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  • キリスト教世界に臨むエホバからの災厄
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 「またわたしが見ると,中天を飛ぶ一羽の鷲が大声でこう言うのが聞こえた。『災い,災い,地に住む者たちには災いだ! ラッパを吹こうとしている三人のみ使いの吹き鳴らす残りのラッパの音のゆえに』」― 啓示 8:13。

      42 飛ぶ鷲は何を表わしていると考えられますか。どんな音信を携えていますか。

      42 鷲は空の高いところを飛ぶので,広い範囲の地区の人々が鷲を見ることができます。鷲は異例の鋭敏な視覚を備えているので,遠く前方を見ることができます。(ヨブ 39:29)神のみ座の周りの四つのケルブのような生き物の一つは,飛んでいる鷲として描かれました。(啓示 4:6,7)その鷲はこのケルブか,あるいは遠目のきく他の神の僕のいずれであれ,『災いだ,災いだ,災いだ!』という力強い音信を大声でふれ告げます。残りの三つのラッパの音は各々これらの災いの一つと結びつけられていますから,その音が聞こえる時,地に住む人々は注目すべきでしょう。

  • 第一の災い ― いなご
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 22章

      第一の災い ― いなご

      1 み使いたちがラッパを鳴り響かせると,だれが物事をやり遂げますか。第五のみ使いのラッパの音は何を知らせますか。

      第五のみ使いがラッパを吹く用意をします。天の四つのラッパはすでに鳴り響き,四つの災厄は,エホバにより一番とがめられるべきものとみなされている地の三分の一,つまりキリスト教世界に加えられ,同世界の病気にかかった致命的な状態があからさまにされてきました。み使いたちはラッパを鳴り響かせる一方,人間の報道者たちは地上で物事をやり遂げます。今や第五のみ使いのラッパが,これまでに臨んだものよりもさらに恐ろしい第一の災いを知らせようとしています。それは恐るべきいなごの災厄と関係があります。しかし,まず最初に,その災厄をもっとよく理解するのに役立つ他の聖句を調べてみましょう。

      2 聖書のどの書は,ヨハネが見るのと同様のいなごの災厄について述べていますか。その災厄は古代のイスラエルにどんな影響を及ぼしましたか。

      2 西暦前9世紀に書き記された聖書のヨエル書は,ヨハネが見るのと同様の,いなごを含む昆虫の災厄について述べています。(ヨエル 2:1-11,25)a それは背教したイスラエルにたいへん不快な思いをさせることになりますが,その結果,ユダヤ人の中の個々の人々は悔い改めてエホバの恵みのもとに帰ることになるはずでした。(ヨエル 2:6,12-14)その時が到来すると,エホバはご自分の霊を「あらゆる肉なる者」に注いでくださり,「畏怖の念を抱かせる,エホバの大いなる日の来る」前に,恐ろしいしるしと驚くべき異兆が起きることになっていました。―ヨエル 2:11,28-32。

      1世紀の災厄

      3,4 (イ)ヨエル 2章はいつ一度成就しましたか。どのように成就しましたか。(ロ)西暦1世紀当時,群がるいなごのような災厄は,どのようにして生じましたか。その災厄による苦しみはいつまで続きましたか。

      3 ヨエル 2章は1世紀に一度成就しました。聖霊が注がれ,当時の最初のクリスチャンが油そそがれて,「神の壮大な事柄」について多くの国語で話す力を授けられたのは,西暦33年のペンテコステのことでした。その結果,大勢の群衆が集まりました。使徒ペテロは驚嘆したそれらの傍観者たちに話しかけて,ヨエル 2章28節と29節を引用し,彼らがその成就を目撃しているのだということを説明しました。(使徒 2:1-21)しかし,その時,文字通りの昆虫の災厄が起きて,ある人々が不快な思いをさせられたり,ほかの人々が悔い改めたりしたという記録はありません。

