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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
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永遠の讃美を新しい世の主権者に捧げなさい

『われ日ごとに汝をほめ,世々かぎりなく聖名をほめたゝえん。』― 詩 145:2。

1 誰が新しい世の主権者ですか,そして何故?

ヱホバは主権者です。何故ならば,ヱホバは,キリストをも含めて,他のすべてのものの上に立つ首であり,最高者だからです。『キリストの頭は,神である。』(コリント前 11:3,新世)新しい世に於いては,その創造者であるヱホバ神の他に,如何なる者も主権者になる事は出来ません。しかし,ヱホバ神は,新しい世を支配するというその誓約,あるいは厳粛な契約を遂行するのに,キリスト,すなわち彼の王たるべき子,イエスを用います。

2 詩篇 145篇1節で大いなるダビデは何を認めて居りますか? そして,神の聖名に関して私達は何のために働かねばなりませんか?

2 力ある王が,力に於いて絶対でなく,彼よりも上なる者,すなわち彼の上に立つ主権者に従属しているということを認識する事は,非常に重大なことです。古代エルサレムのダビデ王は,その事を認識しました。そして次のように言いました。『わが神,わが王よ,われ汝をあがめ世々かぎりなく聖名をほめ奉らん。』(詩 145:1)今日では,大いなるダビデ,すなわち主イエス・キリストが居ります。そして彼は今,天的シオンの山で統治して居ります。西暦1914年以来,イエスは,神の名によつて,新しい世の王として統治します。イエスの統治の主なる目的は,彼の神でありまた主権の王をあがめる事です,というのは,現在人々と悪鬼共は,全宇宙の歴史に嘗つて無い程に神の名に多くの非難を浴びせて居るからです。神の讃美と崇拝に献身しているそのような王が統治していますから,神に対する非難は,そう長くは続きません。ヱホバの王と調和して,私達は神の聖名に浴せられた非難を取り除くよう働かねばなりません。先ず,共同相続者で油そそがれた遺残者はそうしなければなりません。そして今では,また将来に臣下となる大いなる群集もそうしなくてはなりません。―黙示 7:9-15。

3 ヱホバはどのように神権者ですか? キリストの使徒達のように,私達はどの程度まで此の事実を認めていることを示すべきですか?

3 イエスは,神を王として認めています。若し,私達がイエスに従うならば,私達もまた神の王なること,すなわちヱホバの王なる事を認めます。ヱホバは神であると共に,王であります,それで彼は聖なる王,すなわち神権者,または神としての支配者になります。目に見えるものでも,目に見えないものでも,この全宇宙の中に,そのような神としての王は居られます。この事実によつて,神の支配と人間の支配が衝突する時,神の王の律法と人間の政治的な律法が衝突する時,私達は,どんな事があつても妥協を排する態度を取らねばなりません。19世紀前,ユダヤのサンヘドリン,すなわちエルサレムにあつた最高法廷は僧侶達や他の宗教指導者で構成され,神を代表していると主張しましたが,神のキリストを排斥しました。キリストの使徒達が,キリストの名に基いて教えるのを止めさせようとして,彼等が法律を作ろうと努めた時に,使徒ペテロとヨハネは言いました。『神よりもあなた方に聴く方が,神の前で正しいかどうか,あなた方は決定しなさい。しかし,私達に関するならば,私達は見たこと,聞いた事に就いて話すのを止めることは出来ない。』神の主権の命令に従つて,彼等は証者でなければならぬ,と明白に語りました。反クリスチャンの法律に違反しているという告訴に対して,この同じ法廷の前で,今一度ペテロとその仲間の使徒達は,一致してこう答えました。『私達は,人よりも支配者である神に従わなければならぬ。……そして私達は,これらの事柄に就いて証者である。そして,支配者として神に従つている者達に,神が与えた聖霊も証者である。』― 使行 4:19,20; 5:29-32,新世。

4 ヱホバが王で居ますという事に対するそのような決定は,私達をどのように落ち着かせますか? そして如何にして,また何処で私達は彼をあがめなければなりませんか?

4 ヱホバのクリスチャン証者は,このような立場を取る故に,苦しみを受けるかも知れません。しかし,ヱホバを神とし王とするキリストのような決定をする時,私達は強固になり,落ち着きます。此の決定の力によつて,地上に必ず起る政治的な変化にもかかわらず,私達は勇気を以つて将来と直面する事が出来ます。私達は変ることはありません。私達の生活に於ける主なる支配は,変ることなく永遠に定められて居ます。私達は,動揺する必要はありません。私達の生活に於いて,ヱホバを神とし王としてあがめ続けなければなりません。それはこういう事を意味します。すなわち,あらゆるものにもまして私達はヱホバを崇めなければならず,私達の生活に於いてヱホバを高きものとしなくてはなりません。それから,私達は,他の人達の生活に於いてもそうするよう努めます。それは,ヱホバの至上権と,ヱホバは他の者に対して王である事をいたるところで,宣べ伝える事に依ります。

5 永遠に神の聖名をほめ称えようとする決心は,何を示しますか? そして此れはどのように可能ですか?

5 或る事を永遠に,かぎりなくする決心であると,あなたが言う時,それは,あなたが永遠の生命を得るという強い希望を持つている事を示します。若し私達がヱホバの王,イエス・キリストと共になつて『世々かぎりなく聖名をほめ奉らん。』と言うならば,私達は永遠の生命の強い希望を持たねばなりません。ヱホバの聖名を崇めるという決心は,如何なる時に於いても為す価値のあるものです。というのは若し私達が永遠に聖名を崇めようと決心するならば,私達は正しい道から間違えることはありません。そして聖名を崇めようと決心する者達だけが終りない生命を与えられ,祝福されるでしよう。中途半端とか優柔不断などは許されません。何故ならば,此の正しい途を止めることは決してあつてはならないからです。ヱホバを神とし,王として崇めようと決心する者は,非常に良い動機を持つて居ります。その動機は,永遠の生命の冠を与えられる程に価値があります。そして,その人をして,その決心を遂行させることが出来るようにします。キリストの共同相続者の油そそがれた遺残者は,此の地的な生命ではない,それ以外の希望を持つて居ります。それですから,上にある御国に於いて,この決心を遂行することが出来るのです。現在,この遺残者と伴になつている大いなる群集は,地上に於ける果てしない生命を強く期待して居ります。それは,新しい世の主権者を世々かぎりなく崇めるためです。

6 彼の聖名をほめ称えるという事は,何を意味しますか? この事に於いて,私達の一番の手本は誰ですか?

6 ヱホバの聖名を崇める事は,聖名を良く話すことであり,名誉を聖名に帰し,高めることを意味します。そしてまた,常にヱホバへの誠実を保ち,どんなことがあつても,サタン悪魔に迷わされたり強制されたりして神を呪い,放棄してはならないことを意味します。サタンはヨブをして神を呪わせ,神を放棄させようとしました。しかしヨブは誠実を破らず,神を呪いませんでしたので,サタンは失敗しました。神の助けがあるならば,私達もヨブのした事が出来ます。神に就いて,決して悪い言葉を言わず,神に対して,決して不平を言わず,欠点を見つけ出さず,また私達の心の中であれ,他の人の心の中であれ,神の善なることを,決して疑つてはなりません。神を崇めることに於いて,ヱホバの油注いだ王イエス・キリストは私達の最上の手本です。イエス・キリストはヱホバに対する誠実を決して破りませんでした。イエスは,神を敬う王であり,神への忠誠は決して変ることのない王です。そして,イエスは,私達を助けて,私達が誠実を守つて,私達の神を崇め続けさせます。

7 彼をほめ讃える事は,時間に関してどんな種類の奉仕ですか? そしてキリストでさえも,その御国に於いて明らかに何をして居りますか?

