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  • 「これが私たちの神だ!」
    エホバに近づきなさい
    • 燃えているいばらの木の前でモーセが顔を覆っている。

      第1章

      「これが私たちの神だ!」

      1-2. (ア)神にどんな質問をしてみたいと思いますか。(イ)モーセは神に何を尋ねましたか。

      神と会話しているところを想像できますか。宇宙の主権者から話し掛けられることを考えるだけで,畏れ多い気持ちになるかもしれません。あなたは,何を言ったらいいだろうとドキドキしながら,少しずつ話し始めます。神は耳を傾け,返事をしてくれて,何か尋ねたいことがあるか聞いてくれます。あなたならどんな質問をしてみたいと思いますか。

      2 ずっと昔に,神と話した人がいます。モーセという人です。その時にモーセがした質問は,意外に思えるかもしれません。自分はこの先どうなるかとか,どうして人間は苦しまないといけないのか,といったことではなく,神の名前について尋ねました。モーセはすでに神の名前を知っていたので,単に名前を確認したかったのではなく,もっと深いことを聞きたかったに違いありません。実際,それは非常に大事な質問でした。その質問に対する答えは,私たちが神との絆を強めるのにとても役立つからです。どういうことか,神とモーセの会話の内容を見てみましょう。

      3-4. どんなことがあって,モーセは神と会話することになりましたか。その会話はどういう内容でしたか。

      3 モーセは80歳でした。同胞のイスラエル人が奴隷にされているエジプトから逃げて,40年がたっていました。ある日,しゅうとの羊の群れの番をしていた時,不思議な光景を見ます。いばらの木が燃えていますが,燃え尽きることなく山腹で明るく輝いています。モーセは調べようとして近寄ります。すると,火の中から声がして,話し掛けられました。びっくりしたことでしょう。神が天使を通してモーセに話していたのです。神とモーセはしばらく会話をし,神はモーセにある任務を与えます。平穏な生活を後にしてエジプトに戻り,奴隷にされているイスラエル人を救い出すという任務です。その責任の重さを考えて,モーセはためらいます。(出エジプト記 3:1-12)

      4 モーセは神にいろいろ尋ねたかったことでしょう。そんな中,どういう質問をしたかに注目してください。「私がイスラエル人の所に行って,『父祖たちの神が私を皆さんの所に遣わした』と言うとしても,『その方の名は何か』と言われたら,何と言えばよいでしょうか」。(出エジプト記 3:13)

      5-6. (ア)モーセの質問から,どんな大事なことが分かりますか。(イ)神の名前に関して,どんな残念なことが行われてきましたか。(ウ)神が自分の名前を明らかにしていることは,私たちにとってどんな意味がありますか。

      5 この質問からまず,神に名前があることが分かります。これは大事なことですが,そうは思わない人もたくさんいます。多くの聖書では,神の名前が取り除かれ,代わりに「主」や「神」といった称号が使われています。それは極めて残念なことで,間違った宗教的な考えに基づいて行われました。私たちは誰かのことを知りたい場合,まずその人の名前を尋ねるのではないでしょうか。神のことを知る場合にも同じことが当てはまります。神は,人間の理解を超えた,名もない遠い存在ではありません。目には見えませんが,素晴らしい性格を持つ魅力的な方で,エホバという名前があります。

      6 神が自分の名前を明らかにしているということは,私たちにとってどんな意味があるでしょうか。うれしいことに,神は自分のことを知ってほしいと思っているのです。私たちに,自分に近づいて,友達になってほしいと思っています。そうすれば,私たちは最高に幸せな人生を送れるからです。エホバは自分の名前だけでなく,自分がどんな方かも教えてくれています。

      神の名前の意味

      7. (ア)神の名前にはどんな意味があると考えられていますか。(イ)モーセは神の名前について尋ねた時,どんなことを知りたいと思っていましたか。

      7 神が自ら選んだエホバという名前には,深い意味があります。「エホバ」には「彼はならせる」という意味があると考えられています。エホバは唯一の創造者として,全てのものが存在するようにしました。また,自分の目的を必ず果たす方であり,そのために不完全な人間をも何にでもならせることができます。こうしたことを考えると,エホバへの畏敬の気持ちが湧いてきます。では,神の名前の意味から,神についてさらにどんなことが分かるでしょうか。モーセは何を知りたかったのでしょうか。エホバが創造者だということや,エホバという名前であることを,モーセはすでに知っていました。神の名前は何世紀も前から使われていたからです。ですから,モーセは神の名前について尋ねた時,その名前を持つ神がどういう方なのかを尋ねていたのです。つまり,こう聞いていました。「あなたについてどんなことを伝えたら,イスラエル人はあなたへの信仰を強め,あなたが本当に救出してくださると確信できるようになるでしょうか」。

      8-9. (ア)エホバはモーセの質問に答えて何と言いましたか。その言葉はどのように不正確に訳されていることが多いですか。(イ)「私は自分がなろうとするものとなる」という言葉にはどんな意味がありますか。

      8 エホバはモーセに答えて,自分の素晴らしい一面を明らかにしました。それは先ほど考えた神の名前の意味と関係がありますが,「私は自分がなろうとするものとなる」とモーセに言いました。(出エジプト記 3:14)多くの聖書では,この言葉が「私は『私はいる』という者である」というふうに訳されています。しかし,より厳密な訳を見ると,神が単に自分は存在すると言っていたわけではないことが分かります。エホバはモーセに,また後に聖書を読む人全てに,次のことを教えていました。エホバは自分の約束を果たすために必要などんなものにもなる,ということです。J・B・ロザハムの翻訳では,この言葉が「わたしは何であれ自分の望むものになる」と適切に訳されています。聖書ヘブライ語のある専門家は,この言葉についてこう説明しています。「いかなる状況や必要……が生じようとも,神はその必要に応える解決策と『なる』のである」。

      9 エホバは当時のイスラエル人に何を伝えたかったのでしょうか。イスラエル人がどんな障害に直面しようと,どんな窮地に陥ろうと,エホバは彼らを救い出して約束の地に連れていくために必要などんなものにもなる,ということです。イスラエル人たちは神の名前の意味を知って,神への信頼が強まったに違いありません。現代の私たちも同じ気持ちになるはずです。(詩編 9:10)どうしてそう言えるでしょうか。

      10-11. エホバという名前の意味を考えると,エホバがあらゆる状況に対応できる最高のお父さんだと確信できるのはどうしてですか。

      10 例えで考えてみましょう。子供を育てる親は,いろいろな状況に対応するためにさまざまな務めを果たす必要があります。1日の間に,看護師,コック,先生,しつけ係,裁判官といった役割をこなさなければならないかもしれません。やることが多過ぎて大変だと感じる人もいます。幼い子供からの絶大な信頼がプレッシャーになることもあります。子供は,お父さんやお母さんがけがの手当てをしてくれたり,きょうだいげんかを解決してくれたり,壊れたおもちゃを直してくれたり,いろいろな疑問に答えてくれたりすることを信じ切っています。親の中には,自分にはうまくできないと感じてがっかりしたり,自信をなくしたりする人もいます。

      11 エホバも愛情深い親です。でも,人間の親とは違うところがあります。エホバは,地上の子供たちを十分に世話するために,自分が定めた完全な基準の範囲内で何にでもなることができるからです。それで,エホバという名前の意味を考えると,エホバが最高のお父さんだと確信できます。(ヤコブ 1:17)モーセや他の忠実なイスラエル人は間もなく,エホバがその名前の通りの方であることを実感しました。エホバが自分たちにとって必要なさまざまなものになるのを目にしたからです。例えばエホバは,無敵の軍司令官,並ぶ者のいない立法者,裁判官,建築家になりました。また,イスラエル人のために自然界の力をコントロールしたり,食物や水を与えたり,服やサンダルが擦り切れないようにしたりもしました。

      12. エホバに対するファラオの態度は,モーセの態度とどのように違っていましたか。

      12 このように神は,自分の名前を知らせ,自分がどういう神なのかを明らかにし,自分がエホバという名前の通りに行動することを証明してきました。ですから,神が自分のことを知ってほしいと思っていることがはっきり分かります。では,あなたは神のことをもっと知りたいと思いますか。モーセは神のことを知りたいと強く願っていたので,神に仕える生き方を貫き,天の父との絆を強めることができました。(民数記 12:6-8。ヘブライ 11:27)残念なことに,モーセと同じ時代に生きていた人の多くは,神のことを知りたいとは思いませんでした。例えば,エジプトの王ファラオは,モーセがエホバについて話した時,傲慢にも「エホバが何者だというの[か]」と言いました。(出エジプト記 5:2)イスラエルの神などどうでもいい,知る価値などない,という態度を示したのです。現代の多くの人も同じような考え方をしています。そのため,エホバが主権者である主だという重要な真理を知らずにいます。

      主権者である主エホバ

      13-14. (ア)聖書の中でエホバがいろいろな称号で呼ばれているのはどうしてですか。例えばどんな称号がありますか。(14ページの囲みを参照。)(イ)エホバだけが「主権者である主」と呼ばれるのにふさわしいと言えるのはどうしてですか。

      13 エホバは柔軟にあらゆるものになることができるので,聖書の中でいろいろな称号で呼ばれているのもうなずけます。それらの称号は「エホバ」という名前ほど重要ではありませんが,称号について考えるとエホバのことがもっとよく分かります。例えば,エホバは「主権者である主」と呼ばれています。(サムエル第二 7:22)聖書の中に何百回も出てくるこの称号は,エホバの高い地位をよく表しています。エホバだけが,宇宙全体を治める権限を持っています。どうしてそう言えるのか考えてみましょう。

      14 エホバは唯一の創造者です。啓示 4章11節にはこう書かれています。「私たちの神エホバ,あなたは栄光と栄誉と力を受けるのにふさわしい方です。あなたが全てのものを創造されたからです。全てのものは,あなたのご意志によって存在するようになり,創造されました」。壮大な印象を与えるこの聖句は,ほかの誰にも当てはまりません。宇宙のありとあらゆるものは,エホバによって存在するようになったのです。エホバはまさに,主権者である主また全てのものの創造者として,栄光と栄誉と力を受けるのにふさわしい方です。

      15. エホバが「永遠の王」と呼ばれているのはどうしてですか。

      15 エホバだけに当てはまる別の称号は,「永遠の王」です。(テモテ第一 1:17。啓示 15:3)この称号にはどんな意味があるのでしょうか。人間には理解しにくいことですが,エホバは永遠の過去から存在していて,将来も永遠にわたって存在し続けます。詩編 90編2節には,「あなたは……永遠から永遠まで神です」と書かれています。ですから,エホバには始まりがなく,常に存在してきました。宇宙の中で,まだほかの誰も何も存在していない時からずっといるので,「年月を経た方」とも呼ばれています。(ダニエル 7:9,13,22)エホバが主権者である主だというのは,確かに正当なことではないでしょうか。

      16-17. (ア)エホバを見ることができないのはどうしてですか。モーセに起きたことから何が分かりますか。(イ)エホバはどんな点で,見たり触れたりできるものよりも優れた存在だと言えますか。

      16 でもファラオのように,そうは思わない人たちもいます。その1つの理由は,目に見えるものしか信じないという傾向があるからです。主権者である主は目に見えない天にいる存在なので,人間には見ることができません。(ヨハネ 4:24)もし仮に生身の人間がエホバ神のすぐそばに行けたとしても,死んでしまうでしょう。エホバはある時モーセにこう言いました。「あなたは私の顔を見ることはできない。私を見て生きていられる人はいない」。(出エジプト記 33:20。ヨハネ 1:18)

      17 その時モーセに何が起きたか考えてみてください。モーセはおそらく天使を通してエホバの栄光のほんの一部を見ただけでしたが,その後しばらくモーセの顔は「光を放って」いました。イスラエル人たちは恐れて,モーセの顔をまともに見られませんでした。(出エジプト記 33:21-23; 34:5-7,29,30)ですから,人間は誰も,栄光に輝く主権者である主を直接見ることはできないのです。では,見たり触れたりできないからといって,エホバは存在しないということになるでしょうか。そんなことはありません。例えば風や電波など,目に見えないものはたくさんありますが,私たちはその存在を疑ったりはしません。また,見たり触れたりできるものはやがて朽ちてなくなりますが,エホバは何千億年たっても変わることがないので,はるかに優れた存在だと言えます。(マタイ 6:19)それでは,神は漠然としたエネルギーのようなもので,知性や感情などない,という見方に対しては,どう答えられるでしょうか。

      素晴らしい性質を持つ神

      18. エゼキエルはどんな幻を見ましたか。エホバのそばにいる「生き物」の4つの顔は何を表していますか。

      18 私たちは天や神を見ることはできませんが,聖書を読むと壮大な天の様子がいくらか分かります。例えばエゼキエル 1章には,エゼキエルが見た巨大な天の兵車の幻について書かれています。その兵車は,エホバの宇宙的な組織の天にある部分を表していました。印象的なのは,エホバのすぐそばにいる力強い天使たちです。(エゼキエル 1:4-10)それらの「生き物」の外見から,神について重要なことが分かります。それぞれの天使には4つの顔があります。雄牛,ライオン,ワシ,人間の顔で,エホバの4つの際立った性質を表しているようです。(啓示 4:6-8,10)

      19. (ア)雄牛の顔,(イ)ライオンの顔,(ウ)ワシの顔,(エ)人間の顔は,何を表していますか。

      19 雄牛はとても力が強い動物なので,聖書の中でよく力の象徴となっています。ライオンは公正の象徴です。公正であるには勇気が必要で,ライオンは勇気のある動物として知られているからです。ワシは視力が良く,何キロも先にある小さな物も見ることができます。それで,ワシの顔は,先を見通す神の知恵をよく表しています。人間の顔はどうでしょうか。神の最大の特徴である愛を表しています。人間だけが神に似た者として造られたので,神に倣って愛を表せるからです。(創世記 1:26)エホバの力,公正,知恵,愛は,聖書の中で繰り返し強調されていて,エホバの持つさまざまな素晴らしい性質の中でも特に際立っています。

      20. エホバは変わっていないと言えるのはどうしてですか。

      20 神について聖書に書かれてから何千年もたっていますが,神は変わっていないのでしょうか。はい。神自身が,「私はエホバであり,私は変わらない」と言っています。(マラキ 3:6)エホバは気まぐれに性格を変えるのではなく,その場その場に最も合った性質を前面に出してくれます。まさに理想的なお父さんです。数ある性質の中で,最も重要なのは愛です。力や公正や知恵を表す時にも,愛がこもっています。興味深いことに,神と愛の関係について,聖書に「神は愛……です」と書かれています。(ヨハネ第一 4:8)神は愛があるとか,愛を表すとではなく,神は愛であると言われているのです。愛は神の本質であり,神のあらゆる行動のベースになっています。

      「これが私たちの神だ!」

      21. エホバのことを知れば知るほど,どんな気持ちになりますか。

      21 子供が友達の前で父親を指さし,誇らしげに「あれがうちのパパだよ」と言うことがあります。父親のことが大好きだからです。神を崇拝する人たちも,エホバについて同じように感じます。聖書に予告されているように,忠実な人たちは「これが私たちの神だ!」と言います。(イザヤ 25:8,9)エホバがどれほど素晴らしい方かを知れば知るほど,最高のお父さんだという実感が強まります。

      22-23. 聖書によれば,天のお父さんはどんな方ですか。ぜひ自分に近づいてほしいと思っていることが,どうして分かりますか。

      22 一部の宗教家や哲学者は,神は冷淡で遠い存在だと教えています。ですが,天のお父さんはそのような方ではありません。冷淡な神に近づきたいとは思いませんが,聖書によればエホバは温かい「幸福な神」です。(テモテ第一 1:11)豊かな感情を持っています。人間のためを思って与えた指針に背く人たちがいると,悲しみます。(創世記 6:6。詩編 78:41)逆に,私たちが聖書に従って賢く行動すると,喜びます。(格言 27:11)

      23 天のお父さんは,ぜひ自分に近づいてほしいと思っています。聖書の中で私たちに,「神を探し求めて本当に見つける」ように勧めています。「実のところ神は,私たち一人一人から遠く離れてはいません」。(使徒 17:27)でも,単なる人間が宇宙の主権者である主に近づいて友達になることなど,本当にできるのでしょうか。

  • 本当に神に近づける?
    エホバに近づきなさい
    • 女性が聖書で読んだことについて考えている。

      第2章

      本当に神に近づける?

      1-2. (ア)多くの人は,どんなことはあり得ないと言いますか。聖書によるとどうですか。(イ)アブラハムは神とどんな関係になりましたか。そうなれたのはどうしてですか。

      天地の創造者があなたのことを「私の友」と呼んでくれたら,どういう気持ちになりますか。多くの人は,そんなことはあり得ないと言います。単なる人間がエホバ神と友達になるなんて考えられない,というわけです。でも聖書によると,神と友情を育むことは可能です。

      2 遠い昔にアブラハムは,神ととても親しくなりました。エホバはアブラハムを「私の友」と呼びました。(イザヤ 41:8)アブラハムがエホバの友になれたのは,「エホバに信仰を持」ったからです。(ヤコブ 2:23)現代でも,エホバは自分に仕える人たちと友達になって「愛を示し」たいと思っています。(申命記 10:15)聖書は私たちにこう勧めています。「神に近づいてください。そうすれば,神は近づいてくださいます」。(ヤコブ 4:8)この言葉には,神の約束も含まれています。

      3. エホバは私たちにどんなことを勧めていますか。どんな約束もしてくれていますか。

      3 エホバは,自分に近づくよう私たちに勧めています。ぜひとも自分と友達になってほしいと思っているのです。そして,私たちの側が近づくなら,自分の方からも近づくと約束してくれています。ですから私たちは,素晴らしいことに「エホバ[の]親しい友」になることができます。(詩編 25:14)「親しい友」という表現には,何でも話せる特別な相手という意味合いがあります。

      4. 親友とはどういう人ですか。エホバはどんな親友になってくれますか。

      4 何でも打ち明けられる親友がいるのは,幸せなことです。その人はあなたのことを大事に思ってくれます。あなたもその人のことを心から信頼しています。いつも支えてくれるからです。その人といると,喜びは2倍になり,悲しみは半分になります。ほかの誰も分かってくれないように思えても,その人だけは分かってくれます。エホバ神も,そのような特別な友達になってくれます。あなたのことを大事に思い,深く気遣い,誰よりも分かってくれます。(詩編 103:14。ペテロ第一 5:7)エホバは決して裏切ったりせず,いつも支えてくれるので,心の底から信頼できます。(詩編 18:25)エホバの方から友情を育めるようにしてくれたからこそ,私たちはエホバと親しい友達になれるので,本当にうれしい気持ちになります。

      エホバは友情の扉を開いてくれた

      5. 私たちが近づけるように,エホバは何をしてくれましたか。

      5 私たちは生まれつき罪人なので,自分の力だけで神に近づくことはできません。(詩編 5:4)「しかしキリストは,私たちがまだ罪人だった間に,私たちのために死んでくださいました。そのことにより,神はご自分の愛を私たちに示してくださっています」と,使徒パウロは書いています。(ローマ 5:8)エホバは,イエスが「多くの人と引き換える贖いとして自分の命を与える」ようにしてくれました。(マタイ 20:28)その贖いの犠牲に信仰を持つ人は,神に近づくことができます。「神がまず愛してくださった」からこそ,私たちは神との友情を育むことができるのです。(ヨハネ第一 4:19)

      6-7. (ア)エホバが謎めいた神ではないと分かるのはどうしてですか。(イ)エホバはどのように自分のことを知らせてきましたか。

      6 エホバはほかにもどんなことをしてくれたでしょうか。自分のことを私たちに知らせてくれました。誰かと親しい友達になるには,相手のいいところや考え方などをよく知る必要があります。もしエホバがどんな方か全く分からない謎めいた神だったら,親しくなることはできないでしょう。でもエホバはそうではなく,自分のことを知ってほしいと思っています。(イザヤ 45:19)そして,地位や立場などに関係なくあらゆる人に自分のことを知らせています。(マタイ 11:25)

      エホバについて知らせているものの写真。1. 花とチョウ。2. 南国の海岸から見える夕焼け。3. 開かれた聖書。

      エホバは,創造したものと聖書によって,自分がどんな神かを知らせている

      7 エホバはどのように自分のことを知らせてきたのでしょうか。例えば,創造したものから,自分の強大な力や,豊かな知恵,深い愛などが人間に分かるようにしました。(ローマ 1:20)それだけでなく,聖書に自分のことが記されるようにしました。そのおかげで,聖書を読む人はエホバについていろいろなことを理解できます。

      聖書からエホバについてどんなことが分かるか

      8. 聖書を読むとエホバが私たちを愛してくれていることが分かるのはどうしてですか。

      8 聖書を読むと,エホバが私たちを本当に愛してくれていることが分かります。自分のことを,私たちに分かるように伝えてくれているからです。私たちがエホバを知って愛するようになることを,エホバは望んでいるのです。聖書を読んで学ぶと,エホバに近づいて絆を強めることができます。(詩編 1:1-3)聖書からエホバについてどんなことが分かるか,少し考えてみましょう。きっと感動することでしょう。

      9. 聖書には,神がどのような方かを示すどんな言葉がありますか。

      9 聖書には,神がどのような方かを示す言葉がたくさんあります。例えば次のようなものです。「エホバは公正を愛する方」。(詩編 37:28)「神は偉大な力を持って[いる]」。(ヨブ 37:23)「『私は……揺るぎない愛を抱いている……』と,エホバは宣言する」。(エレミヤ 3:12)「神は心が賢[い]」。(ヨブ 9:4)「憐れみ深く,思いやりがある神,すぐに怒らず,揺るぎない愛に満ち,常に信頼できる」。(出エジプト記 34:6)「エホバ,あなたは善い方で,快く許してくださいます」。(詩編 86:5)そして,前の章で取り上げたように,神の最も素晴らしい面は愛です。「神は愛」なのです。(ヨハネ第一 4:8)エホバ神がいかに魅力的な方であるかを考えると,友達になりたいと思うのではないでしょうか。エホバのような方はほかにいません。

      10-11. (ア)私たちがエホバについて一層よく分かるように,エホバは何を聖書に載せてくれていますか。(イ)どんな例から,エホバの力について一層はっきりとイメージできますか。

      10 愛情深いエホバは,自分がどんな方かを言うだけでなく,行動によっても示していて,幾つもの例を聖書に載せてくれています。そうした記録を読んで情景を思い描くと,エホバのいろいろな面について一層よく分かり,エホバへの親しみがどんどん湧いてきます。1つの例を考えてみましょう。

      聖書はエホバに近づくのに役立つ

      11 聖書によると,神は「驚異的な力を持って」います。(イザヤ 40:26)神がイスラエル人に紅海を渡らせて救出したことや,40年もの間荒野でイスラエル人を守ったことについて読むと,神がどのように力を発揮するかを一層はっきりとイメージできます。逆巻く水が2つに分かれていく様子を想像してください。約300万人のイスラエル人が,乾いた海底を歩いて渡っていきます。両側には,水が巨大な壁のようになってそそり立っています。(出エジプト記 14:21; 15:8)神が荒野でどのようにイスラエル人を保護し,世話したかも思い描いてみましょう。岩から水が流れ出ます。白い種のような食べ物が地面に現れます。(出エジプト記 16:31。民数記 20:11)こうした例から,エホバに力があることだけでなく,その力を自分の民のために使ってくれることが分かります。そのような力強い神が祈りを聞いてくれることを考えると,心強く感じるのではないでしょうか。エホバは「私たちの避難所,力」であり,「苦難の時,すぐに助けになってくださる」のです。(詩編 46:1)

      12. エホバはどのように,私たちが理解できる表現を使って自分のことを伝えてくれていますか。

      12 目に見えない方であるエホバは,ほかにもどのように自分について知らせてくれているでしょうか。私たち人間は,天や天にいる存在を見ることはできません。もし神が自分のことを,天にいる者にしか分からない表現で説明するとしたら,どうでしょうか。それは,生まれつき目が見えない人に,誰かの目の色やそばかすといった外見上の特徴を詳しく説明しようとするようなものかもしれません。エホバはそのようにはせず,私たちが理解できる表現を使って自分のことを伝えてくれています。例えば隠喩や直喩などを使って,自分を私たちが知っているものになぞらえています。また,人間と同じ特徴を持っているかのように自分を描写することもあります。a

      13. イザヤ 40章11節でエホバはどんなものに例えられていますか。そのことから,あなたはどう感じますか。

      13 エホバについてイザヤ 40章11節に書かれていることに注目しましょう。「神は羊飼いのようにご自分の群れを世話する。腕で子羊を集め,懐に抱いて運ぶ」。ここでエホバは,「腕」で子羊を抱き上げる羊飼いに例えられています。自分のか弱い民を守り,支えてくれることがよく伝わります。私たちはいわば,神の力強い腕の中で安心できます。私たちが神から離れなければ,神に見捨てられることは決してないからです。(ローマ 8:38,39)偉大な羊飼いであるエホバは,子羊を「懐に抱いて」運びます。聖書時代の羊飼いは,生まれて間もない子羊を懐の辺りに入れて運ぶことがありました。このイメージから,エホバが私たちのことを大切にし,優しく世話してくださると確信できます。本当に近づきたいと思える方です。

      「子が進んで父を啓示する」

      14. イエスについて読むことが,エホバのことを知る最も良い方法だと言えるのはどうしてですか。

      14 エホバは聖書の中に,愛する子イエスのことが記されるようにしました。そのイエスについて読むことが,エホバのことを知る最も良い方法です。イエスは神と同じように考えたり感じたりし,誰よりも生き生きと神について説明しました。初子として,他の天使や宇宙が創造される前から父エホバのそばにいたので,誰よりもエホバのことをよく知っています。(コロサイ 1:15)それで,次のように言うことができました。「子がどのような者かを知っているのは父だけであり,父がどのような方かを知っているのは,子と,子が進んで父を啓示する者たちだけです」。(ルカ 10:22)イエスは人間として地上にいた時,2つの方法で「父を啓示」しました。

      15-16. イエスはどんな2つの方法で「父を啓示」しましたか。

      15 1つ目に,イエスは教えによって「父を啓示」しました。エホバがどんな方かについてのイエスの説明は,私たちの心に響きます。例えばイエスは,エホバが悔い改めた罪人を迎え入れる憐れみ深い神だということを示すために,エホバを寛大な父親に例えました。その父親は,放蕩息子が戻ってきたのを見て深く心を動かされ,走っていって息子を抱き締め,優しく口づけします。(ルカ 15:11-24)さらにイエスによると,エホバは誠実な人たち一人一人を愛して「引き寄せ」る神です。(ヨハネ 6:44)また,地面に落ちる小さなスズメ1羽さえ見逃すことはなく,気に掛けています。それでイエスはこう言いました。「恐れることはありません。あなたたちはたくさんのスズメより価値があるのです」。(マタイ 10:29,31)このように深く気遣ってくれる神と,ぜひとも親しくなりたいと思うことでしょう。

      16 2つ目に,イエスは行いによって「父を啓示」しました。イエスは父エホバに完璧に倣っていたので,「私を見た人は,父をも見たのです」と言うことができました。(ヨハネ 14:9)ですから,私たちは福音書の中でイエスについて読む時,あたかもエホバの感情の表し方や人との接し方を見ているかのようです。エホバが自分について知らせる上で,これ以上に良い方法はなかったでしょう。どうしてそう言えるのでしょうか。

      17. エホバは,自分がどんな神かを私たちが理解しやすいように,どんなことをしてくれましたか。

      17 例えば,親切とはどういうことかをあなたが説明しようとしているとします。言葉でいろいろ説明することもできますが,実際に親切なことをしている人を指さして,「親切ってああいうことだよ」と言えるならどうでしょうか。手本を見た相手は,「親切」という言葉の意味を一層よく理解できるのではないでしょうか。エホバは,自分がどんな神かを私たちが理解しやすいように,同じようなことをしてくれました。自分について言葉で説明するだけでなく,イエスという手本を見せてくれたのです。イエスの言動に神のいろいろな性質が表れているので,いわばエホバが福音書の記録を通して詳しい自己紹介をしているかのようです。では,神の聖なる力に導かれて書かれた福音書から,地上にいた時のイエスについてどんなことが分かるでしょうか。

      18. イエスは,力,公正,知恵をどのように表しましたか。

      18 イエスは神の4つの主な性質を見事に表しました。イエスは力を持っていたので,病気を治したり,おなかをすかせた大勢の人たちに食べ物を与えたり,死んだ人を生き返らせたりできました。でも,力を乱用する利己的な人たちとは違い,奇跡を行う力を自分のために使ったり,その力で人を傷つけたりはしませんでした。(マタイ 4:2-4)イエスは公正を愛していたので,貪欲な商人たちが人々を食い物にしているのを見て正当な怒りを感じました。(マタイ 21:12,13)貧しい人たちや虐げられていた人たちにも公平に接し,その人たちが「爽やかさを感じ」られるようにしました。(マタイ 11:4,5,28-30)「ソロモンを上回る者」だったイエスの教えには,ずばぬけた知恵が表れていました。(マタイ 12:42)でもイエスは自分の知恵を見せつけたりはしませんでした。役立つことをシンプルに分かりやすく教えたので,イエスの言葉は一般の人々の心に響きました。

      19-20. (ア)イエスが愛を表す点で際立っていたと言えるのはどうしてですか。(イ)イエスの手本について読んで考える時,どんなことを覚えておくとよいですか。

      19 イエスは特に,愛を表す点で際立っていました。宣教を行った間ずっと,感情移入や思いやりなど,愛のさまざまな面を表しました。苦しんでいる人たちを見るとかわいそうに思い,助けたいという気持ちが行動に表れました。(マタイ 14:14)病気の人たちを癒やし,おなかをすかせた人たちに食べ物を与えただけでなく,もっと重要なこととして神の王国について教えました。その王国によって,もう苦しむことはなくなり,いつまでも幸せに暮らせるようになるという希望を,人々が持てるように助けたのです。(マルコ 6:34。ルカ 4:43)何よりもイエスは,全ての人のために自分の命をなげうつことによって,自己犠牲的な愛を示しました。(ヨハネ 15:13)

      20 イエスは本当に優しくて温かく,思いやり深い方だったので,子供からお年寄りまであらゆる人たちがイエスに引き付けられたのはもっともなことです。(マルコ 10:13-16)イエスの素晴らしい手本について読んで考える時,イエスの言動には父エホバがどのような方かがはっきり表れている,ということを覚えておきましょう。(ヘブライ 1:3)

      エホバについて学ぶのに役立つ本

      21-22. エホバを探し求めるとはどういうことですか。この本はどのように役立ちますか。

      21 エホバは聖書の中で自分についてたくさんのことを知らせているので,自分に近づいてほしいと思っていることがはっきり分かります。とはいえ,自分と親しくなるよう私たちに強制したりはしません。「見いだせるうちにエホバを探し求め」るかどうかは,私たち次第です。(イザヤ 55:6)エホバを探し求めるとは,エホバがどんな方で,どのように考えたり感じたりするかを,聖書を読んで学んでいくことです。この本は,そうするのに役立ちます。

      22 この本には4つのセクションがあり,エホバの4つの主な性質である力,公正,知恵,愛を取り上げています。各セクションではまず,そこで取り上げる性質を概観します。続く幾つかの章で,エホバがその性質をどのように表しているかを学びます。また,各セクションには,イエスがどのようにその性質を表したかを説明する章と,私たちがそれをどのように表せるかを考える章もあります。

      23-24. (ア)「じっくり考えたいこと」という囲みにはどんな特徴がありますか。(イ)じっくり考えることは,エホバとの友情を深めるのにどう役立ちますか。

      23 この章以降には,「じっくり考えたいこと」と題する囲みがあります。一例として,24ページをご覧ください。囲みにある聖句や質問は,章を復習するためのものではありません。その章のテーマと関係がある重要な点についてさらにじっくり考えるためのものです。囲みを役立てるにはどうしたらいいでしょうか。挙げられている聖句を開いて,注意深く読んでください。それから,質問にどう答えられるかじっくり考えましょう。他の資料を調べることもできます。さらに,次のようなことも考えてみましょう。「ここからエホバについてどんなことが分かるだろう。自分とどんな関係があるだろう。ほかの人を助けるのにどう役立つだろう」。

      24 そうしたことをじっくり考えることは,エホバとの友情を深めるのに役立ちます。どうしてでしょうか。聖書の中で,黙想は心と結び付けられています。(詩編 19:14)神について学んだことをじっくり考えると,その内容が心に染み込みます。そうすると,考え方が変わり,気持ちが奮い立ち,行動したくなります。神への愛が深まり,その最高の親友に喜ばれることをしたいという気持ちになるのです。(ヨハネ第一 5:3)エホバとのそのような友情を育むためにも,エホバがどんな方かを詳しく考えていきましょう。4つのセクションに入る前に,まず神の神聖さについて取り上げます。神がどれほど聖なる方かを知ると,神に近づきたいという気持ちが強くなるでしょう。

      a 例えば聖書には,神の顔,目,耳,鼻,口,腕,足について書かれています。(詩編 18:15; 27:8,脚注; 44:3。イザヤ 60:13。マタイ 4:4。ペテロ第一 3:12)これらは比喩的な表現であり,文字通り神に顔や手足があるということではありません。エホバが文字通り「岩」や「盾」ではないのと同じです。(申命記 32:4。詩編 84:11)

      じっくり考えたいこと

      • 詩編 15:1-5 エホバは自分と友達になりたいと思う人たちにどんなことを期待していますか。

      • 詩編 34:1-18 エホバはどんな人のそばにいますか。そういう人は,エホバがどんなことをしてくれると確信できますか。

      • 詩編 145:18-21 どんなことをすればエホバに近づけますか。

      • コリント第二 6:14–7:1 エホバと友達でいるためには,どんなことが大切ですか。

  • 「聖なる方,聖なる方,聖なる方……エホバ」
    エホバに近づきなさい
    • 山々や木々に囲まれて,美しい川が流れている。

      第3章

      「聖なる方,聖なる方,聖なる方……エホバ」

      1-2. 預言者イザヤは神からのどんな幻を見ましたか。その幻からエホバがどんな方だと分かりますか。

      イザヤは神からの幻を見て,畏敬の気持ちでいっぱいになりました。その幻の光景があまりにリアルだったので,後にイザヤは,高い所にある王座に座っている「エホバを見た」と書いています。エホバの長い衣の裾が,エルサレムの大きな神殿いっぱいに広がっていました。(イザヤ 6:1,2)

      2 聞こえてきた歌声も,イザヤに大きなインパクトを与えました。神殿が土台から揺り動かされるほど力強い歌声で,高位の天使であるセラフたちが歌っていました。鳴り響いていたのは,シンプルながらも厳かな次の言葉です。「聖なる方,聖なる方,聖なる方,大軍を率いるエホバ。全世界にその方の栄光が満ちている」。(イザヤ 6:3,4)「聖なる方」という表現が際立つように3回も使われているのは適切と言えます。エホバは誰よりも聖なる方だからです。(啓示 4:8)エホバの神聖さは聖書の中で繰り返し強調されていて,「エホバ」という名前と「聖なる」や「神聖」という言葉が一緒に出てくる聖句がたくさんあります。

      3. 多くの人が聖なる神から遠ざかってしまうのはどうしてですか。

      3 神聖さはエホバの大事な一面であり,エホバがそのことを私たちに理解してほしいと思っていることがよく分かります。しかし多くの人は,神聖さという言葉にあまり良いイメージを持っていません。聖人ぶった偉そうな聖職者を連想する人もいます。自分に自信が持てず,聖なる神にはとても近づけないと感じる人もいます。こうした理由で聖なる神から遠ざかる人が大勢いますが,それは残念なことです。神の神聖さについて思い巡らすと,本来は神に近づきたいと思うはずだからです。どうしてそう言えるのでしょうか。そのことを考える前に,まず神聖さとは何かを調べましょう。

      神聖さとは何か

      4-5. (ア)「聖なる」とはどういう意味ですか。どういうことではありませんか。(イ)エホバはどんな2つの意味で「分けられた」方ですか。

      4 聖なる神は,独善的でも傲慢でもなく,人を見下したりはしません。それどころか,そういう思いやりのない態度を憎んでいます。(格言 16:5。ヤコブ 4:6)では,「聖なる」とはどういう意味なのでしょうか。聖書のヘブライ語でその言葉は,「分けられた」という意味の語から来ています。ですから,崇拝に関連して使われる「聖なる」という言葉は,神のために取り分けられたものを指します。さらに神聖さは,汚れのない清い状態を表します。では,「聖なる」方であるエホバは,不完全な人間から「分けられた」,遠くて近寄り難い存在だということでしょうか。

      5 決してそうではありません。エホバは「イスラエルの聖なる方」として,罪深い民の「ただ中にいる」と言いました。(イザヤ 12:6。ホセア 11:9)ですから,聖なる方だから遠い存在だということはありません。では,どういう意味で「分けられた」方なのでしょうか。2つの点でそう言えます。1つ目に,エホバは至高者なので,全ての創造物から分けられています。最高に清く,並ぶものがない方です。(詩編 40:5; 83:18)2つ目に,エホバはあらゆる罪から完全に分けられています。そのことを考えると安心できます。どうしてでしょうか。

      6. エホバが罪から完全に分けられていることを考えると,安心できるのはどうしてですか。

      6 今の世の中には,本当の意味で神聖なものはほとんどありません。大半の人が神から遠く離れているので,人間社会は罪と不完全さによっていわば汚染されています。私たちは皆,自分の内にある罪と闘わなければならず,注意していないと悪い傾向に負けてしまいかねません。(ローマ 7:15-25。コリント第一 10:12)でも,エホバはそのようなことはありません。全く罪のない方で,ほんのわずかでも悪を行うことは決してありません。完全に信頼できるので,まさに理想のお父さんです。罪深い人間の父親とは違って,堕落したり家族を虐待したりはしません。聖なる方なので,そのようなことは絶対にしないのです。エホバの神聖さは100%信用できるため,エホバは自分の神聖さに懸けて誓ったことさえあります。(アモス 4:2)そのことを考えると,安心できるのではないでしょうか。

      7. 神聖さはエホバの本質だと言えるのはどうしてですか。

      7 神聖さは,エホバの本質だと言えます。どういうことでしょうか。例えば,「人間」と「不完全」という言葉について考えてください。その2つの言葉は切っても切れない関係にあります。人間のやることなすこと全てに不完全さが付きまとうからです。同じように,「エホバ」と「神聖」という言葉も,切っても切れない関係にあります。エホバは神聖さを体現していて,全ての面で清く正しい方だからです。この「神聖」という奥深い言葉の意味を理解しない限り,エホバがどんな方かを十分に知ることはできません。

      「神聖さはエホバのもの」

      8-9. 不完全な人間でもエホバに助けてもらえばある程度聖なる人になれると,どうして分かりますか。

      8 エホバは神聖さを体現している神なので,全ての神聖さの源だと言えます。自分だけが神聖であればいいと考えるのではなく,他のものに惜しみなく神聖さを付与します。エホバが燃えるいばらの木の所で天使を通してモーセに話した時,辺りの地面までもが聖なる場所になりました。(出エジプト記 3:5)

      9 不完全な人間でも聖なる人になれるのでしょうか。エホバに助けてもらえば,ある程度なれます。エホバは自分の民であるイスラエル人が「聖なる国民」になれると言いました。(出エジプト記 19:6)そして,イスラエル人を祝福し,神聖で清い崇拝を行えるようにしました。神聖さはモーセの律法の中で繰り返し強調されています。大祭司のターバンの前面に付けられた金の板には,「神聖さはエホバのもの」という言葉が彫られていて,輝くその板を皆が見ることができました。(出エジプト記 28:36)ですから,イスラエル人は周囲の国民とは違い,エホバの高い基準に沿って清い崇拝や清い生き方をすることになっていました。エホバは彼らにこう言いました。「あなたたちは聖なる人であるべきである。あなたたちの神である私エホバは聖なる者だからである」。(レビ記 19:2)イスラエル人は最善を尽くして神に従うなら,不完全ではあっても神から見て聖なる人になることができたのです。

      10. イスラエル人と周囲の国民の間には,どんな大きな違いがありましたか。

      10 イスラエルの周囲の国々で行われていた崇拝は,イスラエル人が行っていた非常に神聖な崇拝とは懸け離れていました。異教の国々で崇拝されていた神々は,そもそも偽物で実際には存在していませんでしたが,暴力的で貪欲で不道徳な神々だと考えられていました。全く聖なる神ではありません。そのような神々を崇拝していた人たちも,神聖とは程遠い状態でした。それでエホバは自分の民に,異教の人々や彼らの汚れた宗教から離れているようにと警告しました。(レビ記 18:24-28。列王第一 11:1,2)

      11. (ア)天使たち,(イ)セラフ,(ウ)イエスから,エホバの組織の天にある部分の神聖さがどのように分かりますか。

      11 このように,エホバに選ばれた古代イスラエル人は聖なる国民でしたが,神の組織の天にある部分の神聖さはそれよりもはるかに勝っています。神に忠実に仕えている大勢の天使たちは,「無数の聖なる者」と呼ばれています。(申命記 33:2。ユダ 14)聖なる神の輝かしい神聖さに完璧に倣っているからです。イザヤが見た幻に出てきたセラフのことも思い出してください。セラフの歌の内容からして,その力強い天使たちはエホバの神聖さを宇宙全体に知らせるという重要な役割を果たしているようです。そして全ての天使の上に,神の独り子イエスがいます。イエスは神の神聖さに倣う点で際立っているので,「神の聖なる方」と呼ばれています。(ヨハネ 6:68,69)

      聖なる名前,聖なる力

      12-13. (ア)神の名前が「聖なる名」と言われているのは,どうして適切なことですか。(イ)神の名前が神聖なものとされる必要があるのはどうしてですか。

      12 神の名前は神聖さとどう関係があるのでしょうか。第1章で考えたように,その名前は単なる称号などではありません。さまざまな素晴らしい面を持つエホバ神を表す名前なので,聖書の中で「聖なる名」と言われています。(イザヤ 57:15)モーセの律法では,神の名を冒瀆する人は死刑にされることになっていました。(レビ記 24:16)神への祈りに含めるべき重要なこととしてイエスが最初に述べた言葉にも注目しましょう。「天におられる私たちの父よ,お名前が神聖なものとされますように」。(マタイ 6:9)神聖なものとするとは,聖なるものとして取り分けて大切にするということです。では,神の名前はもともと聖なるものなのに,どうして神聖なものとする必要があるのでしょうか。

      13 神の聖なる名は,うそや中傷によって汚されてきました。エデンでサタンはエホバについてうそをつき,公正な主権者ではないとほのめかしました。(創世記 3:1-5)それ以来サタンは,この汚れた世界の支配者として,神についてのうそが広まるように仕向けてきました。(ヨハネ 8:44; 12:31。啓示 12:9)例えばいろいろな宗教が,神は気まぐれで,人間のことを気に掛けておらず,残酷だと教えてきました。また,血なまぐさい戦争を神が後押ししていると主張しています。さらに科学者たちは,地球の動植物は神が創造したのではなく,進化によって偶然に生じたと説明しています。このように,神の評判はひどく傷つけられてきたので,名誉が回復される必要があります。そういう意味で神の名前が神聖なものとされる時を,私たちは待ち望んでいます。神は自分の名に浴びせられてきたあらゆる非難が間違っていることを,イエスが治める王国によって明らかにします。その王国についての良い知らせを広める仕事が私たちに与えられているのは,本当にうれしいことです。

      14. 神の力が聖なる力と呼ばれているのは,なぜ適切なことだと言えますか。聖なる力を冒瀆することは,どれほど重大なことですか。

      14 名前以外に,エホバのもので「聖なる」と呼ばれているものがもう1つあります。それは,エホバが送り出す聖なる力です。(創世記 1:2)エホバはその圧倒的な力を使って自分の望むことを行います。神が行うあらゆることは神聖で清いので,そのために使う力が聖なる力と呼ばれているのは適切なことです。(ルカ 11:13。ローマ 1:4)エホバの意志に故意に逆らって聖なる力を冒瀆することは,許されない罪です。(マルコ 3:29)

      エホバの神聖さについて考えるとエホバに引き付けられる

      15. 神を畏れるとはどういうことですか。神聖な神を畏れるのが正しいのはどうしてですか。

      15 聖書の中で人間に対し,神聖な神を畏れるようにと言われているのも,もっともなことです。例えばイザヤ 8章13節にはこう書かれています。「大軍を率いるエホバだけを神聖なものとし,この神だけを畏れ……るべきである」。神を畏れるとは,心から敬うということです。そのように敬うのは正しいことです。神は私たちよりはるかに聖なる方,栄光に輝く方だからです。でも,神の神聖さは,私たちを寄せ付けないようなものではありません。神の神聖さについて正しく理解すると,神に引き付けられます。そう言えるのはどうしてでしょうか。

      16. (ア)神聖さが美しさと結び付けられているどんな例がありますか。(イ)聖書によると,聖なる神はどれほど美しい方ですか。

      16 聖書の中で,神聖さは美しさと結び付けられています。一例としてイザヤ 63章15節によると,神の「高大な住まい」である天は「神聖さと栄光[または,「美しさ」,脚注]に満ち」ています。美しいものは私たちを引き付けます。例えば,33ページの写真を見てください。心を引かれる光景ではないでしょうか。空が青く,日の光が明るく辺りを照らし,きれいな水が流れていて,空気も澄み切っているようです。では,もし川がごみでいっぱいで,木や岩が落書きだらけで,空気がスモッグで汚れていたら,どうでしょうか。目を背けたくなるに違いありません。私たちが美しいと感じるのは,きれいで,清く,光にあふれているものです。エホバの神聖さにも同じことが当てはまるので,私たちはエホバについて聖書に書かれていることに魅了されます。聖なる神は,明るく輝き,火のように光を放ち,金や宝石のようにきらめく,極めて美しい方なのです。(エゼキエル 1:25-28。啓示 4:2,3)

      美しいものと同じように神聖さも人を引き付ける

      17-18. (ア)イザヤはセラフたちの歌を聞いた時,どのように感じましたか。(イ)エホバはセラフによってどのようにイザヤを元気づけましたか。セラフの行動にはどんな意味がありましたか。

      17 では,神の神聖さに圧倒されるように感じる場合,どう考えたらいいでしょうか。もちろん,神と比べると自分はちっぽけな存在だと感じるのも無理はないことですが,だからといって神にはとても近づけないと思う必要はありません。イザヤの例を考えてみましょう。イザヤはセラフたちがエホバの神聖さについて歌うのを聞いた時,こう言いました。「災いだ! 私は死んだも同然だから。私は唇が汚れている者で,唇が汚れている民の中に住んでいるのに,大軍を率いる王エホバを見てしまった!」(イザヤ 6:5)エホバの圧倒的な神聖さを目の前にしたイザヤは,自分の罪深さや不完全さを痛感し,打ちのめされてしまいました。でもエホバはそんなイザヤを放っておきませんでした。

      18 エホバはイザヤを元気づけるために,すぐに1人のセラフを送りました。セラフは,祭壇から取ってきた熱い炭をイザヤの唇に触れさせました。痛そうに思えますが,どうしてこれが元気づけることになるのでしょうか。これは幻の中の出来事で,セラフの行動には象徴的な意味がありました。忠実なユダヤ人だったイザヤは,贖罪のために神殿の祭壇で毎日犠牲が捧げられていることをよく知っていました。セラフはイザヤに,不完全で「唇が汚れている」罪深い人間でも,罪が贖われてエホバから聖なる人と見てもらえる,ということを優しく思い起こさせていたのです。a (イザヤ 6:6,7)

      19. エホバが不完全な私たちを聖なる人と見なしてくれるのはどうしてですか。

      19 現代でも,エホバは不完全な人間を聖なる人と見なしてくれます。エルサレムにある祭壇で捧げられていた犠牲よりもはるかに優れた犠牲が,西暦33年に捧げられました。イエス・キリストが自分の命を完全な犠牲として捧げたのです。(ヘブライ 9:11-14)それで私たちは,罪を本当に悔い改め,間違った生き方を正し,イエスの犠牲に信仰を抱くなら,許していただけます。(ヨハネ第一 2:2)だからこそ使徒ペテロは,エホバの次の言葉を私たちに思い起こさせています。「あなたたちは聖なる人でなければならない。私は聖なる者だからである」。(ペテロ第一 1:16)このように述べたエホバは,私たちに自分と同じレベルの神聖さを求めているわけではありません。無理なことを要求したりはしません。(詩編 103:13,14)エホバが言っているのは,聖なる者である自分に倣ってほしい,ということです。私たちは「子供として神に愛されているので」,不完全なりにできる限り神に倣いたいと思います。(エフェソス 5:1)ですから,聖なる人になれるように努力を続ける必要があります。クリスチャンとして成長し,「神聖さを完成させていきましょう」。(コリント第二 7:1)

      20. (ア)聖なる神から見て清い人になれることを理解するのは,なぜ重要ですか。(イ)イザヤは,自分の罪が贖われたことを理解した時,見方がどう変わりましたか。

      20 エホバは清く正しいことを愛し,罪を憎む方です。(ハバクク 1:13)しかし,私たちを憎むことは決してしません。私たちがエホバと同じように悪を憎んで善を愛し,キリスト・イエスの完全な手本に倣うよう努力するなら,エホバは私たちの罪を許してくれます。(アモス 5:15。ペテロ第一 2:21)聖なる神から見て清い人になれるということが分かると,私たちの見方や考え方に大きな影響があります。すでに考えたように,イザヤは当初エホバの神聖さに圧倒されて,自分が清くないことを痛感し,「災いだ!」と叫びました。でも,自分の罪が贖われたことを理解すると,前向きな見方になりました。エホバがある仕事のために誰かを遣わしたいと思った時,イザヤはそれがどんな仕事かも分からなかったのに,すぐに「ここに私がおります! 私を遣わしてください!」と言いました。(イザヤ 6:5-8)

      21. 私たちも聖なる人になれる,と確信できるのはどうしてですか。

      21 私たちは聖なる神に似た者として造られたので,神のいろいろな良いところに倣うことができ,神との友情を育めます。(創世記 1:26)誰でも聖なる人になれるのです。そのために努力し続けるなら,エホバは喜んで助けてくれます。結果として,聖なる神との絆を強めることができます。さらに,この本の続きを学んでエホバの幾つもの魅力的な面についてじっくり考えると,一層エホバに近づきたいという気持ちになることでしょう。

      a 唇は聖書の中でよく,言葉や話すことを表しています。不完全な人間は話す内容や話し方によって罪を犯すことが多いので,「唇が汚れている」という表現は適切と言えます。(格言 10:32。ヤコブ 3:2,6)

      じっくり考えたいこと

      • レビ記 19:1-18 聖なる人になるには,どんな原則に従う必要がありますか。

      • 申命記 23:9-14 聖なる人でいるために,体の清さを保つのが重要なのはどうしてですか。私たちの身だしなみや住まいはどんな状態であるべきですか。

      • ローマ 6:12-23; 12:1-3 罪や世の影響を受けないように,どんな努力を払う必要がありますか。

      • ヘブライ 12:12-17 どうすれば,神聖なものとされるように努めていることになりますか。

  • 「エホバは……偉大な力を持っている」
    エホバに近づきなさい
    • エリヤが洞窟から,エホバの力が表れている暴風や地震や火を見ている。

      第4章

      「エホバは……偉大な力を持っている」

      1-2. エリヤはどんな驚くような経験をしましたか。後にホレブ山にある洞窟で,目を見張るようなどんな出来事を目撃しましたか。

      エリヤは驚くような経験を何度もしました。例えば敵から身を隠していた時に,ワタリガラスが毎日2回食べ物を運んできました。また,長く続いた飢饉の間,麦粉の入ったつぼと油の入ったつぼが空になることはありませんでした。神が祈りに答えて空から火を降らせたこともあります。(列王第一 17,18章)しかし,ある時エリヤは,かつてないほどインパクトのある光景を見ます。

      2 ホレブ山にある洞窟の入り口の所で,エリヤは目を見張るような一連の出来事を目撃しました。まず,暴風が吹きます。山々を裂き,大岩を砕くほどの強い風だったので,耳をつんざくようなごう音がしたことでしょう。次に,大きな地震が起きます。それから火が生じます。エリヤは焼けるような熱を感じたことでしょう。(列王第一 19:8-12)

      3. エリヤが見たり経験したりした出来事には何が表れていましたか。私たちはそれをどんな時に感じますか。

      3 エリヤが見たり経験したりしたさまざまな出来事には,1つの共通点がありました。どの場合にも,エホバ神の偉大な力が表れていました。もちろん,神が大きな力を持っていることは,奇跡を見るまでもなく分かります。神の力は至る所に見られるからです。聖書によれば創造物は,エホバが「永遠に力を持っていて,確かに神である」ことの証拠です。(ローマ 1:20)例えば,雷雨の時の目がくらむような稲光やとどろく雷鳴,力強く流れ落ちる大きな滝,無限の広がりを感じさせる星空などについて考えると,神の力を感じるのではないでしょうか。今の世の中で神の力について正しく知ろうとする人はあまりいませんが,その力について理解すると,エホバに近づきたいという気持ちになります。このセクションでは,エホバの唯一無二の力について詳しく調べます。

      「エホバがそばを通[った]」

      エホバの主な性質の1つ

      4-5. (ア)聖書の中でエホバの名前についてどんなことが言われていますか。(イ)雄牛がエホバの力を表しているのは,なぜ適切だと言えますか。

      4 エホバは誰とも比べものにならない力を持っています。エレミヤ 10章6節にはこう書かれています。「エホバ,あなたのような方はいません。あなたは偉大な方,あなたの名は力強く,偉大です」。エホバの名が力強く,偉大だと言われていることに注目できます。エホバの名前には「彼はならせる」という意味があることを思い起こしてください。エホバが何でも創造でき,自分の望むどんなものにもなることができるのは,どうしてでしょうか。1つの理由は,無限の力があるからです。そのような力がエホバの主な性質の1つだからこそ,エホバは望むことを何でも行えるのです。

      5 神の力の全貌は人間にはとうてい理解できませんが,エホバは例えを使って自分の力について私たちに分かりやすく教えてくれています。すでに考えた通り,聖書の中で雄牛は神の力の象徴です。(エゼキエル 1:4-10)雄牛は家畜であっても非常に大きくて力強い動物なので,雄牛が力を表しているのは適切だと言えます。聖書時代のパレスチナの人たちは,雄牛よりも強い動物を目にすることはまずありませんでした。しかも,もっと恐ろしい牛がいることも知っていました。今では絶滅した,オーロックスという野牛です。(ヨブ 39:9-12)ローマの支配者ユリウス・カエサルはその野牛について,ゾウと同じぐらい大きく,力がとても強く,足もとても速いと書いています。そのような動物のすぐそばに立ったら,誰もが自分は小さくてか弱い存在だと思うことでしょう。

      6. エホバだけが「全能の神」と呼ばれているのはどうしてですか。

      6 小さくてか弱い人間と比べて,エホバははるかに強大な力を持つ神です。エホバにとっては強い国々も「はかりの上のほこり」のようです。(イザヤ 40:15)無限の力があるので,エホバだけが「全能の神」と呼ばれています。a (啓示 15:3)エホバは「膨大な活力と驚異的な力」を持っています。(イザヤ 40:26)尽きることがない豊富な力の源です。「力[は]神のもの」と言われている通り,他のエネルギー源に頼ってはいません。(詩編 62:11)では,エホバはどのように自分の力を使うのでしょうか。

      エホバはどのように力を使うか

      7. エホバの聖なる力とは何ですか。原語からどんなことが分かりますか。

      7 創世記 1章2節に書かれている通り,聖なる力は神が無限に「送り出す力」です。「聖なる力」と訳されているヘブライ語やギリシャ語の言葉は,聖書の中で「風」や「息」や「突風」などと訳されることもあります。辞書編集者たちによるとその原語は,目に見えなくても作用している力を指します。神の聖なる力は風のように私たちの目には見えませんが,その力が及ぼす影響は確かに分かります。

      8. 聖書の中で神の聖なる力はどのように呼ばれていますか。それが適切だと言えるのはどうしてですか。

      8 神の聖なる力はまさに万能です。エホバはそれを使って,自分が望むどんなことでも行えます。聖書の中で聖なる力は適切にも,比喩的な意味で神の「指」とか「力強い手」とか「伸ばした腕」と呼ばれています。(ルカ 11:20,脚注。申命記 5:15。詩編 8:3)人間が自分の手を使って力仕事から緻密な作業までいろいろ行えるように,神も自分の聖なる力を使ってありとあらゆることを行えます。例えば,極小の原子を創造したり,紅海を分けたり,1世紀のクリスチャンがさまざまな言語を話せるようにしたりしました。

      9. エホバはどれほどの権力を持っていますか。

      9 エホバはさらに,宇宙の主権者としての権力という力も使います。あなたは,自分の命令通りに動いてくれる何千万もの有能な部下がいるのを想像できますか。エホバはそのような権力を持っています。神に仕える人たちは,聖書の中でよく軍隊に例えられています。(詩編 68:11; 110:3)そして,人間よりはるかに強い天使も神に仕えています。アッシリア軍が神の民を攻撃した時,たった1人の天使が1晩のうちに18万5000人のアッシリア兵を殺したという例があります。(列王第二 19:35)神の天使はまさに「力に満ちて」います。(詩編 103:19,20)

      10. (ア)エホバが大軍を率いる神と呼ばれているのはどうしてですか。(イ)エホバが創造したものの中で最も力のある方は誰ですか。

      10 天使は実際どれぐらいいるのでしょうか。預言者ダニエルは幻の中で天の様子を見た時,エホバの王座の前に1億を優に超える天使がいるのを目にしました。しかも,それが天使全員だったとは限りません。(ダニエル 7:10)ですから,天使は幾億もいるのかもしれません。エホバが大軍を率いる神と呼ばれているのも納得できます。その称号は,力強い天使たちの大軍の司令官としてのエホバの立場を表しています。そしてエホバは,最愛の子で「全創造物の中の初子」であるイエスを天使長としました。(コロサイ 1:15)セラフやケルブを含む全ての天使の長であるイエスは,エホバが創造したものの中で最も力のある方です。

      11-12. (ア)神の言葉はどのように力を及ぼしますか。(イ)イエスはエホバについて何と言いましたか。その言葉からエホバの力について何が分かりますか。

      11 エホバはほかにもどのように力を表しているでしょうか。ヘブライ 4章12節には,「神の言葉は生きていて,力を及ぼ」すと書かれています。神の言葉つまりメッセージは,聖なる力の導きによって聖書に記されました。あなたはその言葉の驚異的な力を実感したことがありますか。神の言葉は私たちを力づけ,信仰を強め,人格や生き方を大きく変えるよう助けてくれます。使徒パウロは,非常に不道徳な生き方をしている人たちに注意するよう仲間のクリスチャンに伝えた際,こう付け加えました。「皆さんの中には,以前そのような人もいました」。(コリント第一 6:9-11)「神の言葉」はそのクリスチャンたちに「力を及ぼし」,生き方を変えるように助けたのです。

      12 エホバは計り知れない力を使って,望んでいることを必ず行います。誰にもその邪魔はできません。イエスが言った通り,「神には全てのことが可能です」。(マタイ 19:26)では,エホバはどんなことのために力を使うのでしょうか。

      神はどんなことのために力を使うか

      13-14. (ア)エホバは単なるエネルギーの塊のような存在ではないと言えるのはどうしてですか。(イ)エホバはどんなことのために力を使いますか。

      13 すでに考えたように,エホバは単なるエネルギーの塊のような存在ではありません。意思や感情を持つ神で,どんな物理的な力よりもはるかに強力な聖なる力を完全にコントロールしています。では,何のためにその力を使うのでしょうか。

      14 このセクションで考えていきますが,神は,創造したり,破壊したり,保護したり,回復させたりするために力を使います。自分が望むことを果たすのに必要なことを何でも行うのです。(イザヤ 46:10)自分の性格や基準について重要なことを私たちに教えるために力を使うこともあります。何よりも,メシアの王国によって自分の名前を神聖なものとし,自分の治め方が最も優れていることを示すために,力を使います。そのエホバの行動を妨げられるものは何もありません。

      15. エホバはどんなことのためにも力を使いますか。エリヤの例からそのことがどのように分かりますか。

      15 エホバは私たち一人一人のためにも力を使ってくれます。歴代第二 16章9節によると,「エホバは,心の全てがご自分に向いている人の力になろうとして,世界中に目を行き届かせています」。この章の冒頭で考えたエリヤの経験は,その一例です。エホバが非常にインパクトのある方法で自分の力をエリヤに見せたのはどうしてでしょうか。悪い王妃イゼベルがエリヤを処刑すると宣言したため,エリヤは身の危険を感じて逃げていました。それまでやってきたことが全て無駄だったように思えてがっかりし,孤独や恐怖を感じていました。そんなエリヤを元気づけるために,エホバは自分の力を鮮明に思い起こさせました。風や地震や火によってエホバの力を感じたエリヤは,宇宙で最も強大な方がそばにいるのを感じました。全能の神が味方なのですから,イゼベルを恐れる必要は全くありませんでした。(列王第一 19:1-12)b

      16. エホバの無限の力について考えると元気が出るのはどうしてですか。

      16 エホバは,現代では奇跡を行いませんが,エリヤの時代から変わっていません。(コリント第一 13:8)自分に仕える人たちのために,ぜひ力を使いたいと思っています。高い天にいますが,私たちから遠く離れてはいません。無限の力を持っているので,距離は関係ありません。「エホバは,ご自分に呼び掛ける全ての人の近くにい」ます。(詩編 145:18)預言者ダニエルがエホバに助けを求めて祈ったところ,まだ祈り終わらないうちに天使が現れたこともありました。(ダニエル 9:20-23)エホバは何にも阻まれることなく,愛する人たちを助け,力づけることができるのです。(詩編 118:6)

      力がある神は近づきにくい存在か

      17. 神の力について考えるとどんな気持ちになりますか。どんな感情を抱く必要はありませんか。

      17 力がある神を畏れるのは,自然なことです。神の偉大な力について思い巡らすと,前の章で少し考えたように神を心から敬いたいという気持ちになります。聖書にも,「知恵はエホバを畏れることから始まる」と書かれています。(詩編 111:10)とはいえ,力があるからといって神に恐怖を感じたり,近づくのをためらったりする必要はありません。

      18. (ア)多くの人が権力者を信頼していないのはどうしてですか。(イ)エホバが絶対に力を悪用しないと言えるのはどうしてですか。

      18 「力は腐敗しやすく,絶対的な力は絶対に腐敗する」。これは,1887年に英国のアクトン卿という人が書いた言葉です。この言葉が何度も引用されてきたことからすると,その通りだと思っている人が多いのでしょう。不完全な人間が往々にして力を悪用することは,歴史を通じて明らかです。(伝道の書 4:1; 8:9)そのため,多くの人は権力者を信頼せず,距離を置いています。では,絶対的な力を持つエホバは,その力を悪用したりするでしょうか。絶対にしません。すでに考えたように,エホバは聖なる方なので,決して悪に染まることはありません。この腐敗した世の中で力を持っている不完全な人たちとは違うのです。

      19-20. (ア)エホバは力を使う時,常にどんな性質も表しますか。そのことを考えると安心できるのはどうしてですか。(イ)エホバをどんな人に例えられますか。エホバのどんなところに引き付けられますか。

      19 エホバは単に力がある神なのではありません。公正さや知恵や愛も持っています。そして,機械的に一度に1つの性質しか表せないような,柔軟性のない方ではありません。続く幾つかの章で考えますが,力を使う時にも常に公正さや知恵や愛を表します。さらに,世の中で力を持っている多くの人とは違い,自分を制することができます。

      20 とても体が大きくて強そうな権力者に会ったところを想像してみてください。最初は怖そうだと感じますが,そのうち穏やかな人だと分かります。その人はいつも,自分の力で人々を助けたい,特に弱い立場の人を守りたい,と思っています。力を悪用することは決してありません。中傷されても毅然としていて,品位があり,親切です。力があるのに穏やかで自制心があるそのような人に,引き付けられるのではないでしょうか。そうであれば,全能の神エホバにはなおのこと引き付けられるはずです。この章の主題の聖句によると,「エホバはすぐに怒らず,偉大な力を持って」います。(ナホム 1:3)エホバは力がありますが,温和で親切な方です。悪いことをする人がいても,怒りに任せてすぐに処罰したりはしません。人々が何度も悪事を働いたり反逆したりしても「すぐに怒ら[ない]」ことが,歴史からも分かります。(詩編 78:37-41)

      21. エホバが人を無理やり従わせたりしないのはどうしてですか。そのことからエホバについてどんなことが分かりますか。

      21 エホバが自分を制することについて,別の角度からも考えてみましょう。人は大きな力を持つと,他の人を従わせたくなるかもしれません。でもエホバは,無限の力があるにもかかわらず,人を無理やり従わせたりはしません。一人一人を尊重し,自分に仕えて永遠の命を得るかどうかを選べるようにしています。もちろん,選択を間違えるとどうなるか,良い選択をするとどんな報いがあるかを教えてくれていますが,選択そのものは私たちに任せています。(申命記 30:19,20)エホバは,人が強制されて嫌々仕えたり,圧倒的な力への恐怖心から仕えたりすることを望んでいません。愛の気持ちから喜んで仕えてほしいと思っています。(コリント第二 9:7)

      22-23. (ア)エホバが喜んで他の者に力を与えることが,どんなことから分かりますか。(イ)次の章ではどんなことを考えますか。

      22 全能の神が近づきにくい存在ではないと言える理由を,最後にもう1つ考えましょう。権力を持つ人は,ほかの人に権力を与えることを渋りがちです。でもエホバは,子であるイエスにかなりの権威を与えていて,自分を崇拝する忠実な人たちにも喜んで権限を与えます。(マタイ 28:18)エホバが自分に仕える人たちにさらにどのように力を与えるかについて,聖書にこう書かれています。「エホバ,あなたは偉大で力強く,美しくて輝かしく,威厳に満ちた方です。天と地にあるものは全てあなたのものです。……あなたの手には力と強さがあり,あなたの手はあらゆるものを偉大にして強くすることができます」。(歴代第一 29:11,12)

