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ヨハネ 注釈 4章新世界訳聖書 (スタディー版)
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神は目に見えない方: ここではギリシャ語プネウマが,目に見えない存在という意味で使われている。(用語集の「プネウマ」参照。)聖書は,神,栄光を受けたイエス,天使たちがプネウマであることを示している。(コ一 15:45。コ二 3:17。ヘブ 1:14)これらの存在は人間とは全く違う形態の命を持っていて,人の肉眼では見えない。「地上での体」よりはるかに優れた「天での体」を持っている。(コ一 15:44。ヨハ 1:18)聖書筆者は,神の顔,目,耳,手などについて述べているが,それらは神がどんな存在かを人間が理解するための比喩。聖書は,神に性格があることをはっきり示している。また,神は物質の領域とは別の場所に存在している。それでキリストは「父のもとに行」くと言えた。(ヨハ 16:28)ヘブ 9:24で,キリストは「天そのものに入り……私たちのために神の前に出て」いると述べられている。
聖なる力……に導かれて崇拝: 用語集の「プネウマ」という項にあるように,ここで使われているギリシャ語プネウマはいろいろな意味を持つ。例えば,神が送り出す力つまり聖なる力や,人を駆り立てる力つまり精神。プネウマの幾つかの意味に共通している1つの点は,人間の目に見えないものであること。イエスはヨハ 4:21で,父への崇拝はサマリアのゲリジム山やエルサレムの神殿のような物理的な場所を中心としたものではなくなると説明した。神は物質的な存在ではなく,人が見ることも触れることもできないので,神への崇拝は,実際の神殿や山を中心とする必要はなくなる。聖書の他の箇所でもイエスが示しているように,神に受け入れられる崇拝を行うには,「援助者」とも呼ばれる目に見えない神の聖なる力に導かれる必要がある。(ヨハ 14:16,17; 16:13)神の言葉の研究と適用によって自分を神の考えに調和させるなら,神の「聖なる力……に導かれて崇拝」することになる。この表現は,熱烈な精神を持って誠実に神に仕えるよりはるかに多くのことを意味している。
真理に導かれて崇拝: 神に受け入れられる崇拝は,想像や神話やうそに基づいたものでは決してない。それは,事実に沿ったもので,神がご自分とご自分の目的について神の言葉の中で明らかにしている「真理」と一致していなければならない。(ヨハ 17:17)そのような崇拝は,神の言葉の中で明らかにされている「目に見えない……実在する」ものと合致していなければならない。(ヘブ 9:24; 11:1)この節の聖なる力……に導かれて崇拝に関する注釈も参照。
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