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目ざめよ! 1997
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ギリシャでエホバの証人の正しさが立証される

「目ざめよ!」通信員

クレタ島にあるガジ村の正教会の司祭は,説教の中でこう述べたことがありました。「わたしたちのこの村に,エホバの証人の集会場があります。それを除き去るには,皆さんの力添えが必要です」。数日後の夜,だれか分からない数人の人物が王国会館の窓ガラスを粉々にし,建物に向かって発砲しました。こうして,信教の自由に関する論争が,ギリシャで再び持ち上がりました。

この事件がきっかけとなり,4人の地元のエホバの証人,つまりキリアコス・バクセバニス,バシリス・ハドザキス,コスタス・マクリダキス,そしてティトス・マヌサキスは,宗教的な集会を開く許可を得るため,教育宗教問題省に請願書を提出しました。許可を取得できれば,最終的には,確実に警察の保護を得られると考えたのです。しかし,事はそれほど簡単に進みませんでした。

例の司祭はヘラクリオンの公安警察本部に手紙を送り,自分の教区内にあるエホバの証人の王国会館に当局者たちの注意を喚起して,証人たちに制裁処置を科すことと,集会の禁止を要請しました。その結果,証人たちは警察の取り調べを受け,尋問されました。最終的に,検察官はエホバの証人たちを起訴したので,この件は裁判に持ち込まれました。

1987年10月6日に,ヘラクリオンの刑事裁判所は4人の被告人に無罪を言い渡し,「被告人たちは起訴されたような行為を行なっていない。なぜなら,宗教団体の成員は自由に集会を開くことができるからである。……許可は必要ない」と述べました。しかしながら,検察官はこの判決を不服として二日後に控訴し,問題は控訴裁判所に持ち込まれました。1990年2月15日に同裁判所は,証人たちに2か月の自由刑と約100㌦(約1万1,000円)の罰金を言い渡しました。その後,被告人たちは,ギリシャ最高裁判所に上告しました。

1991年3月19日に,最高裁判所は上訴を退けて,有罪判決を支持しました。2年余りたった1993年9月20日には最高裁判所の判決が公表され,王国会館は警察によって封鎖されました。こうした行動の背後にクレタ島の正教会があったということは,警察の文書から明らかになっています。

こういう事態が生じたのは,ギリシャでは,信教の自由を制限する目的で1938年に承認された幾つもの法律が,今でも有効だからです。それらの法律は,崇拝の場所を管理したいと思う者はだれであれ,教育宗教問題省と正教会の地元の司教から許可を得なければならない,と規定しています。幾十年もの間,それら時代錯誤の法律は,エホバの証人に多くの難儀をもたらしてきました。

信教の自由,そして人権

最高裁判所が有罪判決を支持したことを知った4人のエホバの証人は,1991年8月7日にフランスのストラスブールにあるヨーロッパ人権委員会に申立てを提出しました。申立人たちは,その有罪判決がヨーロッパ人権条約の第9条に違反していると主張しました。この条約は,思想,良心,及び宗教の自由を擁護し,それに加えて,単独にであれ,他者と共に生活する共同体においてであれ,また公私いずれの場においてであれ,自らの宗教を表明する権利を擁護しています。

1995年5月25日に,25人から成る同委員会はこの件に関して,ギリシャはヨーロッパ人権条約の第9条に違反したとの判断を全員一致で下しました。問題となっている有罪判決は信教の自由の精神と相いれず,民主主義社会には不要である,というのが同委員会の裁決でした。そこには,本件申立ての許容性に関して,「申立人たちは……その宗教的儀式ならびに慣習が,ヨーロッパの多くの国々で広範に知られ,公認されている運動組織の成員である」とも記されていました。同委員会は最終的に本件をヨーロッパ人権裁判所にゆだねました。

エホバの証人の活動を止めることはできない

審理は1996年5月20日に行なわれることになりました。法廷には200人余りが詰めかけ,その中には,地元の大学の学生や教授,ジャーナリスト,それにギリシャ,ドイツ,ベルギー,フランスのエホバの証人などが大勢含まれていました。

アテネ大学の名誉教授で,エホバの証人たちの代理人弁護士を務めたフェゾン・ベグレリス氏は,ギリシャ当局者たちの方針と判決が,ヨーロッパ人権条約に違反するだけでなく,ギリシャ憲法にも違反する,と主張しました。「ですから,この裁判の争点になっているのは,同国の憲法とその適用です」。

ギリシャ政府側の代理人弁護士は,国家評議会の判事でした。この弁護士は,事実について論ずるのではなく,ギリシャにおける正教会の立場,同教会が政府や国民と密接な関係にあること,また他の宗教を抑制する必要があるという主張に注意を引きました。さらに同弁護士は,エホバの証人が1960年以来,信者数の大幅な増加を達成していると述べました。言い換えると,独占的な立場を占めてきた正教会に対する戦いが勝利を収めてきたということです。

