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  • 火のへび
    聖書に対する洞察,第2巻
    • ことになりました。モーセは銅の蛇を造りました。(民 21:6-9; コリ一 10:9)イエスは次のように述べて,それに預言的な意義があることを示されました。「モーセが荒野で蛇を挙げたと同じように,人の子も挙げられねばなりません。それは,彼を信じる者がみな永遠の命を持つためです」― ヨハ 3:14,15。

      イザヤ 14章29節と30章6節では,フィリスティアに対する神の裁きと,ユダの南にある荒野の地域の描写の中で,「火のような飛ぶへび」のことが述べられています。この「飛ぶ」という表現は,毒へびが何かを襲う時に素早く飛びかかったり,稲妻のように空中を進んだりする様子を指しているとみなす人もいます。

  • 火の湖
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 火の湖

      (ひのみずうみ)(Lake of Fire)

      この表現は「啓示」の書にだけ出ており,明らかに象徴的なものです。聖書は,「火の湖,これは第二の死を表わしている」と述べて,この象徴に関する聖書自体の説明と定義を載せています。―啓 20:14; 21:8。

      火の湖が象徴的な性質のものであることは,「啓示」の書の中にその表現が出て来る箇所の文脈を見れば一層明らかになります。火の湖の中には,死が投げ込まれると言われています。(啓 19:20; 20:14)明らかに,死を文字通り燃やすことはできません。さらに,目に見えない霊の被造物である悪魔もその湖の中に投げ込まれます。悪魔は霊者ですから,文字通りの火によって害を受けることはあり得ません。―啓 20:10。出 3:2および裁 13:20と比較。

      火の湖が「第二の死」を表わしていること,また啓示 20章14節は「死とハデス」の両方がその中に投げ込まれると述べていることからすると,この湖は,人間がアダムから受け継いだ死を表わしているはずがなく(ロマ 5:12),ハデス(シェオル)を指しているのでもないことは明らかです。したがって,これは別の種類の死,つまり生き返ることのない死の象徴であるに違いありません。というのは,アダムによる死やハデス(シェオル)とは違い,この「湖」がその中の者を出すというようなことはどこにも記されていないからです。(啓 20:13)そのようなわけで,「命の書」に書かれていない者,悔い改めることなく神の主権に反対する者たちは,とこしえの滅び,つまり第二の死を意味する火の湖に投げ込まれます。―啓 20:15。

      前述の幾つかの聖句から火の湖が象徴的な性質のものであることは明らかであるにもかかわらず,この表現を文字通りの火と責め苦の場所に関する信条の裏付けとして用いてきた人たちがいます。引き合いに出されるのは啓示 20章10節です。そこでは,悪魔と野獣と偽預言者が火の湖で「昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭う」と言われているからです。しかし,これが実際に体で感じる責め苦を指しているはずはありません。火の湖に投げ込まれる者は「第二の死」を経験します。(啓 20:14)死においては,意識というものはなく,それゆえに苦痛や苦しみを感じることもありません。―伝 9:5。

      聖書の中で,火による責め苦は滅びや死と関連づけられています。例えば,ヘブライ語聖書のギリシャ語セプトゥアギンタ訳では,責め苦に相当する語(バサノス)が死による処罰を指して数回用いられています。(エゼ 3:20; 32:24,30)同様に「啓示」の書も大いなるバビロンに関し,「彼女の焼かれる煙を見る時,……地の王たちは,彼女のことで泣き,悲嘆して身を打ちたたくであろう。また,彼女の受ける責め苦[ギ語,バサニスムー]を恐れるあまり,遠く離れたところに立(つ)」と述べています。(啓 18:9,10)この責め苦の意味については,後にひとりのみ使いが,「大いなる都市バビロンはこのように,速い勢いで投げ落とされ,二度と見いだされることはない」と説明しています。(啓 18:21)ですから,ここで言う火による責め苦とは,滅びの同義語であり,大いなるバビロンの場合には永遠の滅びを指しています。―啓 17:16; 18:8,15-17,19と比較。

