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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2003
塔03 8/15 31ページ

親切を愛した人

エホバの証人の統治体の成員として長年奉仕してきたミルトン・G・ヘンシェルは,2003年3月22日の土曜日,地上での歩みを終えました。82歳でした。

ミルトン・ヘンシェル兄弟は,まだ年若いころにエホバの証人の本部の一員となり,60年余りにわたって忠実に奉仕を行ないました。兄弟は,良い判断力を持つ人として,また王国を宣べ伝える業に誠実な関心を抱く人としてすぐに知られるようになりました。1939年には,エホバの証人のブルックリン印刷施設の監督だったN・H・ノアの秘書になりました。ノア兄弟は1942年,世界中の証人たちの指導の任に当たるようになると,ヘンシェル兄弟を補佐として用います。1956年,ヘンシェル兄弟はルシール・ベネットと結婚し,人生の苦楽を共にすることになりました。

ヘンシェル兄弟は,ノア兄弟が亡くなる1977年まで同兄弟と密接な関係を保って働きました。ノア兄弟に同行することが多く,150を超える国々に旅行し,世界各地のエホバの証人,とりわけ宣教者や支部事務所で働く人たちを訪問して励ましました。そのような旅行には困難が伴うこともあり,危険な場合さえありました。1963年,リベリアの大会を訪れていたときのこと,ヘンシェル兄弟は愛国的な行事に参加するのを拒んだため,厳しい迫害に遭いました。a 兄弟はひるむことなく,わずか数か月後にリベリアに戻り,同国の大統領に会って,エホバの証人がより自由に崇拝を行なえるよう尽力しました。

ヘンシェル兄弟は,難しい問題や試みとなる事柄を扱うとき,実際的で,融通が利き,道理にかなっているとの評判を得ていました。共に働いた人たちは,兄弟の秩序正しさ,慎み深さ,そしてユーモアの精神をとりわけ高く評価しました。兄弟は優れた記憶力の持ち主で,世界各地の宣教者に会うと,大抵は名前をすぐに思い出し,地元の言語で二言三言話しかけ,目を輝かせながらウィットに富んだことを言っては,本人たちを喜ばせました。

ミカ 6章8節によると,エホバはわたしたちが『親切を愛する』ことを望んでおられます。ミルトン・ヘンシェルは,この点に関する手本を残したことで記憶にとどめられるでしょう。重い責任を担っていたにもかかわらず,いつも近づきやすく,温和で,親切でした。兄弟はよくこう言っていました。「判断に迷うときは思い起こしてください。親切であることは正しいことです」。わたしたちは,愛する兄弟が亡くなったことを悲しく思いますが,兄弟が「命の冠」という報いを得ることを確信しつつ最後まで忠実に耐え忍んだので,そのことを喜びます。―啓示 2:10。

[脚注]

a 「1978 エホバの証人の年鑑」,171-178ページをご覧ください。

[31ページの図版]

M・G・ヘンシェルとN・H・ノア

[31ページの図版]

妻のルシールと共に

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