エホバを「試みる」建設の業
エホバ神を「試みる」のはふさわしいことでしょうか。イエスはサタンの誘惑に答え,「あなたの神エホバを試みてはならない」という言葉を引用されました。(マタイ 4:7。申命記 6:16)エホバの愛や慈しみや辛抱強さにつけ込んで,故意に神の義の原則や法則を犯すなら,ふさわしくない仕方で神を試みていることになります。
しかし,エホバをふさわしい仕方で「試みる」こともできます。エホバ神ご自身イスラエル人に次のような招待を差し伸べておられます。「十分の一をことごとく倉に携え入れて,わたしの家に食物があるようにせよ。この点で,どうかわたしを試みるように……わたしがあなた方に向かって天の水門を開き,もはや何の不足もないまでにあなた方の上に祝福を注ぎ出すかどうかを見よ」。(マラキ 3:10)エホバが約束を果たす責務をご自分に課しておられるのですから,本当に『祝福を注ぎ出して』くださるかどうか,「十分の一を」従順に携え入れることによりエホバを試みるのはイスラエル人にとってふさわしいことでした。
現代のわたしたちはどのようにしてエホバをふさわしい仕方で「試みる」ことができるでしょうか。イスラエル人にとって「十分の一」を携え入れるのは自分たちが神に全く献身していることのしるし,つまり象徴にすぎませんでした。現代のクリスチャンも自分が神にすべてをささげたことを表わす証拠を示さなければなりません。(レビ記 2:1-3,7-10,14-16と比較してください。)わたしたちは霊的な面で,また物質的な面で自分の持っているものを進んでささげ,自分が献身している証拠を示せます。現在,海老名で行なわれている建設の業は,日本中の兄弟姉妹がエホバの招きにこたえ応じて,エホバを「試み」ていることの表われです。
エホバの招きにこたえ応じる
神の家,ベテルを建てる業にあずかるようにとの招きにこたえて,大勢の兄弟たちが建設奉仕を申し込みました。そのうち308名が現在建設奉仕に携わっています。それらの人たちはエホバに対する全き献身を表わすために,この奉仕にあずかっているのです。最近その隊伍に加わった二人の兄弟たちは家族を抱えていますが,協会の招きに応じ,これまでの仕事を後にして建設奉仕に携わるようになりました。
一人の兄弟は7月の中ごろ,左官の仕事に携わるようにとの招きを受けました。それまでしていた仕事を辞めるのは簡単ですが,協会の建設が終わってから新しい仕事を見つけるのは容易ではありません。しかし,この兄弟は招待の手紙を受け取るとすぐにそれに応じました。「これは特権です。だれにでも差し伸べられている機会ではないのですから」と兄弟は話しています。
もう一人の兄弟は子供3人を含む5人家族を抱えていますが,進んで招きに応じました。ところが世俗の仕事を辞めようとすると,親方から猛烈に反対され,「家族を養ってゆけるのか」と言われました。兄弟は家に帰ってエホバに祈り,エホバを「試み」ました。1週間後,今度は協会からの手紙を持って行きました。それを見せると親方はようやく仕事を辞めることを了承しました。そして,協会の建物が出来上がったら戻って来てまた自分の所で働くようにと言いました。
ベテル家族と交わることにより,自分たちの家族に豊かな霊的祝福がもたらされるようになった,と二人の兄弟たちは語っています。エホバの言葉にこたえ応じ,ふさわしい仕方で神を「試みる」なら,エホバ神は必ず豊かに祝福してくださいます。
有用な助け
建設奉仕者として働く人々の中には,大工や左官など実際の建てる業をスムーズに進められるよう支援する業に携わっている人もいます。それは建設現場を常に整理整とんする仕事です。こうした仕事をする人がいなければ実際に建てる仕事に携わる人々が安全に作業ができません。また,自分たちで清掃の仕事をしなければならなくなり,仕事のペースは遅くなります。そのために最近清掃班が組織されました。
合計8人の兄弟たちが建設中の工場棟と宿舎棟を分担して,各階ごとに掃除をしてゆきます。「一つの階をきれいにするのに,最初は二日ぐらいかかりました」と,この仕事に携わる一兄弟は語っています。これは地道な忍耐のいる仕事です。「建設奉仕者になったのですからだれでも左官,大工,クレーンの操作など,実際に建てる仕事に携わりたいと思うものです。しかし,現場の後片づけや清掃を終日行なう兄弟たちは,自分たちのそうした気持ちを抑えなければなりません。これも大きな自己犠牲です」と建設委員の一人は話しています。こうした面での犠牲も確かにエホバに喜ばれるのではありませんか。
しかし,“雑工事”関係の仕事は増える一方です。専従の建設奉仕者だけですべてを行なうなら多大の時間がかかり,建設全体の工程にも影響を及ぼします。このため,近隣の会衆から自発奉仕者が募られ,8月24日から28日までの五日間に,80の会衆から延べ332人が自発奉仕にあずかりました。勤勉に働く兄弟姉妹は使用済みのコンクリート用パネルの釘を抜いて,パネルを再生する仕事を与えられました。これにより5,600枚のパネルが再生されました。雑工事部門の兄弟たちだけで行なおうとすれば,約3か月かかる仕事です。そのパネルは宿舎棟8階のコンクリート打ちに使われました。近隣の諸会衆のこの有用な働きに建設奉仕者たちは深く感謝しています。今後も,安全管理の面で問題がないようであれば,このような自発奉仕が計画されることでしょう。
