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『御国』のしょうりのおとずれ

『御国のこの良いたよりは,すべての国民に証をするため全世界に伝道されるであろう。それから全き終りが来るのである。』― マタイ 24:14,新世。

1 イエスは,御国についての世界的な伝道と,現在ある地上の組織制度の終りとをどのように,結びつけましたか?

いまから19世紀以上昔の西暦33年の春,ひとりの人はオリブ山に坐つて,遠くのエルサレムの宮を見ていました。その人と一緒にいた4人の人々は,宮について述べたその人の言葉に強い関心を払つていました。それで,彼らはその宮に関することがらや,必らず起るにちがいない世界的重要な他の事柄についての質問をたづねました。彼らの尋ねた3つの質問にたいして,彼は詳細な答を与えましたが,その答の中で次のように言われました。『御国のこの良いたよりは,すべての国民に証をするため全世界に伝道されるであろう。それから全き終りが来るのである。』(マタイ 24:14,新世)エルサレムの宮は,1956年の今日,彼の予言通り,もはやありません。しかし,『御国のこの良いたより』についての彼の予言は,全地の多くの人々のあいだで成就されており,全国民は伝道の業によつて『御国』についての証言をうけています。人々は,その伝道に耳を閉じることができません。『御国』のこの勝利の音信は,初めて伝道されて以来,広範囲にひろめられてきました。その音信が伝道されていることは,予言者イエス・キリストが真実であることを証明するだけでなく,私たちが地上にある現在の組織制度の全き終りに近づいていることをも証明しています。終りが来る前に伝道はなされねばなりません。大規模な伝道がなされて,全地と全国民がその証しをうけて後に,終りは来るでしよう。

2 この伝道のために,どれ程の時間が割り当てられましたか?

2 この伝道のために,どれ程の時間があてがわれましたか? 人々は,1920年の中頃まで,次のように考えていました。すなわち,御国のこの良いたよりを伝道するのに約1900年があてがわれたのであり,そしてその伝道は,西暦33年エルサレムにいたイエスの弟子たちが聖霊で油を注がれ,奇蹟を見ようと集まつた大群衆に異言を語つて奇蹟の伝道をした五旬節<ペンテコスト>の日に,始まつたと考えられました。また,この伝道は19世紀のあいだずつと行われて現在に至つたとも考えられました。さらに,『天に在す我らの父よ,願くは御名の崇められん事を。御国の来らんことを。御意の天のごとく,地にも行われん事を』と祈れと教えたイエスの祈りから推して,それは将来設立される御国について伝道することと考えられていました。―マタイ 6:9,10。

3,4 現在の20世紀にいたるまでの何世紀ものあいだ,地上の神の御国についてのどんな大きな誤解が,ひろく一般に行われていましたか?

3 しかし,歴史を正直に調べてみると,次のことが分ります。第1世紀の終らぬ中にイエスの12使徒はみな死にましたが,その死後間もなくして,天的御父の来るべき御国についての音信は,だんだん聞かれなくなりました。教会は御国であると考えられ,御国が来る時とは,教会が目に見える状態で,かつ大きな力をもつてこの地上に設立される時と考えられました。しかし,教会が真のキリスト教の希望から,ますます脱落してローマ帝国と連合すればする程,来るべき御国は強調されなくなりました。ついにローマ皇帝のコンスタンチンがキリスト教に改宗してローマ・カトリックになつたと言明したとき,宗教指導者たちは御国が来たと感じ,宗教と政治の結合したこの王国支配を強化しようと努めました。(西暦)800年,ローマにいた法王レオ3世がシャーレマーニュの頭上に王冠を着けて皇帝となし,聖ローマ帝国が設立されたとき,神の御国の設立ということは一層強く感ぜられました。そして,神の御国は一つのものであるが,御国は二つの方面に表われたと感ぜられました。すなわち,この世的の方面では政治的な帝国であり,霊的な面ではローマ・カトリックの法王であるというのです。

4 16世紀に行われた新教徒の宗教改革は,西ヨーロッパの政治と結合しており,この宗教改革の結果,新教徒の諸宗派は政治国家と強い結びつきを持つようになりました。宗教と政治の結合したそのような国の政治支配者たちは,神の権利を持つて支配し,地上における神の見える代表者であり,神の御名にあつて支配すると言明されました。この見解は,神の御国についてのあらゆる見方に影響を及ぼしました。後日,宣教師たちが全地に派遣されましたが,神の御国についての彼らの宣教は,全く間ちがつたものだつたのです。宣教師たちは,神の御国についての正しい理解を持たず,この世の一部になつた教会制度の教えを伝道したからです。

5,6 聖書的に定義されるキリストのたしかな再臨は,御国伝道の運動とどんな結びつきを持つていますか

5 生きるか死ぬかの裁判をうけたイエスは,これら宣教師とはまつたくちがい,ユダヤを支配していたローマ総督に,こう語りました『私の御国はこの世のものではない。もしこの世のものであるなら,私に従う者たちは,私がユダヤ人に捕われることのないように戦かつたであろう。しかし,実際に,私の御國はこの世のものではない。』(ヨハネ 18:36,新世)それで,昔の世紀になされたローマ・カトリック,ギリシャ・カトリック,新教徒宣教師の伝道は,マタイ伝 24章14節のイエスの予言を成就していることではありません。そのようなことは決してありません。

6 この予言を語られたイエスは,背教したキリスト教宗教の宣教師のする伝道を意味したのではありません。イエスの予言した御国の伝道は,この20世紀まで待つべきであつて,そしてこの20世紀に行われるべきです。なぜなら,万事は神の御予定の時に従つて,なされるからです。神のあらかじめ予定された時,全世界にわたり全国民にその良いたよりを伝道せねばならぬという御国は何ですか? 4人の使徒がイエスに尋ねた質問から,その正しい答を得ることができます。彼らはこう尋ねました。『お話しして下さい。これらのことは何時起るのですか? あなたの臨在aとこの世の組織制度の終りの兆は,どんなものですか?』(マタイ 24:3,新世。マルコ 13:3,4)それらの使徒たちが尋ねたのは,神の与える御国におけるキリストの実際の臨在についてだつたのです。そして,その御国に『来る』ことについては,イエスは予言的な答の後の節でこう語りました。『それから人の子のしるしは天にあらわれ,地の諸族は欺き,そして人の子が力と大きな栄光につつまれて天の雲に乗つてくるのを見るであろう。人の子は大きなラッパの音とともに御使たちを遣すであろう。……人の子がその栄光をうけてもろもろの御使たちとともに来るとき,栄光の御座に坐るであろう。そしてすべての国民はその前に集められ,彼は人々をより分けるであろう。』(マタイ 24:30,31; 25:31,32,新世)このことから,その良いたよりが伝道される御国とは,イエス・キリストが力を持つて御座につき,実際に支配している御国のことです。この御国は,これから将来に設立されるものではなく,いまやすでに設立されているものです。

7,8 1914年の秋以来,正しく行われている御国の伝道は地上の多くの住民にどんな影響を及ぼしていますか? そしてなぜ?

