ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔68 4/1 208–215ページ
  • 人間の方法と神の方法とそのどちらですか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 人間の方法と神の方法とそのどちらですか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • おびただしい血の浪費
  • あなたはご自分のからだに対して権利を持っていますか
  • 終わりのない生命のために血を用いる神の道
  • エホバの証人と血の問題
    エホバの証人と血の問題
  • 血によって命を救う ― どのように?
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1991
  • 生命を神の御心と一致して用いる
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1961
  • 「エホバの証人と血の問題」の小冊子の研究用の質問
    わたしたちの王国宣教 1988
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
塔68 4/1 208–215ページ

人間の方法と神の方法とそのどちらですか

1 命を救うという口実の下に神の神聖な法律を破ることは,人間の生命を何と同列におくことですか。

人の命を救う,あるいは延ばすという口実の下に神の神聖な律法を破って,それを正当化したり言い訳したりできる人はいません。一部の良心的な人を除いて医学界の人々は,神の律法を聖書の神話あるいはもはや効力のないものと見ています。彼らは,罪に定められて死ぬ,不完全な人間の命を神の律法よりも重んじ,人の命を救うためと称して神の律法を破ります。それも永遠に救うのではなく,今の命をいくばくか延ばすにすぎません。その結果,命を救うと言われる輸血が疫病のように流行しています。

2 最近,一部の医師は自由人の基本的な権利をどのように侵害しましたか。またそのことをするに際して,どのように身の安全を図りますか。

2 この方法で人の命を救うことを自分たちの務めと心得る彼らは,神の律法を破ることを良心的に拒絶する,献身したクリチャンに輸血を強制しようとさえします。クリスチャンは神の律法を破ってまでも生きながらえようとはしません。神から授けられている権利のみならず,特定の国々においては確立された権利章典に基づく憲法上の権利を患者から奪うことになるにもかかわらず,輸血を強制する人々はそれを合法的に見せかけようとしています。そこで自分たちを保護するため,医師は判事や立法府に訴え,信教の自由を無視する権威を得ようとします。生ける真の神エホバを良心の命ずるままに崇拝する権利は,信教の自由に伴うものです。この場合,医師の見解によれば,宗教は生命を危うくするものであり,したがって無視すべきものとなります。それは血の神聖さに関する神の律法を破る無神論的な行為を遂行するためです。

3 (イ)そのように行動する医師は,どんな考えを持っていますか。(ロ)赦免に関するアメリカ最高裁判所の判例に一致して,医師には良心的な人に何をする権利がありませんか。

3 患者の宗教上の意向に反する方法によっても,命を救うのが先決であり,みすみす死なせることはできないというのが医師の考えです。しかしアメリカ合衆国の最高裁判所でさえも,道徳的な自由人は命を救う,あるいは延ばすための特定な法の救済を受けるよりも,むしろ死を選ぶ権利があるという判例を残しています。それはどんな場合ですか。それは命の助けられる条件を受け入れることができない場合です。a では国の最高法廷も,本人に受け入れられない条件でその人に命を強制する権利を持たないとすれば,良心に反して神の神聖な律法を破るよりも死ぬことを選ぶ人に対して,命を救うためとはいえ非聖書的な処置を強制する権利は,法的にも倫理的にも医師にはありません。

4 輸血は血を食べることを禁ずる神の律法を破るものではないとして,医師はどのように論じますか。しかし何が事実ですか。

4 しかし医師はその行為をさらに正当化するため,何を主張していますか。輸血は血液で患者を養うことではなく,したがって神の律法を破るものではないと主張しています。しかしこれは実際には非科学的な考えです。口を経て体内にはいり,ふつうの消化の過程を経ることがないからこそ,輸血は血でからだを養う最も早く,かつ直接的な方法なのです。そして血はノアに与えられた神の律法によって禁ぜられ,そのことはクリスチャンのエルサレム会議で再確認されました。

