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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
塔54 11/15 493–500ページ

希望による忍耐

『前にある希望をいだいて大いによろこびなさい。患難の下にあつても忍耐し祈りのうちに耐えなさい』― ロマ 12:12,新世。

1 どんな気持を持つことによつて円熟したクリスチャンは未熟な伝道者と違うのですか? それで,希望の力から誰が利益を十分に得ますか?

円熟したクリスチャンは前を見ます。円熟したクリスチャンは,現在の世の組織制度の先きを見,ヱホバの御意を行おうと努め,そしてその心は新しい世の生活に適応しております。円熟していないクリスチャンは,この世の組織制度の中で興味を感ずるものを多く見ます。そのようなクリスチャンは,まだ自分勝手な我儘の道を欲します。その心は,自分自身の利害に適応しています。永遠の生命という希望をつかむためには,円熟が必要です。それは,ヱホバの僕がその心を前にある希望にむかつてつねに向けることができるためです。それで,将来を抱括することによつて現在を抑制するという希望の驚くべき力を十分に用いることのできるのは円熟したクリスチャンです。希望は,私たちの生活を現在抑制することにより,私たちの意気を高める力となり,その力は忍耐を生ずるものです。『私たちが見ないものを希望するならば,忍耐してそれを待ち続ける。』― ロマ 8:25,新世。

2 忍耐が何であるかを説明しなさい。また私たちはなぜ忍耐を必要とするかを説明しなさい。

2 ヱホバの奴隷が持つ忍耐とは,次のような決意を意味します。すなわち環境がどんなものであつても,その者は神の言葉が正しく提供する希望を決して棄てないということです。別の言葉で言うならば,それは,私たちの信仰の船が決して破船せず,新しい世の港というその目的地に必らず達することを意味します。私たちが航海をするときに用いる海図,つまり聖書はこのように警告しています。『あなた方は忍耐をする必要がある。それは,あなた方が神の御意をなし得て後に,約束の成就をいただくためである。』(ヘブル 10:36,新世)私たちの希望を築きあげ,かたくする仕方を学ぶのは価値あることです。それは,信仰と愛とともに,この実を結ぶ円熟を産出すためです。『私たちは,信仰によるあなた方の業と,愛によるあなた方のつらい努力と,そして希望によるあなた方の忍耐を絶えず心に留めている。』― テサロニケ前 1:3,新世,脚註。

3,4 (イ)どのようにして,希望は私たちの忍耐を助けますか?(ロ)希望はイエスを助けて,忍耐の試験を通らせたということを示しなさい。

3 希望は,よろこびの基礎になります。本当に聖書にある命令は,私たちがよろこびで充たされることです。『前にある希望をいだいて大いによろこびなさい。』(ロマ 12:12,新世)よろこびは,私たちの希望から湧き出ます。そしてこのよろこびは,私たちの忍耐を産み出します。キリスト・イエスは,希望,よろこび,そして忍耐が互いにどのように働くかについて完全な例を与えました。イエスの希望は,彼の測ることのできない程の大きなよろこびの基礎となりました。イエスの希望? そうです,イエスは,はつきりした希望を持つていました。『父よ,世ができる前に,私がみそばで持つていた栄光でもつて,みそばで私に栄光を与えてください。』(ヨハネ 17:5,新世)しかし,キリストの希望は,彼が人間になる前の存在を得ようとすることよりも,もつと大きなものでした。というのは,彼の希望は『畠に隠されていた宝』すなわち神の宇宙的制度の領域内に隠されていた宝を買うことでした。その宝とは,つまりヱホバの首府制度の長のことでした。彼の希望は彼を押し進め,よろこびをもつて行わせました。『そのよろこびのために,彼は出かけて行つて,持つているものを売り,そしてその畠を買うのである。』― マタイ 13:44,新世。