      したがって,火の湖で「永久に責め苦に遭う」(ギ語,バサニゾーに由来)者たちは,復活のない「第二の死」を経験します。それと関連のあるギリシャ語バサニステースは,マタイ 18章34節で「牢番」と訳されています。(改標,新世,ダイアグロット。マタ 18:30と比較。)それで,火の湖に投げ込まれる者たちはとこしえに死によって拘束される,つまり“牢に入れられる”ことになります。―「ゲヘナ」; 「責め苦」を参照。

  • ピノン
    聖書に対する洞察,第2巻
    • ピノン

      (Pinon)

      エサウ(エドム)の首長の一人。(創 36:40-43; 代一 1:51,52)これらの名前は人名ではなく地名か集落名として挙げられている,あるいはこれらの名前は首長たちの支配した特定の地方もしくは都市を指して用いられるようになった,と考える人もいます。―「ティムナ,I」3項を参照。

  • 火鉢
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 火鉢

      (ひばち)(Brazier)

      一般に,平なべのような入れ物でできた暖房器具。脚を使って地面から持ち上げ,おきか炭が入れられるように設計されていました。「火鉢」と訳されているヘブライ語(アーハ)はエジプトに起源を有しており,これは火鉢自体がエジプトから導入されたものであることを示唆しています。

      暮らし向きのよい家では,火をおこせるようになっている家の床のくぼみよりも火鉢のほうが好まれたようです。エホヤキム王の冬の家には,金属製と思われる火鉢がありました。―エレ 36:22,23。

  • ピハヒロト
    聖書に対する洞察,第2巻
    • ピハヒロト

      (Pihahiroth)

      イスラエル人が紅海を渡る前にとどまった最後の宿営地。(民 33:7,8)「荒野の端のエタム」(出 13:20)に宿営した後,モーセはエホバ神から,「引き返して,ミグドルと海との間,バアル・ツェフォンを望むピハヒロトの手前に宿営を張るように」との指示を受けました。(出 14:1,2)もしミグドルとバアル・ツェフォンの位置が今日分かっているのであれば,ピハヒロトの同定は難しくないでしょう。しかし,実際にはそうではなく,それらの地名やピハヒロトという名をエジプト東部の国境に沿った特定の場所と結び付けようとする人々の意見も様々に分かれており,決定的と言えるものは一つもありません。そのようなわけで,ピハヒロトの位置をある程度つかむ上で最も確かな根拠となるのは,記述そのものに含まれている他の特定の地理的条件であるように思えます。

      ピハヒロトは紅海に近いある地点にあり,追い上げて来るエジプト軍の手を逃れるためには,海そのものを通り抜ける以外に道はありませんでした。その辺りの海は,水が「二つに分かれて」「海の中」に道を作り,両側に水の「壁」ができるほど十分の深さがあったに違いありません。(出 14:16,21,22)スエズ湾の北には,この条件に十分かなう場所はありませんでした。現代の多くの学者たちが,スエズの北約25㌔のところで始まる,浅いビター湖の一帯を渡ったとする説を支持していることは確かです。しかし,この説には,横断の奇跡的な性質を否定する見方か(横断したのは湿地か沼地に過ぎなかったと主張している),あるいは紅海の北端が古代にはビター湖の一帯まで続いていて,当時はそこが今よりもずっと深かったとする考え方が伴っています。ところが考古学的証拠は,古代からそこの水位がほとんど変わっていないことを示しています。

      このような理由で,以前(19世紀)に学者たちが推していた説は今も聖書の歴史の諸条件に最もかなうように思われます。ピハヒロトはスエズの南西約20㌔,ジェベル・アタカの南東のふもとに沿って広がる狭い平野にあったようです。横断はラース・アタカと呼ばれる岬から始まり,海底を通って,対岸のアユーン・ムーサというオアシスの付近で終わったと言われています。この部分の海底は両側からそれぞれ幅3㌔の浅瀬が突き出ているため,どちらの岸からも非常になだらかに傾斜しています。このルートの中心付近の最大水深は約15㍍です。岸から岸までの距離は約10㌔ですから,300万人と想定されるイスラエル人が海底を進み,同時にファラオの軍勢がイスラエル人の大群に追いつこうとして,奇跡的に設けられた道を通るスペースは十分にありました。―「出エジプト(エジプト脱出)」(エジプト脱出の経路)を参照。

