病気がちでも家は清潔
数人の主婦がそのこつを語る
三部屋からなるあるアパートは驚くほどきちんとしています。台所の床はみがいたばかりで,さわやかな香りが辺りに漂っています。この家の主婦は,食卓にしてもよいほどきれいなレンジで夕食の支度に余念がありません。その家の家具は冷蔵庫を含め,染み一つありません。
近所の別のアパートでも,夕食の支度が行なわれています。ところが,汚れたリンネル類のにおいで料理のにおいはかき消され,壊れて染みのついた家具の下からは綿ぼこりがのぞいています。流しの横には,汚れた食器類がうずたかく積まれていて今にも崩れ落ちそうです。
しかし,この二人の婦人には共通点があるのです。二人とも慢性のぜんそくを患っており,それが時には余りにひどくて息ができないほどになり,床に就かねばなりません。しかし,二人の家には雲泥の差があります。
ぜんそく,関節炎,心臓疾患その他の慢性病を患っているため不自由な体で毎日家を清潔に保つ努力をしなければならない人は世の中に大勢います。読者ご自身,あるいは読者の身近な方がそうした人の一人かもしれません。
ちょっとした汚れなどどうして気にするのか
「私は独り暮らしです。ほこりを見るのは自分と二,三人の親しい友達だけです。それなら,どうして気にする必要があるでしょうか」と,ある白髪の未亡人は語りました。関節炎で苦しむ一人の主婦も,「ほこりを目にするのは家族だけですし,家族は私の具合が悪いのを知っています」と述べています。
しかし,家が清潔であることには一定の益があります。事実,呼吸器疾患の中には,ほこりのために悪化するものもあります。整とんされた美しさやそれに伴う清潔さに引かれるのは自然の情ですし,人は,たとえ気持ちの上だけであれ,乱雑さから逃れようとします。家の中が整然としていれば,必要な物がすぐに見付からずにいらいらすることはないでしょう。また,家が清潔であれば誇りと自尊心を保てます。
慢性病を患っている人の大半は,家をきちんとしておくことに一定の益があるのを認めます。それでも,その実行を妨げる根深い感情があるようです。
気構えがあれば半ば成功
慢性病を患っている人は自己憐憫に陥り,「清潔にしようとしても何のかいがあるだろう」という気持ちになりがちです。確かに,体が大変不自由でしばしば痛みがある場合,楽観的な見方を保つのは難しいことです。周りの人にとって,「元気を出して,それほどひどくはないはずです」と言うのは簡単ですが,本人は具合がどれほど悪いか知っており,毎日不自由な体で生活しなければなりません。
とはいえ,事態がもっと悪くなり得ることを認めねばなりません。確かに命があるのですし,心構え次第で,生活は空虚で挫折感の伴うものとも,豊かで有意義なものともなり得ます。聖書の箴言(15:15)は賢明にもこう述べています。「みじめな人[悩んでいる人]にとってはどんな日も不幸であるが,快活な[心の健全な]人は絶えず宴を楽しむ」― アメリカ訳。
体の不自由な人の中には,「どんな日も不幸」だ,すぐれない,という人もいることでしょう。それらの人はみじめな状態にあります。しかし,掃除をする家があり,少なくともそれを行なう幾らかの体力があることを幸せと考えるなら,事態は異なって見えます。そのような人にとって,生活は「絶えず宴」を楽しんでいるようにすばらしいものとなり得ます。状態の悪い日があるとしても,どんな日も不幸であることにはなりません。
慢性のぜんそくを患っている一主婦は次のように語りました。「どうしても掃除をする気になれないことが時折あります。でもいつもきちんとするよう心掛けてきました。汚い所が我慢できないのです。それでとにもかくにも掃除をしようと努めます。あとでどっと疲れを感じますが,自分のした事を振り返り,何もかもきれいでぴかぴかなのを見ると,深い満足を覚えます」。この婦人の気構えが相違をもたらしているのです。
現実的になる