5 輸血された血は栄養分ではなく媒介物にすぎないと主張して,医師はなんと述べますか。しかし実際にそのとおりですか。

5 輸血をすすめる別の論議によれば,注入されるものは養分を人体に直接に運ぶ媒介物にすぎず,からだは媒介物そのものによって養われるのではないと主張されています。それでは次のことを問わねばなりません。注入された媒介物である血がその酸素と養分を患者の体組織に放出したあと,媒介物であるこの血は患者の体内から取り出されて献血者の体内にもどされますか。そう言われても困るでしょう。それは不可能です。献血者が不明の場合あるいは死亡直後の人体から血がとられている場合,特にそうです。それで注入された媒介物質は患者の体内に残ります。それはどうなりますか。何年かたってからだが更新されるにつれ,媒介物であるこの血液は,他の器官の移植の場合と同じくからだに吸収されてしまいます。ではどの点においてこれは注入された血でからだを養うことと根本的に相違しているのですか。結果は同じです。注入された物質は患者のからだを養っています。

6 もしルカが今日,地上にいるなら,輸血に対してどんな態度をとるでしょうか。なぜそう言えますか。

6 クリスチャンの弟子ルカが復活によって地上にもどって来たとすれば,彼はどうするでしょうか。ルカはパウロの同伴者であり,「愛する医者ルカ」とパウロに呼ばれています。ルカは今日の医師に加わって輸血をするでしょうか。聖書から見てその答えは否です。クリスチャンのエルサレム会議の布告を報じ,それを3回も引用している聖書の筆者はルカにほかなりません。

7 エルサレム会議の布告の中で,血を避けることに関して何かの例外が設けられていますか。

7 ルカが記録しているこの布告はユダヤ人でないクリスチャンに対し,「血……を避ける」ことを命じていました。それは医師ルカあるいは他の医師のために例外を設けていません。また有能な医師の施す輸血の場合を除き,あるいは立法府や判事の命令がある場合を除いて,血を避けよとは命じていません。判事は要求されている「然るべき法の手続き」を粗略にし,みずからが法となって一方的に緊急事態を宣言し,医師の訴えをいれて,患者の宗教上の反対にもかかわらず輸血を施すことを命じます。使徒時代のキリスト教会議は人間の血と動物の血の区別なく,いっさいの条件をつけずに「血」を禁じました。

8,9 (イ)ルカも疑いなく観察したように,昔のギリシャ人はなぜ血を飲みましたか。それはどんな結果をもたらしましたか。(ロ)早くも1909年に「ものみの塔」誌は,血を食べることが神によってユダヤ人に禁ぜられた理由につき,なんと述べていましたか。

8 使徒パウロとともに昔のギリシャを旅行した医師ルカは,悪霊と血縁を結んで将来の事を知るために血を飲んだギリシャ人の風習を知っていたに違いありません。こうして動物の血を飲むことがその動物の獣性を人に与える結果になるのを医師ルカは観察したことでしょう。しかし医師ルカにもまさってエホバ神は,食べると飲むと輸血のいかんを問わず,他の生き物の血を体内に入れることの結果をご存じでした。神が血を禁じたのは,命が血にあり,血を摂ることが少なくともある程度まで命を取るのと同じことになるからですが,しかしそれ以外にも理由があったことは明らかです。このことはずっと昔,「ものみの塔」誌に暗示されていました。1909年4月15日号117頁に「教義上の不一致を解決する」との見出しの下に血に関するエルサレム会議の布告につき次のことが述べられています。

9 「それはユダヤ人に禁ぜられ,神の契約下において生命の象徴とされた ― それを摂ることは,とられた命に対する責任を暗示した。そのうえ予表的な律法の儀式において,禁ぜられた血は罪祭を表わす象徴として用いられた。罪の償いは血によってなされたからである。これらの予表的な教訓を銘記させるために,ユダヤ人には血の使用が禁ぜられた。また他に医学的な理由もこの事柄に関していると思われるが,それはまだ明らかにされていない」。b