      4 その当時,比喩的な災厄が起きましたか。確かに起きました! それは新たに油そそがれたばかりのクリスチャンが,宣べ伝える業を絶え間なく行なった結果でした。b エホバはそれらのクリスチャンを通して,悔い改めて神からの祝福を享受するよう,話に耳を傾けるユダヤ人を招かれました。(使徒 2:38-40; 3:19)それにこたえ応じた個々の人たちは,エホバの驚くべき恵みを受けました。しかし1世紀のクリスチャンは,そのような招きを退けた者たちにとっては,荒廃をもたらす,群がるいなごのようになりました。それらクリスチャンはエルサレムを初めとしてユダヤとサマリアの全土に広がりました。ほどなくして,彼らはあらゆる場所で見いだされるようになり,イエスの復活とその意味する事柄すべてを公にふれ告げることにより,信じようとしないユダヤ人を責め苦に遭わせました。(使徒 1:8; 4:18-20; 5:17-21,28,29,40-42; 17:5,6; 21:27-30)その災厄による苦しみは,エホバがローマ軍にエルサレムを攻めさせて,その滅びをもたらされた西暦70年の『畏怖の念を抱かせる日』まで続きました。信仰を抱いてエホバのみ名を呼び求めたクリスチャンだけが救われました。―ヨエル 2:32。使徒 2:20,21。箴言 18:10。

      今日のいなごの災厄

      5 ヨエルの預言は1919年以来,どのように成就してきましたか。

      5 ヨエルの預言は終わりの時に最終的な成就を見ると期待することができたのも,もっともな話です。まさしくその通りになりました! 1919年9月1日から8日まで米国オハイオ州シーダー・ポイントで開かれた聖書研究者の大会で,エホバの霊が著しい仕方で注がれて,神の民は宣べ伝える業の世界的な運動を組織するよう動かされました。クリスチャンと称する人々すべての中で,それらの神の民だけが,イエスが天の王として即位されたことを認め,その良いたよりを広く告げ知らせる努力を少しも惜しみませんでした。彼らが預言の成就として絶え間なく行なう証しは,背教したキリスト教世界を責め苦に遭わせる災厄となりました。―マタイ 24:3-8,14。使徒 1:8。

      6 (イ)第五のみ使いがラッパを吹いた時,ヨハネは何を見ましたか。(ロ)この「星」はだれを象徴していますか。それはどうしてですか。

      6 エルサレムが滅びてからおよそ26年後に書き記された啓示の書もまた,その災厄について述べています。その書はヨエルが述べた事柄にさらにどんなことを付け加えていますか。ヨハネは次のように伝えているので,その記録を取り上げてみましょう。「また,第五のみ使いがラッパを吹いた。すると,わたしは天から地に落ちた星を見た。底知れぬ深みの坑のかぎが彼に与えられた」。(啓示 9:1)この「星」は,落ちて行くのをヨハネが見た,啓示 8章10節の星とは違います。ヨハネは,「天から地に落ちた星」を見ます。その星は今,この地に関して,ある割り当てを持っています。この星は霊者,それとも肉の人のことでしょうか。この「底知れぬ深みの坑のかぎ」の所持者は,後の箇所でサタンを「底知れぬ深み」に投げ込む方として描写されています。(啓示 20:1-3)それで,この方は力ある霊者であられるに違いありません。ヨハネは啓示 9章11節で,いなごには『王,すなわち底知れぬ深みの使い』がいることをわたしたちに教えています。この両方の節は同一の方に言及しているに違いありません。というのは,底知れぬ深みのかぎを持っているみ使いは,論理的に言って,底知れぬ深みの使いだからです。それで,この星はエホバの油そそがれた王を象徴しているに違いありません。というのは,油そそがれたクリスチャンは,み使いのような一人の王,イエス・キリストだけを認めているからです。―コロサイ 1:13。コリント第一 15:25。

      7 (イ)「底知れぬ深みの坑」が開かれると,何が起こりますか。(ロ)「底知れぬ深み」とは何ですか。だれがその中で短期間過ごしましたか。

      7 記述はさらにこう続きます。「そして,彼が底知れぬ深みの坑を開けると,大きな炉の煙のような煙がその坑から立ち上り,その坑の煙によって太陽が,また空気が暗くなった。そして,その煙の中からいなごが地上に出て来た。それらには権威が与えられた。地のさそりが持つのと同じ権威である」。(啓示 9:2,3)聖書的に言って,「底知れぬ深み」とは,無活動の,つまり死んだ状態の場所のことです。(ローマ 10:7; 啓示 17:8; 20:1,3と比較してください。)イエスの兄弟たちの少数の集団は,第一次世界大戦の終わりごろ(1918-1919年),比較的無活動な,そのような「底知れぬ深み」で短期間過ごしました。しかし,1919年にエホバがご自分の悔い改めた僕たちに霊を注がれた時,彼らは前途に控えていた業の挑戦に応じるため群れを成して出て行きました。