7 私達の生活しているこの毎日,私達がヱホバを崇める事は正しいです。そうしなければ,一日は何んと空虚な,空しい,目的のないものでしよう! それですから,私達は毎日を良く注意しなければなりません。『われ日ごとに汝をほめ世々かぎりなく聖名をほめたたえん。』(詩 145:2)こうしようと決心すれば,私達は神への全時間奉仕に従事するようになるかも知れません,或いは少くとも,私達の業が,神に対して最も価値あるものとするよう努力いたします。『人にではなく,ヱホバに仕えるように全霊をもつて』しなさい。(コロサイ 3:23,新世)『神の栄光のために,すべての事をしなさい。』(コリント前 10:31,新世)神を崇める事は,毎日の奉仕であり,一日中の奉仕であり,一生の奉仕であり,老年になつたから引退するというものではありません。他の者の前で,いつも私達はヱホバの恵みを証言するよう努力すべきです。地上に於いて,イエスは,特にこのことをいたしました。イエスはナザレで大工の職を止め,浸礼を受け,伝道に出掛けて行き,死ぬまで証言を続けました。復活した日に,イエスはまた証言を始め,昇天の日でも,イエスは証言して居りました。このことから,その御国に於いて,イエスは今何をしているに違いないということを,私達はそれとなく,知ることが出来ます。イエスは毎日,神の福祉のために支配し働いて居り,また,新しい世の主権者である神を崇めるよう,御国の臣下のすべてを訓練するのに努められて居ります。

8 ヱホバの聖名を讃美する事は何時始まりますか? そして,何故それは新しい世で果てしなく続くのですか?

8 今,現在に於いて,ヱホバは敵により悪い名前をつけられて居り,又クリスチャンであると装う多くの人からも悪く言われています。これに対しては,偽りの神であるサタンが一番の責任者です。しかし,それだからといつて,私達はヱホバの聖名を恥じるようになり,無名のままにして置くべきでしようか? そうするならば,私達はどのように新しい世の王に従うことが出来,彼より是認されましようか? 私達は,その聖名によつて,私達の神を,はつきりと示すべきです。その聖名を一番顕著なものとするべきです。そして,自称の友ばかりでなく,その敵によりつけられたすべての汚れを,聖名より清めるべきです。私達の永遠の生命は,それに依るのです。何故ならば,ヱホバの聖名を世々限りなくほめ讃えることは,今此処で始まるからです。たとえ,新しい世に於いての生命が果してないものであるということを別にしても,私達は常に神の聖名をほめ讃えるべきであります。一体どんな悪い事,一体どんな不信実な事を,ヱホバは今までにしましたか? 全然,全くありません! ヱホバは,その聖名を栄光でもつて永遠に包むでしよう。私達は,その聖名を,讃美と崇拝で包むべきです。

9 どの程度まで私達は彼を讃美すべきですか? そして何故私達が彼を讃美することは益のあることですか?

9 『ヱホバは大にましませば,最もほむべきかな。その大いなることは尋ねしること難し。』(詩 145:3)ヱホバは,『大いにほめ讃えらるべきである。』『高く讃美せらるべきである。』『讃美を受けるのに,非常に相応しい方である』(ロプス。ア訳。カソリック聖書クラムボン)そのようにほめ讃えることは,制限された讃美ではなく,あるだけのすべての讃美です。その讃美は,すべての他のものの讃美よりも秀れ,多くなければなりません。毎日,ヱホバをほめ讃える理由は加えられます。私達の個人的な生活に於いてもそうですが,その民となされている神の関係に於いては,特にそうです。私達は,その神の民と交際るという特権を持つて居ります。神の聖書を読みなさい。著名な僕達や,その民すべてに,神は何を為されたかに,気をつけなさい。今日でも,神はその民を持つて居られます。その民は,神の聖名でもつて呼ばれ,現代の神とその民との関係は,古代の模型の民との関係と類似しています。古代の模型の民達は,多くの予言的劇をなしました。私達が,現在新しい世の社会として,その民であるのは,或る一人の人とか,人達ではなく,ヱホバがそうされたからであります。ヱホバをほめ讃えることは良いことであり,精神的に健康なことです。何故ならば,ヱホバへの讃美を述べることは,ヱホバへの感謝を深めるからです。

10 ヱホバの大いなることは,どのように示されていますか? 何故いつも彼は興味深い方ですか?

10 その体について,ヱホバ神がどれ程に大きいか,私達は知りません。ヱホバ神の真の大きさは,どのような種類の神であるかによります。これは,私達が探し測る力以上のものです。事柄をなす能力に於いて,ヱホバは全く果てしない程の方であります。私達の目に見える,神の創造の果に,私達は達する事が出来ません。ましてや,目に見えない創造に於いては,私達は到底知ることは出来ません。しかし,その創造の業を除いて,ヱホバは何と雄大に御自身を処せられているでしよう! 真の神のように,何と良く,その創造した者を取り扱われるのでしよう! 何という完全な性質をヱホバは示されるのでしよう。その目的,その約束,その契約に対するヱホバの忠実さ。その言葉を間違いなく守ること。その智慧により,その先見により,その目的についての一時的の奥義を示される方法によつて,どれ程私達は驚かされることでしようか! すべての書物の中で,その聖書は何という書物でしよう。16世紀間に亙つて書かれて完成した66冊の本の,初めから終りまで,素晴らしい程に一致調和して居ります。その聖書の包含する人類歴史の7000年の間,聖書はヱホバの至上権を立証し,変ることのない人類を永遠に祝福するという目的を示します。今や,私達はその立証を見て居り,その祝福は栄光のうちに実現されています。そのような測り知れない偉大さの故に,いつもヱホバ神は興味深い方です。地上に於いて救われた人類は,どんなことがあつても決してヱホバ神とその業を知り尽くすことはありません。

『この代よりかの代に』

11 油をそそがれた遺残者達は,どんな種類の民族ですか? そしてその数に於いてどのように彼等は形成され,保たれますか?

11 ある特別な個人が特権を以つて行動しようとしなかろうと,ヱホバについての一つの事は確かです。『この代は,かの代にむかいてなんじの事跡をほめたたえ,なんじの大能のはたらきを宣べつたえん。』『代から代まで,汝の業をほめたたえん。』(詩 145:4,ア標。ロプス)此の古い世に於いて,私達は最後の代に居ります! そのことを考えて御覧なさい! そう考えると,私達の身体は少し震えるかも知れませんが,しかし,それは真です。(マタイ 24:34)しかし,また此の世の終りに生き残る二つの他の代があります。どうしてそうですか? 良く考えてごらんなさい。キリストの御国の共同相続者の油そそがれた遺残者は,霊的な民族であつて,文字通りの肉の子孫によつて新しい世代を造り,育てようとはしません。その遺残者の成員は,肉の子供を養い育てることによつて形成され,保たれたのではありません。しかし,それは霊的な方法,すなわち御国の音信の力と神の聖霊の生み出す力によつて保たれて来ました。遺残者は,その数に制限があります。それで,現在では遺残者の人数は,頭であるイエスの下14万4000の成員で成り立つ『キリストの体』をすつかり完成するのに十分なだけです。此処地上に於いて,遺残者のその数が完成した時に,遺残者は,神の霊的代であるとして自分自身の事だけに全力を集中しないでしようし,神の業をただ自分自身にだけにほめ讃えることはないでしよう。或る者は,利己的な気持から,こうしようと努めました,しかし,主であるイエス・キリストにたいして『悪い奴隷』となりました。

12 現在,その遺残者達を神が用いることによつて,何が養い育てられて居りますか?

