あなたのためにキリスト教国は何をしましたか
1 キリスト教に改宗したのち,なにがパウロの習慣となりましたか。
キリスト教の創始者であるキリスト・イエスと,キリスト・イエスの使徒であり追随者であったパウロの生活をかえりみた先の二つの記事によって,わたしたちは安息日ごとに「私たちの神の家」に行くことが二人の習慣となっていたことを知りました。これら二人はそこでエホバを崇拝し,神の国と永遠の命とについて伝道しました。クリスチャンとなるためにパウロは自分の生活を大きく変えねばなりませんでした。そのことをだれより知っていたのはパウロ自身です。ガラテヤの会衆にあてた手紙の中でパウロはこう述べました。「ユダヤ教を信じていたころのわたしの行動については,あなたがたはすでによく聞いている。すなわち,わたしは激しく神の〔会衆〕を迫害し,また荒しまわっていた。そして,同国人の中でわたしと同年輩の多くの者にまさってユダヤ教に精進し,先祖たちの言伝えに対して,だれよりもはるかに熱心であった」。(ガラテヤ 1:13,14〔新世〕)ルカの記録によると,この迫害者がダマスコの近くに来たとき,輝く光が突然に彼を照らし,彼は地に倒れました。この時彼は,「サウロ,サウロ,なぜわたしを迫害するのか」というイエスのことばを聞きました。(使行 9:4)サウロはキリスト教に改宗し,それ以後宣教と会堂で伝道することに対する熱意を失うことはありませんでした。「パウロは例によって,その会堂にはいって行って,三つの安息日にわたり,聖書に基いて彼らと論じ(た)。……ある人たちは納得がいって,パウロとシラスにしたがった。その中には,信心深いギリシャ人が多数あり,貴婦人たちも少なくなかった」― 使行 17:2-4。
2 真のキリスト教は今日,人々のために何をしますか。
2 キリスト教と西暦4世紀に形成されたキリスト教国とには相違があります。それゆえ,今日,真のキリスト教の教えにはパウロの教えたことと同じように人を動かす力があります。真のキリスト教はユダヤ人,カトリック教徒,新教徒,ヒンズー教徒,回教徒,仏教徒など,あらゆる宗教の人々を変えて真のクリスチャンにすることができます。パウロはギリシャ人,ローマ人などの異教徒をさえクリスチャンにしました。クリスチャンとしてのパウロの宣教は,男,女,若者,老人,奴隷,自由人など,あらゆる人に影響を与えました。キリスト教はいずれか特定の種類の人々のためのものではありません。その音信は広範囲に及ぶものであり,あらゆる種類の人々に達します。キリスト教を受け入れ,それに全面的に従うなら,それは人の生活を変えるものとなるでしょう。その変化は愛によるものです。
3,4 キリスト教にしたがって生活する人にはどんなことが求められますか。とくに必要なのはどんな特質ですか。
3 神のことばを学び,またすでに神のことばを学んできたクリスチャンと交わり,その教えに従って生活するなら,どんな人も自分のひととなりが変わるのを知るでしょう。パウロはクリスチャンのたどるべき変化を見ました。そして自らもその変化を遂げたのです。それゆえパウロはこう書きました。「あなたがたは,以前の生活に属する,情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て,心の深みまで新たにされて,真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである」― エペソ 4:22-24。
4 この新しいひととなりは真実のものでなければなりませんでした。それはうわべの飾りではなく,人に見せびらかす新しい洋服のようなものではありませんでした。この新しい人となりは愛を働かすことによって築かれるものでした。その愛とはイエスの語られたもの,すなわちすべての心と思いとたましいと力とをつくして神を愛し,自分自身のように隣人を愛することでした。(マタイ 22:37-39)パウロは人が宣教に従事し,『たとい人々の言葉や御使たちの言葉を語っても,もし愛がなければ,やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである』としました。―コリント前 13:1。
5 (イ)他の人を助けるため自分の持ち物を与える人にどんな動機の欠けていることがありますか。(ロ)そのような人は時にどんな動機で物を与えますか。
