啓示 ― それはあなたを幸福にしますか
自分が幸福である理由を改めて挙げるとしたら,あなたはその中に何を含めますか。エホバに関する知識や仲間のクリスチャンとの親しい交わり,また自分の家族のことなど,相当多くの項目があがると思います。
しかし,啓示の書が理解でき,その書を用いることができる特権を幸福の理由の一つに挙げる方がいるでしょうか。『それはどういう意味ですか』,とあなたはお尋ねになるかもしれません。使徒ヨハネは霊感を受け,啓示の冒頭に次のように記しました。「この預言のことばを朗読する者,またそれを聞き,その中に書かれている事がらを守り行なう者たちは幸いである。定められた時が近いからである」。(啓示 1:1,3)啓示の幻を与えられた時,ヨハネは感動したのではないでしょうか。そうに違いありません。しかしわたしたちの場合はどうですか。ヨハネが自分の書き記したことすべてを理解できたはずはありません。しかしわたしたちの前には,今や「定められた時が近い」ことを示す,聖書および歴史の証拠が存在しており,それゆえに啓示の内容はわたしたちを幸福にするのです。
7月はこの点,特に関係のある月となります。わたしたちは奉仕で『その時,神の秘義は終了する』と題する書籍を配布するからです。会衆の書籍研究ではすでに5月からその本を定期的に研究するようになっています。では,啓示および「秘義」の本に対し,わたしたちが個人としてどんな見方を持っているかを調べてみることにしましょう。わたしたちの幸福がそれに関係しているからです。
7月の奉仕で「秘義」の本を配布することをどうお考えになりますか。一緒に研究している人や定期的に訪問している人たちには,一冊ずつ求めてもらうよう努力したいと思われるでしょう。しかし家から家の奉仕でこの本を配布することには,多少のためらいを感じますか。7月には「秘義」の本より別の本の方が多く出ると考えますか。もちろん,証人たちは家の人に最善と思われる本を配布して構いません。それが「進化」の本であろうと,「真理」の本であろうと,また他の本であろうと,一向に差し支えありません。1963年,「御心が地に成るように」の本が日本語で発行されました。み言葉の「固い」部分を扱ったこの書籍は野外の奉仕で非常にたくさん配布されました。1964年一人の特別開拓者は家から家の奉仕でこの書籍を一人の主婦に配布しました。翌週再訪問してみると,この主婦はもうその書籍に線を引いて全部読み終えており「大層興味深く読ませていただきました」と述べました。そして研究が取り決められ,謙遜に学んだこの主婦はいまでは正規開拓者として7年間も奉仕を続けています。そしてその主婦の息子と娘もりっぱな証人になり,最近ではこの主婦の実の母親も研究を始めるようになりました。真理に初めて接する方々もみことばの「固い」部分から大きな益を得ていないでしょうか。それでこの7月に行なわれる「秘義」の本を用いての運動に大きな期待が寄せられています。しかし次の点を考慮して7月の運動に対しふさわしい見方を培うよう努力しましょう。
人々は理解を望んでいる
最初に考慮したい点は,多くの人が啓示についてもっと知りたいと真剣に願っていることです。啓示に関しては,人々は「黙示録の騎手」などについて聞いたことがあるでしょう。しかしその象徴的な言葉の意味については何も知りません。エホバの証人としばらく研究し,それほど進歩を示さなかった婦人があるとき王国会館に出席し,啓示に関する講演を聞きました。その時のことを会衆の監督はこう述べています。「その方は講演から感銘を受けました。啓示にいつも関心を持ってはいたものの,理解できないでいたからです」。
啓示について一度も話したことがないとしても,あなたの区域にもそのような方がいるのではありませんか。啓示の半分以上を節ごとに説明し,残りの章を簡略に論じた(24章)本があることをそうした人々に知らせるのは,親切な行為ではないでしょうか。少なくとも,この本を人々に提供してみてください。他の主題に関する本は取らなくても,啓示の本なら受け取るという人に会ってあなたは驚かれるかもしれません。
人々は知る必要がある
わたしたちが考えている二番目の点は,永遠の命を得たいと願うなら,「秘義」の本の中で考慮されている啓示に関する事柄の多くを知る必要があるという点です。その意味はこうです。
永久に生きるためには,エホバ神を知ることが重要です。この点啓示 4章は,神の神聖さと栄光の幻を示すことにより,わたしたちに助けを提供していないでしょうか。新しい秩序に住むには,神のみ子を正しく認めねばなりません。啓示 5章はイエスについて,またイエスが神に用いられるにふさわしい方であることを扱っています。
