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    ものみの塔 1986 | 12月15日
    • 「勇気を出し,大いに強くありなさい」

      「あなた方は彼らを恐れてはならない。あなた方の神エホバが,あなた方のために戦われるからである」― 申命記 3:22。

      1 (イ)荒野の旅行を終えた時,イスラエルはどのような状況にありましたか。(ロ)その時,モーセはどんな訓戒を与えましたか。

      イスラエルの歴史上きわめて重要な出来事の生じる時が到来していました。神の聖なる民はこれから約束の地に入る備えをしなければならないのです! モーセはイスラエル人を率い,40年をかけて,広大な,畏怖を感じさせる荒野を通り抜けました。しかし今やモアブの地のヨルダン川の近くまで来たモーセは,神の民に最後の話をします。120歳になっていても,「その目はかすまず,その生気は失われ(ず)」,その声の力も衰えていませんでした。これからモーセの後継者となるヨシュアも,すべてのイスラエル人も,モーセがエホバの律法を力強く説明し,約束の地を取得すべく前進するに当たって勇気を出すようにという力のこもった訓戒を与えるのを聞いて,心を躍らせたに違いありません。―申命記 1:1-5,19,21,29,30; 3:22; 31:6,7,23; 34:7。

      2 これらの出来事に関する記述が今日のわたしたちの教訓ともなっていることはどのように分かりますか。

      2 はるか昔のこの出来事は過去の歴史にすぎないのでしょうか。そのようなことは全くありません。使徒パウロは,「以前に書かれた事柄は皆わたしたちの教えのために書かれたのであり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」と述べています。(ローマ 15:4)現代には,ここに記述されている出来事に類似した出来事が生じています。それは今日の霊的な戦いに携わるわたしたちを強めることができます。またそれは,「事物の諸体制の終わりに臨んでいるわたしたちに対する警告」ともなり,サタンのわなを避けるようわたしたちを助けます。―コリント第一 10:11。ペテロ第一 4:7。

      ヨシュアの力 ― その源はどこにあるか

      3,4 (イ)恐れのない態度を培う必要があるのはなぜですか。(ロ)どうすれば,そのような態度を培えますか。

      3 神の民はごく近い将来にエホバの新しい事物の体制へと前進することになっています。世界で進展している種々の出来事からすると,わたしたちには恐れのない態度を培う必要があります。どうすればそのような態度を培えるでしょうか。ヨシュアが約束の地に入る準備をしていた時,神は「ただ勇気を出し,大いに強くありなさい。注意して,わたしの僕モーセがあなたに命じたすべての律法のとおりに行なうためである。それから右にも左にもそれてはいけない。どこに行ってもあなたが賢く行動するためである。この律法の書があなたの口から離れてはいけない。あなたはそれを昼も夜も小声で読まなければならない。注意してそこに記されているすべてのことをそのとおりに行なうためである。そうすればあなたは自分の道を成功させ,賢く行動できるからである」と,ヨシュアにお命じになりました。―ヨシュア 1:7,8。

      4 そうです,ここに秘訣があるのです! 聖書を毎日読むことです。聖書にはわたしたちに対する神の律法が含まれています。神の律法について黙想しなければなりません。その諭しに注意を払ってください。あなたを取り囲んでいる物質主義的で不道徳な世にそれてゆくことを許してはなりません。自分がどんな状況にいようとも,知恵をもって行動しなければなりません。神のみ言葉の研究によって得た正確な知識と霊的な理解を実際の生活に当てはめる必要があります。聖書について他の人に話してください。そうすることにより,またエホバに頼ることにより,あなたは確かに『勇気を出し,大いに強くあり,自分の道を成功させる』ことができます。―詩編 1:1-3; 93:5; 119:165-168と比較してください。

      5 (イ)今日の年若い証人たちは,どうすればヨシュアのように力を得ることができますか。(ロ)今日,若い証人たちはどのような優れた目標を持てますか。

      5 ヨシュアは「若い時から[ずっと]モーセの奉仕者」でした。(民数記 11:28)この親しい交わりから,ヨシュアは霊的な力を得るよう助けられたことでしょう。同様に今日の年若い奉仕者も,献身的な親や開拓者,長い経験を持つ証人たちなど,エホバの忠節な僕たちと共に働くことにより,力が得られます。そのように熱心な人たちと家から家の証言に携わるのは喜びともなり,若者たちが円熟性と,宣教において進歩したいとの願いを培うように助けるものともなります。(使徒 20:20,21。イザヤ 40:28-31)若い証人たちは,エホバの王国のための全時間奉仕以上に優れた目標を持てるでしょうか。―詩編 35:18; 145:10-12。

      6 ヨシュアはアマレクとの戦いに関して,どのような面でわたしたちの模範となっていますか。

      6 ヨシュアはアマレクと戦うようモーセから遣わされた時,『モーセの言ったそのとおりに行ないました』。ヨシュアは従順であったために勝利を得ました。わたしたちも,エホバの組織から得る,戦闘に関する指示に十分な注意を払うなら,エホバの正しさの立証にあずかることになります。エホバはモーセに対して,アマレクに対する勝利を書の中に記し,それをヨシュアの耳に説き聞かせることにより,ご自分の勝利を記念するようお告げになりました。ヨシュアはその勝利について他の人々にも語って,エホバの勝利をさらに称賛したに違いありません。同じように今日のわたしたちも,主権者なる主エホバの力強い業を知らせ,差し迫っている邪悪な者たちに対するエホバの「復しゅうの日」をふれ告げることができます。―出エジプト記 17:10,13,14。イザヤ 61:1,2。詩編 145:1-4。

      7,8 (イ)ヨシュアとカレブはカナンから戻ってどんな確信を言い表わしましたか。(ロ)この時のエホバの物事の取り扱い方から,どんな警告と励ましが得られますか。

      7 モーセは約束の地を探らせるために12人の長たちを遣わした際,その中にヨシュアを含めました。斥候のうち10人は,帰ってくると,その地に住むカナン人に対する強い恐れの気持ちを言い表わし,エジプトに戻る運動を起こすよう人々に説き付けましたが,ヨシュアとカレブは大胆にもこのように断言しました。「もしエホバがわたしたちを喜びとしてくださっているならば,わたしたちをその地に携え入れ,それを,乳と蜜の流れるその地を与えてくださるはずです。ただエホバに反逆することだけはしてはなりません。あなた方はその地の民を恐れないでください。彼らはわたしたちのパンとなるのです。彼らの保護となるものは彼らの上から離れ去っており,エホバはわたしたちと共におられるのです。彼らを恐れてはなりません」― 民数記 13:1-14:38。