4 イエスがもし現在だけを見たのであるならば,彼の直面した苦しみの試錬を決して耐えられなかつたでしようし,忍耐の試験を首尾よく通ることもなかつたでしよう。しかし,彼の心は完全に円熟していました。彼は前にある希望を持つて非常によろこびました。その結果,彼のひどいくるしみは『瞬間的で軽い』ものでした。それと同じくキリスト・イエスの心持ちを持つ弟子たちのくるしみも『瞬間的で軽い』ものです。(コリント後 4:17。ピリピ 2:5,新世)キリストの希望はよろこびをもたらし,そしてそのよろこびは忍耐をもたらしたということについては疑いありません。『私たちの前に置かれている競争を,忍耐しつつ走ろうではないか?。信仰の指導者であり,完成者であるイエスをしつかりと見ながら走ろうではないか。彼は,その前に置かれていたよろこびのために苦しみの杭を耐えられたのである。』(ヘブル 12:1,2,新世)私たちは忍耐をする為に,その前にある希望に大いによろこんだというキリストの例を『しつかりと見』なければなりません。

5 ヱホバの僕たちは,なぜよろこびながら試錬に耐えることができますか?

5 使徒たちは,ひどい試錬に会つたときになんと心からよろこんだのでしよう!『彼らは使徒たちを呼び出して,鞭うち,イエスの名によつて語るのは相ならぬと申渡して放免した。使徒たちは,イエスの名のためにいやしめられるにふさわしい者とされたのをよろこびつつ議会から出て来た。』(使行 5:40,41,新世)使徒たちは,鞭うたれながら,どうしてその鞭打ちをよろこぶことができましたか? なぜならば,使徒たちはよろこびを出す希望を持つていたからでした。また,ひどい試錬を通過しましたので,よろこびを感ずる理由もありました。そして,試錬を通過することにより,忍耐を生み出しました。『私の兄弟たちよ,いろいろな試錬に会うとき,それをみなよろこびと考えなさい。あなた方が知つている通り,信仰が験されることによつて忍耐が生み出されるからである。』(ヤコブ 1:2,3,新世)ヱホバは希望の源である故に,またよろこびの源であります。『ヱホバのよろこびは,汝らの力なり。』(ネヘミヤ 8:10,ア標)私たちが『祈りのうちに耐えて』神の御霊を願い求める時には,御霊の果である喜びは,私たちに豊かに与えられます。神の御霊は,私たちの希望を富まします。

私たちの希望を固くする

6 どのような手段によつて,私たちは希望を建てますか?

6 希望を建てるためには,知識と理解を必要とします。新しい世にふさわしい生活をするすべての人は,定期的な聖書研究を取り極め,毎日聖書を読むべきです。これによつて,私たちの希望を強める慰めがもたらされます。『以前に書かれたすべての事柄は,私たちを教育するために書かれたもので,私たちの忍耐とそして聖書から来る慰めによつて,私たちが希望を持つためである。』(ロマ 15:4,新世)『聖書からの慰め』の他に,私たちの希望をかたくする別のものがあります。それは忍耐です。希望は私たちの忍耐を生み出すとは,すでに言いました。それは真ですが,しかし忍耐も希望を産み出します。両方のものは,相互的な仕方で作用します。希望は忍耐を産み出し,そして忍耐は今度私たちの希望を建てます。

7,8 (イ)試錬や苦難についての円熟の見方は何ですか?(ロ)ヱホバは,希望に基いて,どんな勝利の組み合わせを与えられていますか?

7 それでは,ヱホバの忠実な民の上に来る迫害やくるしみは,益のない無価値なものですか? 全然そうではありません! むしろ,忍耐したあらゆる試錬は,私たちの希望を強め,そして私たちの希望をより確かなものにいたします。それですから,試錬が私たちに来るとき,『それをみなよろこびと考える』ことができるのです。あらゆる試錬は,どのように希望をかたくしますか? 忠実を守るときに,私たちは神をよろこばせているということが心から強く認識できます。この神をよろこばす状態こそ,私たちの希望を築き上げるものです。希望は,ある種の『連鎖反応』過程の結果としてかたくされます。