      この見方は,西暦1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスの伝える伝承,つまりイスラエル人は横断する前に『近づき難い絶壁と海との間に閉じ込められた』とする伝承と大体一致しています。(ユダヤ古代誌,II,324 [xv,3])さらに,イスラエル国民がエタムから上述の場所に『引き返した』とすれば,ファラオが彼らについて「彼らはあの地でまごついている。荒野が彼らを封じ込めた」と言うであろうというエホバの予告とも十分調和するでしょう。(出 14:3)スエズ以北にはこれが当てはまるような場所はまずありません。同様に,ジェベル・アタカの付近にピハヒロトがあったとすれば,ファラオの軍勢がメンフィス(当時のエジプトの首都と思われる)からシナイ半島に至る正規の行路を通って,逃げるイスラエル人をかなりの勢いで追い上げることもできたでしょう。―出 14:4-9。

      ピハヒロトがそのような場所にあったとする説は地理的な条件を満たしていますが,この説はあくまでも暫定的なもの,将来確認されるかもしれない事柄に依存するものとみなさなければなりません。

  • ヒビ人
    聖書に対する洞察,第2巻
    • ヒビ人

      (ヒビじん)(Hivites)

      ハムの息子カナンから出た民。(創 10:6,15,17; 代一 1:13,15)ヒビ人は族長ヤコブの時代にはシェケムという都市に住んでいました。シメオンとレビに率いられたヤコブの息子たちは,妹のディナが長ハモルの息子シェケムによって汚されたため,男子を一人残らず殺してその都市のものを強奪しました。―創 34:1-29。

      イスラエルが約束の地に入った時,ヒビ人は神がイスラエルの前から追い立てると約束されたカナンの地の七つの国民の一つでした。(出 3:8,17; 13:5; 23:23,28; 33:2; 34:11)これらの国民はイスラエルよりも数が多く強大であると言われていました。(申 7:1)モーセはイスラエル人に,それらの国民の忌むべき慣行とその偽りの神々のゆえに,彼らを滅びのためにささげ,彼らの諸都市を攻め取る際には一人も生かしておくことがないようにと命じました。もしそうしないなら,彼らはわなとなって,イスラエルが神の不興を買うよう仕向けることになったでしょう。―レビ 18:27,28; 申 18:9-13; 20:15-18。

      聖書は,ヨシュアがそれら諸国民の都市をことごとく滅ぼしたいきさつを記録しています。(ヨシュ 10,11章)「ミツパの地のヘルモン[山]のふもと」に住むヒビ人は,ハツォルの王ヤビンの命令に従ってカナン人の王たちに加わり,ヨシュアに立ち向かった部族の一つでした。(ヨシュ 11:1-3)ヒビ人はイスラエルと戦って敗北を喫した者たちの中に挙げられています。(ヨシュ 9:1,2; 12:7,8; 24:11)しかし,ヒビ人の国民の中にも助命されたグループが一つありました。(ヨシュ 9:3,7)それはギベオン人のグループで,彼らはヒビ人の他の3都市をも代表していたようです。これらの人々だけがエホバを恐れ,エホバがイスラエルのために戦っておられることを認めていました。彼らは策略を講じて何とかイスラエルの指導者たちと契約を結ぶことができたので,殺されることなくイスラエルの召し使いにされました。(ヨシュ 9:1-15,24-27)これは,カナンに対するノアののろいが成就したことを示す一例です。ギベオン人とその仲間たちは滅ぼされなかったものの,セム人の奴隷になったからです。―創 9:25-27。

      ギベオンがイスラエルと契約を結んだために周辺のカナン人諸国がギベオンに攻めて来ましたが,その際エホバは,イスラエル

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