      8 いなごはどうして沢山の煙と共に放たれるのでしょうか。

      8 ヨハネが観察していると,「大きな炉の煙」のような沢山の煙と共に,いなごが放たれます。c 1919年にその通りになりました。キリスト教世界と一般の世にとって,事態は暗くなりました。(ヨエル 2:30,31と比較してください。)ヨハネ級のそれらのいなごが放たれたことは,実際,王国の業を永久に抹殺しようと企てて陰謀を巡らし,今や神の王国を退けたキリスト教世界の僧職者の敗北を意味しました。そのいなごの集団が神からの権威を与えられ,強力な裁きの音信をふれ告げて,その権威を行使し始めるにつれ,煙のようなとばりが背教したキリスト教世界の上に広がりだしたことが明らかになりました。キリスト教世界の「太陽」― 啓発を受けているように見える同世界の有様 ― は光彩を失い,またこの世の「空中[字義通りには,空気]の権威の支配者」がキリスト教世界の神であるということが示されるにつれて,「空気」は神からの裁きの宣言のためによどみました。―エフェソス 2:2。ヨハネ 12:31。ヨハネ第一 5:19。

      人を責め苦に遭わせるいなご!

      9 いなごは戦闘のためのどんな指図を受けましたか。

      9 それらのいなごは戦闘のためのどんな指図を受けましたか。ヨハネはこう伝えています。「そして,地の草木を,またどんな緑のものも,どんな樹木も損なわないように,ただ,額に神の証印のない人々だけを損なうようにと告げられた。そして,そのいなごには,彼らを殺すことではなく,彼らを五か月のあいだ責め苦に遭わせることが許された。彼らに加えられるその責め苦は,さそりが人を襲うときの責め苦のようであった。その日には,人々は死を求めるが,決してそれを見いだせないであろう。また,死にたいと思っても,死は彼らから逃げてゆく」― 啓示 9:4-6。

      10 (イ)この災厄はおもにだれに加えられますか。それらの人々はどんな影響を受けますか。(ロ)どのような責め苦が関係していますか。(脚注もご覧ください。)

      10 この災厄はまず最初に人々,もしくはその中の著名な人々 ―『地の草木,また樹木』― に加えられるのではないことに注目してください。(啓示 8:7と比較してください。)いなごは,額に神の証印のない人々,つまり証印を押されていると主張しながら,当人の記録がその主張の偽りを示しているキリスト教世界の人々だけを損なうのです。(エフェソス 1:13,14)ですから,現代のそれらのいなごが発する,人を責め苦に遭わせる言葉は,まず最初にキリスト教世界の宗教指導者に対して発せられました。それら独り善がりな人々は,自分たちの羊の群れを天に導いていないばかりか,自分自身も天に行かないことが公に知らされるのを聞いて,大いに責めさいなまれてきたに違いありません。d それは確かに,『盲人を案内する盲人』の例そのものです!―マタイ 15:14。

      11 (イ)いなごには神の敵をいつまで責め苦に遭わせることが許されますか。それは実際にはどうして短期間ではありませんか。(ロ)責め苦はどれほど激しいものですか。

      11 その責め苦は五か月間続きます。それは比較的短期間でしょうか。文字通りのいなごの観点からすれば,そうではありません。五か月というのは,そのような昆虫の中のある種のものの普通の寿命を表わしています。ですから,現代のいなごは,生きている限り,神の敵を刺すことになります。その上,その責め苦は大変激しいので,人々は死のうとするようになります。確かに,いなごに刺されて,実際に自殺しようとした人がいたという記録はありませんが,その表現は,さそりの執ような攻撃によるかのような責め苦の激しさを描写するのに役立ちます。それは,バビロニア人の征服者たちにより散らされて,生きることよりも死を願わしく思うようになった不忠実なイスラエル人の被った,エレミヤの予見した苦しみのようです。―エレミヤ 8:3。伝道の書 4:2,3もご覧ください。