      8 しかし,エホバはイスラエルの集会がつぶやき続けたので介入され,それら恐れの気持ちにとらわれたイスラエル人に対して荒野を40年さまようという有罪の判決を下されました。カレブとヨシュアを除く男子のすべての戦人は約束の地を見ることなく死にました。今日のわたしたちにとって何と強力な警告なのでしょう。エホバの取り決めに対して決してつぶやくことがないようにしましょう。証言の難しい区域で奉仕するとしても,命を救う王国の音信を携えて人々の家に赴くときには,勇気を持ち,強くありましょう。公の証言を行なうよりも,仲間の兄弟たちを中傷し,対型的なエジプトである世の道に再び陥れることを好む現代の背教者のようには決してなることがありませんように。―民数記 14:1-4,26-30。ルカ 12:45,46。使徒 5:27-29,41,42と比較してください。

      エホバのみ名が前面に出される

      9 ヨシュアはその新しい名前にふさわしく,どのような生き方をしましたか。

      9 聖書が挙げている12人の斥候の名簿によれば,ヨシュアは,「救い」を意味するホシェアと呼ばれています。ところが,この時の記録には,「モーセはヌンの子ホシェアをその後もエホシュア[『エホバは救い』を意味する]と呼んだ」と記されています。なぜモーセはこのようにエホバのみ名を強調したのでしょうか。それは,ヨシュアがおもにそのみ名を立証するために奉仕したからです。モーセは後に,「あなたは,心をつくし,魂をつくし,活力をつくしてあなたの神エホバを愛さねばならない」という命令をイスラエルに強調しましたが,ヨシュアはその命令に対する従順の生きた模範となりました。そうすることによりヨシュアは,「エホバは救い」であることを実証する特権にあずかりました。―民数記 13:8,16。申命記 6:5。

      10 (イ)あなたにとって,エホバのみ名は何を意味しますか。(ロ)わたしたちはエホバがさらにヨシュアに語られた言葉からどのような力を得られますか。

      10 わたしたちも,エホバのみ名を極めて貴重なもの,あらゆる賛美にふさわしいものとみなすようになっているのではないでしょうか。その傑出したみ名には,ご自分の目的を成就することに関して「彼は成らせる」という意味があります。エホバの王国の約束は何と心温まるものなのでしょう。わたしたちもヨシュアと同じような熱意を抱いて,清く義にかなった新しい事物の体制への希望をこれから抱くかもしれないすべての人の前で,エホバのみ名と目的を高めなければなりません。この試練となる時代に,わたしたちはエホバがさらにヨシュアに語られた次の言葉から力を得ることができます。「わたしはあなたに命じなかっただろうか。勇気を出し,強くありなさい。うろたえたり,おびえたりしてはいけない。あなたがどこに行こうとも,あなたの神エホバが共にいるからである」― ヨシュア 1:9。a

      11 (イ)イエスがエルサレムに入城された時,イエスという名の意味はどのように強調されましたか。(ロ)イエスはエホバのみ名をどのように見ておられましたか。何がそのことを示していますか。

      11 ヨシュア,あるいはエホシュアという名に相当するギリシャ語はイエスであり,これもやはり「エホバは救い」を意味します。エホバはイエス・キリストを通して人類に対する救いを備えられます。西暦33年,イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入城した時,群衆は「救いたまえ! エホバのみ名によって来るのは祝福された者!」と叫び続けました。(マルコ 11:9。ゼカリヤ 9:9)ヨシュアは,『わたしたちがその歩みにしっかり付いて行くよう手本を残された』イエスの正真正銘の予型でした。(ペテロ第一 2:21)イエスはヨシュアのようにエホバのみ名を貴重なものとみなし,そのみ名を高めました。弟子たちと共にささげた最後の祈りの中で,イエスは二度にわたって神のみ名を強調し,こう言われました。「わたしは,あなたが世から与えてくださった人々にみ名を明らかにしました。……わたしはみ名を彼らに知らせました。またこれからも知らせます。それは,わたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり,わたしが彼らと結びついているためです」。(ヨハネ 17:6,26)そのみ名を他の人々に知らせることができるとは,わたしたちは何という特権を与えられているのでしょう!

      12 今日,わたしたちはどのような強力な業を待ち望んでいますか。なぜですか。

      12 ヨシュアの忠節な指導に関する聖書の記述を読むとき,わたしたちは大いなるヨシュアであるイエス・キリストが今日の神の民を導いておられることを念頭に置くことができます。立証が行なわれる「エホバの日」は近づきました。その日に続く義の新体制に関する神の約束の成就をわたしたちは熱心に待ち望んでいます。(ペテロ第二 3:10-13,17,18)それで,わたしたちは,ヨシュアを通して行なわれたものよりもさらに強力なエホバの業を確信を持って期待しています。

      ヨルダンで行なわれたエホバの奇跡

      13 (イ)ヨルダンの東側でイスラエルは,一見どうしようもないどんな状況に直面しましたか。(ロ)イスラエルの従順はどのように報われましたか。

      13 西暦前1473年も収穫の時を迎えており,ヨルダン川は洪水期にありました。老若男女,それに子供たちから成る数百万もの魂が,どのようにこの荒れ狂う奔流を渡れるというのでしょうか。しかしエホバは,「今,あなたとこのすべての民は,身を起こしてこのヨルダンを渡り……なさい」とヨシュアにお命じになりました。それにこたえて,民は,「あなたの命じたことはみな行ないます」とヨシュアに告げました。イスラエルは宿営を解きました。最初に行進したのは,契約の箱を担いだ祭司たちです。その箱はエホバがイスラエルと共に臨在しておられることを表わすもので,注意深く覆いがかけられました。それからエホバは『彼らの中で驚嘆すべき事を行ない』始められました。「箱を担う者たちがヨルダンまで来て,箱を担うその祭司たちの足が水のきわにつかると……その時すぐ,上流から下って来る水は止まりはじめた」のです。下流の水は「断たれ」て死海に流れ去り,「民は……渡って行った」と記されています。(ヨシュア 1:2,16; 3:5-16)実に驚くべき奇跡です!

      14 今日,類似したどんな状況が存在していますか。証しが行なわれたため,どんな結果が生じていますか。

      14 荒れ狂うヨルダン川に類似しているのは,現在ハルマゲドンでの滅びへとまっしぐらに突進している人類の洪水です。(イザヤ 57:20; 啓示 17:15と比較してください。)人類がその突進の終わる瀬戸際にある現在,エホバは今や300万以上を数えるご自分の民を強めておられます。その数は,ヨシュアと共に行進した神の民の数に匹敵します。―ハバクク 2:3と比較してください。