また,1914年以降の困難な事態の意味を理解し,それがイエス・キリストの手中にある神の王国の樹立を指し示していることを知る必要があります。「秘義」の本は,啓示 6章と12章の説明でこの点に触れていませんか。聖書を理解するには,天的級および地的級が神の取り決めの中でどのような立場を占めるかを知る必要があります。諸教会が黙認している事柄をも含め,不道徳な現状に嫌悪感を抱いている人は,道徳上の清さを重視し,その清さを成員に要求する組織があることを知る必要があります。新しい本は,啓示の2章と3章を扱う個所でこの点を明らかにしています。この本は一般的な教理に関する事柄を多く扱ってはいませんが,三位一体に関して強力な打撃を加えています。―195,206-208ページ。
最後の点は,7月にこの新しい本を配布することにより,わたしたちの区域に住んでいる人たちにエホバの証人について知っておくべきある事柄を理解するよう援助できるという点です。例えば,エホバの証人はみ言葉の「乳」だけでなく,聖書の固い,複雑な部分をも取り上げることを人々は知る必要があります。(ヘブライ 5:12-14)諸教会は普通こうした深い資料を無視します。「秘義」の本を配布すれば,人々はエホバの組織と教会とのこの相違点に気づくのではないでしょうか。
7月の奉仕に携わる時,「秘義」の本と区域の人々に関し以上の点を思いに留めておくのは良いことでしょう。こうして,啓示の説明を載せた新しい本を人々に配布することにより,啓示はわたしたちとそれらの人々を共に幸福にするものとなります。
知識と理解を通してもたらされる幸福
わたしたちはエホバの証人として啓示に強い関心を抱いています。それは,わたしたちが1914年以降「主の日」に住んでいることを認めているからです。(啓示 1:10)わたしたちはかつて「ものみの塔」に連載された「バビロン」の本の要約を用いて啓示の最後の9章を節を追って研究したことがありますが,今度は会衆の書籍研究で,「秘義」の本で取り上げられている13の章を同じ方法で研究します。啓示に関する知識と理解が増すにつれ,わたしたちの幸福は増し加わるものと信じています。
しかし啓示の書には預言に関する非常に多くの,重要な詳細が収められています。そのため,気づかないうちに,詳細な点に注意を集中しつつ,なおかつその驚嘆すべき全容を見失うおそれがあります。しかし啓示は,獣やラッパなど雑多な幻が無関係に寄せ集められたものではなく,むしろ相互に結び合わされた各部分が理路整然と進展し,調和を織り成しながら最高潮に向かうのです。啓示の個々の象徴や幻の意味についてかなりの知識を持っていた一人の兄弟は,啓示の見事な一致調和と漸進的な発展の過程を理解するよう助けられ,自分の得た知識と理解に感激し,幸福の余りこう叫びました。「二十年間目が見えなかったのが,やっと見えるようになったという感じがします」。
次に,全体的見地から見た啓示の概略を記すことにしましょう。それは全部の詳細や預言の意味を取り上げてはいませんが,広範にわたる啓示の内容とその調和に対する認識を深めてくれるはずです。各々の章がどのように結び合わされているかに注意しながら読んでみてください。啓示の一つの論点の終わりに次の論点が導入され,それが考慮されたばかりの先の論点を敷えんし,説明を加えている場合が少なくありません。その点にも注意を払ってください。ある章で簡単にしか触れられていない事柄が,後になって取り上げられ,詳しく論じられる場合もあります。以下に掲げる概略を考慮することにより,皆さんがすでに研究した啓示の個所がさらに意味深いもの,心を打つものとなるに違いありません。また,「秘義」の本を続けて研究する際の助けになるものと確信しています。
啓示の概略
啓示は書簡の形式を取っており,西暦96年,使徒ヨハネによって書き記されました。それは,油そそがれたクリスチャンの全会衆を表わす,小アジアの「七つの会衆」にあてて書かれたものです。紹介部分(1:1-3)は,啓示の源が神であり,その経路に当たる方がイエスであることを明らかにしています。そして,預言の言葉を聞いて守り行なう者に幸福を保証しています。
エホバ,霊そしてイエスについて触れた後,ヨハネは自分を紹介し,次に続く事柄が特に「主の日」(1914年以後)に関係のあることを明らかにします。彼は,啓示の書全体の経路となる,復活させられたイエスの栄光の幻を見ます。七つの会衆に手紙が書かれることになります。(1:4–3:22)油そそがれた者たちの霊的状態を知っておられるイエスは,称賛や助言また警告を与えます。これは,地を治める天的な王となる者たちが神から訓練を受けることをわたしたちに確信させます。
