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  • 予表された,きたるべき「大かん難」
    ものみの塔 1970 | 4月15日
    • ユダヤ人が殺されたり,死んだりしたことを報じています。しかしその「大かん難」の日が「短くされ」たので,ユダヤ人の「肉なるもの」の中には死を免れた者もいました。ヨセハスは,生き残った9万7,000人が捕えられ,エジプトその他のローマ領諸州に連れ去られたと報じています。c 都とその宮は,イエスの予告どおり,完全に滅ぼされました。こうしてエルサレムは,最初に紀元前607年,バビロニア人の手でユダ王国もろとも滅ぼされ,荒廃に帰して以来,異邦人(ユダヤ人以外の国民)によって文字どおり「踏みにじられ」つづけてきました。d しかしこの異邦人の時はやがて,すなわち,紀元前607年秋に始まって,2,520年ののちに満了することになっていました。その年は西暦1914年に当たります。―ルカ 21:24,新。

  • 「大かん難」のさなかにおける神との平和
    ものみの塔 1970 | 4月15日
    • 「大かん難」のさなかにおける神との平和

      1 (イ)マタイ伝 24章4-22節のイエスの預言は,文字どおり地上のエルサレムに成就しましたか。(ロ)この預言がそれ以上の成就を見るかどうかは,どうしてわかりますか。

      注目すべきことに,マタイ伝 24章4から22節にしるされたイエスの預言は文字どおり成就しました。西暦33年,イエスがその預言をされてから,西暦70年におけるエルサレムの「大かん難」の終わるまでの期間に成就したのです。それほどの「大かん難」は,エルサレムに対し,またローマ・カトリック信者が中東の回教徒に敵して十字軍を起こした時代の再建されたエルサレムに対してさえ,二度と繰り返されたことがありません。それでは,イエスの預言のその部分は,今やそれ以上に適用されることのない過去の歴史に過ぎないのですか。そうではありません。その「大かん難」を予告されたイエスのことばづかいは,西暦70年のエルサレムの攻囲および崩壊よりはるかに大規模なかん難をさし示しているからです。それはほんとうです!

      2 (イ)聖書注解者は,イエスの預言を理解したり,あてはめたりすることのむずかしさを認めていますが,それはなぜですか。(ロ)A・プラマーはルカ伝 21章22節についてなんと述べていますか。

      2 キリスト教世界の著名な聖書注釈者も認めるとおり,イエスの預言には,理解したり,あてはめたりすることのむずかしい個所があります。問題の預言は,三つの部分から成る質問の答えとしてイエスが述べられたものです。つまりそれは,エルサレムとその宮が滅びるのはいつか,イエスの「臨在」と「事物の体制の終局」とのしるしは何かに関する質問でした。(マタイ 24:3,新)それら聖書注釈者が認めるとおり,その質問の三つの点全部に対するイエスの預言的な答えの中には,イエスが言及しているのはこの点なのか,それとも別の点なのかがわかりにくい個所があります。a たとえば,ルカ伝 21章22節の,「これしるされたるすべてのことの遂げられるべき刑罰の日なり」というイエスのことばがあります。この点に関し,聖書注釈者で著述家であるA・プラマーは次のような見解を示しています。「したがって,エルサレムの崩壊を,世の終わりのひな形とみなすべきことが意味されている」。b

      3 エルサレムと事物の体制について語ったイエスは,マタイ伝 24章21,22節の成就として,明らかに何を心にとめておられましたか。

      3 「これらのこと」の生ずる時について,また,「事物の体制の終局」のしるしについて語ったイエスが,その質問をした使徒たちの考えていたこととは比べものにならない,きわめて大きな事柄を心にとめておられたのは,もっともなことです。このことには疑問の余地がありません。イエスは,滅びに定められた不忠実な当時のエルサレムをひな形として用い,不忠実な実体的エルサレムすなわちキリスト教世界を心にとめていました。また,エルサレムとその宮を中心とするユダヤ人の体制よりも大規模な事物の体制を心にとめておられたのです。それでイエスは一片の誇張もまじえずに次のように語ることができました。「その時には,世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,また二度と起こらないような大かん難があるからである。実際のところ,それらの日が短くされないなら,肉なるものはひとりも救われないであろう。しかし,選ばれた者たちのために,それらの日は短くされるであろう」。(マタイ 24:21,22,新)不忠実な実体的エルサレムつまりキリスト教世界の恐るべき滅びは,全地にまたがる現在の「事物の体制」の悲惨な終わりの一部をなすものです。この終わりのことは普通,「世の終わり」と呼ばれています。―マタイ 24:3,新。アメリカ標準訳,欽定訳。

      4 (イ)イエスの預言のどんな事柄は,西暦70年におけるエルサレムの滅びの後の時代に及ぶものですか。(ロ)それで,イエスがどんな意味でエルサレムのことを述べたのはもっともなことですか。

      4 西暦70年におけるエルサレムの滅亡の時に,イエス・キリストが「再臨」されなかったのは確かです。そのうえ,異邦人の時はエルサレム崩壊後も続くので,全地にまたがる現在の「事物の体制」は,少なくとも異邦人の時が「満つる」まで存続することになっていました。それに,イエスの預言には,エルサレムの「大かん難」の描写に続いて,羊と山羊のたとえに至るまで幾つかの事柄が含まれていますが,そうした事柄は,西暦70年のエルサレムの崩壊の時に成就したわけではありません。(マタイ 24:23–25:46)ゆえにイエスが,滅びに定められたエルサレムを二つの意味で,すなわち文字どおりの意味と象徴的な意味で,つまり,ひな形および実体として用いたのは,きわめて適切なことと言わねばなりません。

      5 (イ)イエスの預言を,1914年からハルマゲドンまでの時期にあてはめるわたしたちは,なぜまちがってはいませんか。(ロ)1914年に終わったのは,どのエルサレムを踏みにじることですか。どのように終わりましたか。

      5 ではイエスの預言を,西暦1914年から,きたるべきハルマゲドンの戦いまでの期間にあてはめているわたしたちは,まちがっていますか。いいえ,まちがってはいません。不忠実な象徴的かつ実体的なエルサレムすなわちキリスト教世界は今なお存続しているからです。聖書の時間表と歴史上の具体的な諸事実はともに,異邦人の時,つまり「諸国民

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