5 パウロがクリスチャンの生活において大切であるとしたのはこの愛の原則です。なぜなら,神のみ心を行なうために自分の命をささげてクリスチャンとなるなら,人はそれ以後いっさいのことを愛の動機で行なわねばならないからです。パウロの時代の博愛家の多くは,貧しい人々に物を与える今日の裕福な人々によく似ています。クリスチャンを名のる大きな国々でさえ,自国の富を飢えに悩む他国の貧しい人々に分け与えます。それは通常,国がかかえる余剰食品です。これは親切であり,また寛大な行為です。しかし貧しい国の人々に対する愛の心で与えないなら,与えることにどんな価値がありますか。パウロは述べました。「たといまた,わたしが自分の全財産を人に施しても……もし愛がなければ,いっさいは無益である」。(コリント前 13:3)これはいかにも真実ではありませんか! 権力を求め,あるいは他の者の支配をはかるなど,政治的なまた利己的な理由で,自分のありあまる中から他に与える人や国が多くあります。しかし,愛の心で行なわれないなら,与えることになんの益がありますか。なにもありません! 国家間にどれだけの善行が行なわれても,それらの国々は依然として結ばれていないのです。なぜ? 愛が欠けているからです! 愛は一致のために絶対に必要です。
6 人類に対する神の愛はどの程度示されましたか。
6 それで,キリスト教はあなたにどんな影響を与えましたか。あなたは変わりましたか。あなたは人々を,あるいは諸国の人々すべてを愛することを学びましたか。これまで「私たちの神の家をなおざりに」してこなかったなら(ネヘミヤ 10:39,新世),エホバ「神は愛である」ことをすでに悟っておられるでしょう。(ヨハネ第一 4:8)最初の人アダムが自分の造りぬしに逆らい,人類に罪と死を持ちこんでも,神の愛が変わらなかったことを学んでおられるでしょう。他の者が愛に欠けたからといって,エホバのご性質が変わることはありません。人間が憎しみの気持ちを起こし,神に対する愛を欠き,あるいは他の人間に嫌悪の情を抱くことがあっても,それによって宇宙の全生命を支配するエホバの高潔な原則が曲げられることはありません。むしろ,神の家に行かれたあなたは,「神はひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである」ことを学んでおられるでしょう。(ヨハネ 3:16)あなたにとってこのことばは信じにくいですか。エホバの証人の御国会館での集まりに出席する人はだれでも必ず神について学び,神が人類の世を深く愛してご自分の創造の最初のもの,すなわち「ことば」を送られ,世の罪を取り除くためにこの者すなわち「そのひとり子」を処女マリヤから生まれさせたことを知るでしょう。(ヨハネ 1:1。黙示 3:14; 19:13)これは愛のあらわれでした! ヨハネはこう書いています。「神はそのひとり子を世につかわし,彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって,わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである」― ヨハネ第一 4:9。
信仰の必要さ
7 マルタと話した時,イエスは信仰の大切さをどのように示されましたか。
7 真のキリスト教に従うなら,あなたは神の愛が自分にも及んでいることを悟るでしょう。神のみ子は人類のあがないとなるため,すすんで自分の命を犠牲とされました。それを信ずるなら,あなたもあがなわれる者となるのです。(ヨハネ 3:16)マルタの兄弟ラザロが死んだ時,イエスは信仰についてマルタにこう言いました。「『あなたの兄弟はよみがえるであろう』。マルタは言った,『終りの日のよみがえりの時よみがえることは,存じています』。イエスは彼女に言われた,『わたしはよみがえりであり,命である。わたしを信じる者は,たとい死んでも生きる。また,生きていて,わたしを信じる者は,いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか』」― ヨハネ 11:23-26。
8,9 イエスはラザロのためにどんな偉大な力を示されましたか。これがイエスの愛の行ないであると言えるのはなぜですか。
8 ラザロは死からよみがえらされ,イエスは神の力によるこのすばらしい奇跡を多くの人の前で行なわれました。イエスはラザロの墓の前でマルタに言われました。「『もし信じるなら神の栄光を見るであろうと,あなたに言ったではないか』。人々は石を取りのけた。すると,イエスは目を天にむけて言われた,『父よ,わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。あなたがいつでもわたしの願いを聞き入れて下さることを,よく知っています。しかし,こう申しますのは,そばに立っている人々に,あなたがわたしをつかわされたことを,信じさせるためであります』。こう言いながら,大声で『ラザロよ,出てきなさい』と呼ばわれた。すると死人は手足を布でまかれ,顔も顔おおいで包まれたまま,出てきた。イエスは人々に言われた,『彼をほどいてやって,帰らせなさい』。マリヤのところにきて,イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは,イエスを信じた。しかし,そのうちの数人がパリサイ人たちのところに行って,イエスのされたことを告げた」― ヨハネ 11:40-46。
