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ローマものみの塔出版物索引 1951-1985
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12:1 塔84 8/15 12; 塔82 9/1 13-14; 塔80 11/15 22; 塔79 8/15 18; 塔79 11/1 15; 塔78 2/1 23; 塔78 10/15 23; 目78 4/8 29; 塔72 126; 塔69 414; 自 286-287; 塔65 629; 塔64 414; 塔63 18,362-363,463; 塔62 333; 目61 6/8 27; 神 290
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ローマ 注釈 12章新世界訳聖書 (スタディー版)
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そういう訳で: パウロはこの表現を使って,この手紙でこれまでに述べたことと,これから言うことを結び付けているようだ。いわば「私は皆さんにこれまで説明したことを踏まえて,次のことを強く勧めます」と言っている。パウロは,行いではなく信仰によって神から正しいと認められてキリストの共同統治者となる機会が,ユダヤ人にも異国人にも開かれていることを論じてきた。(ロマ 1:16; 3:20-24; 11:13-36)パウロは12章以降でクリスチャンに,感謝の気持ちを持つことと,神への従順と自己犠牲の生き方によって信仰と感謝を表すことを勧めている。
兄弟たち: ロマ 1:13の注釈を参照。
自分の体を……差し出してください: モーセの律法下で,イスラエル人は動物を殺して,死んだ動物を犠牲として差し出した。その犠牲は1回しか捧げられなかった。一方,クリスチャンは自分の体,自分の全てを生きた犠牲……として絶えず差し出す。この「犠牲」には人の知力,心,力など全ての能力が含まれる。この行いは自分の全てをささげたことを表し,生活のあらゆる面が関係する。パウロはさらに,自分を差し出すクリスチャンは神に受け入れられる聖なるものでなければならないと言っている。イスラエル人が,足が不自由な動物や欠陥のある動物など,受け入れられない犠牲を捧げてはならなかったことを念頭に置いていたのかもしれない。(レビ 22:19,20。申 15:21。マラ 1:8,13)同じように,クリスチャンは自分の犠牲が受け入れられるために,神に認められる事柄に従って清い生活をしなければならない。
理性を働かせて: この言葉はギリシャ語ロギコスを訳したもの。この文脈で,「筋道の通った」,「理性的な」,「賢明な」仕方で捧げられる神聖な奉仕という考えを伝えている。ある辞典はその語を「注意深く考え抜かれている,思慮深い」と定義している。クリスチャンはしばしば,聖書の原則を注意深く考えなければならない。いろいろな聖書の原則がどう関係し合っているか,決定すべき事柄にどう関係しているかを理解している必要がある。神から与えられた理性つまり思考力を使って,神に喜ばれ祝福されるバランスの取れた決定をすることができる。このような崇拝の仕方は,クリスチャンになった多くのユダヤ人にとって新しいものだった。それまでは口頭伝承によって定められた多くの規則に従って生活していた。
神聖な奉仕: または,「崇拝」。ここで使われているギリシャ語はラトレイアで,崇拝の行為を指す。ギリシャ語聖書で,この名詞はモーセの律法に基づくユダヤ人の崇拝方式に関して使われることがある。(ロマ 9:4。ヘブ 9:1,6)しかし,パウロはここでクリスチャンの崇拝に関して使っている。関連するギリシャ語動詞ラトレウオー(「神聖な奉仕をする」)は,モーセの律法に従った崇拝(ルカ 2:37。ヘブ 8:5; 9:9)とクリスチャンの崇拝(フィリ 3:3。テモ二 1:3。ヘブ 9:14。啓 7:15)の両方について使われている。ロマ 1:9でパウロが示しているように,パウロの神聖な奉仕の重要な面は,「神の子についての良い知らせを広め」ることだった。
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