啓示の経路となる方を見たヨハネは,次にその著者の幻を与えられます。(4:1-11)神は栄光に満ちておられ,畏敬の念を生じさせます。そして,わたしたちの賛美と崇拝にふさわしい方です。神のみ座の周りには,神の属性を強く表わし示すケルブたちがいます。また,二十四人の長老たち(天で統治している者として油そそがれた者)が創造者に崇拝を捧げており,同時にすべての創造物がそうすべきことを認めます。エホバは封印された巻き物を持っておられます。しかしだれがそれを開けることができるのでしょうか。―5:1-4。
ヨハネは,子羊イエスが巻き物を取るのを見ます。5章は,なぜキリストがこの栄誉に値するかを説明します。それで,わたしたちは彼に誉れを帰すべきであり,わたしたちの時代の天と地に影響を及ぼす,神の目的に関するその巻き物の音信に関心を抱くべきです。ヨハネは単に巻き物を読む代わりに,それを行動の場面を通して見ます。キリストは七つの封印を開き始めます。最初の封印は,最終的な征服に向かって馬を進める王としてのイエスを示しており,第二から第四の封印は,1914年以来幾百万人もの人々をハデスに送り込んだ戦争,飢饉,異常な死を,騎手を乗せた数頭の馬によって描いています。第五の封印が切られると,迫害を受け,殉教の死を遂げたクリスチャンのために行なわれる,神の復しゅうに関する保証が与えられます。第六の封印が開かれる時にヨハネの見る事柄は,天と地における変化と,人々が来たるべき神の憤りから身を隠そうとしている場面を示します。―6:1-17。
第七の封印が開かれる前の休止期間に,ヨハネは神が破壊的な患難の到来を許す以前に成し遂げられるべき業が何かを見ます。(7:1-17)14万4,000人に証印を押す業が完了しなければなりません。(啓示の後の個所[14:1-3]で示されているように,その業は完了した。)また,破壊的な患難が抑えられることにより,「大群衆」が神の是認を得,油そそがれた者と共に神を崇拝することが可能となります。
次に第七の封印が切られ,しばらくの間,祈りと,来たるべき事柄に対する準備の時が生じます。(8:1-6)七つのラッパが七人の使いによって吹き鳴らされます。(神の地上の僕たちは1922-1928年の大会で裁きの音信を伝え始めた。)こうして,七つの一連の封印の最後のものは,七つの別の事柄(ラッパ)に関する幻へと拡大されます。相互に関係のある情報が順を追って整然と提出されて行くのです。サタンの組織の諸分子にかかわる,五つのラッパのような音信が吹き鳴らされます。第五のラッパは,いなごに似た宣べ伝える者たちの災厄に関するもので,それは三つの災いのうちの最初のものとも言われます。第六のラッパが吹き鳴らされると,かつて古代バビロンのあったユーフラテス河畔に縛られている者たちの釈放が告げられます。(残りの者は第一次世界大戦後バビロン的な捕らわれの状態から釈放された。)さらに,その幻は2億人から成る騎兵隊を示しています。―8:7–9:21。
第六のラッパの間に中断が生じ,ヨハネは,食べることのできる小さい巻き物を持った一人の使いを見ます。(10:1-11)使徒は,第七のラッパが吹き鳴らされる日に神の秘義が終了することを知らされます。次いで彼は巻き物を与えられ,それを食べ,その後まだなすべき預言の業があることを告げられます。そればかりではありません。霊的神殿を測らねばなりません。彼はまた,しばらくの間(1914-1918年)預言し,野獣によって殺され,最後に生き返った証人たちについても告げられます。それで野獣がこの場面にあらわれますが,説明はなされません。その証人たちが立ち上がって生き返った後に,背教した対型的エルサレムに地震が生じ,第六のラッパと第二の災いは終わりに至ります。―11:1-14。
第七のラッパが吹き鳴らされると,樹立された王国(神の敵に対する「第三の災い」)に関する発表がなされます。その結果,憤りを込めた諸国民の迫害が生じます。(11:15-19)次の章はそのとき何が生じたかをさらに詳しく説明しています。ヨハネは,神の妻のような組織が悪魔の妨害にもかかわらず王国を無事に生み出すのを見ます。天で戦争が起こり,悪魔は地に投げ落とされます。悪魔は地上にあって,残りの者をその忠実さゆえに迫害します。(12:1-17)これは一人の大敵サタンに関する警告を与えるものですが,他の敵たちも登場して来ます。その一つは,海から上って来る,野獣のような,悪魔の政治組織です。それはクリスチャンに戦いをいどみます。そのために,忍耐と信仰が彼らに要求されるのです。(13:1-10)もう一つの敵は,二本の角を持つ,現代の政治的二重構造の獣で,海から上って来た獣の像に対する崇拝を奨励します。―13:11-18。