      12 いなごには,どうしてキリスト教世界の宗教指導者を殺すのではなく,霊的な意味で責め苦に遭わせることが許されるのでしょうか。

      12 どうしてそれらの人々を殺すのではなく,霊的な意味で責め苦に遭わせることが許されるのでしょうか。それはキリスト教世界のうそや同世界の失敗を暴露する最初の災いです。しかし,同世界の死のような霊的な状態は,主の日が経過するにつれて,後日初めて十分に広く知らされます。人々の三分の一は第二の災いの際に殺されます。―啓示 1:10; 9:12,18; 11:14。

      戦いの装備を整えたいなご

      13 いなごはどんな外見をしていますか。

      13 それらのいなごは何という驚くべき外見をしているのでしょう。ヨハネはこう描写しています。「そして,いなごの姿は戦闘の備えをした馬に似ていた。頭の上には金のような冠と思えるものがあり,顔は人間の顔のようであったが,女の髪のような髪の毛があった。そして,歯はライオンの歯のようであり,また,鉄の胸当てのような胸当てを着けていた。そして,彼らの翼の音は,多くの馬に引かれる兵車が戦闘に走り行く音のようであった」― 啓示 9:7-9。

      14 いなごに関するヨハネの描写は,どうして1919年に生き返らされたクリスチャンのグループと合致していましたか。

      14 これは1919年に生き返らされた忠節なクリスチャンのグループを実によく表わしています。彼らは馬のように戦いの用意ができていました。つまり,使徒パウロの述べた仕方で真理のために闘うのを待ち兼ねていました。(エフェソス 6:11-13。コリント第二 10:4)ヨハネは,金でできた冠のように見えるものが彼らの頭の上にあるのを見ます。彼らが実際の王冠を持つのは正しいことだとは言えません。なぜなら,彼らはなお地上にいる時には,支配を始めないからです。(コリント第一 4:8。啓示 20:4)しかし,彼らは1919年にすでに王らしい外見を示していました。彼らは王の兄弟たちだったので,終わりまで忠実を保つ限り,天的な冠が彼らのために取って置かれたからです。―テモテ第二 4:8。ペテロ第一 5:4。

      15 いなごの(イ)鉄の胸当て,(ロ)人間のような顔,(ハ)女のような髪の毛,(ニ)ライオンのような歯,(ホ)大変な騒音は,それぞれ何を表わしていますか。

      15 幻の中のいなごには,破れることのない義を象徴する鉄の胸当てがあります。(エフェソス 6:14-18)いなごにはまた,人間の顔があります。この特徴は愛という特質を指しています。というのは,人間は,愛であられる神の像に造られたからです。(創世記 1:26。ヨハネ第一 4:16)彼らの髪の毛は女の髪のように長くて,底知れぬ深みの使いである,彼らの王に対する服従をよく表わしています。また,彼らの歯はライオンの歯に似ています。ライオンは歯を使って肉を裂きます。ヨハネ級の人たちは1919年以降,再び固い霊的な食物,特に「ユダ族の者であるライオン」,イエス・キリストの治める神の王国に関する真理を取り入れることができるようになりました。ライオンが勇気を象徴している通り,この強烈な音信を消化し,それを出版物にして発表し,それを世界中で配布するにはたいへん大きな勇気が必要でした。これらの比喩的ないなごは,「多くの馬に引かれる兵車が戦闘に走り行く音」のような大変な騒音を立ててきました。彼らは1世紀のクリスチャンの模範にしたがって,黙ったままでいようとは思いません。―コリント第一 11:7-15。啓示 5:5。

      16 いなごの『さそりに似た尾と針』にはどんな重要な意味がありますか。

      16 この宣べ伝える業には話される言葉以上の事柄が関係しています!「また,彼らには尾と,さそりに似た針とがあり,その尾に,人を五か月のあいだ痛める彼らの権威がある」。(啓示 9:10)これは何を意味しているのでしょうか。エホバの証人は王国の業をせっせと行ない,話す言葉と印刷物を用いて,神のみ言葉に基づく権威ある声明を出します。迫り来るエホバの復しゅうの日を警告するその音信には,さそりのような針があります。(イザヤ 61:2)霊的ないなごの現在の世代の寿命が尽きる前に,エホバの裁きを宣明する,神から命じられた彼らの業は,不敬な言葉を吐く,うなじのこわい者たちすべてに痛みをもたらしながら,完了することになります。