      15 (イ)現代において,昔の祭司たちが取った勇敢な行動に類似しているものは何ですか。(ロ)この状況において,「大群衆」のことはどのように示されていますか。

      15 幾百万ものイスラエル人が川床を渡っている間,「エホバの契約の箱を担う祭司たちは[エホバ神が水をとどめておられることを示すため]ヨルダンの中ほどの乾いた地面に不動の姿勢で立ちつづけ」ていました。(ヨシュア 3:17)油そそがれた証人たちの小人数のグループが勇敢にも人類の「水」の前に足を踏み入れたのは,1919年のことでした。1922年には「王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」という呼びかけに大胆にこたえ応じ,実質的に「ここにわたしがおります! わたしを遣わしてください」と言いました。エホバは彼らに対して,「あなたが水の中を通って行こうとも,わたしはあなたと共におり,川の中を通って行こうとも,それがあなたの上にみなぎりあふれることはない」と保証しておられます。1931年には,エホバの証人という名を付与することにより,彼らに誉れをお与えになりました。(イザヤ 6:8; 43:2,12)ヨルダンを渡った人の中には,レビ族以外のユダヤ人も,モーセと共にエジプトを後にした非イスラエル人の「入り混じった大集団」の子孫も含まれていたことでしょう。同じ仕方で今日の「大群衆」も,霊的な祭司級の,地上に残っている人たちが模範的な信仰を示して『堅く,動かされずに』立っている間,彼らと共に神の新しい体制へと渡ってゆきます。―出エジプト記 12:38。啓示 7:9。コリント第一 15:58。

      奇跡を記念する

      16 (イ)ヨルダンでの奇跡はどのように記念されましたか。(ロ)これは,今日のエホバの強力な業に関して,何を示唆していますか。

      16 エホバは次にこのヨルダンでの奇跡を記念し,イスラエルの諸部族を代表する12人の男子に,川床から12個の石を取り,西岸のギルガルに置くよう命じられました。それらの石は,エホバのみ名とエホバの強力な業の永続的な記念としてそこに残されるのです。イスラエルの将来の子らは,この記念物が,「地のあらゆる民がエホバのみ手を,その強さを知るため,あなた方があなた方の神エホバをいつも真に恐れるため」のものであることを告げられるのです。(ヨシュア 4:1-8,20-24)現代において,政治指導者や宗教指導者の敵意のこもった攻撃にもかかわらず,エホバがご自分の民を保護されたというその驚くべきみ業は,エホバがご自分の民と共におられることを記念するものとして残されています。神のみ名を立証する,現代におけるその壮大な業は,神の新しい事物の体制において永久に記念されることでしょう。―啓示 12:15,16。詩編 135:6,13。

      17 (イ)ヨシュアはさらにどんな記念物を作りましたか。(ロ)人類は今日,同様のどんな証しから逃れることができませんでしたか。

      17 さらにもう一つの記念物を作るのもふさわしいことでした。「また,ヨルダンの中ほど,契約の箱を担う祭司たちの足が立った場所にヨシュアが据えた十二個の石もあったが,それは今日までその所にある」。祭司たちが川床から上がり,エホバがせき止められた洪水の水を解き放った時,その水は12個の証しの石の周りで渦を巻きました。(ヨシュア 4:9)その後も,洪水がそこにあるそれらの石を避けて通ることはできませんでした。同様に今日でも,人類はいよいよ速度を速めながらハルマゲドンという「死海」に突進しています。しかし,エホバの証人が「一つの霊のうちにしっかりと[立ち],一つの魂をもって良いたよりの信仰のために相並んで奮闘し」つつ世界中で積み上げてきた証しを避けて通ることはできません。(フィリピ 1:27,28)入手できる記録によれば,今年1986年までの67年間に証人たちは,200を超える言語の製本された書籍を5億7,000万冊余り,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を64億部以上,世界中の人々の家庭に配布してきました。それに,幾百万件もの雑誌の予約も得てきました。まさに記念碑とも言える証しです!

      18 (イ)今日,祭司級はどんな特質を示してきましたか。(ロ)神の民すべてはどのように鼓舞されてきましたか。

      18 今年1986年に至るまで証しが続行されてきたことをわたしたちは喜ぶことができます。神のご意志を行なうことは,12人の男子の各々が記念の石を担いでギルガルまで運んで行った時と同じように,困難な仕事でした。しかし,りっぱな開拓者精神によって現代の神の民は結び合わされ,絶えず『勇気を出し,大いに強くある』よう鼓舞されています。―詩編 27:14; 31:24。ゼパニヤ 3:9。

  • エホバのみ名は何という威光を帯びているのでしょう
    ものみの塔 1986 | 12月15日
    • エホバのみ名は何という威光を帯びているのでしょう

      「わたしたちの主エホバよ,あなたのみ名は全地にあって何という威光を帯びているのでしょう」― 詩編 8:1,9。

      1 エホバはその地がカナン人を「吐き出す」ようにさせましたが,それはなぜですか。

      西暦前1473年,ついにイスラエルは約束の地に立ちました。しかし,前途には数年に及ぶ神権的な戦争が控えていました。堕落した住民をその地から追い払わなければならなかったからです。そこに住んでいたカナン人は本当にそれほど悪かったのでしょうか。まさに彼らは悪い人たちでした。彼らの偶像礼拝と不道徳な生き方はエホバの目に忌むべきものであり,神の民にとっては危険なものでした。そのため神はモーセを通して,ご自分の聖なる民イスラエルをご自分の刑執行者として用いることをお知らせになりました。そのようにしてエホバは,その地がそれら汚れた国民を「吐き出す」ようにさせるのです。―レビ記 18:1-30。申命記 12:29-32。

      2 世の宗教体制はどんな「実」を産み出してきましたか。

      2 今日のわたしたちも,この世は滅びに値するほど悪いのだろうかという疑問を抱くかもしれません。では,世の宗教体制はどうなっていますか。残念なことに,創造者であられるエホバ神に誉れを帰していません。キリスト教世界の人々は,「自分たちのために水溜めを,それも,水を入れておくことのできない壊れた水溜めを切り掘ろうとして,生ける水の源」であられるエホバを捨てました。(エレミヤ 2:13)その分派的な信条には,真理の「水」が含まれていません。彼らは世の戦争と政治を支持し,性道徳に関する習慣を大目に見ることにより,自分たちが世の一部であることを示してきました。イエスが言われたように,彼らは「その実によって」見分けられます。―マタイ 7:16,17。ガラテア 6:7,8と比較してください。

      3 世が神の律法に違反しているため,どんな結果が生じてきましたか。

      3 世の道徳についてはどうでしょうか。近年,世界全体で,ことにいわゆるキリスト教国で,堕胎,十代の妊娠,欠損家族などが急増してきました。幾つかの国では,結婚全体の何と50%が離婚に終わっています。1960年代の“性革命”は,別の悲惨な結果をもたらしました。その一つが,1986年6月13日付のニューヨーク・タイムズ紙の第一面の,「エイズによる死者は1991年までに10倍に増加する」という見出しの記事の中で紹介されています。その記事が指摘するところによると,1991年までにエイズ(後天性免疫不全症候群)の患者数は,米国だけでも10万人を超え,1年間に費やされる医療費は160億㌦(約2兆5,600億円)になるということです。この致死的な病気はおもに同性愛行為,麻薬の乱用,輸血によって伝染しますが,それらはいずれも神の律法に対する違反行為です。―コリント第一 6:9,10。ガラテア 5:19-21。使徒 15:19,20。

      4 (イ)わたしたちの戦いはヨシュアの時代にイスラエルが行なった戦いとどのように異なっていますか。(ロ)世の人々との交わりはどの程度にすべきですか。なぜそう言えますか。