8 『神の栄光にあづかる希望に,よろこび合おう。それだけではなく,苦しみにもよろこび合おう。なぜなら,苦しみは忍耐を産み出し,忍耐は今度神をよろこばす状態を産み出し,神をよろこばす状態は今度希望を産み出す。そして希望は失望に導かないと知つているからである。』(ロマ 5:2-5,新世)ヱホバはなんという勝利の組み合わせを与えられているのでしよう! 忠実が保たれるならば,苦難や投獄はただ希望を建てるだけです。そして,信仰に基いていて,霊的食物や忍耐でもつてつねに固くされる希望は,決して失望に導きません。ヱホバの証者は,将来にある希望によろこんでいて,ヱホバのハルマゲドンの勝利という勝利の感動とよろこびをすでに経験することができます。実際に,私たちはキリストによつてすでに導かれ,その勝利の列に入つているではありませんか? ―コリント後 2:14。

9 悪魔は何をしようと努めていますか? しかし,私たちが忠実を守る時,彼の戦術はどのように悪魔の意向と反対に働きますか?

9 新しい世の社会は,希望のない世界をその背後に残しました。(エペソ 2:12)『この世の組織制度の神』サタンは,希望を与えることができません。サタン自身にも希望が無いのです。(黙示 12:12)それですから,悪魔は新しい世の社会が持つている確かで力強い希望を羨んでいます。悪魔は,迫害という手段により,卑しい方法で私たちの希望を打ち砕こうと努めています。しかし,概して悪魔はみじめにも失敗しております。ヱホバの民が忠実を守る時,悪魔の戦略はつねに悪魔自身の意向に反対して働きます。苦難によつて,勝を得るものは私たちだからです。それは,良いたよりをさらに押し進めるばかりでなく,パウロが言いましたように,『初めのころを思い出させる。そのころ,あなた方は啓発された後に,苦しみの下に大きな戦を耐え忍んだのである,時には,そしられ,苦しめられて見せ物にされたこともあれば,また時にはそのような経験をした人々の仲間にされたこともある。』(ヘブル 10:32,33,新世)そうです,私たちは多くのものを得て,私たちの希望が立て起されますので,使徒パウロは,耐え忍んだくるしみを『思い出すように』と申しています。新しい世の社会にいるあなた方で,いまくるしみをうけている人は,この『一時的で軽い』くるしみが去つた後には,その試錬を振り回つて見て,益を受けたと感ずるでしよう。その試錬は,あなた方を神の心にかなうものとし,あなた方の希望をかたくいたしました。

私たちの希望 ―『魂の錨』

10 なぜ私たちは『強いはげましを得て,前にある希望をつかむ』ことができるのですか?

10 はつきりとしない不確実な証拠に基く希望は,強いはげましを与えることは殆どないため,そのような希望では,悪魔の支配する世の怒りを刺戟させるような仕事を成し遂げることはできません。深く感謝すべきことに,私たちの希望はその約束が確かな方,または偽りを言わない方に依存しているということなのです!『人間は自分よりも大いなるものによつて誓いを立て,そしてその誓いはあらゆる論議を終らせるが,それは人間にとつて合法的な保証であるからである。これと同じく,神はその約束の相続者たちに神の目的が不変であることをより豊かに示されようとし,誓いをもつて立ち給うた。それは,偽ることのできない神の定められた二つの不変の事柄によつて,のがれてきた私たちが強いはげましを受け,前に置かれている希望をつかむためである。』その希望とは『永遠の生命の』希望です。(ヘブル 6:16-18。テトス 1:2,新世)私たちの希望を宇宙の大いにして,動かざる岩に錨を下ろすとき,なんという強いはげましを受けることができ,『前にある希望によろこぶ』ことができるのでしよう!(申命記 32:4)ヱホバは限りあるもので誓われていないということを記憶しなさい。限りあるものは,多分消滅し,その誓いの責務はなくなつてしまうことでしよう。しかし,ヱホバは,無限であつて,消滅しないもので誓われており,その誓いをもつて『合法的な保証』を与えられているのです。ヱホバは,宇宙で一番大いなる方,すなわち変ることのない御自身を指して誓われているのです! ―マラキ 3:6。

11 パウロは,前にある希望をどのように説明していますか? なぜそうですか?

