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裏目に出た主教の嘲笑目ざめよ! 1981 | 2月22日
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裏目に出た主教の嘲笑
それは1860年のことでした。オックスフォード大学では,英国科学振興協会の会議が開かれていました。そこには,進化論者のトーマス・H・ハクスリーとその学説に激しく反対するサムエル・ウィルバーフォース主教が出席していました。しかし,ウィルバーフォースは,「ハクスリーの類人猿の先祖について無礼な個人的質問」をして自分の論議を台なしにしてしまいました。
ハクスリーはウィルバーフォースが墓穴を掘ってしまったことを察知し,答えを求められてこう語りました。「惨めなサルを祖先に持つ方が良いか,それとも生まれつき高い能力と大きな影響力を持っていながら,そうした能力や影響力を厳粛なる科学的論議の中に嘲笑を入り込ませるためだけに使うような人間を祖先に持つ方が良いか,という質問を私にしておられるのですか。それでしたら私はためらうことなくサルの方がましだとお答え致します」。
ウィルバーフォースの嘲笑は裏目に出ました。ウィルバーフォースが次の聖書の諭しに従っていたなら,どんなに良かったことでしょう。「主の奴隷は争う必要はありません。むしろ,すべての人に対して穏やかで,教える資格を備え,……好意的でない人たちを柔和な態度で諭すことが必要です」― テモテ第二 2:24,25。
真のクリスチャンには,人格性を持たれる全知全能の創造者による創造の証拠として,霊感を受けた神の言葉があるだけではなく,自然界の明白な事実すべてが,神による創造に対する揺らぐことのない信念を擁護するものとなっています。
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聖書に関する知能テストをしてみませんか目ざめよ! 1981 | 2月22日
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聖書に関する知能テストの答え
32ページの聖書クイズをご覧ください。
● つぶやいたために,らい病にかかる ―
ミリアムの場合のようなつぶやきは,ある種の悪行に対する単なる苦情ではありません。それは不満や不平の表われで,大抵,自分自身を重視しすぎることにより引き起こされます。それで,エホバはらい病をもってミリアムを七日間辱められたのです。―「ものみの塔」誌,1979年4月15日号,24ページ。
● 遊女の家へ ―
サムソンは敵のペリシテ人の領地にいたので,その晩寝泊りできる唯一の場所はその遊女の家でした。士師記 16章1節の記録はサムソンがその女を買ったとは述べていません。しかし,ペリシテ人はそのような結論を下していたと思われます。彼らは朝までサムソンを待つことにしたからです。ところが,サムソンは夜中にその都市の門を引き裂き,この町の防備を解いてしまいました。―「ものみの塔」誌,1979年5月15日号,31ページ。
● 健康が損なわれている人のバプテスマ?―
聖書は,完全に水に浸すバプテスマが極めて重要であることを示しています。ですから,その人の状況により,特別な処置が必要な場合であっても,できる限りバプテスマを受けるべきです。しかし,新たに献身した人にとってバプテスマを受けることが身体的に不可能な場合,神がその状況を憐れみをもって見てくださることを確信できます。―「ものみの塔」誌,1979年8月15日号,31ページ。
● “自己主義<ミーイズム>”の始まり ―
自己主義<ミーイズム>,つまり自分を崇拝することの起源は最初の人間夫婦にまでさかのぼります。そして,それは終わりの日に見られるようになると予告されていました。聖書のテモテ第二 3章1,2節はこう述べています。『終わりの日には……人びとは自分を愛する者となります』。―「目ざめよ!」誌,1979年7月22日号,6,7ページ。
● ロトは自分の娘たちを差し出す ―
ロトは当初知らずしてみ使いをもてなしたとはいえ,その時までにはそれが神の使者であることに十分気付いていたかもしれません。ですから,自分の娘たちに対して深い愛着を覚えつつも,必要とあらば娘たちを進んで犠牲にしようとロトは考えていたのかもしれません。ロトは,エホバのご意志なら,神はエジプトですでにサラを守ったと同じように,自分の娘たちをも守ってくださるとの確信を抱いていたとも考えられます。そして,娘たちは安全に守られました。―「ものみの塔」誌,1980年3月1日号,31,32ページ。
● 子供に体罰を与えるのは正しいことか ―
適切なものであれば,体罰は懲らしめの一つの形としてそれなりの価値があることを聖書は示しています。箴言 23章13節と14節で聖書はこう述べています。「むちで彼を打っても死ぬことはない。もし,むちで彼を打つならば,その命をよみから救うことができる」。(口語訳聖書)―「目ざめよ!」誌,1979年8月8日号,29ページ。
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