7 御国が設立されているというたよりは,すべての人にとつて良いたよりではありません。イエスの言葉によると,人々は天における御国の設立をよろこぶどころか,地の諸族はみな歎き,そして羊飼王であるイエスは丁度羊飼が羊と山羊を分けるように,御国の事に関連してすべての人々を分けてしまいます。天的な御国を設立して,御子を御座につける神の御予定の時は,『諸国民に定められた時』の終りでした。その時は,ユダの地にあつたエルサレムの国がキリスト前607年のユダヤ人第7番目の月の初秋に荒廃してから2520年経つた後の時です。『諸国民に定められた七つの時』は,1914年の初秋である10月1日頃に終りました。その時以前では,設立された御国の『良いたより』は伝道されることはできなかつたのです。

8 1879年の12月に出された第6号の『ものみの塔』は,七つの時が1914年に終るという事実に人々の注意を向けさせました。キリスト教国内の自称キリスト教の諸国民は,このことに注意を払い,信仰を持ちましたか? またはよろこびの気持ちからそれを待ち望みましたか? いいえ,全然そうではありません。油注がれた王キリストは1914年の初秋に御座に坐し,神の天的な御国は設立されました。しかし,キリスト教国の諸国民は,その御国の設立をすこしもよろこばなかつたのです。諸国家は,第一次世界大戦に突入して怒り狂い,世界の支配を得ようとしていました。そして,この流血の戦争中カトリックの牧師でも,新教徒の牧師でも,宗教の牧師はそれぞれ自分の国の側を支持し,かつ神に戦勝祈願の祈りを捧げてキリスト教国の一部の国々が,キリスト教国の他の部分の国々に打ち勝つようにと願つていました。この第一次世界大戦は全世界に影響を及ぼしました。その時以来,『地上の諸族はみな』歎いており,今日にいたるまでその歎きは止まつていません。いまや,長く待ち望んでいた御国に人の子が来たというしるしは,まつたく明白であり,敵である悪魔サタンによつて盲目にされていない人は,ことこどくそのしるしを確信することができます。羊飼 ― 王であるイエス・キリストは,歎いているこれらの諸族を羊級の民とは見なさず,又右の側に分けてもいません。

9,10 (イ)誰が『御国のこの良いたより』を,正しい時にかなつた伝道をしていますか?(ロ)その伝道に,なぜ信仰と勇気は是非必要なものとなりますか?

9 1920年7月1日号の『ものみの塔』は,『御国の福音』という記事を出版しました。この時になつて,ヱホバの証者は,初めて次のことを知りました。すなわち,『良いたより』である福音は,新しく設立された御国に関するものであり,また第一次世界大戦中に経験した『くるしみの初め』の後の現在この御国の良いたよりを伝道せねばならず,そしてハルマゲドンの戦が行われる時まで伝道はなされねばならないということです。ハルマゲドンは『世の初めから今にいたるまで全然なく,また今後も二度と起らないような大きな患難』です。(マタイ 24:7,8,21,新世)悪魔の組織制度の『終りの時』である現在こそ,『御国のこの良いたより』を全世界いたるところで伝道すべき時です。いまこそ,そのたよりを伝道すべき時です。現在の組織制度が終つて,『新しい天と新しい地』でなり立つ神の祝福に充ちる新しい世が始まる時まで,御国のこの良いたよりを伝道し続けます。全地にいるキリスト教国の宣教師の数は非常に多いものです。しかし,『御国のこの良いたより』を伝道している者は,ヱホバの証者だけであると言つて,決して言い過ぎではありません。なぜ? なぜなら,ヱホバの証者だけが,聖書予言によつて解明される現代の出来事の光に照らしつつ,設立された御国を見るからです。ヱホバの証者だけが神からの信仰と勇気を持つて,そのたよりを伝道しています。

10 イエスはそのたよりを『良いたより』と呼びました。といつて,そのたよりを伝道するのに勇気と神にたいする信仰が必要でないなどと考えてはなりません。実際,伝道されるのは,キリストによる神の御国です。それで,普通に考えると,このたよりは最もよろこばれる音信のはずです。しかし,このたよりを苦しみ悩む世界に伝道すると,どういうことになるか知つていますか? それは敵国のたよりを伝道することであり,しかも敵の国々の中で伝道することです。なぜ? なぜなら,キリスト教国をも含めてこの世は神の御国の友ではなく,またヱホバ神とキリストもこの世の友ではないからです。ヨハネ黙示録は1914年に御国を産んだ神の制度についての幻を記していますが,その事実をこのように述べています。『女は男の子を産んだ,その子は鉄の杖をもつて諸国民を治めるべき者である。その子は神のところに,神の御座のところに連れさられた。』(黙示 12:5,新世)神の御国の手中にある『鉄の杖』は,詩篇 2:7-9節に予言されているごとく,ハルマゲドンのときに,陶器師のもろい器のように,この世の諸国家をこなごなに打ち砕くためです。1914年以来,諸国家は二つの世界大戦を行い,その他小規模の戦争も多く行われたというのも全くの理由があるのです。諸国家は国際連盟とか国際連合のような空しいことを考え出し,ヱホバとその油注いだ王イエス・キリストに対する謀ごとを立てているのです。それらはみなその詩篇の予言した通りでした。(詩 2:1,2)それで,真のクリスチャンがただ一つの『良いたより』を伝道する時,それは予言に言われているごとくこの世の諸国を亡す御国を伝道しているのです。このことから,伝道の業は神からの勇気を必要とします。

11-13 (イ)キリスト教国の著名な代弁者が最近に語つたような『クリスチャン』になることは,いまなぜ『安全な』ことですか?(ロ)これとは別に,真実のクリスチャンたちは,なぜ危険な状態にいますか? しかし,なぜ打ち負かされませんか?