      4 ヨシュアの時代にエホバはご自分の聖なる国民を遣わし,文字通りの戦いによって約束の地を清めさせました。今日のわたしたちの戦いは霊的なものです。(コリント第二 10:3,4)わたしたちエホバの証人は,神の言葉を無視する者たちを除き去るために暴力的な行動を取ることはしません。エホバがご予定の時に,ご自分の方法で除き去ってくださいます。(申命記 32:41,43)わたしたちは無節操な人々にも王国の良いたよりを知らせて真の愛を示すことはできますが,彼らを親しい交わりに招き入れることはしません。(コリント第一 15:33)そのような人々と神の言葉を研究し,『罪を塗り消していただくために,悔い改めて身を転じる』よう励ますことができます。―使徒 3:19。マタイ 21:31,32。ルカ 5:27-32。

      ラハブとその家の者たち

      5,6 (イ)斥候がエリコへ行き,ラハブの家に入ったのはなぜですか。(ロ)今日エホバはしばしばどのようにして,助けを求める叫びに答えてこられましたか。(ハ)ラハブは自分が「平和の友」であることをどのように示しましたか。

      5 イスラエルがヨルダン川を渡る前にも,エホバはエリコの都市に注意を向けさせました。ヨシュアは全イスラエルを代表する二人の斥候を送り出し,「行って,その地とエリコとを見てきなさい」と命じました。なぜエリコを探りに行くのでしょうか。その都市は小さくてイスラエルの軍隊の敵とはなり得ませんでしたが,カナンに入る幾つもの道を見下ろせる位置にあったのです。斥候がエリコにいたため,結果的にはエリコの人たちがエホバの敵か味方かをはっきりさせる機会が開けました。「そこで[斥候]は行って,その名をラハブという遊女の家に着き,そこに宿を取った」のです。(ヨシュア 2:1-7)それらの斥候は神の導きを受けてラハブの家に着いたに違いありません。今日でもエホバの証人がしばしばみ使いの導きを受け,霊的な助けを祈り求めていた人々のところへ行くのと同じです。「エホバの目は義なる者たちに向けられ,その耳は助けを求める彼らの叫びに向けられる」― 詩編 34:15。歴代第二 16:9もご覧ください。

      6 それらの斥候が遊女の家に入ったのはなぜですか。不道徳な目的があったわけではありません。恐らくカナン人の目を欺くためだったのでしょう。斥候に対するラハブの言葉は,彼女がその二人に不道徳な関心を抱いてはいなかったことを示しています。二人がエホバの僕であることを知ったラハブは,エホバの崇拝者になりたいという自分の強い願いを知らせることができました。また,命の危険をさえ冒して二人を屋上に隠しました。ラハブはイエスのたとえ話に出てくる,主の『兄弟たち』に親切を示す「羊」のようでした。(マタイ 25:31-46)今日のエホバの証人は,思慮深い行動を取りながらも,関心を持つそうした「平和の友」をためらうことなく訪ね,彼らと聖書を研究します。―ルカ 10:5-7。

      7 (イ)ラハブはどのようにエホバへの信仰を言い表わしましたか。(ロ)今日,新しい人たちはどんな態度を示すべきですか。また,どのように行動すべきですか。

      7 ラハブはエホバの強力な業について知っていました。かくまっていた斥候にラハブは信仰を表明し,「わたしははっきり分かります。エホバはこの地を必ずあなた方にお与えになります。あなた方に対する非常な怖れがわたしたちに臨み,この地に住むすべての民はあなた方のために意気をくじかれているのです」と言うことができました。ラハブは,エホバの強力な業に関してすでに聞いていた報告について告げたあと,こう続けました。「あなた方の神エホバは,上の天においても下の地においてもまさしく神なのです。ですから今,エホバにかけてどうか誓ってください。わたしはあなた方に愛ある親切を示しましたから,あなた方もわたしの父の家の者たちに必ず愛ある親切を示してくださる,と。そして,ぜひとも信頼できるしるしを与えてください」。(ヨシュア 2:9-13)ラハブの場合と同じく,今日,真理を学んでいる新しい人たちも,もはや「エホバの日」に執行されるはずの裁きゆえに恐れを感じる必要はありません。(ゼパニヤ 1:14-18)むしろ彼らは,世の道を離れ,救いを得られるようエホバの証人の助けを求めます。―詩編 3:6-8。箴言 18:10。

      8 (イ)ラハブが窓に『緋糸でできた綱』を表示したことは今日の何に相当しますか。(ロ)ラハブが義と宣せられたのはなぜですか。どんな結果になりましたか。

      8 斥候たちがラハブに与えたしるしは『緋糸でできた綱』でした。ラハブは,斥候たちを逃れさせたときの綱を窓に結ぶことになっていました。(ヨシュア 2:17-21)ラハブがこのしるしを表示したため,エリコが滅ぼされた時にもラハブの家は滅びを免れました。今日でも同様に,ラハブのような信仰を表わす人たちは,エホバの献身してバプテスマを受けた崇拝者として見分けられ,救出されることになります。啓示 7章9節,10節,14節はそれらの人たちを,「自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」「大群衆」として描写しています。彼らはイエスの犠牲の血に対する信仰を働かせ,その信仰をクリスチャンの業によって裏付けます。(ローマ 10:9,10)ヤコブ 2章24節と25節にはこう記されています。「これで分かるように,人は業によって義と宣せられるのであって,ただ信仰だけによって義と宣せられるのではありません。同じように,娼婦ラハブも,使者たちを親切に迎え,彼らを別の道から送り出したのち,業によって義と宣せられたのではありませんでしたか」。

      9 (イ)ラハブの「業」には何が含まれていましたか。(ロ)今日,恐れずに証言したことから,どんな結果が生じていますか。

      9 ラハブの「業」には二人の斥候を守ることと,救われるために他の人たちを自分の家に集めることが含まれました。同じように現代の「大群衆」も,『時に応じた[霊的]食物』を備えて全世界的な王国を宣べ伝える活動を監督する,油そそがれた「忠実で思慮深い奴隷」を忠節に支持し,忙しい生活を送っています。(マタイ 24:45-47)ラハブの場合,恐れることなく父の家の者たちに証言しましたが,これは危険の伴う業でした。密告される恐れがあったからです。(マタイ 10:32-36と比較してください。)同様に,今日反対が見られる多くの国で,エホバの証人は恐れずに証言しなければなりません。その結果,大規模な取り入れが行なわれることになり,家族全体が大いなるバビロンから出てエホバの清い崇拝の側に立つという場合もしばしばありました。―詩編 73:28; 107:21,22。

      エリコ ― 当時と現在

      10 エリコはどのような意味で特に注目されることになっていましたか。

      10 この劇的な出来事を異なった観点から見てみましょう。「エリコはイスラエルの子らのゆえに固く門を閉ざしていた。出て来る者も入って行く者もいなかった」と記されています。エリコはカナン人の都市のうち,エホバの処刑の剣が最初に臨んだ都市でした。そのような理由で,エリコは神にささげられた初穂として特に注目されることになっていました。「そして,この都市は滅びのためにささげられたものとされなければならない。それは,そこにある一切の物と共にエホバのものとなる」とヨシュアは説明しました。―ヨシュア 6:1,17。出エジプト記 22:29; レビ記 27:26と比較してください。