9 これ以前にイエスは,「記念の墓にいるすべての者が,彼の声を聞いて出てくる時がくる。善をした者は生命によみがえり,悪を行なった者はさばきによみがえるであろう」と語っておられました。(ヨハネ 5:28,29,新世)ラザロをよみがえらせたイエスはこのことばが必ず実現することを示されたのです。ラザロをよみがえらせた行為はイエスの愛のあらわれでした。イエスはこの善行に対するむくいをラザロに期待されたわけではありません。この奇跡を行なうにあたりイエスは自分の天の父に栄光を帰し,神が御国によって成しとげられるすばらしい事柄を全人類に示されました。御国によって人間家族は地上で完全な命を再び受け,死人は地上によみがえらされ,しだいに完全にすすみ,全地はばらのように咲き輝くのです。これは愛のあらわれであると思われませんか。
10 人類に対する神の愛について疑いの気持ちがあるなら,どこに問題があると考えられますか。
10 エホバ神がこれほどに人類を愛しておられることを信じますか。これになんらかの疑いをおもちなら,それはおそらく「私たちの神の家」にいつも行かず,神のことばを読まず,あるいはこれら聖書的なことがらを他の人々と話し合わないためでしょう。そのため神のことばに対する信仰が建て起こされないのです。キリスト教国の牧師のある者と同じように,聖書にあることの多くは真実ではなく,史実ではないと考えているかたがありますか。そのような疑いをあなたの心の中に起こさせた者はだれですか。それはあなた自身が聖書を勉強したためではなく,おそらくキリスト教国において教師を自任する者たちによるのでしょう。イエスは自分の時代の宗教指導者についてこう言われました。「あなたがたは自分の父,すなわち,悪魔から出てきた者であって,その父の欲望どおり行なおうと思っている」― ヨハネ 8:44。
11 再び,どんな考えさせる疑問が起きますか。
11 キリスト教国はあなたにどんな影響を与えましたか。あなたの心に疑念を植えましたか。あなたは文字になった神のことばを信じますか。キリスト・イエスはあなたにとって現実のものとなっていますか。あなたを愛された神がご自分のひとり子をそなえられたことを信じ,神の復活の力を信じますか。強い信仰と,大きな愛とをもち,自分の信じることを他の人々に伝えますか。クリスチャンならそうします!
愛を深める
12 どうしたらクリスチャン愛を深めることができますか。
12 愛を深める唯一の道はすでにもつ愛を働かせることです。それには時間がかかります。しかし愛が原則に基づくものであることを十分に理解するならこれは可能です。愛は「真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人」を着ることを目ざすクリスチャンの目標であると言ってよいでしょう。―エペソ 4:24。
13 ウエブスター辞典はギリシャ語アガペーをどのように定義していますか。神はこの種の愛をどのように示されましたか。
13 ペテロは当時のクリスチャンに手紙を書き,信仰をもつ人がどのように進歩するかを示しました。彼はこう述べました。「あなたがたの信仰に徳を加え,徳に知識を,知識に節制を,節制に忍耐を,忍耐に信心を信心に兄弟愛を,兄弟愛に愛を加えなさい」。(ペテロ後 1:5-7)ギリシャ語で愛をあらわすことばはアガペーです。ウエブスター新国際辞典第3版によると,アガペーとは「与える者の犠牲や利益,あるいは受ける者の功罪などを計算せず,自らを憎みなく与える寛大な愛」です。罪ぶかい人類の世にエホバが示されたのはこの愛です。エホバは犠牲や利益などを計算せず,惜しみなく愛を示されました。エホバ神は人間に愛の負目があったわけではありません。世の罪を除くための取りきめを設けることは神がしなければならなかったことではありません。それは人類が与えられたものであり,しかもそれは過分に与えられたものでした。わたしたちがお互いと神とに示すのはこのような愛ですか。
14 愛することについてイエスはなんと言われましたか。