11 1955年4月23日,ニューヨーク市のY・M・C・A<ワイエムシーエー>昼食会で,ニューヨーク寺院の教会監事ジェームス,エイ,バイクは,『クリスチャンであることが,かくも安全な事である』のは,時折り不幸に感ずると述べました。この正統派の牧師が,そう語つた時に,設立された御国の伝道者,すなわちヱホバの証者のことを考えていましたか? いいえ,ちがいます。この教会監事の指したクリスチャンとは,自らクリスチャンと自称する人々です。なぜなら,そのようなクリスチャンたちは,キリスト教国の大きな宗教制度に属しており,この世の人からの評判も良く,そしてキリスト教国の政治政府の保護を受けているからです。

12 ヱホバの証者は聖書の命ずることに従い,真のクリスチャンになろうと努めています。しかし,地上のどこにいようとも,クリスチャンであることを『安全な事』とは考えていません。キリスト教国内にいるヱホバの証者でさえも,教会監事パイクの次の言葉を身をもつて経験しています。すなわち,初期のキリスト教は『非合法』で『人心撹乱の暴動の』教理であり,キリスト教信者は『反ローマ活動委員会』の注意を惹いた,ということです。キリスト教は,共産主義に十分対抗し得るために,その初期の力強さに戻らねばならぬ,とパイク教会監事は述べました。(1955年4月24日のニューヨーク・タイムス)ヱホバの証者は使徒時代のキリスト教の力に戻つています。それで,恐ろしい第二次世界大戦の終つた後の今日でも,ヱホバの証者は,共産主義の国はもちろんのこと,多くのキリスト教国の国々で『非合法』になつています。そして,宗教的な敵共は,ヱホバの証者のことを『暴動』であるとか,人心撹乱というような偽りの非難を投げかけています。ヱホバの証者たちは,ある時にナチスと思われ,別の時に共産主義者と思われました。共産主義者の国では,帝国主義国家のスパイか手先と思われ,別の国々ではユダヤ人のシオン主義の秘密機関と思われました。そして一般人の反感をあおるために,昔からのあらゆる非難はヱホバの証者に投げかけられ,証者に反対する政府の処置を取らせ,証者を危険な状態に追いこみました。

13 しかし,これは成功しません。今日のヱホバの証者は,たとえ収容所や強制労働の天幕にいようとも,又共産主義国家や全体主義的な独裁支配の行われている国々の危険な状態にいようとも,自分たちの持つ信仰と希望を公やけに宣べ伝え,そして御国の良いたよりを伝道します。今日のヱホバの証者は,悪魔支配のこれらの形態や働きに打ち克つています。そのことは,ヨハネ黙示録 12章11節(新世)にこう説明されています。『彼らは,小羊の血と彼らの証言の言葉の故に,(悪魔サタンに)打ち克つた。そして,彼らは死の危険にもかかわらず,自分の魂を愛さなかつた。世界の何処にいても,ヱホバの証者になることは『やさしい宗教』ではなく,また目に見えない『この世の支配者』である悪魔サタンの手下共や政府から憎しみや攻撃を浴びせられます。それはけつして安全ではありません。共産主義者や他の全体主義支配者たちは,あらゆる試みをヱホバの証者に加えています。そして,彼らは,ヱホバの証者の宗教が劣つた下級の宗教であり,この世に対抗し得ないことを証明しようとしています。しかし,証者は,信仰を止めさせようとするこれらの企みをうけても,かたく忠実を保つており,共産主義者や全体主義者たちは敗北を喫しています。パイク教会監事はこう語つていました。『共産主義はこの世の宗教である。それよりも勝れた宗教のみが共産主義を打ち負かすことができる。他の何ものも共産主義を打ち負かすことはできない。』共産主義者たちは,ヱホバの証者に禁止の命令や迫害を加えて,証者を抹殺してその増加を止めさせようとしていますが,その企みは失敗しています。そして,その失敗ということは,ヱホバの証者たちが『優れた宗教』であるということを明白に示すものです。また,ヱホバ神に敵対するこれら過激分子の敵共に,次のことを知らせます。すなわち,共産主義や他の過激主義がなくなつた後に,勝利を得たヱホバの証者だけがこの地上に存在するということです。ヱホバの証者の宗教は,彼らの伝道するヱホバの御国が亡びないのとおなじく,決して亡びることはありません。―ニューヨーク・タイムス紙,1955年1月11日。

どのように

14,15 キリスト教国の伝道の方法は,伝道せよというイエスの命令とどのよう比較されますか? はたして,その命令どおりにしていますか?

14 ヱホバの証者が『御国のこの良いたより』を伝道する方法は,いろいろの批判をうけています。牧師の服を身にまとつて教会の説教壇の上に立ち,教会員たちが建物の中に集められて,牧師の話を聞くという安易な在り来りの形式的な方法を用いて,ヱホバの証者は伝道しません。キリスト教国内で伝道されているこの形式的な在り来りの方法は,弟子たちに与えられたイエスの次のいましめを全うしていません。『行つて(実際に行つて),すべての国の人々を弟子とし,……私の命じたすべてのことを守るよう教えなさい。』(マタイ 28:19,20,新世)キリスト教国の正統派は,世界を改宗させることもできず,また『キリスト教』と称する国々の人をも改宗することができず,そして異教主義の都会への侵入を喰い止めることにも失敗しています。それで,キリスト教国の宗教制度は,人々に宗教や宗教的な行いや,告白を無理やり押しつけて,強制的に行わせようとしています。そして,立法者たちに働きかけて,法律を作らせることにより,望まない人にも宗教を無理やり押しつけています。このことは,欧州の30年戦役を終結させた1648年のウエストハリア平和条約の約定にも見られます。その約定によると,聖ローマ帝国内の各地の宗教は,住民がカトリック信徒でも,ルーテル派の者でも,あるいはカルビン派の者でも,その地の支配者の持つ宗教にならねばならない,ということでした。しかし,キリスト教国のキリスト教は,腐敗して堕落し,すつかりこの世的なものになりました。つまり,幾世紀もキリスト教国を支配して来た正統派宗教は,正しい働きをしなかつたことになります。その宗教は,失敗の宗教です。

15 ヱホバの証者が,マタイ伝 24章14節に述べられているイエスのいましめに従つて『御国のこの良いたより』を伝道する際立つた方法は,国かち国へ,町から町へ,村から村へ,そして家から家へ,と行くことです。この方法は,牧師と平信徒で成り立つキリスト教国の正統派宗教のする方法ではありません。しかしその方法は,使徒たちの行つた方法であつて,全くキリストの方法であります。使徒ペテロと他の使徒たちは『私たちは人よりも神に従わねばならない。』とエルサレムのユダヤ最高議会で語つたため,鞭打たれてイエス・キリストについての伝道を止めるよう命ぜられました。その後,これらの使徒たちは,よろこびに溢れながら出て行きました。聖書によると,こう書かれています。『毎日宮にいたり,又家から家へと行つて,彼らはキリスト・イエスについての良いたよりを引きつづき教えたり,宣べ伝えたりして止めなかつた。』― 使行 5:29,40-42,新世。

16 伝道という点で,パウロはどのようにイエスに倣いましたか? そして,どんな結果が生じましたか?