これらの敵は14万4,000人に証印を押す業をはばむでしょうか。いいえ。ヨハネは14万4,000人の者たちがシオンの山で幸福に歌を歌っているのを見ます。(これらのことすべては依然第七のラッパの下に展開している。)次に,敵の前途に困難が待ち受けていることが知らされます。一人の使いは神が裁きを施行されようとしていることを告げ,こう命令します。「神を恐れ,神に栄光を帰せよ」。第二の使いは大いなるバビロンが倒れたことをふれ告げます。第三の使いは獣またその像を崇拝する者たちに責め苦が臨むことを約束します。他の使いたちは刈り入れを予告し,ハルマゲドンにおける踏み砕く業を告げ知らせます。―14:1-20。
これらの裁きと事前の発表の後,ヨハネは七つの災厄を携えた七人の使いを見ます。これも第七のラッパが吹き鳴らされている時のことであり,この場合にも,一つの連続した事柄が次の出来事と融合して行きます。迫害にもかかわらず,多くの者が勝ちを得,賛美を歌います。七人の使いが怒りの鉢を注ぎ出します。それは,世の様々な状況を神がどう見ておられるか,また,その司法上の意見がどんな影響や結果を及ぼすかを指摘するものとなります。第六のラッパと同様,第六の鉢もユーフラテス川(バビロン)に関係があります。ハルマゲドンへの集結に関しても触れられますが,詳細はまだ示されていません。第七の鉢と共に,「事は成った!」と一つの声が述べ,バビロンは震動し,裂けて倒れます。―15:1–16:21。
啓示はここからバビロンの滅びとその結果に説明を移します。彼女は十本の角を持った緋色の獣に乗った娼婦になぞらえられており,その獣はそれ以前の七つから出た第八の王です。使いは角がやがて子羊と戦うであろうと告げますが,その模様は詳しくは説明されません。十本の角がその娼婦に敵対し,彼女を滅ぼす様が示されます。(17:1-18)そうしたことが起きる前に大いなるバビロンから出るよう人々は促されます。彼女が滅ぼされた後,王や商人たちはその滅びを惜しみますが,天は歓喜します。それは最終的かつ全き滅びです。(18:1-24)この裁きを施行してくださった神は賛美を受けるにふさわしい方です。それは子羊の花嫁(その結婚は1918年に始まった)にとって特に喜びの源となります。娼婦に対して勝ちを得たことが証明されたからです。―19:1-10。
さて,ハルマゲドンおよび,子羊と戦う者たちに関する論議が再び取り上げられ,発展させられます。もろもろの組織も人もハルマゲドンにおいてその終わりに面します。(19:11-21)天はどうなりますか。次にサタンは千年の間,底知れぬ深みに投げ込まれ,その間キリストと14万4,000人の者たちは特別な意味で王また祭司となります。サタンの全き終わりを示すため,幻は一足飛びに千年の終わりに移り,サタンが解き放たれる場面と,ある人々の反抗を描写します。彼らは共に火の湖に投げ込まれます。(20:1-10)千年期の出来事を描写するために逆戻りした幻は,死人が復活させられ,永遠の命に値するか,死に値するかの裁きを受ける模様を示します。―20:11-15。
古い天と地が逃げ去ったので,ヨハネは新しい天と地およびそれらが人類にもたらす祝福を見ます。彼はまた,一つの都市を見ますが,それはキリストの花嫁であって,バビロンではありません。神聖かつ完全で,そこから命の水の川が流れているのです。命のために満ちあふれんばかりの備えがなされます。新しい秩序の統治組織に関する輝かしい,最高潮を成すこの描写をもって,啓示の一連の幻は完結します。―21:1–22:7。
ヨハネは感激の余り,幻を伝達する仲介者となった使いを崇拝したいとの衝動に駆られますが,戒められます。預言は封印してはならず,それを聞く人たちは,命の水を価なくして受けるよう他の人々を招待しなければなりません。だれも巻き物に何かを付け加えたり,それから何かを取り去ったりしてはなりません。イエスはご自分が速やかに来ようとしていることを,読む者たちに再び思い起こさせます。ヨハネはそれに答え応じ,聖なる者たちに対する祝福の祈りをもって結びとします。―22:8-21。
兄弟たち,この概略を前に置いて,啓示をさっと通読してごらんなさい。できることなら,一度に読み通してみてください。預言の全体的な意味や意義を理解する助けになると思います。この概略は,会衆で「秘義」の本を研究する時に役立ち,あなたを幸福にすることでしょう。そしてその幸福感はこの本を奉仕で配布する7月にさらに深まるものと思います。わたしたちは,わたしたちがこの新しい本を配布する人たちと共に,啓示の次の保証の言葉の成就を期待できるのです。「この巻き物の預言のことばを守り行なう者は幸いである」― 啓示 22:7。