      23 この聖句にあるように,エホバは私たちを強くしてくれます。「普通を超えた力」を与えるとも約束しています。(コリント第二 4:7)極めて強い力をいつも愛情深く理性的に使う神に,引き付けられるのではないでしょうか。次の章では,エホバが創造するためにどのように力を使うかに注目します。

      a 「全能の神」と訳されているギリシャ語は,直訳すると「あらゆるものの支配者」とか「あらゆる力を持つ方」という意味になります。

      b 「エホバは風の中に[も]地震の中にも……火の中にもいなかった」と聖書に書かれています。自然の中に神々がいると考えて崇拝する人たちもいますが,エホバに仕えている人たちはそのようには考えません。神は自分が創造したどんなものよりもはるかに偉大な方なので,自然界の力の中にいるというようなことはありません。(列王第一 8:27)

      じっくり考えたいこと

      • 歴代第二 16:7-13 アサ王の例から,エホバの力に頼ることの大切さがどのように分かりますか。

      • 詩編 89:6-18 エホバの力について考えると,どんな気持ちになりますか。

      • イザヤ 40:10-31 この聖句からエホバの偉大な力についてどんなことが分かりますか。私たちはその力にどのように助けてもらえますか。

      • 啓示 11:16-18 エホバは自分の力を使って将来どんなことを行うと約束していますか。そのことで真のクリスチャンが安心できるのはどうしてですか。

  • 創造する力 「天地を造った方」
    エホバに近づきなさい
    • 小麦畑の上に太陽が昇っている。

      第5章

      創造する力 「天地を造った方」

      1-2. 太陽から,エホバの創造する力の素晴らしさがどのように分かりますか。

      寒い夜に,たき火のそばに立ったことがありますか。炎からちょうどいい距離で手をかざすと,心地よい温かさを感じたことでしょう。でも,近づき過ぎると熱さに耐えられず,遠ざかり過ぎると寒さが身に染みたに違いありません。

      2 太陽は,私たちを毎日温めてくれる火のようです。約1億5000万㌔aも離れているのにその熱を感じられますから,太陽にはとてつもない力があることが分かります。地球は,この巨大な核融合炉からちょうどよい距離にあります。もし近過ぎれば地球上の水は蒸発してしまいますし,遠過ぎれば全て凍ってしまいます。どちらの場合にも,地球上の生物は死滅します。太陽の光は地球上の生命に欠かせないだけでなく,クリーンで無駄がなく,とても心地よいものです。(伝道の書 11:7)

      3. 太陽はどんな大切なことを示していますか。

      3 太陽がないと生きていけないのに,大抵の人は太陽があるのは当たり前だと思っています。そのため,太陽から学べる大切なことに気付いていません。聖書に書かれている通り,「光と太陽を造った」のはエホバです。(詩編 74:16)ですから,太陽は「天地を造った方」であるエホバの偉大さを示していると言えます。(詩編 19:1; 146:6)太陽以外にも,エホバの創造する力の素晴らしさを物語っている天体は無数にあります。幾つかの例についてさらに調べ,それから地球や地球上の生命に注目しましょう。

      エホバは「光と太陽を造った」

      「天を見上げてみなさい」

      4-5. 太陽の力や大きさはどれほどですか。それでも他の恒星と比べるとどうですか。

      4 太陽は恒星です。夜空に浮かぶほかの恒星より大きく見えるのは,ずっと近い所にあるからです。太陽にはどれほどの力があるのでしょうか。太陽の中心核の温度は,約1600万度あります。太陽の中心核から針の頭ほどの大きさのかけらを取り出して地上に置いたとすると,その小さな熱源から140㌔以上離れないと危険です。太陽は毎秒,何億個もの核爆弾の爆発に相当するエネルギーを放出しています。

      5 太陽はとても大きく,その中に地球が130万個入るほどです。でも,特別に大きい恒星というわけではありません。天文学者は太陽を黄色矮星と呼んでいます。つまり,かなり小さい星だということです。使徒パウロは聖なる力に導かれて,「一つ一つの星の栄光[は]異なります」と書きましたが,その言葉の意味を十分には分かっていなかったことでしょう。(コリント第一 15:41)恒星の中には,太陽の位置に置いたとすると地球をのみ込んでしまうほど,非常に大きなものがあります。さらに巨大な恒星だと,土星までのみ込んでしまいます。土星は地球から遠く離れていて,ジェット旅客機の60倍のスピードで飛行する宇宙船でも4年かかることを考えると,その恒星がいかに巨大かが分かります。

      6. 膨大な数の星があることが,聖書ではどのように表現されていますか。

      6 恒星の大きさだけでなく,数にも圧倒されます。聖書によると,星は「海の砂」のように数え切れないほどたくさんあります。(エレミヤ 33:22)実際,肉眼で見えるよりはるかに多くの星があります。エレミヤが夜空を見上げた時に見えた星は,せいぜい3000個ぐらいだったでしょう。晴れた夜に肉眼で見える星の数はそれぐらいだからです。その数は,片手ですくった砂粒の数のようなものです。それよりも海の砂が途方もなく多いのと同じように,星も膨大な数に上ります。b 数え尽くせる人は誰もいません。

      天体望遠鏡で見た,光り輝くたくさんの星や銀河。

      「その者は全ての星を名で呼ぶ」

      7. 天の川銀河にある恒星の数や,銀河の数について,どのように考えられていますか。

      7 でも,イザヤ 40章26節にはこう書かれています。「天を見上げてみなさい。誰がこれらの物を創造したのか。星の軍勢を数え上げて率いている者である。その者は全ての星を名で呼ぶ」。詩編 147編4節にも,「神は星の数を数える」とあります。ある天文学者たちの推定によると,天の川銀河だけでも恒星の数は1000億を超えます。c それよりもはるかに多いと言う人もいます。しかも,天の川銀河は数多い銀河の1つにすぎず,もっと多くの恒星がある銀河がたくさんあります。では,銀河はどれほどあるのでしょうか。数千億と言う学者もいれば,数兆と言う人もいます。今のところ,人間には銀河の数を特定することさえできないようです。全ての銀河に含まれる星の数は,なおのこと分かりません。しかし,エホバはその数を知っています。それだけでなく,一つ一つの星に名前を付けています。

      8. (ア)天の川銀河はどれほどの大きさですか。(イ)エホバは天体の動きをどのように制御していますか。

      8 銀河の大きさについて考えると,さらに圧倒されます。天の川銀河の直径は,約10万光年とされています。秒速30万㌔というすさまじいスピードで進む光が,天の川銀河を横切るのに10万年もかかるのです。しかも,その何倍も大きい銀河もあります。聖書によると,エホバはそうした銀河を含む広大な「天」を単なる布でもあるかのように広げます。(詩編 104:2)さらに,そうした天体の動きも制御しています。微小な星間塵から膨大な銀河に至るまで,全てのものは神が定めた物理法則に従って動いています。(ヨブ 38:31-33)天体の動きがあまりに緻密なので,科学者たちはそれをバレエの繊細で複雑な振り付けに例えているほどです。では,宇宙を造った神の創造する力がどれほど計り知れないものか,考えてみてください。神への畏敬の気持ちでいっぱいになるのではないでしょうか。

      「ご自分の力によって地を造った方」

      9-10. 太陽系や地球がある場所,また木星や月の働きに,エホバの力がどのように表れていますか。

      9 エホバの創造する力は,地球からもはっきり分かります。広大な宇宙の中で,地球は絶好の場所にあります。ある科学者たちによれば,多くの銀河は生命が存在できる環境ではないようです。天の川銀河の大部分も,生命の存在には適していません。中心部は恒星が密集していて,放射線量が高く,星と星が危険なほど接近することがよくあります。外縁部では,生命に欠かせない元素の多くが存在しません。でも私たちの太陽系は,まさに理想的な場所にあります。

      10 地球は,遠く離れた木星に守られています。木星は地球の1000倍以上ある巨大な惑星で,非常に強い引力を持っています。そのため,宇宙空間を飛ぶ物体を引き寄せたり,その方向を変えたりします。科学者たちは,もし木星がなければ,巨大な物体が現在の1万倍も多く地球に降り注ぐだろうと考えています。もっと近くに目を移すと,地球は独特な衛星である月の恩恵も受けています。月は美しい“夜間照明”であるだけでなく,地球の傾きを一定に保つ役割も果たしています。その傾きのおかげで,地球には毎年きちんと季節が巡ってきます。これも,地球上の生命にとって貴重な贈り物です。

      11. 大気は地球をどのように保護していますか。

      11 エホバの創造する力は,見事に設計された地球のあらゆる面に表れています。例えば,地球を保護している大気について考えてみましょう。太陽光線には,体に良いものだけでなく,極めて有害なものも含まれています。有害な紫外線が大気の上層に当たると,酸素がオゾンに変わります。その結果できたオゾン層は,有害な紫外線の大半を吸収します。ですから,地球はいわば自前の日傘によって守られているのです。

      12. 水の循環には,エホバの創造する力がどのように表れていますか。

      12 オゾン層は大気の一部にすぎません。大気にはほかにもさまざまな気体が含まれていて,地球上で暮らす生き物にとって理想的な比率で混ざり合っています。大気中では,水の循環という素晴らしいことも起きています。毎年,太陽の熱により,海から40万立方㌔以上の水が蒸発します。その水蒸気は雲になり,風によって広く遠く運ばれます。そして,ろ過されたきれいな水が雨や雪や氷となって降り,海に流れ込みます。伝道の書 1章7節に書かれている通りです。「川は海に流れていく。しかし海があふれることはない。川は始まりから,また流れる」。このような循環を可能にする力を持っているのは,エホバだけです。

      13. 地球上の植物や地面の中を見ると,創造者の力についてどんなことが分かりますか。

      13 生物にも目を向けてみましょう。30階建てのビルよりも高くそびえるセコイアの大木から,海に満ちて酸素の大半を生み出している微小な植物プランクトンに至るまで,植物にはエホバの創造する力がはっきり見られます。地面の中にも生物が無数にいます。さまざまな虫,菌類,微生物などが複雑に連携し合い,植物の成長を助けています。地面には力がある,と聖書に書かれているのもうなずけます。(創世記 4:12,脚注)

      14. 極小の原子にどんな力が秘められていますか。

      14 エホバは確かに「ご自分の力によって地を造った方」です。(エレミヤ 10:12)神の力は,極小の創造物にも見られます。例えば原子は,一直線に100万個並べても人間の髪の毛の太さほどにもなりません。そして,1つの原子を14階建てのビルほどの大きさに拡大したとしても,その原子の核はビルの7階にある塩粒ほどの大きさにしかなりません。それなのに,その極めて小さな原子核に,核爆発の際に生じる膨大なエネルギーが秘められているのです。

      「生きている全てのもの」

      15. エホバはヨブにいろいろな野生動物について話して,何を教えましたか。

      15 地球上の非常にたくさんの動物にも,エホバの創造する力が生き生きと表れています。詩編 148編にはエホバを賛美するさまざまなものが挙げられていて,10節に「野生動物と全ての家畜」が出てきます。エホバはかつてヨブに,ライオン,シマウマ,野牛,ベヘモト(カバ),レビヤタン(ワニと思われる)などの動物について話したことがありました。何を教えたかったのでしょうか。人間は,これらのどう猛な野生動物に恐れを感じるのであれば,なおのこと創造者を畏れるべきである,ということです。(ヨブ 38-41章)

      16. エホバが創造したいろいろな鳥のどんなところがすごいと思いますか。

      16 詩編 148編10節には「翼のある鳥」も出てきます。世界には本当にいろいろな種類の鳥がいます。例えば,エホバはヨブに「馬と乗り手をあざ笑う」ダチョウについて話しました。体高が2.5㍍ほどもあるダチョウは,飛ぶことはできませんが,時速70㌔で走ることができ,歩幅は5㍍にも達します。(ヨブ 39:13,18)対照的に,アホウドリは一生の大半を海の上の空中で過ごします。翼を広げると3㍍にもなり,羽ばたかなくてもまるでグライダーのように何時間も滑空し続けることができます。一方,世界最小の鳥であるマメハチドリは体長が5㌢ほどしかなく,1秒間に最高80回も羽ばたきます。空飛ぶ宝石ともいわれるハチドリは,ヘリコプターのように空中で静止したり,バックしたりできます。

      17. シロナガスクジラはどれぐらい大きいですか。エホバが創造した動物について思い巡らすと,どういう気持ちになりますか。

      17 詩編 148編7節には,「海の大きな生き物」もエホバを賛美するとあります。地球最大の動物といわれるシロナガスクジラのことを考えてみましょう。「水の深み」を泳ぐシロナガスクジラは,体長が30㍍,体重が150㌧以上にもなります。舌だけでもゾウ1頭分ほどの重さがあります。心臓は小型車ぐらいの大きさがあり,1分間に9回しか鼓動しません。毎分1200回も鼓動するハチドリの心臓とは対照的です。シロナガスクジラの血管には,子供が中をはい回れるほど太いものがあります。こうしたことを思い巡らすと感動し,詩編の結びにある,「生きている全てのものはヤハを賛美せよ」という勧めの通りにしたくなるのではないでしょうか。(詩編 150:6)

      エホバの創造する力から何が分かるか

      18-19. エホバが地球上に造ったものはどれほど多種多様ですか。エホバの創造する力から,主権について何が分かりますか。

      18 エホバが創造する力を使って行ったことから,どんなことが分かるでしょうか。創造物は,圧倒されるほど多種多様です。ある詩編作者は感動してこう言いました。「エホバ,あなたの偉業は何と多いのだろう。……地球はあなたが造ったもので満ちている」。(詩編 104:24)本当にそうです。生物学者は100万種を優に超える生物を確認していますが,実際にはその何倍も存在すると考えられています。人間の芸術家は,自分の創造力が枯れてしまったように感じることがあるものです。しかし,エホバがさまざまな新しいものを考案して創造する力は,決して尽きることがありません。

      19 エホバの創造する力から,エホバの主権についても分かります。エホバだけが「創造者」という特別な存在であり,宇宙の他の全てのものは「創造物」です。エホバの独り子であり,「優れた働き手」として創造を手伝ったイエスでさえ,聖書の中で創造者とか共同創造者とは呼ばれていません。(格言 8:30。マタイ 19:4)「全創造物の中の初子」と言われています。(コロサイ 1:15)エホバは創造者なので,全宇宙の主権者としての権利を持つ唯一の方です。(ローマ 1:20。啓示 4:11)

      20. エホバはどういう意味で休んでいますか。

      20 エホバは今でも創造する力を使っているのでしょうか。聖書には,エホバが創造の6日目に創造を終え,「7日目に,その仕事をやめて休み始めた」と書かれています。(創世記 2:2)使徒パウロによると,この7日目はパウロの時代にも続いていましたから,この「日」が何千年もの長さであることが分かります。(ヘブライ 4:3-6)では「休み」とは,エホバが働くのを完全にやめたということでしょうか。そうではありません。エホバが働くのをやめることはありません。(詩編 92:4。ヨハネ 5:17)ですから,神が休んでいるとは,地球に関する物質的な創造の仕事を休止したということです。その一方で,神は自分の目的を達成するために働き続けてきました。例えば,人間を聖なる力によって導いて聖書を書かせました。また,第19章で取り上げますが,「新しい創造物」を生み出すこともしてきました。(コリント第二 5:17)

      21. エホバの創造する力について考えると,どんな良い結果になりますか。

      21 休みの日がついに終わる時,エホバは,創造の6日間の終わりに宣言したように,地球に関連した自分の働き全てが「非常に良[い]」と宣言することでしょう。(創世記 1:31)その後,創造する無限の力をエホバがどのように使うかは分かりません。でも私たちは,エホバの創造する力にこれからもずっと魅了されることでしょう。永遠にわたって,創造物からエホバについて学び続けることができます。(伝道の書 3:11)神について学べば学ぶほど,畏敬の気持ちが深まり,偉大な創造者との絆が強まっていきます。

      a この途方もない距離を自動車で走ろうとすると,時速100㌔で1日24時間走り続けたとしても170年以上かかります。

      b 聖書時代の人たちは原始的な望遠鏡を使っていた,と考えている人たちがいます。そうでなければ,星が数え切れないほどあることなど分かるはずがない,というわけです。そうした根拠のない臆測をする人たちは,聖書の著者エホバが情報源であることを全く考えていません。(テモテ第二 3:16)

      c 1000億の星を数えるだけでも,どれほどの時間がかかるでしょうか。1秒に1つ数え,それを1日24時間続けたとしても,3171年かかります。

      じっくり考えたいこと

      • 詩編 8:3-9 エホバの創造物について考えると謙虚な気持ちになるのはどうしてですか。

      • 詩編 19:1-6 エホバの創造する力について考えると,どんなことをしたくなりますか。どうしてですか。

      • マタイ 6:25-34 不安と闘い,生活の中で何を優先させるかを決める上で,エホバの創造する力について思い巡らすことはどう役立ちますか。

      • 使徒 17:22-31 エホバが創造する力を使って行ったことから,偶像崇拝が間違っていることや,神が遠い存在ではないことがどのように分かりますか。

  • 破壊する力 「エホバは力強い戦士」
    エホバに近づきなさい
    • ファラオとエジプト軍が紅海で溺れそうになっている。

      第6章

      破壊する力 「エホバは力強い戦士」

      1-3. (ア)イスラエル人たちはどんな絶体絶命の状況に置かれましたか。(イ)エホバは自分の民のためにどのように戦いましたか。

      イスラエル人たちは絶体絶命の状況でした。険しく切り立った山と,渡れそうにない海との間に挟まれたのです。背後からは冷酷なエジプト軍が,イスラエル人を滅ぼそうと猛烈な勢いで追ってきています。a しかしモーセは,希望を失わないよう神の民を励まし,「エホバが皆さんのために戦ってくださいます」と言います。(出エジプト記 14:14)

      2 とはいえ,モーセはエホバに助けを求めて叫んだようです。エホバはこう言います。「なぜ私に向かって叫び続けるのか。……つえを掲げて,海の上に手を伸ばし,海を2つに分けなさい」。(出エジプト記 14:15,16)その後に起きたことを想像してみてください。エホバはすぐに天使に命令を与え,雲の柱がイスラエル人の後方に移ります。おそらく壁のように広がって,攻め寄せるエジプト軍の接近を阻んだのでしょう。(出エジプト記 14:19,20。詩編 105:39)モーセが手を伸ばすと,強い風によって海が2つに分かれます。水が固まって壁のようにそそり立ち,イスラエル人全員が通れるほど広い道ができます。(出エジプト記 14:21; 15:8)

      3 神の偉大な力を目にしたファラオは,軍に退却を命じるべきでした。ところが,高慢にも攻撃を命じます。(出エジプト記 14:23)エジプト軍は乾いた海底になだれ込んで後を追いますが,すぐに兵車の車輪が外れ始め,混乱状態になります。イスラエル人が無事に対岸まで渡り切ると,エホバはモーセにこう命じます。「海の上に手を伸ばしなさい。水はエジプト人の上,戦車と騎兵たちの上に戻る」。水の壁は崩れ落ち,ファラオとエジプト軍をのみ込んでしまいます。(出エジプト記 14:24-28。詩編 136:15)

      4. (ア)紅海でエホバがどんな者であることが実証されましたか。(イ)エホバのそのような様子についてどう思う人もいるかもしれませんか。

      4 紅海でイスラエル人が救われるという際立った出来事により,エホバが「力強い戦士」であることが実証されました。(出エジプト記 15:3)あなたはエホバが戦士だと言われていることについてどう思いますか。戦争が多くの人を苦しめてきたことを考えると,神が戦うことを受け入れにくく感じるでしょうか。破壊する力を使う神には近づきにくいと思いますか。

      紅海でエホバは自分が「力強い戦士」であることを実証した

      神の戦いと人間の争いの違い

      5-6. (ア)神が「大軍を率いるエホバ」と呼ばれているのはどうしてですか。(イ)神の戦いは人間の争いとはどのように違いますか。

      5 神は,聖書の中でよく「大軍を率いるエホバ」という称号で呼ばれています。その称号は,ヘブライ語聖書の中で約260回,ギリシャ語聖書の中で2回出てきます。(サムエル第一 1:11)エホバは主権者である統治者として,天使たちの大軍を率いています。(ヨシュア 5:13-15。列王第一 22:19)その軍勢には圧倒的な破壊力があります。(イザヤ 37:36)人間が滅ぼされることについて考えるのは気持ちのよいことではありませんが,神の戦いは人間のむなしい争いとは全く違うということを覚えておく必要があります。軍事指導者や政治指導者は,戦う正当な理由があると主張するかもしれませんが,人間の戦争の背後にあるのは貪欲さや利己心です。

      6 対照的に,エホバは感情のままに行動したりはしません。申命記 32章4節にはこう書かれています。「神は岩のような方で,行うことは完全,神の道は全て公正である。決して不公正ではなく,信頼できる神。正しく,真っすぐな方」。聖書によれば,怒りを爆発させたり,残酷なことをしたり,暴力を振るったりするのは良くないことです。(創世記 49:7。詩編 11:5)ですから,エホバが戦うときには必ず正当な理由があります。破壊する力を使うのは,ほかに方法がないときだけです。エホバの考えは,預言者エゼキエルが記した次の言葉からよく分かります。「主権者である主エホバはこう宣言する。『私は,悪い人の死を少しでも喜ぶだろうか。かえって,その人が悪い行いをやめて生き続けることを喜ぶのではないか』」。(エゼキエル 18:23)

      7-8. (ア)ヨブは自分が苦しんでいる理由についてどう考えましたか。(イ)エリフはどのようにヨブの考え方を正しましたか。(ウ)私たちはどんなことを確信できますか。

      7 では,エホバが破壊する力を使うのはどうしてでしょうか。その点を考える前に,ヨブのことを少し思い起こしてみましょう。サタンは,ヨブでもほかの誰でも,試練に遭ったら神に忠誠を尽くさなくなるだろうと主張しました。それでエホバは,サタンがヨブの忠誠心を試すことを許しました。結果として,ヨブは病気になり,財産や子供たちを失いました。(ヨブ 1:1–2:8)自分がどうしてそういう目に遭っているのか知らなかったので,ヨブは自分が神から不当な処罰を受けていると思いました。それで神に,どうして私を「標的」にし,「敵」と見なすのですか,と尋ねます。(ヨブ 7:20; 13:24)

      8 若いエリフが,ヨブの考え方が間違っていることを指摘し,こう言います。「あなたは『私は神よりも正しい』と言いました。それほどまでに自分が正しいと確信しているのですか」。(ヨブ 35:2)エリフの言う通り,自分の方が神より正しいとか,神は不公平なことをしたと考えるのは,浅はかなことです。エリフは,「真の神が悪を行ったり,全能者が不正を行ったりすることなどあり得ません!」と断言し,その後こう言います。「全能者を理解することなど,私たちには到底できません。神は偉大な力を持っており,ご自分の公正さと正しさを曲げることは決してありません」。(ヨブ 34:10; 36:22,23; 37:23)こうしたことを考えると,神が戦うときには十分な理由があってそうする,と確信できます。では,それを踏まえて,平和の神が戦うことがある理由を幾つか調べてみましょう。(コリント第一 14:33)

      平和の神が戦うのはどうしてか

      9. 聖なる神が戦うのはどうしてですか。

      9 モーセは,神を賛美する歌の中で,神が「力強い戦士」だと述べた後にこう言いました。「エホバ,神々の中に,あなたのような方が誰かいるでしょうか。極めて聖なるあなたのような方が誰かいるでしょうか」。(出エジプト記 15:11)預言者ハバククも,神の神聖さを強調してこう書いています。「あなたの目はあまりにも清いので,悪を見続けることはできません。あなたは悪を見過ごすことができません」。(ハバクク 1:13)エホバは愛の神であるだけでなく,神聖で公正な神でもあります。そのため,破壊する力を使わなければならないことがあります。(イザヤ 59:15-19。ルカ 18:7)神が戦っても神聖さに傷が付くわけではありません。神は聖なる方だからこそ戦うのです。(出エジプト記 39:30)

      10. 創世記 3章15節で予告された敵意を解消するために,神はどうする必要がありますか。そうすることは,正しい人たちにとってどのようにためになりますか。

      10 最初の人間夫婦アダムとエバが神に反逆した後の状況について考えてみましょう。(創世記 3:1-6)もしエホバが2人の正しくない行動を大目に見ていたら,宇宙の主権者としての権威が疑問視されていたことでしょう。公正な神として,2人に死刑を宣告するのは正しいことでした。(ローマ 6:23)聖書の最初の預言の中でエホバは,自分に仕える人たちと「蛇」であるサタンに従う人たちとの間に敵意が存在するようになると予告しました。(啓示 12:9。創世記 3:15)その敵意を解消するには,最終的にサタンを砕く必要があります。(ローマ 16:20)でもそのようにエホバが破壊する力を使うことによって,正しい人たちは大きな祝福を受けます。もうサタンに惑わされることはなくなり,地球全体がパラダイスになるのです。(マタイ 19:28)その時が来るまで,サタンの側に付く人たちは神の民を迫害したり滅ぼそうとしたりします。それで,エホバは自分に仕える人たちを守るために戦うことがあります。

      神は悪をなくすために行動する

      11. 神が,地球全体が洪水で覆われるようにしたのはどうしてですか。

      11 ノアの時代の大洪水は,神が戦った例の1つです。創世記 6章11,12節にはこう書かれています。「地上は,真の神から見て堕落していて,暴力があふれていた。神が地上を見ると,堕落していたのである。人々は皆,非常に悪い生き方をしていた」。そうした悪い人たちによって,地上にわずかに残っている善い人たちが消滅させられるようなことを,神が許すはずはありません。それでエホバは,暴力的で不道徳な人たちを地上から一掃するために,地球全体が洪水で覆われるようにしました。

      12. (ア)エホバはアブラハムの「子孫」についてどんなことを約束していましたか。(イ)エホバがアモリ人を滅ぼすことにしたのはどうしてですか。

      12 同様の理由で,神はカナンの人々を滅ぼすことにしました。エホバがアブラハムにした約束によると,アブラハムの子孫によって地上の家族全てが祝福を受けることになっていました。その約束を果たすために,エホバはアブラハムの子孫にカナン地方を与えることにしました。そこにはアモリ人が住んでいました。その土地からアモリ人を除き去るのは,正当なことでしょうか。エホバはすぐにそうするのではなく,「アモリ人が処罰される時」が400年後に来ると予告しました。b (創世記 12:1-3; 13:14,15; 15:13,16; 22:18)その期間に,アモリ人はどんどん悪くなっていきました。偶像崇拝を行い,殺し合い,ひどい性的不道徳にふけりました。(出エジプト記 23:24; 34:12,13。民数記 33:52)子供たちを火で焼いて犠牲として捧げることさえしました。聖なる神は,自分の民をそのような悪い行いから守らなければなりません。そのため,こう宣言します。「その地方は汚れており,私はその過ちのために処罰を加える。その地方は住民を追い出す」。(レビ記 18:21-25)とはいえ,エホバはカナン地方の人々を無差別に殺したのではありません。ラハブやギベオンの人たちのように正しい心を持つ人は,救われました。(ヨシュア 6:25; 9:3-27)

      神は自分の名のために戦う

      13-14. (ア)エホバが自分の名を神聖なものとする必要があるのはどうしてですか。(イ)エホバは過去に,自分の名に対する非難が間違っていることをどのように示しましたか。

      13 エホバは聖なる方なので,エホバの名も聖なるものです。(レビ記 22:32)イエスは弟子たちに,「お名前が神聖なものとされますように」と祈るよう教えました。(マタイ 6:9)エデンでの反逆によって神の名は汚されました。神の統治の仕方が疑問視され,神の名声が損なわれたのです。エホバはそうした中傷や反逆を大目に見ることはできません。名誉を回復する必要があります。(イザヤ 48:11)

      14 イスラエル人のことをもう一度考えてみましょう。神はアブラハムの子孫によって地上の家族全てが祝福を受けると約束していましたが,イスラエル人がエジプトで奴隷にされている限り,神はその約束を果たしていないという非難の声が上がったことでしょう。しかしエホバは,イスラエル人を救い出し,イスラエル国家を造ることによって,自分の名に対する非難が間違っていることを示しました。それで,後に預言者ダニエルは祈りの中でこう言いました。「私たちの神エホバ,あなたは力強い手でご自分の民をエジプトから連れ出し,ご自分の名を上げ[ました]」。(ダニエル 9:15)

      15. バビロンで捕囚にされていたユダヤ人をエホバが救ったのはどうしてですか。

      15 ダニエルがこう祈った時にも,エホバの名は非難されていました。ユダヤ人は不従順だったためバビロンで捕囚にされていて,故郷の首都エルサレムは荒廃していたからです。エホバが自分の名のために行動し,ユダヤ人たちを故国に帰還させるなら,エホバの名誉が回復されることになります。そのことを知っていたダニエルは,こう祈りました。「エホバ,お許しください。エホバ,私たちに注意を向けて,救ってください! 私の神,あなたご自身のために,行動を遅らせないでください。あなたの都市とあなたの民は,あなたの名で呼ばれているからです」。(ダニエル 9:18,19)

      神は自分の民のために戦う

      16. エホバは自分の名誉を守るために戦いますが,自己中心的な冷たい方ではない,と言えるのはどうしてですか。

      16 エホバは自分の名誉を守るために戦いますが,決して自己中心的な冷たい方ではありません。神聖で公正な神として,自分の民を守るためにも戦うからです。創世記 14章に書かれている出来事について考えてみましょう。攻めてきた4人の王が,アブラハムのおいロトとその家族を捕虜にしました。アブラハムは神に助けてもらって,大軍に見事に勝つことができました。この勝利は,「エホバの戦いの書」に最初に記された事例だったかもしれません。その書には,聖書に記録されていない戦いについても書かれていたようです。(民数記 21:14)アブラハムの後にも,神の民はたくさんの勝利を収めることになります。

      17. イスラエル人がカナン地方に入った後にエホバが彼らのために戦った,どんな例がありますか。

      17 イスラエル人がカナン地方に入る少し前に,モーセは民に力強くこう言いました。「エホバ神が皆さんの前を行き,戦ってくださいます。エジプトで皆さんの目の前でしたのと同じようにです」。(申命記 1:30; 20:1)モーセの後継者ヨシュアの時代以降,裁き人たちがリーダーシップを取っていた時期やユダの忠実な王たちが治めていた間もずっと,エホバは確かに自分の民のために戦いました。その結果,イスラエル人は敵に対して何度も劇的な勝利を収めることができました。(ヨシュア 10:1-14。裁き人 4:12-17。サムエル第二 5:17-21)

      18. (ア)エホバが変わっていないことは,どのように私たちのためになりますか。(イ)創世記 3章15節で予告されていた敵意がクライマックスを迎える時,何が起こりますか。

      18 エホバは変わっておらず,地球を平和なパラダイスにするという目的も変わっていません。(創世記 1:27,28)今でも悪を憎んでいますし,自分の民を深く愛しているので,間もなく民のために行動します。(詩編 11:7)創世記 3章15節で予告されていた敵意は近い将来にクライマックスを迎え,神の民はかつてない激しい攻撃を受けることになります。その時エホバは,自分の名を神聖なものとし,自分の民を守るために,もう一度「力強い戦士」になります。(ゼカリヤ 14:3。啓示 16:14,16)

      19. (ア)破壊する力を使う神に引き付けられると言える理由を,どんな例えで説明できますか。(イ)神が私たちのために戦ってくれることを考えると,どういう気持ちになりますか。

      19 1つの例えを考えてみましょう。ある家族にどう猛な動物が襲い掛かります。それで父親は猛獣に立ち向かい,殺します。では,妻や子供たちは,この父親は怖いからもう近づきたくないと思うでしょうか。そんなことはないでしょう。自分たちを守るために戦ってくれた父親の愛の深さに,感動するに違いありません。同じように,神が破壊する力を使うからといって,神に近づきたくないと思うべきではありません。私たちを守るために戦ってくれるのですから,神への愛が強まり,神の無限の力への敬意も深まるはずです。「神を畏れて敬いつつ」,「神に受け入れられる神聖な奉仕を行」いたい,という気持ちになります。(ヘブライ 12:28)

      「力強い戦士」との友情を深める

      20. 聖書を読んでいて,神が戦う理由がよく分からないときにはどうしたらいいですか。そうすると良いのはどうしてですか。

      20 エホバが戦うことにした場合に,聖書の中にその理由がいつでも詳しく書かれているわけではありません。でも私たちは,エホバが破壊する力を使って正しくないことをしたり,気まぐれに戦ったり,残酷な行為をしたりすることは決してない,と確信できます。多くの場合,聖書を読みながら文脈や出来事の背景について考えると,全体像が見えてきます。(格言 18:13)詳細が全て分からなくても,エホバについてさらに学び,どんなに素晴らしい方かをじっくり考えれば,大抵の疑問は解けるでしょう。そのようにすると,エホバが確かに信頼できる神だということがよく分かります。(ヨブ 34:12)

      21. エホバは「力強い戦士」になることもありますが,本質的にはどんな方ですか。

      21 エホバは必要なときには「力強い戦士」になりますが,戦うことが好きなわけではありません。エゼキエルが見た天の兵車の幻の中で,エホバは敵と戦う用意ができていましたが,エホバの周りには平和の象徴である虹がありました。(創世記 9:13。エゼキエル 1:28。啓示 4:3)エホバが穏やかで平和を愛する方であることは明らかです。使徒ヨハネは,「神は愛」だと書きました。(ヨハネ第一 4:8)エホバはさまざまな性質を完璧なバランスで表します。誰よりも強い力を持ちながらも,愛情深い方です。そのような神との友情を深めることができるのは,なんと素晴らしいことでしょう。

      a ユダヤ人の歴史家ヨセフスによると,ヘブライ人は「兵車600両ならびに騎手5万人,および20万を数える重装備の歩兵に後を追われ」ました。(「ユダヤ古代誌」,II,324[xv,3])

      b この場合の「アモリ人」は,カナンの人々全体を指しているようです。(申命記 1:6-8,19-21,27。ヨシュア 24:15,18)

      じっくり考えたいこと

      • 列王第二 6:8-17 エホバが「大軍を率いる」神であることを考えると,苦しい時にも力が湧いてくるのはどうしてですか。

      • エゼキエル 33:10-20 エホバは破壊する力を使う前に,律法に違反した人たちに憐れみを示してどんな機会を与えますか。

      • テサロニケ第二 1:6-10 将来,悪い人々が滅ぼされる時,神に忠実に仕えている人たちが安らぎを感じられるのはどうしてですか。

      • ペテロ第二 2:4-13 エホバが破壊する力を使うのはどうしてですか。全ての人は自分の生き方についてどんなことを考えるべきですか。

  • 保護する力 「神は私たちの避難所」
    エホバに近づきなさい
    • 羊飼いが子羊を懐に抱いている。

      第7章

      保護する力 「神は私たちの避難所」

      1-2. 紀元前1513年にシナイ地方に入ったイスラエル人は,どんな危険に直面しましたか。エホバはどのように民を安心させましたか。

      紀元前1513年の初めごろ,シナイ地方に入ったイスラエル人は危険に直面していました。「毒蛇とサソリがい[る]広大で恐ろしい荒野」を通る長旅が待ち受けていました。(申命記 8:15)敵の国々から攻撃される恐れもありました。イスラエル人をそのような状況に置いたのはエホバです。エホバは自分の民を守れるのでしょうか。

      2 民を安心させるために,エホバはこう言いました。「あなたたちは,私がエジプト人に行ったことを見た。それは,あなたたちをワシの翼に乗せて私の所に連れてくるためにしたことである」。(出エジプト記 19:4)エホバは,あたかもワシを使って民を安全な所へ運ぶかのように,彼らをエジプトから救い出した,ということを思い起こさせていました。「ワシの翼」が神による保護を表すのにぴったりだと言える理由は,ほかにもあります。

      3. 「ワシの翼」が神による保護をよく表していると言えるのはどうしてですか。

      3 ワシが大きくて強い翼を使うのは,空高く飛ぶためだけではありません。暑い日中に母ワシは,広げると2㍍以上にもなる翼を傘のようにして,か弱いひなを焼け付くような日差しから守ります。寒い時には翼でひなを包んで,冷たい風から守ります。ワシがひなを守るように,エホバは誕生したばかりのイスラエル国民を守りました。イスラエル人はエホバに従い続ける限り,荒野にいてもエホバの力強い翼の陰に避難することができました。(申命記 32:9-11。詩編 36:7)では,現代の私たちは神に守ってもらえるのでしょうか。

      神が守ってくださるという約束

      4-5. 神が約束通り私たちを守ってくれると確信できるのはどうしてですか。

      4 エホバにとって,自分に仕える人たちを守るのは簡単なことです。「全能の神」であり,何でもできる力を持っているからです。(創世記 17:1)大きな波が誰にも止められないように,エホバが力を使うのを阻止できるものはありません。エホバは望むことを何でも行えます。では,自分の民を守るために力を使うことを望んでいるのでしょうか。

      5 もちろん望んでいます。詩編 46編1節に,「神は私たちの避難所,力」であり,「苦難の時,すぐに助けになってくださる」と書かれている通りです。神は「偽ることができ[ない]」ので,聖書の中で約束している通り必ず私たちを守ってくれます。(テトス 1:2)では,どのように守ってくれるのかを生き生きと描いている,聖書の例えに注目してみましょう。

      6-7. (ア)聖書時代の羊飼いはどのように羊を守りましたか。(イ)エホバが自分の羊を守って世話したいと心から願っていることが,聖書のどんな例えから分かりますか。

      6 エホバは牧者であり,「私たちは神の民,神の牧草地の羊」です。(詩編 23:1; 100:3)家畜の羊は,とてもか弱い動物です。聖書時代の羊飼いは,羊をライオンやオオカミや熊や泥棒から守るため,勇敢でなければなりませんでした。(サムエル第一 17:34,35。ヨハネ 10:12,13)同時に,優しさも必要でした。羊が囲いから遠く離れた場所で出産する場合,羊飼いは出産中の無防備な母羊を守りました。そして,生まれたばかりの無力な子羊を抱き上げて囲いに連れていきました。

      羊飼いが子羊を懐に抱いている。

      神は「子羊を……懐に抱いて運ぶ」

      7 エホバは自分を羊飼いに例えることにより,私たちを守りたいと心から願っていることを伝えてくれています。(エゼキエル 34:11-16)この本の第2章で取り上げたように,イザヤ 40章11節にはエホバについてこう書かれています。「神は羊飼いのようにご自分の群れを世話する。腕で子羊を集め,懐に抱いて運ぶ」。子羊がとことこと羊飼いの方に歩いていき,足にすり寄る様子を想像してください。羊飼いは身をかがめて優しく子羊を抱き上げ,そっと懐に入れて安心させます。とても心温まる情景です。偉大な牧者は,そのように私たちを優しく守りたいと思っているのです。

      8. (ア)約束通り神に守ってもらうには,どんな条件がありますか。格言 18章10節からそのことがどのように分かりますか。(イ)神に守ってもらいたい人は,具体的にどんなことをする必要がありますか。

      8 約束通り神に守ってもらうには,条件があります。神に近づく必要があるのです。格言 18章10節にはこう書かれています。「エホバの名は強固な塔。正しい人はその中に走り込んで保護される」。聖書時代には,荒野での安全な避難所として塔を建てることがありました。危険な目に遭った人は,そうした塔に逃げ込む必要がありました。神に守ってもらいたいと思う人も,自分から行動する必要があります。神の名は強固な塔のようですが,その名を唱えれば奇跡などによって守られるというわけではありません。エホバという名を呼ぶだけでなく,エホバについて知り,エホバに頼り,エホバから見て正しい生き方をしなければなりません。私たちが信仰を示すなら,親切なエホバは塔のように守ってくださるのです。

      「神は私たちを救い出すことができます」

      9. エホバは,守ると約束するだけでなく,どうしましたか。

      9 エホバは,自分の民を守ると約束しているだけではありません。聖書時代に奇跡を行って,民を守る力があることを実証しました。イスラエルの歴史の中で,エホバが力強い「手」で強力な敵から民を守った例がたくさんあります。(出エジプト記 7:4)そして,エホバは保護する力を個々の人のためにも使いました。

      10-11. 聖書の中に,エホバが保護する力を個々の人のために使ったどんな例がありますか。

      10 ある時,3人の若いヘブライ人,シャデラク,メシャク,アベデネゴが,当時最も強力な王だったネブカドネザルの金の像にひれ伏すことを拒みました。王は激怒し,非常に熱くした炉に3人を投げ込むと言って脅し,こうあざけりました。「一体どんな神が私の手からおまえたちを救い出せるというのか」。(ダニエル 3:15)若い3人は,神が必ず助けてくださるとは限らないことを理解していましたが,神には自分たちを守る力があると確信していました。それで,こう言います。「もし火の燃え盛る炉に投げ込まれても,私たちが仕えている神は私たちを救い出すことができます」。(ダニエル 3:17)実際,炉はいつもより7倍熱くされましたが,全能の神は3人をいとも簡単に救い出しました。ネブカドネザル王は,「この神のように人を救うことができる神はほかにいない」と認めざるを得ませんでした。(ダニエル 3:29)

      11 エホバが保護する力を示した別の例は,自分の独り子イエスを守ったことです。エホバはなんと,イエスの命をユダヤ人の処女マリアの胎内に移すことにしました。マリアは天使から,「あなたは妊娠して男の子を産みます」と告げられ,「聖なる力があなたに働き,至高者の力があなたを覆います」と言われます。(ルカ 1:31,35)マリアの胎内で,神の子はかつてないほど無力でした。もし神の保護がなければ,母親の罪や不完全さを受け継いでしまったことでしょう。また,生まれる前にサタンに殺されてしまう可能性さえあったかもしれません。でも,そうはなりませんでした。エホバがあらゆるものからマリアとイエスを守ったからです。そのおかげで,胎児のイエスは不完全さや他の有害なものの影響を受けることはなく,残忍な人間や邪悪な天使に傷つけられることもありませんでした。イエスが生まれた後も,エホバはイエスを守り続けました。(マタイ 2:1-15)神が定めた時まで,誰もイエスに危害を加えることはできませんでした。

      12. 聖書時代にエホバが奇跡によって個々の人を守ったのはどうしてですか。

      12 エホバが奇跡によって個々の人を守ることがあったのはなぜでしょうか。多くの場合,自分の目的が確実に果たされるようにするという,とても重要な理由があったからです。例えば,幼いイエスが生き延びることは,全人類を救うという神の目的が果たされるために不可欠でした。エホバがそのように保護する力を使った数々の例が,聖書に記録されています。聖書は「私たちを教えるために書かれました。そのおかげで私たちは忍耐でき,聖書から慰めを得られるので,希望を持っていられます」。(ローマ 15:4)聖書に書かれている例について考えると,全能の神への信仰が強まります。では,現代でも神は奇跡によって私たちを守ってくれるのでしょうか。

      神はどんな悪いことからも守ってくれるのか

      13. エホバには私たちのために奇跡を行う義務がありますか。そう言えるのはどうしてですか。

      13 エホバは私たちを守ると約束していますが,だからといって私たちのために奇跡を行う義務があるというわけではありません。エホバは私たちが何も問題のない生活を送れるとは言いませんでした。エホバに忠実に仕えていても,貧困,戦争,病気,死などのせいで苦しむことはあります。イエスが弟子たちに率直に話したように,信仰を持つ人は殺されることもあり得ます。ですから,私たちはイエスが強調したように終わりまで耐え忍ぶ必要があります。(マタイ 24:9,13)もしエホバがどんな場合にも奇跡を行って私たちを救うとすれば,サタンはエホバを非難し,人間は純粋な動機で神に仕えているわけではないという主張を強めるに違いありません。(ヨブ 1:9,10)

      14. エホバは自分に仕える人たち全員を同じように守るわけではないことが,どんな例から分かりますか。

      14 聖書時代にも,エホバは自分に仕える人たち全員を不慮の死から守ったわけではありません。例えば,使徒ヤコブは西暦44年ごろにヘロデによって処刑されました。一方,そのすぐ後にペテロは「ヘロデから……救い出」されました。(使徒 12:1-11)また,ヤコブの兄弟ヨハネは,ペテロやヤコブより長生きしました。ですから,神が皆を同じように守るわけではない,ということが分かります。聖書に書かれている通り,「思いも寄らないことがいつ誰に」起きるか分かりません。(伝道の書 9:11)では,エホバは今どのように私たちを守ってくれるのでしょうか。

      エホバは私たちの命を守ってくださる

      15-16. (ア)エホバが自分を崇拝する人たちをグループとして守ってきたことは,どんなことから分かりますか。(イ)エホバは「大患難」の時までずっと自分の民を守る,と確信できるのはどうしてですか。

      15 エホバは自分を崇拝する人たちがグループとして存在し続けるように守ります。もしエホバの保護がなければ,すぐにサタンに滅ぼされてしまうことでしょう。「この世の支配者」であるサタンは,何としてでもエホバへの崇拝を根絶したいと思っているからです。(ヨハネ 12:31。啓示 12:17)これまでに何度も,強力な国々の政府がエホバの証人の伝道活動を禁止し,私たちの存在を消し去ろうとしてきました。しかし,エホバの民は屈することなく,粘り強く伝道を続けてきました。この比較的小さくて弱そうなクリスチャンのグループの活動を,強い国々が止められないのは,エホバが力強い翼で守ってきたからです。(詩編 17:7,8)

      16 間もなく来る「大患難」の時,私たちはどうなるでしょうか。神による処罰の日を恐れる必要はありません。聖書によれば,「エホバは,神への専心を示す人々をどのように試練から救い出すかを知っています。また,正しくない人々を処罰の日にどのように確実に滅ぼすかも知っています」。(啓示 7:14。ペテロ第二 2:9)その時を待ちながら,次の2つの点をいつも覚えておきましょう。1つ目に,エホバは自分に仕える忠実な人たちが地上から一掃されることを決して許しません。2つ目に,エホバは忠誠を貫く人たちに新しい世界で永遠の命を与えます。死んでしまった人たちも,神の記憶の中で守られ,生き返ります。(ヨハネ 5:28,29)

      17. エホバは自分の言葉によってどのように私たちを守ってくれていますか。

      17 現在エホバは,自分の「言葉」によっても私たちを守ってくれています。その「言葉」つまり聖書は,傷ついた心を癒やしてくれて,生き方を変えるように人を動かします。(ヘブライ 4:12)聖書の原則を当てはめるなら,心身の健康がある程度守られます。イザヤ 48章17節には,「私エホバは……あなたのためになる生き方を教え[る]」とあります。聖書の教えに従うことは,健康に長生きするのに役立ちます。例えば,性的不道徳を避け,汚れを除き去って自分を清めるようにという聖書の助言に従うなら,性病にかかることはなく,喫煙や薬物乱用などの悪い習慣に陥ることもありません。神を敬わない多くの人が抱えているような深刻な問題を経験せずに済みます。(使徒 15:29。コリント第二 7:1)神の言葉によって守られていることを,本当に感謝できます。

      エホバとの絆が断たれないように守られる

      18. エホバは,私たちが強い信仰を保てるように,どのように守ってくれますか。

      18 最も重要なこととして,エホバは私たちが強い信仰を保てるように守ってくれます。私たちが試練に耐え,エホバから離れてしまわないように,必要なものを与えてくれます。そのようにして,私たちが短い期間ではなく永遠に生きられるようにしてくださるのです。では,どんなものを与えてくれるのか少し考えてみましょう。

      19. 試練に遭うとき,エホバの聖なる力はどのように助けてくれますか。

      19 エホバは「祈りを聞く方」です。(詩編 65:2)問題に直面して大きなストレスを感じるときも,心から祈ると安らかな気持ちになります。(フィリピ 4:6,7)エホバは奇跡によって試練を取り除くことはしないとしても,祈りに答えて,試練を乗り越えるのに必要な知恵を与えてくれます。(ヤコブ 1:5,6)さらに,求める人に聖なる力を与えてくれます。(ルカ 11:13)その強力な力は,どんな試練や問題にも立ち向かえるように助けてくれます。間もなく来る新しい世界でエホバが全ての問題をなくしてくれる時まで,私たちは神からの「普通を超えた力」のおかげで忍耐できます。(コリント第二 4:7)

      20. エホバはどのように私たちの仲間を使って守ってくれますか。

      20 エホバは,私たちの仲間を使って守ってくれることもあります。エホバに引き寄せられた私たちには,「信仰で結ばれた兄弟たち」が世界中にいます。(ペテロ第一 2:17。ヨハネ 6:44)皆が,神の聖なる力が生み出す愛や親切や善良さなどを表し,温かい友情を育んでいます。(ガラテア 5:22,23)それで,私たちが大変な時に,仲間が役立つアドバイスをしてくれたり,励ましてくれたりします。エホバがそのような仲間を与えて私たちを守り,世話してくださることに感謝できます。

      21. (ア)エホバは「忠実で思慮深い奴隷」を使って,信仰を強める食物をどのように与えてくれていますか。(イ)エホバが私たちを守るために与えてくれているものの中で,あなたは特にどんなものに感謝していますか。

      21 エホバは私たちを守るために,信仰を強める食物も与えてくれています。その食物を配る「忠実で思慮深い奴隷」を任命し,私たちが聖書から力を得られるようにしています。忠実な奴隷は,「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌などの雑誌や本を印刷したり,エホバの証人の公式サイトjw.orgに情報を掲載したり,集会や大会を開いたりして,私たちがまさに必要としている「食物」を「適切な時に」与えてくれます。(マタイ 24:45)あなたは,集会で話や祈りやコメントを聞いて,力づけられたり励まされたりしたことがありますか。雑誌の記事などを読んで心を打たれ,より良い生き方ができるようになりましたか。エホバがそうしたものを与えてくれているのは,自分との友情を深めてほしいと思っているからだ,ということを忘れないようにしましょう。

      22. エホバは保護する力を使って何をしますか。その結果,神の民はどうなりますか。

      22 私たちが「神のもとに逃れるなら」,エホバは盾になってくださいます。(詩編 18:30)今あらゆる悪いことから守ってくれるわけではありませんが,保護する力を使って自分の目的が確実に果たされるようにします。その結果,神の民は最終的に最高の幸せを手に入れることになります。エホバとの絆を強め,エホバに愛され続けるなら,私たちは完全な人間として永遠に生きることができるのです。そのことを覚えておくと,今の時代に直面するどんな苦難も「つかの間で軽いもの」に思えることでしょう。(コリント第二 4:17)

      じっくり考えたいこと

      • 詩編 23:1-6 偉大な牧者であるエホバは,自分の羊のような民をどのように守り,世話しますか。

      • 詩編 91:1-16 エホバと私たちとの絆が断たれないよう,エホバはどのように守ってくれますか。守ってもらうには何をする必要がありますか。

      • ダニエル 6:16-22,25-27 エホバは自分に保護する力があることを,古代のある王にどのように示しましたか。この例から私たちはどんなことを学べますか。

      • マタイ 10:16-22,28-31 私たちはどんな反対を受ける場合がありますか。反対する人たちを恐れる必要がないのはどうしてですか。

  • 回復させる力 エホバは「全てのものを新しくしている」
    エホバに近づきなさい
    • やもめが生き返った息子を笑顔で抱き締めている。

      第8章

      回復させる力 エホバは「全てのものを新しくしている」

      1-2. 現在,私たちはどんなものを失ってしまうことがありますか。失った時どう感じますか。

      子供が悲しそうに泣いています。大好きなおもちゃをなくしてしまったようです。でも,親がおもちゃを見つけてあげると,子供の顔はぱっと明るくなります。親にとっておもちゃを見つけるのは簡単なことかもしれませんが,子供は驚いて大喜びします。もう二度と戻ってこないと思っていたおもちゃで,また遊べるようになったからです。

      2 最高の親であるエホバは,地上にいる子供たちにとっては二度と元に戻らないと思えるものさえ元通りにすることができます。もちろん,単なるおもちゃの話ではありません。今は「困難で危機的な時」なので,私たちはずっと大事なものを失ってしまうことがあります。(テモテ第二 3:1-5)家,財産,仕事,健康などです。また,悲しいことに,環境破壊によってたくさんの生物が絶滅しています。何よりもつらいのは,家族や友人を亡くした時でしょう。喪失感や無力感に襲われます。(サムエル第二 18:33)

      3. 使徒 3章21節には,励みになるどんな見込みが書かれていますか。エホバはそれを実現させるために何を使いますか。

      3 ですから,エホバの回復させる力について学ぶと,とても慰められます。神は地上にいる子供たちのためにいろいろなものを元に戻すことができ,実際にそうしてくださいます。聖書によると,エホバは「全ての事柄[を]回復」させようとしています。(使徒 3:21)そのために,自分の子であるイエス・キリストが治めるメシア王国を使います。その王国の政府は天にあり,1914年に統治を始めました。a (マタイ 24:3-14)では,具体的に何が回復されるのでしょうか。これから,エホバによる壮大な回復について少し考えてみましょう。私たちがすでに実感しているものもありますし,将来に大規模に実現するものもあります。

      清い崇拝の回復

      4-5. 紀元前607年に神の民にどんなことが起きましたか。エホバはどんな希望を与えていましたか。

      4 エホバがすでに回復させたものの1つは,清い崇拝です。どういうことかを理解するために,ユダ王国の歴史を手短に振り返ってみましょう。エホバの回復させる力がどれほど素晴らしいかがよく分かります。(ローマ 15:4)

      5 紀元前607年にエルサレムが滅ぼされた時,忠実なユダヤ人たちがどう思ったか想像してみてください。愛着のある都市が破壊され,城壁も崩れています。エホバへの清い崇拝の中心地だった,ソロモンが建てた壮麗な神殿も,廃虚と化しました。(詩編 79:1)生き残った人たちは捕虜としてバビロンに連れていかれ,誰もいなくなった故国は荒れ果てて,野生動物がうろつき回るようになりました。(エレミヤ 9:11)何もかも失われてしまったように思えたことでしょう。(詩編 137:1)しかし,この滅びをずっと前に予告していたエホバは,やがて回復の時が来るという希望も与えていました。

      6-8. (ア)ヘブライ人の預言者たちは何について繰り返し書きましたか。そうした預言は古代にどのように部分的に実現しましたか。(イ)回復の預言は現代にどのように実現していますか。

      6 ヘブライ人の預言者たちは,繰り返し回復について書いていました。b 書かれた預言を読むと分かるように,エホバはイスラエルの土地が元通り肥沃になって再び人が住むようになり,野獣や敵から守られるということを約束していました。その土地はあたかもパラダイスのようになるのです。(イザヤ 65:25。エゼキエル 34:25; 36:35)何よりも,清い崇拝が再び行われるようになり,神殿も再建されることになっていました。(ミカ 4:1-5)こうした預言は捕囚にされたユダヤ人に希望を与え,バビロンで70年間耐えるのに役立ちました。

      7 ついに回復の時が来ます。ユダヤ人たちはバビロン捕囚から解放されてエルサレムに戻り,エホバの神殿を再建しました。(エズラ 1:1,2)ユダヤ人が清い崇拝を行い続ける限り,エホバは彼らを祝福し,肥沃な土地で繁栄させました。また,敵や野獣から彼らを守りました。エホバの回復させる力を実感して,民は大喜びしたことでしょう。しかし当時は,回復の預言が部分的に実現したにすぎませんでした。ずっと昔に約束された通り,ダビデの子孫が王になる「最後の日々」つまり私たちの時代に,回復の預言はもっと大規模に実現することになっていました。(イザヤ 2:2-4; 9:6,7)

      8 イエスは,1914年に天で王になって間もなく,地上で忠実に神に仕えている人たちが再び神を正しく崇拝できるように助け始めました。紀元前537年にペルシャ人の征服者キュロスがユダヤ人たちをバビロンから自由にしたように,イエスは自分に従うクリスチャンたちを「大いなるバビロン」つまり間違った宗教全てから自由にしました。(啓示 18:1-5。ローマ 2:29)1919年以降,清い崇拝が回復され,エホバの民は清められた比喩的な神殿でエホバを崇拝しています。(マラキ 3:1-5)比喩的な神殿は,清い崇拝のためのエホバの取り決めを表しています。その取り決めに沿ってエホバを崇拝することが大切なのはどうしてでしょうか。

      清い崇拝の回復が重要なのはなぜか

      9. 使徒の時代が終わった後,いろいろなキリスト教会の聖職者たちはどんなことをしましたか。しかし,エホバは現代に何をしましたか。

      9 1世紀以降の歴史を少し振り返ってみましょう。1世紀のクリスチャンはエホバを正しく崇拝し,たくさんの祝福を味わっていました。しかし,イエスや使徒たちは,やがて人々が神を正しく崇拝しなくなる時が来ると予告しました。(マタイ 13:24-30。使徒 20:29,30)使徒の時代が終わった後,いろいろなキリスト教会が存在するようになり,聖職者たちは異教の教えや慣行を取り入れました。神は三位一体だという不可解な説明をしたり,神にではなく司祭に罪を告白するよう勧めたり,マリアやさまざまな“聖人”に祈るよう教えたりして,神に近づくのを非常に難しくしました。そのような悪い状態が何世紀も続いた後,エホバは何をしたでしょうか。間違った宗教の教えや汚れた行いがはびこる世の中で,清い崇拝を回復させたのです。これは極めて重要な出来事でした。

      10-11. (ア)比喩的なパラダイスは主にどんな2つのもので成り立っていますか。私たちはどんな恩恵を受けていますか。(イ)エホバは比喩的なパラダイスにどんな人たちを集め入れてきましたか。その人たちは何を目にしますか。

      10 エホバが清い崇拝を回復させたおかげで,真のクリスチャンは比喩的なパラダイスの中にいられるようになりました。比喩的なパラダイスとは,真の神を崇拝できる,安全で神から豊かに恵まれた環境もしくは状態のことです。発展を続けるこのパラダイスは,主に2つのもので成り立っています。1つは,真の神エホバへの清い崇拝です。エホバは,うそでゆがめられていない正しい崇拝の方法を教えてくださいました。また,信仰を強める食物も与えてくれています。そのおかげで,私たちは天の父について知ることができ,どうすればエホバに喜ばれてエホバとの絆を強められるかが分かります。(ヨハネ 4:24)比喩的なパラダイスを成り立たせている2つ目のものは,そこにいる人たちです。イザヤが予告した通り,「最後の日々」にエホバは自分を崇拝する人たちに平和な生き方を教え,戦ったり争ったりしないように導いてきました。不完全な私たちが「新しい人格」を身に着け,聖なる力が生み出す良い性質を表せるように助けてくれています。(エフェソス 4:22-24。ガラテア 5:22,23)聖なる力に導かれている人は,確かに比喩的なパラダイスの中にいると言えます。

      11 エホバはこの比喩的なパラダイスに,神を愛し,平和を愛し,「神の導きが必要であることを自覚している」人たちを集め入れてきました。(マタイ 5:3)エホバに愛されるそのような人たちは,さらに素晴らしい回復を目にすることになります。人類と地球全体が元の良い状態に戻るのです。

      「見なさい! 私は全てのものを新しくしている」

      12-13. (ア)清い崇拝の回復だけでなく,どんなことが実現することになっていますか。(イ)エホバはどんな目的で地球を造りましたか。私たちが良い将来を期待できるのはどうしてですか。

      12 預言されていたのは,清い崇拝の回復だけではありません。例えばイザヤによれば,病気の人,足が不自由な人,目が見えない人,耳が聞こえない人などが癒やされ,死が永久にのみ込まれる時が来ることになっていました。(イザヤ 25:8; 35:1-7)そうした約束は,古代イスラエルでは文字通りには実現しませんでした。現代でも比喩的な意味ではすでに実現していますが,将来にはもっと全面的に実現すると確信できます。どうしてでしょうか。

      13 かつてエデンで,エホバは地球を造った目的を明らかにしました。地球には健康な人間が家族として幸せに暮らし,地球や全ての生き物を管理し,地球全体をパラダイスに変えることになっていました。(創世記 1:28)現在の状況はそれとは懸け離れていますが,エホバの目的は必ず果たされます。(イザヤ 55:10,11)エホバに任命されたメシアである王イエスが,確実に地球をパラダイスにします。(ルカ 23:43)

      14-15. (ア)エホバはどのように「全てのものを新しく」しますか。(イ)パラダイスではどんな生活ができますか。あなたは特にどんなことが楽しみですか。

      14 地球全体がパラダイスになる時のことを想像してください。エホバはその時,「見なさい! 私は全てのものを新しくしている」と言います。(啓示 21:5)どうなるのでしょうか。エホバが破壊する力を使って邪悪な世界を滅ぼすと,「新しい天と新しい地」がそれに取って代わります。新しい政府が天から,新しい地上の社会を治めるのです。その時地上には,エホバを愛し,エホバの望まれることを行う人たちしかいません。(ペテロ第二 3:13)サタンと邪悪な天使たちは,何もできないようにされます。(啓示 20:3)人類の歴史が始まってから何千年もたってようやく,人は憎しみに満ちたサタンの悪い影響を受けなくなるのです。本当にほっとするに違いありません。

      15 私たちは,神がもともと思い描いていた通りに,この美しい地球を管理できるようになります。地球には自然に回復する力もあります。汚染された湖や川は,汚染源さえなくなれば,自浄作用が働きます。戦いで荒らされた野山も,戦争がなくなれば元通りになっていきます。そのように地球が美しくなっていくのを手助けできるのは,本当にうれしいことです。地球全体が,動物や植物でいっぱいの,エデンの園のような美しい楽園になるのです。人間は動植物を絶滅させてしまったりせず,上手に共存できるようになります。子供を含め,誰も野生動物を恐れることなく,平和に暮らせます。(イザヤ 9:6,7; 11:1-9)

      16. 忠実な人たち一人一人は,パラダイスでどんな回復を経験しますか。

      16 人間一人一人も,奇跡による回復を経験します。ハルマゲドンの後,生き残った世界中の人たちが癒やされます。イエスは,地上にいた時にしたのと同じように,目が見えない人が見えるようにし,耳が聞こえない人が聞こえるようにし,手足が不自由な人や病気の人を治します。(マタイ 15:30)年を取った人は,若い時のような体力や健康を取り戻します。(ヨブ 33:25)しわは消え,手足に力がみなぎります。全ての人は,罪と不完全さの影響が徐々に消えていくのを感じます。あらゆるものを回復させる素晴らしい力を持つエホバ神に,心から感謝したくなることでしょう。では,その胸の躍るような回復の時に起きる,特に感動的なことに注目してみましょう。

      死んだ人たちが生き返る

      17-18. (ア)イエスがサドカイ派の人たちを非難したのはどうしてですか。(イ)エリヤの時代にどんな出来事がありましたか。

      17 西暦1世紀に,サドカイ派の指導者たちは復活を信じていませんでした。イエスはその人たちを非難し,こう言いました。「あなた方は考え違いをしています。聖書も神の力も知らないからです」。(マタイ 22:29)聖書を読むと,エホバに人を生き返らせる力があることがはっきり分かります。どんな例があるでしょうか。

      18 エリヤの時代の出来事について考えてみましょう。あるやもめが,死んでしまった一人息子を抱きかかえています。しばらくやもめの家に滞在していたエリヤは,ショックを受けたに違いありません。以前にその子が飢え死にしないように助けていたので,愛着を感じていたことでしょう。母親は深く悲しんでいます。夫が亡くなった後,残された息子だけが心の支えでした。年を取ったら息子に面倒を見てもらおうと思っていたかもしれません。やもめは取り乱し,過去に犯した罪のせいで神から処罰されているのではないかと考えました。エリヤは気の毒でたまらなくなり,亡くなった子供を母親から受け取って自分の部屋に抱えて上がります。そして,この子に命を戻してください,とエホバ神にお願いします。(列王第一 17:8-21)

      19-20. (ア)アブラハムが,エホバには人を生き返らせる力があると信じていたのはどうしてですか。その信仰をどのように示しましたか。(イ)エリヤの信仰はどのように報われましたか。

      19 エリヤは,復活を信じた最初の人ではありませんでした。何世紀も前にアブラハムも,エホバには人を生き返らせる力があると信じていました。それにはもっともな理由がありました。アブラハムが100歳,サラが90歳の時,エホバは奇跡によって2人のいわば死んでいた生殖力を回復させ,サラが子供を産めるようにしたのです。(創世記 17:17; 21:2,3)後に,その男の子が大人になってから,エホバはアブラハムにその子を犠牲として捧げてほしいと言いました。アブラハムは信仰を示し,愛するイサクをエホバは生き返らせることができると考えました。(ヘブライ 11:17-19)そのような強い信仰があったからこそ,アブラハムは息子を捧げるために山に登る前に,従者たちに息子と一緒に戻ってくると言ったのでしょう。(創世記 22:5)

      やもめが生き返った息子を笑顔で抱き締めている。その様子を預言者エリヤが見ている。

      「見てください。あなたの息子は生きています」

      20 エホバはイサクが死ななくて済むようにしたので,その時は復活という奇跡を行う必要はありませんでした。エリヤの場合には,やもめの息子は死んでいました。でもエホバは,エリヤの願いを聞き入れて,その子を生き返らせました。エリヤの信仰は報われたのです。エリヤはその子を母親の所に連れていき,「見てください。あなたの息子は生きています」と言いました。やもめはその時のことを一生忘れなかったでしょう。(列王第一 17:22-24)

      21-22. (ア)聖書に記録されている復活について読むと,どんな気持ちになりますか。(イ)パラダイスではどれほどの人が復活しますか。そのために誰が行動してくれますか。

      21 これは,エホバが回復させる力を使って人を生き返らせた最初の例です。聖書に記録されている通り,エホバは後にエリシャ,イエス,パウロ,ペテロにも力を与え,死んだ人を生き返らせました。もちろん,当時復活した人たちはやがて再び死にました。でも聖書に書かれている復活の例について読むと,エホバが将来行ってくださることへの期待で胸がいっぱいになります。