10 いま明らかになりつつあるこれらの理由のうち,一国だけで輸血からどんな有害な結果が生じていますか。しかしそれにもかかわらず,輸血に関して何が提案されていますか。

10 58年後の今日,輸血が広く行なわれ,医師が多くの症例を手がけるにつれて,これらの理由はますます明白になってきました。現代医学の療法のうち,多くの人が助かっている反面,一つの国で1年間に1万6000人がそのために死亡し,ほかにも何千人が重症になる療法について,あなたはどう思われますか。それは輸血のことです。c しかし政府は危険なものとして輸血を禁じますか。多くの死亡例が記録された医薬の場合と同様な措置をとり,危険なものとして市場から除きますか。そうはしていません。それどころか人々は,クリスチャンとしての良心のゆえに輸血を拒否する人にそれを強制するための立法措置を講じようとしています。政府の措置がこのように首尾一貫しないのはなぜですか。

11 良心の問題に関して,ナチスの戦犯の場合と,輸血に反対するクリスチャンの場合はどのように対照的ですか。

11 大量殺りくの罪を問われたナチスの戦犯が上官の命令に従ったにすぎないとの理由で無罪を主張した時,無実の人を殺すことに反対する良心の命令に従うべきであったことが法廷で指摘されました。d それはなぜですか。しかるに今日,知性のある,献身してバプテスマを受けたクリスチャンが聖書と一致する良心に従って行動する時,彼らの良心は立法者,判事,医師によって無視され,輸血を強制されます。その血はひとりあるいはそれ以上の人の命を表わしているのです。

おびただしい血の浪費

12 血が神にとって貴重であることを思えば,それを浪費すべきですか。しかしアメリカでは血がどのように用いられているために,大きな浪費を招いていますか。

12 血は神聖なものとして扱われねばなりません。それは命を表わすからです。それは神にとって貴重であり,人間の血は動物の血よりも貴重です。第二次世界大戦中およびその後,「疫病のような輸血の流行」によって,この貴重な人間の生命の流れがなんとおびただしく浪費されてきたのでしょう。1964年3月29日付ニューヨーク・タイムズ・マガジーンの38頁に「600万パイント(1パイントは470cc)の血液でも足りない」と題して次のことが出ています。「毎年,5,600万パイントに及ぶ血液の小さな川がアメリカの病人の血管に流れ込んでいる。ニューヨーク市だけでも一日1000パイントが消費されている。輸血によって何万人の生命が救われている」。しかしこの記事は輸血のために,どんなに多くの命が失われたかを述べていません。そのことが不問にふされ,一方的な報道が行なわれているのはなぜですか。

13 生命の価値について言えば,600万パイントの「小さな川」は何に相当しますか。輸血によってそれだけの命が救われていますか。

13 生命の価値という観点から測ってみると600万パイントの「小さな川」はどれだけのものに相当しますか。ふつうの成人の場合,6万マイル(約9500キロ)に及ぶ動脈,静脈,毛細血管には12から13パイントの血液がめぐって,からだの組織を養っています。これを基にひとり13パイントの割で計算すると,600万パイントの「小さな川」は46万1538人の成人の血に相当します。しかしそれだけの人が救われたというのではありません。いやもっと正確に言えば,たいした害を受けずに輸血を生き延びたのではありません。

14 輸血にもかかわらず人が死ぬ時,貴重な液体はどのように無駄になりますか。

14 アメリカだけでこれら何百万パイントの血液が使われていますが,それには貴重な生命の流れのぼう大な浪費が伴っています。ひとりわずか1パイントは用をなしません。少なくとも3,4パイントが必要であり,時には20から30パイント,まれには40パイントが使われます。それでも南ベトナムの野戦病院におけるアメリカの負傷兵の場合のように,大量の輸血をしても死ぬことがあります。医師は兵士を「救う」ために必死の努力をしているのです。1967年2月25日付ニューヨーク・タイムズには「からの血液袋の山がだんだん高くなり,手術のすむまでには28パイントが輸血された」例が報ぜられています。しかしその兵士は死にました。貴重な液体の浪費です。良い意図の下に行なわれたことは確かですが,それでも成人2人以上の命に相当するものが無駄になりました。それは不首尾でした。