11 私たちは,鋭い理解の心をもつて,前にある希望についてのパウロの次の言葉を読みます。『この希望は,私たちにとつて魂の錨であり,安全にして確かなものである。』使徒は,形容の言葉で希望を『魂の錨』と語つています。パウロは破船を3度経験しており,また錨の価値をたしかに知つていたのですから,その用法はパウロにとつてなんと全く自然なものだつたなのでしよう!(ヘブル 6:19,新世。コリント後 11:25)錨は海の底におろされて,嵐のあいだでも船を固定させ,船が海にまた流し出されたり,または岩にぶつからないようにするとパウロは知つていました。(使行 27:29)その錨がかたくおろされている船は,このように確信して嵐を乗り切ることができます。『魂の錨』― 私たちの希望についてなんと適切な表現なのでしよう。その希望によつて,迫害という最もひどい嵐にも,変らざる忠実を保つて耐え忍び,私たちの信仰については破船することはありません!

12 いまは,私たちの信仰の船にとつて,なぜ嵐の時ですか? しかし何によつて,私たちの信仰は破船を免れることができますか?

12 いまはあらしの時です。サタンの願うことは,私たちがサタンの『海』で溺死することです。この『海』は象徴の言葉であつて,神より離反し,罪の泥を泡立たせそしてサタンの見える制度を支持している落ちつかない人間の群のことです。そうです,これらの『水』は,いままでになく悩みをうけているものであつて,『いろいろの国民,群集,そして国家』のことです。(黙示 17:15,新世)悪魔は地に追い落されて以来この方,『海』を動揺させていることは明白です。そして,苦難の大波を撹き起して,信仰の私たちの船を沈ませようと死にもの狂いの努力をしています。私たちの希望は,私たちの信仰と離れずに結ばれており,そして信仰の破船を防いでおります。(テモテ前 1:19)強い信仰があるとき,『魂の希望』は失われません。それは,失望に導きません。

13,14 私たちの信仰の船にくる大きな危険をどのように避けることができますか?

13 たとえ丈夫な綱であつても,錨が強くないならば,船は海に吹き流されてしまい,当なく流れて災害をうけるでしよう。そのことはまた,私たちの霊的な支え,『魂の錨』にも言えることです。私たちは『錨』をしつかりとおろす一番良い地盤を持つています。―それはヱホバの約束です。しかし,私たちの『魂の錨』が弱いならば,良い地盤であつても,苦難のひどい嵐のあいだ信仰の船をしつかりと保つことはできません。それで,ここに注意の言葉があります。『ものみの塔』研究に出席して,そしてその集会中にうとうとと眠り,『一寸一眠りした位』は私たちの『魂の錨』を弱めはしないなどとは考えてなりません。大切な真理が説明される時に,眠つてしまうならば,その人の信仰の船は堅く造られてはおらずに,建てられません。その船は沈んでいます。それにまた,神の言葉の啓示された真理の武庫にあるすべての武器を使わないならば,その希望に結びついている信仰の船をどのように守ることができますか?『光の武器を身につけよう。』『あなた方の中にある布望について,その理由を求める人には,いつでも弁明できるようにしておきなさい。』― ロマ 13:12。ペテロ前 3:15,新世。