      22 かつて「私は復活であり,命です」と言ったイエスは,パラダイスでその言葉の通りに行動してくれます。(ヨハネ 11:25)数え切れないほど大勢の人を復活させ,パラダイスとなった地球で永遠に生きられるようにするのです。(ヨハネ 5:28,29)死別した家族や友達と再会して抱き合い,喜びの涙を流しているところを想像してみてください。全ての人が,回復させる力を使ってくださったエホバを賛美します。

      23. エホバの力を示す別の強力な証拠は何ですか。将来についてどんなことを確信できますか。

      23 エホバは,復活が必ず起きることを保証する別の強力な証拠を示してくれています。自分の子イエスを力強い天使として復活させ,自分に次ぐ地位を与えたのです。イエスが復活したことは,何百人もの人が目撃しています。(コリント第一 15:5,6)復活をなかなか信じられない人にとっても,十分な証拠と言えます。エホバには確かに命を回復させる力があります。

      24. エホバは死んだ人を生き返らせることについてどう思っていますか。私たちは何を楽しみにできますか。

      24 エホバは,死んだ人を生き返らせる力を持っているだけでなく,生き返らせたいと心から思っています。忠実なヨブは聖なる力に導かれて,エホバは死んだ人に再び会いたいと願っていると言いました。(ヨブ 14:15)回復させる力をそのように使ってくださる愛情深い神に,あなたも引き寄せられるのではないでしょうか。この章で考えたように,エホバは人を復活させるだけでなく,さまざまなものを回復させてくださいます。エホバが「全てのものを新しく」する時を楽しみにしつつ,エホバとの絆を強めていきましょう。(啓示 21:5)

      a 「全ての事柄の回復の時」は,忠実なダビデ王の子孫が王となってメシア王国が設立された時に始まりました。かつてエホバはダビデに,彼の子孫が永遠に統治することになると約束していました。(詩編 89:35-37)しかし,紀元前607年にエルサレムがバビロンに滅ぼされた後,ダビデの子孫で王座に就いた人は誰もいませんでした。地上でダビデの子孫として生まれたイエスが,天で即位した時に,待望の王となりました。

      b モーセ,イザヤ,エレミヤ,エゼキエル,ホセア,ヨエル,アモス,オバデヤ,ミカ,ゼパニヤといった預言者たちが回復について書いています。

      じっくり考えたいこと

      • 列王第二 5:1-15 聖書時代のある人は,謙遜になったため,エホバの回復させる力をどのように体験できましたか。

      • ヨブ 14:12-15 ヨブはどんなことを確信していましたか。この聖句について考えると,どんな希望を持てますか。

      • 詩編 126:1-6 現在,清い崇拝が回復され,エホバを正しく崇拝できていることを考えると,どういう気持ちになりますか。

      • ローマ 4:16-25 エホバの回復させる力を信じることが大切なのはどうしてですか。

  • 「キリストは神の力……の証拠」
    エホバに近づきなさい
    • 嵐の夜にイエスがガリラヤ湖の上を歩いている。

      第9章

      「キリストは神の力……の証拠」

      1-3. (ア)ガリラヤ湖でどんなことがあったので,イエスの弟子たちはおびえましたか。イエスはどうしましたか。(イ)使徒パウロが書いたように「キリストは神の力……の証拠」だと言えるのはどうしてですか。

      イエスの弟子たちはおびえていました。ガリラヤ湖を渡っている時,急に嵐に襲われたのです。何人かはベテランの漁師でしたから,その湖で嵐に遭うのは珍しくなかったでしょう。a (マタイ 4:18,19)しかし,今回は「激しい暴風」が起き,たちまち湖が荒れ狂いました。弟子たちは必死に舟を操ろうとしますが,どうにもなりません。舟は「何度も波を浴びて,水浸しに」なっています。その大変な中,イエスは船尾でぐっすり眠っています。一日中大勢の人を教えていたので,疲れ切っていたのです。命の危険を感じた弟子たちは,イエスを起こし,「主よ,助けてください。死んでしまいそうです!」と言います。(マルコ 4:35-38。マタイ 8:23-25)

      2 イエスは恐れていません。全く動じることなく,風を叱りつけ,湖に「静まれ! 静かになれ!」と言います。すると,すぐに風はやみ,「湖面はすっかり穏やかに」なります。弟子たちは畏れを感じ,「一体どういう方なのだろう」と互いに言います。あたかも子供を落ち着かせるかのように嵐を静めたのですから,驚いた弟子たちの気持ちはよく分かります。(マルコ 4:39-41。マタイ 8:26,27)

      3 イエスは特別な人でした。エホバが自分の力を使ってイエスを助け,イエスが奇跡を行えるようにしていたからです。使徒パウロは聖なる力に導かれて,「キリストは神の力……の証拠です」と書きました。(コリント第一 1:24)イエスが神から力を与えられていることが,どうして分かるでしょうか。イエスは力を使って私たちのためにどんなことをしてくれるのでしょうか。

      神の独り子の力

      4-5. (ア)エホバは独り子に,どんなことをするための力と権威を与えましたか。(イ)独り子は創造を手伝うのに何を使うことができましたか。

      4 イエスが人間として地上に来る前に持っていた力について考えてみましょう。エホバが自分の「永遠[の]力」を使って創造した独り子が,後にイエス・キリストとして知られるようになりました。(ローマ 1:20。コロサイ 1:15)エホバはその子に大きな力と権威を与え,いろいろなものを創造するのを手伝ってもらいました。独り子について聖書にはこう書かれています。「全てのものはこの方を通して存在するようになり,彼を通さずに存在するようになったものは一つもない」。(ヨハネ 1:3)

      5 それがどれほど膨大な仕事だったか,私たちには想像もつきません。何億もの天使や,数兆ともいわれる銀河がある宇宙,また多種多様な生物がいる地球を造るのに,どれほどの力が必要だったのでしょうか。その仕事を行うのに,独り子は宇宙で最も強い力である神の聖なる力を自由に使うことができました。エホバの「優れた働き手」として,イエスは喜んで働きました。(格言 8:22-31)

      6. イエスは地上で死んで復活した後,どんな力と権威を与えられましたか。

      6 後に,独り子にさらに大きな力と権威が与えられました。イエスは地上で死んで復活した後,「私には天と地における全ての権威が与えられています」と言いました。(マタイ 28:18)宇宙の全てのものを治める能力や権利を与えられているのです。やがてイエスは「王の中の王また主の中の主」として,神に敵対する「全ての政府,また全ての権威と力」を,目に見えるものも見えないものも「除き去」ります。(啓示 19:16。コリント第一 15:24-26)その時点で,エホバ以外には「[イエス]に従わないものは何一つ残って」いません。(ヘブライ 2:8。コリント第一 15:27)

      7. イエスはエホバから与えられた力を決して誤用しない,と確信できるのはどうしてですか。

      7 イエスが力を誤用する心配はあるでしょうか。全くありません。イエスは父を本当に愛しているので,父に喜ばれないことは絶対にしないからです。(ヨハネ 8:29; 14:31)イエスはエホバが全能の力を決して誤用しないことをよく知っています。エホバがいつも,「心の全てがご自分に向いている人の力になろうとして」いる様子を,イエスはじかに見てきました。(歴代第二 16:9)そして,父と同じように人間を愛しているので,いつでも自分の力を善いことのために使います。(ヨハネ 13:1)実際,地上でも常にそのようにしたことが聖書に書かれています。では,イエスが地上で力を使った例を考えてみましょう。

      「言葉も強力」

      8. イエスはバプテスマを受けた後,どんなことを行う力を与えられましたか。イエスは自分の力をどのように使いましたか。

      8 イエスは,ナザレで暮らしていた少年時代には奇跡を行わなかったようです。行い始めたのは,西暦29年におよそ30歳でバプテスマを受けてからです。(ルカ 3:21-23)聖書にこう書かれています。「神は聖なる力によってイエスを選び,力を与えました。イエスは各地を回って,善いことを行い,悪魔に虐待されている人を全て癒やしました」。(使徒 10:38)「善いことを行い」とあるので,イエスが自分の力を正しく使ったことが分かります。イエスはバプテスマを受けた後,自分が「行いも言葉も強力な預言者であることを示しました」。(ルカ 24:19)

      9-11. (ア)イエスはよくどんな場所で教えましたか。何をする必要がありましたか。(イ)群衆がイエスの教え方に驚いたのはどうしてですか。

      9 イエスの「言葉も強力」だったとは,どういう意味でしょうか。イエスはよく,湖畔や丘,また街路や広場などの屋外で教えました。(マルコ 6:53-56。ルカ 5:1-3; 13:26)イエスの話を聞いていた人たちは,もっと聞きたいと思わなければすぐに立ち去ることができました。また,印刷された本などない時代でしたから,イエスの教えが心に残らなければ,覚えていることができなかったでしょう。ですからイエスは,人々の興味を引き,分かりやすく覚えやすい教え方をする必要がありました。でもそれはイエスにとって難しいことではありませんでした。一例として,山上の垂訓について考えましょう。

      10 西暦31年の春ごろのある朝,ガリラヤ湖に近い山の中腹に大勢の人が集まりました。100㌔以上離れたエルサレムやユダヤ全土から来た人もいれば,北のティルスやシドンの沿岸地方から来た人もいました。多くの病人がイエスに触ろうとして近づき,イエスは全員を癒やします。病気の人がいなくなると,イエスは教え始めます。(ルカ 6:17-19)しばらくしてイエスが話し終えると,群衆は聞いたことに驚いていました。どうしてでしょうか。

      11 その垂訓を聞いたある人は,何年もたってからこう書きました。「群衆はその教え方に大変驚いていた。……権威を授かった人のように教えていたからである」。(マタイ 7:28,29)群衆はイエスの話を聞いて力強さを感じました。イエスは神の考えを代弁し,神の言葉に基づいて教えました。(ヨハネ 7:16)イエスが言うことは明快で,説得力があり,反論の余地がありませんでした。イエスの言葉は核心を突き,聞いた人の心に残りました。聴衆は,どうすれば幸せになれるか,どのように祈ったらいいか,神の王国を第一にするとはどういうことか,将来のために賢く行動するにはどうしたらいいか,といったことを学びました。(マタイ 5:3–7:27)真理や公正を求めていた人たちは,イエスの言葉に心を動かされました。そして,イエスに従うために「自分を捨て」,「一切のものを捨て」ました。(マタイ 16:24。ルカ 5:10,11)イエスの言葉がどれほど強力だったかがよく分かります。

      「行いも……強力」

      12-13. イエスはどういう意味で「行いも……強力」でしたか。どんな奇跡を行いましたか。

      12 イエスの「行いも……強力」でした。(ルカ 24:19)福音書には,イエスが「エホバの力」によって行った30余りの奇跡について書かれています。b (ルカ 5:17)イエスの奇跡のおかげで大勢の人が助かりました。例えば,ある時イエスは男性5000人に,その後また男性4000人に食べ物を与えました。どちらの場合にもほかに女性や子供もいましたから,さらに何千人もの人が食事をしたことでしょう。(マタイ 14:13-21; 15:32-38)

      13 イエスはいろいろな奇跡を行いました。邪悪な天使たちに対する権威があったので,人に取りついた邪悪な天使を難なく追い出すことができました。(ルカ 9:37-43)物質をコントロールする力もあったので,水をぶどう酒に変えることができました。(ヨハネ 2:1-11)「イエスが湖の上を歩いて……くるのを見た」弟子たちが驚いたこともあります。(ヨハネ 6:18,19)病人を癒やす力もあり,慢性的な障害や疾患,命に関わる病気さえも治しました。(マルコ 3:1-5。ヨハネ 4:46-54)癒やし方もさまざまでした。遠く離れた場所から癒やされた人もいれば,イエスに直接触れてもらった人もいます。(マタイ 8:2,3,5-13)すぐに癒やされた人もいますし,徐々に癒やされた人もいます。(マルコ 8:22-25。ルカ 8:43,44)

      弟子たちは「イエスが湖の上を歩いて……くるのを見た」

      14. イエスにはどんな人でも生き返らせる力があることが,どういう例から分かりますか。

      14 イエスには死んだ人を生き返らせる力もありました。聖書によると,3人を生き返らせました。12歳の少女,あるやもめの一人息子,そして2人の姉妹がいる男性です。(ルカ 7:11-15; 8:49-56。ヨハネ 11:38-44)どの場合も,イエスにとって難しいことではありませんでした。12歳の少女の場合は,亡くなって間もなく生き返らせました。やもめの息子はおそらく亡くなった当日,遺体が台に載せられて運ばれている時に生き返らせました。ラザロは墓に入れられていて,亡くなってから4日たっていましたが,それでも生き返らせることができました。

      人のために,分別や思いやりを持って力を使った

      15-16. イエスがいつも人のために力を使ったことが,どんなことから分かりますか。

      15 不完全な支配者がイエスと同じ力を持ったら,その力を悪用してしまうかもしれません。でもイエスは決して罪を犯しませんでした。(ペテロ第一 2:22)不完全な人間は利己心や野心や貪欲さに駆り立てられ,自分の力を使って人を傷つけることがありますが,イエスはそんなことはありませんでした。

      16 イエスはいつも,自分のためではなく人のために力を使いました。空腹の時にも,自分のために石をパンに変えようとはしませんでした。(マタイ 4:1-4)わずかな物しか持っていませんでしたから,自分の力を使って金もうけをしたりもしなかったことが分かります。(マタイ 8:20)イエスがいつも人のためを思って奇跡を行ったことは,ほかにどんなことから分かるでしょうか。奇跡を行うには,自己犠牲が必要でした。病気の人を治すと,イエスから力が出ていきました。たった1人を治しただけでも,イエスは力が出ていくのを感じました。(マルコ 5:25-34)それでもイエスは,大勢の人が自分に触れて癒やされるようにしました。(ルカ 6:19)自分のことよりも人のことを深く気遣っていたのです。

      17. イエスが分別を持って力を使ったことが,どんなことから分かりますか。

      17 イエスは分別を持って力を使いました。単に力を見せびらかすために,特に意味もなく奇跡を行うようなことはしませんでした。(マタイ 4:5-7)ヘロデの好奇心を満足させるためだけに奇跡を行おうともしませんでした。(ルカ 23:8,9)自分の力に人々の注意を引くどころか,癒やした人たちに誰にも言わないようにと指示することがよくありました。(マルコ 5:43; 7:36)世間をにぎわすようなうわさが広まって,それによって人々がメシアを信じるような事態を避けたかったのです。(マタイ 12:15-19)

      18-20. (ア)イエスの力の使い方には何が表れていましたか。(イ)ある耳の聞こえない男性をイエスが癒やした方法について,あなたはどう思いますか。

      18 イエスには力がありましたが,無情に権力を振るう支配者たちとは全く違っていました。そうした支配者は人が困っていたり苦しんでいたりしても気にしませんが,イエスは人を思いやりました。つらい境遇にある人たちを見ただけで胸を痛め,何とかしてあげたいという気持ちになりました。(マタイ 14:14)人々を助けるために,その人たちが何を思い,何を必要としているかを考え,優しく気遣いながら力を使いました。1つの感動的な例が,マルコ 7章31-37節に書かれています。

      19 この時,大勢の人がイエスを見つけ,たくさんの病人を連れてきたので,イエスはその人たち皆を治しました。(マタイ 15:29,30)その際,1人の男性に特別な思いやりを示します。その人は耳が聞こえず,ほとんど話せませんでした。イエスは,その人がとても緊張し,落ち着かない様子なのに気付いたのでしょう。それで,思いやり深くその人を群衆から離れた場所に連れていきます。それから,自分が何をしようとしているのかがその人に伝わるようにしました。「指を男性の両耳に入れ,それから唾を掛けて,舌に触れ」ました。c (マルコ 7:33)そして,天を見上げて祈りつつ深く息を吐きました。いわばその人に,「これからあなたに行うことは神の力によります」と言っていたのです。最後にイエスは,「開かれよ」と言います。(マルコ 7:34)するとその人は聞こえるようになり,普通に話し始めます。

      20 イエスは,神から与えられた力を使って病人を癒やす時に,相手の気持ちに寄り添って思いやりを示しました。そのことを考えると心を打たれます。そのように優しくて思いやり深い方がエホバによってメシア王国の王にされているので,本当に安心できます。

      イエスの奇跡は将来を予告するものだった

      21-22. (ア)イエスは将来どういう規模の奇跡を行いますか。(イ)イエスは自然界の力をコントロールできるので,どんなものを恐れる必要はありませんか。

      21 イエスは,やがて王として治める時に,かつて地上で行った奇跡よりもはるかに壮大なことを行います。神の新しい世界でイエスが行う奇跡は,全地球的な規模になります。どんな素晴らしい見込みがあるか考えてみましょう。

      22 イエスにより,地球の生態系は完全なバランスを取り戻します。イエスはかつて嵐を静め,自然界の力をコントロールできることを実証しました。ですから,キリストの王国の統治下で,人間は台風や地震や火山の噴火などの自然災害を恐れる必要はありません。イエスは優れた働き手として,エホバが地球や動植物を創造するのを手伝ったので,地球の造りを熟知しています。地球の資源の正しい使い方も知っています。イエスの統治の下で,地球全体がパラダイスになります。(ルカ 23:43)

      23. イエスは王として,人間が必要とするどんなものを与えますか。

      23 人間が必要とするものについてはどうでしょうか。イエスはわずかな食べ物を使って何千人もの人に食事をさせることができましたから,イエスの統治下では誰も飢えることはないと確信できます。豊富な食物が公平に分配されるので,誰かがおなかをすかせることはありません。(詩編 72:16)イエスはどんな病気も治せるので,目が見えない人,耳が聞こえない人,手足が不自由な人なども完全に癒やされ,いつまでも健康でいられるようになります。(イザヤ 33:24; 35:5,6)そしてイエスは死んだ人を生き返らせることができるので,天から治める力強い王として,父エホバの記憶の中にいる大勢の人を復活させます。(ヨハネ 5:28,29)

      24. イエスの力について考える時,何を覚えておくとよいですか。そうするとエホバについてどんなことが分かりますか。

      24 イエスの力について考える時,イエスは父エホバに完璧に倣っているということを覚えておきましょう。(ヨハネ 14:9)ですから,イエスの力の使い方を見ると,エホバがどのように力を使うかがよく分かります。例えば,イエスが重い皮膚病の人を優しく癒やした時のことを考えてください。イエスはかわいそうに思い,その男性に触って,「良くなりなさい」と言いました。(マルコ 1:40-42)こうした例を読むと,あたかもエホバが「私はこのように力を使う」と言っているかのように感じます。全能の神を賛美したい,愛情深く力を使ってくださることに感謝したい,と思うことでしょう。

      a ガリラヤ湖では急に嵐が起きることがよくあります。海抜マイナス200㍍ほどの低い所にあるので,周辺地域より気温がかなり高く,そのせいで天気が乱れます。北にあるヘルモン山からヨルダン渓谷の方に強風が吹き下ろすと,それまで穏やかだったのに突然ひどい嵐になることがあります。

      b 福音書には,多くの奇跡がひとまとめに書かれていることもあります。例えば,ある時には「町中の人」がイエスのところに来て,イエスは病気の人を「大勢」治しました。(マルコ 1:32-34)

      c 当時のユダヤ人も異国人も,唾を使って人を治療できると考えていました。治療に唾液が使われていたことが,ラビの書物に書かれています。イエスが唾を掛けたのは,これから癒やされることを当人に伝えるためにすぎなかったのかもしれません。いずれにしても,イエスの唾液に人を治す力があったわけではありません。

      じっくり考えたいこと

      • イザヤ 11:1-5 イエスは「聖なる力」による強さをどのように示しますか。イエスの統治についてどんなことを確信できますか。

      • マルコ 2:1-12 イエスが奇跡によって人を癒やしたことから,イエスにどんな権威が与えられていることが分かりますか。

      • ヨハネ 6:25-27 イエスは奇跡によって人々に食物を与えることもありましたが,宣教の主な目的は何でしたか。

      • ヨハネ 12:37-43 ある人たちがイエスの奇跡を見てもイエスに信仰を持たなかったのはどうしてですか。そのことから何が分かりますか。

  • 「神に倣って」力を使う
    エホバに近づきなさい
    • 2人のエホバの証人の姉妹たちが家を訪ねて女性に伝道している。

      第10章

      「神に倣って」力を使う

      1. 不完全な人間はよくどんなわなに陥りますか。

      「力には必ずと言っていいほどわなが潜んでいる」。19世紀の詩人が述べたこの言葉は,力は誤用されることが多いという事実に注意を引いています。残念なことに,不完全な人間はよくそのわなに陥ります。歴史を通じて,「人は人を支配し,人に害を及ぼして」きました。(伝道の書 8:9)愛のない仕方で力が振るわれ,多くの人が苦しんできました。

      2-3. (ア)エホバの力の使い方は人間とどう違いますか。(イ)人間にはどんな力がありますか。その力をどのように使うべきですか。

      2 一方,無限の力を持つエホバ神は,決してその力を誤用しません。これまでの章で考えた通り,エホバは創造する力,破壊する力,保護する力,回復させる力を,自分の目的に沿って,いつでも愛を表しながら使います。エホバの力の使い方について考えると,私たちはエホバに引き付けられます。そして,「神に倣って」力を使いたいという気持ちになります。(エフェソス 5:1)では,か弱い人間である私たちにはどんな力があるのでしょうか。

      3 私たちがよく知っているように,人間は「神に似た者として」創造されました。(創世記 1:26,27)そのため,少しとはいえ力があります。例えば,体力,仕事を果たす能力,権力,他の人への影響力,資力などです。詩編作者が書いている通り,エホバは私たちの「命の源」です。(詩編 36:9)ですから,私たちが持つ力はどれも,エホバから与えられたものだと言えます。それで,エホバに喜んでもらえるように力を使いたいと思います。どうすればそうできるでしょうか。

      鍵は愛

      4-5. (ア)力を正しく使うための鍵は何ですか。神はどんな手本を示していますか。(イ)愛があれば,どのように力を正しく使えますか。

      4 力を正しく使うための鍵は,愛です。そのことが神の手本からよく分かります。第1章で考えたように,神の4つの主な性質は力,公正,知恵,愛です。その中で最も重要なのはどれでしたか。愛です。ヨハネ第一 4章8節に「神は愛」とある通り,愛は神の本質であり,神が行うこと全てに表れています。ですから,神はいつも愛に基づいて力を使い,それは神を愛する人たちのためになります。

      5 私たちも愛を表して,力を正しく使いたいものです。聖書によると愛は「親切」で,「自分のことばかり考え」ません。(コリント第一 13:4,5)ですから愛があれば,自分が見守り世話する人たちに対して,厳しくて冷たい態度を取ったりすることはないはずです。相手を尊重し,自分のことよりも相手がどんな気持ちで何を必要としているかを考えます。(フィリピ 2:3,4)

      6-7. (ア)神への畏れとはどういうものですか。神への畏れがあれば力の誤用を避けられるのはどうしてですか。(イ)神を畏れる人は神を愛しているということを,どんな例えで説明できますか。

      6 愛は神への畏れとも関係があります。神への畏れがあれば,力の誤用を避けられます。格言 16章6節には,「エホバへの畏れによって,人は悪から遠ざかる」と書かれています。神を畏れる人は,自分が見守り世話する人たちにひどいことをしたりはしません。人に対する態度や行動について神に責任を問われることを知っているからです。(ネヘミヤ 5:1-7,15)でも,単に結果を恐れるということではありません。「畏れ」と訳されている原語は多くの場合,深い敬意や畏敬の気持ちを表しています。聖書の中で,畏れが神への愛と結び付けられているのはそのためです。(申命記 10:12,13)神を畏れる人は,神を本当に愛しているので,神に喜ばれないことは絶対にしたくないと考えます。

      7 幼い子供と父親の関係に例えてみましょう。子供は,お父さんの温かい愛情を感じています。同時に,お父さんにどんなことを期待されているかも分かっていて,悪いことをすれば怒られるということを知っています。だからといって,いつもお父さんを恐れてびくびくしたりはしません。お父さんのことが大好きです。お父さんが喜んでくれることをしたいと思っています。神への畏れは,そのような気持ちです。私たちは天のお父さんエホバを愛しているので,エホバを悲しませるようなことはしたくありません。(創世記 6:6)エホバに喜んでもらいたいと思っています。(格言 27:11)そのために力を正しく使いたいと思うのです。では,どうすればそうできるか,さらに考えてみましょう。

      家庭内で

      8. (ア)夫はどんな権威を与えられていますか。どうすべきですか。(イ)夫は妻を大切にしていることをどのように示せますか。

      8 家庭内ではどうでしょうか。エフェソス 5章23節によると,夫は「妻の頭」としてリーダーシップを取る権威を神から与えられています。では,どうすべきでしょうか。聖書の中で夫は,「知識に基づいて妻と暮らし……より繊細な器[である]妻を大切にしましょう」と勧められています。(ペテロ第一 3:7)「大切」と訳されているギリシャ語には「評価」とか「敬意」という意味もあり,「贈り物」や「貴重」と訳されていることもあります。(使徒 28:10。ペテロ第一 2:7)妻を大切にする夫は,決して妻に暴力を振るったり,恥をかかせたり,妻を軽視したりはしません。妻が自分には価値がないと感じるようなことがないようにします。妻を高く評価し,敬意を払います。2人だけの時も人前でも,妻が自分にとって大事な存在であることを言動で示します。(格言 31:28)そのような夫は妻から愛され敬われるだけでなく,神に喜ばれます。

      夫婦が手をつないで歩いている。

      自分の力を正しく使う夫と妻は,互いに愛や敬意を示す

      9. (ア)妻にはどんな役割がありますか。(イ)どんなことを意識していれば,夫をサポートするために力を尽くせますか。そうするとどんな良いことがありますか。

      9 妻にも家庭内で大切な役割があります。聖書に出てくる,神に従う女性たちは,頭である夫を敬いつつ,夫が善いことを行えるように支えたり,間違った判断をしないように助けたりしました。(創世記 21:9-12; 27:46–28:2)妻が夫より頭の回転が速いとか,夫にできないことができるということもあるでしょう。それでも,妻は夫を「深く敬」い,「主に従うのと同じように夫に従」うべきです。(エフェソス 5:22,33)いつも神に喜んでもらいたいと思っていれば,妻は夫を見下したり主導権を握ろうとしたりせず,夫をサポートするために力を尽くせるでしょう。そのような「本当に賢い女性」は,夫によく協力して良い家庭を築き,神とも平和な関係でいられます。(格言 14:1)

      10. (ア)親には神から与えられたどんな権威がありますか。(イ)「指導」という言葉にはどんな意味がありますか。親は子供をどのように指導する必要がありますか。(脚注も参照。)

      10 親にも,神から与えられた権威があります。聖書はこう勧めています。「父親は,子供をいら立たせないようにし,エホバが望む指導と助言によって育ててください」。(エフェソス 6:4)ここで「指導」と訳されている言葉には,しつける,訓練する,教える,といった意味があります。子供は指導を必要としていて,してはいけないことなどをはっきり教えてもらえると安心します。聖書によると,親は子供を愛情深く指導する必要があります。(格言 13:24)ですから,「懲らしめ」を与える場合にも,子供の体や心を傷つけてはなりません。a (格言 22:15; 29:15)愛を感じられない厳しい指導をする親は,自分たちの権威を正しく使っておらず,子供を落胆させかねません。(コロサイ 3:21)逆に,バランスの取れた指導をするなら,子供は自分が親に愛され期待されているのを感じます。

      11. 子供はどうすれば自分の力を正しく使えますか。

      11 子供は,どうすれば自分の力を正しく使えるでしょうか。格言 20章29節には,「若い人の素晴らしさは力」とあります。若い人が自分の体力や能力を使ってできる最も素晴らしいことは,「偉大な創造者」に仕えることです。(伝道の書 12:1)さらに子供は,自分の行動によって親を喜ばせることもあれば悲しませることもある,ということを覚えておくべきです。(格言 23:24,25)神を畏れる親に従い,正しい生き方をする子供は,親に喜ばれます。(エフェソス 6:1)それだけでなく,「主にとても喜ばれます」。(コロサイ 3:20)

      会衆内で

      12-13. (ア)神から権威を与えられている長老たちは,どのように行動する必要がありますか。(イ)長老たちが群れを大事に世話すべきなのはどうしてですか。

      12 エホバは,クリスチャン会衆内で監督たちが教え導くようにしています。(ヘブライ 13:17)神から権威を与えられている長老たちは,群れを見守って助けなければなりません。決して兄弟姉妹に対して威張ったりはしません。エホバが監督たちに何を望んでいるかを正しく理解し,会衆内で謙遜に行動する必要があります。(ペテロ第一 5:2,3)聖書の中で監督たちは,「神の会衆を牧者として世話する」ようにと言われています。「その会衆を神は自分の子の血によって買い取った」からです。(使徒 20:28)そのことを考えると,群れの一人一人を優しく世話しなければならないことがよく分かります。

      13 例えで考えてみましょう。親しい友人から大切な物を預かったとします。その友人が大金を払って買った物です。あなたは細心の注意を払ってそれを大事に扱うのではないでしょうか。同じように,神は長老たちにとても大切なものを預けました。それは会衆です。長老たちは会衆の中の一人一人を羊のように世話する責任を与えられています。(ヨハネ 21:16,17)エホバは自分の羊をとても大事に思っています。独り子イエス・キリストの貴重な血という最高の代価を払って買ったほどです。謙遜な長老たちはそのことを心に留め,エホバの羊を大事に世話します。

      「舌の力」

      14. 舌にはどんな力がありますか。

      14 聖書には,「死も命も舌の力に支配される」と書かれています。(格言 18:21)舌には大きな力があって,ひどい言葉で人を傷つけてしまうことがあります。あなたも,思いやりのないことを言われたり,ばかにされたりしたことがあるかもしれません。でも,舌にはポジティブな力もあります。格言 12章18節によると,「賢い人たちの舌は人を癒やす」ことができます。親切で優しい言葉を聞くと元気づけられたり,爽やかな気持ちになったりします。例を考えてみましょう。

      15-16. 舌の力を使ってどのように人を励ませますか。

      15 テサロニケ第一 5章14節では,「気落ちしている人に慰めの言葉を掛け……てください」と勧められています。エホバに忠実に仕えてきた人でも,気落ちすることがあります。どうすれば助けになれるでしょうか。その人がエホバから大切に思われていることを思い起こせるように,具体的に心から褒めてください。「心が傷ついた人」や「打ちのめされた人」をエホバが深く気遣って愛していることを示す,励みになる聖句を一緒に読みましょう。(詩編 34:18)人を慰めるために舌の力を使うようにするなら,「気落ちしている人を慰める」思いやり深い神に倣っていることになります。(コリント第二 7:6)

      16 舌の力を上手に使えば,元気がない人を励ませます。例えば,家族や友達を亡くした兄弟姉妹がいるでしょうか。気遣いや思いやりが伝わる言葉を掛ければ,悲しんでいる人を慰められます。自分は役に立っていないと感じている年配の兄弟姉妹がいますか。よく言葉を選んで,その人たちのことを大事に思っていることを伝えましょう。慢性的な病気に悩まされている人がいますか。会って話したり,電話をしたり,手紙やメールを送ったりして優しく気遣うなら,病気の人は元気が出るかもしれません。私たちが話す能力を使って「励ましの言葉を述べ」る時,その力を与えた創造者はとても喜びます。(エフェソス 4:29)

      17. 舌の力を使って行える一番重要なことは何ですか。それを行うべきなのはどうしてですか。

      17 舌の力を使って行える一番重要なことは,神の王国の良い知らせを伝えることです。格言 3章27節には,「あなたに助ける力があるときに,善を行うべき相手にそうせずにいてはならない」と書かれています。私たちには,命を救う良い知らせを広める義務があります。エホバから託された緊急なメッセージを伝えないわけにはいきません。(コリント第一 9:16,22)では,エホバは私たちが伝道をどの程度行うことを期待しているのでしょうか。

      良い知らせを伝えることは,自分の力を使って行えるとても大切なこと

      「力を尽くし」てエホバに仕える

      18. エホバは私たちにどんなことを期待していますか。

      18 私たちはエホバを愛しているので,クリスチャンとして十分に伝道したいと思います。その点でエホバが私たちに期待していることは,境遇に関係なく誰にでもできます。それは,「何をしていても,人のためではなくエホバのためにするように,自分の全てを尽くして行」うことです。(コロサイ 3:23)イエスも,一番大事なおきてについて聞かれた時,こう言いました。「心を尽くし,知力を尽くし,力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神エホバを愛さなければならない」。(マルコ 12:30)エホバが望んでいるのは,私たちが自分の全てを尽くしてエホバを愛し,エホバに仕えることです。

      19-20. (ア)マルコ 12章30節に「自分の全て」とあるのに,「心」や「知力」なども挙げられているのはどうしてですか。(イ)自分の全てを尽くして神に仕えるとはどういうことですか。

      19 マルコ 12章30節で,「自分の全て」を尽くしてと言っているのに,それに含まれる「心」や「知力」などが別個に挙げられているのはどうしてでしょうか。例えで考えてみましょう。聖書時代に,人は自分自身を奴隷として売ることがありました。いわば,その人の全てが主人のものになりました。それでも,奴隷は必ずしも心を尽くして主人に仕えたり,自分の体力や知力を尽くして主人のために働いたりはしなかったかもしれません。(コロサイ 3:22)ですから,イエスがあえて「心」や「知力」などを挙げたのは,神に奉仕する時に何も出し惜しみしてはいけないということを強調するためだったのでしょう。自分の全てを尽くして神に仕えるとは,自分の体力や知力などを最大限に使って神に奉仕することです。

      20 人はそれぞれ境遇や能力が違うので,皆が同じように伝道を行えるわけではありません。例えば,健康で体力がある若い人の方が,年を取って体力が衰えた人よりも多くの時間伝道できるでしょう。また,身軽な独身の人の方が,家族の世話をしなければならない人よりも多くのことを行えるものです。体力や状況に恵まれていて,たくさん伝道できるなら,それはうれしいことです。十分にやっていないように思える人たちを批判するようなことは,決してしたくありません。(ローマ 14:10-12)それぞれができることを精一杯行えるように,励まし合いましょう。

      21. 自分の力を使って行える最も素晴らしいことは何ですか。

      21 エホバは,力を正しく使う点で完全な手本を示しています。私たちは不完全ですが,できる限りエホバに倣いたいと思います。自分が見守り世話する人たちを尊重し,優しく接しましょう。また,エホバから委ねられている,命を救う伝道活動を,自分の全てを尽くして行いましょう。(ローマ 10:13,14)私たちがエホバのためにベストを尽くすとき,エホバは喜んでくださいます。とても愛情深く思いやりがある神に仕えることこそ,自分の力を使って行える最も素晴らしいことです。そのためにできることは何でもしたいと思うのではないでしょうか。

      a 懲らしめの「むち」や「棒」と訳されているヘブライ語は,聖書時代の羊飼いが羊を優しく導くのに使った棒やつえを指しています。(詩編 23:4)ですから親は,子供を厳しく処罰するのではなく,愛情を込めて導くことが期待されています。

      じっくり考えたいこと

      • 格言 3:9,10 私たちはどんな「貴重なもの」を持っていますか。それをどう使うと,エホバを敬っていることになりますか。

      • 伝道の書 9:5-10 神に喜ばれるように力を尽くすべきなのはどうしてですか。

      • 使徒 8:9-24 シモンは力についてどんな間違った考え方をしていましたか。どうすればシモンのようになることを避けられますか。

      • 使徒 20:29-38 長老たちはパウロの手本からどんなことを学べますか。

  • 「神の道は全て公正」
    エホバに近づきなさい
    • ヨセフが足かせをはめられて,他の囚人たちと一緒に牢獄に入れられている。

      第11章

      「神の道は全て公正」

      1-2. (ア)ヨセフはどんなひどい目に遭いましたか。(イ)エホバはどのように不公正を正しましたか。

      遠い昔に,ひどく不公正なことが起きました。ある若者が,何も悪いことをしていないのに強姦未遂のぬれぎぬを着せられ,牢獄に入れられました。このヨセフという若者が不公正な扱いを受けたのは,それが初めてではありません。17歳だった時に,実の兄弟たちに殺されそうになり,それから奴隷として外国に売られました。その国で主人の妻に誘惑され,拒んだところ,その女性が怒ってうその告発をしたので,ヨセフは捕らえられたのです。助けてくれる人は誰もいないように思えました。

      2 しかし,「正しさと公正を愛する方」である神が見ていました。(詩編 33:5)エホバは不公正を正すために行動し,ヨセフが釈放されるようにしました。それだけでなく,ヨセフがやがて特別な栄誉を与えられ,高い地位に就けられるようにします。(創世記 40:15; 41:41-43。詩編 105:17,18)忍耐が報われたヨセフは,自分に与えられた権威を使って神の民を救うことができました。(創世記 45:5-8)

      ヨセフは不当に牢獄に入れられた

      3. 私たち皆が,公正に扱ってほしいと思うのはどうしてですか。

      3 こうした記録は心の支えになるのではないでしょうか。誰もが不公正を目にしたり,自分自身が不公平な扱いを受けたりしたことがあるでしょう。私たちは皆,公正に扱ってほしいと思っています。神に似た者として造られ,エホバと同じような公正の感覚を持っているからです。公正は,エホバの主な性質の1つです。(創世記 1:27)エホバを十分に知るには,エホバの公正さについても理解する必要があります。そうすると,エホバがいかに素晴らしい方かが分かり,いっそうエホバに引き付けられます。

      公正とは何か

      4. 一般的に,公正とはどういうものだと理解されていますか。

      4 一般的に,公正とは法律を公平に適用することと理解されています。「正義と理性 ― 理論と実践における倫理」(英語)という本には,「公正は,法,責務,権利,義務と結び付いており,人を功罪に基づいて平等に裁くことである」と書かれています。しかし,エホバにとって公正とは,単に義務感や責任感から規定を淡々と適用するということではありません。

      5-6. (ア)「公正」と訳される原語にはどんな意味がありますか。(イ)神が公正な方であるとはどういう意味ですか。

      5 エホバの公正について十分に理解するには,聖書で使われている原語を調べることが役立ちます。ヘブライ語聖書では,主に3つの言葉が関係しています。「公正」と訳されることが一番多い言葉は,「正しいこと」とも訳せます。(創世記 18:25)ほかの2つの言葉はたいてい「正しさ」や「正義」と訳されます。ギリシャ語聖書で「正しさ」や「正義」と訳されている言葉は,「正しい,もしくは公正であること」と定義されています。ですから,正しさ,正義,公正は,だいたい同じ意味だと言えます。(アモス 5:24)

      6 それで,神が公正な方であるとは,神が常に正しくて公平なことを行い,決して不公平なことをしないという意味です。(ローマ 2:11)忠実なエリフはこう言いました。「真の神が悪を行ったり,全能者が不正を行ったりすることなどあり得ません!」(ヨブ 34:10)実際,エホバは不公正なことを一切行えません。それはなぜなのか,2つの重要な理由を考えましょう。

      7-8. (ア)エホバが不公正なことを行えない1つ目の理由は何ですか。(イ)2つ目の理由は何ですか。

      7 1つ目の理由は,神が聖なる方だからです。第3章で考えたように,エホバは限りなく清く正しい方です。ですから,正しくないことをすることができません。天のお父さんの神聖さについて考えると,子供である私たちを決して不当に扱ったりはしないと確信できます。そのことをよく分かっていたイエスは,地上での最後の晩にこう祈りました。「聖なる父よ,あなた……のお名前のためにこの人たち[弟子たち]を見守ってください」。(ヨハネ 17:11)聖書の中で,「聖なる父」と呼ばれているのはエホバだけです。エホバは,どんな人間の父親よりもはるかに聖なる方だからです。完全に清く,全く罪のない方なので,イエスは弟子たちが父のもとで安心できることを確信していました。(マタイ 23:9)

      8 神がいつでも公正である2つ目の理由は,利他的な愛が神の本質だからです。不公正の根底にあるのは貪欲や利己心で,愛とは真逆のものです。ですから,愛にあふれる神には,差別やえこひいきといった不公正なことはできません。聖書によると,愛の神である「エホバは正しい方であり,正しい行いを愛する」方です。(詩編 11:7)エホバ自身も,「私エホバは公正を愛し[て]いる」と言っています。(イザヤ 61:8)私たちの神がいつも喜んで正しいことをしてくれると知ると,心強く感じるのではないでしょうか。(エレミヤ 9:24)

      憐れみと,エホバの完全な公正

      9-11. (ア)エホバの公正と憐れみはどんな関係にありますか。(イ)エホバの公正と憐れみが同時に表れているどんな例がありますか。

      9 エホバの公正は,他のさまざまな素晴らしい性質と同じく完全で,欠けたところがありません。モーセはエホバを賛美してこう書きました。「神は岩のような方で,行うことは完全,神の道は全て公正である。決して不公正ではなく,信頼できる神。正しく,真っすぐな方」。(申命記 32:3,4)いつでも公正なエホバは,甘過ぎることも厳し過ぎることもありません。

      10 エホバの公正は,憐れみと結び付いています。詩編 116編5節にはこう書かれています。「エホバは思いやりがあり,正しい方。私たちの神は憐れみ深い」。神が憐れみを示すのは,公正だけだと厳し過ぎるので,憐れみによって和らげる必要があるからではありません。神が行うことはいつも公正であるだけでなく,同時に憐れみ深くもあるのです。1つの例を考えてみましょう。

      11 全ての人は罪を受け継いでいるので,死ぬことになっています。罪に対する罰は死だからです。(ローマ 5:12)神は聖なる方なので,罪を大目に見ることはできません。しかし,エホバは罪人の死を喜びません。「快く許す神で,思いやりと憐れみがあ[る]」方でもあるからです。(ネヘミヤ 9:17)では,罪を受け継いでいる人間に,どうすれば憐れみを示せるでしょうか。エホバは人間を救うために,贖いという素晴らしい贈り物を与えてくださいました。この貴重な真理については第14章で詳しく取り上げますが,贖いは最高に公正で憐れみ深いものだと言えます。贖いによって,エホバは自分の完全な公正の基準を守りつつ,悔い改めた罪人に優しい憐れみを示すことができます。(ローマ 3:21-26)

      エホバの公正は人を引き付ける

      12-13. (ア)私たちがエホバの公正に引き付けられるのはどうしてですか。(イ)ダビデはエホバの公正についてどんなことを書いていますか。それが心強いのはどうしてですか。

      12 エホバの公正は,人を遠ざけるような冷たいものではなく,私たちを引き付ける温かいものです。聖書を読むと分かるように,エホバが公正を表す時にはいつも愛や思いやりがあふれています。幾つかの例を考えてみましょう。

      13 完全に公正な方であるエホバは,自分に仕える人たちに友として揺るぎない愛を示します。詩編作者ダビデはそのことを実感しました。実体験と,神について学んだことに基づいて,こう書いています。「エホバは公正を愛する方。ご自分に尽くす人を見捨てることはない。その人たちはいつも守られる」。(詩編 37:28)本当に心強い言葉です。私たちの神は,自分に尽くす人たちを決して見捨てません。公正であるからこそ,いつもそばにいて愛情深く世話してくれるのです。(格言 2:7,8)

      14. 恵まれない人たちをエホバが気に掛けていることは,律法からどのように分かりますか。

      14 公正な神は,恵まれない人たちや苦しんでいる人たちを気に掛けています。そのことは,イスラエルに与えた律法にもはっきり表れています。例えば,孤児ややもめが特別な配慮を受けられるようになっていました。(申命記 24:17-21)エホバはそういう人たちの生活がどれほど大変かを知っていたので,自らその人たちの保護者になり,「父親のいない子供ややもめが公正な裁きを受けられるように」しました。a (申命記 10:18。詩編 68:5)そしてイスラエル人たちに,もし無力な女性や子供を苦しめるようなことがあれば,自分は間違いなくその人たちの叫びを聞いて「怒りに燃え[る]」と言いました。(出エジプト記 22:22-24)エホバはすぐに怒る方ではありませんが,誰かが故意に不公正なことをしたときには正当な怒りを感じます。弱い立場の人が被害を受けた場合は特にそうです。(詩編 103:6)

      15-16. エホバが公平であることは,どんな事実からも分かりますか。

      15 さらにエホバは,「誰をも不公平に扱わず,賄賂を受け取りません」。(申命記 10:17)権力を持つ人は多くの場合,裕福な人や著名人を優遇したりしますが,エホバは偏見やえこひいきとは無縁です。そのことは,次の素晴らしい事実からも分かります。エホバを崇拝して永遠に生きる機会は,選ばれた少数の人たちだけに開かれているのではありません。「神を畏れて正しいことを行う人はどの国の人でも神に受け入れられるのです」。(使徒 10:34,35)社会的地位,肌の色,住んでいる国などに関係なく,全ての人に喜ばしい見込みがあります。エホバは本当に公正な方ではないでしょうか。

      16 エホバの完全な公正の別の面も取り上げましょう。エホバの正しい基準に従わない人たちを大目に見ないということです。そのことについて考えると,エホバへの敬意の気持ちが湧いてきます。

      罪を大目に見ない

      17. 悪いことがあるからといって神の公正を疑問視するのは間違っています。どうしてですか。

      17 「正しくないことを神が大目に見ないのであれば,どうして今の世の中には苦しみや不正があふれているのか」と考える人もいます。でも,悪いことがあるからといって神の公正を疑問視するのは間違っています。この悪い世の中で不公正なことがいろいろ起きるのは大抵,人がアダムから受け継いだ罪のせいです。問題は,不完全な人間が自らエホバに背いてきたことです。しかし,この悪い状態がいつまでも続くことはありません。(申命記 32:5)

      18-19. エホバは自分の律法にわざと違反する人たちをいつまでも放っておくことはしません。どんな例からそのことが分かりますか。

      18 エホバは,自分に誠実に近づく人たちに大きな憐れみを示しますが,自分の聖なる名を軽視する人たちをいつまでも放っておくことはしません。(詩編 74:10,22,23)公正な神は,自分をあざける人たちを大目に見ません。故意に罪を犯して処罰を受けるべき人をかばうことはありません。エホバは「憐れみ深く,思いやりがある神,すぐに怒らず,揺るぎない愛に満ち,常に信頼できる」方ですが,「罪がある人を処罰しないことは決して」ありません。(出エジプト記 34:6,7)過去にも,自分の律法にわざと違反した人たちを処罰しました。

      19 古代イスラエル人の例を考えてみましょう。約束の地に定住した後も,イスラエル人たちは繰り返し神に背きました。エホバは民の悪い行いに「傷つけ」られましたが,すぐに彼らを見捨てたりはしませんでした。(詩編 78:38-41)憐れみを示し,生き方を改める機会を与え,民にこう訴え掛けました。「生きている私自身に懸けて誓う。私は悪い人の死を喜ばず,かえって,悪い人が生き方を変えて生き続けることを喜ぶ。悔い改めて,悪い行いをやめなさい。イスラエル国民よ,あなたたちが死ぬようなことがあってよいだろうか」。(エゼキエル 33:11)エホバは人の命を大切に思っているので,イスラエル人たちが悪い生き方をやめることを願って,何度も預言者を遣わしました。しかし,大半の人は頑固で,聞こうとせず,悔い改めませんでした。それで,エホバは自分が聖なる公正な神であることを明らかにするために,やむを得ず民が敵に征服されるようにしました。(ネヘミヤ 9:26-30)

      20. (ア)エホバがイスラエル人にどう接したかを考えると,エホバについてどんなことが分かりますか。(イ)ライオンがエホバと結び付けられているのが適切なのはどうしてですか。

      20 エホバがイスラエル人にどう接したかを考えると,エホバについて多くのことが分かります。エホバは全てを見ていて,正しくないことを見るととても悲しみます。(格言 15:3)でも,急いで処罰しようとはせず,できる限り憐れみを示そうとします。そのように辛抱強い神なので,私たちは安心できます。とはいえ,神が悪い人たちを処罰しないということは決してありません。イスラエルの歴史から,神の辛抱には限界があることも分かります。エホバは正しいことが必ず行われるように見届ける方です。物事を正すことをためらいがちな人間とは違い,エホバは正しさを貫く勇気に欠けることはありません。そのため,聖書の中で,勇敢に示される公正を象徴するライオンがエホバと結び付けられています。b (エゼキエル 1:10。啓示 4:7)ですから私たちは,地球から不公正を取り除くというエホバの約束が果たされることを確信できます。神の裁き方を要約すると,必要な場合にはきっぱりと正し,可能な場合にはいつでも憐れみを示す,と言えます。(ペテロ第二 3:9)

      公正な神との絆を強める

      21. エホバがどのように公正を表すかをじっくり考えると,エホバがどんな方だと分かりますか。

      21 エホバがどのように公正を表すかをじっくり考えると,どんな方だということが分かるでしょうか。エホバは,悪人を処罰することにしか関心がない,冷たくて厳しい裁判官のようではありません。愛情深くも毅然としている父親のように,いつも子供たちにとって一番良いことをしてくれます。公正なお父さんであるエホバは,正しいことを貫くと同時に,地上の子供たちに優しい思いやりを示します。私たちが助けや許しを必要としていることを知っているからです。(詩編 103:10,13)

      22. エホバは公正な方だからこそ,私たちがどんな見込みを持てるようにしてくれましたか。それはどんなことを願っているからですか。

      22 神の公正には悪人を処罰する以上のことが含まれていると分かると,本当にうれしい気持ちになります。エホバは公正な方だからこそ,私たちが素晴らしい見込みを持てるようにしてくれました。「正しいことが行き渡[る]」世界で,完全な人間として永遠に生きるという見込みです。(ペテロ第二 3:13)公正な神が願っているのは,人々を処罰することではなく,救うことなのです。エホバの公正についての理解が深まると,確かにエホバに引き付けられます。続く幾つかの章でも,エホバの公正がどれほど魅力的なものかをさらに詳しく考えます。

      a 「父親のいない子供」とある通り,エホバは孤児の男の子だけでなく女の子のことも深く気遣っていました。聖書に記録されているように,エホバは父親ツェロフハドを亡くした娘たちが相続地をもらえるようにしました。その決定は法令になり,父親のいない女の子の権利が守られました。(民数記 27:1-8)

      b 例えば,不忠実なイスラエルを処罰するエホバが,ライオンに例えられています。(エレミヤ 25:38。ホセア 5:14)

      じっくり考えたいこと

      • エレミヤ 18:1-11 エホバは,人をすぐに処罰したいと思っているわけではないことを,どのようにエレミヤに教えましたか。

      • ハバクク 1:1-4,13; 2:2-4 エホバは,不公正をいつまでも放ってはおかないことを,どのようにハバククに伝えましたか。

      • ゼカリヤ 7:8-14 他の人を不当に扱う人たちについて,エホバはどう感じますか。

      • ローマ 2:3-11 エホバは人や国をどんなことに基づいて裁きますか。

  • 「神に不正なところがあるのですか」
    エホバに近づきなさい
    • ロトと2人の娘が無事にゾアルにたどり着き,ソドムとゴモラに硫黄と火が降り注いでいる。

      第12章

      「神に不正なところがあるのですか」

      1. 不公正なことがあると,人は普通どう感じますか。

      夫を亡くした高齢の女性が,老後の蓄えをだまし取られます。無力な赤ちゃんが,親に捨てられます。何も悪いことをしていない男性が,罪を着せられて刑務所に入れられます。こういう話を聞くと,胸が痛むのではないでしょうか。それはもっともなことです。人間は普通,何が正しくて何が間違っているかについて鋭い感覚を持っているからです。不公正なことがあると腹立たしく感じ,被害者が補償を受けて加害者が罰せられることを期待します。そうならないと,「神は見ていないのか。どうして行動しないのか」と思うかもしれません。

      2. ハバククは不公正を見てどう反応しましたか。エホバがハバククを叱ったりしなかったのはどうしてですか。

      2 聖書を読むと分かるように,エホバに忠実に仕えた人たちも同じような疑問を持つことがありました。例えば,預言者ハバククは神にこう祈りました。「こうした甚だしい不正をわたしにお見せになるのはなぜですか。暴虐,不法,犯罪,残虐行為が至る所に広がるのを許しておられるのはなぜですか」。(ハバクク 1:3,「現代英語訳」)このように率直に尋ねたハバククを,エホバは叱ったりしませんでした。エホバ自身が,自分と同じような公正の感覚を持つように人間を造ったからです。

      エホバは不公正を憎む

      3. エホバは私たちよりも不公正についてよく知っている,と言えるのはどうしてですか。

      3 エホバは世の中の不公正を見ています。ノアの時代について,聖書にはこう書かれています。「エホバは,地上の人々がひどく邪悪で,考え方全てが常に悪いのを見た」。(創世記 6:5)このことから何が分かるでしょうか。私たちの場合,不公正について,自分が見聞きしたことや体験したことぐらいしか知りません。でもエホバは,世界中の不公正を全て把握しています。それだけでなく,不公正な行為につながる悪い考え方も見抜くことができます。(エレミヤ 17:10)

      4-5. (ア)不公正に苦しむ人たちのことをエホバが気に掛けていることが,聖書からどのように分かりますか。(イ)エホバ自身がどんな不公正を経験してきましたか。

      4 エホバは単に不公正を見ているだけではありません。不公正に苦しむ人たちのことを気に掛けています。自分の民が敵の国々から残酷な扱いを受けた時,エホバは「圧迫する人や虐げる人たちのために彼らがうめく」のを見て悲しみました。(裁き人 2:18)人は不公正を見れば見るほど感覚がまひして気にしなくなりがちですが,エホバはそうではありません。6000年余りの間あらゆる不公正を見てきましたが,不公正に対する憎しみは薄れていません。聖書によると今でも,「うそをつく舌」,「無実の人の血を流す手」,「うそばかり言う不正直な証人」などをひどく嫌っています。(格言 6:16-19)

      5 エホバはイスラエルの不公正な指導者たちのことも強く非難しました。自分の預言者を聖なる力によって導き,「あなたたちは公正とは何かを知っているべきではないか」と尋ねさせました。そして,指導者たちが権力を乱用してきたことを生々しい言葉で表現した後,その悪い人たちがどうなるかについてこう予告しました。「彼らはエホバに助けを求めても,答えてもらえない。神はその時,彼らから顔を隠す。彼らが悪を行ったからだ」。(ミカ 3:1-4)エホバが不公正をいかに嫌っているかがよく分かります。何と言っても,エホバ自身が不公正を経験してきました。何千年もの間,サタンから不当にもあざけられてきました。(格言 27:11)また,「罪を犯さ」なかった独り子が犯罪者として処刑されるという,極めて不公正で恐ろしい出来事に胸を痛めました。(ペテロ第一 2:22。イザヤ 53:9)だからこそ,不公正に苦しむ人たちのことを深く気遣っているのです。

      6. 私たちは不公正に直面するとどう感じますか。どうしてですか。

      6 そのことをよく分かっていても,私たちは不公正を目にしたり不公正な扱いを受けたりすると,憤りを感じます。それは無理もないことです。私たちは神に似た者として造られていて,不公正は神の素晴らしい性格とは正反対のものだからです。(創世記 1:27)では,神はなぜ不公正が広まるままにしているのでしょうか。

      最も重要な問題

      7. どんな出来事により,エホバの名声が傷つけられ,エホバの治め方が疑問視されましたか。

      7 神が不公正をそのままにしていることには,重要な問題が関係しています。すでに考えた通り,創造者には地球を治める権利があります。(詩編 24:1。啓示 4:11)ところが,人間が創造されて間もなく,エホバの名声が傷つけられ,エホバの治め方が疑問視されました。何があったのでしょうか。エホバは最初の人間アダムに,エデンの園にあった1本の木の実は食べてはならないと命じました。そして,もし従わなければ「あなたは必ず死ぬ」と告げました。(創世記 2:17)神の命令に従うことは,アダムや妻のエバにとって難しいことではありませんでした。しかしサタンが,神は厳し過ぎるとエバに思い込ませ,その木の実を食べたらどうなるかについて次のようなうそをつきました。「あなたたちは決して死にません。その木の実を食べた日に,目が開かれ,あなたたちが神のようになって善悪を知るようになることを神は知っているのです」。(創世記 3:1-5)

      8. (ア)サタンはエバに言った言葉の中でどんなことをほのめかしましたか。(イ)サタンは神の名や主権に関してどんな疑問を投げ掛けましたか。

      8 サタンは,エホバが重要なことを隠しているだけでなく,うそもついている,とほのめかしました。エホバという名の神が本当に善い方なのか,エバに疑いを抱かせたのです。そのようにして,神の名を傷つけました。また,エホバの治め方に疑問を投げ掛けました。神が主権者だという事実に異議を唱えたのではなく,神の主権の正当性を問題にしました。つまり,エホバが主権者として正しく統治しておらず,治められている者たちのためになっていない,と主張したのです。

      9. (ア)アダムとエバは神に背いた結果どうなりましたか。どんな疑問が生じましたか。(イ)エホバが反逆者たちをすぐに滅ぼさなかったのはどうしてですか。

      9 その後,アダムもエバも禁じられていた木の実を食べて,エホバに背きました。結果として,神から言われていた通り,罰として死ぬことになりました。サタンのうそにより,幾つかの重要な疑問が生じました。エホバには人間を治める権利が本当にあるのでしょうか。それとも,人間が自分たちを治めた方がよいのでしょうか。エホバは主権者として最善の治め方をしているでしょうか。エホバは全能の力を使って,反逆者たちをその場で滅ぼすこともできました。しかし,問題となっていたのは神の力ではなく,神の治め方でした。神が主権者としての名声にふさわしい方かどうかが問われていたのです。アダムとエバとサタンを滅ぼしても,神の治め方が正しいことは証明されなかったでしょう。むしろ,神による統治が良いものかどうかに対する疑念が深まったかもしれません。人間が神から独立して自分たちをきちんと治められるかどうかの答えを出す唯一の方法は,しばらくやらせてみることでした。

      10. 人間の支配について,どんなことが明らかになりましたか。

      10 時の経過により,どんなことが明らかになったでしょうか。人間は何千年もの間,専制政治,民主主義,社会主義,共産主義など,いろいろな政治形態を試してきました。その結果について,聖書にこう要約されています。「人は人を支配し,人に害を及ぼしてきた」。(伝道の書 8:9)預言者エレミヤが次のように述べたのも納得できます。「エホバ,私はよく知っています。人は自分の道を定めることができません。自分で自分の歩みを導くことができないのです」。(エレミヤ 10:23)

      11. エホバがあえて人間が苦しむままにしたのはどうしてですか。

      11 人間が神から独立して自分たちを治めようとすると,とても苦しむことになる,ということをエホバは最初から知っていました。では,そうなると分かっていたのにあえて人間が苦しむままにしたのは,不公正なことだったのでしょうか。そうではありません。例えで考えてみましょう。あなたのお子さんが,命に関わる病気の治療のために手術を受ける必要があるとします。お子さんが手術のために苦しい思いをすることを考えると,胸が痛むでしょう。でも同時に,その手術によってお子さんが健康に暮らせるようになることも知っています。同じように神も,人間に支配をさせれば皆が苦しい思いをすることになると分かっていて,そのことを予告してもいました。(創世記 3:16-19)でも,人間がいつまでも幸せに暮らせるようにするには,反逆の悪い結果を全ての人に見させる必要がある,ということも分かっていました。そうすれば,問題が恒久的に解決されます。

      人間の忠誠も疑問視された

      12. ヨブの例から分かるように,サタンは人間についてどんなことを主張しましたか。

      12 この問題には,もう1つの側面があります。サタンは,神が主権を持つのは正当ではない,神はその名声にふさわしくないと主張して,エホバを中傷しただけでなく,エホバに仕える人たちのことも中傷しました。彼らが神に忠誠を尽くすことはないと主張したのです。例えば,ヨブについてエホバにこう言いました。「彼も家族も全ての持ち物も,あなたが柵で囲んで守ったのではありませんか。あなたの祝福によって彼の仕事はうまく運び,家畜は非常に多くなりました。試しに,あなたの手を出して,彼の持つもの全てを破壊してください。彼はきっと面と向かってあなたを侮辱します」。(ヨブ 1:10,11)

      13. サタンはヨブについてどんなことをほのめかしましたか。ほかの人間全てについてはどうですか。

      13 サタンは,エホバがヨブを保護することによって,自分に仕えるように仕向けている,と言い張りました。ヨブの忠誠は見せ掛けにすぎず,見返りがあるから神を崇拝しているだけだ,とほのめかしたのです。もし神の祝福を失えば,たとえヨブでも神に背を向けるだろう,と主張していました。サタンは,ヨブが「神に忠誠を尽くす正直な人で,神を畏れ,悪から離れている」際立った人だと知っていました。a ですから,ヨブに忠誠心を捨てさせることができれば,ほかの人間全てにもそうできると考えたことでしょう。このようにサタンは,神に仕えたいと思う人たち皆の忠誠を疑問視していました。実際,エホバにこう言っています。「人は自分の命を守るために,自分が持つもの全てを差し出します」。(ヨブ 1:8; 2:4)

      14. サタンの主張とは逆に,大勢の人がどんな生き方をしてきましたか。

      14 サタンの主張とは逆に,これまで大勢の人が,試練に遭ってもヨブのようにエホバへの忠誠を貫いてきました。そのような忠実な生き方は,エホバの心を喜ばせてきました。そして,人間は苦難に遭えば神に仕えるのをやめる,と言ってエホバをあざけってきたサタンに対する答えとなってきました。(ヘブライ 11:4-38)正しい心を持つ人たちは,神に背を向けたりはしません。とてもつらい目に遭っても,なおのことエホバに頼り,耐え忍ぶための力を願い求めます。(コリント第二 4:7-10)

      15. 神の裁きについて,どんな疑問を持つ人がいるかもしれませんか。

      15 エホバの主権や人間の忠誠の問題について考えても,エホバが公正に物事を扱うことが分かります。ほかにもどんな例があるでしょうか。聖書には,エホバが個人や国民全体を裁いた例がたくさん記録されています。また,将来に人々を裁くことについての預言も書かれています。エホバがこれまで正しく裁いてきたことや,これからも正しく裁くことを確信できるのはどうしてでしょうか。

      神の裁きは常に正しい

      ロトと2人の娘が無事にゾアルにたどり着き,ソドムとゴモラに硫黄と火が降り注いでいる。後ろの方に,塩の柱になったロトの妻が見える。

      エホバが「邪悪な人と一緒に正しい人も滅ぼ[す]」ことはない

      16-17. 人間は視野が狭く,公正な判断ができない場合があることが,どんな例から分かりますか。

      16 聖書に「神の道は全て公正である」と書かれている通り,エホバは完全に公正な方です。(申命記 32:4)人間は完全に公正だとは到底言えません。視野が狭く,何が正しいかをうまく判断できないことが多いからです。アブラハムの例を考えてみましょう。ソドムの人々が非常に悪かったにもかかわらず,アブラハムはソドムを滅ぼすことを思いとどまってほしいとエホバに嘆願しました。「あなたは本当に,邪悪な人と一緒に正しい人も滅ぼされるのですか」と尋ねています。(創世記 18:23-33)もちろんエホバはそんなことはしません。「ソドム……に硫黄と火を降らせた」のは,正しい人だったロトと娘たちがゾアルという町に無事にたどり着いてからのことでした。(創世記 19:22-24)ヨナの例も考えてみましょう。ヨナは,神がニネベの人々に憐れみを示した時,「激しく怒」りました。ニネベは滅びると宣言していたので,自分が言った通りになるものと思っていたからです。人々が心から悔い改めたことは気に掛けていませんでした。(ヨナ 3:10–4:1)

      17 アブラハムは,エホバは公正なので悪い人たちを滅ぼすだけでなく,必ず正しい人たちを救う,ということを学びました。ヨナは,エホバが憐れみ深い方だということを学びました。悪い人が生き方を改めるなら,エホバは「快く許し」ます。(詩編 86:5)人間とは違って,エホバは自分の力を見せつけるためだけに人を処罰することも,弱いと思われたくないので人を許さないということもありません。妥当な理由がある場合には,いつでも憐れみを示します。(イザヤ 55:7。エゼキエル 18:23)

      18. エホバは優し過ぎて判断が曇ったり,性急に判断したりはしません。聖書のどんな例からそのことが分かりますか。

      18 エホバは,優し過ぎて判断が曇るということもありません。自分の民が偶像崇拝をやめようとしなかった時,エホバはきっぱりとこう言いました。「私は……あなたの歩みに応じた裁きを下し,あらゆる忌まわしい行いの責任を問う。私の目はあなたを惜しまず,私は同情しない。あなたは自分の歩みの報いを受け[る]」。(エゼキエル 7:3,4)人が悪い行いをやめようとしないなら,エホバは相応の罰を与えます。でもそれも確かな証拠がある場合だけです。ソドムとゴモラについての大きな苦情の叫びを聞いた時,エホバはこう言いました。「私は下っていって確かめます。私に届いた叫び通りのことが起きているかどうかを知りたいのです」。(創世記 18:20,21)ありがたいことにエホバは,全ての事実を確かめる前に判断したりはしません。聖書に書かれている通り,「決して不公正ではなく,信頼できる神」です。(申命記 32:4)

      エホバの公正さを確信する

      19. エホバの行動の意味がよく分からなくて戸惑う場合,どう考えたらいいですか。

      19 聖書は,エホバの過去の行動について,あらゆる疑問に答えているわけではありません。また,将来エホバが人をどのように裁くかについて,事細かに説明しているわけでもありません。聖書を読んでいて,ある出来事や預言の意味がよく分からなくて戸惑ったとしても,預言者ミカのように神を信頼しましょう。「救いの神を辛抱強く待つ」という考え方が大切です。(ミカ 7:7)