15 ほかにも輸血の副作用からどんな無駄が生じますか。

15 輸血が直接の原因となって死亡する場合,貴重な生命の流れが何十万パイントも無駄になっていることを考えてごらんなさい。輸血によって意図されたのとは反対の結果が生じているわけですから,これは恐るべき浪費です。また,輸血の後遺症のため後日に死亡する場合にも何十万パイントが無駄になっています。また輸血のために身体障害が生じた場合,輸血は無駄になっていませんか。

16 血液銀行に関連してほかにどんな無駄がありまか。

16 血液を売買する血液銀行で生ずる無駄を最後に考えてごらんなさい。血液銀行は低い価格あるいは無料で血液を入手し,一単位10ドル(3600円)から60ドルでそれを売ります。これらの銀行において血液はいつまでも保存されるのではありません。血液は往々にして悪くなり,古くなります。一部の銀行では古くなって使えなくなる血液が,銀行にある全部の血液の1割にも及んだことがあります。それは意図された目的のために使われなかったのです。貴重な生命の液体の大きな浪費です。e

17 この浪費は神に喜ばれますか。これに対して人は神に責任を問われますか。なぜですか。

17 貴重な体液をこのように浪費することは,生命を支えるためにそれを人間のからだに入れた偉大な創造者のみこころにかないますか。輸血に対する医学上の理由は,このような浪費をも神の前で正当化するものですか。神のことば聖書によればそうではありません。平時,戦時を問わず血をこのように流すこと,つまり犠牲の血を神の祭壇の下に流すのではなく神の至上の律法に反する医学上の実験において血を流すことに対して,神は人間の責任を問われるでしょうか。明らかにそうです。古代イスラエルにおいて血に関する神の禁令を故意に犯す者が神の民から絶たれ,つまり殺されたことを考えればことにそう言えます。多くの有効な代用血液がある今日,神の律法をこのように破ることに対して言いわけはできません。心臓外科における難しい手術でさえも,医師が努力し,時間をかけ,その技術を使うならば輸血をしなくても首尾よく行なわれます。

18 殺人を禁ずる神の律法がなお有効であることから,ノアに授けられた他のどんな律法が有効であると言えますか。ノアの家族はその律法をだれに教えなければなりませんでしたか。

18 洪水後ノアに与えられ,血を食べることを禁じた神の律法は,殺人を禁じた神の律法に伴っていました。「人の血を流すものは,人に血を流される,神が自分のかたちに人を造られたゆえに」。(創世 9:4-6)殺人を禁ずる神の律法が今日なお有効なことは確かであり,他の生物の血を体内に入れることを禁ずる神の律法もそれと同様この20世紀に有効であって,人はみずからの益のためにそれを尊重しなければなりません。この禁令を子孫に教えるのはノアの家族の務めでした。

19 モーセの律法下にあったイスラエル人は,血を禁ずる神の律法に関し,次の世代に対してどんな責務を負っていましたか。

19 モーセをとおしてイスラエル国民に与えられた神の律法は,動物の犠牲について次のように定めていました。「脂はみなエホバに帰すべし汝等は脂と血を食ふべからず是は汝らが一切の住処において代々永く守るべき例なり」。(レビ 3:16,17,文語)これからみてもイスラエル人のひとつの世代には,血を食べてはならないことを次の世代に教える義務がありました。血を食べるのが神の律法に反することを子供に教えるのは父親の義務であり,それと一致して父親は子供たちが血を食べないように監督し,また自分が主人であり,監督また保護者である家庭内で血を禁じました。―申命 6:6,7。詩 78:5,6。