12 ヱホバの偉大さは,また古い世のこの『終りの時』に於いて,その油そそがれた遺残者達を用いてしている事に明白に表われて居ます! その結果として,一つの新しい代は起きつつあります。何故ならばヱホバは今,地的な社会を養われて居るからです。その地的な社会は,ハルマゲドンを生きたまま通過するでしよう。遺残者達と比較しますと,御国の伝道に答え,新しい世の主権者として神に自らを献身する者は,キリストを通じての神の生命を与える力により地的な代を形づくります。

13 現在,一つの代はヱホバの業をどのように他の代にほめ讃えますか? そしてどのように彼の大能あるはたらきを言い表わしますか?

13 ハルマゲドンと共に結婚はなくなりません。これらのハルマゲドン生存者は,地を充すために多分孫から,曾孫までの子孫を得るでしよう。これらハルマゲドン生存者は,伝道の書 1章4節の長期間に亙る規則に依れば死亡して,後継者として,彼等の子孫に新しい世を譲り渡すということはありません。決してそういうことはありません。これらの生存者は,地上に於いて永続する代の人達です。彼等の息子達,孫達,そして曾孫達は,現在始まつたその永続の代に,ただ加わり一緒になるだけです。ハルマゲドンを生き残る霊的遺残者も,最後には地上より去り,決つして戻ることなく,此の地的の新しい世の社会から全く離れ去るでしよう。その時まで,遺残者は,ヱホバの業を讃美し,頌え,そしてすでに始まつた此の代の人々にヱホバの能力ある働きを,宣べ伝えるでしよう。これをするために,遺残者は伝道に出掛けなくてはなりません。1931年以来,遺残者達は伝道の仕事を著しくいたしました。そして1935年以来は,より一層の熱意を以つて,してまいりました。1935年に,黙示録 7章9-17節に書かれてある『大いなる群集』は地的の代の現在の成員であるということが明らかになりました。遺残者達は,此の増し加わる新しい代の人々に,神と神の業,および神の能力あるはたらきを知らせます。遺残者達は,そのような事についての聖書の記録を用い,そして,神がその御国と民達に対する目的と予言をどのように成就されたかを示すことによつて,今日にいたるまでの神の業と能力ある働きを述べます。それらの成就とは,私達の住んでいる此の非常な時代,特に1914年以来になされたものです。

14 何について私達は深く考えるべきですか? そしてどのように,また何故?

14 他の人達に,神と彼の性質そして行為を語ろうとする前に,私達はしばしば私達自身に向つて語らねばなりません。すなわち,自分自身に話さなければなりません。それは,事柄を私達の心の上に印象づけて,私達の舌を導くためです。そのような静思と自己準備は良いものであつて,良い結果を生むものです。これは私達の王イエス・キリスト,すなわち大いなるダビテに於いても真です。『われ汝のほまれの栄光ある稜威と,なんじの奇しきみわざとを深く思わん。』あるいは『自分に語らん』(詩 145:5,改正訳。ロプス)私達が心を集中して,ヱホバ神を主権者として深く考える時に,私達の目は開き始め,ヱホバのほまれの栄光ある稜威を知ることが出来ます。そのような事を深く考える為に,私達は或る個人的な,一人だけの研究をしなくてはなりません。私達自身が知るために,そして私達自身の印象と自己確信を深めるために,私達はそうする必要があります。そうすれば,私達は他の人達に正しく語る事が出来ます。洗礼を受けた後,イエスは荒野で40日断食し,他の者から離れて居ましたが,その間深く考え,開けた天が彼に示したもののすべての意味を理解し,把握しようと努めました。それで,イエスは誘惑者とその攻撃を斥けることが出来,そして其の後,イエスは公然と語り,そして,それら他の者達をも語らせました。

15 語らねばならないのは誰ですか? そして何について?

15 『人はなんじの畏るべき動作のいきおいを語り,我はなんじの大いなることを宣べつたえん。』(詩 145:6)此処で強く言われている事は,神について,そして神が何を為し,また今何を為しているかについて語ることです。それはつまり,霊的代の人達を語らせ,ヱホバについて話し,互いに神への最も聖い信仰を建てることです。そして又,新しく起きつつある代,すなわち決して死ぬことのない代の人々に知識を与え,教育することです。(ヨハネ 17:3)それですから,私達の会話の中心は,大いなる生命の与え主であり,不思議な業を為す方でなければなりません。ヱホバの為す業は,不思議な業です。その業は,ヱホバの友を惑わすのではなく,友を救い祝福するのです。地的代の者を助けて神の業を認識させ,理解させるのは,霊的代の者の仕事です。

16 その臣下に対して,神権的な王がする最初の事は何ですか? 1953年に至るまで,ヱホバの王はどのようにしましたか?

16 地上に居る時,イエス・キリストは躊躇せずに,天的父の大いなることを宣明しました。イエスの共同相続者の遺残者も,また躊躇しないでしよう。それで,王であると共に,また詩篇を書いた作者はこのように言いました。『我はなんじの大なることを宣べ伝えん。』王にとつて,最初の事は,自分の事を自慢し臣下達から称讃を得ることではなく,王の崇拝する神を崇めることでした。大いなるダビデである王は,従属の王としてヱホバの王座に坐して居ります。彼は,臣下達の真の支配者は誰であり,ヱホバの支配する事と臣下達が心から従属することは如何に価値あるものであるかを,強調して,臣下達に教えなければなりません。その従属の王は,神に反対して自分自身を崇めません。そのようなことは,サタンのしたやり方であり,ネブカデネザルが気の狂う少し前にしたやり方でした。神を敬う王は,牧羊者のようです,そしてその臣下を正しい途,正義の路に導きます。臣下に話しをする為に,王は集会を開催するでしよう。神が,その民に定める集会から,彼は自分一人だけを除外しようなどはしません。彼は,集会に出席し,集会に参与し,そして集会に貢献するでしよう。集会は,ヱホバの大いなる事を宣べ伝える一つの場所です。私達の王であるイエス・キリストは,このように約束されました。すなわち,二人,三人という程にどんなに小さい群であろうと,イエスの名によつて互いに集まる時に,彼はその集会の中にいるであろうということです。1953年7月19日から26日まで,ニューヨーク市のヤンキー野球場で行われたヱホバの証者の新世社会の大会の時に,イエスがその大会に出席されていたということは,何と明白に表われたことでしよう! その大会の時に,イエスの『小さな群』の遺残者と,彼の他の羊の『大いなる群集』は互いに集まり,クリスチャンの歴史に於いて最も大きな証言をいたしました。ヱホバの畏るべき業の能力について,彼等はどのように語つたことか! 彼等は今でも,それを語つて居ります。

17 ヱホバの大いなる恩恵のほまれに就いて,私達は何をすべきですか? そして,私達はどのようにして古代イスラエルの間違いを避けることが出来ますか?