      11 (イ)今日のわたしたちは,際立ったどんな類似点に注目できますか。(ロ)大いなるバビロンが感じている「怖れ」の一例を挙げてください。

      11 この点は,血で汚されたこの20世紀に不正行為の極みに達した大いなるバビロン,つまり偽りの宗教の世界帝国にぴったり当てはまります。同世界は,エホバの証人の侵入を防ごうとその門を閉ざすことに努めてきました。ラハブの言葉にある,神の民に対する「怖れ」が同世界に臨んでいます。例えば,1985年11月12日付のイタリアの新聞「ラ・レプブリカ」は,「教会内部から,エホバの証人を敵視する警告の声」という見出しを掲げました。この記事は,エホバの証人の“脅威”に対抗するためボローニャに召集された集まりについて伝えるもので,ローマ・カトリック教会の一枢機卿もこの集まりに参加しました。法王は激励と支援の電報を打ちました。「既に彼らは世界中にあふれている」という叫びが発せられ,この「危機」に対処するため「カトリック教会は今後,力を結集する」と宣言しました。しかし,それは成功するでしょうか。―エレミヤ 1:17-19。

      12 (イ)「神」に関する大いなるバビロンの概念は真理とどのような対照を成していますか。(ロ)エホバがご自分の証人のために戦われるのはなぜですか。

      12 キリスト教世界の神秘的な三位一体から東洋の宗教の幾百万という神々に至るまで,大いなるバビロンは混乱を来たすおびただしい神々を奉じています。モーセはヨシュアに任務を与える前,「イスラエルよ,聴きなさい。わたしたちの神エホバはただひとりのエホバである」と宣言しました。今日,エホバの証人は,この『一つの神また父』を高めている点で類例のない存在です。(申命記 6:4。エフェソス 4:6)エホバはヨシュアやイスラエルの他の忠節な指導者たちの時代に行なわれたように,わたしたちのために戦われます。―歴代第二 20:15,17; 32:7,8。イザヤ 54:17。

      裁きの執行

      13 (イ)エリコが攻囲されるまでに,どんな出来事がありましたか。(ロ)今日どんな類似点を見ることができますか。

      13 ヨシュアはエリコを攻囲するために徹底的な準備を行ないました。荒野で成長した男子には割礼が施されました。これは,エホバへの心からの専心を妨げるようなものをすべて取り去ることを象徴していました。(申命記 10:16; 30:5,6)過ぎ越しの祝いが再び行なわれるようになりました。奇跡的に備えられたマナが途絶え,人々は土地の産物で養われるようになりました。さらに,人間になる前のロゴスと思われる「エホバの軍の君」がヨシュアに現われ,ヨシュアを激励しました。そこでヨシュアは,その方が身近にいてくださることを謙遜に認めました。わたしたちはこのすべてに関して,差し迫った業に自らをささげた現代のエホバの証人の経験の中に類似点を見ることができます。「忠実で思慮深い奴隷」は主イエス・キリストの指導のもとに徐々に前進しているので,わたしたちの霊的な食物の内容は,より変化に富んだ,栄養のより豊かなものになっています。―ヨシュア 5:1-15。

      14 エリコの攻囲に当たって,エホバはどんな奇妙な戦術をお命じになりますか。

      14 今度は戦闘の場面をご覧ください。エホバは実に奇妙な戦術を要求されました。イスラエルの祭司たちはエホバの臨在を表わす契約の箱を担ぎ,一日に一回,六日の間,エリコの周りを行進するのです。その前には7人の祭司が立って雄羊の角笛を吹き,それら祭司たちの前方と後方でイスラエルの兵士たちが行進します。しかし,七日目には彼らは「早く,夜が明けるとすぐに」起き,町の周りを七回行進します。エリコの町の人々は身震いしたに違いありません。―ヨシュア 6:2-15。

      15 今日のエホバの証人の活動の中に,どのような類似点が見られますか。

      15 この出来事に類似した顕著な点は,今日エホバの証人が全世界で行なっている事柄に見ることができます。近年,わたしたちの王国の活動は目ざましい進展を見せました。1985年までの5年間に,開拓者の隊伍は134%増加しました。開拓者,および他の忠実な王国伝道者たちは多くの場合,文字通りの意味で「早く」起き,エホバの裁きをふれ告げる業に熱心にあずかっています。キリスト教世界の宗教指導者たちにとって,これらの証人たちは「数が多くて強大な民」に見えます。真理がふれ告げられることによって大勢の正直な人々が僧職者のもとを離れ,エホバの側に立つのを見て,それらの僧職者は「激しい痛み」を覚えています。―ヨエル 2:1-3,6。

      16 (イ)エリコの倒壊の特色となっているのはどんな奇跡ですか。(ロ)ラハブの信仰はどのように報われますか。

      16 最後にヨシュアは,「叫べ。エホバはこの都市をあなた方にお与えになったのだ」と民に命じます。それから大きなときの声が上がります。地が振動し,次いで奇跡中の奇跡とも言える出来事が生じます。エリコの城壁は崩れ落ちます。イスラエル人は従順に前へ突進し,都市の中の息ある者すべてを滅ぼし,その都市を火で焼きます。ところが何と,外壁のわずかな一箇所だけは崩れずに残り,その窓には緋色の綱があります。ラハブとその父親の家族は無傷のまま外に連れ出されます。やがてラハブの信仰はさらに報われ,イスラエル人サルモンの妻となり,イエス・キリストの先祖になります。―ヨシュア 6:16-26。マタイ 1:5。

      17 それらの奇跡は何を予示していますか。

      17 「こうしてエホバはヨシュアと共にいることを示され,彼の名声は全地に及んだ」。同じように,大いなるバビロンが「大患難」の初めに荒廃させられ,その富と栄光が取り去られる時,威光を帯びたエホバのみ名の正しさが立証されるでしょう。―ヨシュア 6:27。啓示 17:16; 18:9,10,15-17。マタイ 24:21,22。

      背教者は目的を果たせない

      18 (イ)民の心が溶けて水のようになったのはなぜですか。(ロ)その危機にヨシュアはどのような反応を示しましたか。

      18 エリコでの大勝利のあと程なくして,驚くべき出来事が生じました。近くの都市アイを陥落させるためにヨシュアが遣わした襲撃部隊が敗走させられたのです!「そのため民の心は溶けて水のようになっ(て)」しまいました。ヨシュアはひどく動揺し,祈りの中で,「ああ,主権者なる主エホバ,……あなたはご自分の大いなるみ名のためにどうなさるのでしょうか」と叫びました。―ヨシュア 7:2-9。