20 それと似たどんな責務がクリスチャンのイスラエルに課せられていますか。今日,エホバの証人はこの点において何をしますか。

20 今日,エホバ神には霊的イスラエルすなわちクリスチャンのイスラエルがあります。(ガラテヤ 6:16)生来の肉のイスラエル人がエホバの証人であったのと同じく,クリスチャンのこれら霊的イスラエル人もエホバの証人です。脂肪に関する定めを含むモーセの律法は,キリストが犠牲となって死なれた時に廃止されましたが,エルサレムのクリチャン使徒会議はノアに授けられた神の律法を再確認し,それを真のクリスチャン会衆にあてはめました。未成年の子供たちにこの律法を教え,また施行するのは,クリスチャンの父親の責任です。神の律法によって父親は未成年の子供たちの親権者であると同時に霊的,宗教的な事柄において保護者だからです。クリスチャンであるエホバの証人は今日その事実を認め,神による行為の定めに従います。それでノアに授けられた神の律法やエルサレム会議の布告を破ることのないように子供たちを守ろうと努めます。(エペソ 6:4)当然彼らは子供たちが他の者の血を体内に入れないように子供たちを守ります。

21 クリスチャンの両親のこの権利を,今日だれが否定しますか。彼らは問題の子供をひきとるため,どのように論じますか。

21 エホバの証人である両親には真にこの権利がありますか。一部の医師,判事,立法者は神の律法と信教の自由,クリスチャンの良心に盲目となり,その権利を否定します。クリスチャンにあてはまる神の律法を無視するこれらの人々は,エホバの証人が単なる人間の医師の命令にさからって子供に対する輸血を拒否する時,エホバの証人を危険な親と宣言し,血をわけたみずからの子供に対する保護者の権利を失うものとします。ゆえにこのような子供たちは政教の分離が行なわれている国においてさえも国家の被後見者となります。

22 ゆえに恥ずべきどんなことが,法廷の是認の下に行なわれる結果となっていますか。

22 こうして判事は子供をクリスチャンの親の手からひき離し,輸血を信用する,任命された後見人の下におきます。彼らは神の律法とクリスチャンの親の良心的な反対を無視して,乱暴にもこれらの子供たちに輸血が施されるようにしました。子供がこのような強制的な輸血に生き残ると,これらの違反者は“命を救った”ことで自分たちの良心をなだめます。

あなたはご自分のからだに対して権利を持っていますか

23 これに関連して一寄稿家はどんな疑問を提起し,またどんな結論を述べていますか。

23 これに関連して「からだはだれものか」という重要な問題が起きました。これはエホバの証人である妊婦に法廷命令により輸血が強制されたことに対して怒りを感じた一寄稿家の記事の見出しです。その記事は次のように結んでいました。「いつか我々はディッケンズのビードルのように,“法律をばかげたもの”と結論し,なんらかの手段をとるであろう」。f

24 最近イスラエルでは何のために同様な疑問が提起されましたか。アメリカのユダヤ人は何を訴えましたか。

24 からだはだれのものか。この同じ質問は,割礼のある生来のイスラエル人により,やや関連した問題の場合に提起されました。それは度重なる抗議にもかかわらず,イスラエルにおいてユダヤ人の死体解剖が非常に増加しているためです。イスラエルにおいて「医師は立法者の意図とは異なったふうに法律を解釈して」きました。g 遂に1967年4月7日,イスラエルにおける人間の尊厳を守るアメリカの委員会は,「イスラエルの政府に対する訴え: 死者を冒瀆してはならない」を公表しました。「人間の尊厳とユダヤ人の伝統」を論じたことばの中で,この訴えは一部次のように述べていました。「普遍的に受け入れられているこの神聖な態度に照らし,また自分のからだの運命を決める人間の神聖な権利を考慮し,(アメリカ合衆国をも含め)世界の諸国において,遺体の解剖を行なうには本人および近親者あるいはそのいずれかの書面による同意が法律上要求されている。イスラエルにおける事態は不幸にして「著しく異なっている」。