17 『かれらは,汝の大いなる恵みの跡を言い出で,なんじの義をほめ歌わん。』(詩 145:7)ヱホバは,その恵みのあることによつて,良く知られて居り,そしてその民達は,その恵みのあることによつてヱホバを良く知つて居ります。ヱホバの恵みは,そんなにも多く,豊かですので,ヱホバの民はただ,その恵みの跡と記憶を,言い出だす,すなわち感謝の表現の強い流れの中に発表します。そうすれば,他の者達も,ヱホバは彼に献身する者達に,どのように恵みあるかということを学ぶことが出来ます。そのように恵みある神を知ろうとし,また崇拝しようと強く欲するすべての者達,そしてそのような神と関係を持つて生活しようと欲する者達は,ヱホバは恵みあるという名声に引きつけられます。しかし,偽りの神々,すなわち悪い悪鬼達を崇拝する者達は,ヱホバがその民に与えられる恵みを嫉みます,そして彼等は,ヱホバの民からその恵みを取り去ろうと努力します。ヱホバの民として,私達はヱホバの豊かなる恵みを記憶して居るべきです。そして常にヱホバの恵みを心に思い,感謝の気持をもつてヱホバの恵みを語るべきです。神の此の親切な性質によつて,私達は最初に神に対して悔い改めたのです。そして他の者も,神の此の性質を学ぶ時に悔い改めをいたすでしよう。(ロマ 2:4)ヱホバの恵みを忘れることは,害のあるものです。イスラエル人が神の恵みを忘却した時に,彼等は感謝の気持を失い,非難をし,他の神々と交渉を持つことを願い始めました。それで,彼等は悪くなり,非常な難儀を受けたのです。(詩 106:13-43)私達は,イスラエル人の間違いを避けたいです。私達は避けることが出来ますが,それは,ヱホバの余りある豊かな恵みを記憶し,そして言い表わすことによつてです。そして私達は,謙遜を保ち,畏れているべきです。それはヱホバからの将来の恵みを受けるのに,私達が価値ある者とするためです。

18 私達がヱホバの正義を大きな声で歌うのに,どんな理由がありますか? そして,どのように私達はそうする事が出来ますか?

18 私達の神は,何と義しいのでしよう! 神が裁かれる時は何時でも,神は勝ちます,そして彼の述べた事と為れた事について,彼は立証されます。それですから,たとえすべての人が虚言者であると立証されても,神を真とすることは,常に良いことです。人と比較する時だけではなく,人が神々として崇拝する者と比較する時でも,ヱホバは何と義しいのでしよう! その崇拝者達の考え,行為,言葉,そして宗教に反映されている偽りの神々は非常に不正で,忌むべきものです。しかし,ヱホバは決して義なることに行き過ぎるいう事はありません。ヱホバが,罪人を義とする,すなわち義であると宣明される時でも,彼は猶義しい方であります。ヱホバは,イエス・キリストの贖いの犠牲を通しての手段をつくられました,それですから,悔い改め,その罪から離れ,キリストを通じてヱホバに献身する者達の罪を彼は取り消すことが出来るのです。そのようにして,ヱホバは御自身の義なる事を否定しません。(ロマ 3:4; 22:26)ヱホバの此の公正,あるいは正義は,私達が歌うのに大きな主題であります。聖書は私達の此の上ない歌の本です。聖書の頁から,私達は声を大きくしてヱホバの公正,彼の正しいこと,彼の正義を歌います。つまり,私達はよろこんでそれを他の者達に宣べ伝えるのです。そうすれば,他の者達も私達の神に不正が無いことを知るでしよう。―申命 32:4。

人々の救いの為に耐え忍ぶ

19 詩篇 145篇8節に述べられているヱホバの性質は,今日の霊的遺残者達に対してどのように表現されますか?

19 私達は『終りの時』に住んで居ります。この時代に,ヱホバは比の古い世のすべての不正を滅ぼされるでしよう。私達は,危く古い世と共に滅ぼされる許りではありませんでしたか! 真にヱホバは,大いなるダビデ,すなわち私達の王の如くに義しい方であります。ヱホバに就いてこう述べられています。『ヱホバは恵みふかく,憐情みち,また怒り給うこと遅く,憐憫大いなり。』(詩 145:8)私達が最初に,神の恩恵に与り,そしてキリストを通じて神の恵みに浴した時,ヱホバは此等の素晴らしい性質を示され,私達は恩恵を蒙つたのであります。私達は未だに罪人でありますが,ヱホバが私達のためにされたことを見てごらんなさい。ヱホバは天より彼の愛する子を遣されました。それは私達のためにその愛する子が死ぬためであり,そして私達が神と和ぎ,神の憐情を味い知るためなのです。(ロマ 5:6-11)このようにして,神は私達に対する愛を表明されたのであります。しかしその一般的な恵みに加えて,神はこの『終りの時』に於いて,その油そそがれし遺残者達に,何という恵みを与えられたのでしよう! 何故ならば,1918年に第一次世界大戦が終結した時に,彼等は人を恐れ,また此のバビロン的な世に汚されてヱホバへの義務を忘れて居りました。しかし,世と共に彼等を滅ぼす代りに,ヱホバはサタンの制度に及ぶ艱難の日を短くしました。ヱホバはサタンの制度を妨害して,ハルマゲドンの戦いの始まる以前に,恩恵の期間を設けられました。彼は,遺残者達を救われたのです。彼等は,未だに肉の人間でありましたが,此の戦後の時代に於いてヱホバの証者とし,また御国の大使として大胆に奉仕に励みましたので,自分自身を救う機会を得ることが出来ました。ヱホバが彼等に恩恵を与えて,艱難の日を短くし,彼等を再び証言の業に従事させた事は,他の者への恩恵という結果になりました。即ち,その他の者とは,彼の正しい牧羊者,イエス・キリストの他の羊の『大いなる群集』のことです。―マタイ 24:21,22。黙示 7:1-17。

20 現在にいたるまで,人類の世代に対して,ヱホバはどのように『怒ることに遅い』ですか?

20 『怒り給うこと遅く!』 ノアの時代に地球全体に及んだ大洪水以来,神との関係を有した人類の世代の者達に対して,ヱホバは確かに『怒り給うことが遅い』方であります。ヱホバはハルマゲドンを待つて居られます。ハルマゲドンは大洪水によつて予影された恐ろしい艱難です。ヱホバは,1918年にハルマゲドンをもたらさず,また『天に於ける戦争』のすぐ後にももたらしませんでした。その『天に於ける戦争』によつて,サタンは天から地上に追い落されたのです。その時より,今はもう36年経つて居ます,そしてこれらの年月は,ヱホバが『怒り給うこと遅く,憐憫大いなり』という記録に加えられているものです。ペテロの忠告を聞き入れて,私達の神のそのような忍耐を救いとして考えることは非常に良いことです。それは,私達自身が救いを得る機会でありますが,また他の羊を助けて救いを得させる機会であります。(ペテロ後 3:15)此の古い世は破滅の運命であり,その破滅は当然なものであるということを私達は知つて居ります,それですから,私達に対するヱホバの行為の中に,その非常な恩恵の表われが見られるのです。

21 神は遅い,すなわち神は見たところでは遅いと不平を言う理由は何故ありませんか?