14 また,神権的ないろいろの集会に出席しながら,気持ちは個人的な関心事,『この世の組織制度のわずらい事』に散漫となつていて,しかも私たちの希望を建てることができるなどと考えるべきではありません。(マルコ 4:19,新世)考えを勝手気儘にさせてはなりません。その心を抑制して,伝えられる音信に注意を集中するようにいたしなさい。眠たい心は良く注意を集中できません。心の眠気をとりさつて,目覚めていなさい。心は鈍くなり勝ちなものです。ヱホバの民の研究の時に,注意しないことが全くの危険であるならば,霊的御馳走に出席することを怠ける人々の希望については何が起りますか? こうです,彼らの『錨』は,保ちません。それらの人々は,自分自身の利害を求めて,遂にはこの世に流され戻つてしまいます。直すことのできないような破船すらすることでしよう。(ペテロ後 2:20)『それであるから,私たちが聞いた事柄に,普通以上の注意を払うことが必要なのである。それは私たちがおし流されないためである。』(ヘブル 2:1,新世)普通の注意は十分でないことを忘れてはなりません。私たちは,『聞いた事柄に』細心の注意を払うべきです。『それは,私たちがもはや幼児ではなく,人間の悪企みによるいろいろな教の嵐でここかしこと吹きまわされたり,もてあそばされたりすることがないためである。』― エペソ 4:14,新世。

弱い『錨』は破船に導く

15 今日信仰と希望を保つことは,なぜそんなにも重大なことですか?

15 ハルマゲドンの後には,『海』はもはやありません。(黙示 21:1)しかし,悪鬼の撹乱する『海』が存在するかぎりは,私たちの信仰の船はあらゆる側から攻撃をうけると期待できます。今日戦争の時に,船は下から,潜水艦で攻撃をうけます。私たちの信仰の船を撃沈するために,サタンがあらゆる隠険な手段を用いるということは期待できることです。なぜならば,これは戦争だからです。『龍は女に怒りを持ち,そして女の裔の残つている人々,すなわち神の命令を守り,イエスについて証しの業をする人々に対し戦争をしようと出掛けて行つた。』(黙示 12:17,新世)肉の戦いではなくて,正しい種類の戦いをすることによつてのみ,私たちの信仰の船は悪魔の攻撃を斥けることができます。『信仰と良心を保ちつつ,正しい戦をなしとげなさい。あるものは,良心を捨てたため,信仰について破船をうけた。』― テモテ前 1:18,19,新世。

16 『神からの全武具』のどの部分が,前にある希望ですか? それは,どのように保護をする力ですか?

16 使徒は,希望が非常に力あるものであると知つて,希望はただに『魂の錨』であるばかりでなく,また兵士にとつて保護の冑であると語りました。『冑として,救の希望』をつけなさい。(テサロニケ前 5:8,新世)希望は,保護をする力です。それで,冑としてなぜそれをつけないのですか? 兵士の冑は頭を守り,ひいては心を守ります。クリスチャンの希望は,本当に『悪魔の手立てに反抗できるために神から与えられる全武器』の一部です。なぜならば,戦の命令は『救の冑を身につけよ』であるからです。(エペソ 6:11,17,新世)実際に,ヱホバは『救の冑』を着けられています。そしていまや命令はその忠実な証者たちにあてはまるのです。(イザヤ 59:17)私たちはどのように冑をつけますか? 前にある希望を考えたり,心を神権的な考えで充たし,『ヱホバの証者の年鑑』(英文)の中にある日々の聖句や註解を研究したり,また神権的な活動を討議したりすることによるのです。希望は,ある論題を供給して,深く考えさせます。そして,古い世の考え方から心を守ります。救いの希望を持つとき,私たちは常に先にあるものを考え続けます。それで『後ろにあるものを忘れます。』― ピリピ 3:13,新世。

17 私たち自身の信仰の船が沈むということは,あり得ますか? どのように?