25 どんな良心的な理由のゆえに,イスラエルのユダヤ人は入院して治療を受けることをこばんできましたか。遺体の処理について請願書は何を述べていますか。

25 この悲劇的な事態に関してこの訴えはさらに次のように述べています。「その結果,聖地の多くのユダヤ人はからだが切断されることを恐れ,たとえ治療が必要でも病院にはいることを拒絶しなければならない……これはユダヤ人にとって宗教上の信念の問題であり,彼らは信仰のために命を捨てることにもなれている。しかしこれはそれほどの問題であろうか。病院にはいるのに自分の良心が許す以上の代価を求められて良いだろうか。死体解剖に関するイスラエルの現行法は死者のみならず生きている人にとっても脅威である……イスラエルの一部の人々は宗教と名のつくものに対しておよそ無関心であるため,死者の権利を踏みにじることをもはばからないように見える……宗教上の問題のみならず,すべての文明国が人間の基本的な権利と認めているものがおびやかされているのである。すなわち死亡した本人および近親者あるいはそのいずれかの意向が遺体の処理方法を決めるのであって,それを決めるのは国家ではない」。h

26 ユダヤ人の訴えは,神の律法から見てどのように正当なものですか。クリスチャンは自分たちのからだについて何を自問しなければなりませんか

26 医学界における尊大な行為に対するこの抗議は,死体のみならず,医学の進歩の名の下に生体をも切断されるおそれのあることを述べています。神の律法は,神から授けられたからだをみだりに切断することを禁じています。(レビ 19:28; 21:5。申命 14:1。サムエル上 31:4)わたしたちのからだは神から授けられたものであるゆえに,この原則は尊重されねばなりません。またもしイエス・キリストをとおして神に献身し,その献身を水のバプテスマによって象徴したのであれば,なおさらそうです。それでわたしたちのからだはわたしたちのものですか,神のものですか,それとも現代科学のものですか。―ローマ 12:1。

27 子供に輸血が強制された場合,問題になるのはどんなからだですか。神のことばは未成年の子供の養育をだれの手に委ねていますか

27 怒りをいだいたユダヤ人は特に死体のために訴えています。しかし輸血の場合,問題なのは生きたからだです。親の宗教上,憲法上の抗議にもかかわらず,法廷の任命した保護者の助けによって未成年の子供のからだが強制的な輸血によって犯される時,深刻な疑問が生じます。すなわち子供のからだはだれのものですか。国家のものですか,それとも血をわけた両親のものですか。神の律法は未成年の子供の養育と宗教上の訓育の責任をクリスチャンの親に委ねています。親と同じ信仰,宗教上のならわしに従って子供を育てる務めを委ねられているのです。この点においては人間あるいは国家よりも神に従わねばなりません。―エペソ 6:4。テトス 1:5,6。マタイ 2:13-21とくらべてください。

終わりのない生命のために血を用いる神の道

28 (イ)エホバの証人は血によって世を救うどんな方法を擁護していますか。(ロ)主の夕食のとき杯から飲むことによって,使徒たちは何を行ない,何を表わしていましたか。

28 エホバの証人であるわたしたちは,医学上の輸血によってではなく,終わりのない命のために血を用いる神の道によって人類の世を救うことを擁護します。19世紀前,死の刑柱の上で血を流される直前に主の夕食を始められた時,御子イエス・キリストはぶどう酒の杯を祝し,忠実な使徒たちに手渡してこう言われました。「みな,この杯から飲め。これは,罪のゆるしを得させるようにと,多くの人のために流すわたしの契約の血である」。(マタイ 26:27,28)イエスはその時ぶどう酒を血に変えたのではありません。それで杯から飲んだ使徒たちも,人食いのように人間の血を飲んだのではありません。イエスのことばはぶどう酒がイエスの血を表わすということを単に意味したのです。この象徴的な意味を持つぶどう酒を飲むことによって,使徒たちはキリストに対する信仰により,自分たちが,キリストの流された血の益を吸収し,自分のものにし,同化することを表わしているのです。イエスが血を流されたことは,人類の世のためにご自分の人間の生命をそそぎ出されたことを意味しました。