      19,20 (イ)エホバはアカンの愚行をどのように処理されましたか。その際,ヨシュアにどんな保証をお与えになりましたか。(ロ)現代にはどんな類似点が見られますか。

      19 次いでエホバは,イスラエルにおいて「恥ずべき愚行」が犯されたことをヨシュアに明らかにされました。ユダの部族のアカンが犯人であると断定されました。アカンはエリコの分捕り物の中から,バビロニア産の「きれいな」衣服,それに金と銀を盗んでいたのです。エホバはアカンを「のけ者にならせ」,アカンとその家族は石撃ちにされました。それから彼らとその所有物が火で焼かれました。このエホバの裁きの執行をいつまでも証しするものとして,アカン自身の上に石が大きく積み重ねられ,その場所は“追放(オストラシズム); 悩み”を意味する“アコルの低地平原”と呼ばれました。この時エホバは「恐れたり,おびえたりしてはいけない」と再びヨシュアに言われました。ヨシュアは二度と再び戦闘で敗北を喫することはなかったので,エホバのみ名は高められました。―ヨシュア 7:10-8:1。

      20 アカンの罪に類似したものが現代にもあるでしょうか。確かにあります。神権的な秩序を無視し,自分自身の利己的な道を追い求める「圧制的なおおかみ」について,使徒パウロは警告を与えています。1919年以降,時折そうした貪欲な者たちが神の民の中に現われました。最近の例としては,1970年代の半ばに,ある著名な長老たちが不満を抱くようになりました。イエスの使徒たちの残した型に倣い,王国の音信をふれ告げて家から家に証言することが彼らの“威信”にかかわったのです。(使徒 5:42; 20:20,21,29,30)それらの長老たちにとってバビロン的な教えに戻るのは良いことに思えました。彼らは狡猾な手段を用い,「終わりの日」に関する疑念を生じさせてエホバの証人の業の速度を落とそうとしました。(ペテロ第二 3:3,4)結局彼らは排斥されなければなりませんでした。―ヨハネ第二 10,11。フィリピ 1:15-17; ヘブライ 6:4-8と比較してください。

      21 (イ)1970年代の後半に業の速度が落ちた理由の一つと思われるのは何ですか。(ロ)その時以降の業の『速度が速まる』のを何が助けたと言えるかもしれませんか。

      21 「ものみの塔」誌の1979年10月15日号では,わたしたちが行なう家から家の宣教の裏付けとなる聖書的な根拠と,その業の重要性が率直に論じられました。忠節な証人たちは力強く1980年代へと前進しました。少数の背教者が出たことによって1970年代後半にエホバの業の速度が落ちたとは言えるでしょう。その時期にはエホバの証人の活発な隊伍の年間平均増加率が1%以下にとどまったからです。しかし,過去5年間の年間増加率は平均で6%を上回りました。王国伝道者の全世界の最高数を見ると,1975年には217万9,256人だったのが1985年には302万4,131人にまで達しました。エホバは今もご自分の業の『速度を速めて』おられるのです。―イザヤ 54:2,3; 60:22。

  • 『わたしたちは,わたしたちの神エホバに仕えます』
    ものみの塔 1986 | 12月15日
    • 2 (イ)ヨシュアはどのようにごくささいな点に至るまで従順を示しましたか。(ロ)エバル山とゲリジム山でどんなことがありましたか。

      2 ヨシュアはアイで決定的な勝利を得た後,申命記 27章1節から28章68節に記されている詳細な指示に注意を向けました。そしてエバル山に自然のままの石の祭壇を築き,「共与の犠牲を犠牲としてささげてその所でそれを食べ,あなたの神エホバの前にあって歓び楽し(め)」という命令を果たしました。ほかの石は石灰で白く塗り上げた記念碑として立て,その表に律法の言葉を書き記さなければなりませんでした。それから,十二部族が二つに分かれ,一つのグループはゲリジム山に立って『民を祝福し』,もう一方のグループは『呪いのためにエバル山に立ち』ます。そこでレビ人が声を上げて不従順に対する呪いを宣告すると,すべての民がそれにこたえて「アーメン!」と言います。それから,従順に対する祝福が宣告されます。しかし,『この律法のすべての言葉を行なうようにせず,この栄光ある,畏怖の念を抱かせる,エホバ神のみ名を恐れないのであれば』イスラエルに災いが生じます!―ヨシュア 8:32-35。

      3,4 (イ)イスラエルの歩み方は,今日のわたしたちにとって,どんな強力な教訓となっていますか。(ロ)同じことを何度も繰り返し聞かされるとあきあきする,と考えるべきでないのはなぜですか。(ハ)「狭い門」に入るためには何が求められますか。

      3 イスラエルは『律法の言葉』に従い続けたでしょうか。モーセが,そして後にはヨシュアが幾度となく繰り返し説き勧めたにもかかわらず,イスラエルは惨めな失敗を経験しました。これは今日のわたしたちにとって強力な教訓となります。絶えず警告が与えられているのに,神のご要求を鼻であしらい,“自分のしたい放題をして”も生き残れると考える人はいつの時代にもいるものです。何と愚かなことでしょう! パウロはイスラエルの経験を回顧し,「立っていると思う人は,倒れることがないように気をつけなさい」と述べました。―コリント第一 10:12。伝道の書 2:13。

      4 神の民の中にも,同じことを何度も繰り返し聞かされることにはあきあきしたと述べて,与えられる警告を批判した人々がいました。しかし,そのような人がえてして最初にサタンのわなに落ちてしまうのです。霊感を受けて記された,聖書の申命記(ヘブライ語ではミシュネー ハットーラー,訳せば「律法の反復」)はおもにモーセによる四つの講話で成っています。それらの講話は,エホバが以前に語られた律法に従わねばならないことをイスラエルに銘記させました。モーセは「祝福」について述べたときの四倍以上の語を用いて,不従順とその結果として臨む「呪い」について警告しました。エバル山でもヨシュアは,従わねばならないことについてイスラエルに注目させています。このことは,『狭い門を通って入る』ために努力するのが非常に重要であることをわたしたちに示しているのではないでしょうか。―マタイ 7:13,14,24-27; 24:21,22。

      5 イスラエルはどんな同盟関係に直面するようになりましたか。今日,これに相当するどんな状況が見られますか。

      5 最終的な決着が今や目前に迫っていました。「大患難」が始まる時に偽りの宗教が荒廃させられるのとほぼ同じく,玄関の位置にある都市エリコはすでに除かれ,アイも倒壊しました。ところが,「ヨルダンを越えた側,山地とシェフェラ,“大海”の全沿岸地方,およびレバノンの手前にいるすべての王たち,すなわちヒッタイト人とアモリ人,カナン人,ペリジ人,ヒビ人とエブス人(が),……ヨシュアおよびイスラエルに対して結束して戦うためいっせいに集合しはじめた」のです。(ヨシュア 9:1,2)この現代版として,地の諸国民は今やいわゆる国際連合として結束しています。彼らは,自分たちのために,勝手な条件をつけた平和と安全を求めてはいますが,「一団となってエホバと[大いなるヨシュアである]その油そそがれた者に敵対し(て)」きました。(詩編 2:1,2)それはどんな結末に至りますか。