17 私たちが背後のものを考えるときには,悪い種類の戦争をしており,そして私たちの希望を危うくするものです。信仰についての人間の『破船』はあり得ることですが,それはその冑を投げ捨ててしまい,そして前にある希望の代りにこの世の誘惑や贅沢によろこび始めるからです。その人は,『海』が罠に落しこむような商業上の追求や,人を誘惑する快楽の渦で一杯であるということを忘れます。使徒パウロの同労者デマスの例をとつてごらんなさい,デマスは真理に新しいわけではなかつたのです。使徒パウロが最初に投獄された時,デマスも彼と一緒だつたのです。(コロサイ 4:14)しかし,あることがデマスに生じました。彼はその『冑』を脱いで,もはや前のものを見つめようとする心を持ちませんでした。パウロはこう言つています『デマスはこの世の組織制度を愛したために,私を棄てた。』(テモテ後 4:10,新世)デマスは明らかに『破船』しました。なぜ? なぜならば,彼は前にある希望について考えるのを止め,古い世にある後ろの希望を育成したからでした。生活するのにただ必要なものだけを持つということは,『辛すぎる』とデマスは考えたに近いありません。生活をするのに『立派』なものが,強い誘惑になり,彼はその誘惑に打ち克つことができず,ついにそれが彼の希望になりました。背後のものについて希望したために,デマスは『破船』してしまいました。

18 私たち信仰の船にとつて,一番大きな危険の一つは何であるとイエスは示しましたか? それで,パウロはどんな忠告を与えましたか?

18 それで,背後のものを考えるという事に対して,私たちは十分良く注意すべきです! 前にある希望によろこぶと同時に,古い世の利害によろこぶことはできません。今日,『生活についてのいろいろな心配事』とイエスの言われたもの程,私たちの信仰の船を危うくさせるものはありません。(ルカ 21:34,新世,脚注)私たちの希望が本当に新しい世にあるならば,『生活についてのいろいろな心配事』でもつて,私たちの希望を覆してはなりません。贅沢の中にいたいと努めるならば,デマスのような路を取る結果になります。『それで,ただ衣食があれば,それで足れりとすべきである。』そして,もつと多くのものを求めようとする時は危いことと悟るべきです。『富もうと心に決めている人々は,誘惑や罠に陥り,また人を亡びに落してしまう無分別で,有害な欲望に陥る。』(テモテ前 6:8,9,新世)私たちが正しい種類の戦いを止める時,破船の危険は切迫します。『兵士として仕えている者は,生活の事に係り合うことをしない。それは,兵士として彼を徴召した者の心に適うためである。』― テモテ後 2:4,新世。

『自分自身の利害』で希望を覆す

19 使徒は,希望を覆すどんな性質をクリスチャンたちのあいだに見ましたか? このことは,今日の私たちに何を意味しますか?

19 永遠の生命という貴重な希望は,私たち自身によつても,または私たちの自分勝手な道をしようと欲することによつて,ごくたやすく覆えされてしまいます。ソロモン王は,この危険を強調しました。(シンゲン 14:12; 16:25; 21:2)使徒の時代にあつても,それは円熟を妨げる障害でありました。真心から御国の福祉を第一に置いた人は,ごく僅かな人のみでした。パウロはこのことを認め,テモテについて話しをした時にこう述べました。『彼のような心持ちで,誠心誠意あなた方のことを心配している人は他にいない。他の人はみな自分自身の利害を求めて,キリスト・イエスの利害を求めない。』(ピリピ 2:20,21,新世)考えてごらんなさい! 当時パウロは,ローマにいたあるクリスチャンたちで,テモテを除いて他の全部の者は,自分の利害を求める傾向を持つており,キリスト・イエスの業を妨げたと知つていました。テモテがヱホバに献身した時,彼は自分自身の意志を全く棄てて,神の業を生涯の中で一番重要なものにいたしました。テモテは誠意を以つて,『我ここにあり。我をつかわし給え』と言いました。(イザヤ 6:8)パウロの時代でも,自己の利害を求める傾向は流行していたのですから,この世の利害や生活の『すばらしい』ことがらが,そんなにも多種多様に分れている今日,自己の利害を求める傾向が生ずるというのは全く当然でありましよう! 開拓者,僕たち,会衆の伝道者たち ― あなたは,あなた『自身の利害』についてはどういう態度ですか? その利害は,神権的に処理されて,キリスト・イエスの業を妨げませんか?『それで,御国を求め続けなさい。』― マタイ 6:33,新世。