29,30 (イ)どのように,そしてなぜ神は御子が血肉にあずかるようにされましたか。(ロ)イエスは復活の時,どのようにして人間の生命の価値を保持されていましたか。

29 命は血にあるゆえに,イエスの血には価値がありました。それは健全で完全な血でした。イエスは処女の母から完全な人間として生まれたからです。イエスが血を流されたことは,罪ある全人類のため神にささげられる犠牲として,完全な人間の生命を捨てられたことにほかなりません。(ヨハネ第一 2:1,2)エホバ神は天の御子に血肉を与えて完全な人間の犠牲とならせるため,天の御子の完全な生命を天から地上にまず移すことをされました。(ガラテヤ 4:4。ヘブル 2:14,15)イエスは神に忠実であり,無実のうちに死なれました。それゆえにエホバ神は3日目にイエスを死からよみがえらせたのです。神の霊的な子としてよみがえらされたゆえに,イエスはご自分が犠牲にされた人間の生命の価値をなお保持されていました。それでヘブル人への手紙 13章20節は次のように述べています。

30 「平和の神」は「永遠の契約の血による羊の大牧者,わたしたちの主イエスを,死人の中から引き上げられた」。

31,32 (イ)ゆえにイエス・キリストは何を携えて天の神のみまえに現われましたか。(ロ)大祭司としてのイエスの働きは,なぜイスラエルの大祭司の働きにまさっていますか。

31 イエス・キリストはご自身の完全な人間の血に等しいもの,すなわちご自身の完全な人間の生命の価値を携えて昇天し,エホバ神のみまえに現われました。―ヘブル 9:24。

32 イエスは,犠牲にされた人間の生命の価値を天において神にささげました。こうしてイエスは神の大祭司としての務めをはたされたのです。そのことは次のように書かれています。「キリスト(は)……やぎと子牛との血によらず,ご自身の血によって,一度だけ聖所にはいられ,それによって永遠のあがないを全うされたのである。もし,やぎや雄牛の血が……肉体をきよめ聖別するとすれば,永遠の聖霊によって,ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は,なおさら,わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き,生ける神に仕える者としないであろうか」― ヘブル 9:11-14。

33 (イ)イスラエルにおいて,神は動物の血にどのように神聖さを付与されましたか。(ロ)神はどのようにして人間の血に特別な神聖さを付与されましたか。医学上における血の使用は何を意味しますか。

33 神は,古代イスラエルの罪をあがなうため動物の血を神の祭壇に用いさせることにより,動物の血を特に聖別されました。同様に完全な人間の犠牲として流された御子の血を神が受け入れられたことは,人間の命が血にあるという事実に加えて,人間の血を特別に神聖なものにしています。(レビ 17:11,12,14)それゆえに命を救うという理くつで輸血のためにこの生命の液体を用いるのは,血の神聖さを汚すことです。それは創造者なる神が,忠実で完全な大祭司イエス・キリストによって人類の世を救ってくださるという事実から人々の注意をそらせ,またその事実を軽んずることです。

34 これらの真理を知るわたしたちにはどんな責務がありますか。地上の楽園で完全な人間になることを期待するクリスチャンは,何により頼んでいますか。

34 これら重要な聖書の真理を知るわたしたちには,人間と動物の血を神聖なものとして扱う義務があります。輸血された人間の血が楽園の地で永遠の生命を与えることは決してありません。医学上の記録が示しているように,輸血はわたしたちや子供たちにとって致命的な結果になることさえあります。神の国の治める地上の楽園を待ち望む従順なクリスチャンは,人間の完全さに至る永遠の救いのために,神の神聖な道に従って用いられる,イエス・キリストの流された血により頼みます。