      20-21. エホバはいつでも正しいことをすると確信できるのはどうしてですか。

      20 エホバはどんな場合にも正しいことをする,と確信できます。人間は不公正を正そうとしないことがありますが,エホバは「復讐は私がすることであり,私が報復する」と約束しています。(ローマ 12:19)神を辛抱強く待ち,使徒パウロのような強い確信を表しましょう。パウロはこう言いました。「神に不正なところがあるのですか。決してそのようなことはありません!」(ローマ 9:14)

      21 今は「困難で危機的な時」です。(テモテ第二 3:1)不公正や「虐げの行為」がますますひどくなっていて,多くの人が苦しんでいます。(伝道の書 4:1)しかし,エホバは変わっていません。今でも不公正を憎み,その被害を受けている人たちを深く気遣っています。私たちがエホバから離れず,エホバの主権を支持し続けるなら,王国の統治の下で全ての不公正が正される時まで忍耐できるように力を与えてくださいます。(ペテロ第一 5:6,7)

      a エホバはヨブについて,「地上に彼のような人はほかにいない」と言いました。(ヨブ 1:8)ヨブが生きていたのは,ヨセフの死後,モーセがイスラエルの指導者として任命される前のことだったようです。それで当時は確かに,ヨブのように神に忠誠を尽くす人はほかにいませんでした。

      じっくり考えたいこと

      • 申命記 10:17-19 エホバがどんな人にも公平だと確信できるのはどうしてですか。

      • ヨブ 34:1-12 不公正な目に遭ったとしても,それは神のせいではありません。エリフの言葉から,その確信はどのように強まりますか。

      • 詩編 1:1-6 正しい人と悪い人の行いをエホバがよく見ていることを考えると,安心できるのはどうしてですか。

      • マラキ 2:13-16 イスラエル人の男性が正当な理由もなく妻と離婚するのを見て,エホバはどう感じましたか。

  • 「エホバの律法は完全」
    エホバに近づきなさい
    • モーセが十戒の書かれた2枚の石板を持っている。

      第13章

      「エホバの律法は完全」

      1-2. 法を軽視する人が多いのはどうしてですか。神の律法についてはどのように感じる人がいますか。

      「法は底なしの穴……のように全てをのみ込む」。これは1712年に発行された本の一文です。この本の著者は,当時の法制度に苦言を呈しました。訴訟が長引いて何年もかかり,公正な裁きを求めて訴えた人が破産してしまうこともあったからです。今でも多くの国で,法律や司法制度が非常に複雑で,不公正や偏見や矛盾だらけなので,法を軽視する風潮が広まっています。

      2 そうした態度とは対照的に,ある詩編作者は約2700年前にこう書きました。「私はあなたの律法を愛してやまない!」(詩編 119:97)この人がそう強く思ったのはどうしてでしょうか。ここで言っている法を作ったのが人間の政府ではなく,エホバ神だからです。あなたもエホバの律法について学ぶと,宇宙で最高の法律家である神の考え方が分かって,この詩編作者と同じ気持ちになることでしょう。

      法を定める至高の方

      3-4. エホバが確かに法を定める方であることは,どんな例から分かりますか。

      3 聖書によると,「法を定める方,裁く方はただひとりです」。(ヤコブ 4:12)宇宙全体のための法を定める権利があるのは,創造者であるエホバだけです。「天体を統御する法則」も作りました。(ヨブ 38:33)無数の聖なる天使たちも,神の法の下にいます。幾つかの階級があって,エホバの命令に従って奉仕しています。(詩編 104:4。ヘブライ 1:7,14)

      4 エホバは人間にも法を与えています。一人一人が持っている良心は,いわば心の中にある法のようです。良心にはエホバの公正の感覚が表れていて,何が正しくて何が間違っているかを見分けるのに役立ちます。(ローマ 2:14)完全な良心を与えられていたアダムとエバには,多くの法は必要ありませんでした。(創世記 2:15-17)しかし,不完全な人間は,エホバの望むことを行えるように,もっと多くの法を必要としています。ノア,アブラハム,ヤコブなどの族長たちは,エホバ神から法を与えられ,家族に伝えました。(創世記 6:22; 9:3-6; 18:19; 26:4,5)そして,モーセを通してイスラエル国民に律法が与えられた時,エホバが法を定める方であることがかつてなくはっきりと示されました。その律法から,エホバにとって公正とはどういうものかがよく分かります。

      モーセの律法の概要

      5. モーセの律法は複雑で難し過ぎるものではない,と言えるのはどうしてですか。

      5 多くの人がモーセの律法は複雑で難し過ぎると思っているようですが,それは事実とは懸け離れています。600余りの法が収められているので多いと感じるかもしれませんが,次の点を考えてみてください。20世紀末の時点で,米国の連邦法を収めた法律書は15万ページを超えていました。しかも,2年ごとに600ほどの法が加えられています。ですから,人間が作った膨大な量の法律と比べると,モーセの律法にはごくわずかな法しかありません。とはいえ神の律法は,現代の法律では全く触れられていないような分野でもイスラエル人に指針を与えていました。概要を考えてみましょう。

      6-7. (ア)モーセの律法はどんな点で人間の法律とは全く違いますか。律法の最も重要な法は何ですか。(イ)イスラエル人たちはどうすればエホバの主権を受け入れていることを示せましたか。

      6 律法は主権者であるエホバに従うよう教えた。この点で,モーセの律法は人間が作ったどんな法律とも全く違います。最も重要な法はこう述べています。「聞きなさい,イスラエル,私たちの神エホバはただひとりのエホバです。あなたは,心を尽くし,力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神エホバを愛さなければなりません」。神の民は,神への愛をどのように表したのでしょうか。主権者である神に従い,仕えることによってです。(申命記 6:4,5; 11:13)

      7 イスラエル人がエホバの主権を受け入れていることを示すには,エホバから権威を与えられている人たちに従う必要がありました。例えば,親,長,裁き人,祭司,また後代の王たちなどです。そのような人たちに反抗するなら,エホバに反抗していると見なされました。一方,権威を与えられた人たちは,自分に従う人たちを不当に扱うなら,エホバの怒りを買うことになりました。(出エジプト記 20:12; 22:28。申命記 1:16,17; 17:8-20; 19:16,17)ですから,どちらの側にも責任があり,皆が神の主権を支持しなければなりませんでした。

      8. 律法は,イスラエル人が神聖さに関するエホバの基準を守るのにどう役立ちましたか。

      8 律法は神聖さに関するエホバの基準を守るよう教えた。「神聖」や「聖なる」という言葉は,モーセの律法の中に280回以上出てきます。律法には汚れの原因となる事柄が70ほど挙げられていて,何が清くて何が汚れているかを見分けるのに役立ちました。法の中には,身体衛生,食生活,廃棄物について指示しているものもあり,イスラエル人の健康を守りました。a しかし,そうした法にはもっと重要な目的がありました。民が周囲の堕落した国々の罪深い行いから離れて,エホバに喜ばれるようにするということです。1つの例を考えましょう。

      9-10. 律法契約には性関係や出産に関するどんな法令が含まれていましたか。そうした法はどのように役立ちましたか。

      9 律法によると,人は夫婦間の性関係や出産によって,しばらくの間汚れた人となりました。(レビ記 12:2-4; 15:16-18)とはいえ,夫婦間の性関係や出産が神からの清い贈り物であることに変わりはありませんでした。(創世記 1:28; 2:18-25)そうした法は,エホバの神聖さの基準を守れるように民を助け,悪影響から守りました。イスラエルの周囲の国々では多くの場合,神々を崇拝する時に多産を願う儀式を行い,性関係を持っていました。カナン人の宗教では,男性も女性も売春を行い,大勢の人々が非常にみだらな行為をしていました。対照的に,律法のおかげで,エホバへの崇拝に性的な事柄が入り込む余地はありませんでした。b 性関係や出産に関する法は,別の面でも役に立ちました。

      10 それらの法は,民に重要な真理を教えました。c アダムの罪は,性関係と出産によって子孫に受け継がれていきます。(ローマ 5:12)ですから神の律法は,民に自分たちが罪深いことを常に意識させました。全ての人は,生まれながらに罪人です。(詩編 51:5)聖なる神に近づくには,罪を許してもらい,贖ってもらう必要があります。

      11-12. (ア)律法には公正に関係するどんな原則が見られますか。(イ)律法には不公正を防止するどんな規定がありましたか。

      11 律法はエホバの完全な公正がどういうものかを教えた。モーセの律法は,処罰が犯罪に見合ったものでなければならないことを示していました。「命には命,目には目,歯には歯,手には手,足には足です」と書かれています。(申命記 19:21)等しい価値のものを差し出すというこの原則は,律法全体に見られます。それは神の公正の重要な一面であり,キリスト・イエスの贖いの犠牲について理解するのに欠かせません。そのことは第14章で取り上げます。(テモテ第一 2:5,6)

      12 律法には,不公正を防止する規定もありました。例えば,誰かを有罪とするには少なくとも2人の証人が必要でした。偽証は厳しく罰せられました。(申命記 19:15,18,19)賄賂を贈ったり受け取ったりすることも厳しく禁じられていました。(出エジプト記 23:8。申命記 27:25)商売をする時にも,民はエホバの公正の高い基準を守らなければなりませんでした。(レビ記 19:35,36。申命記 23:19,20)このように公正な優れた律法により,イスラエル人は善い生き方をするよう助けられました。

      律法の特徴は憐れみと公平さ

      13-14. 律法では,泥棒も被害者もどのように公平に扱われましたか。

      13 モーセの律法は,憐れみに欠けた厳しい規則集ではありません。ダビデ王は聖なる力に導かれて,「エホバの律法は完全」と書きました。(詩編 19:7)ダビデもよく知っていた通り,律法は憐れみを示すことや人を公平に扱うことの大切さを教えています。そのことについて考えましょう。

      14 現在,国によっては,法律によって被害者よりも犯罪者の方が守られているように思えるかもしれません。例えば,泥棒が衣食住のそろった刑務所で過ごす中,被害者は財産を失ったまま,税金を納めて犯罪者を支援しなければならない,ということがあります。モーセの律法では,被害者も犯罪者も公平に扱われました。古代イスラエルには現代のような刑務所はありませんでした。また,処罰が厳しくなり過ぎないように限度が定められていました。(申命記 25:1-3)とはいえ,泥棒は盗んだ物の弁償をしなければなりませんでした。さらに追加の支払いも科されましたが,その額は場合によって異なりました。裁判人たちが,罪人の悔い改めの度合いなど幾つかの要素を考慮に入れて決定したようです。レビ記 6章1-7節で泥棒に求められている賠償額が,出エジプト記 22章7節で言われている額よりずっと少ないのはそのためでしょう。

      15. 誤って誰かを死なせてしまった人は,律法によってどのように憐れみ深く公正な扱いを受けましたか。

      15 律法には,意図せずに罪を犯してしまった場合についての規定もありました。これもエホバの憐れみの表れです。例えば,誤って誰かを死なせてしまった人は,イスラエルに点在する避難の町に逃げれば,「命には命」という原則に基づいて死刑にされずに済みました。裁判人たちによる審理の後,その人は大祭司が死ぬまで避難の町にとどまらなければなりませんでした。その後は,どこでも自由に暮らせました。このようにして,その人は神の憐れみの恩恵を受けました。そしてこの法は,人間の命がとても大切であることをはっきり示すものでもありました。(民数記 15:30,31; 35:12-25)

      16. 律法によってどのように個人の権利が守られましたか。

      16 律法によって個人の権利も守られました。負債を抱える人がどのように保護されたかを考えてみましょう。貸したお金の担保となる物を取るために相手の家に入ることは,律法で禁じられていました。お金を貸した人は,借りた人が担保にする物を持ってくるのを外で待たなければなりませんでした。このように,誰も他の人の家に無理やり入ることはできませんでした。お金を貸した人が担保として外衣を預かった場合には,日が沈んだら相手に返さなければなりませんでした。夜間に体を温めるのに外衣が必要だったからです。(申命記 24:10-14)

      17-18. 戦争に関して,イスラエルは他の国々とどのように違っていましたか。

      17 律法には,戦争に関係する規定もありました。神の民は,単に権力欲や征服欲を満足させるために戦うのではなく,それが「エホバの戦い」だということを意識すべきでした。(民数記 21:14)多くの場合,イスラエル人はまず降伏条件を提示しなければなりませんでした。相手が降伏しない場合,町を攻囲することができましたが,神の命令に従ってそうする必要がありました。昔や今の多くの兵士たちとは違って,イスラエル軍の人たちは,女性を暴行したり住民を虐殺したりしてはなりませんでした。環境に配慮することも求められていて,敵の果樹を伐採することは禁じられていました。d そのような制限を課された軍隊はほかにありません。(申命記 20:10-15,19,20; 21:10-13)

      18 幼い子供たちが兵士として訓練されている国もあると聞くと,ぞっとすることでしょう。古代イスラエルでは,20歳未満の男性は徴兵されませんでした。(民数記 1:2,3)成人した男性でも,恐怖で戦えない場合には免除されました。新婚の男性も兵役を1年間免除され,「家にいて,妻を喜ばせる」ことができました。それにより,危険な任務に出掛ける前に跡継ぎの誕生を見ることもできたでしょう。(申命記 20:5,6,8; 24:5)

      19. 律法によって,女性,子供,家族,やもめ,孤児はどのように守られましたか。

      19 律法によって,女性や子供や家族も守られました。親は,子供をいつも見守り,エホバについて教えるよう命じられていました。(申命記 6:6,7)あらゆる近親姦が禁じられ,行った人は死刑になりました。(レビ記 18章)姦淫も禁じられていました。家族をひどく傷つけ,家庭を崩壊させるからです。やもめや孤児のための法もあって,そうした人たちを苦しめてはならないと強い言葉で警告されていました。(出エジプト記 20:14; 22:22-24)

      20-21. (ア)モーセの律法で一夫多妻が認められていたのはどうしてですか。(イ)離婚に関して,律法で認められていたこととイエスが教えたことが違っているのはどうしてですか。

      20 「家族を守るはずの律法が,一夫多妻を認めていたのはなぜだろう」と考える人もいます。(申命記 21:15-17)この点を正しく理解するには,今の時代や文化に基づいてモーセの律法を見るのではなく,当時の状況を考慮に入れる必要があります。(格言 18:13)はるか昔にエデンでエホバが定めた結婚は,1人の夫と1人の妻が永続する絆で結ばれるものでした。(創世記 2:18,20-24)しかし,エホバがイスラエルに律法を与えた頃までには,すでに何世紀にもわたって一夫多妻が定着していました。エホバは,「民が強情」で,おそらく偶像崇拝の禁止といった基本的な命令にさえ従わない場合が多い,ということをよく分かっていました。(出エジプト記 32:9)それで賢明にも,その時代には結婚に関係する間違った慣習を全て正すことはしませんでした。とはいえ,覚えておきたいこととして,エホバが一夫多妻制を導入したわけではありません。むしろエホバは一夫多妻を規制し,女性たちが守られるようにしました。

      21 モーセの律法では,妻に恥ずべき点がある場合,夫が妻と離婚することも認められていました。(申命記 24:1-4)イエスはそのことについて,神がユダヤ人の「頑固さを考えて」譲歩したと説明しています。そうした譲歩は一時的なものでした。イエスは弟子たちに,結婚に関するエホバの当初の基準を守るよう教えました。(マタイ 19:8)

      律法は愛を強調している

      22. モーセの律法ではどのように愛が強調されていますか。誰に愛を表すことになっていましたか。

      22 現代の法律で,人を愛するようにと規定しているものはまずないでしょう。しかしモーセの律法は,何よりも愛を強調しています。申命記だけでも,ヘブライ語で「愛」を意味する言葉が20回余り出てきます。律法の中で2番目に重要なおきては,「仲間を自分自身のように愛さなければならない」というものでした。(レビ記 19:18。マタイ 22:37-40)神の民は,そのような愛を互いに表すだけでなく,外国人居住者にも表すことになっていました。自分たちもかつては外国人居住者だったことを思い出して,愛を表すべきでした。また,貧しい人や立場の弱い人にも愛を表して,その人たちが必要なものを得られるようにし,弱みに付け込んではなりませんでした。家畜にさえ優しくし,気を配るよう指示されていました。(出エジプト記 23:6。レビ記 19:14,33,34。申命記 22:4,10; 24:17,18)

      23. 詩編 119編を書いた人は,どういう気持ちになりましたか。あなたはどうしたいと思いますか。

      23 イスラエル人に与えられた律法は確かに素晴らしいものでした。詩編作者が,「私はあなたの律法を愛してやまない!」と書いたのもうなずけます。詩編作者は単に愛を感じただけでなく,律法に従って生きるよう努力することによって愛を表したいと思いました。そして,こう続けています。「[私はあなたの律法を]一日中じっくり考える」。(詩編 119:11,97)この人は,時間を取ってエホバの律法を学んでいました。その結果,律法を愛する気持ちが強くなっていったに違いありません。同時に,律法を与えてくださったエホバ神への愛も深まったことでしょう。あなたも,神の律法を学び続けるなら,法を定める偉大な方であり公正な神であるエホバとの絆を強めることができます。

      a 例えば,人間の排せつ物を埋めること,病人を隔離すること,死体に触れた人が体を洗うことなどを求める法がありました。そうした法は時代を何世紀も先取りしていました。(レビ記 13:4-8。民数記 19:11-13,17-19。申命記 23:13,14)

      b カナン人の神殿には性的な行為をするための部屋がありましたが,モーセの律法によると人は性関係によってしばらく汚れた人となり,神殿に入ることさえできませんでした。ですから,エホバの家での崇拝の一環として性行為をすることなど考えられませんでした。

      c 教えることは,律法の主な目的の1つでした。「ユダヤ大百科事典」(英語)によると,「律法」と訳されているヘブライ語「トーラー」には「教え」という意味があります。

      d 律法の中で,「あなたは人にするように野原の木を攻めるべきでしょうか」と問い掛けられています。(申命記 20:19)1世紀のユダヤ人学者フィロンはこの法について,神の考えによれば「人に対する怒りを何の罪もない物にぶつけるのは不公正なことだ」と説明しています。

      じっくり考えたいこと

      • レビ記 19:9,10。申命記 24:19 このような法を作った神はどんな方だと思いますか。

      • 詩編 19:7-14 ダビデは「エホバの律法」についてどう感じていましたか。神の律法は私たちにとってどれほど大切なものですか。

      • ミカ 6:6-8 エホバの律法を重荷と見なすべきでないのはどうしてですか。

      • マタイ 23:23-39 パリサイ派の人たちは律法の本質を理解していませんでした。どうしてそのことが分かりますか。私たちはどんなことに気を付ける必要がありますか。

  • エホバは「多くの人と引き換える贖い」を与える
    エホバに近づきなさい
    • イエスがてんびんの前に立っている。

      第14章

      エホバは「多くの人と引き換える贖い」を与える

      1-2. 聖書によると,人間はどんな状況にいますか。何によって救われますか。

      「創造物全てはこれまでずっと共にうめき,共に苦痛を感じています」。(ローマ 8:22)使徒パウロがこう書いているように,人間は惨めな状況にいます。多くの人にとって,苦しみや罪や死から逃れる方法はないように思えるかもしれません。しかし,限界がある人間とは違って,エホバにはどんなことも可能です。(民数記 23:19)公正な神であるエホバは,私たちが苦しみから救われるようにしてくださいました。贖いを与えることによってです。

      2 贖いは,エホバから人間への最高の贈り物です。贖いによって,人は罪と死から救われます。(エフェソス 1:7)贖いのおかげで,私たちには天もしくは地上のパラダイスで永遠に生きるという希望があります。(ルカ 23:43。ヨハネ 3:16。ペテロ第一 1:4)では,贖いとは何でしょうか。贖いから,エホバの完全な公正についてどんなことを学べるでしょうか。

      贖いが必要になったいきさつ

      3. (ア)贖いが必要になったのはどうしてですか。(イ)神がアダムの子孫に対する死刑を減刑するわけにいかなかったのはどうしてですか。

      3 贖いが必要になったのは,アダムが罪を犯したからです。神に背いたアダムは,病気,悲しみ,苦痛,死といった負の遺産を子孫に残しました。(創世記 2:17。ローマ 8:20)神は,情に流されて死刑を減刑するわけにはいきませんでした。「罪の代償は死」という,自分が定めた法を無視することになるからです。(ローマ 6:23)エホバが自分の公正の基準を軽視するなら,全宇宙が混乱し,無法状態になってしまうでしょう。

      4-5. (ア)サタンはどのように神を中傷しましたか。サタンが投げ掛けた疑問にエホバが答えることにしたのはどうしてですか。(イ)サタンはエホバに忠実に仕えている人たちのこともどのように中傷しましたか。

      4 第12章で考えたように,エデンでの反逆によってさらに重要な問題が生じました。サタンは神の名誉をひどく傷つけました。エホバはうそつきで,自分が創造した者たちの自由を奪っている冷酷な独裁者だ,と非難したのです。(創世記 3:1-5)また,神は正しい人間たちを地上全体に住まわせることを願っていますが,サタンはそれを邪魔することにより,神が失敗したかのように見せ掛けています。(創世記 1:28。イザヤ 55:10,11)サタンが投げ掛けた疑問にエホバが答えないとすれば,多くの天使や人間たちはエホバの統治が良いものかどうか疑うようになってしまうかもしれません。

      5 サタンはエホバに忠実に仕えている人たちのことも中傷しました。彼らは見返りがあるから神に仕えているだけで,苦しい目に遭えば仕えるのをやめる,と主張したのです。(ヨブ 1:9-11)サタンのこうした中傷が間違っていることを示すのは非常に重要だったため,エホバはサタンが投げ掛けた疑問に答えることにしました。では,どうすれば問題を解決し,同時に人間を救えるでしょうか。

      贖いは価値が等しいもの

      6. 人間を救うための神の手段は,聖書の中でどんな言葉で表現されていますか。

      6 エホバの解決策は,最高に憐れみ深く公正なものでした。どんな人間も考えつかないほど見事で,なおかつシンプルです。聖書の中で,買い取り,和解,償いなどと表現されています。(詩編 49:8,脚注。ダニエル 9:24。ガラテア 3:13。コロサイ 1:20。ヘブライ 2:17)一番ぴったりなのは,イエスが次の説明の中で使っている言葉です。「人の子も,仕えてもらうためではなく仕えるために,また多くの人と引き換える贖い[ギリシャ語,リュトロン]として自分の命を与えるために来ました」。(マタイ 20:28)

      7-8. (ア)聖書の中で使われている「贖い」という言葉にはどんな意味がありますか。(イ)罪を贖うにはどんな代価を支払わなければなりませんか。

      7 贖いとは何でしょうか。「リュトロン」というギリシャ語は,「解く」とか「解放する」という意味の動詞に由来していて,戦争捕虜を解放するために支払われた代価を指して使われました。ですから,贖いとは基本的に,何かを買い戻すために支払われるもののことです。ヘブライ語聖書の中で「贖い」と訳されている「コーフェル」という言葉は,「覆う」という意味の動詞に由来しています。例えば,神はノアに,箱船をタールで「覆い」なさい,と指示しました。(創世記 6:14,脚注)それで,贖うとは罪を覆うことでもあると分かります。(詩編 65:3,脚注)

      8 「新約聖書神学辞典」(英語)によると,「コーフェル」という言葉は「常に等価のもの[または,対応するもの]を表して」います。ですから,罪を覆う,つまり贖うには,罪のせいで生じた損害と完全に等しい代価を支払わなければなりません。そのため,イスラエルに与えられた神の律法にはこう述べられていました。「命には命,目には目,歯には歯,手には手,足には足です」。(申命記 19:21)

      9. 神に信仰を持つ人たちが動物を犠牲として捧げたのはどうしてですか。エホバはそうした犠牲についてどう思いましたか。

      9 神に信仰を持ったアベルやそれ以降の人たちは,動物を犠牲として神に捧げました。そうすることによって,自分たちが罪深く,贖罪を必要としていると自覚していることを示しました。また,神が「子孫」によって人間を罪から解放する,という約束への信仰も示しました。(創世記 3:15; 4:1-4。レビ記 17:11。ヘブライ 11:4)エホバはそうした犠牲を喜び,その人たちの崇拝を受け入れました。しかし,動物は人間と同等ではないので,動物の犠牲は本当の意味で人の罪を覆うことはできませんでした。(詩編 8:4-8)そのため聖書に,「雄牛やヤギの血は罪を取り去ることができない」と書かれています。(ヘブライ 10:1-4)いずれ,動物の犠牲よりはるかに価値がある完全な贖いの犠牲が捧げられることになっていました。

      「対応する贖い」

      10. (ア)贖いが成立するには何が必要でしたか。どうしてですか。(イ)犠牲になるのが1人だけでいいのはどうしてですか。

      10 使徒パウロが書いているように,「アダムのゆえに全ての人が死んでいく」ことになりました。(コリント第一 15:22)ですから,贖いが成立するには,アダムと等しい完全な人間が自分の命を差し出す必要がありました。(ローマ 5:14)エホバの公正の基準からすると,アダムから罪と死を受け継いでいない完全な人間だけが,「全ての人のための対応する贖い」を捧げることができました。アダムが失った完全な命と等しい命を差し出すことができたからです。(テモテ第一 2:6)アダムの子孫一人一人のために,膨大な数の人が犠牲になる必要はありません。使徒パウロが説明している通り,「1人の人[アダム]によって人類に罪が入り,罪によって死が入り」ました。(ローマ 5:12)「死が1人の人を通して来たので」,神は「1人の人を通して」人類が罪と死から救われるようにしました。(コリント第一 15:21)どのようにでしょうか。

      「全ての人のための対応する贖い」

      11. (ア)贖いとなる人はどのように罪の代償を支払いますか。(イ)アダムとエバが贖いの恩恵を受けられないのはどうしてですか。(脚注を参照。)

      11 エホバは,1人の完全な人間が自分の命を差し出すようにしました。ローマ 6章23節によれば,「罪の代償は死です」。それで,贖いとなる人は「全ての人のために死を味わ」うことによって,アダムの罪の代償を支払います。(ヘブライ 2:9。コリント第二 5:21。ペテロ第一 2:24)贖いによって,アダムの子孫で神に従う人たちに対する死刑が取り消されます。罪のせいで死ぬしかなかったという問題が根本的に解決されるのです。a (ローマ 5:16)

      12. 1つの負債を帳消しにすることによって大勢が救われることを,どんな例えで説明できますか。

      12 例えで考えてみましょう。住民の大半が同じ工場で働いている町に,あなたも住んでいるとします。あなたも他の住民も良い給料をもらって,快適に暮らしています。ところがある日,工場が閉鎖されます。何があったのでしょうか。工場長が会社のお金を着服し,会社を破産に追い込んだのです。あなたも他の住民も急に仕事を失い,生活が苦しくなります。工場長1人の不正行為のために,従業員の配偶者や子供たち,また工場に出資していた人たちも大変な思いをします。この問題を解決するにはどうしたらいいでしょうか。1人の資産家が,助けの手を差し伸べることにします。その人は破産した会社の価値を認めていて,大勢の従業員たちのことも気の毒に思っています。それで,会社の負債を全額返済して,工場を再開できるようにします。1つの負債を帳消しにしたことにより,大勢の従業員とその家族,また出資者たちも救われます。同じように,アダムの罪という負債を帳消しにすることにより,膨大な数の人たちが救われることになります。

      誰が贖いを支払うか

      13-14. (ア)エホバは人類のための贖いを支払うために,何をしましたか。(イ)贖いは誰に支払われますか。その支払いが必要だったのはどうしてですか。

      13 エホバだけが,「人類の罪を取り去る……子羊」を与えることができます。(ヨハネ 1:29)しかしエホバは,誰でもいいから天使を遣わして人類を救おうとは考えませんでした。最大の犠牲を払って,自分が「深い愛情を抱く」独り子を遣わしました。(格言 8:30)その方は,エホバに仕える人たちに対するサタンの非難に決定的な答えを出すことができます。神の子は天での体や立場を喜んで「全て捨て」ました。(フィリピ 2:7)エホバは奇跡によって,独り子の命をユダヤ人の処女マリアの胎内に移しました。(ルカ 1:27,35)人間となったその子は,イエスと呼ばれることになります。イエスはアダムと等しい完全な人間だったので,第二のアダムとも言えます。(コリント第一 15:45,47)それで,罪深い人類のための贖いとして自分の完全な命を差し出すことができました。

      14 その贖いは,誰に支払われるのでしょうか。詩編 49編7節には,贖いが「神に」支払われると書かれています。でも,贖いを支払うのもエホバなのであれば,お金を1つのポケットから別のポケットに移すような無意味なものになってしまわないでしょうか。そんなことはありません。贖いは単なる物のやり取りではなく,命には命という法を守るために必要なものでした。エホバは,非常に大きな犠牲を払ってまで贖いを支払うことにより,自分の完全な公正の基準を必ず守るということを示しました。(創世記 22:7,8,11-13。ヘブライ 11:17。ヤコブ 1:17)

      15. イエスが苦しんで死ななければならなかったのはどうしてですか。

      15 西暦33年の春,イエス・キリストは,贖いを支払うために苦しみを受け入れました。無実の罪で訴えられて捕らえられ,有罪宣告を受け,処刑用の杭にくぎ付けにされました。イエスがそれほど苦しんで死ななければならなかったのはどうしてでしょうか。神への忠誠を貫く人はいないというサタンの主張が間違っていることを示す必要があったからです。イエスがまだ幼いうちにヘロデに殺されてしまわないように,神がイエスを守りました。(マタイ 2:13-18)成人したイエスは,サタンが投げ掛けた疑問についてよく理解した上で,サタンの激しい攻撃に耐えることができました。b イエスはひどい仕打ちを受けても「神に尽くし,潔白で,汚れがなく,罪人から分けられ」た状態を保つことにより,試練に遭ってもエホバに忠実に仕え続ける人たちがいることをはっきりと証明しました。(ヘブライ 7:26)だからこそ死ぬ直前に,「成し遂げられた!」と言うことができたのです。(ヨハネ 19:30)

      贖いが有効になる

      16-17. (ア)使徒パウロによると,イエスは復活後に何をしましたか。(イ)イエスが「私たちのために神の前に」出る必要があったのはどうしてですか。

      16 イエスは亡くなりましたが,贖いを有効にするためにまだ行うべきことがありました。それで,イエスが死んでから3日目に,エホバはイエスを生き返らせました。(使徒 3:15; 10:40)そうすることによって,忠実に奉仕したイエスに報いを与えただけでなく,イエスが神の大祭司として贖いを有効にできるようにしました。(ローマ 1:4。コリント第一 15:3-8)使徒パウロはこう説明しています。「キリストは……大祭司として来た時,……ヤギや若い雄牛の血ではなく,自分の血を携え,一度限り聖なる場所に入り,私たちを永遠に救ってくださいました。キリストは,実体の写しにすぎない,人が造った聖なる場所にではなく,天そのものに入りました。今や私たちのために神の前に出てくださっています」。(ヘブライ 9:11,12,24)

      17 キリストは天に入る時,文字通りの血を携えていったわけではありません。(コリント第一 15:50)その血が象徴していたもの,つまり,自分が犠牲にした完全な命の価値を携えていきました。イエスはその命の価値を,罪深い人類と引き換える贖いとして,天で正式に神に差し出しました。エホバがその犠牲を確かに受け入れたことが,西暦33年のペンテコステの日に明らかになりました。その時,エルサレムにいた120人ほどの弟子たちに,聖なる力が注がれました。(使徒 2:1-4)それは印象的な出来事でしたが,神に仕える人たちは贖いのおかげでさらに大きな恩恵を受けることになります。

      贖いの恩恵

      18-19. (ア)贖いによってどんな2つのグループが神と和解できるようになりましたか。(イ)「大群衆」の人たちは今どのように贖いの恩恵を受けていますか。将来はどうですか。

      18 パウロがコロサイのクリスチャンへの手紙の中で説明しているように,神はイエスの贖いの犠牲によって人間が再び自分と平和な関係を持てるようにしました。パウロによれば,「天のもの」と「地上のもの」という2つのグループが神と「和解」します。(コロサイ 1:19,20。エフェソス 1:10)「天のもの」とは,天で祭司として奉仕し,キリスト・イエスと共に王として地球を治めることになる,14万4000人のクリスチャンのことです。(啓示 5:9,10; 7:4; 14:1-3)その人たちはイエスと一緒に働き,地上にいる従順な人たちが1000年にわたって贖いの恩恵を徐々に受けられるようにします。(コリント第一 15:24-26。啓示 20:6; 21:3,4)

      19 「地上のもの」とは,パラダイスとなった地球で完全な人間として永遠に生きる見込みを持つ人たちのことです。啓示 7章9-17節で,その人たちは間もなく来る「大患難」を生き延びる「大群衆」と呼ばれています。とはいえ,その時まで贖いの恩恵を受けられないわけではありません。すでに「自分の長い衣服を子羊の血で洗って白く」しています。贖いに信仰を持っているので,神から正しい人と見なされ,神の友達になることができているのです。(ヤコブ 2:23)また,イエスの犠牲のおかげで「気後れすることなく祈り,惜しみない親切を示してくださる神に近づ[く]」ことができます。(ヘブライ 4:14-16)罪を犯しても,神に許してもらえます。(エフェソス 1:7)不完全な人間ですが,健全な良心を持つことができます。(ヘブライ 9:9; 10:22。ペテロ第一 3:21)ですから,今すでに神と和解することができています。(コリント第二 5:19,20)そして,将来の千年統治の間に,徐々に「腐敗への奴隷状態から自由にされ」,最終的に「神の子供の輝かしい自由を得る」ことになります。(ローマ 8:21)

      20. 贖いについてじっくり考えると,どんな気持ちになりますか。

      20 贖いについてじっくり考えると,私たちは感動し,「イエス・キリストを通して救ってくださる神に感謝」したくなります。(ローマ 7:25)贖いの仕組みはシンプルですが,神の考えは奥深いので,畏敬の気持ちでいっぱいになります。(ローマ 11:33)公正な神にますます引き付けられるのではないでしょうか。詩編作者のように,「正しさと公正を愛する」エホバ神をこれからも賛美しましょう。(詩編 33:5)

      a アダムとエバは贖いの恩恵を受けられません。モーセの律法には,「死に値する殺人者[故意に殺人を犯した人]の命のための贖いを受け取ってはならない」という原則があります。(民数記 35:31)アダムとエバは,悪いと分かっていながら故意に神に背いたので,明らかに死に値しました。永遠に生きる見込みを自ら放棄したのです。

      b 罪を犯した時に大人だったアダムと釣り合うように,イエスは完全な子供ではなく完全な大人として死ぬ必要がありました。アダムは,神に背くことがどれほど重大で,どんな結果になるかを十分に知りながら,故意に罪を犯しました。ですから,イエスが「最後のアダム」となって罪を覆うには,エホバへの忠誠を貫くとはどういうことかを十分に理解し,自分の意思で選ばなければなりませんでした。(コリント第一 15:45,47)そのようにして,犠牲の死に至るまで忠実に歩んだイエスの生涯は,「1つの正しい行い」となりました。(ローマ 5:18,19)

      じっくり考えたいこと

      • 民数記 3:39-51 贖いが完全に等しい価値のものであることは,なぜ大切ですか。

      • 詩編 49:7,8 神が私たちのために贖いを支払ってくださったことを考えると,どういう気持ちになりますか。

      • イザヤ 43:25 エホバは主に,人間を救うためではなく何のために贖いを支払いましたか。

      • コリント第一 6:20 贖いについて考えると,どういう生き方をしたくなりますか。

  • イエスは「地上に公正を確立する」
    エホバに近づきなさい
    • イエスが両替屋の台を倒し,神殿から出ていくよう両替人たちに命じている。

      第15章

      イエスは「地上に公正を確立する」

      1-2. イエスはどんな時に怒りましたか。どうしてですか。

      イエスが怒っている姿は想像しにくいかもしれません。とても温厚な人だったからです。(マタイ 21:5)でも,ある時イエスは怒りました。もちろん,われを忘れて怒ったのではありません。平和を愛する人だったイエスが怒ったのには,もっともな理由がありました。a ひどい不公正を目にしたのです。

      2 エルサレムの神殿は,イエスにとって大切な場所でした。天の父を崇拝するために建てられた,世界でただ一つの神聖な場所だったからです。各地のユダヤ人がはるばるやって来て,そこで崇拝を行いました。神を畏れる異国人も来て,神殿の中で入ることを許されていた庭に集まりました。ところが,イエスは宣教を始めて間もない頃に神殿に入った時,あぜんとするような光景を見ました。そこは神を崇拝する場所というより市場のようになっていて,商人や両替人が大勢いました。それだけでなく,その人たちは不公正にも,神殿に来る人たちからお金を巻き上げていました。どのようにでしょうか。(ヨハネ 2:14)

      3-4. エホバの家でどんなことが行われていましたか。イエスはどうしましたか。

      3 宗教指導者たちは,神殿税を払うのに使える硬貨は特定の1種類だけという規則を設けていました。そのため,神殿に来た人たちは,その硬貨を手に入れるために両替をしなければなりませんでした。両替屋は神殿の中に台を置いて商売をし,手数料を取っていました。動物を売る商人たちも,たくさんのお金をもうけていました。神殿で犠牲を捧げたいと思う人は,本来は市内のどの商人からでも動物を買うことができましたが,神殿の役人から不適当だと言われてしまうことがありました。しかし,神殿の境内で買ったものは必ず受け入れられました。それで商人たちは,言いなりになるしかない人々に法外な値段で売りつけることがありました。b あたかも強盗のような,非常に悪質な商売でした。

      4 イエスは,自分の父の家でのそうした不公正を大目に見ることはできませんでした。縄でむちを作り,牛や羊の群れを神殿から追い出しました。それから両替屋の所に行き,彼らの台を倒しました。たくさんの硬貨が大理石の床に散らばったことでしょう。イエスはハトを売っていた人たちに,「これらの物を運び出しなさい!」と厳しい口調で言います。(ヨハネ 2:15,16)その毅然とした行動に手向かおうとする人は誰もいなかったようです。

      「これらの物を運び出しなさい!」

      この親にしてこの子あり

      5-7. (ア)イエスは人間になる前に,どのように公正の感覚を身に付けましたか。イエスの手本から何を学べますか。(イ)サタンによって生じた不公正を正すために,イエスは何を行いましたか。将来は何を行いますか。

      5 商人たちは,また商売をしに戻りました。約3年後,イエスは再び不公正な商人たちを神殿から追い出します。その時にはエホバの言葉を引用し,神の家を「強盗のすみか」としている人たちを非難しました。(エレミヤ 7:11。マタイ 21:13)イエスは,貪欲な商人たちが人々を食い物にし,神殿を汚しているのを見て,天の父と同じ気持ちになったのです。それはもっともなことでした。イエスは計り知れないほど長い期間にわたって父から学び,エホバと同じ公正の感覚を身に付けていたからです。この親にしてこの子あり,ということわざの通りです。ですから,エホバの公正さをよく理解する一番いい方法は,イエス・キリストの手本について考えることです。(ヨハネ 14:9,10)

      6 サタンが不当にも,エホバ神はうそつきで,エホバの治め方は正しくないと言った時,エホバの独り子もその場にいて,そのひどい中傷を聞いていました。サタンが後に,見返りを求めず愛の気持ちからエホバに仕える者などいないと主張した時にも,イエスは聞いていました。そのような誤った非難に,イエスは心を痛めたに違いありません。そして,サタンが間違っていることを証明するために自分が重要な役割を果たすことを知って,喜んだことでしょう。(コリント第二 1:20)イエスは何を行うのでしょうか。

      7 第14章で学んだ通り,イエス・キリストは,エホバに仕える者たちの忠誠を疑問視するサタンの非難に決定的な答えを出しました。そのイエスの行動は,エホバの治め方には欠陥があるというサタンのうそを含め,エホバの聖なる名に対するあらゆる中傷を除き去るための根拠となります。救いへと導く方であるイエスは,天でも地でも全ての者がエホバの公正の基準に従うようにします。(使徒 5:31)地上にいた時,イエスは生涯を通じて神の公正さに倣いました。エホバはイエスについて,「私は彼に聖なる力を与え,彼は,公正とは何かを国々に明らかにする」と言いました。(マタイ 12:18)イエスはどのようにそうしたのでしょうか。

      イエスは「公正とは何か」を明らかにする

      8-10. (ア)ユダヤ人の宗教指導者たちは,ユダヤ人ではない人や女性を低く見るどんな規則を作りましたか。(イ)宗教指導者たちは安息日に関してどのように民に重荷を負わせましたか。

      8 イエスはエホバの律法を愛し,それに従って生きました。しかし,イエスの時代の宗教指導者たちは,律法を正しく教えず,従い方も間違っていました。イエスは彼らにこう言いました。「偽善者である律法学者とパリサイ派の人たち,あなた方には災いがあります!……律法の中のもっと重大な事柄,すなわち公正と憐れみと忠実を無視しているからです」。(マタイ 23:23)その人たちは,神の律法を教えながら,「公正とは何か」を明らかにせず,むしろ非常に分かりにくくしていました。幾つか例を考えてみましょう。

      9 エホバは自分の民に,周囲の異教の国々の人たちから離れているようにと命じていました。(列王第一 11:1,2)しかし,もっと極端な見方をする宗教指導者たちがいて,ユダヤ人ではない人たちを見下すように民に教えていました。ミシュナにはこんな規則さえありました。「家畜を異邦人の宿屋に置いておいてはならない。異邦人は獣姦を行うかもしれないからである」。ユダヤ人以外の人たちに対するそのような偏見は不公正であり,モーセの律法に示されている神の考えとは正反対でした。(レビ記 19:34)女性を低く見る規則もありました。口伝律法によれば,妻は夫と並んで歩いてはならず,後ろを付いていかなければなりませんでした。男性は公共の場所で女性と会話してはならず,自分の妻とさえ話せませんでした。女性は奴隷と同様,法廷で証言することは許されていませんでした。男性が捧げる公式の祈りの中には,自分が女性ではないことを神に感謝するものまでありました。

      10 宗教指導者たちが膨大な数の規則や規定を作ったせいで,肝心な神の律法が埋もれてしまって,ほとんど分からなくなりました。例えば,安息日についての法は本来,ただ安息日に仕事をすることを禁じるものでした。その日に休息しつつ,神を崇拝して爽やかな気持ちになれるようにするためです。ところがパリサイ派の人たちは,何が“仕事”に当たるかを勝手に決めて,民に重荷を負わせました。収穫や狩りなど,全部で39の活動を禁じたのです。そうした規則のせいで,次々に疑問が起きました。もし安息日にノミを殺したら,狩りをしたことになるのでしょうか。歩きながら穀物をむしって食べたら,収穫をしたことになるのでしょうか。病人を看病したら,仕事をしたことになるのでしょうか。そのような疑問に答えるために,宗教指導者たちはさらに細かい規則を作っていきました。

      11-12. イエスは,聖書に基づかないパリサイ派の人たちの伝統が間違っていることをどのように示しましたか。

      11 そうした風潮の中でイエスは,人々が公正とは何かを理解できるように助けました。自分の教えと生き方によって,宗教指導者たちが間違っていることを示したのです。まず,イエスの教えについて少し考えましょう。イエスは,無数の規則を作った宗教指導者たちを非難し,「[あなた方は]自分たちが伝える伝統によって神の言葉を否定している」と言いました。(マルコ 7:13)

      12 イエスは,パリサイ派の人たちが安息日についての法の趣旨を全く分かっていないことを明らかにしました。イエスの教えによれば,メシアは「安息日の主」なので,安息日に病気の人を治す権限がありました。(マタイ 12:8)そのことを強調するため,イエスは宗教指導者たちが何と言おうと,安息日に公然と奇跡によって人々を癒やしました。(ルカ 6:7-10)それはいわば,将来の千年統治の間に地球規模で行う癒やしの予告編でした。その1000年間は究極の安息日となります。それまで何千年も苦しんできた人類がついに罪と死から解放され,忠実な人たちは本当の意味で休息を味わうことになるのです。

      13. キリストの地上での宣教が終わった後,どんな律法が有効になりましたか。それは前のモーセの律法とどのように違っていましたか。

      13 イエスは弟子たちに新しい律法を与えることによっても,公正とは何かを明らかにしました。その「キリストの律法」は,イエスの地上での宣教が終わった後に有効になりました。(ガラテア 6:2)前のモーセの律法とは違って,たくさんの命令が書き記されたわけではなく,主にイエスが教えたいろいろな原則が新しい律法となりました。とはいえ,命令も幾つか含まれています。その1つをイエスは「新しいおきて」と呼び,私があなたたちを愛した通りにあなたたちも互いを愛しなさい,と弟子たちに言いました。(ヨハネ 13:34,35)「キリストの律法」に従って生きる人たちは,そのような自己犠牲的な愛を示すことで知られるようになります。

      公正の手本

      14-15. イエスは自分の権限をわきまえていることをどのように示しましたか。イエスを信頼できるのはどうしてですか。

      14 イエスは,愛について教えただけでなく,「キリストの律法」に沿って生きました。では,公正とは何かを生き方によってどのように明らかにしたのでしょうか。イエスの手本を3つ考えてみましょう。

      15 1つ目に,イエスは不公正なことを一切しないように気を付けました。不公正なことが行われるのは多くの場合,不完全な人間が高慢になり,自分に権限のないことをしようとするときです。イエスはそのようなことをしませんでした。ある時,1人の男性がイエスに,「先生,相続財産を私と分けるよう私の兄弟に言ってください」と言いました。それに対してイエスは,「私はあなたたち2人の裁判官や仲裁人に任命されていますか」と言いました。(ルカ 12:13,14)素晴らしい態度です。イエスはどんな人よりも優れた知力や判断力を持ち,神から高い権威を与えられていましたが,それでもこの件に関わろうとしませんでした。この場合には裁く権限がなかったからです。このようにイエスは,人間として地上に来る前の計り知れない期間を含め,常に慎みを示してきました。(ユダ 9)何が公正かというエホバの判断を信頼し,謙遜に従っています。

      16-17. (ア)イエスは神の王国の良い知らせを伝える時に,どのように公正さを示しましたか。(イ)イエスは公正の表れとしてどのように憐れみを示しましたか。

      16 2つ目に,イエスは神の王国の良い知らせを伝える時にも公正さを示しました。偏見を抱いたりせず,裕福な人にも貧しい人にも分け隔てなく接しました。あらゆる人に良い知らせを伝えるよう努力したのです。対照的にパリサイ派の人たちは,貧しい一般の人たちを「アム ハーアーレツ」つまり「地の民」と呼んで見下していました。そういう中で,イエスは勇敢に公正な見方を貫きました。良い知らせについて人々に教えた時だけでなく,一緒に食事をしたり,食べ物を与えたり,人を癒やしたり生き返らせたりした時にも,「あらゆる人」を救うことを願っている神の公正さに倣いました。c (テモテ第一 2:4)

      17 3つ目に,イエスは公正の表れとして深い憐れみを示しました。例えば,罪人に助けの手を差し伸べました。(マタイ 9:11-13)また,無力な人たちを快く支えました。宗教指導者たちはどんな異国人も信用してはならないと教えましたが,イエスはそうではありませんでした。主にユダヤ人を助けるために遣わされましたが,異国人も憐れみ深く助け,教えました。ある時にはローマの士官について,「イスラエルの中でも,これほどの信仰は見たことがありません」と言い,その士官の召し使いを奇跡によって癒やしました。(マタイ 8:5-13)

      18-19. (ア)イエスが女性を尊重していたことは,どんなことから分かりますか。(イ)イエスの手本から,勇気と公正の関係についてどんなことが分かりますか。

      18 イエスは女性に対しても公正でした。女性に対する一般的な見方に合わせたりはしませんでした。サマリア人の女性は異国人と同様に汚れていると見なされていましたが,イエスはスカルの井戸の所でためらわずにサマリア人の女性に伝道しました。それだけでなく,その女性に自分が約束のメシアであることを初めてはっきりと明かしました。(ヨハネ 4:6,25,26)パリサイ派の人たちは女性に神の律法を教えるべきではないと言っていましたが,イエスは多くの時間をかけて女性たちを教えました。(ルカ 10:38-42)また,女性の証言は信用しないという伝統があったにもかかわらず,イエスは復活した後に最初に幾人かの女性に会うことによって,女性たちを尊重していることを示しました。さらに,自分が復活したという重大なニュースを男性の弟子たちに伝えるよう頼むこともしました。(マタイ 28:1-10)

      19 このようにして,イエスは公正とは何かを国々に明らかにしました。そのために自らを大きな危険にさらすことも少なくありませんでした。イエスの手本から,神の公正さに倣うには勇気が要ることが分かります。イエスが「ユダ族の者であるライオン」と呼ばれているのも納得できます。(啓示 5:5)すでに考えた通り,ライオンは勇敢に示される公正の象徴だからです。近い将来,イエスは地球全体に公正が行き渡るようにし,本当の意味で「地上に公正を確立」します。(イザヤ 42:4)

      メシアである王は「地上に公正を確立する」

      20-21. メシアである王は現在,地上でどのように公正なことが行われるようにしていますか。会衆の中ではどうですか。

      20 イエスは1914年にメシアである王になってから,地上で公正なことが行われるようにしてきました。マタイ 24章14節で自分が語った預言が実現するように見届けてきたのです。イエスに従う人たちは,世界中の人にエホバの王国についての真理を教えています。イエスと同じように,男性にも女性にも,若い人にも年配の人にも,裕福な人にも貧しい人にも公平に伝道し,あらゆる人が公正な神エホバについて知ることができるようにしています。

      21 クリスチャン会衆の頭であるイエスは,会衆の中でも物事が公正に行われるように見守っています。預言されていた通り,「人々という贈り物」を与え,会衆内で忠実な長老たちが教え導くようにしています。(エフェソス 4:8-12)長老たちは,神の大事な羊の群れを世話する時,イエスに倣って公正を表します。個々の人がどんな立場で奉仕しているか,裕福かどうかなどに関係なく,全ての羊が公正に扱われることをイエスは望んでいるからです。

      22. エホバは不公正だらけの世の中を見てどう感じていますか。エホバから任命されたイエスは何をしますか。

      22 間もなくイエスは,地上をかつてないほど公正な場所にするために行動します。今の堕落した世の中は不公正だらけです。例えば,大勢の子供が飢餓で亡くなっている一方で,兵器の製造や快楽の追求のためにたくさんのお金や労力がつぎ込まれています。毎年,戦争や犯罪などでも大勢の人が亡くなっていて,ほかにも不公正なことがいろいろ起きているので,エホバは怒りを感じています。それで,正義のために戦うようイエスを任命しました。イエスはこの邪悪な世界を終わらせ,不公正を完全になくします。(啓示 16:14,16; 19:11-15)

      23. ハルマゲドンの後,キリストはどのように公正が行き渡るようにしますか。

      23 公正が行き渡るように,エホバは悪い人たちを滅ぼすだけでなく,イエスが「平和の統治者」として治めるようにします。ハルマゲドンの戦いの後,イエスの公正な統治によって地球全体が平和になります。(イザヤ 9:6,7)世界中の人たちを苦しめてきた不公正をなくせることを,イエスはとてもうれしく思うに違いありません。そして,その後もエホバの完全な公正を永遠に支持し続けることでしょう。私たちもエホバの公正さに倣うよう努力することは大切です。どうすればそうできるか,次の章で考えましょう。

      a イエスはエホバと同じように正当な怒りを表しました。エホバは,あらゆる悪に対して「憤りを表」します。(ナホム 1:2)例えば,不従順な民がエホバの家を「強盗のすみか」とした時,「私の怒りと憤りが,この場所に……浴びせられる」と言いました。(エレミヤ 7:11,20)

      b ミシュナによると,何年か後に,神殿で売られているハトの値段が高過ぎるという抗議の声が上がりました。その結果,値段がすぐに100分の1になりました。いったい誰がぼろもうけしていたのでしょうか。ある歴史家たちによれば,神殿の市場は大祭司アンナスの一族のもので,彼らの巨万の富の主な収入源となっていました。(ヨハネ 18:13)

      c パリサイ派の人たちによれば,律法を知らない一般の人々は「神に見放されて」いました。(ヨハネ 7:49)そうした人々を教えたり,その人たちと商売をしたり,一緒に食事をしたり祈ったりすべきではありませんでした。そのような人に娘を嫁がせるのは,野獣の前に放り出すよりも悪いこととされました。律法を知らない人たちには復活の希望もないと考えられていました。

      じっくり考えたいこと

      • 詩編 45:1-7 メシアである王は完全な公正が行き渡るようにしてくれる,と確信できるのはどうしてですか。

      • マタイ 12:19-21 この預言によると,メシアは弱い立場の人たちのためにどのように行動しますか。

      • マタイ 18:21-35 本当の公正は憐れみ深いものだということを,イエスはどのように教えましたか。

      • マルコ 5:25-34 イエスは公正な神に倣って,どのように人の状況を考慮に入れましたか。

  • 「公正を守り」,神と共に歩む
    エホバに近づきなさい
    • 2人の長老が姉妹と2人の子供を訪ね,姉妹の話によく耳を傾けている。

      第16章

      「公正を守り」,神と共に歩む

      1-3. (ア)エホバが私たちの命の恩人だと言えるのはどうしてですか。(イ)エホバは私たちに何を期待していますか。

      想像してください。あなたは沈みかけの船の中にいます。もう駄目だと思った時に,救助隊が来て,助けてくれます。危険から脱出して,「もう大丈夫ですよ」と声を掛けてもらい,本当にほっとします。救助してくれた人は,まさに命の恩人です。

      2 エホバはいわばそのように私たちを救ってくれました。贖いを支払って,私たちが罪と死から救出されるようにしてくれた,命の恩人です。私たちは,その貴重な贖いの犠牲に信仰を抱くなら罪が許され,永遠に生きられることを知っているので,安心できます。(ヨハネ第一 1:7; 4:9)第14章で考えたように,贖いにはエホバの愛と公正さがこれ以上ないほどよく表れています。では,私たちはどのように感謝を表せるでしょうか。

      3 私たちを愛情深く救い出してくださった方から何を期待されているかを考えるのは良いことです。エホバが預言者ミカに書かせた言葉に注目しましょう。「神はあなたに,何が善いことかを伝えた。エホバがあなたに求めていることは何か。ただ公正を守り,揺るぎない愛を抱き,慎みを持って神と共に歩むことである」。(ミカ 6:8)エホバが私たちに期待していることの1つは,「公正を守」る,つまり神の公正さに倣うことです。どうすればそうできるでしょうか。

      正しいことを行うよう努力する

      4. エホバは善悪に関する自分の基準に私たちが従うことを期待しています。どうしてそのことが分かりますか。

      4 エホバは善悪に関する基準を定めていて,私たちがそれに従うことを期待しています。エホバの基準は公正なので,その基準に従えば正しいことを行えます。イザヤ 1章17節には,「善を行うことを学び,公正に裁き……なさい」と書かれています。聖書には「正しいことをせよ」という言葉もあります。(ゼパニヤ 2:3)また,次のようにも勧められています。「新しい人格を身に着けましょう。その人格は神の意志に沿って形作られるものであり,本当の正しさ……に基づいています」。(エフェソス 4:24)本当に正しいことを行いたいと思う人は,暴力や汚れや不道徳を避けます。神に従う聖なる人にふさわしくないからです。(詩編 11:5。エフェソス 5:3-5)

      5-6. (ア)エホバの基準に従うことが大変ではないのはどうしてですか。(イ)正しいことを行うには努力を続ける必要があることが,聖書からどのように分かりますか。

      5 エホバの正しい基準に従うことは大変でしょうか。そんなことはありません。エホバとの絆がある人は,エホバが求めている事柄にいら立ったりしません。エホバの全てを愛しているので,エホバに喜ばれる生き方をしたいと思います。(ヨハネ第一 5:3)エホバは「正しい行いを愛する」方です。(詩編 11:7)神の公正さに倣うには,エホバが愛するものを愛し,エホバが憎むものを憎まなければなりません。(詩編 97:10)

      6 不完全な人間にとって,正しいことを行うのは簡単ではありません。私たちは古い人格と罪深い習慣を脱ぎ捨て,新しい人格を身に着けなければなりません。聖書によると,新しい人格は正確な知識によって「新しくされていきます」。(コロサイ 3:9,10)「新しくされてい[く]」という表現から分かるように,新しい人格を身に着けるには努力を続ける必要があります。正しいことを行おうと頑張っても,私たちは罪深いので,良くないことを考えたり,言ったり,行ったりしてしまうことがあります。(ローマ 7:14-20。ヤコブ 3:2)

      7. 正しいことを行おうと努力しているのに失敗してしまった場合,どう考えたらいいですか。

      7 正しいことを行おうと努力しているのに失敗してしまった場合,どう考えたらいいでしょうか。もちろん,罪を犯したことを軽く見るべきではありません。でも同時に,自分にはエホバに仕える資格がないと考えて,諦めてしまってはいけません。憐れみ深い神は,誠実に悔い改める人を許してくれます。使徒ヨハネの心強い言葉に注目しましょう。ヨハネはまず,「皆さんが罪を犯さないように,私はこれらのことを書いています」と言ってから,こう続けています。「とはいえ,もし誰かが[受け継いだ不完全さのせいで]罪を犯したとしても,私たちを助けてくださる方が父のもとにいます。……イエス・キリストです」。(ヨハネ第一 2:1)エホバがイエスの贖いの犠牲を与えてくださったおかげで,罪深い私たちでもエホバに受け入れてもらえます。そのことを考えると,エホバに喜んでいただけるようにベストを尽くしたいと思うのではないでしょうか。

      良い知らせと神の公正

      8-9. 良い知らせを伝える活動には,どのようにエホバの公正さが表れていますか。

      8 私たちは,神の王国の良い知らせを一生懸命伝えることによって,神の公正さに倣えます。良い知らせを伝える活動には,どのようにエホバの公正さが表れているでしょうか。

      9 エホバはこの邪悪な世界を終わらせる前に,まず人々に警告します。イエスは,終わりの時代に起きる事柄について預言した時,「全ての国の人々の間で,良い知らせがまず伝えられなければなりません」と言いました。(マルコ 13:10。マタイ 24:3)「まず」という言葉からも分かるように,世界中で良い知らせが伝えられた後に幾つかのことが起きます。それには予告されている大患難も含まれていて,その時に悪い人々は滅び,公正な新しい世界が始まることになります。(マタイ 24:14,21,22)エホバが悪い人々を滅ぼすのは不公正だ,と非難することは誰にもできません。エホバはそういう人たちに警告することにより,滅ぼされずに済むよう生き方を変える機会を十分に与えているからです。(ヨナ 3:1-10)

      10-11. 良い知らせを伝えると神の公正さに倣っていることになるのはどうしてですか。

      10 私たちが良い知らせを伝える時,どのように神の公正さに倣っていることになるでしょうか。まず,他の人が救われるように力を尽くすのは正しいことです。沈みかけの船から救助されるという例えを思い起こしてみましょう。無事に救命ボートに乗れたら,まだ水の中にいる人たちを助けたいと思うに違いありません。同じように,まだこの邪悪な世界という“水”の中でもがいている人たちを,私たちは助ける必要があります。良い知らせを聞こうとしない人が多いのは確かですが,エホバが辛抱し続けている限り,その人たちが救われるように「悔い改める」機会を与える責任が私たちにはあります。(ペテロ第二 3:9)

      11 会う人全てに良い知らせを公平に伝えることによっても,神の公正さに倣えます。神は「不公平ではない」ので,「神を畏れて正しいことを行う人はどの国の人でも神に受け入れられ」ます。(使徒 10:34,35)神に倣う人は,偏見を持ったり人を差別したりしません。人種や社会的地位や経済力などに関係なく,全ての人に良い知らせを伝えます。そのようにして,良い知らせを聞いて神に従う機会を与えるのです。(ローマ 10:11-13)

      人との接し方

      12-13. (ア)すぐに人を批判すべきでないのはどうしてですか。(イ)「裁くのをやめなさい」,「断罪するのをやめなさい」というイエスの言葉にはどんな意味がありますか。(脚注も参照。)

      12 エホバが私たちに接してくれるように人に接することによっても,神の公正さに倣えます。私たちはつい,人の間違いを非難したり,動機を疑ったりしてしまいがちです。しかし,エホバに動機を疑われたり,間違いを容赦なく非難されたりしたいとは思わないはずです。エホバはそんなことはしません。詩編作者はこう書いています。「ヤハよ,もしあなたが過ちに注目するなら,エホバよ,誰が立っていられるでしょうか」。(詩編 130:3)ありがたいことに,公正で憐れみ深い神は,私たちの過ちや欠点に注目し続けたりはしません。(詩編 103:8-10)では,私たちは人にどう接するべきでしょうか。

      13 神の公正が憐れみ深いものであることを意識しているなら,自分とあまり関係のないことや大して重要ではないことについて,すぐに人を批判したりはしないでしょう。イエスは山上の垂訓の中で,「裁くのをやめなさい。裁かれないためです」と警告しました。(マタイ 7:1)ルカによると,イエスはさらにこう言いました。「断罪するのをやめなさい。そうすれば決して断罪されません」。a (ルカ 6:37)不完全な人間は批判的になりがちだということを,イエスは知っていました。それで,話を聞いていた人たちに,人を厳しい目で見るのをやめるようにと言ったのです。

      姉妹が女の子と体の不自由な年配の男性に伝道している。

      良い知らせをあらゆる人に公平に伝えることによって,神の公正さに倣える

      14. 人を「裁くのをやめ」るべきなのはどうしてですか。

      14 人を「裁くのをやめ」るべきなのはなぜでしょうか。1つの理由として,そもそも私たちには人を裁く権限がありません。イエスの弟子ヤコブは,「法を定める方,裁く方はただひとり」,エホバだけだと述べてから,「隣人を批判するあなたは,いったい何者なのですか」と問い掛けています。(ヤコブ 4:12。ローマ 14:1-4)別の理由として,罪深い私たちは不公平に裁いてしまいがちです。偏見,傷ついた自尊心,嫉妬,傲慢さなどのために,人に対する見方がゆがんでしまうことがあります。さらに,人の心の中を見ることはできませんし,人の状況を全部知っているわけでもありません。そういう限界があることを考えると,すぐに人を批判しようとは思わないはずです。仲間のクリスチャンの言動を悪く解釈したり,神に十分に奉仕していないと非難したりすべきではありません。兄弟姉妹の失敗や欠点に注目するのではなく,エホバに倣って良いところを見るようにする方が,ずっといいのではないでしょうか。

      15. 神を崇拝する人は,どんなことを言ったりしたりしてはなりませんか。どうしてですか。

      15 家族にはどう接するべきでしょうか。残念なことに今の世の中では,心が休まる場所であるはずの家庭で,家族が非難し合っていることが少なくありません。それが暴言,暴力,虐待に発展することもあります。しかし,神を崇拝する人は,悪意のある言葉や痛烈な皮肉を言ったり,暴力を振るったりしてはなりません。(エフェソス 4:29,31; 5:33; 6:4)「裁くのをやめなさい」,「断罪するのをやめなさい」というイエスの助言は,もちろん家族にも当てはまります。そして,神の公正さに倣うには,エホバが私たちに接してくれるように人に接する必要があります。エホバは私たちに厳しかったり冷たかったりすることは決してなく,「優しい愛情にあふれ」ています。(ヤコブ 5:11)その素晴らしい手本に倣いましょう。

      「公正のために」仕える長老たち

      16-17. (ア)エホバは長老たちにどうしてほしいと思っていますか。(イ)罪を犯した人が心から悔い改めていないなら,何をしなければなりませんか。どうしてですか。

      16 私たち皆が神の公正さに倣う必要がありますが,特にクリスチャン会衆の長老たちにはそうする責任があります。「高官たち」つまり長老たちについて,イザヤはこう預言しました。「1人の王が正義のために統治する。高官たちが公正のために治める」。(イザヤ 32:1)エホバは長老たちに,公正のために仕えてほしいと思っています。では,長老たちはどうすればそうできるでしょうか。

      17 長老たちは,神の公正の基準を守るために会衆は清くなければならないということをよく理解しています。誰かが重大な罪を犯したときには,その問題を扱わなければなりません。そういう場合にも,公正な神は可能な限り憐れみを示したいと思っているということを忘れないようにします。ですから,悔い改めている人を見捨てるようなことはしません。でも,罪を犯した人が心から悔い改めていないならどうでしょうか。エホバの完全な公正に基づいて,聖書には「皆さんの中から悪い人を除きなさい」とはっきり指示されています。つまり,その人を会衆から追放するということです。(コリント第一 5:11-13。ヨハネ第二 9-11)長老たちは,そうしなければならないことを残念に思いますが,会衆の清さやエホバとの関係を守るために必要だと分かっているので,断固とした行動を取ります。それでも,罪を犯した人がいつか本心に立ち返って会衆に戻ってくることを望んでいます。(ルカ 15:17,18)

      18. 長老たちは,聖書に基づく助言を与える時,どんなことを意識しますか。

      18 公正のために仕えることには,必要なときに聖書に基づく助言を与えることも含まれます。もちろん,長老たちはあら探しをしたりはしませんし,事あるごとに人を正そうともしません。とはいえ,仲間のクリスチャンが「気付かず」に「道を踏み外し」てしまうことがあります。そういうとき,長老たちは公正な神に倣い,決して冷酷になったりせず,「その人を優しく正すことに努め」ます。(ガラテア 6:1)叱りつけたり,きついことを言ったりはしません。良くない行いをしたためにどうなるかを率直に伝えて戒めなければならないときにも,その過ちを犯した仲間がエホバの羊であることを忘れません。b (ルカ 15:7)愛情を込めて助言や戒めを与えるなら,受けた人は自分の行いを正そうという気持ちになりやすいでしょう。

      19. 長老たちはどんな判断や決定をすることがありますか。何に基づいて決めますか。

      19 長老たちは,会衆に大きな影響がある判断や決定をすることもあります。例えば,定期的に会合を持って,会衆内の兄弟たちを長老や援助奉仕者に推薦できるかどうか検討します。そういう時にも,公平であることの大切さを意識します。個人的な好みなどで決めようとするのではなく,聖書に書かれている指針に基づいて考えます。そのようにして,「偏見を抱いたり不公平になったりする」ことがないようにします。(テモテ第一 5:21)