20,21 (イ)自分『自身の利害』は何を意味するかを説明しなさい。(ロ)自分『自身の利害』が破船に導くことはあり得ますか? 説明しなさい。

20 誤解してはなりません。パウロが『自分自身の利害』と呼んでいるものは,完全に合法的な追求でありましよう。もし,聖書に反していないものであるならば,それらは『合法のもの』です。しかし,使徒が説明したように『すべてのものが,合法のものであつても,みなが徳を建てるのではない。』(コリント前 10:23,新世)もし注意を払わないで,『立派な』ものや,娯楽の興味あるもの(テレビジョン,ラヂオ,映画,その他)を願い求めるならば,私たちの希望はくつがえされます。それらのものが,徳を建てないことは,全く確かです。私たちは希望をかたくする必要があります。それは,イエスと同じく,希望が私たちの真の『よろこび』になるためです。いわゆる『道楽』というような他の多くの非神権的な興味が世に充ち溢れています。これらの『道楽』は快楽や,娯楽を与え,この世的な品物で利益を得るかもしれません。しかし,道楽は商業上の追求と同じように,人を容易に惑し,そしてその人の希望を覆してしまうのです。

21 道楽は今日非常に多種のものがあり,静かな切手蒐集から元気な体操までひろがつています。例として,よくある『写真』の道楽を取つてみましよう。ある兄弟は,この道楽から多くのよろこびを得ます。その写真機でよろこびに溢れた神権的な大会や,個人的な経験を記録することができます。『自分自身の利害』によれば,この道楽のあらゆる面と即応して行くことが必要です。多くの雑誌を買つて読みます。間もなくして,この道楽についての本を読み始め,『合法的な』追求に多くの時間を費やしてしまいます。最近号の『写真』の雑誌に後れないようにするために,集会を欠席することがあるでしよう。この道楽についてもつと多くのことを学ぶために,真理外の人々と交際するのが必要であると感ずるかもしれません。この兄弟の『合法の』利害は,その希望を危く覆す点にまで行き過ぎてしまいました。もしその兄弟『自身の利害』が抑制されず,神権的に統禦されないならば,破船が生じるでしよう。

22 (イ)パウロは,前にある希望の価値をどのように見ましたか?(ロ)希望を弱めるどんな危険が,自分『自身の利害』を求めることと結ばれていますか?

22 パウロは,キリストへの希望を非常に高く価値あるものと考えたために,こう言うことができました。『私はすべてのものを失つたが,それらを屑のように見なす』(ピリピ 3:8,新世)私たちの希望が生活の中で強い力であるならば,『生活についてのいろいろな心配事』や道楽や,または『自身の利害』でもつて,私たちの救の希望を駄目にしてはなりません。『自分自身の利害を求めること』に関連している別の危険は,遅かれ早かれ,この世の人々と交るようになることです。この世の人は,真理に興味を持たず,また自分自身も希望を持つていないのですから,あなたの希望を建てることができません。この世の人は,あなたの有益な神権的な習慣やあなたの希望を覆してしまうでしよう。『前にある希望によろこぶ』人々,すなわち新しい世を心に考える人々と交りなさい。『惑わされてはならない。悪い交りは,有益な習慣をこわす。』― コリント前 15:33,新世。

23 前方のものを見つめる心を養はねばなりませんが,それはどんな強い理由によりますか?