      抜け目のない行動を取る

      6,7 (イ)ギベオン人はどんなことに関心を示しましたか。彼らはどんな策略を取り入れましたか。(ロ)ヨシュアはこの問題をどのように裁定しましたか。

      6 ほかの非イスラエル人も,以前のラハブのように,生き残ることに関心を示すようになりました。エブス,つまりエルサレムの北にある大きな都市ギベオンの住民がそうでした。彼らはエホバの強力な業について聞き,エホバの示される条件にかなった方法で平和と安全を求めることに決定しました。しかし,どのように行なうのでしょうか。ぼそぼその乾いた食糧とすり切れた大袋,また皮袋を担ぎ,継ぎ合わせた衣服を身につけ,継ぎ合わせたサンダルをはいた男たちを,ギルガルにあるイスラエルの宿営に派遣したのです。この男たちはヨシュアに近づき,こう言いました。「僕どもは,非常に遠い土地から,あなたの神エホバのみ名に関することでやってまいりました。その名声について……聞いたからです」。これを聞いて「ヨシュアは彼らと和を結び,彼らを生き長らえさせる契約を結んだ」と,記されています。―ヨシュア 9:3-15。

      7 ところが,やがてイスラエルは,ギベオン人が実際には『イスラエルのただ中に住んでいる』ことに気づきました。ヨシュアはそこで彼らの計略をどうみなしたでしょうか。先にギベオン人に述べた誓いを尊び,「彼らを生かしておいて,全集会のためにまきを集める者,水をくむ者とならせ」ました。―ヨシュア 9:16-27。申命記 20:10,11と比較してください。

      8 ギベオン人はどのような意味で「大群衆」を予示していますか。

      8 後年エホバの神殿で奉仕したネティニムの中には,ギベオン人の血を引く人々が大勢いたようです。そのようなわけで,ギベオン人は,現在「神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている」「大群衆」を予示していると言えるかもしれません。(啓示 7:9,15)それらの人々は,カナンのような世に住んではいても,心根は「世のものではありません」。彼らは以前,キリスト教世界の諸教会に見られるような「ぼそぼその」霊的食物で我慢しなければならず,喜びの「ぶどう酒」は持ち合わせていませんでした。神の民と接するようになって,エホバがご自分の証人たちを通して強力な業を行なわれることを知ったのです。それらの人々は,ぼろぼろになった「衣」を,新しい人格を着た,エホバの謙遜な僕としての新しい身分と替えるため,サタンの世から長い旅をしてきました。―ヨハネ 14:6; 17:11,14,16。エフェソス 4:22-24。

      組織的な支持

      9 (イ)次にどんな危機的な事態が生じますか。(ロ)ヨシュアはどのようにこたえ応じましたか。どんな保証が与えられましたか。

      9 エルサレムの王アドニ・ツェデクは,ギベオン人がイスラエルと和平を結んだことを聞き,「非常な恐れを抱くようになった。ギベオンは大きな都市で,王都の一つのようであったし,……そこの男たちはみな力ある者たちであったからである」。この王は他の四人の王と結託し,ギベオンを攻囲しました。直ちにギベオン人は,「早く上って来て,どうかわたしたちを救い,わたしたちを助けてください」とヨシュアに訴えました。ヨシュアはすぐさまそれにこたえました。エホバもヨシュアを激励し,「彼らを恐れてはいけない。わたしは彼らをあなたの手に与えたからである。そのひとりといえあなたに立ち向かうことはない」と言われました。ヨシュアと配下の勇敢で強力な男子は,不意打ちをかけて敵を完敗させるため,「夜を徹して」行軍しました。―ヨシュア 10:1-9。

      10 (イ)今日のどんな行動は,ギベオン人に対する攻囲に類似していますか。(ロ)現代のギベオン人はどんな決意を表明していますか。

      10 これら5人の王と同様,今日の政府の指導的立場にいる人たちも,自国の民の多くが,それに「力ある者たち」でさえ,大いなるヨシュアと全地を治める義の王国を支持する立場を取るのを見て怒るようになっています。それら支配者たちは,国同士が絶えず争い,戦うとしても,国と国の境には一線を引かなければならないと考えています。そのために,平和を愛する「大群衆」に対する霊的食物の供給を断ち,大群衆がこの「食物」にあずかる場となっている集会を禁止し,霊的な事柄について他の人々に話すのを止めさせようとします。それでもこれら現代のギベオン人は霊的イスラエルと共に忠節な立場を取り,「わたしたちはあなた方と共に行きます」と言います。―ゼカリヤ 8:23。使徒 4:19,20; 5:29と比較してください。

      11 今日,エホバの証人は重大な問題をどのように扱いますか。

      11 「大群衆」が「母」なる組織に助けを求めて訴える時,その助けは即座に,また十分に与えられます。エホバの証人が物事を成し遂げるときの機敏さは,自然災害に見舞われたあとに救援活動を開始すること,「食物」を分配するために必要な王国会館や他の集会場所を速く建てることなど,他の多くの面にも見られます。今年の6月にニューヨーク市にあるヤンキー野球場での大会が計画された時,自発的に掃除をする一群の人々が野球の試合の終了後,夜中にそこにやって来ました。その後の四日間ほどに,この野球場がきれいだったことはかつてありませんでした。エホバの証人の,責任を持つ長老たちは,良いたよりの伝道に関して生じる重大な問題を扱う際にも,機敏に行動します。―フィリピ 1:6,7。

      エホバはイスラエルのために戦われる

      12 エホバは,ギベオン人を守りイスラエルのために戦って,どんな奇跡を行なわれますか。(ハバクク 3:1,2,11,12と比較してください。)

      12 では,さあ,ギベオンを見てください。エホバはその敵の軍勢を混乱に陥れておられます。イスラエルは彼らを強力な殺りくをもって追跡しています。さらに,天から何が投下されるのが見えますか。大きな氷の塊です! この巨大な雹によって殺された人は,イスラエルの戦士によって殺された人より多いのです。さあ,聴いてください。ヨシュアがエホバに話しています。「イスラエルの目の前」で何と言っているのですか。「太陽よ,ギベオンの上に静止せよ。月よ,アヤロンの低原にとどまれ」と言っているのです。畏怖の念を起こさせるもう一つの奇跡です! 太陽は神の復しゅうが完全に成し遂げられるまで,「まる一日ほどのあいだ」戦場を明るく照らします。エホバがどのようにしてこの奇跡を行なわれたかについて議論するのはわたしたちの分ではありません。それは,エホバが創造の四「日」目にどのように二つの大きな「光体」を『造られた』かについて,わたしたちが疑問を差しはさむことがないのと同じです。(創世記 1:16-19。詩編 135:5,6)記述は明確です。「エホバが人の声を聴き入れてそのようになった日は,その前にも後にも一度もない。エホバは自らイスラエルのために戦っておられたのである」― ヨシュア 10:10-14。