16 その頃パウロは使徒たちと共に家から家の伝道をしていませんでした。しかし,幾年か後になつて,エペソ会衆の円熟した人々に次の告別の言葉を語りました。『私は利益となる事なら何でもあなた方に語つてためらわなかつた。また人中でも,家から家へ行つてもあなた方を教えるのにためらわなかつた。しかし,神に悔い改めて私たちの主イエスに信仰を持つようユダヤ人にもギリシャ人にも,私は全き証を為したのである。……私は御国を伝道した。』(使行 20:20,21,25,新世)使徒パウロは,コリントのクリスチャンたちに手紙を書き,こう述べました『私がキリストに倣う者であるように,私に倣う者になりなさい。』(コリント前 11:1,新世)パウロは家から家の伝道をして,イエス・キリストに倣つていました。なぜなら,イエスは公共の場所で伝道するだけに止まらず各地の人々の家に行つて,家の人に御国のことを語つたからです。イエスは12人の使徒を伝道に遣し,後日には70人の伝道者を伝道に遣した際,訪問した人々の戸口で何を言うべきかを告げました。『どこの家に行こうとも,まず「この家に平和があるように」と言いなさい。』(ルカ 10:1,5,新世)『あなた方が家に入る時,家の人とあいさつをしなさい。……人があなた方を家の中にも入れず,言葉をも聞かないなら,その家またはその町から出るとき,足の塵を払いなさい。』(マタイ 10:5,12-14,新世)パウロはキリストに倣い使徒にふさわしい仕方で伝道をいたしました。それで,ローマの牢獄から手紙を書いて,次のように言うことができました。すなわち,良いたよりは『天の下にあるすべての造られたものに伝道された。私パウロはこの良いたよりの奉仕者になつた。私は今,あなた方のために苦しみをうけることをよろこんでいる。』(コロサイ 1:23,24,新世)天の下にあつたすべての造られたものとは,その当時おもに異教のものでした。

17,18 現在,キリストの行つたような,また使徒の行つたような伝道の方法は,誰によつて,そしてどのように,用いられ,しかも成功していますか?

17 1900年経つた後の現在,ヱホバの証者はこの『終りの時』にあつて,家から家の伝道という方法をなお熱心に行つています。それは,聖書の中の神権的な教えに従うことであり,イエス・キリストや使徒のような立派な伝道者に倣つていることになります。今日のヱホバの証者は,その最初の方法を信じており,キリストや使徒たちのときと同じように必らず成功すると信じています。その方法は教会の説教壇に立つよりも難しいものであろうとも,勤勉なヱホバの証者はその方法に従います。その方法が危険なものであつて,たとえ嘲りや悪口を浴びせかけられ,烈しい反対や宗教的な迫害を受けようとも,ヱホバの証者はその方法を行います。ヱホバの証者は,牧師に倣おうとはせず,また『国家の剣』という援助を求めません。彼らは『神の言葉である御霊の剣』を振い,その剣によつて改宗して行きます。彼らは直接,実際の徹底的な方法で聖書教育をして行きます。そして,人々の家庭で,個人的に神の言葉を教えます。また訪問した人々に,聖書の教えが印刷されている文書を配布し,後に再訪問して人々の聖書の質問に答え,そして家庭聖書研究を始めます。これは,多くの家庭に入つて行く異教主義の侵入を喰いとめる積極的な,しかも合理的な方法です。そして,ますます増大する異教主義から多くの人を救います。次のような例があります。

18 ニューヨーク市は,地上最大の異教都市の一つと言われています。しかし,ヱホバの証者は,700万人以上が住むニューヨーク市の家庭を殆ど1軒も残らずに訪問するという熱心な家から家の伝道によつて,1935年にただ一つの会衆しか無かつたものが,1955年には55の会衆にまで増加しました。そして,7048人は良いたよりを他の人に述べ伝える伝道活動を報告しています。そうしますと,現在ニューヨーク市内の1000人毎に,ひとりの活潑なヱホバの証者がいるということになります。アメリカ合衆国全部では,18万7120人が1955年の4月に伝道しました。そうすると,アメリカにいる1億6500万人の中で,約1000人以下に対して一人という割合でヱホバの証者が伝道していることになります。

19-21 (イ)キリスト教国の他の代弁者が最近に語つた言葉から,大切などんな必要な事柄が示されていますか?(ロ)その話しは,なぜ時代遅れですか?

19 このことから,牧師たちが証者に注意を払い,推奨の言葉を述べているのは,全く当然なことであります。びつくり仰天している牧師たちは,自分自身で模範を示さないものの,遅ればせながら,平信徒(教会の会員)たちに,教会外に出て伝道する必要を言い出しています。しかし,牧師たちは家から家にする伝道の必要性を強調していません。改革教会世界連合の主事は,最近次のように言いました。すなわち,『職業的なキリストの証者だけでなく,家族生活内のキリストの証者も必要である。……人をキリスト教会に導く唯一つの方法は,キリストの賜物である大きな恩恵に気づかせることである』(ニューヨーク・タイムス,1954年7月12日)ニューヨーク市,リバーサイド教会の牧師は,こう言いました『宗教というものが,何よりも先づ毎日の生活内で神を崇めることであるという事実は,見過されている。宗教は,この世界で実行せらるべきである。』― ニューヨーク・タイムス,1954年7月5日。

20 平信徒であるひとりの陸軍大佐は,アメリカ,イリノイ州のエバンストンで行われた1954年の世界教会会議の集会に,次のような報告をしました。『教会の将来を決する大切な事柄の一つとは,平信徒たちが自分たちの信仰を仕事や,家庭や,あらゆる場所で実行するという責任である。必要なのは,良く言う日旺クリスチャンではなく,毎日毎日のクリスチャンである。』エバンストンで行われた同じ世界会議の集まりで,教会は『使徒の福音主義の精神を取れ』とすすめられました。なお,そのすすめと関連して,福音主義派の司会者はこう述べました。『福音主義は宣教師たちの特別の使命ではなく,すべての弟子の当然行うべき事柄である。……これは教会の活動を新しく拡大したものである。いまや教会は平信徒を教えて,日常生活を聖書的なものにせねばならぬ。』(シカゴ,アメリカン,1954年8月27日)出版されたこれらの言葉の中に,使徒たちの行つた家から家の伝道ということが述べられていないのに注意して下さい。

21 しかし,教会の信徒たちを訓練して,その伝道の責任を何時果させようと,彼らは希望していますか? アメリカ,テキサス州ハウストンにある監督教会の牧師の言葉に耳を傾けてごらんなさい。その牧師はニューヨーク市の教会で,次のように語りました。つまり,200年経つ中に,キリスト教会の中にある福音主義の力の源は,説教壇から『証言をする友たち』に移るであろうというのです。説教者は説教しつづけるでしよう。『しかし(説教壇でする)説教は,人々をキリストに導く主要な手段ではない。』信者たちが『生活内における神の御行為』を語つて,信仰を呼び醒ますような雰囲気をつくるとき人々はキリストに導かれるであろう,というのです。(ニューヨーク・タイムス,1954年5月31日)この牧師の見地は,すくなくとも200年も時代遅れです。すくなくとも,ヱホバの証者に関するかぎり,そうです。全世界のヱホバの証者の会衆では,能力のある講演者だけが御国会館の演壇からの説教伝道をしているのではありません。ヱホバの証者の会衆内に属していて洗礼をうけた人はみな,伝道する証者になるよう励まされ,援助され,訓練をうけます。ヱホバの証者は,ひとりで家から家へと行き,家の戸口で何分かの聖書の手引きの話を語ることができます。そして,興味を示した人のところに再訪問して,最初の訪問の時よりも長い聖書の話を語り,聖書研究の価値を示すことができます。

22,23 全能の神の御意を果すために,神に献身している者たちは,どんな特権と責任に目ざめていますか?