      20-21. (ア)長老たちは何をするように努めますか。どうしてですか。(イ)「気落ちしている人」を助けるために,長老はどんなことができますか。

      20 長老たちが神の公正さに倣うべき分野はほかにもあります。イザヤは長老たちが「公正のために」仕えることを予告した後,こう述べています。「彼らはおのおの,風から逃れるための場所,暴風雨から避難するための場所,水のない土地に流れる水,乾き切った土地にある大岩の陰のようになる」。(イザヤ 32:1,2)それで長老たちは,仲間のクリスチャンを慰め,爽やかにするように努めます。

      21 今の世の中には落胆させるような問題がたくさんあるので,多くの人が元気づけてもらいたいと思っています。長老の皆さんは,「気落ちしている人」を助けるために何ができるでしょうか。(テサロニケ第一 5:14)感情移入し,話をよく聞いてください。(ヤコブ 1:19)その人は信頼できる人に心配事を打ち明けたいのかもしれません。(格言 12:25)その人がエホバからも兄弟姉妹からも必要とされ,大事に思われ,愛されていることを確信できるようにしてください。(ペテロ第一 1:22; 5:6,7)その人のために一緒に祈りましょう。自分のために長老が心から祈ってくれるのを聞くと,心温まる気持ちになるものです。(ヤコブ 5:14,15)気落ちしている人たちを愛情深く助けようとする長老たちの努力を,公正な神が見過ごすことは決してありません。

      気落ちしている人を元気づける長老たちは,エホバの公正さに倣っている

      22. どうすればエホバの公正さに倣えますか。そのように努力するとどうなりますか。

      22 神の公正さに倣うなら,エホバとの絆が強まります。エホバの正しい基準に従い,命を救う良い知らせを伝え,人の失敗や欠点に注目するのではなく良いところを見るようにするなら,神の公正さに倣っていることになります。長老たちは,会衆の清さを守り,聖書に基づいて励みになる助言を与え,公平な判断や決定をし,気落ちしている人たちを元気づけることによって,神の公正さに倣えます。エホバは,自分の民が「公正を守り」,神と共に歩もうとベストを尽くしているのを天から見て,とても喜んでいるに違いありません。

      a 「裁いてはなりません」,「断罪してはなりません」と訳している聖書もあります。それだと,裁いたり断罪したりし始めてはならない,というニュアンスになります。しかし,聖書筆者たちは原語で,否定命令を現在進行形で書いています。ですから,現在行っていることをやめなければならないという意味になります。

      b テモテ第二 4章2節によると,長老たちは兄弟姉妹を「戒め,忠告し,励まし」ます。「励まし」と訳されているギリシャ語は「パラカレオー」で,関連のある「パラクレートス」という言葉は弁護人を指すことがあります。ですから,長老たちは誰かを戒める場合にも,その人に寄り添い,再びエホバとの強い絆を持てるように助けなければなりません。

      じっくり考えたいこと

      • 申命記 1:16,17 エホバはイスラエルの裁判人たちにどんなことを求めていましたか。そのことから長老たちは何を学べますか。

      • エレミヤ 22:13-17 エホバはどんな不公正な行いをとがめていますか。エホバの公正さに倣うために大事なことは何ですか。

      • マタイ 7:2-5 仲間のクリスチャンのあら探しをすべきでないのはどうしてですか。

      • ヤコブ 2:1-9 えこひいきをすることについて,エホバはどう思っていますか。私たちはこの聖句の助言をどのように当てはめられますか。

  • 「神の知恵……は何と深いのでしょう」
    エホバに近づきなさい
    • ガチョウの群れが飛んでいる。

      第17章

      「神の知恵……は何と深いのでしょう」

      1-2. エホバは7日目に地球がどうなることを意図していましたか。7日目の初めにエホバの知恵が試されることになったのはどうしてですか。

      エホバは,創造の6日目の最後に人間を創造した後,自分が「造った全てのもの」を見て「非常に良[い]」と感じました。(創世記 1:31)ところが,7日目の初めに,アダムとエバがサタンに従って反逆します。地球上でのエホバの最高傑作ともいうべき人間が,罪を犯し,不完全になり,死ぬことになってしまったのです。何と残念なことでしょう。

      2 7日目は,その前の6日間と同じく,非常に長い期間に及ぶことになっていて,エホバはその日を神聖なものとしました。7日目の終わりまでに,地球全体がパラダイスになり,完全な人間が世界中で幸せに暮らすようになるはずでした。(創世記 1:28; 2:3)しかし,反逆という悲惨な出来事が起きてしまったので,神の意図通りにはならないように思えたかもしれません。そのようなわけで,エホバの知恵がこれ以上ないほど試されることになりました。

      3-4. (ア)エデンでの反逆への対応に,エホバの素晴らしい知恵がどのように表れていますか。(イ)エホバの知恵について学ぶ時,どんなことを心に留めたいと思いますか。

      3 エホバはすぐに対応しました。エデンで反逆した者たちに刑を宣告すると同時に,彼らが引き起こした問題を将来全て解決することを明らかにしました。(創世記 3:15)何千年も先まで見通し,やがて反逆によるダメージが永遠になくなるようにしたのです。エホバの解決策はシンプルながらも奥深いので,生涯にわたって聖書を読み,じっくり学んで考える価値があります。エホバの意図通りに,全ての悪と罪と死はなくなり,忠実な人たちは完全な人間になります。こうしたことは皆,7日目が終わる前に起きるので,反逆が起きたとはいえ,地球や人間に関するエホバの目的が当初の予定通り実現することになります。

      4 そのようなエホバの知恵について考えると,畏敬の気持ちでいっぱいになります。使徒パウロは感動し,「神の知恵……は何と深いのでしょう」と書きました。(ローマ 11:33)これから神の知恵のいろいろな面を取り上げますが,私たちはいくら学んでも,神の膨大な知恵のほんの一部しか理解できません。そのことを謙遜に心に留めましょう。(ヨブ 26:14)ではまず,神の知恵がどういうものかを考えましょう。

      神の知恵はどういうものか

      5-6. 知識と知恵にはどんな関連がありますか。エホバはどれほどの知識を持っていますか。

      5 知恵があることと知識があることは,同じではありません。コンピューターは大量の知識を蓄えることができますが,だからといってコンピューターに知恵があるとは言えません。とはいえ,知識と知恵には関連があります。(格言 10:14)例えば,深刻な病気を治療するためのアドバイスが必要なとき,医学の知識がない人に相談したりはしないでしょう。ですから,正確な知識があって初めて,本当に知恵があることになります。

      6 エホバは限りない知識を持っています。「永遠の王」として,果てしない過去から存在しています。(啓示 15:3)その計り知れない期間,あらゆる物事を見てきました。聖書にはこう書かれています。「神の目を逃れられる創造物は一つもなく,全てのものは神から見て裸で,さらけ出されており,私たちはこの方に責任を問われることになります」。(ヘブライ 4:13。格言 15:3)創造者であるエホバは,自分が造ったものを完全に理解していて,人間の行動全てを最初から見守ってきました。一人一人の心の中も全部見て知っています。(歴代第一 28:9)いろいろなことを自由に決められるように人間を造ったので,私たちが賢明な判断や決定をしているのを見ると喜びます。また,「祈りを聞く方」として,無数の祈りに同時に耳を傾けています。(詩編 65:2)そして,完全な記憶力を持っています。

      7-8. エホバが理解力や識別力を持っていることはどうして分かりますか。エホバの知恵はどういうものですか。

      7 エホバは知識を持っているだけではありません。幾つもの事実がどう関連しているかを把握し,常に全体像を見ています。物事を評価し,何が善くて何が悪いか,何が重要で何が重要でないかを判断します。さらに,人のうわべだけでなく,心の奥深くまで見ます。(サムエル第一 16:7)ですからエホバは,知識に勝る理解力や識別力も持っています。しかし,知恵はそれよりもさらに優れています。

      8 知恵とは,理解力や識別力を働かせつつ知識を活用することです。聖書の中で「知恵」と訳されている原語の幾つかは,直訳すると「適切な働き」とか「役立つ知恵」という意味があります。ですから,エホバの知恵は単なる理論的なものではなく実用的で,必ず良い結果につながります。エホバは常に,広い知識と深い理解に基づいて最善の決定をし,決めたことを最も良い方法で実行します。それこそが本当の知恵です。イエスが語った通り「知恵は行動によって明らかになります」が,エホバの場合もまさにそうです。(マタイ 11:19)エホバが行ってきたこと全てに,素晴らしい知恵が表れています。

      神の知恵の証拠

      9-10. (ア)エホバはどのような知恵を持っていますか。それはどんなものに見られますか。(イ)細胞にはエホバの知恵がどのように表れていますか。

      9 あなたは,職人が作った美しくて機能的な物を見て,すごいと思ったことがありますか。作品には素晴らしい知恵が表れています。(出エジプト記 31:1-3)そのように物を作る知恵はもともとエホバから与えられたものであり,エホバ自身が誰よりもそうした知恵を持っています。ダビデ王はエホバについてこう言いました。「私はあなたを賛美します。私は,驚くほどに素晴らしく造られているからです。あなたが行ったことの素晴らしさを,私はよく知っています」。(詩編 139:14)人体について知れば知るほど,エホバの知恵への畏敬の気持ちが深まります。

      10 1つの例を考えましょう。あなたは最初,1個の細胞でした。お母さんの卵子がお父さんの精子によって受精し,その細胞はすぐに分裂し始めました。その後成長したあなたの体は,推定100兆個の細胞でできています。各細胞はとても小さく,平均的なサイズの細胞を1万個集めても針の頭ほどの大きさにしかなりません。しかし,一つ一つの構造は非常に複雑で,人間が造ったどんな機械や工場よりもはるかに入り組んでいます。科学者たちによれば,細胞は壁に囲まれた都市のようで,通行が制御された出入り口や,輸送システム,通信ネットワーク,エネルギー供給工場,生産工場,廃棄物処理・再生設備,防衛機構があります。真ん中には中央政府のようなものまであります。さらに,細胞はわずか数時間で自らのコピーを作り出すことができます。

      11-12. (ア)発育中の胎芽の細胞が分化するのはどうしてですか。そのことが詩編 139編16節でどのように表現されていますか。(イ)脳はどのように「素晴らしく造られて」いますか。

      11 もちろん,全ての細胞が同じなのではありません。胎芽の細胞は分裂していくにつれて,異なる機能を持ついろいろな細胞へと変化します。神経細胞になるものもあれば,骨,筋肉,血液,目などの細胞になるものもあります。そうした分化は,細胞の遺伝情報が収められた“図書館”とも言えるDNAの中にプログラムされています。聖なる力に導かれたダビデは,そのことについてエホバにこう言いました。「あなたの目は胎児の私を見ました。私のあらゆる部分があなたの書に書かれました」。(詩編 139:16)

      12 体の器官の中には,非常に複雑なものもあります。一例として,人間の脳について考えてみましょう。脳は,これまでに宇宙で発見された物の中で最も複雑だと言う人もいます。脳には約1000億の神経細胞があり,その数は銀河系内の星の数に匹敵します。それぞれの神経細胞は,他の何千もの神経細胞とつながっています。科学者たちによれば,人間の脳は世界中の全ての図書館にある情報を収めることができ,計り知れないほどの記憶容量があります。「素晴らしく造られている」脳を長い間研究してきたものの,脳の働きを完全に理解することはできないだろうと考えている科学者たちもいます。

      13-14. (ア)アリや他の生き物が「本能的に賢い」と言えるのはどうしてですか。創造者についてどんなことが分かりますか。(イ)クモの巣にはどのようにエホバの知恵が表れていますか。

      13 人間だけでなく,地球上のあらゆる創造物にエホバの知恵が表れています。詩編 104編24節にはこうあります。「エホバ,あなたの偉業は何と多いのだろう。あなたは知恵によって全てを造った。地球はあなたが造ったもので満ちている」。例えばアリは,「本能的に賢い」生き物です。(格言 30:24)アリのコロニーは見事に組織されています。コロニーでアブラムシを家畜のように世話して守り,滋養分を得ているアリもいれば,いわば農場を作って菌類を栽培するアリもいます。ほかにも,本能によって驚くようなことを行える生物がたくさんいます。ごく普通のハエは,人間の最新の航空機もまねできないような曲芸飛行を簡単にやってのけます。渡り鳥は,星の位置や地球の磁場の向きや体内地図を頼りに進路を定めます。生物学者たちは,そうした生物にプログラムされている素晴らしい習性や能力を研究するために長い年月を費やしています。そのことから,プログラマーである神の知恵がいかに優れているかがよく分かります。

      14 科学者たちは,創造物に見られるエホバの知恵から多くのことを学んできました。生物の構造や機能などを模倣しようとする,バイオミメティックスという技術分野もあります。例えば,技術者たちはクモの巣の造りに感心しています。クモの糸は細くて弱そうに見えますが,同じ太さの鋼鉄より強く,防弾チョッキの繊維より丈夫なものもあります。クモの巣を漁網のサイズにまで拡大したとすると,その巣で飛んでいる旅客機を捕らえられるほどです。確かにエホバはこうしたもの全てを「知恵によって」造りました。

      創造物に表れているエホバの知恵。1. クモの巣。2. 切り取った葉を運んでいるアリの行列。3. 飛んでいるガチョウの群れ。

      「本能的に賢い」生き物をプログラムしたのは誰か

      地球以外にも見られる知恵

      15-16. (ア)無数の星にはどのようにエホバの知恵が表れていますか。(イ)エホバが膨大な数の天使たちを指揮していることから,優れた知恵を持っていることがどうして分かりますか。

      15 エホバの知恵は,地球だけでなく全宇宙に見られます。第5章で少し取り上げた星は,宇宙空間に無秩序に散らばっているわけではありません。エホバの知恵が表れている「天体を統御する法則」のおかげで,星は見事に組織されて銀河を形成し,銀河が集まって銀河団になり,銀河団が集まって超銀河団になっています。(ヨブ 38:33)エホバが無数の天体を「軍勢」と呼んでいるのもうなずけます。(イザヤ 40:26)さらに,エホバの知恵が一層よく表れている軍勢がほかにもあります。

      16 第4章で取り上げたように,神は幾億という天使の大軍の最高司令官なので,「大軍を率いるエホバ」という称号で呼ばれています。このことから,エホバに大きな力があることだけでなく,素晴らしい知恵があることも分かります。どうしてでしょうか。エホバとイエスはいつも忙しく働いています。(ヨハネ 5:17)ですから,至高者に仕える天使たちも常に忙しく働いていることでしょう。そして,天使は人間よりもはるかに賢く,力があります。(ヘブライ 1:7; 2:7)そのような天使たちに,エホバは計り知れないほど長い間ずっと,やりがいのある仕事を与えてきました。天使たちが「神の言葉を実行し,……神が望むことを行う」ことから喜びを感じられるようにしてきたのです。(詩編 103:20,21)そう考えると,管理者であるエホバの知恵がどれほど優れているかが分かります。

      エホバは「ただひとり知恵のある」方

      17-18. エホバはどういう意味で「ただひとり知恵のある」方ですか。エホバの知恵について考えると,畏敬の気持ちでいっぱいになるのはどうしてですか。

      17 こうした証拠からして,エホバが最高の知恵を持っていることに疑問の余地はありません。聖書によれば,エホバは「ただひとり知恵のある」方です。(ローマ 16:27)つまり,エホバだけが完全な知恵を持っています。本当の知恵は全て,エホバから与えられるものです。(格言 2:6)それでイエスは,エホバに次いで賢い方であるにもかかわらず,自分の知恵に頼るのではなく,父エホバから教えられた通りに話しました。(ヨハネ 12:48-50)

      18 誰とも比べものにならないエホバの知恵について,使徒パウロはこう書きました。「ああ,神の祝福は何と豊かで,神の知恵と知識は何と深いのでしょう。神の裁きを知り抜くことも,神の道を知り尽くすことも決してできません」。(ローマ 11:33)「ああ」という感嘆の言葉から,パウロの深い畏敬の気持ちが伝わってきます。パウロが選んだ「深い」という意味のギリシャ語は,「底知れぬ深み」と訳されている言葉と関連があります。それで,神の知恵の深さをよくイメージできます。エホバの知恵は,あたかも底なしの谷のように深くて広大です。私たちには,その全体を把握することなど到底できません。(詩編 92:5)圧倒されるようなスケールの大きさです。

      19-20. (ア)ワシが神の知恵の象徴にふさわしいのはどうしてですか。(イ)エホバが将来を見通すことができるという,どんな証拠がありますか。

      19 エホバが「ただひとり知恵のある」方だと言える別の理由は,エホバだけが将来に何が起きるかを知ることができるからです。遠目が利くワシが,神の知恵の象徴であることを思い起こしてください。イヌワシは体重が5㌔ほどですが,人間の大人よりも大きな目を持っています。とても視力がいいので,空高く飛びながら1㌔以上先にいる小さな獲物を見つけることができます。エホバはワシについて,「目ではるか遠くまで見通す」と言いました。(ヨブ 39:29)エホバも,はるか遠い先の将来まで見通すことができます。

      20 その証拠として,聖書には何百もの預言が書かれています。戦争の結末,世界の強国の出現や滅び,また軍司令官の具体的な戦術までもが,聖書の中で予告されていました。実際に起きる何百年も前に予告されていたものもあります。(イザヤ 44:25–45:4。ダニエル 8:2-8,20-22)

      21-22. (ア)あなたが人生で行う決定をエホバが全て予知していると考えるべきでないのはどうしてですか。どんな例えで説明できますか。(イ)エホバの知恵は冷たくて思いやりのないものではないとどうして分かりますか。

      21 では神は,あなたが人生で行う決定を全て予知しているのでしょうか。そうだと主張し,人の運命はあらかじめ決まっていると信じている人たちもいます。しかし,そのような考え方をするなら,エホバの知恵を軽く見ていることになります。エホバは将来を見通す能力をコントロールできない,と言っていることになるからです。例えで考えてみましょう。もしあなたが誰よりも美しい声で歌えるとしても,だからといっていつも歌っていなければならないでしょうか。そんなことはありません。同じように,エホバは将来を予知することができますが,いつもそうするわけではありません。もし私たちの行動を全て予知するなら,私たちが物事を自由に決められなくなってしまうことになりかねないからです。自由意志という貴重な贈り物を与えてくれたエホバは,それを私たちから奪ったりはしません。(申命記 30:19,20)

      22 さらに,人が悪い目に遭うこともあらかじめ決まっているとすれば,エホバの知恵は冷たくて思いやりのかけらもないものだということになります。でも,それは真実から懸け離れています。聖書によると,エホバは「心が賢[い]」方です。(ヨブ 9:4)エホバの心は愛に満ちています。ですからエホバの知恵は,力や公正などと同じように,愛に基づいて表されるものです。(ヨハネ第一 4:8)

      23. エホバの知恵の素晴らしさを考えると,どうしたいと思いますか。

      23 最高の知恵を持つエホバを,私たちは完全に信頼できます。神の知恵は人間の知恵よりはるかに優れているので,聖書は私たちにこう勧めています。「心を尽くしてエホバに頼れ。自分の考えに頼ってはならない。どんな道を行く時にも神のことを考えよ。そうすれば神が真っすぐに進ませてくださる」。(格言 3:5,6)では,エホバの知恵を深く調べて,全知全能の神との絆を強めましょう。

      じっくり考えたいこと

      • ヨブ 28:11-28 神の知恵にはどれほど価値がありますか。そのことをよく考えるとよいのはどうしてですか。

      • 詩編 104:1-25 エホバの知恵は創造物にどのように表れていますか。そのことを考えるとどんな気持ちになりますか。

      • 格言 3:19-26 エホバの知恵についてじっくり考えて,その知恵に沿って生活することは,どのように自分のためになりますか。

      • ダニエル 2:19-28 エホバが「秘密を明らかにされる神」と呼ばれているのはどうしてですか。聖書の預言に表れている神の知恵について考えると,どうしたいと思いますか。

  • 「神の言葉」に表れている知恵
    エホバに近づきなさい
    • 聖書筆者が巻物に言葉を書いている。

      第18章

      「神の言葉」に表れている知恵

      1-2. エホバはどんな“手紙”を私たちに書いてくれましたか。どうしてですか。

      遠くに住む親しい人から手紙をもらったことがありますか。大切な人からの心のこもった手紙は本当にうれしいものです。その人が元気でいることや,どんなことがあったか,これからどうしたいと思っているかなどについて読むと,心が和みます。そのように相手のことが分かると,遠くにいても身近に感じます。

      2 とてもうれしいことに,私たちは愛する神エホバからの“手紙”を受け取っています。それは,神の言葉である聖書です。聖書の中でエホバは,自分がどんな神か,これまで何を行ってきたか,これから何を行おうとしているかなど,たくさんのことを教えてくれています。エホバが聖書を私たちにくれたのは,自分のことを身近に感じてほしいからです。誰よりも知恵がある神は,一番良い方法で情報を伝えてくれました。聖書がどのように書かれたか,どんな内容かを調べると,エホバの素晴らしい知恵が表れていることが分かります。

      神の言葉が書き記されたのはなぜか

      3. エホバはどのように律法をモーセに伝えましたか。

      3 「エホバはどうしてもっと印象的な方法で人間に情報を伝えなかったんだろう。例えば天から語り掛けるとか」と思う人もいるかもしれません。エホバは昔,天使を通して天から人間に話したこともあります。例えば,イスラエルに律法を与えた時です。(ガラテア 3:19)でもイスラエル人は天からの声に圧倒されて恐れを感じ,エホバからそのような方法で聞くのではなく,モーセを通して情報を伝えてもらいたいと言いました。(出エジプト記 20:18-20)そのため,律法の約600もの法令は,口頭で一語一語モーセに伝えられました。

      4. 口伝えでは神の律法を正確に後代に伝えるのは難しい,と言えるのはどうしてですか。

      4 では,もし律法が書き記されなかったとしたら,どうなっていたでしょうか。モーセは,律法の言葉を一字一句記憶し,間違うことなくイスラエル人たちに伝えることができたでしょうか。仮にそうできたとしても,後の世代はどうでしょうか。口伝えに頼るしかなかったとすれば,神の律法を正確に後代に伝えるのは難しかったでしょう。伝言ゲームでも,最後の人が聞く話は,最初の人が聞いた話とはかなり違っているものです。でも神の律法の言葉については,きちんと伝わらないという心配はありませんでした。

      5-6. エホバはモーセにどんな指示を与えましたか。書き記された聖書が素晴らしい贈り物だと言えるのはどうしてですか。

      5 深い知恵を持つエホバは,自分の言葉を文書の形にすることにし,モーセにこう指示しました。「これらの言葉を書き記しなさい。私は,これらの言葉に基づいて,あなたおよびイスラエルと契約を結ぶからである」。(出エジプト記 34:27)こうして,紀元前1513年から聖書が書かれるようになりました。続く1610年の間,エホバは「いろいろな時に,いろいろな方法で」約40人の筆者に「語り」,その人たちが聖書を書きました。(ヘブライ 1:1)そして,献身的な写字生たちが細心の注意を払って正確な写本を作り,聖書に間違いが入り込まないようにしました。(エズラ 7:6。詩編 45:1)

      6 書き記された聖書は,エホバからの素晴らしい贈り物です。とても元気づけられる手紙をもらったら,きっと大切に取っておいて何度も読み返すのではないでしょうか。エホバからの“手紙”もそれと同じです。神の言葉が文書の形になっているおかげで,私たちはそれを繰り返し読み,書かれていることについてじっくり考えることができます。(詩編 1:2)いつでも「聖書から慰めを得られる」のです。(ローマ 15:4)

      神が人間に聖書を書かせたのはなぜか

      7. 人間に聖書を書かせたことにエホバの知恵が表れていると言えるのはどうしてですか。

      7 人間に聖書を書かせたことにも,エホバの知恵が表れています。もしエホバが天使に聖書を書かせていたら,人間の心に響く内容になっていたと思いますか。天使たちは,天にいる自分たちの視点からエホバを描写し,天使として神への熱い思いを表現し,神に仕える忠実な人間たちについて書いたことでしょう。しかし,人間よりはるかに知識や経験や力がある,完全な天使たちの観点で聖書が書かれていたら,私たちはその内容にどこまで共感できたでしょうか。(ヘブライ 2:6,7)

      8. エホバは筆者たちがどのように聖書を書けるようにしましたか。(脚注も参照。)

      8 エホバが人間に書かせた聖書は,「神の聖なる力の導きによって書かれ」ていながら人間味があります。私たちがまさに必要としている本です。(テモテ第二 3:16)エホバは多くの場合,筆者が自分で考えて「喜ばれる言葉」を選び,自分の言葉で「真実を正確に記録」できるようにしたようです。(伝道の書 12:10,11)そのため,聖書にはさまざまな文体が見られます。文章の書き方に,筆者の経歴や個性が表れているのです。a とはいえ,筆者たちは「聖なる力に導かれて,神からの言葉を語」りました。(ペテロ第二 1:21)ですから,聖書はまさしく「神の言葉」だと言えます。(テサロニケ第一 2:13)

      「聖書全体は神の聖なる力の導きによって書かれたもの」

      9-10. 聖書が温かい本で,読む人の心を打つのはどうしてですか。

      9 人間によって書かれたので,聖書はとても温かい本で,読む人の心を打ちます。筆者たちは,私たちと同じように不完全で,いろいろな感情を持ち,試練や圧力に直面しました。エホバの聖なる力に導かれて,自分の悩みや葛藤について書くこともありました。(コリント第二 12:7-10)そういう悩みを経験しない天使には,同じような書き方はできなかったでしょう。

      10 一例として,イスラエルのダビデ王について考えてみましょう。ダビデは幾つかの重大な罪を犯した後,1つの詩の中で自分の心情を吐露し,神に許しを求めました。こう書いています。「私を罪から清めてください。私は自分の違反をよく知っています。私の罪はいつも私の前にあります。私は過ちのある者として生まれ,母は罪のうちに私を身ごもりました。あなたの前から私を追い払わないでください。聖なる力を私から取り去らないでください。神に喜ばれる犠牲は,悔いる気持ち。後悔し,打ちのめされた心を,神よ,あなたは退けません」。(詩編 51:2,3,5,11,17)ダビデの苦悩が感じられるのではないでしょうか。不完全な人間だからこそ,このような気持ちを表現できたと言えます。

      人々について書かれているのはなぜか

      11. 「私たちを教えるために」聖書にはどんなことが書かれていますか。

      11 聖書が読む人の心を打つ別の理由は,実在した人たちの話がたくさん出てくるということです。神に仕えた人たちや仕えなかった人たちがどういう経験をし,どんな喜びや悲しみを味わったかが書かれています。その人たちがどのような決定をし,その結果どうなったかも読むことができます。そうしたことは,「私たちを教えるために」書かれました。(ローマ 15:4)エホバが実話によって教えてくれるので,私たちの心に響きます。幾つかの例を考えてみましょう。

      12. 聖書に書かれている不忠実な人たちの実例を読むことは,どのようにためになりますか。

      12 聖書には,神に忠実ではなかった悪い人たちがどうなったかが書かれています。その人たちの行動から,どんな考え方や態度が神に喜ばれないかがよく分かります。例えば,ユダがどのようにイエスを裏切ったかについて読むと,不忠実がいかに良くないかが強く印象に残ります。(マタイ 26:14-16,46-50; 27:3-10)こうした実例を読むと,悪い考えや行動を避けたいという気持ちが強くなります。

      13. 神に喜ばれる人になるにはどうしたらよいかを理解するのに,聖書はどのように役立ちますか。

      13 聖書には,神に忠実に仕えた人たちもたくさん出てきます。神を深く愛し,神に尽くした人たちについて読むと,神との絆を強めるにはどうしたらよいかを学べます。例えば,信仰の大切さが分かります。聖書は,信仰とは何かを説明し,神に喜ばれるために信仰が欠かせないことを教えています。(ヘブライ 11:1,6)それだけでなく,信仰を行動で表した人たちの例を生き生きと描いています。アブラハムがイサクを捧げようとした時に示した信仰について考えてみてください。(創世記 22章。ヘブライ 11:17-19)そうした例を読むと,信仰とはどういうものかが一層よく理解できるようになります。エホバが,どういう人になってほしいかを言葉で説明するだけでなく,実例によっても教えてくれているのは,まさに深い知恵の表れです。

      14-15. 神殿に来た1人の女性について,聖書にどんなことが書かれていますか。その実話からエホバについてどんなことが分かりますか。

      14 聖書に書かれている実話から,エホバがどんな方かを学べることもよくあります。イエスが神殿で目にした女性について考えてみましょう。イエスは寄付箱の近くに座り,人々がお金を入れる様子を眺めていました。多くの裕福な人たちがやって来て,「余っている中から」寄付をしていました。でもイエスは,1人の貧しいやもめに注目します。そのやもめが寄付したのは,「ごく小額の小さな硬貨2枚」でした。b 持っていた最後のわずかなお金を入れたのです。エホバと全く同じ考え方をするイエスは,こう言いました。「この貧しいやもめは,寄付箱にお金を入れたほかの人たち全てよりたくさん入れました」。エホバから見てその寄付は,ほかの人たちの寄付を全て合わせた額よりも価値があったのです。(マルコ 12:41-44。ルカ 21:1-4。ヨハネ 8:28)

      15 その日神殿に来た人たち全ての中で,このやもめだけが特別に聖書の中で取り上げられていることから,何が分かるでしょうか。エホバが人の善い行動に注目して喜ぶ神だということです。私たちがベストを尽くして捧げたものが他の人と比べて少なくても,喜んでそれを受け入れてくださいます。この心温まる真理が引き立つのは,エホバがやもめの実例を使って教えてくれたおかげです。

      聖書に書かれていないこともある

      16-17. エホバが特定の事柄を聖書に含めないことにしたのも知恵の表れだと言えるのはどうしてですか。

      16 親しい人に手紙を書くとき,何でも全部書けるわけではありません。それで,よく考えて何を書くかを決めることでしょう。同じようにエホバも,どんな人や出来事について聖書に書くかを決めました。そして,必ずしもあらゆることを詳しく説明しているわけではありません。(ヨハネ 21:25)例えば,神の裁きについては,聖書を読んでもよく分からない所があるかもしれません。とはいえ,エホバが特定の事柄を聖書に含めないことにしたのも,知恵の表れです。どういうことでしょうか。

      17 ヘブライ 4章12節にはこう書かれています。「神の言葉は生きていて,力を及ぼし,どんな両刃の剣よりも鋭く,人の外面と内面……を分けるほど深く刺し通して,心の中にある考えや願いを明らかにすることができます」。聖書を読んでどう反応するかで,その人の心の奥にある考えや気持ちが明らかになります。批判的な気持ちで聖書を読む人は,情報が不十分だと感じると,見切りをつけてしまいがちです。エホバが愛情深く,知恵があり,公正な神だとは思えない,と考えることさえあります。

      18-19. (ア)聖書を読んでいてよく分からない所があっても,どうしていれば心が乱されずに済みますか。(イ)神の言葉を理解するには何が必要ですか。このことにエホバの素晴らしい知恵が表れていると言えるのはどうしてですか。

      18 それとは違い,誠実な気持ちでじっくり聖書を学んでいくなら,聖書の中でエホバがどのような方として描かれているか,全体像がはっきり見えてきます。そうすると,読んでいてよく分からない所があっても,心が乱されることはないでしょう。例えで考えてみましょう。ピースが多いジグソーパズルを組み立てるとき,最初のうちは探しているピースが見つからなかったり,ピースがどこにはまるのかが分からなかったりするかもしれません。それでも,ある程度ピースをはめ込んでいくと,全てのピースがどう収まるかが見えてきます。それと同じように,聖書を学んで少しずつ理解が深まっていくと,エホバがどんな方なのかがはっきり見えてきます。読んでいてすぐには意味が分からない部分や,エホバのイメージに合わないと感じる部分があっても,それまでに学んだことに基づいて,エホバがいつでも愛情深く公正な神だと確信することができます。

      19 こうしたことを考えると,神の言葉を読んで理解するには,先入観のない素直な心が必要だと分かります。聖書をそのような本にしたことに,エホバの素晴らしい知恵が表れています。「賢い知識人たち」にしか分からない本を書くことは,頭がいい人間にもできるでしょう。でも,正しい心を持つ人にしか理解できない本を書くことは,深い知恵のある神にしかできません。(マタイ 11:25)

      「役立つ知恵」が収められた本

      20. エホバだけが私たちに一番良い生き方を教えられるのはどうしてですか。聖書には私たちのためになるどんなことが書かれていますか。

      20 エホバは,どうすれば一番良い生き方ができるかを聖書の中で教えてくれています。私たちを造った方なので,人間が何を必要としているかを私たち自身よりよく知っています。人は愛されることや,家族や良い友達と幸せに暮らすことを願うものであり,そのことは聖書が書かれた時から変わっていません。それで聖書には,私たちが良い人生を送るのに「役立つ知恵」がたくさん収められています。(格言 2:7)この本のそれぞれのセクションには,聖書のアドバイスをどのように生かせるかを取り上げている章がありますが,ここでも1つの例を考えてみましょう。

      21-23. 怒りの気持ちを持ち続けないために,どんなアドバイスが役立ちますか。

      21 人のことを許さずに恨むなら,結局は自分を傷つけることになるものです。怒りの感情は重い荷物のようなもので,それを背負ったままでは幸福になれません。ほかのことを考えられなくなり,気分が沈んでしまいます。また,科学者たちによれば,ずっと怒っていると心臓病などの慢性疾患のリスクが高まるようです。そのことが発見されるよりもずっと前に,聖書にはこう書かれていました。「怒るのをやめ,激怒を捨てよ」。(詩編 37:8)どうすればそうできるでしょうか。

      22 深い知恵が表れている聖書のアドバイスに注目しましょう。「洞察力があればすぐに怒ることはない。過ちを見過ごす人は美しい」。(格言 19:11)洞察力とは,表面に表れていないことを見通す能力のことです。洞察力があれば,相手の言動の理由を考えて,その時の状況や気持ちを分かってあげられます。そのようにして相手を思いやるなら,その人に対するネガティブな感情は薄れていくことでしょう。

      23 聖書にはさらに,次のようにも書かれています。「引き続き互いに我慢し,寛大に許し合いましょう」。(コロサイ 3:13)「引き続き互いに我慢し」という表現には,気に障る性格や癖も広い心で受け止めるという意味合いがあります。そのような辛抱強さがあれば,ささいなことで苦々しい気持ちにならずに済みます。「許[す]」というのは,怒りの気持ちを捨てるということです。深い知恵を持つ神が勧めている通り,相手を許せる十分の理由があるなら許すのが最善です。そうすることは相手のためになるだけでなく,自分自身が心穏やかでいるのに役立つからです。(ルカ 17:3,4)聖書は本当に知恵の宝庫です。

      24. 神の深い知恵が表れている教えに従って生活すると,どうなりますか。

      24 エホバが私たちに情報を伝えたいと思ったのは,私たちのことを深く愛しているからです。それで,“手紙”という最高の方法で伝えてくれました。聖なる力によって人間の筆者を導き,聖書を書かせたのです。ですから,聖書に収められているのはエホバ自身の知恵で,「とても信頼できる」ものです。(詩編 93:5)その深い知恵が表れている教えに従って生活し,その知恵を他の人にも伝えるなら,全知全能の神との絆が強まっていきます。次の章では,先を見通すエホバの知恵についてさらに取り上げます。エホバが将来起きることを予告し,自分の目的を果たす神だということを考えましょう。

      a 例えばダビデは,羊飼いだった時に経験したことを例えにして書きました。(詩編 23編)徴税人だったマタイは,数やお金について何度も具体的に書いています。(マタイ 17:27; 26:15; 27:3)ルカが使った言葉には,医者としての経歴が表れています。(ルカ 4:38; 14:2; 16:20)

      b その硬貨は,当時のユダヤ人が使っていた硬貨の中で最小額のレプタでした。2レプタは,1日の賃金の64分の1に相当しました。2レプタでは,食用の鳥として最も安かったスズメを1羽買うこともできませんでした。

      じっくり考えたいこと

      • 格言 2:1-6 聖書の中にある知恵を身に付けるには,どんな努力が必要ですか。

      • 格言 2:10-22 聖書のアドバイスに従って生きることは,どのように私たちのためになりますか。

      • ローマ 7:15-25 人間に聖書を書かせたことが神の知恵の表れであることが,この聖句からどのように分かりますか。

      • コリント第一 10:6-12 聖書に書かれているイスラエル人の悪い例から,どんなことを学べますか。

  • 「神聖な秘密の中の神の知恵」
    エホバに近づきなさい
    • アブラハムが満天の星を見上げている。

      第19章

      「神聖な秘密の中の神の知恵」

      1-2. 私たちは聖書に書かれているどんな秘密に心を引かれますか。どうしてですか。

      秘密は人の興味をそそり,人を悩ませることもあります。秘密を守るのは簡単ではありません。しかし聖書によれば,「神の栄光は物事を秘密にしておくこと」です。(格言 25:2)創造者であり主権者であるエホバには,物事を人間に秘密にしておく権利があります。そして,自分が決めた時に秘密を明かします。

      2 エホバは聖書の中で,私たちの心を引く1つの秘密を明かしています。それは「[神]の意志についての神聖な秘密」と呼ばれています。(エフェソス 1:9)その秘密について学ぶと,単に好奇心が満たされるだけでなく,どうすれば罪と死から救われるかが分かります。エホバの計り知れない知恵がいかに素晴らしいかを感じることもできます。

      秘密が徐々に明らかにされる

      3-4. 創世記 3章15節の預言が希望を与えるものだったのはどうしてですか。どんな点は謎でしたか。

      3 エホバが地球と人間を造った時に望んでいたのは,パラダイスで完全な人間が幸せに暮らすことでした。しかし,アダムとエバが罪を犯したせいで,そのエホバの目的はくじかれてしまったかのようでした。でも神はすぐに手を打ち,こう言いました。「私は,あなた[蛇]と女の間,またあなたの子孫と女の子孫の間に敵意を置く。彼はあなたの頭を砕き,あなたは彼のかかとに傷を負わせる」。(創世記 3:15)

      4 謎めいた言葉です。蛇,女,蛇の頭を砕く子孫とは,いったい誰のことでしょうか。アダムとエバにはよく分かりませんでした。でも神のこの言葉は,2人の子孫のうち神に従う人たちに希望を与えるものでした。いずれ悪が取り除かれ,エホバの当初の意図通りになることを伝えていたからです。とはいえ,どのようにそうなるかは謎でした。聖書によれば,それは「神聖な秘密の中の神の知恵,隠された知恵」でした。(コリント第一 2:7)

      5. エホバが秘密を少しずつ明かすことにしたのはどうしてですか。

      5 「秘密を明らかにされる神」であるエホバは,この秘密についても人間が理解できるようにしました。(ダニエル 2:28)とはいえ,少しずつ明かすことにしました。愛情深い父親が幼い子供を教えるのに似ています。幼い子供から「赤ちゃんってどこから来るの?」と聞かれたら,賢い父親はその子が理解できる程度のことだけを伝えます。そして子供が大きくなるにつれて,もっと多くのことを教えていきます。同じようにエホバも,一番いいタイミングを見計らって自分の考えを人間に伝えます。(格言 4:18。ダニエル 12:4)

      6. (ア)契約を結ぶことにはどんなメリットがありますか。(イ)エホバが人間と契約を結んだのはどうしてですか。

      6 エホバはどのように自分の考えを伝えていったのでしょうか。一連の契約によって,少しずつ秘密を明かしていきました。あなたも,車などを買ったり,家を借りたりするために,契約を結んだことがあるかもしれません。そうした契約により,同意した内容が守られるということが保証されます。でも,どうしてエホバが人間とわざわざ契約を結ぶのでしょうか。エホバが約束を守ると言えば,それで十分保証になるのではないでしょうか。確かにそうですが,それでもエホバは幾つかの契約を結ぶことにより,自分が必ず約束を果たすことを一層はっきりと示しました。そのようにして,エホバは親切にも,約束通りになることを不完全な人間が確信しやすいようにしてくれました。(ヘブライ 6:16-18)

      アブラハムとの契約

      7-8. (ア)エホバはアブラハムとどんな契約を結びましたか。それにより神聖な秘密についてどんなことが明かされましたか。(イ)エホバは約束の子孫がどの家系に生まれるかを,どのように少しずつ明らかにしましたか。

      7 人間が楽園を追い出されてから2000年以上後に,エホバは忠実なアブラハムにこう言いました。「あなたの子孫を必ず,天の星……のように多くしよう。……あなたの子孫によって地上の全ての国民が祝福を受ける。あなたが私の言ったことに従ったからである」。(創世記 22:17,18)エホバは単に約束をしただけでなく,アブラハムと契約を結び,必ずその通りになると誓うことまでしました。(創世記 17:1,2。ヘブライ 6:13-15)主権者である主が,わざわざ契約を結んでまで人間を祝福したいと思ってくれているのは,本当にうれしいことではないでしょうか。

      「あなたの子孫を必ず,天の星……のように多くしよう」

      8 このアブラハム契約により,創世記 3章15節の「女の子孫」がアブラハムの子孫であることが明かされました。では,それは誰なのでしょうか。やがてエホバは,アブラハムの息子たちのうちイサクの家系にその子孫が生まれることを明らかにしました。そして,イサクの2人の息子のうちヤコブの家系が選ばれました。(創世記 21:12; 28:13,14)後にヤコブは,12人の息子の1人に次の預言を語りました。「王笏はユダから離れず,司令官のつえも足の間から離れない。ついにシロ[意味,「それが属する者」,脚注]が来て,あらゆる民が彼に従う」。(創世記 49:10)こうして,約束の子孫がユダの家系に生まれ,王になることが分かりました。

      イスラエルとの契約

      9-10. (ア)エホバはイスラエル国民とどんな契約を結びましたか。それによって神の民はどのように守られましたか。(イ)人類が贖いを必要としていることが,律法によってどのように明らかになりましたか。

      9 紀元前1513年,エホバは神聖な秘密についてさらに多くのことを明らかにしました。アブラハムの子孫であるイスラエル国民と契約を結ぶことによってです。そのモーセの律法契約は,今ではもう無効になっていますが,エホバの意図通り約束の子孫が生まれるために重要な役割を果たしました。どうしてそう言えるか,3つの点を考えてみましょう。1つ目の点として,律法はいわば壁のように神の民を守りました。(エフェソス 2:14)エホバの正しい法令を守ったユダヤ人は異国人から離れていたので,約束の子孫を生み出す血筋が守られました。そのおかげもあって,イスラエル国民は存続し続け,神が定めた時にユダ族にメシアが生まれることになりました。

      10 2つ目の点として,律法は人類が贖いを必要としていることをはっきり示しました。罪深い人間には,その完全な律法を全て守り通すことはできませんでした。それで律法は,「約束を与えられた子孫が来る時まで」の間,人々の「違犯を明らかに」するものとなりました。(ガラテア 3:19)律法の下では,罪を許してもらうために動物を犠牲として捧げることになっていました。しかし,パウロが書いたように,「雄牛やヤギの血は罪を取り去ることができない」ので,罪を完全に許してもらうには完全な犠牲が必要でした。キリストの贖いの犠牲が必要だったのです。(ヘブライ 10:1-4)律法契約はそのことを忠実なユダヤ人に示し,「キリストに導く保護者」となりました。(ガラテア 3:24)

      11. 律法契約はイスラエル国民にどんな素晴らしい希望を与えましたか。イスラエルは全体としてはどうなりましたか。

      11 3つ目の点として,律法契約はイスラエル国民に素晴らしい希望を与えました。エホバによると,イスラエル国民は契約を守るなら,「祭司たちが治める王国,聖なる国民」になれました。(出エジプト記 19:5,6)その言葉通り,天の王国で治める祭司として最初に選ばれたのはイスラエル人たちでした。しかし,イスラエルは全体としては律法契約に背き,約束のメシアを受け入れなかったので,聖なる国民になることができなくなりました。では,ほかに誰が祭司として選ばれるのでしょうか。その人たちは約束の子孫とどんな関係があるのでしょうか。神聖な秘密のこうした面は,神が定めた時に明らかにされることになっていました。

      ダビデとの王国契約

      12. エホバはダビデとどんな契約を結びましたか。その契約により,神の神聖な秘密についてどんなことが分かりましたか。

      12 紀元前11世紀,エホバはもう1つ契約を結び,神聖な秘密についてさらに明かしました。忠実なダビデ王にこう約束したのです。「私はあなたの子孫……を立て,その人の王国を確立する。……私は彼の王国の王座が永遠に揺るがないようにする」。(サムエル第二 7:12,13。詩編 89:3)これで約束の子孫がダビデの家系に生まれると分かりました。しかし,普通の人間が永遠に治めることなどできるでしょうか。(詩編 89:20,29,34-36)また,人類を罪と死から救えるでしょうか。

      13-14. (ア)詩編 110編の言葉から,エホバが選んだ王についてどんなことが分かりますか。(イ)エホバの預言者たちにより,約束の子孫についてさらにどんなことが明らかにされましたか。

      13 ダビデは聖なる力に導かれてこう書きました。「エホバは私の主に告げた。『私の右に座っていなさい。私があなたの敵たちをあなたの足台として置くまで』。エホバは誓った。考えを変えることはない。『あなたは永遠に祭司。メルキゼデクのような祭司』」。(詩編 110:1,4)ダビデがここで言っていたのは,約束の子孫であるメシアのことでした。(使徒 2:35,36)その王は,エルサレムからではなく,エホバの「右」で天から治めます。イスラエルだけでなく地球全体を治める権威を与えられるのです。(詩編 2:6-8)さらに,エホバはメシアが「メルキゼデクのような祭司」になると誓っています。このことから,アブラハムの時代に王であり祭司でもあったメルキゼデクのように,約束の子孫も神から任命されて王および祭司になることが分かります。(創世記 14:17-20)

      14 その後も預言者たちにより,エホバの神聖な秘密がさらに明かされていきました。例えばイザヤは,約束の子孫が自分の命を犠牲として捧げることを明らかにしました。(イザヤ 53:3-12)ミカは,メシアがどこで生まれるかを予告しました。(ミカ 5:2)ダニエルは,メシアがいつ現れ,いつ死ぬかを具体的に預言しました。(ダニエル 9:24-27)

      神聖な秘密の全貌が明らかになる

      15-16. (ア)エホバの子はどのようにして「女性から生まれ」ましたか。(イ)イエスは人間の両親から何を受け継ぎましたか。いつ約束の子孫として現れましたか。

      15 メシアについてのいろいろな預言がどのように実現するかは,約束の子孫が実際に現れるまでは謎のままでした。ガラテア 4章4節に書かれている通り,「時が満ちると,神はご自分の子を遣わしました。その方は女性から生まれ……ました」。それは紀元前2年のことで,その年に天使がユダヤ人の処女マリアにこう告げました。「あなたは妊娠して男の子を産みます。イエスと名付けなさい。その子は偉大な者となり,至高者の子と呼ばれます。エホバ神は父ダビデの王座を彼に与え[ます。] 聖なる力があなたに働き,至高者の力があなたを覆います。それで,生まれる子は聖なる者,神の子と呼ばれます」。(ルカ 1:31,32,35)

      16 その後,エホバは自分の子の命を天からマリアの胎内に移し,その子が女性から生まれるようにしました。マリアは完全な人間ではありませんでしたが,イエスがマリアから不完全さを受け継ぐことはありませんでした。「神の子」だったからです。また,イエスの人間の両親はどちらもダビデの子孫だったので,イエスにはダビデの王権を受け継ぐ権利がありました。(使徒 13:22,23)西暦29年にイエスがバプテスマを受けた時,エホバはイエスに聖なる力を注いで王および大祭司に任命し,「これは私の愛する子」と言いました。(マタイ 3:16,17)約束の子孫がついに現れたのです。(ガラテア 3:16)神聖な秘密についてさらに多くのことを明らかにする時が来ました。(テモテ第二 1:10)

      17. 創世記 3章15節についてさらにどんなことが分かりましたか。

      17 イエスは地上で伝道した間に,創世記 3章15節に出てくる「蛇」とはサタンのことで,蛇の「子孫」とはサタンに従う人々のことだと教えました。(マタイ 23:33。ヨハネ 8:44)後に,サタンや子孫がどのように砕かれて永久に滅びることになるかも明らかになりました。(啓示 20:1-3,10,15)そして,「女」が神の妻とも言える「上にあるエルサレム」であることも分かりました。それはエホバの組織の天にある部分のことで,天使たちで構成されています。a (ガラテア 4:26。啓示 12:1-6)

      新しい契約

      18. 「新しい契約」は何のために結ばれましたか。

      18 神聖な秘密について最も意外な事実が明らかになったのは,イエスが亡くなる前の晩のことでした。その時イエスは忠実な弟子たちに,「新しい契約」について話しました。(ルカ 22:20)それまでのモーセの律法契約と同じように,この新しい契約も「祭司たちが治める王国」を生み出すためのものでした。(出エジプト記 19:6。ペテロ第一 2:9)しかし,この契約によって生み出されるのは文字通りの国民ではなく,「神のイスラエル」と呼ばれる比喩的な国民です。それは天に行くよう選ばれた忠実なクリスチャンたちのことです。(ガラテア 6:16)新しい契約の当事者であるその人たちは,将来イエスと共に,地上にいる人たちが神から祝福を受けられるようにします。

      19. (ア)不完全な人間が「祭司たちが治める王国」の一員になれるのはどうしてですか。(イ)聖なる力によって選ばれたクリスチャンが「新しい創造物」と呼ばれているのはどうしてですか。どれほどの人たちがイエスと共に天から治めることになりますか。

      19 では,不完全な人間が,やがて人類に祝福をもたらす「祭司たちが治める王国」の一員になれるのはどうしてでしょうか。新しい契約が,キリストの弟子たちを断罪するものではなく,イエスの犠牲に基づいて罪が許されるようにするものだからです。(エレミヤ 31:31-34)弟子たちはエホバから清い者と認められると,聖なる力を注がれ,エホバの天の家族の養子として選ばれます。(ローマ 8:15-17。コリント第二 1:21)そのようにして「新たに誕生」し,「天に取っておかれて」いる財産を得るという「生きた希望を与え」られます。(ペテロ第一 1:3,4)人間にとって全く新しい立場に変わるので,聖なる力によって選ばれたクリスチャンは「新しい創造物」と呼ばれています。(コリント第二 5:17)聖書によると,14万4000人がイエスと共に天から地上の人々を治めることになります。(啓示 5:9,10; 14:1-4)

      20. (ア)西暦36年に,神聖な秘密についてさらにどんなことが明らかにされましたか。(イ)どんな人たちが,アブラハムに約束された祝福を味わうことになりますか。

      20 イエスに加え,聖なる力によって選ばれたクリスチャンも「アブラハムの子孫」ということになります。b (ガラテア 3:29)最初に選ばれたのはユダヤ人のクリスチャンでした。しかし西暦36年に,神聖な秘密についてさらに新しいことが明らかにされました。ユダヤ人ではない人たちにも天に行く希望が与えられるということです。(ローマ 9:6-8; 11:25,26。エフェソス 3:5,6)では,アブラハムに約束された祝福を味わえるのは,聖なる力によって選ばれたクリスチャンだけなのでしょうか。そうではありません。イエスの犠牲は全人類のためのものだからです。(ヨハネ第一 2:2)エホバは後に,数え切れない「大群衆」がサタンの体制の滅びを生き残ることも明らかにしました。(啓示 7:9,14)そして,パラダイスで永遠に生きる見込みがある人たちがさらに大勢生き返らされます。(ルカ 23:43。ヨハネ 5:28,29。啓示 20:11-15; 21:3,4)

      神聖な秘密は神の知恵の証拠

      21-22. 神聖な秘密のどんなところに,エホバの知恵が表れていますか。

      21 神聖な秘密について考えると,「極めて多様な神の知恵」の素晴らしさが分かります。(エフェソス 3:8-10)この秘密の内容をすぐに考え出し,徐々に明らかにしてきたのは,本当に知恵のあることです。エホバは人間が一度に全てを理解できないことを考慮に入れただけでなく,神を信頼して待つ態度を示す機会も与えたのです。(詩編 103:14)

      22 イエスを王として選んだことにも,エホバの知恵がよく表れています。エホバの子であるイエスは,ほかのどんな天使や人間よりも信頼できます。地上で人間として生きていた時,いろいろ大変な経験をしたので,人間が抱える問題をよく分かってくれます。(ヘブライ 5:7-9)イエスと一緒に治める人たちはどうでしょうか。これまで何世紀にもわたって,世界中からさまざまな生い立ちの男女が聖なる力によって選ばれてきました。その人たちはありとあらゆる問題に直面し,それを乗り越えてきました。(エフェソス 4:22-24)そのような人たちが王および祭司となって私たちを思いやり深く助けてくれるのは,本当に心強いことです。

      23. エホバの神聖な秘密について,どんなことに感謝できますか。どうしていきたいと思いますか。

      23 使徒パウロはこう書きました。「神聖な秘密は隠され,過去の体制や過去の世代には知られていませんでした。しかし今や,神の聖なる人たちに啓示されました」。(コロサイ 1:26)確かに,エホバに選ばれた聖なる人たちは神聖な秘密について多くのことを理解し,それを大勢の人に知らせてきました。エホバが私たちに「ご自分の意志についての神聖な秘密を知らせてくださった」ことを考えると,感謝の気持ちでいっぱいになります。(エフェソス 1:9)ぜひともこの秘密を他の人にも知らせ,エホバの偉大な知恵について学べるように助けていきましょう。

      a 「神への専心に関する神聖な秘密」も,イエスによって明らかになりました。(テモテ第一 3:16)エホバへの忠誠を完璧に貫き通せる人がいるのかという点は,長いこと謎のままでしたが,イエスが答えを出しました。サタンからどんな試練を受けても,神への揺るぎない専心を示したのです。(マタイ 4:1-11; 27:26-50)

      b イエスはその人たちと「王国のための契約」も結びました。(ルカ 22:29,30)それは,「小さな群れ」であるその人たちがアブラハムの子孫の副次的な部分としてイエスと共に天で治めるための契約です。(ルカ 12:32)

      じっくり考えたいこと

      • ヨハネ 16:7-12 エホバは真理を少しずつ明らかにしてきました。イエスはそれにどのように見習いましたか。

      • コリント第一 2:6-16 多くの人がエホバの神聖な秘密について理解できないのはどうしてですか。理解するにはどうしたらいいですか。

      • エフェソス 3:10 エホバの神聖な秘密に関して,現代のクリスチャンにはどんな素晴らしい機会がありますか。

      • ヘブライ 11:8-10 古代の人たちは,神聖な秘密について詳しくは分かりませんでしたが,その秘密を知らされたことでどんな影響を受けましたか。

  • 「心が賢く」しかも謙遜
    エホバに近づきなさい
    • 父親が腰を落として幼い息子と目線を合わせ,優しいまなざしを向けている。

      第20章

      「心が賢く」しかも謙遜

      1-3. エホバが謙遜な方だと確信できるのはどうしてですか。

      父親が,小さい子供に大切なことを教えようとしています。何とかして心を動かしたいと思っています。どのように教えたらいいでしょうか。威圧的な態度で子供を見下ろし,きつい言葉で話せばいいでしょうか。それとも,身をかがめて子供と目線を合わせ,温かく語り掛ける方がいいでしょうか。子供のことをよく分かっている謙遜な父親であればきっと,温かい教え方をすることでしょう。

      2 エホバはどんなお父さんでしょうか。私たちを厳しくけなすようなお父さんでしょうか。それとも,優しくて温かいお父さんでしょうか。エホバは全てのことを知っていて,誰よりも知恵のある方です。頭のいい人は,自分は人より上だと思いがちです。聖書にも書かれている通り,「知識は人を思い上がらせます」。(コリント第一 3:19; 8:1)でもエホバは「心が賢く」,しかも謙遜な方です。(ヨブ 9:4)誰よりも高い地位にいるのに,人を見下すようなことは決してありません。どうしてでしょうか。

      3 エホバは聖なる方です。ですから,汚れの原因となる傲慢さが全くありません。(マルコ 7:20-22)預言者エレミヤはエホバにこう言いました。「あなたは必ず思い起こしてくださり,身をかがめて私を助けてくださいます」。a (哀歌 3:20)これはすごいことではないでしょうか。エホバは宇宙を治める主権者でありながら,小さな人間を力づけるためにいわば「身をかがめて」目線を合わせたのです。(詩編 113:7)エホバが本当に謙遜な方だということが分かります。では,神の謙遜さはほかにもどんなことに表れているでしょうか。知恵とはどんな関係があるでしょうか。神が謙遜であることに感謝できるのはどうしてでしょうか。

      エホバの謙遜さはどのように表れているか

      4-5. (ア)謙遜とはどういうことですか。弱いとか気が小さいということではないと言えるのはどうしてですか。(イ)エホバはどのようにダビデを助けましたか。私たちもエホバの謙遜さにどのように助けられていますか。

      4 謙遜とは,自分を低く見ることで,誇ったり人を見下したりしないことです。本当に謙遜な人は,温和で辛抱強く,分別があります。(ガラテア 5:22,23)それは決して,弱いとか気が小さいということではありません。エホバは謙遜ですが,正当な怒りを表し,破壊する力を使うこともあります。実際,謙遜で温和だからこそ,自分自身を完全にコントロールする強さがあるのです。(イザヤ 42:14)では,謙遜さは知恵とどんな関係があるのでしょうか。ある聖書辞典にはこう書かれています。「謙遜とは,突き詰めると……私心がないということであり,全ての知恵の根幹である」。ですから,謙遜でなければ本当に知恵があるとは言えません。では,エホバが謙遜であることはどのように私たちのためになるでしょうか。

      子供のことをよく分かっている謙遜な父親は,子供に温かく接する

      5 ダビデ王はエホバにこう歌いました。「あなたは救いの盾を私に与え,右手で私を支えてくださる。私が優れた者になれるのはあなたが謙遜だから」。(詩編 18:35)エホバはいわば腰を低くして,不完全な人間であるダビデを助け,日々支えました。ダビデは,自分が敵から救われるのも,王として成功できるのも,全てエホバが謙遜に助けてくれるおかげだと分かっていました。私たちも同じです。エホバが謙遜で優しい父親として私たちを大切にしてくれるからこそ,罪と死から救われるという希望を持つことができるのです。

      6-7. (ア)聖書にエホバが慎みのある方だと書かれていないのはどうしてですか。(イ)温和さと知恵にはどんな関係がありますか。温和であることの一番の手本は誰ですか。

      6 謙遜さは慎みとは違います。慎みも,エホバに忠実に仕える人が身に付けるよう勧められているものです。謙遜さと同じように,慎みも知恵と関係があります。格言 11章2節には,「知恵は,慎みのある人たちと共にある」と書かれています。でも,聖書にはエホバが慎みのある方だとは書かれていません。どうしてでしょうか。聖書で言う慎みとは,自分の限界をわきまえていることを指していますが,全能の神には限界がありません。エホバは自分の正しい基準に反しない限り,どんなことでも行えます。(マルコ 10:27。テトス 1:2)それに,至高者なので,誰にも従う必要がありません。ですから,エホバは慎みとは無縁の方なのです。

      7 しかし,エホバは謙遜で温和な方です。自分に仕える人たちに,本当の知恵がある人は温和でもあると教えています。そして聖書の中で,「知恵によって温和に行動」するよう勧めています。b (ヤコブ 3:13)エホバ自身がどのようにそうしてきたかを見てみましょう。

      エホバは謙遜に責任を委ね,耳を傾ける

      8-10. (ア)エホバが他者に仕事を任せたり,意見に耳を傾けたりするのは,どうして素晴らしいことだと思いますか。(イ)全能の神が天使たちとの関係で謙遜さを示したどんな例がありますか。

      8 エホバは謙遜に他者に仕事を任せたり,意見に耳を傾けたりします。誰の助けやアドバイスも必要としないのにそうするのですから,心温まるものを感じます。(イザヤ 40:13,14。ローマ 11:34,35)聖書には,エホバがそのように謙遜さを示した例が幾つも出てきます。

      9 アブラハムが経験したある特別な出来事について考えてみましょう。アブラハムの所に3人の人がやって来ます。そのうちの1人をアブラハムは「エホバ」と呼びました。この3人は実際には天使で,1人はエホバの代理を務めていました。その天使の言動は,エホバの言動と見なすことができました。その天使を通してエホバはアブラハムに,「ソドムとゴモラ……についての苦情の叫び」を聞いたと言い,こう続けます。「私は下っていって確かめます。私に届いた叫び通りのことが起きているかどうかを知りたいのです」。(創世記 18:3,20,21)これは全能の神自身が天から「下って」いくということではありません。エホバは再び代理として天使を遣わすことにしました。(創世記 19:1)全てを見通すエホバなら,自分でその地域の実情を「知[る]」ことができたはずです。しかし,謙遜な方であるエホバは,状況を調査してソドムにいるロトとその家族を訪ねるという仕事を天使たちに任せました。

      10 エホバが他者の意見に耳を傾けることは,どんな例から分かるでしょうか。ある時には,悪いアハブ王を破滅させる方法について天使たちに提案を求めました。天使たちの助けを必要としていたわけではありませんが,1人の天使の提案を採用し,その通りに実行させました。(列王第一 22:19-22)エホバが謙遜な方だということがよく分かります。

      11-12. アブラハムはどんな経験を通してエホバの謙遜さを実感しましたか。

      11 エホバは,不完全な人間が気掛かりなことを話したいと思う時にも喜んで聞いてくれます。アブラハムの例をもう一度考えてみましょう。アブラハムは,エホバがソドムとゴモラを滅ぼそうとしていることを聞いた時,戸惑いました。それでエホバに,邪悪な人と一緒に正しい人も滅ぼすなど「あなたに限ってあり得ないことです」と言い,「地上の人全てを裁く方は,正しいことを行われるのではありませんか」と問い掛けます。そして,もし町に正しい人が50人いたとしても町全体を滅ぼすのかと尋ねます。エホバはそれに答えて,そんなことはしないと言います。でもアブラハムは,正しい人の数を45人,40人,と減らしながら何度も同じことを質問します。そのたびにエホバは正しい人を滅ぼすことはしないと言いますが,アブラハムは10人になるまで質問を繰り返します。エホバがどれほど憐れみ深いかをまだよく理解していなかったのかもしれません。いずれにしても,エホバは辛抱強く謙遜に耳を傾けました。自分の友アブラハムが気掛かりなことを話せるようにしたのです。(創世記 18:23-33)

      12 頭が良くて学識のある人は,自分よりはるかに知性が低い人の話をそれほどまでに辛抱強く聞こうとはなかなか思わないかもしれません。c でも,私たちの謙遜な神は聞いてくれます。アブラハムはエホバと会話して,エホバが「すぐに怒ら」ないということも実感しました。(出エジプト記 34:6)話しながら,自分は至高者が行うことをとやかく言う立場にはないと気付いたのか,「エホバ,どうか,お怒りにならずに聞いてください」と2回懇願しています。(創世記 18:30,32)もちろん,エホバは怒ったりしませんでした。まさに「知恵によって温和に行動」する方です。

      エホバは分別がある

      13. 聖書の中で「分別」と訳されている言葉にはどんな意味合いがありますか。エホバは分別がある方だと言えるのはどうしてですか。

      13 エホバの謙遜さは,分別があることにも表れています。聖書の中で「分別」と訳されている言葉には,「すぐに応じる」とか「譲歩する」という意味合いがあります。不完全な人間は,残念なことにそうした分別を示せない場合が少なくありません。しかしエホバは,天使や人間の言うことに耳を傾けるだけでなく,自分の正しい基準に反しない限り意見を聞き入れます。そのようにできるのも,知恵があるからこそです。ヤコブ 3章17節では,「天からの知恵」の特徴の1つとして「分別」が挙げられています。では,最高の知恵を持つエホバの分別は,どんなことに表れているでしょうか。エホバはとても柔軟な方です。エホバという名前の意味から分かるように,エホバは自分の目的を果たすために必要などんなものにもなることができます。(出エジプト記 3:14)考え方も物事の行い方も柔軟なのです。

      14-15. エゼキエルが見た天の兵車の幻から,エホバの組織の天にある部分についてどんなことが分かりますか。エホバの組織は人間の組織とどう違いますか。

      14 聖書のエゼキエル書を読むと,エホバがどれほど柔軟かをイメージできます。預言者エゼキエルは幻の中で,エホバが乗っている壮大な兵車を見ました。常にエホバの望む通りに動くその乗り物は,エホバの組織の天にある部分を表しています。特に注目したいのは,その動き方です。兵車の巨大な車輪は目で覆われているのであらゆる方向を見ることができ,止まったり向きを変えたりすることなく瞬時に前後左右に動くことができます。そのような車輪を持つこの兵車は,稲妻のような速さで移動し,直角に曲がることさえできるのです。(エゼキエル 1:1,14-28)このことから分かるように,エホバの組織は驚くほど柔軟で,どんな状況にも対応し,あらゆるニーズに応えることができます。組織を導いている全能の神自身が柔軟な方だからです。

      15 人間にはそのような柔軟さはありません。人間の組織は融通が利かないことがよくあります。乗り物に例えて考えてみましょう。超大型タンカーや貨物列車はとても大きくてパワーがありますが,急に方向を変えることはできません。貨物列車は,前方に障害物が現れても,もちろん進路は変えられません。急ブレーキをかけても,停車するまでに2㌔ほど走ってしまうことがあります。超大型タンカーも,エンジンを停止させてから惰性で8㌔ほど進んでしまいます。プロペラを逆転させても3㌔は進みます。同じように,人間の組織も急に方針を変えたりすることはなかなかできません。誇りの気持ちが邪魔をして,変化する状況やニーズに対応できず,会社が倒産したり政府が倒れたりする場合があります。(格言 16:18)エホバもエホバの組織もそれとは全く違って柔軟なのは,私たちにとって本当にうれしいことです。