21 その目的に従つて,この恩恵の利を受けることは賢明です。此の世代に対して,此の思恵がどれ程までに続くか,私達は知りません。そして,また長く忍耐された怒りが何時燃え上るか,私達は知りません。神はこの事について遅い,すくなくとも見たところでは遅いということに対して,神はその良い目的を成就するのに遅いと,人間は不平を言いたがりますが,しかし,よろこびを感じなければなりません。ハルマゲドンが来る時,それはあまりに早すぎるでしよう。利己的な気持で,神の与える忠告と行動を受けるのを延期する人々にとつては,ハルマゲドンはあまりに早すぎるでしよう。その時に,人々は何を尋ねていたかを知るでしよう。人々は,私達証者達を侮辱して,神の力と大いさを表わし示す此の宇宙戦争は何処にあるのかと,尋ねていたのです。ヱホバは,何を為しているか御存知です。ヱホバは,それをするのに,御自分の予定の時に従います。嘲笑者達に徴を与えて,彼等の愚かな挑戦を満足させるために,急ぐようなことをヱホバはいたしません。ヱホバは,神の恩愚,慈悲,そして愛ある御親切を知ろうと強く望んでいる善意者を救うことを心に考えて居ります。

22 そのすべての業に対して,ヱホバのふかき憐憫はどのようでしたか? そして,1931-1935年以来,彼のめぐみはどのようにひろめられましたか?

22 真の神は,大きな心を持つて居られます。『ヱホバはよろずの者にめぐみあり,そのふかき憐憫はみわざの上にあまねし。』(詩 145:9)多くの人は,このことを認識せず,感謝して居りません。丁度イエスが山上の垂訓の中で述べた通りです。(マタイ 5:45,48)何千年という年月の間,ヱホバは深い慈悲,憐憫を施されて来ました。サタンが反逆し,人類の最初の両親を反逆に導いて,神に挑戦する状況を作つた時にも,神は心の安定を失つて,3人の反逆者を一時に滅ぼすようなことはありませんでした。最高の神に対してのサタンの自慢が証明出来るかということを験すために,サタンに時間を与えた許りでなく,これによつて,人類家族にも時間を許し与えて私達が成育し,生存するのを許して居られます。それは,神の側に立ち,サタンを反逆の噓言者であると証明しようと願う者達に,深い恩恵を示すためであります。そして,此の『終りの時』に於いて,ヱホバの恩恵はすべての人類に拡げられました。特に1931-1935年以来には,他の羊の『大いなる群』の救いは,此の『終りの時』に対しての神の計画の一部であることが明らかにされ,そして黙示録 22章17節はより広く適用されるようになりました。『聞いている者達に「来なさい!」と言わせよう。そして,渇いている者達を来させなさい。願う者達には,生命の水を無料で取らせなさい。』

23 ヱホバのすべての業が,彼に何を与える時が来ましたか? そして,その結果は,彼等にとつて何ですか?

23 創造の素晴らしい業は,その創造者にほまれを与えます。生命を持たない創造は,黙していますが,その創造者にほまれを与えます。しかし,生命を有する者,特に理智を持つ創造にとつて,神へ心からのほまれと,感謝と,そして崇拝をささげることはより大きな特権です。このような事が,いたるところで行われる時が来るということを私達は知つて居ます。『ヱホバよ,汝のすべての事跡はなんじに感謝し,なんじの聖徒はなんじをほめん。』(詩 145:10)神のすべての理智ある業が,真の心から神に感謝を捧げる時が来ました。今や,すべての人間は神に感謝する理由を知ることが出来ます。善意者もそうするでしよう,そしてそれに対する結果として,彼等に救いがあたえられるのです。

24 ヱホバの『聖徒』あるいは『恩恵の人々』とは誰ですか? それで,彼等は何を語らねばなりませんか?そして何故今ですか?

24 ヱホバの『聖徒』とは彼の『恩恵の人々』のことです。今日に於いて,彼等は新しい契約に於ける霊的遺残者です。その契約は,イエスの犠牲に基いて居ますから,『犠牲の契約』と言われています。1919年以来,大いなる審判主であるヱホバは,此の契約の下にあるそのような恩恵の人々を集めて来ました。そして今,彼等は一致して是非ともヱホバをほめ称えなければなりません。(詩 50:5)彼等はまた,神がダビデ王と結んだ御国の契約を通しての恩恵にも与ります。大いなるダビデであるイエス・キリストを通して,神は彼等を此の御国の契約に導きます。それは,彼等がキリストと共に天的御国に於いて統治し,すべての従預な人類に対して祝福となるためです。(使行 13:34。イザヤ 55:3。ルカ 22:28-30)此の御国の契約,すなわち神の恩恵の此の表われを知らさなければなりません。此の様にして,キリストによる神の御国は,彼が契約した重要な物であることを知らせます。そしてまた,神の御国は確かなものであつて,その王としては,ヱホバの恩恵によつてその権利を得た者がなるという事を知らせます。詩篇 110篇1節で,ダビデ王は此の者を『主』と呼びました。それは,ダビデの血統より出る此の御国の相続者が,その王の地位に於いてどれ程高いかを示すためです。彼の共同相続者とせられる程に多くの恩恵を受ける者は,あらゆる物の大いなる取り極め者,ヱホバをほめ讃える特別な理由を持つものです。彼等が将来統治するであろう此の地上は,ヱホバをほめ讃え始めるのに適当な場所であります。此のことを今することは,他の羊の大いなる群集が,救いを受けるのに,大きな影響を及ぼすものです,というのは遺残者達を通じて,彼等は御国を学び,御国に集まるからです。

25,26 何時ヱホバの御国の栄光は語られるべきでありましたか? そして,『御国の栄光ある御稜威』はどのように知られていますか?

25 『彼等は御国の栄光を語り,汝の御力を宣べ伝えて,その大能のはたらきと,その御国の栄光ある御稜威とを人の子等にしらすべし。』(詩 145:11,12)イエスは,教えの中で神の御国を最も重要な教理としました。此の組織制度の終りの今に於いて,イエスの弟子達は何を伝道すべきかに就いて,イエスは何と言いましたか?『御国の此の良い音信』であると,イエスは予言しました。(マタイ 4:23; 10:7; 24:14)1914年に誕生した神の御国の此の良い音信の栄光ある光りにあつて,此の世の国々の栄光は,みじめな程に色あせて仕舞います。それに,『終りの時』の間,自分自身のために,彼等が作つた記録は,全く栄光の無いものです。

26 ヱホバの御国の栄光は,最高の栄光です。何故ならば,ヱホバの御国は天的のものであつて,地的のものでないからです。しかし,目に見えないその栄光は,この地上を充すところの素晴らしい美となつて反映し目に見えるようになるでしよう。そして,地球を変化して,楽園となし其処に人間でも動物でも,完全に幸福な創造物で充ちることでしよう。如何なる君主も,大いなるダビデであるこの王と比較し得ることは出来ません。ヱホバは,その仕事につけるために,その王に油をそそぎました。ヱホバは其の王にたいして語られた通りいたします。『われまた彼をわが初子となし地の王たちのうち最もたかき者となさん。』(詩 89:27)御国はすでにその記録を作つて居ります。御国は,天に於ける最初の戦争に勝ち,敗北者であるサタンとその天使達を卑しめて,王の足の低さ,すなわち此の地的足台のところまで落しました。その王は天に於いてその勝利を得て,今や,あらゆる時の中で最も大きな戦いであるハルマゲドンで完全な勝利を得ようとされつつあります。1914年に御国を建てることによつて,ヱホバの力は表わされました。世の反対にもかかわらず,御国の建設を宣明させることによつて,1919年以降,神の力はより一層明らかにされました。神の力によつて,ヱホバの証者は御国に忠誠を保つて固く立ち,そして愛ある献身をもつて,ヱホバの証者はその力を語ります。その力は,ヱホバを宣明するハルマゲドンに於いて十分に表明せられるでしよう。

27 彼等がヱホバの御国の栄光を語るということは,どのように明白な目的を持つて居りますか? そして何故私達は御国に集まらねばなりませんか?