22 ヱホバの証者の新しい世の社会では,すべての人が伝道する奉仕者です。新しい世の社会は,奉仕者の社会であつて,各人キリストの命令と手本に従わねばならず,そして伝道の責任を避けることができません。各人はみな,御国の設立されている今日について述べられているマタイ伝 24章14節のイエスの予言に強い関心を持つています。どの人もみな,『良いたよりを宣べつたえないなら,私は禍である。』と言つた使徒パウロと同じ心持ちになつています。(コリント前 9:16,新世)公やけに伝道することは,是非ともしなければならない大切なものであり,他の人を救うばかりでなく,自分自身をも救うものであると,ヱホバの証者はみな知つています。ヱホバの証者の全員は,パウロの次の言葉を正しく認識しているからです。『もしあなた方がイエスは主であるという「あなた方の口にある言葉」を公やけに言い表わして,あなた方の心の中に神はイエスを死人から甦えされたということを信ずるならば,あなた方は救われるであろう。なぜならば,人は心で信仰を働かすことにより義とせられるが,しかし人は口でもつて公やけに言い表わして救われるのである。』― ロマ 10:9,10,新世。

23 この世の司法裁判所がヱホバの証者のことを『神に奉仕する正規奉仕者』であるという裁定を下そうと下すまいと,ヱホバの証者は全然意に介しません。ヱホバの証者は次のことを知つています。すなわち,自分たちは神に献身して神の御意を行つており,またキリストを通して与えられている神の命令は,人々のところに出かけて行つて伝道することであり,そして積極的な奉仕によつて御国の福祉を増進し,自分たちが神より任命された奉仕者ということを示します。ヱホバは万事を良く御存知です。キリスト教国の牧師は200年待つてから,信徒たちにすすめて伝道させると言いますが,ヱホバは200年も待ちません。限られている『終の時』に,200年の歳月は許されません。そこで,ヱホバは御自身の証者を立て起されました。ヱホバの証者たちは,ヱホバの命じたごとく御国の証言を遅れることなくいま行つています。

この世に打ち勝つ

24 キリストの持つた信仰と同じような信仰を持つて現在生活するとき,この世に対する正しいどんな態度を取りますか?

24 ヱホバの証者になるためには,信仰が要ります。ヘブル書 11章1節から12章3節までを読んでごらんなさい。ヱホバの崇拝を守つて死んだ最初の殉教者アベルの時からイエス・キリストにいたるまで,ヱホバの証者になるためには信仰が必要であつたことに気づかれるでしよう。彼らは,その信仰の故に,この世に打ち勝つことができました。しかも,神の御国の支配する正義の新しい世を見ることができ,また現在の世に属するのを拒絶し,かつこの世のために行うこの世の生活を拒絶したのでした。神の霊的な子になつたクリスチャンは,この世に打ち勝たねばなりません。それには,揺ぐことのない信仰が必要です。使徒ヨハネは,こう述べています『神から生まれたものはみなこの世に打ち勝つ。私たちの信仰こそ,この世に打ち勝つものである。』― ヨハネ第一書 5:4,新世。

25,26 現在のヱホバの証者たちは,どのようにそしてなぜこの世に打ち勝ちますか?

25 1914年に,約束されていた御国は神から生まれ,そして御国は,この世を打ち亡します。御国はサタンと悪鬼共を天から地に追い落して,彼らを打ち負かしました。そして,現在では地上における御国の証言の業によつて敵共を打ち負かしており,ハルマゲドンの時には,サタンの現在の世に対する勝利を完了いたします。(ヨハネ黙示 6:1,2,新世)今日の地上には,神の霊的クリスチャンの子の残れる者がいます。彼らは,神から生まれるすべてのものはこの世に打ち勝つという聖書の原則を立証しています。彼らはこの世の全き終りが来るまで神の御国を伝道し,御国への信仰を示します。また,将来に神の地的な子になる者たちがいます。それらの者は,すなわち絶えず増加する『大いなる群衆』であつて,『新しい地』の栄光に輝く楽園の内に生活する神の子の生命を希望しています。彼らも又,アベルの時から洗礼者ヨハネの時までのキリスト以前の昔の証者たちと同じく,この世に打ち勝たねばなりません。そのためには,ヱホバ神とヱホバの御国にたいする信仰をはつきり表明することが必要です。私たちは,雲のように多いキリスト前の昔のヱホバの証者たちに取り囲まれていますが,しかし宇宙内における最大のヱホバの証者,すなわちヱホバの忠実にして真の子イエス・キリストを見つめています。イエスは,カルバリの杭の上で殉教の死を遂げましたが,しかしこの世に打ち勝つた最も偉大な御方です。イエスは『私は打ち勝つて,御父とともにその御座に坐つた』と言われました。(黙示 3:21,新世)ヱホバ神はイエスを用いて,敵の政府と権威にたいする大勝利を得られました。聖書に次のごとく書かれています。

26 『神は彼と共にあなた方をも生かせられた。神は私たちの過ちのすべてを御親切にも許され,手で書かれた証書(モーセの律法)を取り消された。その証書はいろいろな規定ででき上つており,私たちを責めて,反対するものである。神はその証書を苦しみの杭に釘づけることにより取り除かれた。神はもろもろの政府と権威を取り剝いで勝利の行進に加え,かくして人々のさらしものにしたのである。』― コロサイ 2:13-15,新世。

27-29 (イ)キリスト・イエスによつて,ヱホバが大勝利を収めるとパウロが言つたとき,彼は昔のどんな異教儀式を思い起していますか?(ロ)ヱホバは希望する人間をしてイエス・キリストの勝利の行進に参加せしめましたが,それはどのようにしてですか,またどんな悪い非難者に対してなされましたか?