      17 (イ)1919年に開かれた聖書研究者の大会で,証言によって人を刺す業を強化する,どんな助けが発表されましたか。(ロ)僧職者はどのように責め苦に遭わされてきましたか。彼らはそれにこたえてどのように行動しましたか。

      17 そのいなごの集団は,1919年に開かれた彼らの大会で「黄金時代」という表題の新しい雑誌(英文)が発表された時,大いに喜びました。それは彼らが証言によって人を刺す業を強化するために企画された隔週刊誌でした。e 1920年9月29日発行の同誌第27号は,1918年から1919年の期間中,アメリカ合衆国で聖書研究者を迫害した僧職者の欺まんを暴露しました。「黄金時代」誌は1920年代および1930年代中,政治に手を出す狡猾な僧職者や,特にファシストおよびナチの独裁者とカトリック教階制とが結んだ政教条約を暴露した痛烈な記事や風刺漫画を掲載して,僧職者をさらに責め苦に遭わせました。それにこたえて,僧職者たちは『法をもて危害をたくらみ』,神の民に対する暴徒による暴力行為を組織しました。―詩編 94:20,ジェームズ王欽定訳。

      通告を受ける世界の支配者たち

      18 いなごにはなすべきどんな仕事がありましたか。第五のラッパの音にこたえ応じて,その後,何が起きましたか。

      18 現代のいなごにはなすべき仕事がありました。王国の良いたよりは宣べ伝えられなければなりませんでした。また,誤りも暴露しなければならず,失われた羊も見いださなければなりませんでした。いなごがこれらの仕事をせっせと行なうにつれ,世の人々は起き直って注目せざるを得なくなりました。ヨハネ級の人たちはみ使いたちのラッパの音に従順に従い,キリスト教世界がエホバの不利な裁きを受けるに値することを暴露し続けました。第五のラッパにこたえ応じて,1926年5月25日から31日まで英国のロンドンで開かれた聖書研究者の大会で,その裁きの特定の面が強調されました。この大会の呼び物となったのは,「世の支配者たちへの証言」と題する決議と,ロイヤル・アルバート・ホールで行なわれた,「世界の諸勢力はなぜよろめいているのか ― その救済策」と題する公開講演で,その決議と講演の両方の全文が翌日のロンドンの主要新聞に掲載されました。後日,いなごの集団は,その決議文を小冊子にして,全世界で5,000万部配布したので,まさしく僧職者たちは責め苦に遭わされました! 何年もの後でさえ,英国の人々は当時痛烈に暴露された事柄についてなおも語り合っていました。

      19 象徴的ないなごはさらに,闘うためのどんな装備を受け取りましたか。それは,ロンドンで発表された声明について何と述べましたか。

      19 その大会で,象徴的ないなごはさらに,闘うための装備,それも注目すべきことに「神の救い」(英文)と題する新しい書籍を受け取りました。その書籍には,「男子」の政府,つまりキリストの天の王国が1914年に誕生したことを証明するしるしに関する,聖書に基づく論議が含まれていました。(マタイ 24:3-14。啓示 12:1-10)同書は,その後のところで,1917年にロンドンで発表された声明を引用していますが,その声明文には,「世界の最も偉大な伝道師に数えられる」人物と評された8人の僧職者の署名が付されていました。それらの僧職者はプロテスタントの主要教派,つまりバプテスト派,組合教会派,長老派,監督教会派,およびメソジスト派を代表していました。その声明文は,「現在の危機は異邦人の時の終結を指し示しており」,「主の顕現はいつ何時始まるかもしれないと期待し得よう」と言明しました。そうです,それらの僧職者はイエスの臨在のしるしを認めていたのです! しかし,彼らはそれに関して何かをしたいと考えていたでしょうか。「神の救い」と題するその本は,わたしたちにこう教えています。「この問題の最も驚くべき点は,声明文に署名した当の本人たちが,その後,今が世の終わりの時であり,主の再臨在の時代であることを示す証拠を否認し,退けたということです」。

      20 (イ)僧職者はいなごの集団とその王に関して何をすることを望みましたか。(ロ)ヨハネは,いなごの集団の上にだれがいることを述べていますか。その名は何と言いますか。

      20 キリスト教世界の僧職者は来たるべき神の王国を告げ知らせるどころか,サタンの世と共にとどまることを望みました。彼らはいなごの集団とその王とにかかわりを持ちたいとは少しも思っていません。ヨハネはその集団と王に関して,今やこう述べます。「彼らの上には王がいる。すなわち,底知れぬ深みの使いである。ヘブライ語で彼の名はアバドン[「滅び」の意]であり,ギリシャ語では,アポルオン[「滅ぼす者」の意]という名がある」。(啓示 9:11)「底知れぬ深みの使い」で,「滅ぼす者」でもあられるイエスは確かに,苦痛をもたらす災いをキリスト教世界の上に放たれたのです。しかし,さらにほかのことが起きようとしています!