23 安全な路は,前のことを見つめるという心を養うことです。希望は私たちを助けて,このことをさせます。実際に希望をかける多くのものがあり,また心を将来に向けさせるものは多くあります。油注がれた残れる者にとつては,天的な栄光,不滅性,そして新しい世の王,キリスト・イエスを『その真の御姿で』見つつ,彼と共に千年のあいだ王となり,祭司となり,審判人となつて統治するという崇高な特権があるのです!(ヨハネ第一書 3:2,3,新世。コリント前 15:53,54。黙示 20:4,6)他の羊にとつては,地上においての永遠の生命が与えられ,地を世界的楽園に変える仕事に参加し,産めよ殖えよの神命の全き成就に従事し,動物たちを支配し,そして死人の一般のよみがえりを目撃するのです!(創世記 9:1。ホセア 2:18。マルコ 10:30。ルカ 23:43。ヨハネ 5:28)そして,霊的残れる者と他の羊の両方に対する最高の希望は,ヱホバのすべての敵がみなすつかり亡ぼされて,ヱホバの栄光ある御名と御言葉が水遠にわたつて立証されるのを見ることです。(シシ記 5:31。ロマ 3:4)まことに,新しい世の社会の希望は,次のように約言されます。私たちが『今よりとこしえにヱホバにたよりて望みをいだく。』ということです。―詩 131:3。

24 前にある希望をよろこぶことから,どんな有益な利益が来ますか?

24 それで,救の冑をかぶりなさい。前にある希望によろこびなさい。あなたの希望について考えなさい。その希望は,真のものであり,重大なものであり,正義のもので,愛あるものです。(ピリピ 4:8,新世)前にある希望に多くよろこべば,よろこぶ程,私たちは希望の神ヱホバについて多く考えます。次のことは有益なものです。『ヱホバ耳をかたむけてこれを聴たまえり。またヱホバを畏るる者およびその名を記憶る者のためにヱホバの前に記念の書をかきしるせり。』― マラキ 3:16。

希望の全き保証

25 前にある希望が実現されるのに,何が必要ですか?

25 私たちの希望は何時有効ですか? 私たちがその希望を公やけに言い表わすならば,その希望はいま有効なものです。業のない信仰は死んでいます。それで,言い表わされない希望は無効なものです。『人は口でもつて公やけに言い表わして救われるのである。』『ゆらぐことなく,私たちの希望を公やけにしつかりと言い表わそう。』(ロマ 10:10。ヘブル 10:23,新世)このようなわけで,ヱホバの御霊によつて支持され,そして公やけに言い表わすことによつて有効にされる希望は力であります。その希望は私たちを助けて前のことを考えさせ,前のことを準備して生活し,そして前にある希望のために働かせます。『私たちは,この目的のために一生県命働いており,努力しているのである。それは私たちが生ける神に希望を置いているからである。』(テモテ前 4:10,新世)私たちの骨折の仕事や,良いたよりを伝道しようとするひたすらな努力は,私たちの仕事は無益なものではなく,また私たちの希望は実現されるということを保証するものです。―コリント前 15:58。ヘブル 6:11,12。

26 希望の力を簡約にまとめて述べなさい。その助けをうけて,私たちは何をすることができますか?

26 それで,『魂の錨』に注意を払いなさい。それは,破船を防ぎます。我たちの希望は,忍耐を生じます。それはよろこびをもたらします。それは私たちを励まして『祈りをしつつ,耐え忍ば』せます。それは,私たちにヱホバの御名について考えさせます。それで,新しい世の社会の一部であるあなた方は,勝利を得た如く勝ち誇つて大いによろこびなさい。この世の希望は暗くても,あなた方の希望は明るいものです。この世の希望はくづれて行きますが,あなた方の希望は成就に近づいています。この世の希望は軽信に基いていますが,あなた方の希望は信仰に基いています。この世の希望は,失望に導きますが,あなた方の希望は成功に導きます。本当に,新しい世はそんなにも近づいていますので,天的のものにしろ,または地的なものにしろ,私たちの一番大切な希望は間もなく実現され,永遠の満足をもたらすでしよう。それですから,私たちの忍耐にひるむことなく,『健全な心と正義,そして敬虔な気持をもつてこの世の組織制度で生活することができ,そのあいだに幸福な希望と,そして大いなる神と私たちの救い主キリスト・イエスの栄光ある出現を待ち望む。』― テトス 2:12,13,新世。

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