「身障者のための家庭管理」と題する本は次のように勧めています。「身体的な制約の中でできる限りのことをするように努めましょう。しかし,自分にもできるということを見せるだけのために本当に重要でないことをして体力を浪費しないように」。現実的にならなければなりません。
目の色や髪の毛の色はどうすることもできません。眼鏡も必要なら掛けなければなりません。それと同様に,病気や他の制約も甘受することを学びましょう。自分に何ができるかを考え,そこから出発するのです。自分の家が健康な人の家ほどきれいにはならないことを認めます。それでも大抵は,心掛けるなら,怠惰で自尊心が欠けているためにきちんとしようとしない人の家よりあなたの家の方がきれいになります。
とは言え,掃除が余りに大仕事で,思うほどできないことがあります。しかし,仕事を軽くする実際的なヒントが幾つかあります。
楽に行なえるようにする
聖書はこう述べています。「鉄の道具[おの]が鈍くなっているのに,その刃を研がなかったのなら,その人は自分の活力を使い尽くすことになる。したがって,知恵を有効に用いることには益がある」。(伝道之書 10:10,新)刃の鈍いおので木を切り倒すことができるとしても,それは大変な仕事です。しかし,賢明にもおのを「研ぐ」つまり鋭くしておくなら,費やす「活力」はずっと少なくてすみます。この原則に従うことは,病気がちな人にとって大切です。なぜなら体力は,お金と同じで,持っている量が少なければ少ないだけ,それを一層有効に用いなければならないからです。
それで次の点を考えてください。どうしたら家事を簡単にすることができるだろうか。「活力」を節約しながら仕事を成し遂げるにはどんな方法を講じることができるだろうか。
● 物を片付ける
「わたしは家のあちこちに物を散らかさないよう努めています。散らかしておくのはよくありません」。こう語ったのは,妻を亡くした80歳になる,大手術後快方に向かっているある老人です。簡素ながら非常に整然としたこの人の家を見れば,その考えが正しいことを認めざるを得ません。
処分できる物がないか家の中を調べてみます。部屋の隅にあるだれも座らない安楽いすとか,不用品しか入っていない小さなキャビネットを処分できるかもしれません。壁掛けや置き物など,部屋の中には幾つ位の装飾品がありますか。20点よりは10点の装飾品を掃除する方が楽です。健康であれば,もっと多くの家具や装飾品を持つこともできるでしょう。しかし,装飾品がわずか二,三点でも部屋が殺風景に見えるわけではありません。数少ない装飾品を吟味して置くなら,あなたの趣味の良さが引き立つ場合もあります。
家が大きい場合,家具に古いシーツを掛けるなどして,家の一部を閉鎖し,来客があった時やその外必要が生じた時にだけそこを使うこともできます。そうすれば掃除の手間が随分省けるでしょう。
● 購入の際に掃除のしやすさを考える
色の濃い室内装飾品はほこりが目立ち,色の薄い物はすぐに汚れます。その中間の色の物,そして無地よりも模様のある物の方が掃除の手間が掛からず,きれいに見えます。すべすべしたリノリュームや木の床の方がカーペットよりも掃除がしやすいものです。食器類を買う場合でも,割れにくいプラスチック製品の方が,割る心配が少ないので皿洗いが楽だと考えている人がいます。
● 便利な道具や掃除用品
よく使う掃除用品を手近な所に置いておきましょう。風呂桶の近くにスポンジとクレンザーを置いておけば,自分も家族の者も風呂に入った時気軽に桶を洗えます。
関節炎で体のきかないある婦人は,「わたしは平たい小さなかごに道具を入れて持ち運びます。こうすれば,何度も往復せずに2回足を運ぶだけで済みます」と語っています。また,物をつかんだり,手の届きにくい所を掃除するのに火ばさみのようなものを使って体力を節約している人もいます。