[脚注]

a アメリカ合衆国対ジョージ・ウイルソンの訴訟事件。この事件は1830年6月14日ジャクソン大統領の出した特赦を受け入れることを,この人が拒否したために起きました。最高裁判所の判決は次のように述べています。「本人が恩赦の益を請求し請願また要請によってそれに頼らないかぎり,法廷が恩赦の益を囚人に与えることはできない。この場合,請求の形式は問題ではないが,何らかの形による本人の請求が必要である。それは彼に与えられるものであり,彼の所有に帰するものである。彼はそれを受け入れることも拒絶することもできる……恩赦はそれに先だつかあるいはそれに伴う条件を付して与えられることがある。そしてこの条件を履行しなければ,罰を受けることもある……恩赦の条件が囚人に受け入れられないものであったと仮定しよう。たとえば追放が恩赦の条件であり,宣告された刑のほうが軽い罰であると本人が考えるならばどうであろうか。一時の誘惑によって犯した罪の償いをするには,刑を受けるほうが自分の益になると考えたとすれば,どうであろうか……」

マーシャル首席判事は最高裁判所の意見としてアメリカ合衆国政府に次のことを指摘しています。「恩赦には条件の付されることがある。そして宣告された刑よりも恩赦の条件のほうが好ましくない場合もあり得る……当法廷の意見によれば,この件における恩赦は請求,要請その他によって法的に法廷に提出されたものでないゆえに,判事はこれをとりあげることができない……」

したがってジョージ・ウイルソンを助命することのできた恩赦も,彼に対する判決を左右することはありませんでした。―32U.S.(7Peters),page150 ff.

b 1892年11月15日号「ものみの塔」(英文)350頁の記事「使徒会議」とくらべてください。

c 輸血が危険であり,致命的になり得ることは,1962年9月11日付ニューヨーク・タイムズ紙に出たハロルド・シュメックの記事「輸血は盲腸炎よりも多くの死をもたらすと言われる」に指摘されています。

d 第二次世界大戦後にドイツのニュールンベルグで行なわれたナチスの戦犯裁判に関連して,その後のニュールンベルグの法律は次のように定めています。「犯罪における愛国主義的な従順は無実の理由とはならない」。

e 失われた血を埋め合わせることについて言えば,毎分1億8000万の赤血球が死んでおり,からだの骨は若い健康な血球をそれらに代えてゆかねばなりません。そうでないと貧血のために死に直面します。献血者の場合のごとく1パイントの血液を取ると,骨髄が赤血球を更新するのに6~8週間を要します―。1963年5月22日号「目ざめよ!」16頁「あなたは奇すしく造られた」。

f 1964年6月20日付ニューヨーク,ジャーナル・アメリカン19頁。ビードルは英国の小説家チャールス・ディッケンズの作品に出てくる人物。

g 1966年9月23日付ニューヨーク・タイムズの記事「死体解剖と戦うイスラエルのグループ」。

h この訴えは次のことばを加えています。「我々は次のことを要求する。すなわち宗教的信念によると人道主義的感情によるとを問わず,何人も自分または親族の遺体の解剖あるいは切断を拒否することを法的に許されるべきである。(死因に疑いのある場合や危険な伝染病の場合など,アメリカで認められている例外はこれを認める)。

1967年5月4日付ニューヨーク・タイムズの6頁に「イスラエル,テルアビブ,5月3日発」として「イスラエルのアメリカ人ラビ,死体解剖に関してアメリカの保護を要請」と題する記事があります。

イマヌエル・ジェイコボビット博士著「ユダヤ人の医学倫理」(1967年版)97,98頁には,「切断」および割礼の儀式,忠実な奴隷の耳を刺しとおすことについて述べられています。

    日本語出版物(1954-2025)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする