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  • 「解き明かしは神によるのではありませんか」
    ものみの塔 2015 | 2月1日
    • ヨセフは28歳になりました。この10年ほど奴隷また囚人として暮らしています。かつて思い描いていたものとはまったく異なる生活です。いつか自由になれるのでしょうか。愛する年老いた父やいとしい弟ベニヤミンにもう一度会えるのでしょうか。いつまでこんなところにいなければならないのでしょうか。

      あなたもヨセフのように感じたことがありますか。今の生活は,若いころに願っていたものとは大違いかもしれません。つらい出来事が続いて出口が見えず,どう耐えたらよいのか分からないこともあるでしょう。では,ヨセフの信仰から何を学べるか考えてみましょう。

      「エホバは引き続きヨセフと共におられ」た

      ヨセフは,自分の神エホバが決して自分を忘れたりされないことを知っていました。このことは,耐え忍ぶ助けになったに違いありません。異国の牢獄にいても,エホバは様々な方法でヨセフを祝福されました。こう述べられています。「エホバは引き続きヨセフと共におられて終始愛ある親切を差し伸べ,また彼が獄屋の長の目に恵みを得られるようにされるのであった」。(創世記 39:21-23)ヨセフは一生懸命に働き続けることによって,神に祝福していただけるようにしました。エホバがいつも共にいてくださることを知って,どれほど慰められたことでしょう。

      それにしても,エホバはヨセフをいつまでも牢獄に入れたままにしておくつもりでしょうか。ヨセフは推測することしかできず,答えを求めて神に祈り続けたに違いありません。よくあることですが,その答えは思いも寄らない方法で与えられました。ある日,牢獄にちょっとした騒ぎが起きます。新しい囚人が2人入ってきたのです。どちらもファラオの側近で,1人は王のパン焼き人の長,もう1人は献酌人の長でした。―創世記 40:1-3。

      護衛の長は,かつて高い地位にあったその2人の世話をヨセフに任せます。b ある夜,2人はそれぞれ真に迫った不可解な夢を見ます。朝になり,ヨセフは2人の様子がおかしいことに気づき,こう尋ねます。「どうして今日あなた方は憂うつそうな顔をしておられるのですか」。(創世記 40:3-7)ヨセフの親切な態度を見て,2人は自分たちの問題を打ち明けても大丈夫だと思ったのでしょう。ヨセフは知るよしもありませんでしたが,その会話はヨセフの人生の転機につながりました。ヨセフがちょっとした親切な関心を示そうとしなかったなら,そのような会話にはならなかったでしょう。わたしたちもこう自問できます。「わたしは他の人に関心を示すことによって,神への信仰を表明しているだろうか」。

      ヨセフが仲間の囚人たちと座っている

      ヨセフは仲間の囚人と接する際に親切や敬意を示した

      2人は,真に迫った不可解な夢を見たこと,それを解き明かしてくれる人がいないことで動揺していました。エジプト人は夢を重視しており,それを解き明かせると言う人に大いに頼っていました。2人は自分たちの見た夢がヨセフの神エホバからのものだということを知りませんでしたが,ヨセフにはそれが分かりました。そこでこう言って安心させます。「解き明かしは神によるのではありませんか。それ[その夢]をどうぞわたしに話してください」。(創世記 40:8)ヨセフの言葉は,今日,聖書を誠実に研究するすべての人にとって重要な意味があります。信仰心を持つ人が皆,ヨセフと同じように謙遜な態度を示すとしたら,どんなに良いでしょう。神の言葉の正確な理解を得ようとする時は,人間の高慢な考えを進んで退け,神に頼る必要があるのです。―テサロニケ第一 2:13。ヤコブ 4:6。

      まず献酌人が話します。この人が見た夢では,1本のぶどうの木に3つの小枝が付いており,そこに房が出ました。ぶどうが熟すと,献酌人はその果汁をファラオの杯の中に搾り出しました。エホバの助けにより,ヨセフは直ちにその夢の意味を悟ります。そして,3つの小枝とは3日のことで,3日のうちに,ファラオは献酌人を元の職務に戻すだろう,と献酌人に語ります。献酌人の顔に安堵の表情が浮かぶと,今度はヨセフが,「どうかわたしに愛ある親切を施してわたしのことをファラオに話し」てください,と頼みます。そして,自分が故国からさらわれて来たこと,正当な理由もなく投獄されていることを話します。―創世記 40:9-15。

      献酌人に良い知らせが告げられるのを見て,パン焼き人も自分の夢の意味を尋ねます。パン焼き人が見たのは,自分の頭の上にパンを入れた3つのかごがあり,鳥たちがその1つからパンを食べている,という夢でした。この謎の答えもヨセフに与えられました。しかし,それはパン焼き人にとって良い知らせではありませんでした。ヨセフはこう語ります。「その解き明かしはこうです。三つのかごとは三日のことです。今から三日のうちにファラオはあなたの頭を上げさせてはね,きっとあなたを杭に掛けるでしょう。そして鳥たちがあなたの身から肉を食べるのです」。(創世記 40:16-19)神の忠実な僕たちすべてと同じように,ヨセフも神の音信を,良い知らせであれ,差し迫った裁きの知らせであれ,大胆に伝えました。―イザヤ 61:2。

      3日後,ヨセフの言葉どおりになりました。ファラオは,誕生日の宴を催し,2人の僕に対する裁きを宣告しました。(誕生日の宴は,聖書時代の神の民の間では行なわれなかった習わしです。)ヨセフが予告したとおり,パン焼き人は処刑され,献酌人は元の職務に戻されました。しかし,残念ながら,この無責任な献酌人はヨセフのことをすっかり忘れてしまいました。―創世記 40:20-23。

      「私はご考慮いただくほどの者ではございません」

      丸2年がたちました。(創世記 41:1)それがヨセフにとっていかに苦しい日々だったか,想像してみてください。献酌人とパン焼き人の見た不可解な夢の解き明かしをエホバから与えられ,期待が高まったことでしょう。それからというもの,朝,目が覚めるたびに,今日こそは自由になれるかもしれないと思います。しかし,牢獄でのいつもと変わらない1日が終わるころには,何の変化もなかったことを思い知らされるのです。その2年間は,ヨセフにとって最も試みとなる耐えがたい期間だったと言えるでしょう。それでもヨセフは,自分の神エホバを信頼し続けました。くじけてしまうのではなく,忍耐しようと決意しました。そしてその試練の時を経て,さらに強くなったのです。―ヤコブ 1:4。

  • 「解き明かしは神によるのではありませんか」
    ものみの塔 2015 | 2月1日
    • エホバは,献酌人とは違い,ヨセフのことを決して忘れませんでした。ある夜,ファラオに2つのたいへん印象的な夢を見させます。最初の夢では,姿が美しく肥えた7頭の雌牛がナイル川から上がって来ますが,そこへ姿が醜くやせた7頭の雌牛が現われて,肥えた雌牛をむさぼり食ってしまいます。また次の夢では,穀物の1本の茎に7つの良い穂が出ていましたが,そこへ風で干からびた,やせた7つの穂が伸びてきて,良い穂を呑み込んでしまいます。朝になって目を覚ましたファラオは,それらの夢のことで大いに動揺し,すべての賢人たちや魔術を行なう祭司たちを呼び,その夢の解き明かしを求めます。しかし,だれも解き明かすことができません。(創世記 41:1-8)何も答えが出なかったのでしょうか,それともいろいろな意見が出て,まとまらなかったのでしょうか。いずれにせよ,ファラオは期待を裏切られました。それでこの謎の答えを見つけようといよいよ必死になったのです。

      献酌人はようやく,ヨセフのことを思い出し,良心の痛みを感じます。そしてファラオに,2年前,自分が牢獄にいた時,自分の見た夢とパン焼き人の見た夢を一人の若者が正しく解き明かしてくれたことを話します。ファラオは直ちにヨセフを牢獄から連れて来させます。―創世記 41:9-13。

      ファラオの使者に呼び出された時,ヨセフがどう感じたか,想像してみてください。ヨセフはすぐに着替え,毛をそりました。髪の毛をすべてそったようです。それが当時のエジプトの習慣だったからです。ヨセフは今回のことでエホバが祝福してくださるよう,熱烈に祈ったに違いありません。まもなく,王宮の豪華な間でファラオその人の前に立っていました。こう述べられています。「するとファラオはヨセフに言った,『わたしは夢を見たのだが,それを解き明かしてくれる者がいない。ところでわたしはお前について聞いたのだが,お前は夢を聞いてそれを解き明かすことができるということだ』」。それに対するヨセフの答えにはやはり,謙遜さと神への信仰が表われています。ヨセフはこう言います。「私はご考慮いただくほどの者ではございません。神がファラオに幸いをお告げになるものと存じます」。―創世記 41:14-16。

      ヨセフが王宮の間でファラオに身をかがめている

      ヨセフは謙遜な態度でファラオにこう述べた。「私はご考慮いただくほどの者ではございません」

      エホバは,謙遜で忠実な人を愛されます。ですから,賢人や祭司たちには理解できない答えをヨセフにお与えになったのも不思議ではありません。ヨセフの説明によると,ファラオの2つの夢には同じ意味があります。エホバが同じメッセージを繰り返されたのは,それが「堅く定められた」,つまり絶対に実現する,ということを知らせるためです。肥えた牛と良い穂はエジプトに豊作の7年が来ることを意味し,やせた牛と穂はその後に飢きんの7年が起こることを意味しています。その飢きんが豊作を呑み込んでしまうのです。―創世記 41:25-32。

      ファラオには,ヨセフが正しく解き明かしたことが分かりました。では,どうしたらよいのでしょうか。ヨセフはある対策を提案します。ファラオに,「思慮深くて知恵のある人」を見つけ,その人を監督とするよう勧めます。そして,豊作の7年間,余った穀物を集めて倉庫に蓄えさせ,後に起きる飢きんの間,困っている人たちにその穀物を分配させるのです。(創世記 41:33-36)ヨセフは,経験や能力からすれば,その職務を遂行するための十分な資格を持っていますが,自分を売り込むことはしません。謙遜だったので,そうしたせん越なことなど考えもしませんでした。また信仰があったので,そうする必要もありませんでした。わたしたちの場合も,エホバに対する本物の信仰があるなら,野心的になったり自分を売り込んだりする必要はありません。安らかな心で,物事を神の力あるみ手に委ねることができるのです。

      「このような人をほかに見いだすことができようか」

      ヨセフの計画が賢明なものであることは,ファラオとその僕たちの目に明らかでした。王は,ヨセフの知恵の言葉の背後にヨセフの神がおられることも認めます。それでそこにいた僕たちにこう言います。「神の霊が宿るこのような人をほかに見いだすことができようか」。そしてヨセフにはこう言います。「神があなたにこのすべてを知らせられたのであるから,あなたのように思慮深くて知恵のある人はいない。あなた自身がわたしの家をつかさどり,わたしの民すべてはあなたに全面的に従うことになる。ただ王座に関してのみわたしがあなたより大いなる者となる」。―創世記 41:38-41。

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