それに加えて,建設に携わっていないベテル奉仕者たちにも9月下旬の水曜日の晩に建設の業にあずかる機会が差し伸べられました。90人ほどのベテル奉仕者が参加し,工場の床の仕上げ剤を塗るための準備として,床にこびりついたモルタルやコンクリートの汚れをこそげ落としました。これは根気のいる仕事ですが,大勢で一斉に行なえたので能率が上がり,2時間半ほどの残業で予定の作業を終了しました。
建設奉仕者の兄弟たちも,安全面に気を配りつつ,残業を行なっています。現在,月の第2および第4水曜日もしくは木曜日の晩,そして第3土曜日の午後に残業が行なわれています。建設にあずかる兄弟たちの霊的な福祉を考え,集会を休まなくてもよいよう配慮が払われています。
建設に直接携わる兄弟たちも,それを支援して建設の業を進めるために自らの労力を提供する人々も皆,自分たちがエホバに献身していることの表われとして,このような増し加えられた奉仕の機会を喜んでとらえています。エホバは「十分の一」にも相当するこのような奉仕を「携え入れて」ご自分を「試みる」人々にどのようにこたえておられますか。
エホバは建設の業を導かれる
エホバはご自分の聖霊を求める奉仕者たちの創意工夫の才を刺激して建設の業を導かれることがあります。それは幕屋の建造の際,「さまざまな仕組みを考案するため……工夫に富むあらゆる品物を造るため」神がご自分の霊をベザレルの「心に入れ」たのに似ています。―出エジプト記 35:30-35。
一例として,新宿舎棟の高い所まで協会のクレーンでは届かないことが分かった時の出来事があります。高い所まで届くクレーンを借りると1日幾万円も支払わねばなりません。その時,新工場棟の基礎を掘った際に土留めに使われた厚い鉄材が一人の兄弟の目に留まりました。くず鉄にしかならないと思われ,使う当てもなく処分を待っていた鉄材でした。それを活用して建物の2階にまで達する構台を造り,その上にクレーンを載せることが提案されました。この提案に基づいて大型クレーンを支える頑丈な構台が築かれ,新宿舎棟の最上階まで協会のクレーンで資材を上げられるようになりました。このすべてにエホバの導きが見られるのではありませんか。
豊かに注がれる祝福
エホバの霊の導きにより工事が着々と進められているので,神の祝福が目に見える形で明らかになってきています。新工場は来年2月の竣工に向けて8割がた完成しています。現時点で既に工場東側の塗装は完了し,写真でも分かるように足場が取り除かれています。工場西側の塗装もほぼ終わっています。
製本部門が使うことになる新工場の3階と4階は90%完成しており,既に完成している工場2階に加えて,今にも工場としての機能を果たせるような状態になっています。他の階の仕上がりも順調に進んでいます。
新宿舎棟の大きなコンクリート打ちはすべて終わり,急ピッチで仕上げ工事が進められています。新宿舎棟にはベテルの居室が128部屋できますが,最近そのモデルルームが完成しました。美しいモデルルームの写真もご覧ください。これらの写真を見ると,確かにエホバが建設工事を祝福しておられることが分かるのではありませんか。
しかし,これは建設の仕事が少なくなっているということでしょうか。いいえ,建設の仕事は今まさにピークを迎えようとしているのです。仕上げ工事には特に多くの手間と時間がかかります。しかし,献身的に働く建設奉仕者の業を約束通りにエホバが祝福してくださる時,エホバの崇拝を促す有用な建物が完成することでしょう。
わたしたちは個人としてこの建設工事に直接携わることはできないかもしれません。しかし,この建設に関連してどのようにエホバを「試みる」ことができますか。
あなたはエホバを「試み」ていますか
最近ベテルを訪問し,建設現場を見学した一地域監督は,その建設の規模に圧倒され,「もっと出版物を提供したいという気持ちになりました」と語りました。野外奉仕に熱心に参加し,霊的な面でいわば「十分の一」を携えて来るなら,この建物を活用する面でわたしたちにできる大きな分を果たしていることになります。実際のところ,重要なのは建物ではなく,そこで生産される出版物が野外で活用されることなのです。
大勢の兄弟姉妹は心からの寄付によってこの建設にあずかり,エホバを「試み」ています。神は「いやいやながらでも,強いられてでもなく,ただその心に決めたとおりに……快く与える人を愛されるのです」。―コリント第二 9:6,7。
新工場の5階と6階は,現在のところ具体的な用途が決まっていません。それは無駄なスペースになるでしょうか。わたしたち日本の王国伝道者は全体として,エホバを「試み」ていると言えます。それはサタンが勧めるふさわしくない仕方でエホバを試みることとは異なり,エホバ神ご自身の招きにこたえることなのです。すべてをエホバにささげたことのしるしとして,自分にできることをこの工事に関しても行なってゆきましょう。そして,エホバがわたしたちに向かって,『天の水門を開き,もはや何の不足もないまでにわたしたちの上に祝福を注ぎ出されるかどうかを見る』ことにしましょう。エホバはご自分の約束にたがわず,新工場の5階と6階をも使わなければならなくなるほど祝福を注ぎ出してくださるに違いありません。―マラキ 3:10。
[3ページの図版]
美しく仕上がった工場東側外壁
[4ページの図版]
会衆からの自発奉仕
建設現場の残業
ベテル奉仕者の自発奉仕
「工夫」された,クレーンの構台
[5ページの図版]
工場の照明器具取り付け
ドア枠の取り付け
発送事務所の内装工事
天井の仕上げボード貼り
工場棟の内壁塗装
[6ページの図版]
新工場の荷物用5トン エレベーター
モデルルーム
ベテル全景(東側)