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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1992
塔92 6/15 30–31ページ

読者からの質問

エホバの証人は盗品の購入をどのようにみなしますか。

クリスチャンは,盗まれた商品や物品をそれと承知のうえで買うことには一切かかわりを持たないようにします。

盗みが悪であることに疑問の余地はありません。イスラエルに対する神の律法は,「あなたは盗んではならない」とはっきり述べていました。(出エジプト記 20:15。レビ記 19:11)盗人は捕らえられると,状況に応じて2倍,4倍,5倍にして償わなければなりませんでした。

昔から盗人は,素早く利益を得るため,また犯罪の証拠品を持ったまま捕まることがないようにするため,盗品を売りさばこうとしてきました。そのために,しばしば盗人は多くの人が買わずにはいられないような安い値段で盗品を売ります。そのような行為は,出エジプト記 22章1節に書かれている事柄に含まれていたのかもしれません。そこにはこう書かれています。「人が牛または羊を盗んで,それをほふるか売るかした場合,その者はその牛に対して五頭の牛,その羊に対して四頭の羊をもって償う」。

ラビ・アブラハム・チルはそうした律法の言外の意味を感じ取り,こう書いています。「たとえそれが盗まれたものだと分からない場合でさえ,盗まれた財産を買ったり受け取ったりすることは禁じられていた。したがって,羊飼いからやぎを買ってはならない。その羊飼いは恐らく雇い主に無断でやぎを売っているのであり,代金を着服しようとしているからである」―「ミツバー ― 掟とその原理」。

実際のところ神の律法は,羊飼いが雇い主のお金を着服するかもしれない,つまり実質的には,やぎを盗んで売ることになるかもしれないという疑いだけに基づいて,『羊飼いからやぎを買うこと』を禁じたりはしていません。それでも,エホバの僕たちは,(やぎ,その他どんな物であっても)それが売り手のものではない,あるいは盗品かもしれないと明らかに思える場合には,それと承知で購入にかかわるべきではありません。神の律法によると,神は私有財産を認めておられます。しかし,盗人は所有者から財産を奪っているのです。盗品と分かっている物を買ってもそのような意味での盗人にはならないかもしれませんが,それを買うなら,所有者が財産を取り戻す見込みを小さくすることになってしまいます。―箴言 16:19。テサロニケ第一 4:6と比較してください。

買い手ができるだけ安い値段で買おうとすることはだれでも知っていることです。女性が掘り出し物を探し回ったり,値段が下がる時期まで買わずにおこうとしたり,経費がかからないだけ値段の安い量販店で買ったりするのは,世界中どこに行っても同じです。(箴言 31:14)しかし,安く買いたいというそうした気持ちにも,道徳的な限度があるべきです。ネヘミヤの時代の忠節な人々は,安息日にはたとえ安い買い物ができたとしても,そうすることを拒みました。(ネヘミヤ 10:31。アモス 8:4-6と比較してください。)クリスチャンにも同様のことが言えます。盗みを拒絶する気持ちは,盗品であることが明らかな低価格品を買いたいというどんな誘惑をも抑制する助けになります。

ある販売者たちは盗品を扱っていることで広く知られているかもしれません。あるいは,耳打ちされた値段のあまりの安さに,普通の人ならだれでもそれが不法な手段で入手された商品だろうと判断できる場合もあります。土地によってはそのような分別の必要性を法律が認めていることさえあります。法律学に関するある書物は次のように述べています。

「犯罪が成立したとされるために不可欠な要素である,犯罪事実の認識について言うならば,その物品をだれがだれから,いつ,どこで,どのような状況下で盗んだかについてまで被告人が知っている必要はなく,とにかくそれが盗まれた物であることを被告人が知っているだけで十分なのである。……裁判所によっては,通常の理解力と注意力のある人であれば,その物品が盗まれたものであることを十分知り得る状況下で被告人がそれを受け取ったという事実に基づき,犯罪事実の認識があったと断定してもよいという見方をしている」。

この点もまた,クリスチャンが盗品の購入を避ける確かな理由の一つとなります。そのような物品を買うクリスチャンは法律違反者になりかねません。実際,状況のいかんを問わず盗品を購入した人が法律違反の有罪者とみなされる国もあります。多くの人は,うまくやりおおせると思える時には平気で法律を破ります。クリスチャンはそうであってはなりません。クリスチャンは『上位の権威に服する』ことを願っています。法律を守るなら,犯罪者として訴えられずにすみ,さらにエホバのみ前で正しい良心を保つ助けになります。―ローマ 13:1,4,5。

神の友アブラハムは良心に関しても立派な模範を示しました。当時,東方の4人の支配者たちがロトの住んでいた土地の王たちを撃ち破り,多くの貴重品を戦利品として運び去ったことがありました。アブラハムは敵を追跡して打ち負かし,盗まれた貨財を取り戻しました。ソドムの王はアブラハムに,報酬として「貨財はあなたが取ってください」と言いました。アブラハムはそうする代わりに,貨財をその正当な持ち主に返してこう言いました。「わたしは,およそあなたのものからは何一つ受け取りません。『わたしがアブラムを富ませたのだ』とあなたが言わないためです」。―創世記 14:1-24。

クリスチャンは盗品から得られるかもしれないどんな金銭上の利益にも関心を持ちません。エレミヤは,「公正によらずに富を作る者は,自分の産まなかったものを集め寄せたしゃこのようである」と書きました。(エレミヤ 17:11)ですからクリスチャンは,盗品に関するカエサルの法律を破らないことによって知恵を示すことにとどまらず,盗みという不正行為に一切かかわらないようにすることによって神の公正を擁護したいと願います。ダビデは適切にも,「義なる者の持つ少しのものは,多くの邪悪な者たちの持つ豊かなものにまさる」と書きました。―詩編 37:16。

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