作家のキャロル・アイゼンはこう語っています。「常識はずれなことを言うようですが,わたしは羽根ばたきが絶対に必要だと思います」。この人はほこりが床に落ちる(それは化学モップでぬぐうことができる)ことを認めながらも,こう述べています。「羽根ばたきですと,雑布で掃除をするより4倍も早くできます。電話やろうそくや鉢植えのヤシなど平らでない部分を掃除する場合には特にそうです」。無論ほこりが舞うとぜんそくの人は刺激を受けるかもしれません。小型の化学モップの方が便利で,ほこりを散らさずに集めることができると言う人もいます。
しかし,どんなに努力していても,落ちにくい汚れの付くことがあるものです。そのためつらい日を送らなければならないこともあります。関節炎で関節がひどく変形している一人の婦人が次のように述べている通りです。「こぼれたミルクはどうしようもなく,ラジオをつけるしかありません。モップをかけながら,関節が痛むのを音楽でまぎらわすのです」。
一度に多くのことをしない
健康のすぐれない人の多くは,疲れ過ぎないように,一度に一つの部屋を掃除します。一つの部屋さえ掃除できないこともあるでしょう。健康を損ねているある人はこう語りました。「ある日私は寝室の掃除をしていましたが,家具を動かすのが大儀になりました。それで娘に,『今日は部屋の半分をして,残りはあしたにするわ』と言いました。私たちは大笑いをしましたが,翌日私はその部屋の掃除をし終えました」。
汚した時にすぐ掃除をすると,結局時間の節約になります。レンジやオーブンに何かをこぼした時すぐにふけば5分で済みますが,こぼれたものが「こげ付いて」しまってからでは,きれいにするのに何時間も掛かります。
家事がたくさんたまっても,大体の予定が決まっていれば,うろたえずに済みます。なぜなら,たまった家事がやがて片付けられてゆくことが分かっているからです。もっとも,予定には融通を利かせてください。火曜日の朝,気分が悪くて予定通り台所の床をみがけそうもないなら,もっと軽い仕事に振り替えることができるでしょう。
経験豊かなある主婦はこう語っています。「いつもきれいにしておけば,気分の悪い時には,ちょっと手を加えるだけでよく,だれにも見分けが付きません」。それでも,「手を加える」ことさえ難しいほど具合の悪い時があるものです。その場合にはどうしたらよいでしょう。
他の人の援助を感謝して受ける
あなたの必要を敏感に察知して援助を差し伸べてくれる人がいるものです。誇りのためにそうした援助を拒んだり,物事のやり方にうるさ過ぎて,援助を申し出なければよかったと人に思わせたりしてはなりません。
そのような援助は深く感謝されるものであり,またそれは真のキリスト教の印でもあります。(ヤコブ 1:27。ヨハネ 13:35)独り暮らしのある年配のエホバの証人が,大きな手術を受けたときのことでした。その人はこう語っています。「退院した時,会衆の二人の婦人が家に来て隅から隅まで掃除をしてくださいました。家をぴかぴかにしてくださったのです。実際,私が見過ごしていたような所も掃除してくださいました。その後も定期的にやって来て,すべてを美しい状態に保ってくださいました」。そのエホバの証人はそうしたクリスチャンの業に対し,言葉では言い表わせないほど深く感謝していました。
清潔さは相違をきたす
快適な環境には人を元気付ける効果があります。お宅はきちんとしていますねと他の人からほめられるのもやはり気持ちの良いものです。
健康がすぐれなくても,油やほこりに立ち向かえるならその人自身の生活は一層喜びのあるものとなります。しなければならない仕事のことで心が責められたり失意を感じたりする必要がもはやありません。
目がほとんど見えないのに,家を塵ひとつないほどきれいにしているある主婦の言葉は,清潔な家が相違をきたすことをよく言い表わしています。その主婦は,「物がきれいだと思うと幸福感がこみ上げてきます」と語っています。あなたも,たとえ病弱であっても,そのような幸福感を味わえます。
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仕事を軽くする方法
1. 物の置き場所を決めておく
2. 用途に合った道具を選ぶ
3. むだのない動作をする