27 19世紀以前になされたその勝利以来,ヱホバ神は壮大な勝利の行進を導いています。使徒パウロがコロサイ書の中で用いた原語のギリシャ語によると,異教ローマの凱旋ということがパウロの頭の中に浮かんでいたようです。異教のローマ人たちにとつて,凱旋は壮麗な儀式であり,天下分け目の戦に大勝利を得た将軍に名誉を与えるものでした。将軍は月桂樹の冠を頭に着け,一方の手には杖を,他方の手には月桂樹の枝を持ち,刺しゆうのされている衣服を身にまとい,特別な馬4頭曳の円状の車に乗つて都に入りました。将軍の入る前に,ローマの上院議員や,役人や,音楽家,分捕品,足枷をはめられた捕虜,その他が行進し,将軍の後には軍隊が行進して行きました。行進はキャピトライン山まで行われ,その山の上で犠牲が捧げられてから,将軍は人々と共に饗宴に与りました。

28 19世紀前の神の勝利に関連して,使徒パウロは『手で書かれた証書』という言葉を述べています。それは,モーセを通して与えられた神の律法であり,『いろいろな規定ででき上つており,私たちに反対する』ものでした。それは『私たちを責める』ものでした。なぜなら,先祖より相続した私たちの不完全さと,神の律法を守り得ぬ無能力の故に,神の律法は,ユダヤ人であろうとなかろうと,私たちを一人残らず罪に定め,死をうけるのにふさわしい罪人としたからです。しかし,取り剝がされたとパウロの言うもろもろの政府と権威とは何ですか? それらは,サタンとその悪鬼共の支配する見えざる政府であり,また権威であります。モハットの訳した聖書によると,それらは『御使たちの支配者および権力』です。むかし,それらのものは神の前に立つ私たちを非難することができました。なぜ? なぜなら,私たちは完全な仕方で神に仕え,また崇拝しようと努めましたが,為し得なかつたからです。それはユダヤ人たちがモーセの律法を守り得なかつたことからも分ります。モーセの律法は,動物の犠牲を捧げていましたが,私たち人間を完全にすることはできなかつたのです。その律法により,私たちは罪人であるということがはつきり示されました。悪魔はそのような罪人である私たちを誘惑し,神の御前で非難することができます。しかしながら,私たち人間に為し得ないことを神は為し得ました。かくして,ヱホバの証者に対するサタンの政府と権威の非難に打ち勝ちました。神はイエス・キリストを完全な人間として地に遣し,そしてイエスは神の律法を完全に守りました。イエスは神の御国を伝道したために,見えるものと見えないものを含む,サタンの政府や権威からの反対をうけましたが,しかし神の律法を完全に守りました。イエスの死は,この世に打ち負かされたものではありません。彼の死は神の宇宙的至上権にたいする全き忠節を表明しました。イエスの死は,殉教者の死,つまりヱホバの御国の忠実な証者としての死だけではなく,完全な人間の犠牲としての死でもありました。神はこの犠牲に基いて,モーセの律法が私たちを罪に定めた過ちを許し,かつ取り消すことができました。ヱホバ神はこのようにしてモーセの律法をイエスの苦しみの杭に釘づけし,『私たちに反対する手で書かれた証書』を取り消されました。それで,苦しみの杭は,イエスの犠牲の死の象徴です。

29 昔,戦に敗けた捕虜たちは,しばしば衣服を取られて裸にされ,戦勝者の車の前に進む凱旋行進に加えられました。それは丁度予言者イザヤが,象徴的な3年の年月の間,裸,裸足で歩いたことからも示されます。(イザヤ 20:1-4)ヱホバ神は,イエスに忠実な死を遂げさせて,それからその忠実の報いとしてイエスを復活された時,非難を述べるサタンの政府と権威に打ち勝ちました。そして,実質的には,サタンの政府と権威を取り剝いで,その武装を解除し,かつ裸にしてしまいました。かくして,それらは敗北したものたちということがはつきり表わされたのです。ヱホバ神は今やクリスチャン証者たちの過ちを許して,彼らを義なる者にならせ,その指導者イエス・キリストと共に天的な御国を得させる権利を有しておられます。(ロマ 5:1,6-9,18,19)それで,それらのサタンの政府や権威は,モーセを通して与えられた神の律法によつて罪に定められた罪人として,彼らを非難することはできません。なぜなら,彼らはキリストの犠牲に信仰を持つているため,その過ちは許されて潔められ,かつ義なる者とされて,善い良心が与えられたからです。『神の選民に対して非難を言う者は,誰であるか? 神は彼らを義なる者とされたのである。罪に定める者は誰であるか? キリスト・イエスは死なれた御方,否むしろ,死から甦えされた御方であり,神の右に坐られて私たちのために取りなしをして下さる。』(ロマ 8:1,33,34,新世)イエスは,大祭司になり,御自分の完全な人間としての犠牲の価値を携えて神の最も聖なる御前に表われました。そしてイエスは霊によつて産み出された忠実な油注がれた御自分の弟子たちの為に取なしをされ,彼らの罪を取りのぞいて義なる者といたします。

30,31 (イ)五旬節以来,ヱホバの勝利の御業は,打ち負かされて無力のどんな政府と権威をさらし続けましたか?(ロ)そのような見せものは,誰のために行われていましたか?

30 それで,サタンの悪鬼共の制度が彼らを罪に定めたところで,神の目から見る時に,それはなんらの影響も及ぼさないのです。神の律法がサタンの見えざる支配権に属しているこの世の政府の人間製の法律と衝突あるときに,人間の不完全な,不敬虔な法律に従わずに,神の完全な法律に従つている彼らは人々からの非難をうけます。しかし,たとえ非難を受けようと,彼らは止めようとはせず,その『善い良心』を棄てません。なぜなら,彼らは神の御旨に適つていて,正義のために苦しんでいるということを知つているからです。人々が,このような不正,不義の非難を彼らに浴せかけることは,この世の政府と権威の恥を表わすものです。なぜなら,それらは裸かにされてしまい,サタンに属す敵の政府と示されているからです。そして今や,神の忠実な僕たちの為に設けられた義の取り極めにより,この世の政府と権威は打ち負かされ,沈黙せしめられています。それで,神の忠節な僕たちが揺ぐことのない忠実を保ち続けて行くとき,敵の浴びせかける非難は取るに足らないものということが分ります。かくして,ヱホバは打ち負かした政府や権威を取り剝いで見せものにしています。

31 ヱホバは,御自分の御旨に適つた僕たちの上に聖霊を注がれた西暦33年の五旬節<ペンテコスト>の時以来,その敵の諸権力を勝利の行進に入れて歩ませ,人と御使たちの前の見せものにしています。このことは,苦しみの杭と,その杭の上で忠実な死を遂げた御方によつて為されました。それらサタンの政府と権威は,五旬節以来でもその働きを続けています。しかし,彼らは打ち負かされたままであり,キリストの弟子たちの信仰は彼らに打ち勝つており,この世に属するサタンの権力という恥を彼らにかかせています。キリストの弟子たちは,それらのものの友にならず,またそれらに属しません。私たちはサタンの権力の裸の状態を見ます。そして,私たちの信仰はサタンの権力に打ち勝ち,かつ今や天に生まれている神の御国に忠節を保ち続けます。ハルマゲドンの戦の時に,神はサタンの権力を打ち亡して全き勝利を得ます。ヱホバ神は彼らの生存を許しません。そしてハルマゲドン後の勝利の行進に,彼らを生ける捕虜として引き廻すようなことをせず,またハルマゲドン生存者たちへの見せものにはしません。ヱホバ神は彼らを亡してしまい,その宇宙戦争の後には敵の捕虜をひとりとして生かしては置きません。

勝利の行進の道に芳香をつける

32-34 (イ)1914年以来,神の恵みをうけている見物者たちは,さらにどんなものを多く見ていますか?(ロ)快い香と不快な香という表現を用いて,パウロはヱホバの勝利の他のどんな点を明らかにしていますか?