14 イエスは原則に基づくそのような愛を示されました。イエスの足跡に従って歩むなら,クリスチャンは愛において進歩するはずです。この時キリスト教はその人のためになっていることになります。山上の垂訓の中でイエスはこう語られました。それは人を驚かせることばです。「『隣り人を愛し,敵を憎め』と言われていたことは,あなたがたの聞いているところである。しかし,わたしはあなたがたに言う。敵を愛し,迫害する者のために祈れ,こうして,天にいます,あなたがたの父の子となるためである。天の父は,悪い者の上にも良い者の上にも,太陽をのぼらせ,正しい者にも正しくない者にも,雨を降らして下さるからである。あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて,なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつをしたからとて,なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。それだから,あなたがたの天の父が完全であられるように,あなたがたも完全な者となりなさい」― マタイ 5:43-48。
15 クリスチャンはどうしたらこの愛の特質を示せますか。
15 愛を示すという面でエホバは完全です。エホバはご自身のひとり子を与えられました。神は自らを与えられ,その益にあずかったのは人類です。クリスチャンはどうしたら愛において天の父のように完全な者となれますか。自分の敵,また自分を迫害する者を愛し,その者のために祈ることができるなら,クリスチャンは天の父がもっておられると同じ愛を示し始めていることになります。わたしたちの地球と全宇宙の創造者であられるエホバは,良い者の上にも悪い者の上にも太陽をのぼらせておられます。そこに差別はありません。エホバは正しい者の土地にも正しくない者の土地にも雨を降らせておられます。神に不公平なところはありません。エホバの愛は遠くにまで及びます。神のことばを学び,クリスチャンの中で生活したことによって,あなたのひととなりは大きく変わり,このような愛をもつまでになりましたか。
16 クリスチャンの持つべき愛を身につけるにはどうしたらよいですか。
16 永遠の命を得るためには,クリスチャンはこのような愛を絶対にもたねばなりません。あなたの「キリスト教」はあなたをして敵と迫害する者と隣人とを愛させましたか。もしそうでないなら,あなたは信仰,徳,知識など神のことばに語られているものに欠けているかもしれません。おそらく,神の真理と正義の原則についてさらに学ぶことが必要でしょう。パウロはピリピ人にあててこう書きました。「わたしはこう祈る。あなたがたの愛が,深い知識において,するどい感覚において,いよいよ増し加わり,それによって,あなたがたが,何が重要であるかを判別することができ,キリストの日に備えて,純真で責められるところのないものとなり,イエス・キリストによる義の実に満たされて,神の栄光とほまれとをあらわすに至るように」。(ピリピ 1:9-11)パウロの論議は愛が成長するものであることを明らかにしています。愛は大きくなるものであり,次第に豊かになるものです。愛を実践することによってあらゆる知識とどう察力とは大きくなります。新英訳聖書はそのことをこう言いあらわしています。「わたしはこう祈る。あなたの愛があらゆる知識とどう察力とにおいて,いよいよ豊かになり,あなたに真の分別力の賜物をもたらすように。こうしてあなたはキリストの日にきずなく,責められるところのない者となり,イエス・キリストによって来る義の実を十分に刈りとって神の栄光と賛美となるであろう」。新英訳聖書は「分別力」という語に脚注をつけて,「あるいは,どんなことがもっとも価値があるかを経験によってあなたに教えるように」としています。
17 愛はほかのどんなことをわたしたちに悟らせますか。
17 それゆえ,神のことばの正確な知識が愛の成長を助けるでしょう。その愛によって人は,正しい者にも正しくない者にも雨を降らせる神のすばらしさを知るようになります。そして,すべての人の作物に日が照り,雨が降って,食物ができることを喜ぶようになるでしょう。神がこうした良いことをなさるなら,クリスチャンはなにをすべきですか。あなたの「キリスト教」は御国の福音を全世界にのべ伝えるためにあなたを送り出しましたか。それはあなたを神の奉仕者にならせましたか。キリスト・イエスから教えられた戒めを教えて人を弟子とすることを試みたことがありますか。
1965年に愛がなしとげたこと
18,19 エホバの証人はどのように愛を実践することに努めましたか。その結果としてどんな増加が見られましたか。
18 エホバの証人は1965奉仕年度の間,友好的な国にも敵対する国にも聖書をたずさえて地の果てにまで行きました。エホバの証人は愛の心から,ものみの塔協会の92の支部組織の監督のもとに197の土地で御国の福音をのべ伝えました。
19 わずか10年前の1955年,毎月家から家に伝道するエホバの証人は57万694人でした。しかし今1965年には103万4268人の奉仕者が全世界で福音をのべ伝えました。心の中に神に対する愛をもつ人が数十万もふえたからです。
