕事仲間や学友,あるいはあなたの住んでおられる地域社会の中のほとんどの人が宗教に強い関心を持っていると本当にお考えになりますか。その人たちは自分の宗教がどんなことを教えているか,またなぜそのように教えるかを,正確にあなたに話すこともできますか。

一つの例を考えてみましょう。1977年に,哲学の教授ウオルター・カウフマンは,ある国における宗教的信仰について書きました。それで同教授の言葉をここに掲げますが,教授の挙げた国名と聖典の名前は省きます。それで,あなたの住んでいる国の名前と,その国で広く受け入れられている聖典とをそこに記入して,教授の言っていることが真実であるかどうか調べてみてください。

「[あなたの国]のほとんどの人は,自分が何を信じているのか正確には知らないし,そのことについて深く考えたこともない。何を信じているのか突然に尋ねられると,何年も昔にそういう問題について話した時にさかのぼるような答えをする。[彼らの聖典]の文字通りの解釈を信ずると言う人は,ほとんどの場合,[その聖典]に書かれていることを知らない。そしてだれかがそれを告げるなら,むしろ驚いてしまう」。

そうです,宗教は一方では「誓約,忠誠,熱情を喚起し,時には戦争」を引き起こすようですが,その反面,一般の人々は,自分の宗教が何を教えているかもしらず,またそれを知ろうともしません。―ローマ 10:2を参照。

新聞のこの見出しに注目してください。

宗教復興の傾向をあざわらう道徳の低下

この見出しはあなたの周囲の状況をかなりよく描写している,と思われますか。アメリカで行なわれた一つの全国的な世論調査は次のことを示しました。「宗教が社会に及ぼす影響は増大しているが,道徳はその影響力を失いつつある。俗世間は,宗教がわれわれの生活に大して感化を及ぼしていない証拠を豊富に提出しているようだ」。

この状態は一国に限られているわけではありません。多くの国の人々は,基本的には宗教心のあることを認めますが,彼らの生活は,宗教の影響がしだいに弱まりつつあることを示しています。

カナダから寄せられた一報告は,その理由の一つを見抜いています。それによると,人々は基本的な霊的飢えの状態にありますが,おもな宗教はその飢えに対処するどころか,かえって「激しい,広範囲にわたる宗教的消化不良」を起こさせています。カナダ・カトリック司教会議の席上で,あるオブザーバーは一般の人々が次のような典型的反応を示すことを訴えました。

「今日,人はそれぞれ心に深い疑問を抱いています。その答えは宗教には,つまり教会には見いだせません。わたしは信仰はあるのですが,教会に何かが欠けているのです」。

それともあなたは人が次のように言うのを聞いたことがありますか。教会の礼拝に出るよりもサイクリングのほうを好んだある人は,「多くの牧師は金もうけのために説教をしている。近ごろは説教が大きな商売になっている」と言いました。

それは何を意味するか

以上のことは,あなたとあなたのご家族にとって何を意味するでしょうか。

宗教的熱情が今日も依然として人々を,憎しみ,殺人,戦争へと駆り立て得ることは否定できません。しかし同時に,宗教に対する不満が増大している証拠もあります。霊的に飢えている人や崇拝したいという願いを持っている人は少なくありません。しかし宗教については混乱しており,確信がありません。信心深く見えるのはきまりが悪いとか,宗教は自分にはややこしすぎて分からない,と考えているのかもしれません。あなたもそのように感じておられるでしょうか。

あるいはあなたは自分にはかなりの信仰心があるとお考えかもしれません。ご自分の宗教に関心を持ち,自分の宗教は正しいと確信しておられるかもしれません。いずれにせよ,正しい宗教の問題を少し考えようという勧めに応ずるだけの十分な理由はあります。「偉大な宗教指導者たち」という本は次のような意見を述べています。「宗教が個人のために,また個人に対して何をなすか,また人の能力が,宗教を理性的に理解し活用することによってどのように増すかを,われわれが本当に知るなら,人生は生きる価値を無限に有するものとなるはずである」。

宗教は『人生をもっと生きる価値のあるもの』にするはずであるばかりでなく,実際に価値あるものにすることを事実が証明していると,わたしたちは確言することができます。しかし,あなたがこの言葉に共鳴されるかまたは異議を唱えられる前に,わたしたちは真の宗教の問題についてさらに検討されることをお勧めします。真の宗教は一つあるだけでしょうか。もしそうであるなら,どうすればそれを見分けられますか。またそれはあなたにとって何を意味するでしょうか。

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