27 神の御国の栄光を,彼等が話すことと,神の力を語ることは,一つの明白な目的を有して居ります。すなわち,『その大能のはたらきと,そのみくにの栄光あるみいずとを人の子等に知らすため』です。その御国を是非とも人々に説明し,教えねばなりません。そうすれば,正義であり,神を畏れる政府を飢え求めている人々は,御国こそそのものであることを知り,そして御国に無条件の忠誠を申し出ることが出来るでしよう。予言によると,キリストによる神の御国は,非常に多くの計画を有して居り成就しなくてはなりません,しかし御国は,その計画を十分成就し得ることが出来ます。神の御国がして居り,将来にしなくてはならない事柄についての予言は,他の国が今までに持つたこともなく,また示すことの出来ない御稜威の栄光をもつて,御国を装います。御国は,私達が集まり入り無条件に支持するのに,全く価値ある政府です。御国に反対している此の世の国々は,ハルマゲドンに於ける破滅に打ち棄て置かれねばなりません。私達は,神の御国を私達の唯一の希望とすべきです。御国こそ私達の唯一の希望です。

28 存在する期間に関して,ヱホバの御国と人間の政府はどのように比較されますか? 何故人間の政府は破滅の運命ですか?

28 此の世の国々は,1914年に『諸国家の定められた時』が終つた時に,その死刑の令状は極印づけられました。その時天に生まれた御国に対して,此の世の国々には立ち向うことは出来ません。『なんじの国は永遠の国なり,なんじの政治はよろず代にたゆることなし。』(詩 145:13)『なんじの国はすべての時に亙る国であり,なんじの政治はよろず代にたゆることなし。』(カソリク聖書)そのような永遠に存続する神の政府と並んでは,人間の作つたすべての政府は,結局に於いて滅び失せねばなりません。神の御国に就いての災難を避けるために,人間の政府は神の御国を認めるべきです,そして平和の中に,その主権を神の御国に譲り渡すべきです。彼等がそうしないならば,人類が今まで知つている最も大きな艱難の中に,滅び失せるという運命を受けるでしよう。

29 敵は,すべの人の口がヱホバの御国に就いて語るのを止めることは決して出来ませんが,それは何故ですか?

29 今日の問題は,ヱホバの御国と支配,彼の宇宙的至上権です。サタンは,神と共存して支配するか,或いはヱホバ神を全く除外して支配しようと欲しています。しかしサタンは成功しないでしよう。神の政府は,天に於いても地に於いても,何の競争相手なしに存続するでしよう。神の助けによつて,私達は神の御国を多くの人の子等に知らせました,そして栄光ある御稜威を持つ神の御国を語る多くの善意の子等が居りますので,敵は彼等の口を閉ざすことは決して出来ないでしよう。数え切れない程多くの善意者の子等を,ヱホバの証者として神の御国を語らせるために,私達は御国を伝道し続ける事を決意して居ります。

忠実な与え主

30 詩篇 145篇は,その作句法に於いてどんな種類の詩ですか? 多くの現存しているヘブル語の写本からどの節がなくなつていますか?

30 私達が深く考慮している詩篇 145篇は,離合体の詩,つまり字母順の詩です。というのは,そのどの節も,ヘブル語のアルハベット22文字の順序で始まります。アルハからタウまで規則正しい順序です。ヘブル語聖書のすべての翻訳はこの事実を示しませんが,アメリカ訳とクラムボンのようなある翻訳は示して居ります。ヘブル語聖書の現存している多くの写本には,ヘブル語の文字ナンに相当する節がありません。しかし,少くとも一つのヘブル語の写本の中に,見失われているアルハベットの節が発見されています。そのことは,ギリシャ語七十人訳,ジェロームのラテン語翻訳,シリア語,アラビア語,そしてエチオピア語の翻訳の中に此の節が現われていることからも確証づけられます。改正標準訳は,その節を聖書の本文の中に取り入れて居り,次のように示しています。『主はそのすべての言葉に忠実なり,またそのすべての行為に寛大なり。』カソリック団体聖書は,またこのように翻訳して居ります。『主はそのすべての言葉に忠実なり,またそのすべての行為に聖し。』

31 ヱホバの言葉に固く従うことは何故良いのですか? そして,ヱホバの理智ある創造の将来に関して,私達は何故恐れる必要が決してありませんか?

31 そのすべての言葉にヱホバは忠実であられます。そのことを考えて見ます時に,新しい世の社会が聖書に固く従うことは全く正しいことであります。たとえ,私達が考えていたことよりも,或る事を長く待たねばならないとしても,私達が神の言葉で失望落胆することは決してありません。ヱホバが約束された事柄が失敗するようなことは全然ありません。契約・約束・述べられた目的・真理・事実の発表 ― 時間はただ此等の真実なる事を追加して行くだけです,そしてそのすべての言葉に於いてヱホバを依頼するに足る事を証明するでしよう。ヱホバはまたヱホバの恩恵を感謝するその創造物すべてに対して聖く,親切で,寛大であります。ヱホバの理智ある創造の将来に対して,私達は決して恐れるべきではありません。ヱホバを疑う根拠はありませんし,ヱホバは残酷であろうなどと疑う根拠はありません。彼の言葉の全き証明は近づいて居ります,そして永遠に生きる人達は,それを目撃し,或いはそれを知るでしょう。

32 詩篇 145篇14節と一致して,ヱホバは霊的遺残者達,そして後には『大いなる群集』に対してどのように行いましたか?

32 御国相続者の油そそがれし遺残者達は,手本を求めるのに過去を考慮する必要はありません。例えばヨブ・エジプトに於けるイスラエル人・牧羊者ダビデ・バビロンに於けるイスラエルの捕われ人等です。彼等は自分自身のことを見さえすれば良いのです。最近の彼等自身の経験からして,詩篇記者が神について述べる次の事柄を,彼等は認識することが出来ます『ヱホバはすべて倒れんとする者をささえ,かがむ者を直く立たしめ給う。』(詩 145:14)1919年に,ヱホバは此の原則に従つて行動されました。その時に,第一次世界大戦中神の不興を蒙り,大戦が終つた時までには,バビロン的な敵にかがんでしまつて居た,その遺残者を,神は起しました。特に1935年以来,神は多くの捕われの『他の羊』,すなわち同じバビロン的な世にいる捕われ人に対して,同じことをなしています。彼等を導くことによつて,ヱホバは万国の願わしき者を来らし始めました。それは,そのようにして彼の崇拝の家が栄光でもつて充たされるためであります。(ハガイ 2:7)地上で現在神を正しく崇拝せんと欲している者達は限られた何万という遺残者だけではないということを,神は知つて居られました。地より作られている人類は,生きて居り,真の神を,地上に於いて永遠に崇拝するよう本来は,作られたのです。その本来の目的と調和して,ヱホバはそのような地上に於ける崇拝者を永遠に持たれるでしよう,そしてヱホバは,そのような者を地上に於いて永遠に持つために今直ぐに始められます。ヱホバは何万,何十万という他の羊の『大いなる群集』でもつて始められます。それらの者達はハルマゲドンを生き残り,忠実を保ちますので決して死なないでしよう。『正しい牧羊者』であるイエス・キリストは『小さな群』のため許りでなく此等『他の羊』のためにも,その人間としての魂を犠牲にされたということを,私達は留意すべきです。

33 新しい世の社会の人々は,霊的には地上に於いて,何故最も良い食物を取つている民ですか?