20,21 1965奉仕年度報告には,エホバの証人が神と隣人に対する愛を実践したことがどのようにあらわれていますか。
20 エホバ神は敵と迫害する者たちを愛したエホバの証人を祝福されました。以前,エホバの証人の仕事に反対していた者で今日その音信に耳を傾け,自分の命をエホバ神にささげている人が多くいるからです。事実,昨奉仕年度には浸礼を受け,エホバ神への献身を示した人が6万4393人いました。今これらの人々は神のことばを学ぶことによって,エホバとみ子とエホバの仕事とについて正確な知識を得,エホバの証人と長年まじわってきた人々と同種の愛をもっています。人類に対する愛のしるしとして,エホバの証人は1965奉仕年度の12ヵ月間に1億7124万7644時間を費やして家から家に尋ね,また家庭聖書研究を司会しました。エホバの証人は関心をもつ人に5916万5475回の再訪問をし,また関心をもつ人々の家庭で1年を通じて毎週77万595の家庭聖書研究を司会しました。これらの研究は聖書と聖書研究手引とを用いて司会されています。
21 毎週1回1時間の勉強をするひまもない人々を助けるため,164の言語の人々に数百万冊の書籍や冊子が配布されました。エホバの証人が全世界で配布した書籍は445万687冊,小冊子は1232万6066冊,雑誌は1億3539万7426冊です。このほかエホバの証人は二つの優れた雑誌「ものみの塔」と「目ざめよ!」の購読予約161万4146を得ることができました。
22 無償で宣教に従事するだけでなく,エホバの証人一人一人は伝道のためにどんな犠牲を払いましたか。
22 1965奉仕年度の間,ものみの塔聖書冊子協会はその印刷施設を用いて1億1923万8970冊の「ものみの塔」誌と,1億1037万9879冊の「目ざめよ!」誌を印刷することが必要でした。すなわち合計2億2961万8849冊の雑誌が協会によって印刷され,予約購読と1冊ずつの配布とによって全世界に頒布されたことになります。エホバの証人によるこの大規模な証言の仕事はすべて自発的に行なわれています。エホバの証人は家から家に行くことに対して給料の支払いを受けるわけではありません。このほかエホバの証人はいたるところの人々をたずねて福音を広めるため,ガソリン,電車やバスなどの乗物などのために多くの費用をかけました。エホバの証人は御国の福音を人々に語るために,村,町,いなかなどの道を歩いてくつの底をへらしました。神の愛は人類全体に及び,真のクリスチャンとなり,神のクリスチャン証人となることを願うなら,わたしたちも愛を示さねばなりません。
23 エホバの証人が迫害されても伝道をつゞけるのはなぜですか。
23 エホバの証人はこの仕事を続けます。それは彼らが神を愛し,友なる人間を愛し,敵や迫害する者をも愛するからです。たとい迫害によってエホバの証人のある者の死ぬことがあっても,残っている者たちは神の国の福音を伝えつづけるでしょう。
24 1965年4月16日の記念式には何人が集まりましたか。キリストの天の「花嫁」となる者であることを告白したのは何人ですか。
24 エホバの証人が行なっている仕事に対する人々の関心の度合いを示すものとして,1965年4月16日の,イエス・キリストの死の記念式には,193万3089人が御国会館その他のエホバの証人の集会場所に集まりました。このうち,パンとぶどう酒の象徴物を食べて,キリストの「花嫁」となり,天の栄光にあずかってキリストと共同の相続者,またイエスと共同の王また祭司となるとの期待をいだいていることを示したのはわずかに1万1550人です。これはキリスト・イエスが黙示録の中で,全人類から選ばれてイエスと共に天の栄光にあずかり,キリストと共に1000年の間地を治めると言われた14万4000人の残りの者たちです。その1000年の間に陰府にいる者のすべてがよみがえります。その期間には大きな教育の仕事が行なわれるでしょう。
25 すべての宗教の人々にはどんなことがすゝめられますか。
25 キリスト教,ヒンズー教,仏教,回教,塔その他いずれの宗教であるにしても,あなたの宗教はあなたのために何をしましたか。それは真の愛,隣人に対する愛,敵に対する愛,迫害する者たちに対する愛をあなたのうちに起こさせましたか。それはあなたを行かせ,すべての国民を弟子とさせ,神に対する愛とみ子キリスト・イエスに対する愛とを教えさせましたか。あなたの宗教は全人類に対する愛をそなえた新しいひととなりをあなたに与えましたか。もしそうでないなら,御国会館に行ってエホバの証人と共にエホバ神を崇拝し,神と全人類に対する愛を学ぶことをおこたってはなりません。それによって,キリスト教国ではなく,キリスト教があなたのために何をするかを知るでしょう。
[149-153ページの図表]
全世界にわたるエホバの証人の1965奉仕年度の報告
(製本した雑誌を参照)