      [脚注]

      a ヨエル 2章4節,5節および7節(ここでは,その昆虫が馬や民や男子として,また兵車のような音を立てるものとして描かれている)と啓示 9章7節から9節を比較し,またヨエル 2章6節と10節(その昆虫の災厄の悲惨な影響が描かれている)と啓示 9章2節と5節を比較してください。

      b 1962年5月1日号の「ものみの塔」誌の「決定の谷で諸国民に一致して立ちむかう」と題する記事をご覧ください。

      c この聖句は,底知れぬ深みがあたかも地獄の火でもあるかのように,そこに火があったことを証明するために使える句ではないことに注目してください。ヨハネは大きな炉の煙のような濃い煙を見たと言っています。(啓示 9:2)その底知れぬ深みの中に実際の炎があるのを見たとは報告していません。

      d ここで使われているギリシャ語は,文字通りの責め苦に関して使われる場合のある「バサニゾー」という語根から来ています。しかし,この語は精神的な責め苦にも使えます。例えば,ペテロ第二 2章8節で,ロトはソドムで見た悪事のゆえに,「自分の義なる魂に堪えがたい苦痛を味わっていた」と記されています。使徒時代の宗教指導者は,もちろん全く別の理由のためでしたが,同様の精神的な責め苦に遭いました。

      e この雑誌の名称は,1937年に「慰め」,また1946年には「目ざめよ!」と改められました。

  • 第二の災い ― 騎兵隊
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 23章

      第二の災い ― 騎兵隊

      1 僧職者たちはいなごを撲滅しようとしたにもかかわらず,どうなりましたか。なお二つの災いが来ることは,何を示唆していますか。

      1919年以降,キリスト教世界は象徴的ないなごの侵入を受けて,僧職者たちはたいへん不快な気持ちにさせられてきました。彼らはいなごを撲滅しようとしましたが,いなごは引き続き以前にもまして猛烈な勢いで押し寄せてきました。(啓示 9:7)しかも,それがすべてではありません! ヨハネはこう書いています。「一つの災いが過ぎた。見よ,これらのことの後なお二つの災いが来る」。(啓示 9:12)さらに責め苦をもたらす災厄がキリスト教世界を待ち構えているのです。

      2 (イ)第六のみ使いがラッパを吹くと,何が起きますか。(ロ)「黄金の祭壇の角の間から出る一つの声」は何を表わしていますか。(ハ)どうして四人のみ使いのことが述べられているのでしょうか。

      2 第二の災いの源は何でしょうか。ヨハネはこう書いています。「そして,第六のみ使いがラッパを吹いた。すると,神の前にある黄金の祭壇の角の間から出る一つの声が,ラッパを持つ第六のみ使いにこう言うのが聞こえた。『大川ユーフラテスのところにつながれている四人のみ使いをほどきなさい』」。(啓示 9:13,14)黄金の祭壇の角から出る声にこたえ応じて,み使いたちが解き放たれます。その祭壇は黄金の香の祭壇のことで,その祭壇から取られた黄金の鉢の香は,以前に二度,聖なる者たちの祈りと結びつけられていました。(啓示 5:8; 8:3,4)ですから,その一つの声は,地上の聖なる者たちの一致した祈りを表わしています。彼らは自分たちが解放されて,さらにエホバの「使者」として精力的な奉仕を行なわせていただきたいと嘆願します。この「使者」という表現は,ここで「み使い」と訳されているギリシャ語の基本的な意味なのです。四人のみ使いがいるのはどうしてでしょうか。この象徴的な数は,それらのみ使いが地全体を網羅できるよう大変よく組織されていることを示唆しているようです。―啓示 7:1; 20:8。