33 霊的に言うならば,新しい世の社会に属する人々は地上で最も良く食物を供せられている民です。何故ですか? 何故ならば,彼等は,食物として正しい源を求めているからです。『よろずのものの目はなんじを待ち,なんじは時にしたがいて彼等に糧をあたえたもう。』(詩 145:15)『よろずのものの目は希望して,なんじを待ち,なんじは時にしたがいて彼等に糧をあたえたもう。』(カソリック聖書)その言葉に従つてヱホバを知つている者達は,理性と希望をもつてヱホバに求めます。彼等は,キリスト教国の牧師には求めません。全時間と全精力をヱホバの奉仕に捧げている人達は,彼等に対するヱホバの心遣いに特に信頼します,何故ならばヱホバが心遣いを示される獣や鳥よりも,彼等はもつと価値があるということを知つているからです。ヱホバは,その王たる子,すなわちキリスト教の家の主を崇拝の宮殿に遣わされました。そして主イエスは,その体の忠実な遺残者を『忠実にして賢い奴隷』級の者であつて,『適当な時にその食物を与える』と示されました。―マタイ 6:25-34; 24:45-47。

34 忠実であつた古代の証者達を復活させた後でも,何故ヱホバはその『忠実にして賢い奴隷』を解除しませんか? 地上で永遠に生きる人々は,常にどのように食物を供せられますか?

34 此の奴隷級の者が,適当な食物を供することが出来るよう,ヱホバはいつもその者達に糧を与えられて居ます。現在では,油注がれた家の者だけが,その食物に与り合うばかりでなく,他の羊もその食物に与ります。他の羊は,満足をもたらし,生命に導く霊的食物を強く望んでいます。たとえハルマゲドンの後になつても此の奴隷級が地上に残つている限り,ヱホバは彼等を解除しないでしよう。古代の忠信者達を死から甦らす時でも,ヱホバは奴隷級の者達を解除しないでしよう。どんな理由でヱホバは彼等を解除しますか? 死から甦えされる者は,ただ地上で生命に復活したからとて,勝れた地位を得る資格はありません。特に奴隷級の者達の目と耳が,キリスト以前のヱホバの証者達よりも遥に祝福を受けている時には,そのような資格はありません。(マタイ 13:16,17)ヱホバの霊と祝福は,その奴隷級に優れた奉仕をさせる資格を与えるものです。しかし,此の霊的『奴隷』級が地から去つて,天的御国に行つた後に,『永遠の父』である王は,『全地の君達』である特別な僕達から成り立つ目に見える地的制度を用いて,地上で永遠に存在するすべての人々に奉仕させます。―詩 45:16。イザヤ 9:6。

35 私達の現在の願いは,すべてどのように今満足されて居りますか?

35 今,生命の道にある私達は,現在のすべての願いに満足して居ります。私達は詩篇記者と一緒になつて,ヱホバに次のように言います。『なんじ御手をひらきて,もろもろの生けるものの願望をあかしめたもう。』(詩 145:16)すべてのものは,ヱホバの御手の中にあります。ヱホバは与え主であります。そして与えることに楽しまれる方でありますから,最も幸福な方であります。寛大に与えるからといつて,ヱホバは決して貧しくはなりません。ヱホバの貯えられるものが,すつかり無くなつて仕舞うことは決してありません。たとえ,今,生けるものが生命の与え主を認めなくても,生けるものが幸福のうちに生きるのを願つているということを,ヱホバは知つて居ります。彼等が何を欲して居り,何を必要とするかをヱホバは前以つて知つて居りました。そしてヱホバは彼等のために用意され,常に供給を続けられて来ました。しかし,啓発され,神を畏れる新しい世の社会に居る人々は,生きることを願うのに一つの目的を持つて居ります。それは,獣のような存在を楽しむためではなく,彼等の神への聖意と気持の願いを満足させ,神を讃美し,神の永遠の目的に仕えるためであります。

36 ハルマゲドンの直後でも,何故私達が空腹になり,物に困り始めるというようなことはないのでしよう?

36 私達の霊的必要物こそ,私達が現在最も強く認識しているものです。ハルマゲドンまでまだ何年私達が生きようと,またその時に如何なる世界の状態が起つて,私達を取り囲もうと,私達の霊的必要物を満足さすために,私達はヱホバの御手に依り頼みます。ハルマゲドンの後でも,私達はヱホバに依り頼み続けます。此の世が破滅されて,私達が新しい世に入ろうと,私達は気を緩めません。その王を通じて,ヱホバはその御手を開きます,そして私達が古い世の破壊の中にあつて,それらの破壊された廃残物が取片づけられるまで,しばらくの間私達が仕事を続けようと私達は苦しみを受けることはありません。その時生存していることに私達は非常に喜ぶでしよう,そしてヱホバの御手に依り頼み続けます。若し動物が,以前の圧迫者達の死骸を食し,ハルマゲドンの後に御馳走を喰べるというならば,新しい世の社会の成員である私達が,新しい世に入るとすぐに空腹となり,物に困るということは全くありません。―エゼキエル 39:11-20。黙示 19:17-21。

37 詩篇 145篇17節を考えると地上で永遠に生きる人々は,先きにある果てしなき未来に対して何故恐れる必要はありませんか?

37 神がこのように手を開かれて居り,生けるものの願いを満足させることは,新しい世のいたるところに於いて果てしなく行われるでしよう。それですから,地上で永遠に生きる人々は,如何なる時でも恐れる理由はありません。恰も宇宙が消滅して物事が無秩序となり,人間の永続する幸福を妨害するなどということを恐れる理由はありません。このことを保証するものとして,霊感された言葉は次のように言つています。『ヱホバはその凡ての途にただしく,その凡ての作為にめぐみふかし。』(詩 145:17)それですから,何物も偶然にまかされるというものはありません。不注意,怠慢,手落ちは決して起らないでしよう。私達の側にあつて,ヱホバは正しく,公正に行います。ヱホバの永久の恩恵と御親切は常に表面に表われるでありましよう。此のような神,このような王を常に持つということは,何とすばらしいことでしよう!

助けの正しい源を呼ぶ

38 誰を呼ぶことが,現在最も緊急なことですか? このことによつて私達にどんな責務が置かれますか?

38 ハルマゲドンの時に,人々は救助を求めるのにその多くの偽りの神々を呼ぶでしよう。しかしそれは無駄です。それで,善意者が生き,生存するために,善意者は救うことの出来る一人の真の神を呼ぶよう私達は願います。今こそ,ヱホバを呼ぶことは最も重要なことであります,そしてヱホバを呼ぶことを私達の確立した変らざる行いとすることは最も重要なことであります。そうすることによつて,私達は教われるでしよう。(ヨエル 2:32 使行 2:21)それは,あらゆる人の前で,怖れることなく告白し,ヱホバを公やけに言い表わすことを意味します。人々がこれをするためには,神から遣わされている私達伝道者は,人々に此の唯一の神を聞かせなくてはなりません。此の唯一の神のみ,イエス・キリストを通じて,救うことが出来ます。それで,私達は音信の係り,または社会でなければならず,そして,たとえ最初に求められなくても,その音信を与えなくてはなりません。私達を伝道者として遣わされたヱホバは,求められるまで待てとは言いませんでした。人々が聞こうと,又は聞くのを拒絶しようと,出掛けて行き,音信を与えなさいとヱホバは私達に言われます。数え切れない程の『大いなる群集』は聞くでしよう。―ロマ 10:12-15。

39 救いを求める人達は,どんな方法でヱホバを呼ばなければなりませんか?