32 ヱホバの堂々たる勝利の行進は,この組織制度の『終りの時』に着々と進んでいます。特に,1914年に生まれた御国が,天使長でもあり御国の王であるイエス・キリストと悪魔サタンおよびその御使共とのあいだになされた天の戦争に勝利を得て以来,その勝利の行進は進んでいます。打ち負かされたこれらの政府と権威は,この地に追い落されて,『短い時』の期間中この地に抑制されます。そして,最後の最高潮であるハルマゲドンの戦のときに,底の無い坑に投げいれられて取り除かれてしまいます。いまやヱホバの勝利の行進は,ハルマゲドンの堂々たる大勝利に向つて進んでいます。どうして,そのことを知りますか? 油注がれた残れる者と,その友の証者とも言うべき『大いなる群衆』で成り立つヱホバの証者たちが『御国のこの良いたより』を伝道することにより,ヱホバ神の知識の香は全地にますますひろめられているからです。

33 この勝利の行進を観る者すべてが,同じ気持をもつてこの行進を見るわけではありません。また,ひとしい感謝の念を抱いて,行進に伴う芳香を吸いこむわけではありません。この世に属している者たちや,この汚れた亡び行く世の友になつている者たちにとつて,勝利の行進に伴う御国伝道の香は,不快なものであり,吸うに堪えないものです。なぜなら,この世にとつて,神の御国は災と死を意味するからです。この腐敗した世からの救を待ち望む人々や,また神の御国こそ救の唯一つの希望であると認める者たちにとつて,その香は快よいものであり甘くて,気持良いものです。いまから19世紀前の使徒パウロは,将来に来る神の御国を伝道していたときに,その香について述べました。しかし,使徒パウロの言葉は,御国が実際に設立されている現在になつて,力強く適用されるものです。パウロは,小アジアのトロアスに行つて,キリストについての良いたよりを宣べ伝えました。そして,その地で伝道する機会が開けました。しかし,パウロはその地を去り,テトスに会うため,エーゲ海を渡つてマケドニヤに行きました。パウロはマケドニヤでも,いろいろな助けをうけて,ヱホバ神の知識をひろめることができました。彼は感謝の念に充ちみちて次のように述べました。

34 『神に感謝すべきかな。神はいつも私たちをキリストの凱旋に伴い行き,私たちを通してキリストを知る知識のかおりを,至るところに放つて下さるのである。私たちは,救われる者にとつても亡びる者にとつても,神に対するキリストのかおりである。後者にとつては,死から死に至らせるかおりであり,前者にとつては,いのちからいのちに至らせるかおりである。いつたい,このような任務に,だれがふさわしいであろうか。しかし,私たちは,多くの人のように神の言葉を売物にせず,真心をこめて,神につかわされた者として神のみまえで,キリストにあつて語るのである。』― コリント後 2:14-17; 7:5-7。

35 象徴的に言つて1919年より現在にいたるまで,ヱホバの勝利の行進の中には,なぜ『御国のこの良いたより』のよろこびに充ちる伝道者たちが入つているのですか?

35 この考えは,なんと私たちの意気を高めるのでしよう! 私たちがもしキリストを通してヱホバ神に献身し,ヱホバの証者になつて設立された御国の良いたよりを伝道するなら,ヱホバ神は,いま統治している王キリストと共に,私たちをその勝利の行進中に導いてくれます。ヱホバ神は私たちを導いて行かれますが,しかし,私たちを人の恥さらしにする捕虜にして導くというのではありません。このコリント後書に述べられているパウロの言葉は,コロサイ書 2章15節の敵の政府と権威についての言葉とはちがうものであつて,勝利を得られるヱホバが私たちを裸にし,人の見せものにするなどとは述べられていません。勝利を得た将軍が,凱旋の軍隊を導いて,芳香のただよう道を進んで行き,こぞつて歓迎する首都の中を堂々と行進して行くように,ヱホバは私たちを導いて行かます。ヱホバは私たちを導いて,キリストを通して得られるその勝利に与らせます。まつたく,ヱホバは私たちを導いており,かつ私たちを用いて更に多くの勝利を得られています。ヱホバは私たちを用いて,聖書やこの時代の緊急な音信を出版し,かくしてヱホバの知識を全世界いたるところに知らしめているからです。1919年以来,ヱホバは私たちに御国のこの音信を与えておられます。それで,私たちがその音信を伝道するところでは,どんなところでもその音信は勝利を得ます。その音信は必らず勝利を得るものです。以前には悪い業を行つていた神の敵たちも,その音信によりヱホバの証者になり,神権的な御国の良いたよりを伝道するようになります。

36-38 (イ)ヱホバの御国を宣べ伝える者たちは,誰に対しては不快な臭を放つ者であり,満足を与えないのですか? そして,なぜ?(ロ)他の者たちにとつて,御国宣明者が『快いクリスチャンの香』ということから何が示されますか?

36 私たちが神の知識を他の人々に知らせながら,王キリストと共にヱホバ神の後に従つて,勝利の行進をして行く時,散らされて出版される神の知識は,かぐわしい良い香です。しかし,また,私たち自身も良い香なのです。だが,この世の人々の鼻は,違つた嗅ぎ方をします。私たちはすべての人に援助して,益を与えようと努めているのですから,自ら進んで地上の人々に不快を与えようとは願いません。しかし,この世の全部はヱホバの敵です。それで,私たちがキリストを通して,ヱホバ神に献身し,そしてヱホバ神が私たちを用いられ,御国の音信を述べ伝えさせる奉仕に加らせるならば,ヱホバとキリストによるヱホバの神権政府に敵対する多くの人々に不快を与えることになります。私たちはそのことを当然に予期すべきであります。人々の救を得させるため,あらゆる事を行つても人々をよろこばせようと努めたパウロは,人々の反感を買う経験をしました。私たちもそれを避けることはできません。特に御国が設立されたことにより,宇宙的至上権に関する大論争が,すべての人々の緊急な問題となつている現在,私たちはそれを避けることはできません。この大論争に関して,私たちはこの世の友になることはできません。