信教の自由が擁護される

判決は9月26日に言い渡されることになっていました。特にエホバの証人の間では緊張感が高まりました。首席裁判官であるルドルフ・ベルンハルト氏が判決を読み上げました。9人の判事から成るこの裁判所は全員一致で,ギリシャ政府はヨーロッパ人権条約の第9条に違反しているという裁定を下しました。それに加え裁判所は,必要経費を賄うための1万7,000㌦(約187万円)が申立人に支払われるべきであると裁定しました。最も重要なこととして,この判決には,信教の自由を支持する特筆すべき賛成意見が幾つも含まれていました。

この裁判所はギリシャの法律が,「信教の自由の行使に対する,政治上,行政上,および宗教上の当局者たちによる広範に及ぶ妨害」を可能にしていると述べました。さらに,国家は許可を得るために必要とされる手続きを利用し,「正教会以外の特定の運動組織,特にエホバの証人の宗教的信条の実践に対して,厳格な,もしくは極めて抑圧的な条件を課した」と付け加えています。この国際的な裁判所は,正教会が幾十年にもわたって用いてきた凶暴な策略の数々を暴露しました。

同裁判所は,「ヨーロッパ人権条約によって保障されている信教の自由の権利からすれば,宗教的信条,あるいはその信条を表現する手段が適法か否かを決定するいかなる権利も,国家には与えられない」ことを強調し,「エホバの証人は,ギリシャの法律で定められている『良く知られている宗教』の定義の枠内に入る……。これは政府の認めるところでもあった」と述べました。

単なる冗談ではない

次の数日間,ギリシャの主な新聞のほとんどは,この訴訟について報道しました。1996年9月29日には,カティメリニ紙の日曜版が,次のような論評を加えました。「ギリシャ国家が,どれだけこの判決を“単なる冗談”として軽く流そうとしても,ストラスブールのヨーロッパ人権裁判所から食らった“平手打ち”は,揺るがぬ事実だ。しかもそれは,国際的な規模で適切に記録されている。裁判所は,ギリシャに人権条約の第9条を思い起こさせ,全員一致でギリシャの法律を糾弾した」。

1996年9月28日付のアテネの日刊紙「エスノス」は,ヨーロッパ人権裁判所は「ギリシャを糾弾し,エホバの証人であるというだけで不幸を味わった市民への賠償金の支払いを命じた」と,述べました。

申立人の弁護士の一人,パノス・ビトサヒス氏は,あるラジオ番組でインタビューされ,こう述べました。「わたしたちは1996年に生きており,まもなく21世紀を迎えようとしています。言うまでもなく,信教の自由にかかわる基本的な権利の行使に関連して,行政側が差別,いやがらせ,干渉などを行なうべきではありません。……この機会に政府は,施政方針を見直し,無意味な差別をやめるべきです。今時そんなものは,何の役にも立ちません」。

「マヌサキスその他対ギリシャ」事件の判決によって,ギリシャ国家は自国の法律をヨーロッパ人権裁判所の下した判決に即したものにし,ギリシャのエホバの証人が,行政,警察,教会などの干渉を受けることなく信教の自由を享受できるようになることが期待されています。さらにこの判決は,ヨーロッパ人権裁判所が信教の自由に関連した問題についてギリシャの司法機関の違反を認めた,二度目の判決です。a

神の言葉に反しない事柄すべてに関して,エホバの証人が「上位の権威」である政府に従うことは,広く知られています。(ローマ 13:1,7)公の秩序を乱す危険は全くありません。逆に,エホバの証人はその出版物の中でも公の宣教の際にも,すべての人が法律を守る市民となり,平和な生活を営むよう勧めています。その宗教は由緒正しく廉直で,その成員は隣人の福祉に大きく貢献してきました。聖書の高い道徳規準を擁護する確固とした態度,特に聖書教育活動を通して示される隣人愛は,エホバの証人がいる200以上の国や地域で健全な影響を及ぼしてきました。

ヨーロッパ人権裁判所の下した判決は,エホバの証人だけでなく,ギリシャに存在する少数派の宗教団体すべてに,より大きな信教の自由をもたらすものと期待されています。

[脚注]

a 最初の判決は,1993年に言い渡された「コキナキス対ギリシャ」事件の判決でした。―「ものみの塔」誌,1993年9月1日号,27ページをご覧ください。

[15ページの図版]

1993年9月20日,警察によって封鎖された当初の王国会館

ストラスブールのヨーロッパ人権裁判所

[16ページの図版]

裁判に関係した証人たち: T・マヌサキス,V・ハドザキス,K・マクリダキス,K・バクセバニス

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