39 救われることを考えてヱホバを呼ぶ者は,誰でも『真理をもつて彼を呼ば』ねばなりません。ヱホバを呼ぶ真の途は,今統治している王であるキリストを通じて呼ぶことです。その遠い祖先達がメシヤを拒絶した,今日のイスラエル人は直接にヱホバへ達することが出来ません。救いのために,そして真理をもつて,真理に従つて,真の方法で,彼を呼ぶためには,大いなるモーセ,すなわち仲保者であるイエス・キリストを通じて彼等は呼ばなければなりません。誠実をもつて,そうするすべての者にとつて,ヱホバは近くに居られ,すぐ傍に居られ,全くそば近くに居られます。それですから,その呼ぶ声にすぐ早く答えることが出来ます。

40 ヱホバを恐れる人々の願いは,どのようにして完全に成就されますか?

40 個人としても,或いは新しい世の社会としても,私達に非常な艱難が生ずる時,私達は,ヱホバが近くに居られるということを記憶したく思います。霊感された確信を以つて,詩篇記者はこのように言いました。『ヱホバは己をおそるるものの願望をみちたらしめ,その号呼をききてこれを救い給う。』(詩 145:19)最初に私達はヱホバを恐れましたので,今持つている神の智慧を得るようようになりました。現在の私達の一番の願いは,ヱホバが宇宙の正当な主権者であることを宣明することです。ヱホバを宣明することは,すべてのことを正しく直し,そしてすべての事を正しい基礎の上に置くでしよう。先ず最初に,ヱホバに正当な地位が与えられ,そして正しく真であるものに従つて認められなければなりません。それから,あらゆる面で,ヱホバを偽わつて代表するものは,取り除かれねばなりません。このことに対する私達の願いは完全に成就されるでしよう。

41 何故私達はヱホバに号呼ますか? そして,何故私達は将来でもそうするのでしよう? どんな結果ををもたらしますか?

41 ヱホバの救いについての能力が,非常な試験に験めされているのは現在此の時であります。私達は今彼に呼び号呼ます。敵の攻撃,特にゴグの最後の攻撃の下にあつても,私達はヱホバに呼び号呼続けます。(エゼキエル 38:1より39:16)私達が此の世と妥協せず,また此の世に依り頼まず,ただヱホバのみを救い主として依り頼むということを示す時に,ヱホバは私達の号呼を聞いて私達を助け,新しい世に於けるヱホバの栄光のために,私達を救われるでしよう。ヱホバは,その代表的王であるダビデを不思議な方法で救われました。たとえ,3目目に,死よりイエスを復活させることが必要でありましたが,ヱホバは王の王であるイエスを救われました。そして,ヱホバは彼の新しい世の社会を救われるでしよう。私達はヱホバを怖れます。私達はヱホバに呼び号呼ます。

42 誰がハルマゲドンを生き残りますか? ハルマゲドン以前,忠実を保つて死ぬいくらかの人々については,どうでしようか?

42 誰がハルマゲドンの戦いに生き残るかあなたは知つていますか? 霊感された答えは信頼するに足るものであつて,次のように述べて居ります。『ヱホバは,己を愛しむ者をすべて守りたまえど,悪者(不法の者,ロプス訳)をことごとく滅したまん。』(詩 145:20)その答えを知つて居りますので,私達はその時どちらの級に居るかということを決定しなくてはなりません。その二つの級のそれぞれの運命を私達は知つて居ります。ヱホバに対して悪者,或いは不法の者ではなく,ヱホバを愛する級の者として認められるためには,私達が今行動をすることは良いことです。不法の者は,ヱホバを愛しませんが,律法を守る新しい世の社会の人々はヱホバを確かに愛します。(ヨハネ第一 5:3)誰が間違いなくハルマゲドンを生き残るかを私達は知つて居ります。そして私達自身を惑わすことは許されません。その規則は簡単であり明らかです。『不法の増し加わる』ことの故に,多くの者の愛は冷えつつあります,しかし新しい世の社会はヱホバを愛し続けなければなりません。今まで以上にますます強く愛し続けなければなりません。(マタイ 24:12)ヱホバを愛する者がハルマゲドン以前の現在の時に死のうと,ヱホバはそれらの人を保護されます。何故ならば,彼等は新しい世に於いて生命を受けるのに価値ある者達であり,そして正しい方法,または神の定められた時に報いを受けるでしよう。その報いは,御国に於いてキリストと共に統治する為霊的復活を受けるか,あるいは地上楽園で生命を与えられるために早い復活が行われるかであります。―ヨハネ 5:28,29。黙示 2:10。

43 どんな決断を私達はしなくてはなりませんか? そしてそのような決断は,私達が何をするよう示しますか?

43 ヱホバは何であり,ヱホバは何を為すかということを私達は考慮して来ましたが,此の最高潮に於いて,私達はどうしても詩篇記者の述べた次のような決断に到達せざるを得ないでしよう。『わが口はヱホバの頌美をかたり,(わが口は……語り得ますように,カソリック聖書,ア訳)よろずの民は世々かぎりなくそのきよき御名をほめまつるべし。』(詩 145:21)先ず第一に,そのような個人的な決断は次のことを示します。即ち,私達のすべての者はヱホバを讃美しつつ,伝道をするであろうということです。何故ならば,讃美は新しい世の主権者に,現在のみならず,世々かぎりなく永遠に捧げられるべきものだからです。現在私達はヱホバに感謝して居りますので,どうして私達はヱホバを讃美することを止めましようか? 私達は止めることが出来ません!

44 若しすべての人もまたヱホバの聖名を永遠にほめ称えるということを,私達が欲するならば,私達は何をしなくてはなりませんか? そしてどのように?

44 しかし,すべての人も又世々かぎりなく永遠に彼の聖名をほめるためには,私達はただ伝道しなければなりません。それは,その皮膚の色が何であろうと,またその人種が何であろうと,すべての人,あらゆる種類の人々に彼の聖名を知らせるためであります。すべての人が彼の聖名を知るようにと私達が願い,祈るといつても,神御自身がこれをするよう,私達は待つては居りません。私達自身の中に,神の与えた力があり,そして今では,他の人々に神を讃美する他の多くの手段があります。私達の願いと祈りに調和して,すべてのものと一致させて用いましよう。今,すべての種類の人々をして,私達の神の聖名を,ほめたたえさせましよう。

45 ハルマゲドンは,ヱホバの聖名をほめ称えることを何故妨害しませんか? そして詩篇記者のどんな霊感された願いを,私達は認識するよう決心していますか?

45 想像して御覧なさい! それは,すべての人が,地上に於いて世々かぎりなく,彼の愛して居られる聖名をほめたたえる事の始まりを意味するのです,ハルマゲドンの戦いでさえも,彼等が彼の聖名をほめたたえる事を妨害しないでしよう,何故ならばただほめ讃える者のみがその戦いに無事に保護され通過するからです。それから,ハルマゲドン後の気持良い業を考えて御覧なさい。その業とは,単にハルマゲドン生存者の子供達だけではなく,復活するすべての者に,ヱホバの聖名を知らし,全地がヱホバに捧げられる頌美と讃美で鳴り轟くまで,彼等を励まして,聖名をほめ称える事に加わらせる業であります。何という祝福された将来なのでしよう! そのことを考えますと,現在とハルマゲドンの後に於いて,聖名に関しての詩篇記者の霊感された願いを認識するよう私達は決心して居りますか? 私達は神を愛して居りますので,強くハイと答えるでしよう。そして新しい世の社会として私達は次の言葉に表われた路を取ります。『われ日ごとに汝をほめ,世々かぎりなく聖名をほめたたえん。』― 詩 145:2。

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