37 私たちヱホバのクリスチャン証者はイエス・キリストに模倣します。私たちはキリストのそしりを受けつつ彼の足跡に従い,そしてキリストは今や統治している王であると宣べひろめます。かくして,キリストの香を発散し人々に与えます。このことについて,私たちの香はすべての人にとつて快よいものであるようにと願います。しかし,ごく少数の人々,つまり救われる人々だけ,私たちの香を快よい甘いものと感じます。それらの人々にとつて,私たちは快いクリスチャンの香のようです。それらの人々にとつて,私たちの香は生命の源から来る香のようであり,神の新しい世の生命に導く香のようです。これらの人々にとつて,私たちはなぜ甘い,生気に充ちた香なのですか? なぜなら,それら少数の人々は,次のことをはつきり知つているからです。すなわち,生命の源であるヱホバ神は私たちをそれらの人々のところに遣しておられるのであり,かつ私たちの目的は死をもたらすことではなく,むしろ無私の気持からそれらの人々に生命を与えることだからです。それらの人々は,この腐敗した世とその空約束に嫌悪しております。またこの世を存続させて,神の正義の世を来させまいとするこの世の非常に利己的な努力に愛想をつかせています。今や設立されている神の御国について私たちの伝道する音信は,彼らにとつて真実に『良いたより』なのです。その音信は,彼らを生気づけ,そして新しい天と新しい地で成り立つ神の世の幸福な生命に至る道を示しており,しかもいまでは,ハルマゲドンの戦を生き残る機会を与えられているのです。

38 それらの人々は,あたかも快い香を吸いこむかのごとく,私たちを迎え入れ,私たちを神から遣わされたクリスチャンと認めます。そして,私たちの音信を聴き入れ,私たちの聖書の文書を受け取り,また一緒に聖書を研究しましようという私たちの申し出に従います。さらに,私たちのすすめに応じて群の研究の集会や,御国会館の集会に出席するようになります。またキリストを通して神に献身することにより,新世社会の一部になり,それから私たちと共にこの快い生命の香を他の人々に与え,かくして,他の人々にも永遠の生命をうけさせる援助をいたします。そのような人々にとつて,いま支配している王イエス・キリストによつて代表されるヱホバは,もはや『躓く石』『妨ぐる磐』ではありません。そのような人々は,ヱホバを宇宙主権者と認めて信じ,かつ御業が完全である宇宙の大いなる磐と認めています。(申命 32:3,4。イザヤ 8:13,14)ヱホバの御国の勝利の音信は,このような良い鼻を持つ人々に生命を与えるものです。

39 象徴的に言つて,『この世』を愛する者たちの鼻は,何に向けられていますか? そして何からそうしますか? なぜ?

39 一方,他の者たち,すなわちキリスト教国自体はこの大いなる石に躓き,この大いなる磐に憤りを感じるであろう,しかし彼らはその石に落ちてこなごなに砕け,罠にかかつて死んでしまうということが予言されていました。(イザヤ 8:15)これらの者たちにとつて,伝道しているヱホバの証者は悪臭を放つものです。まつたく,『死から死に至らせるかおり』です。私たちの御国の音信は,彼らにとつて良いものではありません。それは死体から出る不潔なかおりのようであり,けがらわしくて,吸うときに生命が無くなる程です。そのかおりは,死をもたらす源から出ており,彼らに死をもたらすものです。なぜ? なぜなら,彼らはこの世に属すものであつて,この世を愛し,この世から離れるのを欲しないからです。彼らは自分の立場を変えようともせず,またキリストを通して神に和解しようとも欲しません。彼らは神の敵共の友になることを欲しているのです。神の敵共の中には,彼らの耳や鼻をくすぐる正統派の言い伝えや人間の言い伝えを持つキリスト教国も含まれているのです。しかし,私たちは『私たちの神の報復の日』を伝道します。それで,この世の来るべき亡びと,この世に属するすべての人の亡びを伝道します。このため,この世を愛するこれらの人々にとつて,私たちのかおりは悪臭です。彼らにとつて,私たちは悪疫をもたらすもの,死をもたらすもの,亡びて葬られるべきもの,においを取りさられ,かつ言葉を出してはならぬものです。ヱホバの宇宙的至上権とヱホバの新しい世についての音信,およびこの古い世の亡びについての音信は,彼らを怒らせるものです。そして彼らは私たちを悪臭を放つ者たちと見なします。私たちは,そのような人々にたいして,永遠の将来を楽しむ生命の約束を与えません。

40,41 憤りを感ずる人々はどのような行をしますか? どんな結果をもたらしますか?

40 キリストに御国の力を与えたヱホバは,これらの人々にとつて大きな躓きの石となり,妨げの磐となります。これらの人々は,ヱホバ神とその統治する王に敵対するこの世的な陰謀の計画をつくり上げ,その躓きの石を取り除いてしまい,妨げの磐を覆えそうとしています。そのために,ヱホバの証者の宣べ伝える御国の音信を沈黙させようとしています。彼らにとつて,御国の音信は悪臭に充ちるものです。彼らはヘブル語の聖書翻訳からヱホバという名を取り除き得るかもしれませんが,しかし磐であるヱホバをその宇宙的主権の地位から取り除くことはできません。それで,ハルマゲドンの時には,その大いなる石によつて彼らは煎餅のようにひらたく押しつぶされてしまいます。

41 彼らは,この地を支配する至上主権の地位についている大いなる岩を取り除くことができません。それと同じように,御国の音信を沈黙せしめることもできなければ,御国の伝道者たちを亡ぼすこともできません。今日まで,彼らはヱホバの証者の香を嗅がねばなりませんでした。しかし,これからもヱホバの証者の香を嗅がねばならないでしよう。そして,遂には,ハルマゲドンにおける「全能の神の戦争」の来るべき日で,彼らの鼻は砕かれてしまいます。(黙示 16:14-16,新世。マタイ 21:42-44)私たちを導き給う御方は,決して敗けることのない全能者ヱホバです。そして,ヱホバは,王の王,主の主,すなわち戦勝の王,戦勝の主とともに,私たちをその勝利の行進に導いておられます。キリストによるヱホバの御国の音信は,すでに全地に亘つて大勝利を得ました。なぜなら,ヱホバは全世界の証者たちのするこの『良いたより』の伝道を支持しておられ,また祝福しているからです。ヱホバの保護と導きを受けつつ,御国の音信はハルマゲドンの時まで勝ち続けるでしよう。そして,ハルマゲドンの時に,ヱホバの勝利の立証が行われ,全地は神の知識という快い生命をもたらす香で充ち充ちます。そして,その時,息をしているヱホバの讃美者は,みなその香を嗅ぐでありましよう。―ハバクク 2:14。

[脚注]

a マックリントクとストロングの百科辞典第2巻第2冊426頁に次の見下しがあります。『キリストの来ること(臨在を意味するパロウシア)』マタイ伝 24章3節で『臨在』と訳されている言葉は,このパロウシアというギリシァ語です。このギリシァ語の出ているピリピ書 2章12節とコリント後書 10章10節をも見なさい

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