      13 ヨシュアはさらに,配下の司令官をどのように励ましますか。最終的にはどんな結果になりますか。

      13 5人の王を殺すことによって敗残兵の掃討は頂点に達しますが,その際ヨシュアは配下の司令官たちに,「恐れたり,おびえたりしてはいけない。勇気を持ち,強くあれ。あなた方が戦っているすべての敵に対してエホバはこのように行なわれるからである」と言います。カナンの7人の王に関してはすでにその通りになっており,完全数である24の他の王国が覆される時にも,やはりその通りになるのです。その時,つまり6年間の戦争が終わって初めて,その土地は休息を得るのです。―ヨシュア 10:16-25; 12:7-24。

      14 わたしたちはどんな態度と確信をもってハルマゲドンに立ち向かうべきですか。

      14 ハルマゲドンという最終的な戦争に直面している今日,わたしたちはヨシュアや配下の力ある者たち,またイスラエルの広大な宿営全体のように勇気を持ち,強くありたいと思います。わたしたちは次のことを確信できます。つまり,エホバは数百万人のイスラエル人を無傷のまま約束の地に連れて行かれましたが,それと全く同じく,恐れを持たないご自分の民,数百万人にハルマゲドンを通過させ,彼らを新しい体制に連れて行く時,畏怖の念を起こさせるさらに別の奇跡を行なうことがおできになる,ということです。―啓示 7:1-3,9,14; 19:11-21; 21:1-5。

      わたしたちの決意

      15 「ほかの羊」は神の新しい体制において,どんな割り当てを期待できますか。

      15 すでに90歳になろうとしていたにもかかわらず,ヨシュアには別の大きな仕事が課せられました。それは,土地をイスラエルの各部族に分配するという仕事です。そのように土地が分配されたとしても,イスラエル人の生活が楽になるわけではありませんでした。事実,カレブは巨人アナキムが住むヘブロンの地域を願い求めました。カレブはエホバの敵の最後の一人までも敗走させることに自分を費やし続けたいと思っていたのです。この部分は,地に対するキリストの千年統治の期間中に敵となる人間がいることを示しているのではありません。しかし,行なうべき業はあるでしょう。新しい事物の体制では安楽で怠惰な生活を送ることができると考えてはなりません。主の「ほかの羊」は,「新しい地」での割り当てを受けた後,地球を美化して文字通りの楽園に変えるというすばらしい計画に関連した仕事をたくさん持つことになります。―ヨシュア 14:6-15。マルコ 10:29,30。ローマ 12:11。

      16 「避難都市」に関するエホバの取り決めは,今日における何を表わしていますか。

      16 土地を割り当てるに当たり,ヨシュアはヨルダンの東と西に三つずつ,合計六つのレビ人の都市を「避難都市」として取り分けました。これは,殺人を故意にではなく犯した人で,それらの都市の一つに逃げて来るような人を保護するためのエホバの取り決めでした。そのような殺人者は,自分が神のみ前で清い良心を持っていることを証明しなければならず,大祭司の死ぬ時までその都市にとどまることによってそれを証明しました。「大群衆」も今日,流血の罪を持つこの世と以前に交わっていたため,神のみ前における正しい良心を求めなければなりません。自分たちの罪を告白し,悔い改め,転向し,エホバに献身し,水のバプテスマを受けることによってその正しい良心を得るのです。その後は,その立場を保たなければなりません。「大群衆」は,千年統治の終わりにイエスが大祭司の業に関して比喩的に死ぬ時まで,その「都市」にとどまるよう求められています。―ヨシュア 20:1-9。啓示 20:4,5。コリント第一 15:22,25,26。

      17 今日,わたしたちはどんな喜ばしい結末を予期できますか。

      17 エホバはご自分の民イスラエルを何とすばらしい仕方で祝福されたのでしょう! 道は険しく,試練は少なくありませんでした。しかし,最後には約束の地に入り,そこに定住したのです。彼らの心にはエホバへの感謝の気持ちがこみ上げてきたに違いありません。ですから,わたしたちもわたしたちの神に対する忠実を証明するなら,「新しい地」を含む神の新しい体制に入る時に同じような喜びを味わうことができるでしょう。次の言葉はヨシュアの日に真実であったように,わたしたちに関しても真実なものとなるでしょう。「エホバがイスラエルの家になさったすべての良い約束は,ひとつの約束といえども果たされないものはなかった。すべてそのとおりになった」。(ヨシュア 21:45)あなたも,その地で,幸福な受け分を持つことができますように!

      18 (イ)ヨシュアはイスラエルの長老たちに,何を詳しく語りましたか。(ロ)わたしたちはエホバの新しい体制に関してどんな願いを持つべきですか。

      18 ヨシュアは110歳になって,最後にイスラエルの年長者たちを集めました。そしてエホバがアブラハムの時代からその時に至るまで,驚嘆すべき仕方でご自分の忠実な民を祝福してこられたことを彼らに詳しく語ります。そこでエホバは彼らにこうお告げになります。「こうしてわたしは,あなた方が労したのではない土地,あなた方が建てたのではない都市を与え,あなた方はその中に住むようになった。あなた方が設けたのではないぶどう園とオリーブ畑,その実をあなた方は食べているのである」。こうした豊かな備えがあるのですから,イスラエルは「[いつまでも]エホバを恐れ,とがなく,真実をもってこの方に仕え」たいと思ったに違いありません。それで,わたしたち一人一人は,エホバの栄光に満ちたこの地の新しい体制が間近に迫っているのを見て,確かに同じような願いを抱くはずです。―ヨシュア 24:13,14。

      19 (イ)ヨシュアはどんな選択の道を民の前に置きましたか。民はどのように答えましたか。(ロ)わたしたちは,だれのようになることを願うべきですか。(ハ)わたしたちはどんな選択をしなければなりませんか。どんな決意を抱いてそうしますか。

      19 次にヨシュアは,民にはっきりとこう言います。「もしエホバに仕えることがあなた方の目から見てよくない事とされるなら,……あなた方が仕える者を今日自分で選びなさい。……わたしとわたしの家の者とはエホバに仕えます」。わたしたちはみな個人的に,また家族の中の信仰を持つ人やわたしたちの会衆,さらには世界中の「神の家族」は,この言葉に和することができますか。確かにできます!(エフェソス 2:19)ヨシュアの時代の民はヨシュアに答え,「わたしたちの神エホバに仕えて,その声にわたしたちは従います!」と言いました。(ヨシュア 24:15,24)ところが,残念なことに,彼らは後年それに失敗しました。わたしたちは,失敗した人たちのようになりたいとは思いません。ヨシュアとその家の者,カレブ,ギベオン人,ラハブのようになりたいと思います。そうです,『わたしたちはエホバに仕えます』。わたしたちは勇気を持って,また,何者も「わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛からわたしたちを引き離しえない」という絶対の確信を抱いてエホバに仕えたいものです。―ローマ 8:39。

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