      エホバはどのように分別を示してきたか

      16. エホバは,ソドムとゴモラを滅ぼす前に,ロトに対してどのように分別のある対応をしましたか。

      16 ソドムとゴモラの滅びについてもう一度考えてみましょう。ロトと家族は,エホバの天使から「山地に逃げなさい」とはっきり指示されました。ところが,ロトは山地に行きたくなかったので,「エホバ,お願いです。そこは無理です!」と言います。山地に逃げたら死んでしまうと思い,近くのゾアルという町に逃げさせてほしいと懇願します。エホバはその町も滅ぼすつもりでした。また,エホバは山地でロトの命を守ることができたはずですから,ロトの不安には根拠がありませんでした。それでも,エホバはロトの願いを聞き入れました。天使はロトにこう言います。「いいでしょう。その願いを聞き入れます。あなたが言った町は滅ぼしません」。(創世記 19:17-22)エホバが分別のある方だとよく分かります。

      17-18. エホバはニネベの人たちに対してどのように分別のある対応をしましたか。

      17 エホバはさらに,心から悔い改める人を許し,いつも憐れみ深く正しいことを行います。預言者ヨナが,暴力などの悪い行いがまん延していた都市ニネベに遣わされた時のことを考えてみましょう。ヨナはニネベの中を歩き,神からの率直なメッセージを伝えました。その都市が40日後に滅ぼされるという内容です。しかし,状況が劇的に変化します。何と,ニネベの人たちが悔い改めたのです。(ヨナ 3章)

      18 この変化に対するエホバの反応とヨナの反応は,大きく違っていました。エホバは柔軟に考えを変え,「力強い戦士」としてニネベを滅ぼすのではなく,ニネベの人たちの罪を許すことにしました。d (出エジプト記 15:3)一方ヨナは,自分の考えに固執し,エホバの分別に倣おうとしませんでした。憐れみの気持ちに欠けていて,貨物列車や超大型タンカーのように融通が利きませんでした。自分はニネベが滅びると言ったのだから,その通りになるべきだ,と考えたのです。しかしエホバは,いら立ったヨナを辛抱強く教え,分別や憐れみについての忘れ難い教訓を与えました。(ヨナ 4章)

      若い兄弟が笑顔を浮かべて,家から家の伝道で年長の兄弟を助けている。

      エホバは分別があり,私たちの限界をよく分かっている

      19. (ア)エホバが私たちにできないことを求めたりしないと確信できるのはどうしてですか。(イ)格言 19章17節から,エホバが分別のある善い主人であり,非常に謙遜な方であることがどのように分かりますか。

      19 私たちに無理な期待をしないという点にも,エホバの分別が表れています。ダビデ王はこう言いました。「神は私たちの造りをよく知っている。私たちが土でできているにすぎないことを覚えている」。(詩編 103:14)エホバは私たちの限界や不完全さについて,私たち自身よりもよく分かっています。私たちにできないことを求めたりはしません。聖書によれば,「善良で分別のある」主人もいれば,「気難しい」主人もいます。(ペテロ第一 2:18)では,エホバはどちらのタイプの主人でしょうか。格言 19章17節には,「立場が低い人に親切にする人はエホバに貸して」いると書かれています。エホバは分別のある善い主人だからこそ,立場が低い人への親切な行い一つ一つに注目しているのです。さらにこの聖句から,宇宙の創造者である神が,憐れみ深い行いをした人間に借りがあるかのように感じていることも分かります。それほどまでに謙遜な方がほかにいるでしょうか。

      20. エホバが私たちの祈りを聞いて答えてくれると言えるのはどうしてですか。

      20 エホバが現代の私たちにも温和さや分別を示してくれることを考えると,うれしくなります。私たちが信仰を抱いて祈る時,エホバは聞いてくれます。天使を遣わして私たちと話すことはしませんが,祈りに答えてくれます。使徒パウロは,自分が捕らわれている状態から解放されるよう「祈り続けて」ほしいと仲間のクリスチャンに頼んだ時,そうすれば「早く皆さんの所に戻れる」かもしれないと言いました。(ヘブライ 13:18,19)ですから,エホバは私たちの祈りを聞いて,より早く行動してくれたりすることもあるのです。(ヤコブ 5:16)

      21. エホバは謙遜な方ですが,どういうことはしませんか。エホバのどんなところに引き付けられますか。

      21 この章で考えたように,エホバは謙遜な方であり,それは温和さや,他者の意見に耳を傾けること,辛抱強さ,分別などに表れています。でも,自分の正しい教えに従わない人たちを大目に見ることはありません。キリスト教会の聖職者たちは,信徒たちの心をつかもうとして,善悪に関する神の基準に厳密に従わなくてもよいと教えることがあります。それは分別のあることだと思っているのでしょう。(テモテ第二 4:3)人間は,悪いと分かっていることでも状況によってはしても構わない,分別とはそういうものだと考えがちですが,それは神の考えとは全く違います。エホバは聖なる方であり,自分の正しい基準を曲げるような汚れたことはしません。(レビ記 11:44)エホバの分別は謙遜さの証拠だということを忘れないようにしましょう。宇宙で最も知恵のあるエホバ神が,誰よりも謙遜な方だということを考えると,感動するのではないでしょうか。至高者でありながら温和で,辛抱強く,分別がある神との友情を深められるのは,本当にうれしいことです。

      a 古代に聖書の写本を作ったソフェリムは,この聖句を書き変え,エホバではなくエレミヤが身をかがめたとしました。神が身をかがめるなんてあり得ないと考えたようです。その結果,多くの翻訳聖書は,この聖句の素晴らしい考えを正しく伝えていません。とはいえ,正確に訳している聖書もあります。例えば,「新英訳聖書」はエレミヤが神にこう言ったとしています。「思い起こしてください。ああ,思い起こしてください。そして,わたしの上にかがみ込んでください」。

      b 他の翻訳ではこの部分が,「知恵に由来する謙遜さ」とか「知恵の特徴である穏やかさ」と表現されています。

      c 興味深いことに,聖書の中では辛抱強いことと傲慢であることが対比されています。(伝道の書 7:8)エホバが辛抱強いことからも,謙遜な方であることが分かります。(ペテロ第二 3:9)

      d 詩編 86編5節によると,エホバは「善い方で,快く許してくださいます」。セプトゥアギンタ訳では,この詩の「快く許[す]」という表現が,「分別がある」という意味のエピエイケースというギリシャ語に訳されました。

      じっくり考えたいこと

      • 出エジプト記 32:9-14 モーセがイスラエルを滅ぼさないでほしいと懇願した時,エホバはどのように謙遜さを示しましたか。

      • 裁き人 6:36-40 ギデオンがしるしを求めた時,エホバはどのように辛抱強さや分別を示しましたか。

      • 詩編 113:1-9 エホバはどのように謙遜に人間に接してくれますか。

      • ルカ 1:46-55 マリアは,つつましい暮らしをしている人たちにエホバがどんなことをしてくれると確信していましたか。どうすればエホバに倣えますか。

  • イエスは「神の知恵」を明らかにする
    エホバに近づきなさい
    • イエスが群衆を教えている。

      第21章

      イエスは「神の知恵」を明らかにする

      1-3. イエスの郷里の人たちは,イエスの教えを聞いてどう思いましたか。何を知ろうとしませんでしたか。

      聴衆は驚きを隠せませんでした。まだ若いイエスが,会堂でみんなの前に立って教え始めたからです。イエスはその町で育ち,何年も大工として働いていたので,みんなイエスのことをよく知っていました。イエスが建てるのを手伝った家に住んでいた人や,イエスが作ったすきやくびきを使って畑を耕していた人もいたかもしれません。a 大工だったイエスの教えを聞いて,人々はどう思ったでしょうか。

      2 イエスの話を聞いていたほとんどの人がびっくりして,「この人は,このような知恵……をどこで得たのか」と言いました。でも,「この人は大工で,マリアの息子……ではないか」と,鼻であしらいました。(マタイ 13:54-58。マルコ 6:1-3)残念なことに,「彼はこの町出身のただの大工で,我々と何も変わらない」と考えたのです。明らかに知恵のある言葉を語っていたイエスを,受け入れようとしませんでした。その知恵がどこから来ていたのかを知ろうとしませんでした。

      3 イエスは知恵を「どこで得た」のでしょうか。「私の教えは私のものではなく,私を遣わした神のものです」とイエスは言いました。(ヨハネ 7:16)使徒パウロも,イエスは「私たちに神の知恵を明らかにし」たと書いています。(コリント第一 1:30)イエスの言動には常にエホバからの知恵が表れていたので,イエスは「私と父とは一つです」と言うことができました。(ヨハネ 10:30)イエスが「神の知恵」を持っていたことが分かる3つの分野について考えましょう。

      イエスが教えたこと

      4. (ア)イエスは主に何を伝えましたか。それがとても重要だったのはどうしてですか。(イ)イエスのアドバイスがいつも聞く人のためになったのはどうしてですか。

      4 まず,イエスがどんなことを教えたかを考えましょう。イエスが主に伝えたのは「王国の良い知らせ」でした。(ルカ 4:43)それはとても重要な知らせでした。エホバは王国によって自分が最高の統治者であることを証明して自分の名前を神聖なものとし,人間がいつまでも幸せに暮らせるようにするからです。イエスの教えにはさらに,日常生活に役立つアドバイスも含まれていました。イエスはまさに,予告されていた通りの「素晴らしい助言者」でした。(イザヤ 9:6)神の言葉や意志についての深い知識があり,人間とはどういうものかをよく理解し,人間を深く愛していたので,イエスのアドバイスはいつも聞く人のためになりました。そのアドバイスに従えば救われて永遠に生きることができるので,イエスは「永遠の命の言葉」を語ったと言えます。(ヨハネ 6:68)

      5. 山上の垂訓の中でイエスはどんなことを教えましたか。

      5 山上の垂訓は,イエスの教えに素晴らしい知恵が表れていることが分かる良い例です。マタイ 5章3節から7章27節に記録されているこの垂訓は,20分ほどで語れる長さです。でもたくさんのアドバイスが含まれていて,現代の私たちにも役立ちます。例えば,どうすれば人とうまくやっていけるか(5:23-26,38-42; 7:1-5,12),性的な不道徳を避けるにはどうしたらいいか(5:27-32),有意義な人生を送るための秘訣は何か(6:19-24; 7:24-27),といったことです。イエスは単に賢明な生き方とはこういうものだと言うだけでなく,具体例を挙げて筋道立てて説明することによって,自分の教えに従うとよいのはどうしてかを聴衆が理解できるようにしました。

      6-8. (ア)イエスの説明によると,過度に心配すべきでないのはどうしてですか。(イ)イエスの教えに神からの知恵が表れていると言えるのはどうしてですか。

      6 一例として,マタイ 6章に書かれている,お金や物のことで心配しないようにというアドバイスについて考えてみましょう。イエスはこう言いました。「何を食べ何を飲むのだろうかと自分の命のことで,また何を着るのだろうかと自分の体のことで,心配するのをやめなさい」。(25節)食べ物や服は誰もが必要とするものですから,それを手に入れたいと思うのは自然なことです。でもイエスは,そういうもののことで「心配するのをやめなさい」と言っています。b どうしてでしょうか。

      7 イエスは説得力のある説明をします。エホバは私たちに命と体を与えてくれたのですから,命を支える食物や体を覆う服も与えることができます。(25節)鳥が十分に養われ,花が美しく装っているのですから,神を崇拝する人たちにもなおのこと必要なものが与えられます。(26,28-30節)過度に心配しても,何も良いことはありません。寿命が延びたりはしないからです。c (27節)では,どうすれば心配しないで済むでしょうか。イエスは,生活の中で神の崇拝を優先するようにと言っています。そうすれば,日々必要とするものを天の父が「与え」てくれると確信できます。(33節)またイエスは,次の日のことを心配しないようにとも言っています。今日のことだけを考えれば十分で,明日のことまで心配するのは現実的ではないからです。(34節)起こらないかもしれないことについて気をもんでも仕方ありません。こうした良いアドバイスに従うなら,このストレスの多い世の中で不安や悩みを抱えることが減るでしょう。

      8 2000年ほど前のイエスのアドバイスが,現代の私たちにも役立つことは明らかです。それは,イエスが神からの知恵を持っていたことの証拠ではないでしょうか。人間のカウンセラーのアドバイスは,どんなに良いものに思えても,大抵はやがて時代遅れになります。しかし,イエスの教えは,どんなに時がたっても色あせません。素晴らしい助言者であるイエスは,「神が言ったこと」を話したからです。(ヨハネ 3:34)

      イエスの教え方

      9. イエスの教え方について下役たちは何と言いましたか。そう感じたのも当然だと言えるのはどうしてですか。

      9 イエスの教え方にも,神の知恵が表れています。ある時,イエスを捕まえるために遣わされた下役たちがイエスを連れずに戻り,「あのように話した人はこれまでいませんでした」と言いました。(ヨハネ 7:45,46)そう感じたのも当然です。「天の領域の者」だったイエスは,どんな人よりも豊かな知識と経験があり,それに基づいて話せたからです。(ヨハネ 8:23)イエスほど上手に教えられる人はいません。イエスが優れた教師だったことが分かる2つの点を考えてみましょう。

      「群衆はその教え方に大変驚いていた」

      10-11. (ア)イエスが見事に例えを使ったと言えるのはどうしてですか。(イ)例え話を使ったことで,イエスの教えは人々の心に響きました。どんな例がありますか。

      10 分かりやすい例えを使った。聖書にはこう書かれています。「イエスは……例えで群衆に話した。実際,例えを使わずに話そうとはしなかった」。(マタイ 13:34)イエスは実に見事に例えを使いました。深い真理を教えるために,日常生活でよく見る事柄を引き合いに出しました。例えば,種をまく農家の人,パンを焼く準備をする女性,広場で遊ぶ子供,網を引き上げる漁師,迷い出た羊を捜す羊飼いなどです。どれも,話を聞いていた人たちにとってなじみ深い光景でした。そのように身近なものと結び付けられると,重要な真理が理解しやすくなり,心に残ります。(マタイ 11:16-19; 13:3-8,33,47-50; 18:12-14)

      11 イエスは例え話もよく使いました。短い物語を語って,善悪や真理について教えたのです。抽象的な概念について話すよりも,例え話の方が分かりやすくて覚えやすいので,イエスの教えは人々の心に響きました。イエスが天の父について語る時に使った生き生きとした例えはどれも,忘れ難い印象を与えました。一例として,いなくなっていた息子の例え話から,エホバが温かいお父さんであることがよくイメージできます。悪いことをした人が心から悔い改めるとき,エホバはその人のことをかわいそうに思い,優しく迎え入れてくれます。(ルカ 15:11-32)

      12. (ア)イエスは何のために質問を使いましたか。(イ)宗教指導者たちがイエスの権威に疑問を投げ掛けた時,イエスはどうしましたか。

      12 質問を上手に使った。イエスは質問することによって,相手が自分で結論を出したり決定をしたりするのを助けました。また,その人自身の本当の気持ちに気付かせることもありました。(マタイ 12:24-30; 17:24-27; 22:41-46)宗教指導者たちがイエスに,あなたには一体どんな権威があるというのかと尋ねた時,イエスは「ヨハネによるバプテスマは天からのものでしたか,それとも人からのものでしたか」と質問で返しました。宗教指導者たちは動揺し,こう論じ合います。「『天から』と言えば,『では,なぜ彼を信じなかったのか』と言うだろう。かといって,『人から』と言えるだろうか」。彼らは,「ヨハネは確かに預言者だったと思っていた」群衆の反応を「恐れていた」のです。それで結局,「私たちは知らない」と答えました。(マルコ 11:27-33。マタイ 21:23-27)イエスのシンプルな質問によって,宗教指導者たちは言葉を失い,彼らの不誠実さが明らかになりました。

      13-15. 親切なサマリア人の例え話には,イエスの知恵がどのように表れていますか。

      13 イエスは例えと質問を組み合わせて使うこともありました。律法に通じたユダヤ人の男性から,永遠の命を受けるには何をする必要があるかと尋ねられた時,イエスはモーセの律法に注意を向け,神と隣人を愛するよう命じられていることを思い起こさせました。するとその男性は自分の正しさを示そうとして,「私の隣人とはいったい誰でしょうか」と質問します。イエスは答えとして1つの物語を話します。あるユダヤ人の男性が一人旅をしていたところ,強盗たちに襲われて半殺しにされ,置き去りにされます。そこへ2人のユダヤ人,まずは祭司,次いでレビ族の人が通り掛かりますが,見て見ぬふりをして行ってしまいます。次にやってきたのはサマリア人でした。その人は半殺しにされたユダヤ人をかわいそうに思い,傷の手当てをし,宿屋に連れていって世話をします。話の締めくくりにイエスは,質問をした男性にこう尋ねました。「この3人のうち誰が,強盗に襲われた人にとって隣人になったと思いますか」。男性は,「その人に対して憐れみ深く行動した人です」と答えざるを得ませんでした。(ルカ 10:25-37)

      14 この例え話には,イエスの知恵がどのように表れているでしょうか。当時,ユダヤ人にとって「隣人」とは自分たちの伝統を守る人のことで,サマリア人など論外でした。(ヨハネ 4:9)もしイエスの話の中で,半殺しにされたのがサマリア人で助けたのがユダヤ人だったとしたら,偏見を打ち砕くことはできなかったでしょう。イエスは知恵を働かせ,サマリア人がユダヤ人を優しく世話する話にしました。結びにイエスがした質問にも注目できます。その質問は,「隣人」という言葉を違う観点から見るよう促すものでした。律法に通じた男性が尋ねていたのは,「私の隣人にふさわしいのは誰ですか」ということでした。でもイエスは,「この3人のうち誰が,……隣人になったと思いますか」と質問しました。親切にしてもらった側のユダヤ人ではなく,親切にした側のサマリア人に注意を引いたのです。そのようにして,本当の隣人とは,民族の違いなどに関わりなく自分の方から愛を表す人だ,ということを示しました。これ以上ないほど要点がよく分かる教え方です。

      15 多くの人がイエスの「教え方に大変驚いて」,イエスに引き付けられたのもうなずけます。(マタイ 7:28,29)ある時には「大勢の人」が,食べる物がなくても3日間イエスのそばを離れようとしませんでした。(マルコ 8:1,2)

      イエスの生き方

      16. イエスは自分が神からの知恵によって行動していることをどのように示しましたか。

      16 イエスがエホバの知恵を持っていたことが分かる3つ目の分野は,生き方です。知恵は言動に表れ,良い結果につながります。イエスの弟子ヤコブは,「皆さんの中に知恵……がある人はいますか」と尋ね,続けてこう言いました。「その人は,立派な振る舞いをし,自分が知恵によって……行動していることを示してください」。(ヤコブ 3:13)イエスはまさに「立派な振る舞い」をし,自分が神からの知恵によって行動していることを示しました。では,イエスの判断や決定,また人との接し方に,どのように知恵が表れているか考えてみましょう。

      17. イエスはいつもバランスが取れていました。どんなことからそれが分かりますか。

      17 良い判断ができない人は,極端に走りがちです。一方,知恵がある人はバランスが取れています。イエスは神からの知恵を持っていたので,バランスに欠けることはありませんでした。神に仕えることを何よりも優先し,良い知らせを伝える活動に打ち込みました。「私はそのために来た」と言っています。(マルコ 1:38)お金や物が一番大事だとは考えず,ごくわずかしか持っていなかったようです。(マタイ 8:20)とはいえ,イエスは禁欲主義者ではありませんでした。「幸福な神」である天の父と同じようにいつも朗らかで,周りの人たちの気持ちも明るくしました。(テモテ第一 1:11; 6:15)結婚の披露宴に出席した時には,音楽や歌のある楽しい雰囲気を壊したりしませんでした。ぶどう酒が足りなくなると,水を上等のぶどう酒に変えることさえしました。ぶどう酒が「心を喜びで満たす」ことを知っていたのです。(詩編 104:15。ヨハネ 2:1-11)イエスは食事の招待にも何度も快く応じ,よくそういう機会に人を教えました。(ルカ 10:38-42; 14:1-6)

      18. イエスの弟子たちへの接し方に,素晴らしい知恵がどのように表れていましたか。

      18 イエスの人への接し方にも,素晴らしい知恵が表れていました。イエスは人間の考え方や感情などをよく知っていて,弟子たちのことも十分に理解していました。弟子たちが完全ではないことをよく分かった上で,弟子たちの良いところに注目しました。エホバが引き寄せた人たちの潜在能力を見抜いたのです。(ヨハネ 6:44)欠点がある弟子たちをイエスは信頼し,良い知らせを広めるという重要な仕事を任せました。そして,弟子たちがその仕事をやり遂げると信じていました。(マタイ 28:19,20)「使徒の活動」を読むと分かるように,弟子たちはイエスから命じられた通り忠実に伝道しました。(使徒 2:41,42; 4:33; 5:27-32)ですから,イエスが弟子たちを信頼したのは確かに知恵のあることでした。

      19. イエスが「温和で,謙遜」だということは,どんなことから分かりますか。

      19 第20章で考えたように,聖書の中で知恵は謙遜さや温和さと結び付けられています。イエスは,謙遜さや温和さの最高の手本であるエホバに倣っていました。イエスがどれほど謙遜に弟子たちに接したかを考えると,感動します。完全な人間だったイエスは当然弟子たちより優れていましたが,彼らを見下したりはしませんでした。弟子たちに劣等感や無力感を感じさせるようなこともありませんでした。弟子たちに限界があることを忘れず,彼らが失敗しても辛抱しました。(マルコ 14:34-38。ヨハネ 16:12)子供たちでさえイエスに引き付けられ,イエスのそばにいたいと思いました。イエスが「温和で,謙遜」だということを感じ取ったからです。(マタイ 11:29。マルコ 10:13-16)

      20. ユダヤ人ではない女性が,邪悪な天使に取りつかれた娘を癒やしてほしいと懇願した時,イエスはどのように分別を示しましたか。

      20 神に倣ったイエスの謙遜さは,分別や柔軟さにも表れていました。イエスは,十分な理由があるときにはいつでも憐れみを示しました。ユダヤ人ではない女性が,邪悪な天使に取りつかれてひどく苦しんでいる娘を癒やしてほしいとイエスに懇願した時のことを思い起こしてみましょう。当初イエスは3回にわたって,その女性を助けるつもりはないことを示しました。まず,女性に答えないことによって,次に,自分はユダヤ人の所にしか遣わされていないと言うことによって,そして3回目に,同じ点を例えで優しく伝えることによってです。しかし,女性は諦めず,並外れた信仰を表しました。普通とは違うその状況で,イエスはどうしたでしょうか。助けるつもりはないことを示していたにもかかわらず,女性の娘を癒やしました。(マタイ 15:21-28)素晴らしい謙遜さではないでしょうか。前の章で考えたように,謙遜であって初めて本当に知恵があると言えます。

      21. イエスの人格や言動に見習うよう努力するとよいのはどうしてですか。

      21 福音書には,人類史上最も知恵のある方がどんなことを教え,どんな生き方をしたかが詳しく書かれています。そのことに本当に感謝できます。イエスは天の父に完璧に倣っていました。イエスの人格や言動に見習うなら,私たちも神からの知恵をもっと表せるようになります。次の章では,どうすれば神の知恵に沿った生き方ができるかを取り上げます。

      a 聖書時代の大工は,家を建てたり,家具や農具を作ったりしました。西暦2世紀の殉教者ユスティノスは,イエスが人間社会で大工として働き,「すきやくびきを作った」と書いています。

      b 「心配する」と訳されているギリシャ語動詞には,「気がそらされる」という意味があります。マタイ 6章25節で言われているのは,心配で気がそらされたり頭がいっぱいになったりして,喜びが奪われてしまう状態のことです。

      c 科学的な研究によれば,過剰な心配やストレスがあると循環器疾患や他のいろいろな病気のリスクが高まり,寿命が縮みかねません。

      じっくり考えたいこと

      • 格言 8:22-31 ここで擬人化された知恵が語っていることは,エホバの初子について聖書に書かれていることとどのように合っていますか。

      • マタイ 13:10-15 イエスが例えを使ったことで,聞く人たちの心の状態がどのように明らかになりましたか。

      • ヨハネ 1:9-18 イエスが神の知恵を明らかにできたのはどうしてですか。

      • ヨハネ 13:2-5,12-17 イエスはどのように手本によって教えましたか。使徒たちはどんなことを学びましたか。

  • 「天からの知恵」に沿った生き方をする
    エホバに近づきなさい
    • 1人の姉妹が聖書に基づく出版物を使って聖書を学んでいる。

      第22章

      「天からの知恵」に沿った生き方をする

      1-3. (ア)ソロモンはどのように知恵を働かせて,2人の女性の争いを解決しましたか。(イ)エホバは何を約束してくれていますか。これからどんなことを考えますか。

      難しい問題が起きました。2人の女性が,1人の赤ちゃんを取り合っています。2人は同じ家に住んでいて,数日違いで男の子を産みました。ところが,片方の赤ちゃんが死んでしまい,どちらの女性も生きている赤ちゃんは自分の子だと主張しています。a 目撃証人は誰もいません。この件は下級法廷で審理されたものの解決されなかったようです。それで,イスラエルの王ソロモンが裁くことになりました。ソロモンは真相を解明できるでしょうか。

      2 ソロモンは2人の言い争いにしばらく耳を傾けた後,剣を持ってこさせます。そして,赤ちゃんを2つに切って半分ずつ2人に与えなさい,と命じます。するとすぐに,本当の母親である女性は,その子をもう1人の女性にあげてくださいと王に懇願します。一方,もう1人の女性は,その子を2つに切ってくださいと言い続けます。何が真実かは明らかでした。子供を思う母親の深い愛情を知っていたソロモンは,本当の母親を見抜くのにうってつけの状況を作り出し,問題を解決しました。母親は,ソロモンが「彼女が母親です」と言い,わが子を手渡してくれた時,どれほどほっとしたことでしょう。(列王第一 3:16-27)

      3 ソロモンは素晴らしい知恵の持ち主だったと思いませんか。前に考えたように,知恵とは理解力や識別力を働かせつつ知識を活用する能力のことです。イスラエル国民は,ソロモンがどのようにこの件を解決したかを聞いて,王に敬服しました。「知恵を神が王に与えているのが分かったから」です。ソロモンの知恵は神からの贈り物でした。エホバがソロモンに「知恵と理解力のある心」を与えたのです。(列王第一 3:12,28)では,私たちも神から知恵を与えてもらえるのでしょうか。ソロモンが聖なる力に導かれて書いた通り,「エホバご自身が知恵を与えてくださる」ことを確信できます。(格言 2:6)エホバは,誠実に求める人たちに知恵を与えると約束しています。では,天からの知恵を得るにはどうしたらいいでしょうか。どうすればその知恵に沿った生き方ができるでしょうか。

      「知恵を得なさい」

      4-7. 知恵を得るには,どんな4つのことが必要ですか。

      4 神からの知恵を得るには,高い知能や教育が必要でしょうか。そんなことはありません。エホバは私たちの生い立ちや教育の程度に関わりなく知恵を与えてくれます。(コリント第一 1:26-29)とはいえ,聖書が「知恵を得なさい」と勧めている通り,私たちも努力する必要があります。(格言 4:7)どうしたらいいのでしょうか。

      5 まず大切なのは,神を畏れることです。「知恵はエホバへの畏れから始まる」と,格言 9章10節に書かれています。神への畏れが本当の知恵につながると言えるのはどうしてでしょうか。神を畏れるとは,畏敬の気持ちから神を信頼し,神に従うことです。そして,知恵とは知識を上手に使うことです。神への畏れがある人は,神が望んでいる通りの生き方をしたいと考えるので,神についての知識に基づいて行動するように努力します。その結果,知恵のある生き方ができるのです。エホバに従うことはいつも私たちのためになるので,それに勝る生き方はありません。

      6 2つ目に,謙遜さや慎み深さを身に付けなければなりません。謙遜で慎み深くなければ,神からの知恵を得ることはできません。(格言 11:2)謙遜で慎み深い人は,自分の知識が限られていること,自分の意見がいつも正しいとは限らないこと,そしていろいろな事柄についてエホバがどう考えているかを知る必要があることを認めます。エホバは「傲慢な人に敵対」しますが,本当に謙遜な人には喜んで知恵を与えます。(ヤコブ 4:6)

      7 3つ目に欠かせないのは,聖書をよく学ぶことです。エホバの知恵を明らかにしている本は,聖書だけです。その知恵を得るには,時間をかけて調べ,じっくり考える必要があります。(格言 2:1-5)4つ目に大事なのは,祈ることです。誠実に知恵を神に求めるなら,神は惜しみなく与えてくれます。(ヤコブ 1:5)聖なる力の助けを求める祈りは,必ず聞き届けられます。聖なる力の助けによって,私たちは聖書の中にある宝のような教えを見つけることができます。その教えは,私たちが問題を解決し,危険を避け,賢明な判断をするのに役立ちます。(ルカ 11:13)

      神からの知恵を得るには,時間をかけて聖書を調べ,じっくり考える必要がある

      8. 本当に神からの知恵を持っているなら,どんなことに表れますか。

      8 第17章で考えたように,エホバの知恵は実用的で,良い結果につながります。本当に神からの知恵を持っているなら,それは良い言動に表れます。イエスの弟子ヤコブは,神の知恵を持つ人の特徴についてこう書きました。「天からの知恵を持つ人は,第一に清く,次いで平和を求め,分別があり,進んで従い,憐れみと良い実に満ち,差別をせず,偽善的ではありません」。(ヤコブ 3:17)では,こうした特徴について学びながら,「自分は天からの知恵に沿った生き方をしているだろうか」と考えてみましょう。

      「第一に清く,次いで平和を求め[る]」

      9. 清いとはどういうことですか。天からの知恵の特徴として最初に清さが挙げられているのはどうしてですか。

      9 「第一に清[い]」。清いとは,人から見える言動だけでなく,心の中も汚れていないことです。聖書の中で,知恵は心と結び付けられています。悪い考えによって心が汚れている人は,天からの知恵を得ることができません。(格言 2:10。マタイ 15:19,20)一方,不完全ながらも清い心を持つように努力する人は,「悪から離れて善を行」います。(詩編 37:27。格言 3:7)天からの知恵の特徴として最初に清さが挙げられているのはもっともなことです。道徳の面でも神との関係の面でも清くなければ,天からの知恵がいろいろな良い言動に表れることはありません。

      10-11. (ア)平和を求めることが重要なのはどうしてですか。(イ)仲間のクリスチャンを傷つけてしまったことに気付いた場合,どうすれば平和をつくれますか。(脚注も参照。)

      10 「次いで平和を求め[る]」。天からの知恵を持つ人は,聖なる力が生み出すものの一面である平和を大切にします。(ガラテア 5:22)エホバの民を結び付けている「平和という絆」を弱めないように努力します。(エフェソス 4:3)平和が乱されたときには,平和を取り戻すために最善を尽くします。そうすることが重要なのはどうしてでしょうか。聖書にこう書かれています。「これからも……平和に生活してください。そうすれば,愛と平和の神が共にいてくださいます」。(コリント第二 13:11)平和に生活していく限り,平和の神が共にいてくださるのです。もし仲間のクリスチャンとの関係が平和でないなら,エホバとの友情にもひびが入りかねません。では,どうすれば平和をつくる人になれるでしょうか。1つの例を考えてみましょう。

      11 仲間のクリスチャンを傷つけてしまったことに気付いたとします。あなたはどうしますか。イエスはこう言いました。「あなたが供え物を祭壇に持ってきて,仲間が自分に対して何か反感を抱いていることをそこで思い出したなら,供え物を祭壇の前に残して,出掛けていきなさい。まず仲間と仲直りし,それから戻ってきて,供え物を捧げなさい」。(マタイ 5:23,24)この助言を自分に当てはめて,仲間に会いに行きましょう。その目的は,「仲直り」することです。b そのためには,相手を責めるようなことはせず,傷つけてしまったことを認めて謝る必要があるでしょう。目的を忘れず,仲直りしたいという気持ちを表し続けるなら,おそらく誤解は解け,元通り仲良くなれるでしょう。平和をつくろうとベストを尽くす人は,神の知恵に導かれていると言えます。

      「分別があり,進んで従[う]」

      12-13. (ア)ヤコブ 3章17節で「分別があ[る]」と訳されている言葉にはどんな意味がありますか。(イ)分別がある人とはどういう人ですか。

      12 「分別があ[る]」。分別があるとはどういうことでしょうか。学者たちによると,ヤコブ 3章17節で「分別があ[る]」と訳されているギリシャ語は,訳しにくい言葉です。「すぐに応じる」とか「譲歩する」という意味合いがあり,「穏やか」,「我慢する」,「思いやりがある」などとも訳されてきました。では,天からの知恵を持つ,分別がある人とは,どういう人でしょうか。

      13 フィリピ 4章5節には,「分別があることが全ての人に知られるようにしてください」と書かれています。自分で自分をどう見るかということよりも,他の人にどう見られているかが大切だと分かります。分別がある人は,いつも厳密に規則に従うことにこだわったり,自分の考えを人に押し付けたりはしません。人の言うことに進んで耳を傾け,柔軟に対応します。厳しくて冷たい態度を取ったりせず,穏やかに人に接します。そうすることは全てのクリスチャンにとって大切ですが,特に長老たちにとって大事です。長老が穏やかで優しければ,会衆の人たちは親しみを感じます。(テサロニケ第一 2:7,8)私たち皆が,「自分は優しくて思いやりがある,柔軟な人として知られているだろうか」と考えてみるのは良いことです。

      14. 進んで従う人とはどういう人ですか。

      14 「進んで従[う]」。ギリシャ語聖書の中で,「進んで従[う]」と訳されている言葉が出てくるのはヤコブ 3章17節だけです。ある学者によると,この言葉は兵士が規律に従うことを指して使われることが多く,「納得させやすい」とか「服従的」という考えを伝えています。天からの知恵に導かれている人は,聖書に書かれていることに喜んで従います。一度こうと決めたら何があっても考えを変えない,ということはありません。自分の考えや判断が間違っていることを聖書からはっきり示されたら,すぐに改めます。あなたはそういう人として知られていますか。

      「憐れみと良い実に満ち」ている

      15. ヤコブ 3章17節で「憐れみ」と「良い実」が一緒に挙げられていることから,「憐れみ」がどういうものだと分かりますか。

      15 「憐れみと良い実に満ち」ている。c 天からの知恵を持つ人は「憐れみ……に満ち」ているとある通り,憐れみはとても大切です。「憐れみ」と「良い実」が一緒に挙げられていることにも注目できます。聖書で言う憐れみとは優しい思いやりのことで,よく親切な行いという「実」となって表れます。ある文献によると憐れみは,「困っている人をかわいそうに思い,助けになろうとすること」です。ですから,神からの知恵を持っている人は,理論を並べるだけで行動しないような人ではありません。他の人を温かく心から気遣います。では,憐れみに満ちていることはどんな行動に表れるでしょうか。

      16-17. (ア)私たちが伝道するのは,神を愛しているからだけでなく,どんな気持ちからでもありますか。(イ)憐れみに満ちていることは,どんなことにも表れますか。

      16 1つには,神の王国の良い知らせを伝えることです。この重要な活動を行うのは,主に神を愛しているからですが,人々への憐れみの気持ちからでもあります。(マタイ 22:37-39)現在,多くの人が「羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,放り出されて」います。(マタイ 9:36)間違った宗教のせいで,正しく導かれておらず,真理を知りません。聖書の役立つアドバイスも,神の王国が間もなくあらゆる問題を解決してくれることも知らないのです。周りの人たちが神の導きをどれほど必要としているかを考えると,私たちは愛情深いエホバが人間のためにしてくれることについてぜひとも伝えたいという気持ちになります。

      夫婦と2人の子供が食べ物や工具を持って年配の姉妹を訪ねている。

      「天からの知恵」に導かれている人は,他の人のために憐れみ深く行動する

      17 憐れみに満ちていることは,ほかにもどんなことに表れるでしょうか。親切なサマリア人についてのイエスの例え話を思い出してください。そのサマリア人は,強盗に襲われて道端に倒れていた旅人を見てかわいそうに思い,傷に包帯をして世話をしてあげました。そのようにして「憐れみ深く行動」したのです。(ルカ 10:29-37)この例え話からも分かるように,憐れみ深い人は困っている人を積極的に助けます。聖書は,「全ての人に,特に同じ信仰を持つ兄弟姉妹に,善いことを行いましょう」と勧めています。(ガラテア 6:10)具体的にどんなことができるでしょうか。年配の兄弟姉妹が集会に出席できるように,車で送迎できるかもしれません。1人で暮らしている姉妹の家の修理を手伝うこともできます。(ヤコブ 1:27)気落ちしている人に「良い言葉」を掛けて元気づけることもできるでしょう。(格言 12:25)そのように憐れみを示す人は,天からの知恵に沿って行動していると言えます。

      「差別をせず,偽善的ではありません」

      18. 天からの知恵に導かれている人はどんなことをしませんか。どうしてですか。

      18 「差別を」しない。神からの知恵に導かれている人は,人種や国の違う人を自分より下に見たりしませんし,えこひいきもしません。(ヤコブ 2:9)仲間のクリスチャンを,学歴や生活レベルや会衆内での責任に基づいて特別扱いしたり,逆に見下げたりしません。エホバは全ての人を同じように愛していますから,私たちもそうします。

      19-20. (ア)「偽善者」というギリシャ語にはどんな由来がありますか。(イ)「偽善のない兄弟愛」とはどういうものですか。それが大切なのはどうしてですか。

      19 「偽善的では」ない。「偽善者」と訳されるギリシャ語は,もともと舞台俳優を指して使われていました。古代のギリシャやローマの俳優は,大きな仮面を着けて役を演じました。そのため,俳優を指すギリシャ語は,本当の気持ちを隠してうわべを繕う人を指すようになりました。そういう偽善的な人にはなりたくないので,私たちは仲間にどう接するかだけでなく,仲間についてどう感じているかをよく考える必要があります。

      20 使徒ペテロによれば,「真理に従順」な人は「偽善のない兄弟愛」を抱くようになるはずです。(ペテロ第一 1:22)ですから,仲間への私たちの愛情は,見せ掛けのものであってはなりません。いわば仮面を着けたり役を演じたりするのではなく,心からの純粋な愛情を持っているべきです。そうであれば,うわべだけではないことが伝わるので,仲間から信頼してもらえます。そのような誠実さがあれば,仲間と打ち解けた関係でいることができ,会衆の平和や一致に貢献できます。

      「役立つ知恵……を守れ」

      21-22. (ア)ソロモンは知恵を守れませんでした。どうしてですか。(イ)知恵を守るにはどうしたらいいですか。そうするとどんな良いことがありますか。

      21 エホバからの知恵は,大切にしたい贈り物です。ソロモンは,「役立つ知恵と思考力を守れ」と言いました。(格言 3:21)残念なことに,ソロモン自身はエホバからもらった知恵を守れませんでした。従順な心を持っていた間は知恵のある生き方をしていましたが,大勢の外国人の妻たちを愛したせいでやがて心がエホバの清い崇拝から離れていってしまいました。(列王第一 11:1-8)ソロモンの例から分かる通り,たとえたくさんの知識があったとしてもそれを正しく使わないなら,何の役にも立ちません。

      22 では,役立つ知恵を守るにはどうしたらいいでしょうか。聖書と,「忠実で思慮深い奴隷」が提供している出版物をよく読んで知識を蓄えるだけでなく,学んだことに従って生きるように努力する必要があります。(マタイ 24:45)神の知恵に従うなら,より良い人生を送れますし,「真の命をしっかり捉える」こともできます。将来,神の新しい世界で幸せに暮らせるのです。(テモテ第一 6:19)そして,最も重要なこととして,天からの知恵に沿った生き方をするなら,全ての知恵の源であるエホバ神との絆を強めることができます。

      a 列王第一 3章16節によると,この2人は娼婦でした。エホバの証人が発行した「聖書に対する洞察」の説明によれば,この女性たちは売春をして生計を立てていたというよりも,性的不道徳を犯したために娼婦と呼ばれていたのかもしれません。ユダヤ人だった可能性もありますが,おそらく異国人だったと考えられます。

      b 「仲直り」と訳されているギリシャ語は,「敵意から友情へ変化する」,「和解する」,「通常の関係や良い関係に戻る」と定義されています。それで,目指すのは,できるなら,感情を害している人の心から悪感情を除き去って,変化を生じさせることです。(ローマ 12:18)

      c ある翻訳ではこの部分が「同情と善行とに満ち」と訳されています。(「民衆の言葉による翻訳」[英語],チャールズ・B・ウィリアムズ)

      じっくり考えたいこと

      • 申命記 4:4-6 知恵があることは,どんなことに表れますか。

      • 詩編 119:97-105 神の言葉をよく学び,神の教えに従うことは,どのように自分のためになりますか。

      • 格言 4:10-13,20-27 私たちにエホバの知恵が必要なのはどうしてですか。

      • ヤコブ 3:1-16 知恵や理解力がある長老たちはどのように行動しますか。

  • 「神がまず愛してくださった」
    エホバに近づきなさい
    • 杭に掛けられたイエスが息を引き取ろうとしている。

      第23章

      「神がまず愛してくださった」

      1-3. イエスの死はどんな点で特別でしたか。

      約2000年前のある春の日,無実の男性が裁判にかけられ,ぬれぎぬを着せられて有罪とされ,ひどく苦しめられて処刑されました。歴史を通じて,不正で残酷な死刑の犠牲になった人はほかにも大勢いますが,この男性の死は特別でした。

      2 その人が苦しんで力尽きようとしていた時,空に異変が生じて,皆がただごとではないと感じます。真昼なのに,辺り一面が闇に覆われ,「日の光がなくなった」のです。(ルカ 23:44,45)その後,男性は息を引き取る直前に,「成し遂げられた!」という印象的な言葉を残しました。この人は自分の命を差し出すことによって,確かに素晴らしいことを成し遂げました。この人ほど大きな犠牲を払って人々への深い愛を示した人は,ほかに誰もいません。(ヨハネ 15:13; 19:30)

      3 これはもちろんイエス・キリストのことです。西暦33年ニサン14日に起きた悲惨な出来事,つまりイエスが苦しんで死んだことはよく知られていますが,あるとても大切な事実はあまり知られていません。ひどく苦しんだイエスよりももっと苦しんで,もっと大きな犠牲を払った方がいるということです。その方は,宇宙で誰よりも大きくて深い愛を示しました。何をしたのでしょうか。まずそのことを考えて,最も重要なテーマであるエホバの愛について学んでいきましょう。

      愛の最大の表明

      4. あるローマの士官はイエスについて何と言いましたか。どうしてですか。

      4 イエスの処刑を指揮したローマの百人隊長は,イエスが死ぬ前に闇が垂れ込め,死後に激しい地震が起きたことにとても驚き,「確かにこの人は神の子だった」と言いました。(マタイ 27:54)この士官が見守る中で処刑されたのは,至高の神の独り子でした。その子は天の父にとってどれほど大切な存在だったのでしょうか。

      5. エホバとイエスはどれほど長い間,天で一緒にいましたか。

      5 聖書の中でイエスは「全創造物の中の初子」と呼ばれています。(コロサイ 1:15)ですから,宇宙が存在するようになる前からいたことになります。では,エホバとイエスはどれほど長い間一緒にいたのでしょうか。科学者たちの推定によると,宇宙の年齢は130億年を超えています。気が遠くなるような長さです。それをイメージする助けとして,あるプラネタリウムには長さ110㍍の年表があります。それに沿って歩くと,1歩が約7500万年に相当します。年表の最後には人類史の全期間が示されていますが,その線は髪の毛1本ほどの太さしかありません。宇宙の年齢の推定が正しいとして,イエスはこの年表で表されている途方もない年月よりもさらに長い間エホバと一緒にいたのです。それほどの期間に何を行っていたのでしょうか。

      6. (ア)イエスは天で何をしていましたか。(イ)エホバとイエスはどんな絆で結ばれていますか。

      6 イエスは「優れた働き手」としてエホバのために喜んで働きました。(格言 8:30)聖書には「[イエス]を通さずに存在するようになったものは一つもない」と書かれています。(ヨハネ 1:3)エホバとイエスが一緒に働いて,他の全てのものを造ったのです。楽しく幸せな時間を過ごしたことでしょう。親と子は,「完全な絆」である強い愛で結ばれているものです。(コロサイ 3:14)そうであれば,計り知れない時間を一緒に過ごしたエホバとイエスの愛の絆は,私たちには想像もつかないほど強いのではないでしょうか。

      7. イエスがバプテスマを受けた時,エホバは自分の子に対する気持ちをどのように表しましたか。

      7 エホバは,そのように宇宙で最も強い絆で結ばれた子を地球に遣わし,人間の赤ちゃんとして生まれるようにしました。最愛の子と何十年か天で一緒にいられなくなりますが,そうしたのです。天の父が見守る中,イエスは完全な人として成長し,およそ30歳の時にバプテスマを受けました。その時エホバが天から語った次の言葉に,子を思うエホバの気持ちがはっきり表れています。「これは私の愛する子,私はこの子のことを喜んでいる」。(マタイ 3:17)その後もイエスは預言されていた通りに行動し,エホバが期待していたことを全て忠実に行いました。それを見て,エホバは本当にうれしく思ったに違いありません。(ヨハネ 5:36; 17:4)

      8-9. (ア)西暦33年ニサン14日,イエスはどんな苦痛を味わいましたか。エホバはどう感じたと思いますか。(イ)エホバはどうしてイエスが苦しんで死ぬようにしましたか。

      8 では,西暦33年ニサン14日にエホバはどう感じたと思いますか。イエスが裏切られ,夜遅くに武器を持った人たちに捕らえられた時,また,友たちに見捨てられ,不正な裁判にかけられた時はどうでしょうか。あざけられ,唾を掛けられ,こぶしで殴られた時,そしてむち打たれ,背中がずたずたに裂けた時はどうでしょうか。手足にくぎを打たれて木の杭に掛けられ,人々からののしられ,激痛にもだえながら天の父に向かって叫んだ時はどうでしょうか。イエスが息を引き取り,創造の始まり以来初めて愛する子が存在しなくなった時,エホバはどう感じたでしょうか。(マタイ 26:14-16,46,47,56,59,67; 27:38-44,46。ヨハネ 19:1)

      9 私たちは言葉を失います。愛する子が死んだ時にエホバがどれほどの苦しみや悲しみを感じたかは,私たちには到底分かりません。分かるのは,エホバが非常に大きな苦痛を感じてまでもイエスが死ぬようにしたのはなぜかということです。エホバはヨハネ 3章16節で,その素晴らしい理由を明らかにしています。福音書の要約とも言えるそのとても大切な聖句には,こう書かれています。「神は,自分の独り子を与えるほどに人類を愛したのです。そのようにして,独り子に信仰を抱く人が皆,滅ぼされないで永遠の命を受けられるようにしました」。エホバは人類を愛しているからこそ,自分の子を贈り物として与え,イエスが私たちのために苦しんで死ぬようにしたのです。それは史上最高の愛の表明でした。

      「神は,自分の独り子を与え」た

      神の愛とはどういうものか

      10. 人間にとって愛はどういうものですか。愛という言葉の意味は一般によく理解されていますか。

      10 愛とは何でしょうか。愛は人間にとって最も必要なものだと言われてきました。生まれてから死ぬまで,人は愛されることを願い,愛されていると感じると幸せな気持ちになります。逆に愛がないとふさぎ込んだり,死んでしまったりすることさえあります。愛はよく話題に上り,愛を題材にした本や歌や詩なども数え切れないほどあります。とはいえ,愛とは何かを説明するのは簡単ではありません。愛という言葉があまりにも乱用されているので,その本当の意味はますますあいまいになっています。

      11-12. (ア)聖書から愛について多くのことを学べるのはどうしてですか。(イ)古代ギリシャ語には「愛」に相当するどんな言葉がありましたか。ギリシャ語聖書に一番たくさん出てくるのはどの言葉ですか。(脚注も参照。)(ウ)聖書の中でアガペーは多くの場合どんな愛を指して使われていますか。

      11 しかし,聖書は愛とは何かをはっきり教えています。バインの「新約聖書用語解説辞典」(英語)によると,愛は行動に表れたときに初めて分かるものです。聖書に書かれているエホバの行動から,人間や天使へのエホバの優しい愛情について多くのことが分かります。特に際立った例は,私たちのためにイエスを与えてくれたという最高の愛の表明です。この本の続く幾つかの章では,エホバの愛がほかにもどんな行動に表れているかを取り上げます。聖書の中で「愛」と訳されている言葉からも,愛について学べることがあります。古代ギリシャ語には,「愛」に相当する言葉が4つありました。a そのうち,ギリシャ語聖書に一番たくさん出てくるのは「アガペー」です。ある聖書辞典によると,それは「愛を表す言葉として考え得る最も力強い言葉」です。どうしてそう言えるのでしょうか。

      12 聖書の中でアガペーは多くの場合,何が正しいかの基準に沿った愛を指して使われています。単なる好意ではなく,よく考えた上で意識的に表す利他的な愛です。一例として,もう一度ヨハネ 3章16節を見てみましょう。この聖句に出てくる,神が自分の独り子を与えるほどに愛している「人類」には,罪深い生き方をしている大勢の人が含まれています。エホバはその一人一人を,忠実なアブラハムと同じように友として愛しているのでしょうか。(ヤコブ 2:23)そうではありません。でもエホバは,大きな犠牲を払ってまでも全ての人に愛を示しています。それが正しくて善いことであり,皆に悔い改めて生き方を変えてほしいと思っているからです。(ペテロ第二 3:9)そして,良い生き方をするようになった人たちを友として迎え入れています。

      13-14. 多くの場合アガペーには温かい愛情がこもっていると,どうして分かりますか。

      13 ある人たちは,聖書で使われているアガペーについて誤解しています。それは冷たくて感情の伴わない愛だと思っているのです。でも実のところ,アガペーには温かい愛情がこもっていることが少なくありません。例えば,ヨハネは「父は子を愛してい[る]」と書いた時,アガペーの変化形を使いました。その愛に温かい愛情が伴っていないはずがありません。そのことは,イエスが「父は子に愛情を抱いてい[る]」と言ったことからも分かります。その言葉にはフィレオーの変化形が使われています。(ヨハネ 3:35; 5:20)エホバの愛は多くの場合,優しい愛情の表れなのです。とはいえ,単に感情に左右されるものではなく,いつも神の公正で適切な原則に沿って表されます。

      14 これまで考えてきたように,エホバには良いところがたくさんありますが,特に魅力的なのは愛です。私たちはエホバの愛に最も引き付けられます。では,愛がエホバの最大の特徴だと言えるのはどうしてでしょうか。

      「神は愛」

      15. エホバの愛について聖書に何と書かれていますか。その表現が特別だと言えるのはどうしてですか。(脚注も参照。)

      15 エホバの4つの主な性質である力,公正,知恵,愛の中でも,愛は特別です。聖書には,神は力,神は公正,神は知恵とは書かれていません。神はその3つの性質を持っていて,それらの究極の源であり,ほかの誰よりもそれらをよく表しています。でも4つ目の愛については意味深くも,「神は愛」だと書かれています。b (ヨハネ第一 4:8)これはどういうことなのでしょうか。

      16-18. (ア)聖書によると「神は愛」です。これはどういうことですか。(イ)地球上の生き物の中で,人間がエホバの愛の象徴にふさわしいのはどうしてですか。

      16 「神は愛」とは,単に“神イコール愛”ということではありません。前後を入れ替えて「愛は神」と言うことはできません。神は単なる抽象的な概念ではなく,意思や感情を持つ方で,愛以外にも魅力的なところがたくさんあります。では,なぜ「神は愛」かというと,愛がエホバの根幹だからです。ある聖書辞典にはこの聖句について,「神の真髄あるいは本質は愛である」と説明されています。次のように考えることができるでしょう。エホバは,力があるので行動できます。公正で知恵があるので,正しくて良い行動ができます。それに対し,愛はあらゆる行動のベースになっているのです。力や公正さや知恵を表す時にも,常に愛が根底にあります。

      17 エホバはまさしく愛を体現しています。ですから,正しさの基準に沿った愛とはどういうものかを学ぶには,エホバについて学ぶ必要があります。では,そもそも人間がそのような愛を表せるのはどうしてでしょうか。エホバは地球を創造した時,独り子にこう言いました。「私たちに似た者として人を造ろう」。(創世記 1:26)地球上の生き物の中で,人間だけが天の父に倣って意識的に愛を表せます。エホバは自分の主な性質を象徴する動物を選びましたが,特に大事な愛の象徴として選んだのは,地球で最高の創造物である人間でした。(エゼキエル 1:10)

      18 私たちは,何が正しいかを考えて私心のない愛を表す時,エホバの一番魅力的なところである愛に倣っていることになります。使徒ヨハネが書いた通り,「私たちが愛するのは,神がまず愛してくださったからです」。(ヨハネ第一 4:19)では,エホバがまず愛してくれたというのはどういうことでしょうか。

      エホバは自分の方から愛を示した

      19. エホバが天使や人間を創造したのはどうしてですか。

      19 そもそもエホバが天使や人間を創造しようと思ったのはどうしてでしょうか。寂しくて友達が必要だったからではありません。エホバは完全で何にも不足していないので,誰かから何かを与えてもらう必要はありません。ではなぜ創造したかというと,愛の気持ちから命という素晴らしい贈り物を与えたいと思ったからです。生きる喜びを味わってほしかったのです。「神に最初に創造された者」は,独り子イエスでした。(啓示 3:14)それからエホバはその優れた働き手に手伝ってもらい,他の全てのものを造りました。まずは天使たちです。(ヨブ 38:4,7。コロサイ 1:16)天使たちは,自分で考えて自由に行動できる,感情を持つ者として造られたので,互いに友情を育み,何よりもエホバ神と愛の絆を結ぶことができました。(コリント第二 3:17)ですから,天使たちが愛を示せるのは,まずエホバから愛を示されたからです。

      20-21. アダムとエバはどんなことからエホバの愛を感じられたはずですか。しかし,どうしましたか。

      20 人類についても同じことが言えます。アダムとエバは最初から愛に包まれていました。自分たちが暮らしていたエデンの楽園のどこを見ても,天の父の愛を感じることができました。聖書にはこう書かれています。「エホバ神は東方のエデンに庭園を造り,自分が形作った人をそこに置いた」。(創世記 2:8)あなたはとても美しい庭園や公園に行ったことがありますか。何が一番良かったですか。木漏れ日や,咲き誇る色とりどりの花でしょうか。耳に心地よい小川のせせらぎ,鳥のさえずり,虫の鳴き声ですか。木々や果物や花の香りでしょうか。いずれにしても,現代のどんな公園よりもエデンの園の方がはるかに素晴らしかったことでしょう。どうしてそう言えるのでしょうか。

      21 エデンの園は,エホバ自身が造った楽園でした。言葉にできないほど魅力的な所だったに違いありません。あらゆる種類の美しい草木や,おいしい果物がなる木々がありました。水が豊富にあり,広々としていて,いろいろな動物が生き生きと暮らしていました。アダムとエバには,やりがいのある仕事や最高の伴侶など,充実した幸せな生活を送るのに必要なものが全てそろっていました。そのようにエホバがまず愛してくれたので,2人も当然エホバを愛するべきでした。しかし,そうしませんでした。愛の気持ちから天の父に従うどころか,身勝手に反逆しました。(創世記 2章)

      22. エデンでの反逆の後,エホバは揺るぎない愛の表れとしてどんなことをしましたか。

      22 それはエホバにとって非常につらいことだったでしょう。とはいえ,愛情が冷めて苦々しい気持ちになったりはしませんでした。「神の揺るぎない愛は永遠に続く」のです。(詩編 136:1)エホバはすぐに,アダムとエバの子孫のうち正しい心を持つ人たちを救うための方法を考え出しました。すでに取り上げたように,それには愛する子を贖いとすることが関係しており,エホバが大きな犠牲を払うことを意味していました。(ヨハネ第一 4:10)

      23. エホバが「幸福な神」だと言えるのはどうしてですか。次の章ではどんなことを考えますか。

      23 このように,エホバは自分の方から人類に愛を示してきました。人類史の初めから「神がまず愛してくださった」のであり,人間のために数え切れないほどたくさんの良いことをしてくれました。愛を表すと自分自身も周りの人も幸せになるので,聖書が言う通りエホバは「幸福な神」であるに違いありません。(テモテ第一 1:11)では,エホバは本当に私たち一人一人を愛しているのでしょうか。次の章でそのことを考えます。

      a 「愛情を抱いている」,「愛着がある」,「(親友や兄弟に対して感じるように)好きである」といった意味がある「フィレオー」という動詞も,ギリシャ語聖書によく出てきます。テモテ第二 3章3節では,家族間の愛である「ストルゲー」の変化形が使われていて,終わりの時代にそのような愛を持たない人が増えることが示されています。異性間の愛を表す「エロース」はギリシャ語聖書には出てきませんが,そうした愛についても聖書の中で取り上げられています。(格言 5:15-20)

      b 聖書には似たような表現がほかにもあります。例えば,「神は光」とか「神は,焼き尽くす火」と書かれています。(ヨハネ第一 1:5。ヘブライ 12:29)しかし,これらは「神は愛」とは違い,神を別のものに例えている隠喩です。エホバは清くて真っすぐな方で,「闇」つまり汚れが全くないので,光のようです。また,破壊する力があるという意味で火のようです。

      じっくり考えたいこと

      • 詩編 63:1-11 エホバの愛はどれほど価値のあるものですか。エホバが愛してくれているので,私たちはどんなことを確信できますか。

      • ホセア 11:1-4; 14:4-8 イスラエル(エフライム)はどんなことをしてエホバをがっかりさせましたか。それでもエホバが父親のように愛し続けたことが,どんなことから分かりますか。

      • マタイ 5:43-48 人類全体に対するエホバの父親のような愛は,どんなことに表れていますか。

      • ヨハネ 17:15-26 弟子たちのためのイエスの祈りを読むと,エホバが私たちを愛してくれていることを確信できます。どうしてですか。

  • どんなものも「神の愛から私たちを引き離す」ことはできない
    エホバに近づきなさい
    • 女性が悲しみの涙を流している。

      第24章

      どんなものも「神の愛から私たちを引き離す」ことはできない

      1. ある人たちは神についてどのように考えますか。

      あなたはエホバ神に愛されていると感じますか。ある人たちは,ヨハネ 3章16節にあるように神が人類全体を愛していることは分かっていても,「自分のことなんて愛してくれるわけがない」と考えます。エホバに仕える人であっても,そういう気持ちになることがあるかもしれません。気落ちして,「神が私のことを気に掛けてくれているなんてとても思えません」と言った人もいます。あなたもそんな風に感じることがありますか。

      2-3. 自分なんてエホバに愛してもらえないと,私たちに思い込ませようとしているのは誰ですか。ネガティブな気持ちに負けないように,何ができますか。

      2 サタンは,エホバ神が個人を愛したり大切に思ったりすることはないと,私たちに信じ込ませようとしています。サタンはいろいろな方法で人を惑わそうとします。(コリント第二 11:3)得意なのは誇りや虚栄心に訴えることですが,自分に自信がない人の自尊心を打ち砕こうとすることもよくあります。(ヨハネ 7:47-49; 8:13,44)この危機的な「終わりの時代」には特にその方法をよく使っています。現代の多くの人は,「自然な愛情」がない家庭で育ち,乱暴で自己中心的で強情な人たちに囲まれています。(テモテ第二 3:1-5)長年にわたって虐待や差別を受けてきたために,自分は役立たずで誰からも愛されないと思い込んでいる場合があります。

      3 そういう気持ちになることがあっても,がっかりしないでください。自分に厳しくなり過ぎて,ネガティブに考えてしまうことはあるものです。しかし,神の言葉は人の考え方を「矯正し」,「要塞のように強固なものを打ち砕」くことができます。(テモテ第二 3:16。コリント第二 10:4)聖書にはこう書かれています。「私たちは……神の前で安心できます。心に責められることがあっても安心できるのです。神は私たちの心より大きく,全てのことを知っているからです」。(ヨハネ第一 3:19,20)聖書を学ぶと,エホバが愛してくれていることを確信して「安心」できます。では,私たちを力づける聖書の教えを4つ考えてみましょう。

      エホバは私たちのことを大切に思っている

      4-5. スズメについてのイエスの例えから,エホバが私たちを大切に思ってくれていることがどのように分かりますか。

      4 1つ目の点として,聖書によれば神は自分に仕える一人一人のことを大切に思っています。例えば,イエスはこう言いました。「スズメ2羽は小額の硬貨1枚で売っていませんか。それでも,その1羽でさえ,天の父が知らないうちに地面に落ちることはありません。ところが,あなたたちは髪の毛まで全て数えられています。ですから,恐れることはありません。あなたたちはたくさんのスズメより価値があるのです」。(マタイ 10:29-31)このイエスの言葉を聞いた1世紀の人たちはどう思ったでしょうか。

      スズメがひなに餌を与えている。

      「あなたたちはたくさんのスズメより価値があるのです」

      5 当時,スズメは食用の鳥の中で最も安く,少額の硬貨1枚で2羽買えました。さらに,イエスが後に語ったように,硬貨を2枚支払うと,4羽ではなく5羽買えました。1羽がおまけで添えられるほど,大した価値がないと思われていたようです。でも,創造者はスズメをどう見ていたでしょうか。「その[おまけの]1羽でさえ神に忘れられることはありません」とイエスは言いました。(ルカ 12:6,7)エホバは1羽のスズメをそのように大切に思っているのですから,なおのこと1人の人間をとても大切に思ってくれていると分かります。イエスが説明した通り,エホバは私たち一人一人のことを,髪の毛の数まで全て知っています。

      6. 私たちの髪の毛が数えられているというイエスの言葉は大げさではないと確信できるのはどうしてですか。

      6 髪の毛が数えられているなんて,イエスは大げさなことを言っている,と思う人もいるかもしれません。しかし,復活の希望について考えてみてください。亡くなった人を再び造るため,エホバは一人一人のことを細かいところまで詳しく知っているに違いありません。私たちのことを本当に大切に思っているので,私たちの遺伝情報や一生の記憶など,ありとあらゆることを覚えてくれています。a ですから当然,エホバは1人平均10万本ほどの髪の毛の数も知っているはずです。

      エホバは私たちを高く評価してくれる

      7-8. (ア)人の心を探っているエホバは,どんな人を見つけるとうれしく思いますか。(イ)エホバはどんな行いを高く評価しますか。

      7 2つ目に,聖書によるとエホバは私たちの良いところや払っている努力を高く評価してくれます。ダビデ王は息子ソロモンに,「エホバは全ての心を探り,考えの傾向を全て見極める方だ」と言いました。(歴代第一 28:9)エホバは世界中の何十億もの人の心を探っています。暴力や憎しみに満ちた世の中で,平和や真理や正しいことを愛する心を持つ人を見つけると,本当にうれしく思うに違いありません。心が神への愛であふれていて,神について知りたい,学んだことを他の人にも伝えたいと思っている人を,エホバは温かく見守っています。そして,「エホバを畏れる人と神の名について思い巡らす人」を愛し,そういう人の名前を「記録の書」に記します。(マラキ 3:16)

      8 エホバはどんな良い行いを高く評価するのでしょうか。例えば,イエス・キリストに見習おうとする私たちの努力です。(ペテロ第一 2:21)それには,神の王国の良い知らせを伝えるという重要な活動も含まれます。ローマ 10章15節には,「良い事柄についての良い知らせを広める者たちの足は何と美しいのでしょう!」と書かれています。私たちは自分の足が美しいなどとは思わないかもしれませんが,この聖句の「足」はエホバに仕える人が良い知らせを伝えるために払う努力を表しています。そうした努力全てはエホバから見て美しく,宝のようです。(マタイ 24:14; 28:19,20)

      9-10. (ア)いろいろ大変な中で忍耐する私たちをエホバが高く評価してくれると確信できるのはどうしてですか。(イ)エホバは私たちに対してどんな見方はしませんか。

      9 エホバは私たちの忍耐も高く評価します。(マタイ 24:13)サタンはあなたがエホバに背を向けることを願っていますが,あなたはエホバから離れないように日々頑張っていることでしょう。そうすることにより,神をあざけるサタンが間違っていることを示しています。(格言 27:11)忍耐するのは決して簡単ではありません。健康上の問題,お金の心配,悩みやストレスなどのせいで,生きていくのが大変だと感じることがあります。期待がなかなか実現しないために落ち込むこともあるでしょう。(格言 13:12)そういう大変な中で忍耐する私たちの姿は,エホバから見ていとおしいものです。そのエホバの見方を知っていたダビデ王は,「私の涙をあなたの革袋に集めてください」とエホバにお願いし,その涙は「あなたの書に記されている」と確信を込めて言いました。(詩編 56:8)その言葉の通り,エホバは私たちが忠誠を貫くために忍耐して流す涙を全て大切に心にしまっておいてくれます。その涙はエホバから見て宝石のように輝いているからです。

      大変な中で忍耐する私たちを,エホバはいとおしく思っている

      10 しかし,神が高く評価してくれることを知っても,自分は駄目だと思ってしまうことがあるかもしれません。「私より立派な人がたくさんいる。そのような人たちと私を比べて,エホバはがっかりしているに違いない」と考えてしまうのです。でも,エホバは私たちを他の人と比べたりはしません。人を厳しく見たり,できないことを求めたりもしません。(ガラテア 6:4)私たちの心を注意深く見て,わずかでも良いところがあればそれを高く評価してくれます。

