ものみの塔 オンライン・ライブラリー
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  • ローマ 12:1
    新世界訳聖書
    • 12 そういう訳で,兄弟たち,神の思いやりに基づいて皆さんに強く勧めます。自分の体を,生きた犠牲,神に受け入れられる聖なる+犠牲として差し出してください+。理性を働かせて神聖な奉仕をするのです+。

  • ローマ 12:1
    新世界訳聖書 ― 参照資料付き
    • 12 そのようなわけで,兄弟たち,わたしは神の情けによってあなた方に懇願します。あなた方の体を,神に受け入れられる+,生きた+,聖なる+犠牲として+差し出しなさい+。これがあなた方の理性による+神聖な奉仕*+です。

  • ローマ
    ものみの塔出版物索引 1986-2025
    • 12:1 洞-1 52,1210; 塔研23.02 20-21; 暮 レッスン14,38; 愛簡 76-77; 塔12 1/15 21; 塔11 2/15 15; 目 11/1 28; 塔09 10/15 3; 塔08 6/15 30-31; 塔08 10/15 27; 愛 64; 塔07 7/1 22-23; 塔00 12/1 31; 塔96 8/1 15; 塔95 6/15 18-23; 塔92 2/1 26; 目90 11/8 27; 塔89 6/1 15

  • ローマ
    ものみの塔出版物索引 1951-1985
    • 12:1 塔84 8/15 12; 塔82 9/1 13-14; 塔80 11/15 22; 塔79 8/15 18; 塔79 11/1 15; 塔78 2/1 23; 塔78 10/15 23; 目78 4/8 29; 塔72 126; 塔69 414; 自 286-287; 塔65 629; 塔64 414; 塔63 18,362-363,463; 塔62 333; 目61 6/8 27; 神 290

  • ローマ
    エホバの証人のためのリサーチガイド 2019年版
    • 12:1

      「ものみの塔」(研究用)

      2023/2,20-21ページ

      「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン14,38

      「洞察」

      「洞察」

      「神に愛される」76-77ページ

      「神の愛」64ページ

      「ものみの塔」

      2012/1/15,21ページ

      2011/2/15,15ページ

      2009/10/15,3ページ

      2008/10/15,27ページ

      2008/6/15,30-31ページ

      2007/7/1,22-23ページ

      2000/12/1,31ページ

      1996/8/1,15ページ

      1995/6/15,18-23ページ

      1992/2/1,26ページ

      1989/6/1,15ページ

      「目ざめよ!」

      2011/1,28ページ

      1990/11/8,27ページ

  • ローマ 注釈 12章
    新世界訳聖書 (スタディー版)
    • 12:1

      そういう訳で: パウロはこの表現を使って,この手紙でこれまでに述べたことと,これから言うことを結び付けているようだ。いわば「私は皆さんにこれまで説明したことを踏まえて,次のことを強く勧めます」と言っている。パウロは,行いではなく信仰によって神から正しいと認められてキリストの共同統治者となる機会が,ユダヤ人にも異国人にも開かれていることを論じてきた。(ロマ 1:16; 3:20-24; 11:13-36)パウロは12章以降でクリスチャンに,感謝の気持ちを持つことと,神への従順と自己犠牲の生き方によって信仰と感謝を表すことを勧めている。

      兄弟たち: ロマ 1:13の注釈を参照。

      自分の体を……差し出してください: モーセの律法下で,イスラエル人は動物を殺して,死んだ動物を犠牲として差し出した。その犠牲は1回しか捧げられなかった。一方,クリスチャンは自分の体,自分の全てを生きた犠牲……として絶えず差し出す。この「犠牲」には人の知力,心,力など全ての能力が含まれる。この行いは自分の全てをささげたことを表し,生活のあらゆる面が関係する。パウロはさらに,自分を差し出すクリスチャンは神に受け入れられる聖なるものでなければならないと言っている。イスラエル人が,足が不自由な動物や欠陥のある動物など,受け入れられない犠牲を捧げてはならなかったことを念頭に置いていたのかもしれない。(レビ 22:19,20。申 15:21。マラ 1:8,13)同じように,クリスチャンは自分の犠牲が受け入れられるために,神に認められる事柄に従って清い生活をしなければならない。

      理性を働かせて: この言葉はギリシャ語ロギコスを訳したもの。この文脈で,「筋道の通った」,「理性的な」,「賢明な」仕方で捧げられる神聖な奉仕という考えを伝えている。ある辞典はその語を「注意深く考え抜かれている,思慮深い」と定義している。クリスチャンはしばしば,聖書の原則を注意深く考えなければならない。いろいろな聖書の原則がどう関係し合っているか,決定すべき事柄にどう関係しているかを理解している必要がある。神から与えられた理性つまり思考力を使って,神に喜ばれ祝福されるバランスの取れた決定をすることができる。このような崇拝の仕方は,クリスチャンになった多くのユダヤ人にとって新しいものだった。それまでは口頭伝承によって定められた多くの規則に従って生活していた。

      神聖な奉仕: または,「崇拝」。ここで使われているギリシャ語はラトレイアで,崇拝の行為を指す。ギリシャ語聖書で,この名詞はモーセの律法に基づくユダヤ人の崇拝方式に関して使われることがある。(ロマ 9:4。ヘブ 9:1,6)しかし,パウロはここでクリスチャンの崇拝に関して使っている。関連するギリシャ語動詞ラトレウオー(「神聖な奉仕をする」)は,モーセの律法に従った崇拝(ルカ 2:37。ヘブ 8:5; 9:9)とクリスチャンの崇拝(フィリ 3:3。テモ二 1:3。ヘブ 9:14。啓 7:15)の両方について使われている。ロマ 1:9でパウロが示しているように,パウロの神聖な奉仕の重要な面は,「神の子についての良い知らせを広め」ることだった。

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