      エホバは私たちの良いところを見つけ出してくれる

      11. アビヤの例から,エホバについてどんなことが分かりますか。

      11 3つ目に,エホバは私たちの短所や欠点も全て知っていますが,それでも良いところを見つけ出してくれます。アビヤの例を考えてみましょう。エホバは背教したヤラベアム王家を滅ぼすことにしましたが,王の息子の1人アビヤだけはきちんと葬られるようにしました。なぜなら,「イスラエルの神エホバは,……その子の内に良いことを見つけ出したからです」。(列王第一 14:1,10-13)エホバはいわばその若者の心をふるいにかけ,「良いこと」を見つけました。そして,それが微々たるものだったとしても聖書に記録する価値があると考えました。さらに,その良いことに対する報いとして,背教した王家の一員だったアビヤにある程度の憐れみを示しました。

      12-13. (ア)私たちが罪を犯しても,エホバは良いところに注目してくれます。そのことがエホシャファト王の例からどのように分かりますか。(イ)エホバはどんな点で愛情深い親のようですか。

      12 良い王だったエホシャファトの例も,とても励みになります。この王が愚かなことをした時,エホバの預言者は「今回のことで,エホバはあなたに憤っています」と言いました。どきっとするような言葉ですが,エホバからのメッセージはそれで終わりではありませんでした。預言者は続けて,「それでも,あなたに良い点があります」と言いました。(歴代第二 19:1-3)エホバは正当な怒りを感じましたが,エホシャファトの良い点が見えなくなることはありませんでした。不完全な人間である私たちは,誰かに腹を立てるとその人の良いところが見えなくなりがちです。また,自分が罪を犯してしまったときには,がっかりしたり恥ずかしさや後ろめたさを感じたりして,自分には良いところなんてないと思うことがあります。でも,エホバは決してそのような見方をしません。私たちが悔い改め,同じ過ちを繰り返さないように努力するなら,許してくれます。

      13 エホバは,金を探す人が無価値な砂利をふるい落とすように,いわば私たちをふるいにかけて罪をふるい落としてくれます。金塊を見つけるように,私たちの良いところを見つけてくれるのです。また,エホバは愛情深い親のようでもあります。親は,子供がとっくの昔に忘れてしまっている絵や作文などを何十年も大切に取っておくことがあります。エホバも,忠実な人たちの良い行いを記憶の中にいつまでも大切にしまっておいてくれます。不公正なところがない方なので,そうした行いを忘れるような不公正なことは決してしません。(ヘブライ 6:10)

      14-15. (ア)エホバが不完全な私たちを高く評価してくれるのはどうしてですか。(イ)エホバは私たちの良いところを見つけて何をしてくれますか。私たちはエホバにとってどんな存在ですか。

      14 エホバは別の面でも私たちをいわばふるいにかけます。私たちの不完全さに埋もれてしまっている素質を見つけてくれるのです。それは,ひどく傷ついた芸術作品に対する愛好家の見方に似ています。例えば,英国ロンドンのナショナル・ギャラリーで,ある人がショットガンを撃ってレオナルド・ダ・ビンチの約3000万㌦相当の絵を傷つけるという事件が起きた時,その絵はもう処分しようなどと言う人は誰もいませんでした。絵の修復作業がすぐに始まりました。なぜでしょうか。芸術の愛好家たちにとって,その500年近く前の傑作はとても貴重だったからです。私たちは,チョークと木炭で描かれた絵よりもはるかに価値があるのではないでしょうか。受け継いだ不完全さのせいでどれほど傷ついていても,神にとってかけがえのない存在です。(詩編 72:12-14)人間を造った素晴らしい創造者であるエホバ神は,罪のせいで人間が負ったダメージを修復し,エホバの愛に応える人たちを本来の完全な状態にします。(使徒 3:21。ローマ 8:20-22)

      15 ここまでで考えてきたように,私たちが自分でも気付いていないような良いところを,エホバは見つけ出してくれます。エホバに仕え続けるなら,エホバは私たちの良いところを伸ばし,やがて完全な人間になれるようにしてくれます。神に仕える私たちは,サタンが支配する世の中でどんな扱いを受けてきたとしても,エホバにとっては貴重な存在だということを確信できます。(ハガイ 2:7)

      エホバは私たちへの愛を行動で示している

      16. エホバの私たちへの愛が一番よく表れている贈り物は何ですか。その贈り物が私たち一人一人のためのものだとどうして分かりますか。

      16 4つ目の点として,エホバは私たちを愛しているのでたくさんのことをしてくれています。何よりも,キリストの贖いの犠牲という贈り物を与えてくれました。そのようにして,人間は神に愛されてなどいないというサタンの主張が間違っていることをはっきり示しました。イエスが杭に掛けられて苦しみながら死んでくれたのも,エホバが愛する子の死を見るというさらに大きな苦しみに耐えてくれたのも,エホバとイエスが私たちを愛しているからだということを決して忘れないようにしましょう。エホバが自分なんかのために贖いを与えてくれたとは思えないと言う人たちもいますが,キリストの弟子たちを迫害していたパウロがこう書いています。「神の子は私を愛し,私のために自分を差し出してくださいました」。(ガラテア 1:13; 2:20)

      17. エホバは自分とイエスのもとに一人一人を引き寄せるため,どんなことをしていますか。

      17 エホバはキリストの犠牲の恩恵を受けられるよう一人一人を助けることによって,私たちを愛していることをはっきり示しています。イエスは,「私を遣わした父が引き寄せてくださらない限り,誰も私のもとに来ることはできません」と言いました。(ヨハネ 6:44)この言葉から分かるように,イエスのもとに行って永遠の命の希望を持つことができるのは,エホバが引き寄せてくれるおかげです。エホバは伝道活動を導いて,良い知らせが一人一人に伝わるようにしています。また,不完全で限界がある私たちが真理を理解し,真理に沿って生きられるように,聖なる力で助けてくれています。それで,エホバがイスラエル国民に語った次の言葉は,私たちにも当てはまります。「私は永遠の愛をもってあなたを愛してきた。そのため,揺るぎない愛をもってあなたを引き寄せたのである」。(エレミヤ 31:3)

      18-19. (ア)エホバの愛を一番実感できるのはどんな時ですか。エホバ自身が祈りを聞いてくれることがどうして分かりますか。(イ)エホバが感情移入してくれることが,聖書のどんな言葉から分かりますか。

      18 エホバが自分のことを愛してくれていると一番実感できるのは,エホバに祈る時でしょう。聖書は,「絶えず祈ってください」と勧めています。(テサロニケ第一 5:17)神は必ず聞いてくれます。「祈りを聞く方」と呼ばれている通りです。(詩編 65:2)エホバはほかの誰にも,独り子イエスにさえ,祈りを聞くことを任せていません。宇宙を創造した方が,自分に祈ってほしい,何でも自由に話してほしいと思ってくれているのです。そして,あまり関心のない冷めた態度で聞くようなことは決してありません。どんなふうに聞いてくれるのでしょうか。

      19 エホバは感情移入してくれます。感情移入とはどういうことでしょうか。長年エホバに仕えたある兄弟はこう言いました。「感情移入とは,わたしの心の内であなたの苦痛を感じることです」。では,エホバは本当に私たちの苦痛を感じてくれるのでしょうか。神の民イスラエルが苦しんだ時のことについて,聖書にはこう書かれています。「彼らが苦しんでいたどの時にも,神も苦しみを味わった」。(イザヤ 63:9)エホバは大変な状況にある民をただ見ていたのではなく,彼らの苦しみを自分のことのように感じました。エホバが自分に仕える人たちの痛みをどれほど敏感に感じ取るかが,次の言葉によく表れています。「あなたたちに触れる者たちは私の瞳に触れているのである」。b (ゼカリヤ 2:8)瞳に触れられたら,とても痛いことでしょう。エホバはそれほど強く共感してくれるのです。私たちが傷つくと,エホバの心も痛みます。

      20. ローマ 12章3節によると,バランスの欠けたどんな考え方をするべきではありませんか。

      20 神から愛され高く評価されているからといって,誇りやうぬぼれの気持ちを持つべきではありません。使徒パウロはこう書いています。「私は,示していただいた惜しみない親切に基づき,皆さんに言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません。各自が神から与えられた信仰に応じて,健全な考え方をしましょう」。(ローマ 12:3)別の翻訳ではこうなっています。「あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ,……慎み深く評価すべきです」。(「新共同訳」,日本聖書協会)ですから,天の父の温かい愛を存分に感じつつ,バランスの取れた健全な考え方をしましょう。私たちは神から愛されて当然というわけではないことを覚えておく必要があります。(ルカ 17:10)

      21. サタンのうそから来るどんな間違った考えをはねのける必要がありますか。どんな真理を心に留めておくとよいですか。

      21 人間には価値がなく神に愛されていないという主張を含む,サタンのどんなうそにもだまされないようにしましょう。あなたはこれまでに経験したことが原因で,大きな愛を持つ神でも自分のことなんて愛してくれるわけがないと感じていますか。あるいは,自分の良い行いなんて,全てを見ている神でも見過ごすほど微々たるものだとか,自分の罪は大き過ぎて,神の大切な独り子の死でも覆い切れないと思っていますか。それは全て,真実ではありません。そうした間違った考えをはねのけてください。パウロが聖なる力に導かれて書いた次の真理を心に留めましょう。「私は確信しています。死も,生も,天使も,政府も,今あるものも,これから来るものも,力も,高さも,深さも,ほかのどんな創造物も,主であるキリスト・イエスを通して示される神の愛から私たちを引き離すことはできません」。(ローマ 8:38,39)

      a 聖書の中で,復活の希望はエホバの記憶と何度も結び付けられています。忠実なヨブはエホバにこう言いました。「私のために期限を定め,時が来たら私を思い出してください」。(ヨブ 14:13)イエスは「記憶にとどめられる」という意味合いのギリシャ語を使って,「記念の墓の中にいる人が皆」復活すると言いました。エホバは,生き返らせたいと思っている人たちのことを完璧に覚えているのです。(ヨハネ 5:28,29)

      b 幾つかの聖書ではこの聖句が,神の民に触れる者は自分自身の瞳もしくはイスラエルの瞳に触れている,と訳されています。その間違いが入り込んだのは,神の瞳とすると不敬だと考えた写字生たちが本文を変えたためです。彼らが余計なことをしたせいで,聖書によってはエホバの感情移入の強さが伝わりにくくなっています。

      じっくり考えたいこと

      • 詩編 139:1-24 ダビデ王が聖なる力に導かれて書いた言葉から,エホバが私たち一人一人に関心を払っていることがどのように分かりますか。

      • イザヤ 43:3,4,10-13 エホバは自分の証人たちについてどう思っていますか。その気持ちをどのように行動に表しますか。

      • ローマ 5:6-8 罪深い私たちをエホバが愛してくれると確信できるのはどうしてですか。

      • ユダ 17-25 神に愛され続けるにはどうしたらいいですか。どんな悪い影響力に注意する必要がありますか。

  • 「神の温かい思いやり」
    エホバに近づきなさい
    • 女性が思いやり深い表情を浮かべている。

      第25章

      「神の温かい思いやり」

      1-2. (ア)赤ちゃんが泣くと,母親はどうするものですか。(イ)母親が自分の子を思いやる気持ちよりも強いのは,誰のどんな感情ですか。

      真夜中に赤ちゃんが泣くと,母親はすぐに目を覚まします。赤ちゃんが生まれてから,以前のようにぐっすりとは眠っていません。今ではいろいろな泣き声を聞き分けることができます。おなかがすいたのか,抱っこしてほしいのか,だいたい分かります。赤ちゃんがどんな理由で泣いていても,母親はすぐに駆け付けます。子供を深く愛しているので,放っておけないのです。

      2 母親が自分の子を思いやる気持ちは,人間が抱く感情の中でも特に優しくて温かいものです。しかし,私たちの神エホバの温かい思いやりは,それよりもはるかに強い感情だと言えます。エホバの素晴らしい思いやりについて知ると,いっそうエホバに引き付けられます。では,思いやりとはどういうものか,神がどのようにそれを示しているかを考えましょう。

      思いやりとはどういうものか

      3. 「憐れみを示す」とか「哀れに思う」と訳されるヘブライ語動詞にはどんな意味がありますか。

      3 聖書で言う思いやりは,憐れみと深いつながりがあります。温かい思いやりという意味合いのあるヘブライ語やギリシャ語の言葉はいろいろあります。その1つは,「憐れみを示す」とか「哀れに思う」と訳されることが多い「ラーハム」というヘブライ語動詞です。ある文献によるとラーハムという動詞は,「わたしたちにとって大切な人,もしくはわたしたちの助けを必要としている人の弱さや苦しみを見た時に生じるような,深い優しい同情心を表わす」言葉です。エホバの感情を指して使われることもあるこのヘブライ語は,「胎」と訳される言葉と関連があり,「母親のような思いやり」と表現することもできます。a (出エジプト記 33:19。エレミヤ 33:26)

      母親が赤ちゃんを抱いている。

      「女性が……自分が産んだ子を思いやらなかったりするだろうか」

      4-5. 母親が赤ちゃんに対して抱く気持ちと比較して,エホバの思いやりはどういうものですか。

      4 聖書は,母親が赤ちゃんに対して抱く気持ちを引き合いに出して,エホバの思いやりがどういうものかを教えています。イザヤ 49章15節にはこう書かれています。「女性が自分の乳を飲ませている子を忘れたり,自分が産んだ子を思いやらなかったりする[ここでラーハムが使われている]だろうか。たとえ女性たちが忘れたとしても,私があなたを忘れることは決してない」。この感動的な言葉から,エホバが自分の民をどれほど深く思いやっているかが分かります。

      5 母親は普通,自分の赤ちゃんのことを忘れたりしません。無力で一日中母親の愛情深い世話を必要としている赤ちゃんを放っておくというのは,考えにくいことです。しかし,悲しいことに,今は「危機的な時」で「自然な愛情」を持たない人が多く,育児を放棄してしまう母親もいます。(テモテ第二 3:1,3)でもエホバは,「私があなたを忘れることは決してない」と断言しています。エホバが自分に仕える人たちに対して抱く温かい思いやりは,決して薄れることがありません。大抵の母親が赤ちゃんに対して自然に感じる優しい感情よりも,はるかに深くて温かいものです。そのため,ある聖書学者はイザヤ 49章15節についてこう書きました。「これは,旧約聖書の中で神の愛が最も力強く表明されている例と言っても過言ではない」。

      6. 不完全な人間は温かい思いやりについてどういう見方をしがちですか。でも,エホバはどんな方ですか。

      6 温かい思いやりがある人は,軟弱なのでしょうか。不完全な人間はそういう見方をしがちです。一例として,イエスと同時代の人で,ローマでも有数の知識人だった哲学者セネカは,「人を哀れに思うことは……精神の弱さである」と教えました。セネカは,感情の伴わない平静さを重視するストア主義という哲学を支持していました。セネカによれば,賢人は困っている人を助けることはあっても,その人に同情すべきではありませんでした。そうした感情を持つと心が平安ではなくなるからです。そのような自己中心的な考え方をする人は,心からの思いやりを持つことはありません。それとは全く対照的に,エホバは聖書に書かれている通り「思いやりにあふれ,憐れみ深い方」です。(ヤコブ 5:11,脚注)後でまた考えますが,思いやりは弱さではなく強さの表れです。では,エホバが愛情深い親のように思いやりを示してきた例を見てみましょう。

      エホバはイスラエル国民に思いやりを示した

      7-8. イスラエル人はエジプトでどんな苦しみを味わっていましたか。それを見てエホバはどうしましたか。

      7 エホバの思いやりは,イスラエル国民のためにしたことにはっきり表れています。紀元前16世紀の終わりごろ,何百万人ものイスラエル人がエジプトで奴隷にされ,虐げられていました。エジプト人は「重労働を課して彼らの生活をつらいものにし,粘土モルタルやれんがを作らせたり,野原でのあらゆる奴隷労働をさせたり」しました。(出エジプト記 1:11,14)苦しんでいたイスラエル人は,エホバに助けを求めました。温かい思いやりのある神は,それを聞いてどうしたでしょうか。

      8 エホバは心を動かされ,こう言いました。「私は,エジプトにいる私の民の苦悩を確かに見た。強制労働をさせる者たちのことで叫ぶ彼らの声を聞いた。彼らの苦痛をよく知っている」。(出エジプト記 3:7)エホバは自分の民の苦しみを見て,叫び声を聞いて,感情をかき立てられました。この本の第24章で取り上げた通り,エホバは感情移入をする神です。しかも,自分の民の苦痛を自分のことのように感じただけでなく,民のために行動したいと思いました。イザヤ 63章9節によれば,「神は愛と思いやりをもって彼らを救い」ました。「力強い手」でイスラエル人をエジプトから救出したのです。(申命記 4:34)そして,奇跡によって食べ物を与え,肥沃な土地に導いてそこに定住させました。

      9-10. (ア)約束の地で暮らすようになったイスラエル人をエホバが何度も救ったのはどうしてですか。(イ)エフタの時代に,エホバはイスラエル人をどんな状況から救い出しましたか。そうしようと思ったのはどうしてですか。

      9 エホバはイスラエル人が約束の地で暮らすようになった後も思いやりを示し続けました。民は繰り返し神に背き,その結果として苦しみましたが,彼らが本心に立ち返ってエホバに助けを求めるたびに,エホバは民を救いました。「ご自分の民……のことを思いやって」いたからです。(歴代第二 36:15。裁き人 2:11-16)

      10 エフタの時代に起きたことを考えてみましょう。イスラエル人が偽の神々に仕えるようになったため,エホバは彼らが18年間アンモン人に虐げられるままにしました。その後,イスラエル人はようやく悔い改めます。聖書にこう書かれています。「イスラエル人は……自分たちの中から外国の神々を除き去って,エホバに仕えた。そのためイスラエルの苦しみは神にとって耐え難いものとなった」。(裁き人 10:6-16)民が本当に悔い改めたので,温かい思いやりのあるエホバは彼らの苦しみを見ていられなくなりました。それで,エフタに力を与え,敵の手からイスラエル人を救い出させました。(裁き人 11:30-33)

      11. エホバがイスラエル人のためにしたことから,思いやりについてどんなことが分かりますか。

      11 エホバがイスラエル国民のためにしたことから,温かい思いやりについてどんなことが分かるでしょうか。まず,それは単に人の不幸や苦しみを見て同情するだけのものではないということです。子供を思いやる母親は,赤ちゃんの泣き声を聞くと駆け付けて世話をします。同じように,温かい思いやりのあるエホバは,助けを求める民の声を聞くと,苦しみを和らげてあげたいと思って行動します。イスラエル人の例からさらに分かるのは,思いやりは弱さの表れではないということです。エホバは思いやりがあるからこそ,自分の民を救うために力強く戦ったからです。では,エホバは自分の民全体だけではなく,個々の人にも思いやりを示すのでしょうか。

      エホバは個々の人を思いやる

      12. 律法には,個々の人へのエホバの思いやりがどのように表れていますか。

      12 神がイスラエル国民に与えた律法には,個々の人への思いやりが表れています。一例として,貧しい人に関するおきてについて考えてみましょう。エホバは,予期しない状況が生じて誰かが貧しくなってしまう場合もあることを踏まえて,イスラエル人に次のように命じていました。「その貧しい兄弟に冷淡になったり出し惜しみしたりしてはなりません。兄弟に気前よく与えるべきであり,嫌々与えるべきではありません。このような理由で,あなたの神エホバは,あなたの全ての行いと働きを祝福してくださるのです」。(申命記 15:7,10)エホバはさらに,畑の端まで刈り尽くすことや,収穫の後に残った物を拾うことを禁じました。恵まれない人たちが落ち穂を拾えるようにするためです。(レビ記 23:22。ルツ 2:2-7)この規定をイスラエル国民が守っている限り,貧しい人たちは物乞いをする必要がありませんでした。まさにエホバの温かい思いやりの表れと言えます。

      13-14. (ア)ダビデの言葉から,エホバが私たち一人一人を深く気遣っていることがどのように分かりますか。(イ)どんな実話から,エホバが「心が傷ついた人」や「打ちのめされた人」のそばにいてくれると確信できますか。

      13 愛情深い神は今でも私たち一人一人を深く気遣っています。私たちはどんな大変なことがあっても,エホバが寄り添ってくれることを確信できます。ダビデはこう書きました。「エホバは正しい人に目を留め,助けを求める彼らの叫びに耳を傾ける。エホバは心が傷ついた人のそばにいる。打ちのめされた人を救ってくださる」。(詩編 34:15,18)この聖句に出てくる人たちについて,ある聖書学者はこう述べています。「彼らは心が傷つき,悔恨の情を抱いている。罪のゆえに謙虚になり,むなしさを感じているのである。自分は卑しい人間だと考え,自分の価値に自信を持てないでいる」。そのような人は,エホバを遠くに感じ,自分のようなちっぽけな人間を神が気に掛けてくれるはずがないと考えるかもしれません。でも,決してそんなことはありません。ダビデの言葉から,自分は駄目だと思っている人をエホバが見捨てることはないと確信できます。思いやり深い神は,そういう時こそ私たちが助けを必要としていることをよく理解していて,そばにいてくれます。

      14 1つの実話を考えてみましょう。米国のある母親が,2歳の息子を急いで病院に連れていきました。ひどい気管支炎で苦しんでいたからです。その子を診察した医師は,1晩入院させる必要があると母親に告げました。その晩,母親はどこで過ごしたでしょうか。病室で,息子のベッドのすぐ隣に置いた椅子にずっと座っていました。幼いわが子が病気なので,離れたくなかったのです。神に似た者として造られた人間がそのような思いやりを示すのですから,まして私たちの愛情深い天の父はそれ以上のことをしてくれるに違いありません。(創世記 1:26)詩編 34編18節の感動的な言葉の通り,私たちが傷ついたり打ちのめされたりするとき,エホバは愛情深い親のように「そばに」いてくれます。いつも私たちを思いやり,すぐに助けてくれるのです。

      15. エホバは私たち一人一人をどのように助けてくれますか。

      15 では,エホバは私たち一人一人をどのように助けてくれるのでしょうか。必ずしも苦しみの原因を取り除くわけではありませんが,いろいろな方法で支えてくれます。例えば,聖書の中に役立つアドバイスを収めてくれています。また,信頼できるクリスチャンの監督たちに会衆を見守らせています。その監督たちは,エホバに倣って思いやり深く仲間を助けるように努力しています。(ヤコブ 5:14,15)「祈りを聞く方」であるエホバは,「ご自分に求めている人に聖なる力を与えて」くれます。(詩編 65:2。ルカ 11:13)そのおかげで,神の王国があらゆる問題を解決するまで忍耐するための「普通を超えた力」を持てます。(コリント第二 4:7)こうしたエホバの助けに本当に感謝したいと思うのではないでしょうか。それらは全て,エホバの温かい思いやりの表れです。

      16. エホバの思いやりはどんなことに一番よく表れていますか。あなたがそれに感謝しているのはどうしてですか。

      16 もちろん,エホバの思いやりは,最愛の子を私たちのための贖いとして与えてくれたことに一番よく表れています。エホバは私たちを深く愛してそれほどの犠牲を払ってくれたのであり,そのおかげで私たちは救われるという希望を持てます。贖いは,私たち一人一人へのエホバからの贈り物です。バプテストのヨハネの父親であるゼカリヤによれば,贖いによって「神の温かい思いやり」がはっきり示されることになっていました。(ルカ 1:78)

      エホバはどこまで思いやるか

      17-19. (ア)エホバはどんな場合でも思いやりを示しますか。(イ)エホバがイスラエル人にもう思いやりを示せないと感じたのはどうしてですか。

      17 エホバはどんな場合にも温かい思いやりを示すのでしょうか。そうではありません。聖書にはっきり示されているように,神から見て正しくないことを行い続ける人をエホバがいつまでも思いやることはありません。(ヘブライ 10:28)もう一度イスラエル国民の例を考えてみましょう。

      18 エホバは何度もイスラエル人を敵から救いましたが,不従順な民をいつまでも思いやることはしませんでした。彼らが偶像崇拝をやめようとせず,汚らわしい偶像をエホバの神殿に持ち込むことまでしていたからです。(エゼキエル 5:11; 8:17,18)聖書にはこうも書かれています。「彼らは真の神の使者たちをばかにし続け,神の言葉を侮り,預言者たちをあざけったので,ついには矯正しようがないほどになった。エホバはご自分の民に激怒した」。(歴代第二 36:16)イスラエル人があまりにも悪かったので,もはやエホバが思いやりを示すのは正しいこととは言えませんでした。エホバは正当な怒りを感じました。その後どうなったでしょうか。

      19 エホバはこう言いました。「私はいたわらず,悲しまず,憐れみも示さない。私が彼らを滅ぼすのを阻むものは何もない」。(エレミヤ 13:14)結果として,エルサレムは神殿もろとも滅ぼされ,イスラエル人は捕らわれてバビロンに連れていかれました。罪深い人間が神に背き,もう思いやりを示せないとエホバに感じさせるほど悪くなってしまうのは,本当に悲しいことです。(哀歌 2:21)

      20-21. (ア)エホバは間もなく,悪い人々をこれ以上思いやることはできないというタイミングで何をしますか。(イ)次の章では,エホバの思いやりが特によく表れているどんなことについて取り上げますか。

      20 現代ではどうでしょうか。エホバは変わっていません。思いやり深くも,自分の証人たちによって「王国の良い知らせ」が世界中に伝わるようにしています。(マタイ 24:14)誠実な人たちが耳を傾けると,エホバはその人たちが王国についての真理を理解できるように助けます。(使徒 16:14)しかし,この伝道活動はいつまでも続くわけではありません。苦しみや悲しみでいっぱいの悪い世の中をずっとこのままにしておくのは,思いやりのあることではありません。エホバは自分に従おうとしない人々をこれ以上思いやることはできないというタイミングで,この体制を滅ぼすために行動を起こします。そうするのも,エホバが自分の「聖なる名」を気に掛けていて,自分に献身的に仕える人たちを思いやるからこそです。(エゼキエル 36:20-23)エホバは全ての悪をなくし,正しいことが行き渡る新しい世界をつくります。悪い人々についてエホバはこう言っています。「私の目は彼らを惜しまず,私は同情しない。彼らに自分たちの歩みの報いを受けさせる」。(エゼキエル 9:10)

      21 とはいえ,その時までは,エホバは全ての人に思いやりを示します。罪深い人間は悪い生き方をやめないなら滅ぼされますが,誠実に悔い改めるならエホバに許してもらえます。そのような許しには,エホバの思いやりが特によく表れています。次の章では,エホバが完全に許してくれることが聖書の中でどのように美しく表現されているかを取り上げます。

      a ラーハムというヘブライ語動詞は,父親が子供に抱く憐れみや思いやりの気持ちを指して使われることもあります。詩編 103編13節がその例です。

      じっくり考えたいこと

      • エレミヤ 31:20 エホバは自分の民についてどう思っていますか。そういうエホバのことを,あなたはどう思いますか。

      • ヨエル 2:12-14,17-19 エホバに思いやりを示してもらえるよう,民は何をする必要がありましたか。そのことから私たちは何を学べますか。

      • ヨナ 4:1-11 エホバは思いやりの大切さについてどのようにヨナに教えましたか。

      • ヘブライ 10:26-31 エホバの憐れみや思いやりに付け込むべきでないのはどうしてですか。

  • 神は「快く許してくださいます」
    エホバに近づきなさい
    • 男性が祈っている。

      第26章

      神は「快く許してくださいます」

      1-3. (ア)ダビデが苦しんでいたのはどうしてですか。どんなことを理解して気持ちが楽になりましたか。(イ)私たちも罪を犯すとどんな気持ちになるかもしれませんか。でも聖書によると,エホバは何をしてくれますか。

      ダビデはかつてこう書きました。「私の過ちは頭の上に高く積み重なる。負い切れない重い荷物のように。私は感覚を失い,完全に打ちのめされ[た]」。(詩編 38:4,8)ダビデは,罪の意識が心に重くのしかかり,とても苦しんでいました。でも,あることを理解して気持ちが楽になりました。エホバは罪を憎んでいるものの,罪を犯した人が本当に悔い改めて罪深い生き方をやめるなら,その人を憎んだりはしない,ということです。ダビデは,悔い改めた人にエホバが憐れみを示してくれることを確信し,「エホバ,あなたは……快く許してくださいます」と言いました。(詩編 86:5)

      2 私たちも,罪を犯してしまって良心が痛み,とてもつらい気持ちになることがあるかもしれません。後悔し反省するのは良いことです。何とかして自分の過ちを正そうという気持ちになるからです。でも,罪の意識に押しつぶされてしまう危険もあります。自分は駄目だ,どんなに悔い改めてもエホバは許してくれない,と思い込んでしまうかもしれません。もし「あまりの悲しみに打ちのめされて」,自分にはエホバに仕える資格なんてないと考えて諦めてしまうなら,サタンの思うつぼです。(コリント第二 2:5-11)

      3 エホバは,罪を犯した人を見限ったりするでしょうか。決してそんなことはありません。エホバは私たちを深く愛しているので,許してくれます。聖書に書かれている通り,私たちが心から悔い改めるなら,快く許してくれるのです。(格言 28:13)では,自分はエホバから許してもらえないなどと考えてしまうことがないように,エホバがなぜ,どのように許すのかを調べてみましょう。

      エホバが「快く許して」くれるのはなぜか

      4. エホバは私たちについてどんなことを分かっていますか。そのため私たちをどのように扱ってくれますか。

      4 エホバは私たちに限界があることをよく分かっています。詩編 103編14節にはこう書かれています。「神は私たちの造りをよく知っている。私たちが土でできているにすぎないことを覚えている」。私たちが土でできていて,不完全でいろいろな欠点や弱点があることを,神は思いやってくれます。「私たちの造り」を知っているという表現から,聖書の中でエホバが陶芸家に例えられていることが思い出されます。私たちは,エホバが粘土で作る器のようです。(エレミヤ 18:2-6)素晴らしい陶芸家であるエホバは,私たちが罪深くて弱いことや,神の導きにうまく応えられないときもあることを理解していて,優しく扱ってくれます。

      5. ローマのクリスチャンへの手紙の中で,罪の強い影響力がどのように表現されていますか。

      5 エホバは罪の影響力の強さもよく分かっています。聖書によれば,罪はいわば人間をがっちりとつかんで死へと引きずり込みます。その力はどれほど強いのでしょうか。ローマのクリスチャンへの手紙の中で,使徒パウロはこのように説明しています。私たちは,司令官への絶対服従を要求される兵士のように,「罪の支配下に」あります。(ローマ 3:9)罪は王のように人類を「支配」してきました。(ローマ 5:21)罪は私たちの「内に」宿っています。(ローマ 7:17,20)罪の「律法」は常に私たちの生き方をコントロールしようとしています。(ローマ 7:23,25)確かに不完全な人間は,罪の大きな力に束縛されています。(ローマ 7:21,24)

      6-7. (ア)心から悔い改めて許しを求める人のことをエホバはどう思いますか。(イ)何をしても神に許されると考えるべきでないのはどうしてですか。

      6 私たちは,エホバに従いたいとどれほど強く願っていても,完全に従順であることはできません。エホバはそのことをよく理解していて,心から悔い改めるなら許すと優しく言ってくれています。詩編 51編17節にはこう書かれています。「神に喜ばれる犠牲は,悔いる気持ち。後悔し,打ちのめされた心を,神よ,あなたは退けません」。罪の意識に苦しみ,「後悔し,打ちのめされた」人に,エホバは決して背を向けたりしません。

      7 だからといって私たちは,自分は罪深いのだから仕方ない,何をしても神は許してくれる,と考えるべきではありません。エホバは憐れみ深いとはいえ,情に流されて罪を大目に見たりはしません。悪いことだと分かっていながら罪を犯し続け,悔い改めようとしない人は,決してエホバに許されません。(ヘブライ 10:26)一方,心から悔い改める人は,快く許してもらえます。聖書には,エホバの愛の素晴らしい一面である許しについての美しい表現がちりばめられています。その幾つかに注目してみましょう。

      エホバの許しはどれほどのものか

      8. エホバは私たちの罪を許す時,いわばどんなことをしてくれますか。私たちは何を確信できますか。

      8 罪を悔い改めたダビデはこう言いました。「私はついに自分の罪をあなたに告白した。過ちを隠さなかった。……すると,あなたは過ちと罪を許してくださった」。(詩編 32:5)ここで「許し[た]」と訳されているヘブライ語には,「持ち上げる」とか「運ぶ」という意味があります。この聖句では,罪や違反を取り去るという意味で使われています。ですからエホバは,ダビデの罪をいわば持ち上げて運び去ったのです。そのおかげで,ダビデにとって重荷のようだった罪悪感が和らいだことでしょう。(詩編 32:3)私たちも,イエスの贖いの犠牲に信仰を持って許しを求めるなら神が罪を運び去ってくれる,と確信できます。(マタイ 20:28)

      9. エホバは私たちの罪を私たちからどれほど遠くに離してくれますか。

      9 ダビデはイメージしやすい言葉を使って,エホバによる許しを次のようにも表現しています。「日の出は日の入りから遠く離れている。同じように,神は私たちの違反を私たちから遠くに離してくださった」。(詩編 103:12)日が昇る東と,日が沈む西は,どれほど遠く離れているでしょうか。東と西は対極にあり,決して交わることがないので,限りなく遠く離れていると言えます。ある学者によると,この聖句の表現は「最大限遠く離れている」とか「想像し得る最も遠い所にある」という意味です。ダビデが聖なる力に導かれて書いた言葉から分かる通り,エホバは私たちを許す時,罪を私たちから限りなく遠くに離してくれるのです。

      山が雪に覆われている。

      「あなたたちの罪は……雪のように白くされる」

      10. エホバに罪を許してもらうと,罪という染みが消えずにずっと残るということはありません。どうしてそう言えますか。

      10 あなたは,白い服から染みを抜こうとしたことがありますか。いくらやっても染みが完全には消えなかったかもしれません。では,エホバは私たちを許す時,罪という染みをどれほどきれいに抜いてくれるのでしょうか。聖書にこう書かれています。「あなたたちの罪は緋のようだが,雪のように白くされる。紅の布のように赤いが,羊毛のようになる」。(イザヤ 1:18)「緋」は明るい赤でa,「紅」はよく布を染めるのに使われた濃い赤です。(ナホム 2:3)私たちはどんなに頑張っても,自分の力で罪という染みを抜くことはできません。しかしエホバは,緋や紅のような罪を,雪や染めていない羊毛のように白くすることができます。エホバに罪を許してもらうと,罪という染みが消えずにずっと残るということはないのです。

      11. エホバが私たちの罪を自分の後ろに投げ捨てるとは,どういうことですか。

      11 ヒゼキヤは,致命的な病気を癒やしてもらった後に作った感謝の歌の中で,エホバにこう言いました。「あなたは……私の全ての罪をご自分の後ろに投げ捨ててくださいました」。(イザヤ 38:17)この言葉から分かるように,エホバは悔い改めた人の罪をいわば自分の後ろに投げ捨て,もうそれを見ることも思い出すこともしません。ある聖書辞典によると,この聖句の表現は「あなたは[私の罪を]まるで生じなかったかのようにされた」と言い換えられます。エホバがそのようにしてくれると思うと,ほっとするのではないでしょうか。

      12. 預言者ミカの言葉から,エホバの許しについてどんなことが分かりますか。

      12 預言者ミカは,悔い改めた民をエホバが許してくれるという確信を次のような言葉で表現しました。「あなたのような神がいるでしょうか。あなたはご自分の財産である民の残りの者の……違反を見過ごす方。……全ての罪を深い海の中に投げ込んでくださる」。(ミカ 7:18,19)当時の人たちがこの言葉を聞いてどう思ったか,想像してみてください。「深い海の中に」投げ込まれたものは,もう二度と戻ってこなかったことでしょう。ですからミカの言葉は,エホバは許す時に私たちの罪を永久に捨て去ってくれるということを示しています。

      13. イエスによると,エホバはどのように罪を許してくれますか。

      13 イエスは,「私たちの罪をお許しください」と祈るよう教えました。「罪」と訳されているギリシャ語には「負債」という意味があります。(マタイ 6:12,脚注)イエスは罪を負債になぞらえていたのです。(ルカ 11:4,脚注)私たちは罪を犯すと,いわばエホバに対して負債を負います。ある聖書辞典によると,「許す」と訳されているギリシャ語動詞には「返済を請求せずに債権を手放す」という意味があります。エホバは許す時に,いわば私たちの負債を帳消しにしてくれます。そして,一度帳消しにした負債を蒸し返したりはしないので,罪を悔い改めた人は安心できます。(詩編 32:1,2)

      14. エホバが「罪を消し去って」くれるというのはどういうことですか。

      14 使徒 3章19節には,エホバの許しについてこう書かれています。「罪を消し去っていただくために,悔い改めて生き方を変えなさい」。「消し去って」と訳されているギリシャ語動詞には,拭い去るとか抹消するという意味があります。手書きの文字を消すというイメージだと説明する学者たちもいます。聖書時代,文字はどのように消したのでしょうか。当時よく使われていたインクは,すすと樹脂と水を混ぜて作られました。そのようなインクで書いた後,水を含んだ海綿で拭えば,文字を消すことができました。エホバは私たちの罪を許す時,いわば海綿で罪を拭い去ってくれるのです。エホバの憐れみの深さがよく分かる,素晴らしい表現です。

      15. エホバは私たちにどんなことを知ってほしいと思っていますか。

      15 聖書に出てくるこうしたいろいろな美しい表現について考えると,どんなことがはっきり分かるでしょうか。私たちが誠実に悔い改めるならエホバは快く許してくれる,ということです。エホバはそのことを私たちに知ってほしいと思っているのです。私たちは一度許されたなら,過去の過ちのことで再びとがめられる心配はありません。聖書によれば,エホバは大きな憐れみにより,罪を許すだけでなく忘れてくれるからです。そのことについても考えましょう。

      エホバは自分が「快く許[す]」ことを私たちに知ってほしいと思っている

      「彼らの罪をもはや思い出さない」

      16-17. エホバが私たちの罪を忘れるとはどういう意味ですか。どうしてそう言えますか。

      16 エホバは,新しい契約の当事者たちについてこう約束しました。「私は彼らの過ちを許し,彼らの罪をもはや思い出さない」。(エレミヤ 31:34)これは,エホバが許した人たちの罪を思い出せなくなるということではありません。聖書には,ダビデなどエホバに許された大勢の人の罪について書かれています。(サムエル第二 11:1-17; 12:13)エホバがその人たちの罪を覚えていることは明らかです。エホバは私たちを教えるために,その人たちがどんな罪を犯し,どのように悔い改めて許されたかを記録させました。(ローマ 15:4)では,エホバが許した人たちの罪を「思い出さない」とはどういうことでしょうか。

      17 「思い出す」と訳されるヘブライ語の動詞には,単に過去を思い起こす以上の意味があります。「旧約聖書の神学用語集」(英語)によると,その言葉には「適切な行動を取るという付加的な意味合い」が含まれています。ですから,神が罪を「覚えてい[る]」ことには,罪を犯した人を処罰することが伴います。(ホセア 9:9)逆に,神が罪を「思い出さない」というのは,悔い改めた人を一度許したなら,もうその罪のことでその人を処罰したりはしない,ということです。(エゼキエル 18:21,22)エホバは,何かにつけて私たちの過去の罪を持ち出したりはしないという意味で,罪を忘れてくれるのです。神が私たちの罪を許し,なおかつ忘れてくれるということが分かると,気持ちが楽になるのではないでしょうか。

      罪の報いについてはどうか

      18. 罪を悔い改めて許されても,罪の報いを全く受けずに済むわけではありません。どうしてそう言えますか。

      18 エホバが快く許してくれるということは,悔い改めた人は自分の犯した罪の報いを全く受けずに済むということでしょうか。そうではありません。パウロは,「人は自分がまいているものを必ず刈り取ることになります」と書きました。(ガラテア 6:7)間違った行動には,何らかの代償が伴うものです。これは,エホバが私たちを許しておきながら苦しい目に遭わせる,ということではありません。クリスチャンは問題が起きたとき,「これはエホバからの罰かもしれない」と考えるべきではありません。(ヤコブ 1:13)とはいえエホバは,私たちの間違った行いのせいで起きる悪い事柄全てから私たちを守るわけではありません。罪を犯した人は,離婚することになったり,望まない妊娠をしたり,性感染症にかかったり,信頼や敬意を失ったりするかもしれません。バテ・シバと姦淫をしてウリヤを殺したダビデは,エホバに許されましたが,罪のせいで悲惨な経験をすることになりました。(サムエル第二 12:9-12)

      19-21. (ア)レビ記 6章1-7節に書かれている規定は,どのように被害者と加害者双方のためになりましたか。(イ)罪を犯して人を傷つけてしまった場合,どうするならエホバに喜ばれますか。

      19 罪を犯して人を傷つけてしまった場合には,罪を償う必要もあることでしょう。一例として,レビ記 6章に書かれていることを考えてみましょう。モーセの律法のその部分では,人が仲間の物を盗んだり,脅し取ったり,だまし取ったりするという重大な過ちを犯した場合のことが取り上げられています。その人は,何の罪も犯していないといううその誓いさえします。証拠不十分で無罪になりますが,後に良心の呵責を感じて罪を告白します。罪を神に許してもらうには,3つのことを行わなければなりません。取った物を返し,さらにその物の価値の20%分を支払い,有罪の捧げ物として雄羊を差し出します。その後,「祭司はその人のためにエホバの前で贖罪を行い,その人は……許され」ます。(レビ記 6:1-7)

      20 この規定には神の憐れみが表れていました。被害者と加害者双方のためになったからです。被害者は持ち物を取り戻せましたし,加害者が罪を認めた時にはほっとしたことでしょう。悔い改めて罪を告白した加害者は,自分の罪を償うことができ,神に許してもらえました。

      21 現代ではモーセの律法は無効ですが,私たちはその律法から,許すことについてのエホバの考えをよく知ることができます。(コロサイ 2:13,14)罪を犯して人を傷つけてしまった場合,問題を解決するためにできる限りのことをするなら,神に喜ばれます。(マタイ 5:23,24)自分の罪を認め,被害者に謝罪する必要があるでしょう。そして,イエスの犠牲に基づいてエホバに許しを求めます。そうすれば,許してもらえたことを確信し,安心できます。(ヘブライ 10:21,22)

      22. エホバは許した人にどんなことをする場合もありますか。

      22 子供を思う親のように,エホバは許した人を矯正したり戒めたりすることもあります。(格言 3:11,12)例えば,クリスチャンは悔い改めたとしても,長老や援助奉仕者や開拓者として奉仕できなくなるかもしれません。自分が大切に思っていた奉仕がしばらくできなくなるのはつらいことでしょう。しかし,そのような形で矯正が与えられたとしても,エホバに許してもらえていないわけではありません。エホバは私たちを愛しているからこそ矯正してくれる,ということを覚えておきましょう。矯正を受け入れることは,必ず私たちのためになります。(ヘブライ 12:5-11)

      23. エホバが許してくれるはずはないと考えるべきでないのはどうしてですか。エホバに倣って人を許すべきなのはどうしてですか。

      23 神が「快く許して」くれることが分かると,とても心強く感じます。自分はとても悪いことをしてしまった,エホバが許してくれるはずはない,と考える必要はありません。私たちが本当に悔い改め,できる限りのことをして罪を償い,イエスの犠牲に基づいて真剣に許しを祈り求めるなら,エホバに許してもらえると確信できます。(ヨハネ第一 1:9)ぜひエホバに倣って,私たちも人を許しましょう。決して罪を犯すことがないエホバがこれほどまでに愛情深く許してくれるのですから,罪深い私たちはなおのこと許し合うべきではないでしょうか。

      a ある学者は緋についてこう述べています。「緋はあせない色,落ちない色だった。緋色の布は,露や雨にぬれても,洗濯しても,長く使っても,色が抜けることはなかった」。

      じっくり考えたいこと

      • 歴代第二 33:1-13 エホバがマナセを許したのはどうしてですか。そのことから神の憐れみについてどんなことが分かりますか。

      • マタイ 6:12,14,15 人を許せる十分な理由がある場合,許すのはなぜ大切なことですか。

      • ルカ 15:11-32 この例え話から,人を許す時のエホバの気持ちについてどんなことが分かりますか。そのことを考えると,あなたはどんな気持ちになりますか。

      • コリント第二 7:8-11 神に許してもらうにはどんなことをする必要がありますか。

  • 「神は何と善い方なのだろう」
    エホバに近づきなさい
    • 熟したブドウが木にたくさんなっている。

      第27章

      「神は何と善い方なのだろう」

      1-2. 善い方であるエホバのおかげでどんな幸せを感じられますか。聖書は神が善い方であることをどのように強調していますか。

      昔からの友人たちが,夕日に染まった美しい景色を見ながら屋外で一緒に食事をし,楽しく語り合っています。別の場所では,農家の人が自分の畑を見渡し,うれしそうにほほ笑んでいます。空に厚い雲が広がり,待ちわびていた恵みの雨が畑を潤し始めたからです。さらにほかの場所では,夫婦が自分たちの赤ちゃんが初めて何歩か歩くのを見て,大喜びしています。

      2 この人たちは気付いていないかもしれませんが,人がそのような幸せを感じられるのは,善い方であるエホバのおかげです。聖書にははっきりと,「神は何と善い方なのだろう」と書かれています。(ゼカリヤ 9:17)今の世の中で,この言葉の意味を本当に理解している人はほとんどいないでしょう。では,エホバ神が善い方であるとは,具体的にどういうことなのでしょうか。エホバは私たちのためにどんな善いことをしてくれているでしょうか。

      神の愛の際立った一面

      3-4. 「善い」とはどういうことですか。エホバが善い方なのは愛があるからこそだと言えるのはどうしてですか。

      3 多くの言語で「善い(良い)」という言葉には広い意味がありますが,聖書の中では主に道徳的に優れていることを指します。そのような意味で,エホバは限りなく善い方です。力,公正さ,知恵など,エホバのあらゆる面が善いのです。そして,覚えておきたい大切なこととして,エホバが善い方なのは愛があるからこそです。どうしてそう言えるのでしょうか。

      4 それは,善い人とはどんな人かを考えると分かります。使徒パウロが書いているように,人は正しい人よりも善い人に強く引かれます。(ローマ 5:7)正しい人は律法で求められていることを固く守りますが,善い人はそれ以上のことを行います。他の人のためになることを積極的に行うのです。この章で考えますが,エホバはまさにそういう意味で善い方です。無限の愛があるからこそ,常に善いことを行うのです。

      5-7. イエスが「善い先生」と呼ばれることを拒んだのはどうしてですか。イエスはどんな重要な真理を教えましたか。

      5 エホバは特別な意味で善い方です。イエスが亡くなる少し前の出来事について考えてみましょう。ある男性が質問しようとしてやって来て,イエスを「善い先生」と呼びました。するとイエスはこう言いました。「なぜ私のことを善いと呼ぶのですか。神以外に善い者は誰もいません」。(マルコ 10:17,18)一体どうしてイエスはそのように言ったのでしょうか。男性が言った通り,イエスは「善い先生」だったのではないでしょうか。

      6 その男性は「善い先生」という言葉を,個人をたたえる特別な呼称として使っていたようです。慎み深いイエスは,そのようにたたえられるべきなのは誰よりも善い方であるエホバだけだと言っていたのです。(格言 11:2)イエスはさらに,1つの重要な真理を教えていました。至高者であり主権者であるエホバだけが,何が善で何が悪かを決める権利を持っている,ということです。アダムとエバは,神に反逆して善悪の知識の木の実を食べることにより,自分たちで善悪を決めたいという態度を表しました。その2人とは違って,イエスは天の父だけに善悪の基準を定める権利があることを謙遜に認めていました。

      7 加えてイエスは,全ての良いものの源がエホバであることを知っていました。「良い贈り物,完全な贈り物は全て」エホバから与えられるのです。(ヤコブ 1:17)では,エホバがどんな良いものを惜しみなく与えてくれているかを考えてみましょう。

      善い神エホバからのたくさんの贈り物

      8. エホバは全ての人に対してどんな善いことを行ってきましたか。

      8 例外なく全ての人が,善い神であるエホバのおかげで生きています。詩編 145編9節には,「エホバは全てのものに対して善いことを行う」と書かれています。そのことを示すどんな例があるでしょうか。聖書はこう述べています。「[神は]善いことを行って,ご自分のことを明らかにしていました。天からの雨と実りの季節を与え,食物を豊かに供給して人々の心を喜びで満たしたのです」。(使徒 14:17)おいしい物を食べると,幸せな気持ちになるものです。私たちが食事を楽しめるのは,善い神であるエホバが地球を素晴らしく造ってくれたおかげです。水が循環していつも豊富にあり,「実りの季節」が巡ってくるので,たくさんの食物が生産できるようになっています。エホバは自分に従う人たちだけでなく全ての人に,そのような良いものを与えています。イエスはこう言いました。「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ,正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるのです」。(マタイ 5:45)

      9. リンゴのどんなところから,エホバが善い神だと分かりますか。

      9 多くの人は,太陽や雨や実りの季節を当たり前のものだと思っているので,エホバのおかげでたくさんの良いものを味わえていることに感謝していません。良いものの一例として,リンゴについて考えてみましょう。リンゴは温帯地域でなじみ深い果物で,美しく,食べておいしく,みずみずしい果汁や大切な栄養素をいっぱいに含んでいます。世界には約7500種類ものリンゴがあります。色は赤,黄色,緑などいろいろで,サイズもサクランボぐらい小さなものからグレープフルーツぐらい大きなものまでさまざまです。リンゴの種は小さくて地味ですが,その種から芽が出て成長すると立派な木になります。(ソロモンの歌 2:3)春になると美しい花が咲き乱れ,秋には実がなります。70年以上にわたって毎年400㌔もの実を付けるリンゴの木もあります。

      エホバは「天からの雨と実りの季節を与え」てくれる

      果樹園のリンゴの木に熟した実がたくさんなっている。小さなリンゴの種を指先でつまんでいる写真が挿入されている。

      この小さな種が立派な木になり,何十年も実を付けて私たちを楽しませてくれる

      10-11. 五感が,善い神エホバからの贈り物だと言えるのはどうしてですか。

      10 私たちの体のことを考えると,エホバがどこまでも善い方であることをいっそう実感できます。人体は「素晴らしく造られて」いて,さまざまな感覚があるのでエホバが造ったものを楽しむことができます。(詩編 139:14)この章の冒頭で取り上げた幾つかの状況を思い起こしてみましょう。そういう場面で,視覚によってどんな喜びを感じられるでしょうか。真っ赤なほっぺの赤ちゃんの笑顔,畑に優しく降り注ぐ雨のシャワー,赤やオレンジや紫に染まった夕焼け空などを見ることができます。人間の目は,数百万色を見分けられるといわれています。聴覚はどうでしょうか。家族や友達のいろいろな声のトーンや,木立を抜ける風のささやき,赤ちゃんのうれしそうな笑い声などを聞き取ることができます。私たちがそうした光景や音を楽しめるのは,エホバのおかげです。聖書に書かれている通り,「聞く耳と見る目はどちらもエホバが造った」のです。(格言 20:12)エホバはほかにもどんな感覚を与えてくれているでしょうか。

      11 嗅覚も,善い神であるエホバからの贈り物です。人間の鼻が嗅ぎ分けられる匂いは1兆種類に上るともいわれています。好きな料理や,花,落ち葉,暖かいたき火の煙の匂いなどは,心地よいものです。また,触覚があるおかげで,優しく頰をなでるそよ風,温かい抱擁,果物の手触りなどを感じることができます。果物を一口食べると,味覚が働きます。果物の複雑で繊細な味わいを味蕾が感じ取り,口いっぱいに味のシンフォニーが広がります。こうした感覚について考えると,確かに次のようにエホバをたたえたくなります。「あなたは何と善い方なのだろう。あなたはご自分が善い方であることを,あなたを畏れる人に進んで表[す]」。(詩編 31:19)では,エホバは自分を畏れる人たちのために,さらにどんな善いことを行ってきたでしょうか。

      エホバからの良いものは永遠の幸福につながる

      12. エホバが与えてくれる文字通りの食物よりも大事なものは何ですか。どうしてですか。

      12 イエスはこう言いました。「『人は,パンだけではなく,エホバの口から出る全ての言葉によって生きなければならない』と書いてあります」。(マタイ 4:4)文字通りの食物は私たちが生きていくのに欠かせませんが,エホバからの教えという食物はもっと大事です。それによって永遠に生きられるようになるからです。この本の第8章で考えたように,エホバがこの終わりの時代に清い崇拝を回復させたおかげで,私たちは比喩的なパラダイスの中にいられるようになりました。そのパラダイスの特徴の一つは,信仰を強める食物がふんだんにあることです。

      13-14. (ア)預言者エゼキエルは幻の中で何を見ましたか。その幻はどんなことを表していましたか。(イ)エホバは自分に忠実に仕える人たちが永遠に生きられるよう,どんなものを与えてくれていますか。

      13 預言者エゼキエルは,回復に関する重要な預言を与えられ,幻の中で美しい神殿を見ました。その神殿からは水が流れ出ていて,流れの幅や深さがどんどん増していき,やがて深い川になります。この川の流れは大きな祝福をもたらします。川の両岸にはたくさんの木が生え,人々を養って癒やします。川が死海に流れ込むと,塩分濃度が高くて生物がいなかった海に魚があふれ,漁業が盛んになります。(エゼキエル 47:1-12)この預言にはどんな意味があるのでしょうか。

      14 この神殿の幻は,エホバが清い崇拝を回復させることを表していました。再びエホバの正しい基準に沿った崇拝が行われるようになるのです。幻の中の川がどんどん深く大きくなったように,エホバは自分の民が永遠に生きられるよう助けるためにますますたくさんの良いものを与えてくれています。1919年に清い崇拝が回復されて以来,エホバはどんなものを与えてきてくれたでしょうか。聖書,聖書に基づく出版物,集会や大会などによって,何百万もの人たちが重要な真理を学べるようにしてきました。そのような方法で,人間に永遠の命を与えるための一番の贈り物であるキリストの贖いの犠牲についても教えてきました。神を本当に愛して畏れる人たちは,キリストの犠牲に信仰を持つならエホバから清い人と見ていただくことができ,永遠に生きるという希望を持てるのです。a この終わりの時代に,世の中の大勢の人は神について知らずに苦しんでいますが,エホバの民は信仰を強める食物で豊かに養われています。(イザヤ 65:13)

      15. キリストの千年統治の間,エホバは忠実な人たちのためにどんな善いことをしますか。

      15 エゼキエルが幻の中で見た川は,今の体制が終わったらもう流れなくなるというわけではありません。キリストの千年統治の間,いっそう豊かに流れます。その時,エホバはメシア王国によって,忠実な人たちがイエスの犠牲の恩恵を最大限に受けて徐々に完全な人間になるようにします。私たちはエホバがどれほど善い方であるかを実感し,喜びにあふれることでしょう。

      善い神であるエホバのいろいろな面

      16. 聖書によると,エホバが善い方であることはどんな面にも表れていますか。

      16 エホバが善い方だと言えるのは,惜しみなく与えてくれるからだけではありません。エホバはモーセにこう言いました。「私は,私がどれほど善いかをあなたに見せ,あなたの前でエホバという名を宣言する」。その少し後にはこう書かれています。「エホバはモーセの前を通り過ぎつつ,こう宣言した。『エホバ,エホバ,憐れみ深く,慈しみがある神,すぐに怒らず,揺るぎない愛に満ち,常に真実を語る』」。(出エジプト記 33:19; 34:6,脚注)ですから,エホバが善い方であることはいろいろな面に表れていると言えます。そのうちの2つを考えてみましょう。

      17. 慈しみがあることは,人へのどんな接し方に表れますか。エホバがそのように人間に接したどんな例がありますか。

      17 「慈しみがある」。「思いやりがある」とも訳されるこの表現から,エホバがどのように人間に接するかが分かります。権力者は偉そうだったり冷たかったりすることがよくありますが,エホバは誰に対しても優しく,親切で,丁寧です。例えば,ある時アブラムに,「目を上げ,東と西,北と南をご覧なさい」と言いました。(創世記 13:14)多くの翻訳では,ここが「見なさい」という命令口調になっています。しかし,聖書学者たちによると元のヘブライ語の表現は文法上,命令ではなく丁寧な依頼を表す形になっています。同様の表現が「どうか……[し]てほしい」と訳されていることもあります。(創世記 22:2。エゼキエル 8:5)宇宙の主権者である方が,人間に「どうか」と頼んでいるのです。世の中では思いやりに欠けた失礼な態度がよく見られますが,エホバがいつも慈しみ深く接してくれることを考えると,爽やかな気持ちになるのではないでしょうか。

      18. エホバはどんな神ですか。安心してエホバに従えるのはどうしてですか。

      18 「常に真実を語る」。世の中では不正直な言動が広く見られます。一方,聖書によると「神は,偽りを語る人間のようでは」ありません。(民数記 23:19)テトス 1章2節にある通り,「神は偽ることができません」。どこまでも善い方だからです。だからこそ,エホバの約束は100%信頼できます。エホバが語ったことは必ずその通りになります。エホバは真実だけを語る「真理の神」なのです。(詩編 31:5)うそを言わないだけでなく,惜しみなく真理を知らせます。何でも秘密にしておいたりはせず,忠実に従う人たちを無限の知恵によって啓発します。b 「真理に従って歩[む]」にはどうしたらいいかを教えてくれます。(ヨハネ第三 3)では,エホバがそのような善い方だと知って,私たちはどんな気持ちになるでしょうか。

      「エホバからの良いもののゆえに顔を輝かせる」

      19-20. (ア)サタンはどのようにして,エホバが善い神であることへの疑いをエバに持たせようとしましたか。どんな結果になりましたか。(イ)エホバが善い方であることを考えると,どんな気持ちになりますか。

      19 サタンは,エデンの園でエバを誘惑した時,巧妙な手口を使って,エホバが善い神だということへの疑いを持たせようとしました。エホバはアダムに,「庭園の全ての木の実を満足するまで食べてよい」と伝えていました。エデンの園に数え切れないほどあったに違いない木々の中で,エホバが実を食べてはならないと言ったのは1本の木だけでした。しかし,サタンは最初にエバにこう尋ねました。「あなたたちは庭園の全ての木の実を食べてはならない,と神が言ったのは本当ですか」。(創世記 2:9,16; 3:1)サタンはエホバの言葉をねじ曲げ,エホバは良いものを出し惜しみしているとエバが考えるように仕向けました。残念なことに,エバはサタンを信じてしまいました。神から全てのものを与えてもらったにもかかわらず,神は善い方ではないかもしれないと思い始めました。後の時代の大勢の人たちも,同じように考えるようになりました。

      20 そのように神を疑った結果,人類は深い悲しみや苦しみを味わってきました。私たちはそういう疑いの気持ちを持ちたいとは思いません。エレミヤ 31章12節には,「人々は……エホバからの良いもののゆえに顔を輝かせる」と書かれています。私たちはエホバがどこまでも善い方だと確信し,喜びで顔を輝かせていたいものです。いつも私たちの幸せを願ってくれているエホバを100%信頼しましょう。

      21-22. (ア)エホバがどれほど善い方かを考えると,あなたはどんなことをしたいと思いますか。(イ)次の章では何を取り上げますか。それはどんな人たちだけに示されますか。

      21 エホバがどれほど善い方かを考えて喜びを感じると,他の人にそのことを話したくなります。詩編 145編7節にはエホバの民について,「人々はあなたがいかに善い方かを思い起こし,生き生きと語る」と書かれています。私たちは毎日,善い神であるエホバに支えられています。その日その日にエホバがしてくれたことについて,できるだけ具体的に感謝することを習慣にしましょう。エホバがどれほど善い方かを考え,毎日エホバに感謝し,他の人に話すと,自分も善い神に倣いたいという気持ちが強くなります。そして,エホバのように善いことをしようと努力すると,エホバとの絆が強まります。使徒ヨハネは晩年にこう書きました。「愛する兄弟,悪いことではなく,善いことに倣いなさい。善いことを行う人は神から出ています」。(ヨハネ第三 11)

      22 善い方であるエホバは,「揺るぎない愛に満ち」ている方でもあります。(出エジプト記 34:6)エホバは全ての人に善いことを行いますが,揺るぎない愛は忠実に仕える人たちだけに示します。次の章では,その揺るぎない愛について詳しく取り上げます。

      a エホバが善い方であることは,キリストを贖いとして与えてくれたことに一番よく表れています。エホバは何億もの天使の中からあえて愛する独り子を選び,私たちのために死ぬようにしてくれました。

      b 聖書の中で,真理は光と結び付けられています。ある詩編作者は,「あなたの光と真理を送り出してください」と言いました。(詩編 43:3)この闇の世の中で,エホバは学ぶ意欲のある人たちを真理の光で明るく照らし,啓発します。(コリント第二 4:6。ヨハネ第一 1:5)

      じっくり考えたいこと

      • 列王第一 8:54-61,66 ソロモンは善い神エホバに感謝してどんなことを言いましたか。聞いていたイスラエル人はどんな気持ちになりましたか。

      • 詩編 119:66,68 善い方であるエホバに倣いたいという気持ちを込めて,どんなふうに祈れますか。

      • ルカ 6:32-38 どんなことを考えると,エホバのように惜しみなく与え,寛大に人を許したくなりますか。

      • ローマ 12:2,9,17-21 善い人は毎日の生活の中でどのように考え,行動しますか。

  • 「あなただけが揺るぎない愛に満ちる方です」
    エホバに近づきなさい
    • 夜空に月が浮かんでいる。

      第28章

      「あなただけが揺るぎない愛に満ちる方です」

      1-2. ダビデ王は,揺るぎなく支持してくれるはずの人たちにどのように裏切られましたか。

      ダビデ王は,揺るぎなく支持してくれるはずの人たちに裏切られました。一部のイスラエル人が謀反を起こしたこともあり,ダビデの治世は波乱に満ちていました。ダビデに背いた人たちの中には,家族や友人もいました。例えば,ダビデの最初の妻だったミカルです。当初,ミカルは「ダビデを愛して」いました。王としての務めを果たそうとするダビデを支えていたに違いありません。しかし後に,「心の中でダビデのことを軽蔑し」,「まるで愚か者」のようだと非難することさえしました。(サムエル第一 18:20。サムエル第二 6:16,20)

      2 ダビデの顧問官アヒトフェルも,裏切った人の1人です。アヒトフェルはダビデが信頼していた友人で,この人の助言はあたかもエホバが語ったものであるかのように見なされていました。(サムエル第二 16:23)しかしやがて,アヒトフェルはダビデに対する反逆に加わりました。その陰謀の首謀者は,何とダビデの息子アブサロムでした。アブサロムは策略を巡らして「イスラエルの人たちの心を盗んで」いき,機が熟した時に自分が王だと宣言しました。アブサロムの反乱の勢いに押され,ダビデ王は命からがら逃げました。(サムエル第二 15:1-6,12-17)

      3. ダビデはどんなことを確信していましたか。

      3 そういう中で,決してダビデから離れなかった方がいます。それはエホバ神です。ダビデはそのことをよく分かっていたので,エホバについてこう言いました。「あなたは,揺るぎない愛を示す人に,揺るぎない愛を示す」。(サムエル第二 22:26)揺るぎない愛とはどういうものでしょうか。揺るぎない愛を示す点で,エホバが最高の手本だと言えるのはどうしてでしょうか。

      揺るぎない愛とはどういうものか

      4-5. (ア)「揺るぎない愛」とはどういうものですか。(イ)「揺るぎない愛」と「忠実」にはどんな違いがありますか。

      4 ヘブライ語聖書で「揺るぎない愛」と訳されている言葉には,対象から離れることなく一貫して支持する,変わらない深い愛情という意味があります。「忠実」という言葉にも変わらずに対象を支持するという意味合いがありますが,揺るぎない愛はそれ以上のものです。忠実だといわれる人が単なる義務感や習慣によって行動している場合もありますが,揺るぎない愛はそういうものではありません。また,「忠実」という言葉は無生物について使われることもあり,例えば「詩編」では月が「忠実な証人」と呼ばれています。毎晩必ず,規則正しく空に姿を現すからです。(詩編 89:37,脚注)しかし,当然ながら月が揺るぎない愛を示すことはありません。

      月は忠実な証人と呼ばれているが,エホバに倣って揺るぎない愛を示せるのは天使や人間だけ

      5 誰かが揺るぎない愛を示す場合,示す相手との間に温かくて強い絆があります。ですから揺るぎない愛は,状況によって簡単に変化するようなものではありません。吹き荒れる風に翻弄される海の波のようではないのです。どんな問題や障害も物ともしないほど強く,安定しています。

      6. (ア)世の中では揺るぎない愛に欠けたどんな行いが広く見られますか。そういう状況について聖書に何と書かれていますか。(イ)揺るぎない愛について学ぶ一番の方法は何ですか。どうしてそう言えますか。

      6 現代では,そのような揺るぎない愛を示す人はますます少なくなっています。家族や友人が「互いを傷つける」こともよくあります。夫が妻を,妻が夫を捨てることも増えています。(格言 18:24。マラキ 2:14-16)不誠実な行いがあまりにも多いので,預言者ミカのように,「揺るぎない愛を示す人は地上から消え[た]」と言いたくなるほどです。(ミカ 7:2)対照的に,エホバは揺るぎない愛に満ちています。ですから,揺るぎない愛について学ぶ一番の方法は,エホバがそれをどのように表してきたかを調べることです。

      エホバだけが揺るぎない愛に満ちている

      7-8. エホバだけが揺るぎない愛に満ちているとはどういうことですか。

      7 聖書によれば,「[エホバ]だけが揺るぎない愛に満ちる方です」。(啓示 15:4)どうしてそう言えるのでしょうか。神に尽くし,そのような愛を示した人間や天使もいるのではないでしょうか。(ヨブ 1:1。啓示 4:8)イエス・キリストも,神を誰よりも「揺るぎなく支持」してきました。(詩編 16:10,脚注)そうであれば,エホバだけが揺るぎない愛に満ちているとはどういうことでしょうか。

      8 「神は愛」であり,まさしく愛を体現しているので,エホバ以上に揺るぎない愛を示すことができる者は誰もいません。(ヨハネ第一 4:8)天使や人間も神に倣うことはできますが,最高の愛を示せるのは,「年月を経た方」として誰よりも長く揺るぎない愛を実証してきたエホバだけです。(ダニエル 7:9)エホバが誰も及ばないほどの揺るぎない愛をどのように表してきたか,幾つかの例を考えてみましょう。

      9. エホバは「揺るぎない愛に基づいて」どんなことをしますか。

      9 エホバは「揺るぎない愛に基づいて物事を行う」方です。(詩編 145:17)詩編 136編を読むと,そのことがよく分かります。その詩には,エホバがイスラエル人を救った例が幾つか挙げられていて,劇的な奇跡によって紅海を渡らせた時のことも書かれています。どの節も,「神の揺るぎない愛は永遠に続く」という言葉で終わっています。289ページの「じっくり考えたいこと」にも挙げられているこの詩を読むと,エホバが自分の民のために行ったさまざまな事柄に揺るぎない愛が表れていることが分かって,感動を覚えるに違いありません。エホバは,自分に忠実に仕える人たちが助けを求めるときにその祈りを聞き,一番良いタイミングで助けることにより,揺るぎない愛を示します。(詩編 34:6)私たちがエホバを揺るぎなく愛し続ける限り,エホバも揺るぎない愛を示し続けてくれます。

      10. どんなことにもエホバの揺るぎない愛が表れていますか。

      10 エホバの善悪の基準が変わらずに一貫していることも,自分に仕える人たちへの揺るぎない愛の表れです。その場の思い付きや感情に左右されがちな人間の見方とは違って,善悪についてのエホバの見方は決して揺れ動くことがありません。何千年も前から,心霊術,偶像崇拝,殺人などに対するエホバの見方は変わっていません。預言者イザヤが書いている通り,エホバは「あなたが年を取っても私は変わらない」と言いました。(イザヤ 46:4)ですから私たちは,何が善で何が悪かに関する聖書のはっきりとした指針に従うなら必ず自分のためになる,と確信できます。(イザヤ 48:17-19)

      11. エホバが約束を守ると確信できるのはどうしてですか。

      11 エホバが必ず約束を守ることについても考えてみましょう。エホバが予告したことは全てその通りになるので,エホバはこう言っています。「私の口から出る言葉も,成果を収めずに私のもとに戻ることはない。必ず私の望むことを成し遂げ,私が託した使命を確実に果たす」。(イザヤ 55:11)エホバがそのように約束を守ることも,自分の民に対する揺るぎない愛の表れです。行うつもりのないことを約束して,むなしい希望を持たせたりはしません。エホバは完全に信頼できるので,ヨシュアはこう言いました。「エホバがイスラエル国民にした全ての良い約束のうち,果たされない約束は一つもなかった。全てその通りになった」。(ヨシュア 21:45)それで,エホバが約束を破って私たちをがっかりさせるようなことは絶対にないと確信できます。(イザヤ 49:23。ローマ 5:5)

      12-13. エホバの揺るぎない愛が永遠に続くと言えるのはどうしてですか。

      12 エホバの揺るぎない愛が「永遠に続く」と聖書に書かれていることにもう一度注目しましょう。(詩編 136:1)どうして永遠に続くと言えるのでしょうか。1つの点として,エホバが一度許した罪は永遠に許されたままだからです。第26章で考えた通り,エホバは人を許した後に過去の罪を再び持ち出したりはしません。「全ての人は罪人」であり,「神の栄光に達することができ[ない]」ので,エホバの揺るぎない愛が永遠に続くというのは私たち皆にとって本当にありがたいことです。(ローマ 3:23)

      13 エホバの揺るぎない愛が永遠に続くと言える別の理由は,エホバが自分に忠実に仕える人たちを永遠に祝福するということです。聖書によると,正しい人は「水の流れのほとりに植えられた木のようになり,時期が来ると実を結び,その葉は枯れ」ません。そして,「行うことは全て成功」します。(詩編 1:3)葉が決して枯れない,青々と茂った木を想像してみてください。私たちも,神の言葉を愛してよく学ぶなら,そういう木のように実り豊かで平和な人生をいつまでも楽しむことができます。エホバが間もなく実現させる,正しいことが行き渡る新しい世界で,従順な人たちは永遠にわたってエホバの揺るぎない愛を味わうことになるのです。(啓示 21:3,4)

      エホバが「ご自分に尽くす人を見捨てることはない」

      14. エホバは自分に尽くす人たちを大切に思っていることをどのように示しますか。

      14 エホバはこれまでずっと,忠実な人たちに揺るぎない愛を示してきました。そして,それはこれからも変わりません。ある詩編作者はこう書きました。「若かった私も,今は年老いた。だが,正しい人が見捨てられるのを見たことも,その子供たちがパンを探すのを見たこともない。エホバは公正を愛する方。ご自分に尽くす人を見捨てることはない」。(詩編 37:25,28)エホバは,自分は創造者なのだから人間が自分に尽くすのは当然だ,などと考えたりはしません。(啓示 4:11)揺るぎない愛があるので,私たちの忠実な行いを大切に思ってくれます。(マラキ 3:16,17)

      15. エホバはイスラエル人にどのように揺るぎない愛を示しましたか。

      15 揺るぎない愛に満ちるエホバは,自分の民が苦しんでいると必ず助けます。「詩編」にはこう書かれています。「神はご自分に尽くす人たちの命を守っている。その人たちを悪人の手から助け出す」。(詩編 97:10)神がイスラエル国民を助けた例をもう一度思い起こしてみましょう。イスラエル人は,奇跡によって紅海を渡って救われた後,エホバに向かってこう歌いました。「あなたは,救い出した民を揺るぎない愛を示して導いた」。(出エジプト記 15:13)紅海での救出はまさしくエホバの揺るぎない愛の表れだったので,モーセはイスラエル人にこう言いました。「エホバが愛情を示して皆さんを選ばれたのは,皆さんが全ての民の中で最も数が多い民だったからではありません。皆さんは全ての民の中で一番少なかったのです。ただ,エホバは皆さんを愛し,父祖たちにした誓いを守るために,エホバは力強い手で皆さんを連れ出し,奴隷となっていた土地から,エジプトの王ファラオの手から救い出したのです」。(申命記 7:7,8)

      16-17. (ア)イスラエル人がエホバに全く感謝していなかったことは,どんなことから明らかでしたか。それでもエホバはどうしましたか。(イ)大半のイスラエル人が「矯正しようがないほどになった」ことは,どんなことに表れていましたか。彼らの例から何を学べますか。

      16 残念なことに,イスラエル国民は全体として,エホバの揺るぎない愛に感謝しませんでした。救出された後,「神に対して罪を犯し続け……至高者に反逆」しました。(詩編 78:17)何世紀もの間,繰り返し反逆し,エホバから離れて偽の神々を崇拝し,異教の慣習に従って自分たちを汚しました。それでもエホバはイスラエル人との契約を守りました。そして,預言者エレミヤを通して民にこう訴え掛けました。「背信のイスラエルよ,戻りなさい。……私は怒ってあなたたちを見下げることはしない。揺るぎない愛を抱いているからである」。(エレミヤ 3:12)しかし,第25章で取り上げた通り,大半のイスラエル人は悔い改めませんでした。「真の神の使者たちをばかにし続け,神の言葉を侮り,預言者たちをあざけった」のです。「ついには矯正しようがないほどになった」ので,「エホバはご自分の民に激怒」しました。(歴代第二 36:15,16)

      17 このことから何を学べるでしょうか。エホバの揺るぎない愛は盲目的なものではないということです。エホバは「揺るぎない愛に満ち」ていて,もっともな理由がある場合には喜んで憐れみを示しますが,罪深い行いをやめようとしない人をいつまでも許すことはしません。自分の正しい基準に基づいて処罰します。モーセに対して語った通り,「罪がある人を処罰しないことは決して」ありません。(出エジプト記 34:6,7)

      18-19. (ア)エホバが悪い人たちを処罰することも揺るぎない愛の表れだと言えるのはどうしてですか。(イ)エホバは,迫害を受けて命を落とした忠実な人たちへの揺るぎない愛をどのように示しますか。

      18 神が悪い人たちを処罰することも,揺るぎない愛の表れだと言えます。どうしてでしょうか。「啓示」の書に書かれていることに注目してみましょう。エホバが7人の天使に,「行って,神の怒りの7つの鉢の中身を地に注ぎ出しなさい」と命じた時のことです。第3の天使が自分の鉢の中身を「川と泉に」注ぎ出すと,それらは血になります。その後,天使はエホバにこう言います。「今おられ,かつておられた方,揺るぎない愛に満ちる方,あなたは正しい方です。このような裁きをなさったからです。聖なる人たちと預言者たちの血を流した者たちに,あなたは血を与えて飲ませました。彼らはそうされて当然です」。(啓示 16:1-6)

      19 処罰についてのこのメッセージの中で,天使がエホバを「揺るぎない愛に満ちる方」と呼んでいるのはどうしてでしょうか。エホバは悪い人たちを滅ぼすことにより,自分に仕える人たちへの揺るぎない愛を示すからです。エホバに仕えた人たちの中には,迫害を受けて命を落とした人も少なくありません。エホバはその人たちを心から愛していて,忘れたりせず鮮明に覚えています。忠誠を貫いたそのような人たちに再び会いたいと願っていて,聖書に書かれている通り必ず生き返らせます。(ヨブ 14:14,15)亡くなった忠実な人たちは「皆,神にとっては生きているのです」。(ルカ 20:37,38)エホバが自分の記憶の中にいる人たちを生き返らせるというのは,揺るぎない愛を抱いていることの紛れもない証拠です。

      揺るぎない愛に満ちるエホバは,命を懸けて忠誠を貫いた人たちを覚えていて,生き返らせる

      ベルナルト・ルイメス(左)とウォルフガング・クセロウ(中央)はナチスによって処刑された

      モーセス・ニャムスア(右)はある政治団体によって,やりで刺し殺された

      エホバの揺るぎない愛のおかげで私たちは救われる

      20. 「憐れみの器」とは誰のことですか。エホバはその人たちに揺るぎない愛をどのように示していますか。

      20 エホバはこれまでずっと,忠実な人たちに揺るぎない愛を示してきました。その一環として何千年もの間,「滅ぼされても当然な憤りの器を辛抱強く容赦して」きました。それは,「憐れみの器に対してご自分の豊かな栄光を示すためでした。その憐れみの器は,神が栄光を与えるために前もって用意したもの」です。(ローマ 9:22,23)この「憐れみの器」とは,聖なる力によって選ばれて神の王国でキリストと共に統治するクリスチャンたちのことです。(マタイ 19:28)エホバはその人たちが救われるようにしました。そうすることにより,アブラハムへの揺るぎない愛も実証しました。アブラハムに語った次の約束が実現するようにしたのです。「あなたの子孫によって地上の全ての国民が祝福を受ける。あなたが私の言ったことに従ったからである」。(創世記 22:18)

      いろいろな人種や年齢の兄弟姉妹がほほ笑んでいる。

      揺るぎない愛に満ちるエホバは,自分に忠実に仕える人たち全てに素晴らしい将来を約束している

      21. (ア)エホバは「大群衆」に揺るぎない愛をどのように示していますか。(イ)エホバの揺るぎない愛について考えると,あなたはどうしたいと思いますか。

      21 エホバは,「大患難」を生き残ることになる「大群衆」にも揺るぎない愛を示しています。(啓示 7:9,10,14)その人たちが不完全であるにもかかわらず,パラダイスとなる地球で永遠に生きるという希望を与えています。忠実な人たちがそのような希望を持てるのは,エホバの揺るぎない愛の最大の表れである贖いのおかげです。(ヨハネ 3:16。ローマ 5:8)正しいことを愛する人たちは,エホバの揺るぎない愛に引き寄せられます。(エレミヤ 31:3)あなたも,エホバがこれまで揺るぎない愛を示してくれたことや,これからも示してくれることを考えると,エホバをとても身近に感じるのではないでしょうか。私たちは神にいっそう近づいて絆を強めたいと思っていますから,何があっても神から離れず揺るぎない愛を示し続けることを決意しましょう。

      じっくり考えたいこと

      • サムエル第一 24:1-22 ダビデはサウル王に対して,エホバに喜ばれる揺るぎない愛をどのように示しましたか。

      • エステル 3:7-9; 4:6–5:1 エステルは同胞のユダヤ人に対して,神に倣った揺るぎない愛をどのように示しましたか。

      • 詩編 136:1-26 この詩から,エホバの揺るぎない愛についてどんなことが分かりますか。

      • オバデヤ 1-4,10-16 エホバがエドム人を処罰したことは,自分の民への揺るぎない愛の表れだと言えます。どうしてですか。

  • 「キリストの愛を知る」
    エホバに近づきなさい
    • イエスが思いやり深い表情をしている。

      第29章

      「キリストの愛を知る」

      1-3. (ア)イエスがお父さんのようでありたいと願っているのはどうしてですか。(イ)これからイエスの愛のどんな面について考えますか。

      何でもお父さんと同じようにしようとする男の子を見たことがありますか。その子はお父さんの歩き方や話し方,しぐさなどをまねるかもしれません。やがて,父親と同じ道徳観や信仰心も持つようになることでしょう。お父さんのことが大好きで,尊敬しているので,自分もお父さんのようになりたいと思うのです。

      2 では,イエスは天の父についてどう思っているでしょうか。イエスは「父を愛している」と言いました。(ヨハネ 14:31)エホバに最初に創造され,非常に長い間ずっとエホバと一緒に過ごしてきたイエスは,誰よりもエホバを愛しています。だからこそ,いつでもお父さんのようでありたいと強く願っています。(ヨハネ 14:9)

      3 この本の中でこれまでに取り上げたように,イエスはエホバの力,公正,知恵に完璧に倣いました。では,愛についてはどうでしょうか。イエスの愛の3つの面を考えましょう。イエスはエホバの愛に倣って自己犠牲を払い,優しい思いやりを示し,人を快く許しました。

      「これより大きな愛はありません」

      4. イエスが行ったどんなことに,自己犠牲的な愛が一番よく表れていますか。

      4 イエスは,自己犠牲的な愛の際立った手本です。自己犠牲的な愛がある人は,人を心から気遣い,自分のことを後回しにして人のためになることをします。イエスはそういう愛をどのように示したでしょうか。自分で語った,「友のために自分の命をなげうつこと,これより大きな愛はありません」という言葉の通りにしました。(ヨハネ 15:13)イエスは全人類のために自分の完全な命を快く差し出しました。それよりも大きな愛を表した人は誰もいません。そして,イエスが自己犠牲的な愛を表したのはその時だけではありませんでした。

      5. 神の独り子が天を離れることによって大きな犠牲を払ったと言えるのはどうしてですか。

      5 神の独り子は人間になる前,天で特別な高い立場にいました。エホバや大勢の天使たちといつも一緒に過ごしていました。しかし,そのような居心地の良い環境を後にし,「全てを捨てて奴隷のようになり,人間になりました」。(フィリピ 2:7)「邪悪な者の支配下に」ある世界で罪深い人間に囲まれて生活することになるにもかかわらず,喜んでやって来たのです。(ヨハネ第一 5:19)神の子は人間を深く愛していたので,そのような大きな犠牲を払いました。

      6-7. (ア)イエスが地上で伝道を行っていた間,生き方のどんな面に自己犠牲的な愛が表れていましたか。(イ)イエスの自己犠牲的な愛のどんな感動的な例がヨハネ 19章25-27節に書かれていますか。

      6 地上で伝道を行っていた間のイエスの生き方にも自己犠牲的な愛が表れていました。イエスはいつも自分のことより人のことを考え,ひたすら伝道を行いました。人並みの暮らしをしたいとさえ考えませんでした。「キツネには穴があり,鳥には巣がありますが,人の子には自分の家がありません」と言っています。(マタイ 8:20)イエスは腕の良い大工だったので,少し伝道を休んで自分のために快適な家を建てたり,質の良い家具を作ってお金を稼いだりすることもできたはずです。でも,良い生活を送るために自分の技術を使うことはしませんでした。

      7 イエスの自己犠牲的な愛の感動的な例が,ヨハネ 19章25-27節に書かれています。イエスは亡くなる直前,気掛かりなことがたくさんあったに違いありません。杭に掛けられて苦しみながら,弟子たちのことや伝道活動のこと,また特に,自分が忠誠を貫けるか,天の父の名誉が傷つかないか,ということを心配していました。人類全体の将来が自分に懸かっていることも知っていました。そういう中で,イエスは母親のマリアのことを気遣いました。その時マリアはすでに夫を亡くしていたようです。イエスはマリアの世話を使徒ヨハネに託し,マリアを実の母親のように大切にしてほしいと頼みました。ヨハネはそれに応えてマリアを自分の家に引き取りました。そのようにしてイエスは,母親が生活面や信仰面でのケアを受けられるようにしたのです。人のことを思いやる優しい愛がよく伝わってきます。

      「かわいそうに思った」

      8. 「かわいそうに思った」と訳されているギリシャ語から,イエスの思いやりについてどんなことが分かりますか。

      8 イエスは天の父と同じように思いやりにあふれていました。聖書によると,イエスは苦しんでいる人たちを見て「かわいそうに思い」,何としても助けたいと思いました。「かわいそうに思った」と訳されているギリシャ語について,ある聖書学者はこう述べています。「その言葉は……人をその存在のまさに最奥まで動かす感情を描写している。ギリシャ語で,同情心を意味する最も強い言葉である」。では,イエスが人を深く思いやって行動した例を幾つか考えてみましょう。

      9-10. (ア)イエスと使徒たちが静かな場所に行きたいと思ったのはどうしてですか。(イ)待ち構えていた群衆にイエスはどう接しましたか。どうしてですか。

      9 神の導きを必要としている人たちを教えた。マルコ 6章30-34節を読むと,イエスが特にどんな人たちをかわいそうに思ったかが分かります。その時のことを想像してみましょう。使徒たちは伝道旅行を終えたばかりで興奮しています。イエスの所に戻り,見聞きしたことを生き生きと報告します。ところが,大勢の人が集まってきたので,イエスと使徒たちは食事をする時間もありません。イエスは使徒たちが疲れていることに目ざとく気付き,「さあ,一緒に静かな場所に行って,少し休みなさい」と言います。一行は舟に乗り,ガリラヤ湖の北部を渡って静かな場所に向かいます。しかし,それを見ていた群衆がほかの人たちにも知らせ,皆で湖の北岸に沿って走り,舟より先に対岸に着いてしまいます。

      10 イエスは,これでは休めないと考えていら立ったでしょうか。そのようなことは全くありませんでした。自分を待っている何千人もの人たちを見て,深い同情を覚えました。マルコはこう書いています。「イエスは……大勢の人を見て,かわいそうに思った。羊飼いのいない羊のようだったからである。そして,多くのことを教え始めた」。イエスはそこに集まっていた一人一人が神の導きを必要としていることを見て取りました。その人たちは,導いたり守ったりしてくれる羊飼いがいないためにさまよう羊のようでした。本来は優しい牧者になってくれるはずの宗教指導者たちから,冷たくあしらわれていたのです。(ヨハネ 7:47-49)それでイエスはぜひとも助けになりたいと思い,「神の王国について」教え始めました。(ルカ 9:11)イエスが人々を教える前から思いやっていたことに注目できます。教えに耳を傾ける人たちだけに優しい思いやりを示したのではなく,最初から深い同情心があったことがよく分かります。

      イエスが重い皮膚病の人を思いやり,手を伸ばして触れている。周りの人たちは嫌悪感を示し,近寄ろうとしない。

      「イエスは手を伸ばして男性に触[った]」

      11-12. (ア)1世紀のユダヤで,重い皮膚病の人はどのような扱いを受けていましたか。でもイエスは,「全身重い皮膚病の」男性が近づいてきた時,どうしましたか。(イ)ある博士の経験について考えると,イエスに触れてもらった人はどう感じたに違いありませんか。

      11 苦しんでいる人たちを癒やした。いろいろな病気の人たちが,イエスが思いやり深いことを感じ取り,イエスのそばに行きたいと思いました。ある時には,「全身重い皮膚病の」男性が,群衆に囲まれているイエスに近づきました。(ルカ 5:12)モーセの律法の下では,病気が伝染しないように,そのような人は隔離されることになっていました。(民数記 5:1-4)後に,ラビと呼ばれる指導者たちが独自の厳しい規則を設けたため,その病気の人たちへの偏見や差別が広まりました。a しかし,イエスは病気の男性にどう接したでしょうか。こう書かれています。「重い皮膚病の男性がイエスの所に来て,ひざまずいて嘆願し,『あなたは,お望みになるだけで,私を癒やすことができます』と言った。イエスはかわいそうに思い,手を伸ばして男性に触り,『そう望みます。良くなりなさい』と言った。すぐに病気は消え,男性は良くなった」。(マルコ 1:40-42)イエスは,律法によればその人はそこにいるべきではないと知っていました。それでも,その人を去らせたりせず,深い同情の気持ちから,当時では考えられないようなことをしました。その人に触れたのです。

      12 イエスに触れてもらった人はどう感じたと思いますか。それをイメージするのに役立つ現代の例があります。ハンセン病の専門家であるポール・ブランド博士が,インドである患者を治療した時のことです。診察の時,博士は患者の若い男性の肩に手を置き,通訳を介して,その人が受けることになる治療について説明しました。すると突然,その患者は泣き出しました。博士は,「何か悪いことを言ったかな」と尋ねます。通訳者は患者と話し,こう答えました。「いいえ,先生。この人が泣いているのは,先生がこの人の肩に手を置いたからです。もう何年もの間,誰も触れてくれなかったそうです」。イエスに近づいた人にとって,触れてもらったことにはもっと大きな意味がありました。一度触れられただけで,みんなから避けられる原因となっていた病気から解放されたのです。

      13-14. (ア)イエスはナインという町に着いた時,どんな行列を目にしましたか。それが特に気の毒な状況だったのはどうしてですか。(イ)イエスはやもめに深く同情して何をしましたか。

      13 悲しみに暮れる人たちを慰めた。イエスは悲しんでいる人に深く同情しました。一例として,ルカ 7章11-15節に書かれている出来事について考えましょう。イエスが伝道を始めて1年半ほどたち,ガリラヤ地方のナインという町に着いた時のことです。町の門の近くで,イエスは葬式の行列を目にします。亡くなったのはやもめの女性の一人息子という,特に気の毒な状況でした。その女性は,以前に夫が亡くなった時にもそのような葬式をしたはずです。そして今度は,おそらく唯一頼りにしていたであろう息子を失ってしまいました。行列には,雇われて嘆き悲しむ人たちや,物悲しい曲を演奏する人たちも加わっていたかもしれません。(エレミヤ 9:17,18。マタイ 9:23)イエスは,悲しみに打ちのめされている母親に目を留めます。母親は息子の遺体を載せた台の隣を歩いていたことでしょう。

      14 イエスは,息子に先立たれた母親を「かわいそうに思い」,優しい口調で「泣くことはありません」と言います。そして,遺体を載せた台に近づいて触ります。台を担いでいた人たちは立ち止まり,おそらく行列全体も止まったことでしょう。イエスは遺体に向かって威厳のある声で,「若者よ,さあ,起き上がりなさい!」と言います。すると,死んでいた若者は,まるで深い眠りから覚めたかのように「体を起こして話し始め,イエスは息子を母親に渡し」ます。本当に感動的な場面だったに違いありません。

      15. (ア)イエスの手本から,思いやりと行動にはどんな関係があることが分かりますか。(イ)私たちはどうすればイエスの手本に見習えますか。

      15 これらの出来事から,どんなことが分かるでしょうか。どの場合にも,イエスは思いやりの気持ちから行動しました。つらい思いをしている人を見るとかわいそうに思い,何かをせずにはいられなかったのです。私たちはどうすればイエスの手本に見習えるでしょうか。クリスチャンには,良い知らせを伝えて人々を弟子とするという責任があります。私たちがその務めを果たすのは,主に神を愛しているからですが,人々を思いやっているからでもあります。イエスのように人を深く思いやると,できる限りのことをして良い知らせを伝えたくなります。(マタイ 22:37-39)つらい経験をしている兄弟姉妹には,どのように思いやりを示せるでしょうか。当然,奇跡によって病気を治したり亡くなった人を生き返らせたりすることはできませんが,仲間のために行えることはいろいろあります。気に掛けていることを伝えたり,助けになることをしてあげたりできるでしょう。(エフェソス 4:32)

      「父よ,彼らをお許しください」

      16. イエスは苦しみの杭に掛けられた時でさえ,どのように人を快く許しましたか。

      16 イエスは,人を「快く許[す]」という面でもエホバの愛に完璧に倣いました。(詩編 86:5)苦しみの杭に掛けられた時でさえそうでした。屈辱的な刑に処され,手足にくぎを打ち込まれたイエスは,何と言ったでしょうか。刑執行人たちを罰してくださいとエホバに頼みましたか。全くその逆で,死を目前にしてもこう言いました。「父よ,彼らをお許しください。自分たちが何をしているのか知らないのです」。(ルカ 23:34)b

      17-19. イエスなど知らないと3回言ったペテロを許していることを,イエスはどのように示しましたか。

      17 イエスが人を快く許したさらに感動的な例として,使徒ペテロのことを考えてみましょう。ペテロはイエスを深く愛していました。ニサン14日,イエスが亡くなる前の最後の晩に,ペテロはイエスにこう言いました。「主よ,私はあなたと牢屋に入ることも死ぬことも覚悟しています」。ところが,わずか数時間後に,ペテロは3回もイエスなど知らないと言ってしまいました。聖書によれば,ペテロが3回目にそう言った時,「主イエスが振り向いてペテロを真っすぐに見」ました。ペテロは重大な罪を犯してしまったことに気付いて打ちのめされ,「外に出て激しく泣」きます。その日の後刻にイエスが亡くなった時,ペテロは「主は私を許してくださっただろうか」と考えたことでしょう。(ルカ 22:33,61,62)

      18 ペテロの心のもやもやは,間もなく晴れることになります。イエスはニサン16日の朝に生き返らされ,おそらくその日のうちにペテロに会いに行きました。(ルカ 24:34。コリント第一 15:4-8)イエスなど知らないと言い切ったこの使徒を,イエスが特別に気遣ったのはどうしてでしょうか。悔い改めたペテロに,今でも愛し大切に思っているということを伝えたかったのでしょう。イエスがペテロを安心させるために行ったことは,ほかにもあります。

      19 しばらく後に,ガリラヤ湖で弟子たちの前に現れた時のことです。イエスなど知らないと3回言ったペテロに対して,イエスは「私を愛していますか」と3回尋ねました。3回目に,ペテロはこう答えました。「主よ,あなたは全て分かっています。私があなたに愛情を抱いていることを知っています」。確かに,イエスはペテロの心を読むことができたので,自分への愛情があることはよく分かっていました。それでもペテロに,イエスを愛しているとはっきり言う機会を与えたのです。それだけでなくイエスは,自分の「小さな羊」を「養い」,「世話」するという務めも与えました。(ヨハネ 21:15-17)それより前に,伝道するという仕事をすでにペテロに与えていました。(ルカ 5:10)でもこのたびは,深い信頼の表れとして,キリストの弟子になる人たちを世話するといういっそう重い責任を委ねたのです。少し後には,ペテロが弟子たちの中で重要な役割を果たすようにもしました。(使徒 2:1-41)ペテロは,自分がイエスに許され,変わらず信頼してもらえていることが分かって,どんなにかほっとしたことでしょう。

      「キリストの愛を知る」にはどうしたらよいか

      20-21. キリストの愛を十分に知るにはどうしたらいいですか。

      20 聖書を読むと,キリストの愛の素晴らしさに感動します。では,私たちはどうしたらよいでしょうか。聖書は,「知識以上のものであるキリストの愛を知る」ようにと勧めています。(エフェソス 3:19)すでに考えた通り,イエスの生涯や伝道について書かれている福音書を読むと,キリストの愛について多くのことが分かります。でも,キリストの愛を十分に知るには,イエスについて聖書に書かれていることを学ぶ以上のことが必要です。

      21 「知る」と訳されているギリシャ語には,「経験を通して」知るとか,「実践することによって」知るという意味があります。ですから,私たちはイエスと同じように愛を示す必要があります。自己犠牲を払って人のためになることをし,つらい思いをしている人に優しい思いやりを示し,人を快く許しましょう。そうすれば,イエスがどんな気持ちで愛を表したかを,身をもって理解できます。そのようにして自分の経験を通して,「知識以上のものであるキリストの愛を知る」ことができるのです。そして,私たちがキリストのようになればなるほど,イエスが完璧に見習った愛情深い神エホバとの絆が強まっていきます。

      a ラビたちが作った規則によると,重い皮膚病の人からは少なくとも2㍍ほど離れていなければなりませんでした。風が吹いているときには,最低でも50㍍ほど離れることが求められていました。「ミドラシュ・ラバ」という書物には,この病気の人から身を隠したラビや,石を投げて追い払おうとしたラビがいたと書かれています。重い皮膚病の人たちはそのように嫌われてのけ者にされ,つらく感じていました。

      b 古い写本の中には,このイエスの言葉が省かれているものもあります。しかし,他の多くの信頼できる写本には書かれているので,「新世界訳」を含む多くの翻訳聖書はこの言葉を訳出しています。イエスは,自分を杭に掛けたローマ兵のことを言っていたようです。その兵士たちはイエスがどういう人物なのかを分かっておらず,自分たちがしていることの重大さを理解していませんでした。イエスが許したいと思った人たちの中には,イエスの処刑を求めたものの,後にイエスに信仰を持ったユダヤ人たちもいたかもしれません。(使徒 2:36-38)一方,イエスの処刑をたくらんだ宗教指導者たちのほとんどは,許される余地がありませんでした。イエスがメシアだと気付いていながら,悪意を抱いて行動していたからです。(ヨハネ 11:45-53)

      じっくり考えたいこと

      • マタイ 9:35-38 イエスは主にどのようにして人に思いやりを示しましたか。そのことを考えると,どうしたいという気持ちになりますか。

      • ヨハネ 13:34,35 キリストの愛に見習うことが大切なのはどうしてですか。

      • ローマ 15:1-6 どうすればキリストの自己犠牲的な愛に倣えますか。

      • コリント第二 5:14,15 キリストの犠牲に感謝していると,どんな見方や目標を持ち,どんな生き方をしたいという気持ちになりますか。

  • 「愛を抱いて歩んでいきましょう」
    エホバに近づきなさい
    • 兄弟姉妹たちが王国会館で楽しそうに会話している。

      第30章

      「愛を抱いて歩んでいきましょう」

      1-3. エホバの手本に倣って愛を示すと,どんな良いことがありますか。

      「受けるより与える方が幸福である」。(使徒 20:35)このイエスの言葉から,利他的な愛は報われるという重要な真理を学べます。愛を受けるのももちろん幸せなことですが,人に愛を与える,つまり示すと,さらに幸せになります。

      2 そのことを一番よく知っているのは,天の父です。このセクションでこれまで学んできたように,エホバは愛の究極の手本です。誰よりも大きな愛を,誰よりも長く示してきました。だからこそ,エホバは「幸福な神」と呼ばれているのです。(テモテ第一 1:11)

      3 愛情深い神は私たちに,自分に倣って愛を示してほしいと思っています。エフェソス 5章1,2節にはこう書かれています。「皆さんは子供として神に愛されているのですから,神に倣ってください。愛を抱いて歩んでいきましょう」。エホバの手本に倣って愛を示すと,大きな幸せを味わえます。また,「愛し合う」ようにと勧めているエホバに喜ばれているという満足感も味わえます。(ローマ 13:8)ほかにも,私たちが「愛を抱いて歩んでい[く]」べきどんな理由があるでしょうか。

      愛が重要なのはなぜか

      年長の兄弟が笑顔で若い兄弟の肩に手を置いている。

      仲間を愛している人は,信頼していることを伝える

      4-5. 仲間のクリスチャンに自己犠牲的な愛を示すことが大事なのはどうしてですか。

      4 仲間のクリスチャンに愛を示すことが大事なのはどうしてでしょうか。簡単に言うと,愛はキリスト教の本質だからです。愛がなければ,兄弟姉妹との強い絆を育めませんし,さらに悪いことにエホバから見て価値がない者になってしまいます。そうした点が聖書の中でどのように強調されているか,考えてみましょう。

      5 イエスは,地上で過ごした最後の晩に,弟子たちにこう言いました。「私はあなたたちに新しいおきてを与えます。それは,互いに愛し合うことです。私があなたたちを愛した通りに,あなたたちも互いを愛しなさい。あなたたちの間に愛があれば,全ての人は,あなたたちが私の弟子であることを知ります」。(ヨハネ 13:34,35)「私があなたたちを愛した通りに」とありますから,私たちはイエスと同じように愛を示すことが期待されています。第29章で考えたように,イエスは自分のことを後回しにして人のためになることをし,自己犠牲的な愛の素晴らしい手本を残しました。私たちも利他的な愛を表す必要があります。クリスチャン会衆外の人たちが見ても,私たちが愛し合っていることがはっきり分かるようでなければなりません。自己犠牲的な兄弟愛は,私たちが本当にキリストの弟子であることを示す証拠なのです。

      6-7. (ア)私たちが愛を示すことがエホバにとって大事だとどうして分かりますか。(イ)コリント第一 13章4-8節でパウロは主にどんな愛のことを言っていますか。

      6 愛が欠けるとどうなるかについて,使徒パウロはこう言っています。「たとえ私が人間や天使のさまざまな言語を話しても,愛がなければ,うるさく鳴るどらや,やかましく響くシンバルのようです」。(コリント第一 13:1)ぴったりの例えです。愛がない人は,不快な騒音を出す楽器のように,人を引き付けるどころか遠ざけてしまいます。人と良い関係を築くことはできません。パウロは,「たとえ山を動かすほどの強い信仰を持っていても,愛がなければ無価値です」とも言っています。(コリント第一 13:2)愛がない人は,どんなに良いことを行ったとしても,「役立たずの無用者」なのです。(「アンプリファイド・バイブル」[英語])私たちが愛を示すことがエホバにとってどれほど大事かがよく分かるのではないでしょうか。

      7 では,どのように愛を示したらいいのでしょうか。コリント第一 13章4-8節でパウロが何と言っているか調べてみましょう。そこで主に言われているのは,神が示してくれる愛のことでも,私たちが神に示す愛のことでもなく,私たちが互いに示すべき愛のことです。パウロは,愛とはどういうもので,どういうものではないかを説明しています。

      愛とはどういうものか

      8. 辛抱強さは仲間との関係にどう役立ちますか。

      8 「愛は辛抱強[い]」。愛がある人は辛抱強いので,人のことを我慢できます。(コロサイ 3:13)そういう人になりたいと思いませんか。不完全な人間同士が肩を並べて神に仕えているので,兄弟姉妹にいらいらさせられたり,逆に仲間をいら立たせてしまったりすることが時々あるでしょう。でも,辛抱強さがあれば,少し腹が立つようなことがあっても相手の落ち度を見過ごせます。皆がそのようにすると,会衆の平和が守られます。

      9. 例えばどのように親切を示せますか。

      9 「愛は……親切です」。人を助けたり,思いやりのある言葉を掛けたりすることによって,親切を示せます。愛がある人は,人のために何かできないかいつも考えます。特に,大変そうな人たちに目ざとく親切を示します。例えばどんな人がいるでしょうか。年配の兄弟や姉妹が寂しく感じていて,誰かに元気づけてほしいと思っているかもしれません。シングルマザーの姉妹や,夫がエホバの証人ではない姉妹が,何か助けを必要としていることもあります。病気の人や,つらい状況にある人は,友達から温かい言葉を掛けてもらいたいことでしょう。(格言 12:25; 17:17)いろいろな人に親切を示すよう努力する人は,本当に純粋な愛があると言えます。(コリント第二 8:8)

      10. 真実を語って正しいことを行うのが簡単でない場合もありますが,愛がある人はどうしますか。

      10 「愛は……真実を喜びます」。愛があると,真実を曲げたりせずに正しいことを行い,「真実を語り合い」たいという気持ちになります。(ゼカリヤ 8:16)例えば,親しい人が重大な罪を犯してしまった場合,その人やエホバを愛しているなら,神から見て正しいことをしたいと思うはずです。その罪を隠したり,正当化したり,何もなかったとうそをついたりはしません。事実を受け入れるのはつらいことですが,本当にその人のためを思っているので,その人が神の愛情深い矯正を受け入れて生き方を正すことを願います。(格言 3:11,12)私たちは愛を抱くクリスチャンとして,「何事においても正直に行動したい」ものです。(ヘブライ 13:18)

      11. 「愛は全てのことに耐え」るので,私たちは仲間に欠点があってもどうすべきですか。

      11 「愛は全てのことに耐え」ます。この表現を直訳すると,「すべてのことをそれは覆っている」となります。(「王国行間逐語訳」[英語])ペテロ第一 4章8節には,「愛は多くの罪を覆う」と書かれています。愛を大切にしているクリスチャンは,兄弟姉妹の欠点や失敗ばかりに注目して感情を害したり,それについて言い触らしたりはしません。多くの場合,仲間の落ち度はささいなもので,愛で覆うことができます。(格言 10:12; 17:9,脚注)

      12. パウロはフィレモンを信頼していることをどのように伝えましたか。パウロの手本からどんなことを学べますか。

      12 「愛は……全てのことを信じ」ます。愛があれば,すぐに不信感を抱いたり,兄弟姉妹の善意を疑ったりしません。仲間を信頼するように努めます。a その点でパウロがどんな手本を示しているか,フィレモンに宛てた手紙に注目してみましょう。パウロがその手紙を書いたのは,クリスチャンになった逃亡奴隷のオネシモを優しく迎えるようフィレモンに勧めるためでした。手紙の中でパウロは,フィレモンに圧力をかけるのではなく,愛情を込めてお願いしました。そして,フィレモンが正しいことをするに違いないと信じていることを次のように伝えました。「私はあなたが応じてくれることを確信して書いています。あなたは私が言う以上のことをしてくれるに違いありません」。(21節)私たちも仲間を信頼していることを愛情を込めて伝えるなら,相手の良いところを最大限に引き出すことができます。

      13. 愛がある人は仲間についてどんなことを願いますか。

      13 「愛は……全てのことを希望し」ます。愛がある人は,仲間を信頼するだけでなく,仲間に良いことがあるように願います。兄弟が「気付かず」に「道を踏み外した」場合には,優しく正そうとする長老たちのアドバイスをその人が受け入れることを願います。(ガラテア 6:1)信仰が弱くなっている人がいたら,その人が再び強い信仰を持てるようになることを願い,できる限りのことをして辛抱強く助けます。(ローマ 15:1。テサロニケ第一 5:14)家族や友人がエホバから離れていったとしても,その人がいつの日かイエスの例え話の放蕩息子のように本心に立ち返り,エホバのもとに帰ってくるという希望を捨てません。(ルカ 15:17,18)

      14. 会衆内でどのように忍耐が試されることがありますか。愛がある人はどうしますか。

      14 「愛は……全てのことを忍耐します」。忍耐力があれば,がっかりするようなことやつらいことがあってもエホバへの信仰をしっかりと持っていられます。試練は会衆の外から来るとは限りません。会衆の中で試練となる状況が生じることもあります。みんな不完全なので,兄弟姉妹に期待を裏切られることもあるでしょう。心ない言葉に傷つくこともあるかもしれません。(格言 12:18)長老たちの判断や決定が,自分が思っていたのと違うということもあり得ます。尊敬されている兄弟の行動が気に障り,「クリスチャンなのにどうしてあんなことをするんだろう」と考えてしまうこともあるかもしれません。そういうことがあったら,会衆から離れてエホバに仕えるのをやめてしまいますか。愛があれば,そんなことはしないでしょう。愛がある人は,兄弟姉妹の短所ばかりを見て,その人や会衆全体の良いところが見えなくなってしまう,ということはありません。不完全な仲間たちの言動がどうであれ,会衆の中で忠実に神に仕え続けます。(詩編 119:165)

      愛はどういうものではないか

      15. 嫉妬とはどういうものですか。そのネガティブな感情を持たないために愛が大切なのはどうしてですか。

      15 「愛は嫉妬しません」。嫉妬する人は,他の人の持ち物や能力や受けている祝福をねたましく思います。それは自己中心的な感情で,自分自身や他の人を傷つけ,そのままにしておくと会衆の平和を乱しかねません。どうすれば人をねたまずにいられるでしょうか。(ヤコブ 4:5)大切なのは,愛です。愛があれば,自分より恵まれているように見える人たちと一緒に喜ぶことができます。(ローマ 12:15)誰かが何かのことで注目されたり褒められたりしても,自分と比較して苦々しい気持ちになったりはしません。

      16. 兄弟姉妹を本当に愛しているなら,自分がエホバへの奉仕で行っていることを自慢したりはしないはずです。どうしてですか。

      16 「愛は自慢せず,思い上が」りません。愛がある人は,自分の能力や行ったことをひけらかしません。兄弟姉妹を本当に愛しているなら,伝道でこれだけのことをしてきたとか会衆で特別な務めを与えられているなどと,何かにつけて自慢することはしないでしょう。そういう話は聞く人をいらいらさせたりがっかりさせたりするものです。どんな奉仕も神が行わせてくれるからこそできる,ということを忘れるべきではありません。(コリント第一 3:5-9)愛は「思い上がら」ないという表現は,「現代英語による新約聖書」では「自分の重要性に関してうぬぼれた考えを抱く」ことがないと訳されています。愛がある人は,自分は他の人より優れているといった見方はしません。(ローマ 12:3)

      17. 愛がある人は,どのように人の気持ちを思いやりますか。どんなことはしませんか。

      17 「愛は……下品な振る舞いを」しません。下品な振る舞いは人を不快にさせます。そういう振る舞いをする人は,他の人がどう感じるかを全く気に留めておらず,愛に欠けています。対照的に,愛がある人は,人の気持ちを思いやります。マナーを守り,神に喜ばれる振る舞いをし,兄弟姉妹に敬意を払います。仲間のクリスチャンにショックを与えるような「恥ずべき行い」をすることはありません。(エフェソス 5:3,4)

      18. 愛がある人は自分のやり方を押し通そうとはしません。どうしてですか。

      18 「愛は……自分のことばかり考え」ません。「改訂標準訳」(英語)ではこの部分が,「愛は自分の方法に固執しない」と訳されています。愛がある人は,自分の意見が常に正しいと言わんばかりに,自分のやり方を押し通そうとはしません。異なる見方をする人をねじ伏せて,無理やり従わせようともしません。そのような強引な態度は誇りの気持ちから出るもので,聖書によれば「誇りは崩壊につながり」ます。(格言 16:18)兄弟姉妹を本当に愛していれば,相手の意見を尊重し,できるだけ聞き入れるようにするでしょう。そのようにすることを,パウロも次のように勧めています。「各自,自分のためになることではなく,人のためになることをいつも優先しましょう」。(コリント第一 10:24)

      19. 誰かに嫌なことを言われたりされたりしても,愛があればどうしますか。

      19 「愛は……いら立ちません。……傷つけられても根に持ちません」。愛がある人は,人の言動にすぐにいら立ったりしません。誰かに嫌なことを言われたりされたりすると腹が立つものですが,愛があればずっといら立ったままでいることはありません。(エフェソス 4:26,27)傷つけられたことを事あるごとに思い出し,いつまでも忘れないというようなこともありません。愛情深い神に倣って,相手を許そうと努力します。第26章で考えたように,エホバは十分な理由がある場合に許してくれて,一度許したらその罪を忘れてくれます。再びその罪を持ち出したりはしないのです。エホバが傷つけられても根に持たない方であることに,私たちは本当に感謝しているのではないでしょうか。

      20. 兄弟姉妹が罪を犯してしまってつらい経験をしている場合,愛がある人はどうしますか。

      20 「愛は不正を喜」びません。「新英訳聖書」ではこの部分が「愛は……他の人の罪を見てほくそえんだり[しない]」と訳されており,モファット訳(英語)では「愛は他の人が過ちを犯しても決して喜ばない」となっています。愛がある人は不正を喜ばないので,どんな不道徳も大目に見たりしません。では,兄弟姉妹が罪を犯してしまってつらい経験をしている場合はどうでしょうか。愛があれば,「いい気味だ」などと考えて喜んだりはしません。(格言 17:5)一方,罪を犯した仲間が神との絆を取り戻そうと努力するとき,私たちは喜びます。

      「何よりも勝った道」

      21-23. (ア)パウロが書いたように,愛は決して絶えません。どうしてそう言えますか。(イ)最後の章ではどんなことを考えますか。

      21 「愛は決して絶えません」。この言葉の文脈でパウロは,聖なる力によって1世紀のクリスチャンに与えられた能力について語っていました。神からのそうした贈り物は,設立されたばかりのクリスチャン会衆を神が導いていることの証拠でした。とはいえ,クリスチャン全員が病気を癒やしたり,預言したり,さまざまな言語を話したりできたわけではなく,そうした能力はいずれなくなることになっていました。しかし,全てのクリスチャンが身に付けられるあるものは,ずっと残ります。それは奇跡によって与えられるどんな能力よりも大事なので,パウロはそれを「何よりも勝った道」と呼びました。(コリント第一 12:31)それは,愛のことです。

      22 パウロが説明した通り,クリスチャンの愛は「決して絶えません」。今でも,自己犠牲的な兄弟愛は,イエスに本当に従っている人たちの特徴です。世界中のエホバの証人の会衆で,そのような愛が見られるのではないでしょうか。その愛は永遠になくなりません。エホバは自分に忠実に仕える人たちに永遠の命を与えると約束しているからです。(詩編 37:9-11,29)では,自分にできる限りのことをして,「愛を抱いて歩んでいきましょう」。そうすれば,「受けるより与える方が幸福である」という言葉の通りだと実感できます。そして,いつまでも生き続け,愛情深い神エホバのように永遠に愛を示し続けることができるのです。

      エホバの民は互いへの温かい愛にあふれている

      23 この本のここまでの部分で,エホバのたくさんの良いところについて学んできました。エホバの力,公正,知恵,そして特に愛がどれほど素晴らしいかがよく分かりました。この章ではどのように仲間に愛を示せるかを考えましたが,私たちは誰よりもまずエホバに深い愛を示したいと思います。どのようにそうできるか,最後の章で考えましょう。

      a もちろん,愛があるクリスチャンは何でもかんでも信じるというわけではありません。聖書はこう忠告しています。「分裂を引き起こし,過ちのもととなる人たちに気を付けてください。[そういう]人たちを避けるのです」。(ローマ 16:17)

      じっくり考えたいこと

      • コリント第二 6:11-13 心を大きく開いて愛情を示すとはどういうことですか。具体的にどんな努力を払えますか。

      • ペテロ第一 1:22 兄弟姉妹に対する愛が誠実で温かいものであるべきなのはどうしてですか。

      • ヨハネ第一 3:16-18 「神を愛している」ことをどのように示せますか。

      • ヨハネ第一 4:7-11 私たちが仲間のクリスチャンを愛したいと思う一番の理由は何ですか。

  • 「神に近づいてください。そうすれば,神は近づいてくださいます」
    エホバに近づきなさい
    • 兄弟姉妹たちが集会で歌っている。

      第31章

      「神に近づいてください。そうすれば,神は近づいてくださいます」

      1-3. (ア)赤ちゃんが親に向ける笑顔から,人間についてどんなことが分かりますか。(イ)誰かに愛を示してもらうと,私たちはどうしたいと思うものですか。どんなことを考えるのは大切ですか。

      親は,赤ちゃんの笑顔を見るのが大好きです。顔を近づけて,優しく声を掛けたりほほ笑み掛けたりします。反応を見たくてたまらないのです。やがて赤ちゃんはほっぺや口を動かして,かわいい笑顔を見せてくれます。親の愛に応えて,赤ちゃんなりに愛情を表現しているに違いありません。

      2 赤ちゃんの笑顔からも分かるように,人間は愛を受けると自然に愛で応えようとします。そのように造られているのです。(詩編 22:9)そして成長するにつれて,愛を示してくれた人にいろいろな方法で愛を示せるようになります。あなたも,家族や友達から愛を示してもらって温かい気持ちになり,お返しに愛を行動で表したことが何度もあるでしょう。では,エホバ神の愛には応えているでしょうか。

      3 聖書に書かれている通り,「私たちが愛するのは,神がまず愛してくださったからです」。(ヨハネ第一 4:19)この本のセクション1からセクション3で考えたように,エホバは私たちの幸せを願って,力や公正や知恵を愛情深く示してきました。また,セクション4で学んだように,エホバは全人類への愛や私たち一人一人への愛を,さまざまな形でこれ以上ないほどはっきりと表してきました。それで,「自分はエホバの愛にどのように応えられるだろう」と考えるのは,本当に大切なことです。

      神を愛するとはどういうことか

      4. 神を愛するとはどういうことだと思っている人たちがいますか。

      4 愛の源であるエホバは,愛には人の心を良い方向へと動かす大きな力があることをよく知っています。それで,大半の人が神に仕えようとしなくても,愛に応えてくれる人たちも必ずいると確信して愛を示し続けてきました。そして実際,無数の人たちが神の愛に応えてきました。しかし残念なことに,いろいろな宗教が間違ったことを教えてきたせいで,神を愛するとはどういうことかを正しく理解できていない人が少なくありません。神を愛していると主張する人の多くは,ただそう言うだけで十分だと思っているようです。神を愛していると言うことは,神への愛の第一歩です。それは赤ちゃんが親への愛を最初は笑顔だけで示すのに似ています。ですが,十分に成長した人の場合,愛を表すためにできることはほかにもあります。

      5. 聖書によると,神を愛するとはどういうことですか。そのように神を愛することが私たちのためになるのはどうしてですか。

      5 神を愛するとはどういうことかは,エホバの言葉から分かります。聖書には,「神を愛するとは,神のおきてを守ることです」と書かれています。ですから,神への愛は行動で表す必要があります。おきてに縛られたくないと考える人も多いですが,同じ聖句にあるように「神のおきては重荷ではありません」。(ヨハネ第一 5:3)エホバが律法や原則を定めたのは,私たちを縛るためではなく,幸せにするためです。(イザヤ 48:17,18)聖書には,神との絆を強めるのに役立つ教えがたくさん書かれています。ここでは特に,神と意思を通わせること,神を崇拝すること,神に倣うことについて考えてみましょう。

      エホバと意思を通わせる

      6-8. (ア)どうすればエホバの言葉を聞くことができますか。(イ)聖書の内容が心に響くように読むにはどうしたらいいですか。

      6 この本の第1章は,「神と会話しているところを想像できますか」という質問で始まりました。その章で学んだ通り,神との会話は非現実的なものではありません。例えばモーセは実際に神と会話しました。では,私たちはどうでしょうか。現代では,エホバが天使を遣わして人間と話すことはありません。しかし,今でも私たちはエホバと意思を通わせることができます。まず,エホバの言葉を聞くにはどうしたらいいでしょうか。

      7 「聖書全体は神の聖なる力の導きによって書かれたもの」なので,私たちは聖書を読むことによってエホバの言葉を聞くことができます。(テモテ第二 3:16)それで詩編作者はエホバに仕える人たちに,聖書を「昼も夜も」読むように勧めました。(詩編 1:1,2)その通りにするにはかなりの努力が必要ですが,それだけの価値があります。第18章で考えたように,聖書は天の父からの大事な手紙のようです。ですから,単に機械的に読むのではなく,内容が心に響くように読まなければなりません。どうすればそうできるでしょうか。

      8 読んでいる内容を思い描き,登場人物を生き生きとイメージしてください。その人たちの生い立ちや置かれていた状況を調べ,どんな気持ちで行動していたかを想像してみましょう。そして,読んだことについて深く考えます。例えば,「この部分からエホバについてどんなことが分かるだろう。エホバのどんな良いところが表れているだろう。エホバはどんな原則を学んでほしいと思っているのだろう。学んだことをどのように役立てられるだろう」と考えてみます。読んで,じっくり考え,内容を自分のものにするなら,神の言葉に大きな力があることを実感できるでしょう。(詩編 77:12。ヤコブ 1:23-25)

      9. 「忠実で思慮深い奴隷」とは誰のことですか。その奴隷の言うことに注意深く耳を傾けることが大切なのはどうしてですか。

      9 エホバはさらに,「忠実で思慮深い奴隷」を導いて自分の考えを私たちに伝えてくれています。イエスが予告していた通り,問題の多いこの終わりの時代に,天に行くよう選ばれた兄弟たちの少人数の一団が任命され,「適切な時に」神からの「食物」を分配してきました。(マタイ 24:45-47)私たちは,聖書を正しく理解するのに役立つ出版物を読んだり,集会や大会に出席したりする時,その奴隷からの食物によって信仰を強められています。イエスが弟子たちに「どのように聞くかに注意を払いなさい」と言った通り,キリストの奴隷の言うことに注意深く耳を傾けることはとても大切です。(ルカ 8:18)エホバがその奴隷を使って私たちと意思を通わせているからです。

      10-12. (ア)エホバに祈れるのは素晴らしいことだと言えるのはどうしてですか。(イ)エホバに喜ばれるのはどんな祈りですか。エホバが私たちの祈りを喜んで聞いてくれると確信できるのはどうしてですか。

      10 では,私たちの方からエホバに語り掛けることについてはどうでしょうか。そのことを考えると,緊張したり怖くなったりする人もいるかもしれません。例えば,自分の悩みについて国の最高権力者に会って相談しようとしても,うまくいくとは思えないでしょう。国によっては権力者に近づくことさえ危険な場合があります。エステルとモルデカイの時代には,呼ばれていないのにペルシャの王に近づこうとする人は処刑される恐れがありました。(エステル 4:10,11)ですから,宇宙の主権者と話すことを想像すると気後れしてしまう人がいるのも理解できます。神と比べれば,どんなに力がある人も「バッタのよう」だからです。(イザヤ 40:22)でも,神に話し掛けることをためらう必要は全くありません。

      11 エホバは,誰でも簡単に自分と話せるようにしてくれています。祈りを聞いてくれるのです。幼い子供でも信仰を抱いて,イエスの名によってエホバに祈ることができます。(ヨハネ 14:6。ヘブライ 11:6)そして,私たちは祈りによって複雑な思いや感情,言葉にならないつらい気持ちなども伝えることができます。(ローマ 8:26)エホバに感銘を与えようとして,難しい言葉をいろいろ使ったり長々しく祈ったりするべきではありません。(マタイ 6:7,8)とはいえ,私たちが誠実な気持ちで祈るなら,どんなに長く祈っても,どれほど頻繁に祈っても,エホバは聞いてくれます。聖書は,「絶えず祈ってください」と勧めています。(テサロニケ第一 5:17)

      12 エホバだけが「祈りを聞く方」と呼ばれていることや,私たちに感情移入してくれるということを忘れないようにしましょう。(詩編 65:2)エホバは自分に忠実に仕える人たちの祈りを渋々聞くのではなく,喜んで聞いてくれます。聖書の中で,祈りは香のようだと言われています。香をたくと,甘い香りのする心地よい煙が立ち上ります。(詩編 141:2。啓示 5:8; 8:4)自分の誠実な祈りがいわば香のように上っていき,主権者である主に喜んでもらえると考えると,うれしくなるのではないでしょうか。では,エホバとの友情を深めるために,謙遜な気持ちで毎日何度も祈りましょう。遠慮せずに何でも話してください。(詩編 62:8)気掛かりなことやうれしかったこと,感謝や賛美の気持ちなどを天の父に伝えましょう。そうすると,神との絆がどんどん強くなっていきます。

      エホバを崇拝する

      13-14. エホバを崇拝するとはどういうことですか。私たちがエホバを崇拝すべきなのはどうしてですか。

      13 私たちがエホバ神と意思を通わせることは,家族や友達との会話よりもっと深い意味があります。それはエホバへの崇拝の大事な部分だからです。エホバを崇拝するとは,エホバへの深い敬意や愛を表し,エホバをたたえるということであり,私たちの生き方全体が関係しています。エホバだけが崇拝を受けるのにふさわしい方であり,大勢の天使や人間が一致団結してエホバを崇拝しています。使徒ヨハネが幻の中で見た天使が語った,「天と地と海と泉を造った方を崇拝しなさい」という命令に従っているのです。(啓示 14:7)

      14 エホバを崇拝すべきなのはどうしてでしょうか。この本で学んだ通り,エホバにはたくさんの良いところがあります。エホバは神聖で,強い力を持ち,自分を制することができ,公正で勇気があり,憐れみ深く,知恵があり,謙遜で思いやりがあり,揺るぎない愛に満ち,どこまでも善い方です。どの点でもエホバは最高の手本であり,エホバに勝る者は誰もいません。エホバの数々の素晴らしい面について少し考えるだけでも,私たちの理解をはるかに超える偉大な神だということが分かるのではないでしょうか。圧倒的な栄光に輝く,まさに至高の方です。(イザヤ 55:9)エホバは確かに全てのものを治める権利を持っていて,私たちが崇拝すべき方だと言えます。では,どのようにしてエホバを崇拝したらよいのでしょうか。

      15. 「聖なる力と真理に導かれて」エホバを崇拝するにはどうしたらいいですか。兄弟姉妹と集まる時,どんなことができますか。

      15 イエスはこう言いました。「神は目に見えない方であり,神を崇拝する人は聖なる力と真理に導かれて崇拝しなければなりません」。(ヨハネ 4:24)私たちは神から聖なる力を頂いて,その力の導きに従って神を崇拝しなければなりません。また,神の言葉の真理に沿って崇拝する必要があります。兄弟姉妹と集まる時にはいつでも,「聖なる力と真理に導かれて」エホバを崇拝することができます。(ヘブライ 10:24,25)エホバに賛美の歌を歌ったり,みんなで一緒に祈ったり,聖書について話し合ったりすることによって,私たちは清い崇拝を行って神への愛を表すのです。

      エホバを崇拝する喜びを味わうために,クリスチャンの集会に出席することは大切

      16. クリスチャンにはどんな重要な命令が与えられていますか。私たちがその命令に従いたいと思うのはどうしてですか。

      16 さらに,エホバがどれほど素晴らしい神かについて人々に話すことによっても,エホバを崇拝できます。(ヘブライ 13:15)クリスチャンは,エホバの王国の良い知らせを伝えるようにという重要な命令を与えられています。(マタイ 24:14)私たちはエホバを愛しているので,その命令に喜んで従います。「今の体制の神」である悪魔サタンは,「信仰のない人たちの思考を遮り」,エホバについてのひどいうそを広めています。そのことを考えると,私たちは神の証人として,皆にエホバについて本当のことを知ってもらいたいと強く思うのではないでしょうか。(コリント第二 4:4。イザヤ 43:10-12)また,エホバのたくさんの良いところについて思い巡らすと,できるだけ多くの人に話したいと思うに違いありません。私たちと同じように天の父を知って愛することができるように人を助けるのは,私たちに今できる最も大切なことです。

      17. エホバを崇拝することには,どんなことも関係していますか。エホバへの忠誠心が大切なのはどうしてですか。

      17 ほかにも,エホバを崇拝することには私たちの生活全般が関係しています。(コロサイ 3:23)エホバが自分の従うべき主権者だと本当に思っている人は,いつでもエホバの望むことを行おうとします。家庭でも職場でも,他の人といる時も1人でいる時もです。「心を尽くして」エホバに仕え,忠誠を貫くことを決意しています。(歴代第一 28:9)ですから,エホバを崇拝する人は,エホバが嫌うものに心を向けたり,裏表のある生き方をしたりはしません。表向きはエホバに仕えているように見せ掛けながらひそかに重大な罪を犯し続けるような,偽善的な生き方とは無縁です。そもそも忠誠心と偽善は両立しませんし,エホバを愛している人はエホバを裏切ることなど考えられません。神への畏れも,神に尽くしたいという気持ちを強めます。聖書によれば,そのような畏れを持つ人はいつまでもエホバの親しい友でいられます。(詩編 25:14)

      エホバに倣う

      18-19. 不完全な人間でもエホバ神に倣えると言えるのはどうしてですか。

      18 聖書は私たちに,「皆さんは子供として神に愛されているのですから,神に倣ってください」と勧めています。(エフェソス 5:1)この本の各セクションの結びの章で,どのようにそうできるかを考えてきました。エホバは完全な方で,力,公正,知恵,愛を完璧に示すことができますが,不完全な私たちでもエホバに倣えるということを忘れないようにしましょう。自分には無理だと感じるようなとき,どんなことを思い出すといいでしょうか。エホバという名前の意味から分かる通り,神は目的を果たすために自分がなりたいと思うどんなものにでもなることができます。それは確かに驚異的な能力ですが,私たちには到底まねできないというわけではありません。

      19 私たちは神に似た者として造られています。(創世記 1:26)ですから,人間は地球上の他のどんな生き物とも違っています。私たちの行動は,本能,遺伝による習性,取り巻く環境などによってのみ決まるわけではありません。エホバは私たちに自由意志という素晴らしい贈り物を下さいました。私たちは不完全で限界があるとはいえ,どんな人になりたいかを自分で決めることができます。さらに,エホバという名前の意味から分かるもう一つのこととして,神は自分を崇拝する人たちをどんなものにでもならせることができます。では,あなたは,愛情深く,知恵があり,公正で,力を正しく使う人になりたいと思いますか。そう強く願っているなら,エホバの聖なる力の助けにより,まさにそういう人になることができます。そのようにエホバに倣うと,どんな良いことがあるでしょうか。

      20. エホバに倣うとどんな良いことがありますか。

      20 まず,エホバに心から喜んでもらえます。(格言 27:11)限界がある私たちのことをエホバがそこまで喜んでくれるというのは,本当にうれしいことです。(コロサイ 1:9,10)さらに,愛情深いお父さんの良いところに倣おうと努力し続けるなら,大半の人が神を知らない暗い世の中で真理の光を輝かせることができます。(マタイ 5:1,2,14)素晴らしいことに,エホバがどれほど魅力的な方かを世界中の大勢の人たちに知ってもらうことに貢献できるのです。

      「神に近づいてください。そうすれば,神は近づいてくださいます」

      1人の兄弟が鮮やかに染まった夕焼け空を眺めている。

      これからもエホバに近づき,エホバとの友情を深めてください

      21-22. エホバを愛する人全ては,終わりのないどんな旅をしていますか。

      21 ヤコブ 4章8節で私たちに勧められていることは,すぐに達成できる目標というより,ずっと続く旅のようです。私たちが神に仕え続ける限り,その旅は続いていきます。エホバに近づくことに終わりはないからです。いくら学んでも,エホバについて学べることはさらにあります。この本を読んで,もうエホバのことは全部分かったと考えるべきではありません。この本では,神について聖書に書かれていることのほんの一部を取り上げたにすぎません。そして聖書そのものも,エホバについて全てを教えているわけではありません。使徒ヨハネが言っているように,イエスが地上で伝道をした期間に行った全てのことを書いたとしたら,「その巻物は世界に収まり切らない」でしょう。(ヨハネ 21:25)イエスについてそう言えるのですから,エホバについてはなおさらです。

      22 永遠に生き続けても,エホバについて学べることがなくなることはありません。(伝道の書 3:11)考えてみてください。何百年,何千年,何万年,何億年もたてば,エホバ神について今よりもはるかに多くのことを知っているでしょう。それでも,まだまだ学べる素晴らしいことが限りなくあるのです。「私にとって,神に近づくのは良いことだ」と歌った詩編作者と同じ気持ちを持ち続けて,いつまでも学んでいきたいと思うに違いありません。(詩編 73:28)永遠に続く生活は,想像もつかないほど充実していて変化に富んだものになるでしょう。何よりも,エホバとの友情が日に日に深まっていく喜びを永遠にわたって味わえるのです。

      23. この本を学んで,あなたはどうしたいと思いますか。

      23 ぜひ今エホバの愛に応えて,自分の心,知力,力,全てを尽くしてエホバを愛してください。(マルコ 12:29,30)何があってもエホバへの揺るぎない愛を持ち続けましょう。毎日の生活の中で,小さなことから大きなことまで何を決めるにしても,どうすれば天の父との絆が強まるかをいつも考えてください。あなたが永遠にわたってますますエホバに近づき,エホバとのいつまでも続く深い友情を楽しめますように!

  • 「驚異的な力」
    エホバに近づきなさい
    • 雲間から太陽の光が差している。

      セクション1

      「驚異的な力」

      このセクションでは,エホバの創造する力,破壊する力,保護する力,回復させる力について,聖書にどんなことが書かれているかを調べます。「驚異的な力」を持つエホバ神が自分の「膨大な活力」をどのように使うかが分かると,勇気や希望が湧いてきます。(イザヤ 40:26)

  • 「エホバは公正を愛する方」
    エホバに近づきなさい
    • 雲間から太陽の光が差している。

      セクション2

      「エホバは公正を愛する方」

      今の世の中は不公正なことだらけです。多くの人は,それを神のせいにしています。しかし,聖書によると「エホバは公正を愛する方」です。その事実を知ると安心します。(詩編 37:28)このセクションでは,エホバが確かに公正な方だと言える理由を学びます。そして,エホバが公正だからこそ私たちはどんな希望を持てるかを考えます。

  • 「心が賢[い]」
    エホバに近づきなさい
    • 雲間から太陽の光が差している。

      セクション3

      「心が賢[い]」

      本当の知恵は,とても貴重な宝です。そのような知恵を与えてくれるのはエホバだけです。忠実にエホバに仕えたヨブは,「神は心が賢[い]」と言いました。(ヨブ 9:4)このセクションでは,エホバ神の無限の知恵について詳しく取り上げます。

  • 「神は愛」
    エホバに近づきなさい
    • 雲間から太陽の光が差している。

      セクション4

      「神は愛」

      エホバには良いところがたくさんありますが,最も際立っていて魅力的なのは愛です。エホバの愛には,ダイヤモンドのように幾つもの美しい面があります。エホバが愛をどのように表しているかを考えると,聖書に「神は愛……です」と書かれている理由がよく分かります。(ヨハネ第一 4:8)

日本語出版物(1954-2026)
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