      3 四人のみ使いはどのように「大川ユーフラテスのところにつながれて」いましたか。

      3 これらのみ使いはどうして『大川ユーフラテスのところにつながれていた』のでしょうか。古代のユーフラテス川は,エホバがアブラハムに約束された地の北東の境界でした。(創世記 15:18。申命記 11:24)それらのみ使いは神から与えられた自分たちの地,もしくは地的な活動領域の境界に拘束されていたようです。すなわち,エホバが彼らのために用意しておられた奉仕に十分携わるのを引き止められていました。ユーフラテス川はまた,顕著な仕方でバビロンの都と結びつけられており,西暦前607年にエルサレムが倒壊した後,肉のイスラエル人がその地に捕らわれて70年を過ごし,「大川ユーフラテスのところにつながれて」いました。(詩編 137:1)1919年当時,霊的なイスラエル人も同様に拘束され,つながれて,陰うつな状態に陥り,エホバの導きを求めていました。

      4 四人のみ使いはどんな使命を帯びていますか。それはどのように成し遂げられてきましたか。

      4 幸いにも,ヨハネはこう報告できます。「すると,その四人のみ使いがほどかれた。彼らは,人々の三分の一を殺すため,その時刻と日と月と年のために用意されていたのである」。(啓示 9:15)エホバは正確な時間厳守者で,時間表を持っていて,それを固守しておられます。ですから,それらの使者はなすべきことを時間通りに成し遂げられるよう,正確に予定通り解き放たれます。1919年に束縛状態から出て来て,業を行なう用意ができた彼らの喜びを想像してみてください! 彼らは単に人を責め苦に遭わせるだけでなく,最終的には「人々の三分の一を殺す」使命を帯びています。これは最初の四つのラッパの音によって告げ知らされた災厄と関係があります。それらの災厄は地や海,海にいる被造物,水のわき出るところや川,および天の光の源のそれぞれの三分の一を悩ませました。(啓示 8:7-12)四人のみ使いはそれ以上のことをします。彼らはキリスト教世界の霊的に死んだ状態を完全に暴露して『殺し』ます。それは1922年以来,今日まで続いてきたラッパによる宣言によって成し遂げられてきました。

      5 キリスト教世界に関して言えば,1927年に第六のラッパの音はどのように鳴り響きましたか。

      5 天のみ使いが第六のラッパを鳴らしたばかりであることを思い起こしてください。そのラッパの音にこたえ応じるものとして,年ごとに行なわれる,聖書研究者の一連の国際大会の六番目の大会がカナダ,オンタリオ州トロント市で開かれました。1927年7月24日,日曜日のその大会のプログラムは,53のラジオ局を結ぶ,それまでの最大規模の放送網を通じて放送されたので,この時に話された音信は恐らく何百万人もの聴取者に伝えられたことでしょう。まず,強力な決議文により,キリスト教世界の霊的に死んだ状態が暴露され,次のような招待が差し伸べられました。「この難局の時に,エホバ神は諸国民に対して『キリスト教世界』,もしくは『組織化されたキリスト教』を捨て去り,永久に放棄し,同世界から完全に離れ去るよう命じておられます。……諸国民は心からの専心と忠誠を専らエホバ神とその王と王国に示し[てください]」。この決議に続いて,「諸国民のための自由」と題する公開講演が行なわれました。J・F・ラザフォードは,ヨハネが次に幻の中で見る「火と煙と硫黄」にふさわしい,いつもの力強い話し方で,その講演を行ないました。

      6 ヨハネは次に見る騎兵隊をどのように描写していますか。

      6 「そして,騎兵隊の数は万の二万倍であった。わたしは彼らの数を聞いた。そして,わたしが幻の中で見た馬と,それに乗っている者たちの様子はこうであった。彼らは,火のような赤と,ヒヤシンスのような青と,硫黄のような黄色の胸当てを着けていた。馬の頭はライオンの頭のようであり,その口からは火と煙と硫黄が出ていた。これら三つの災厄によって人々の三分の一が殺された。その口から出た火と煙と硫黄のためである」― 啓示 9:16-18。

      7,8 (イ)この騎兵隊はだれの指揮のもとに大音響を立てて進みますか。(ロ)この騎兵隊は先に現われたいなごとどのような点で似ていますか。

      7 この騎兵隊は四人のみ使いの指揮のもとに大音響を立てて進んで行くようです。何という恐ろしい光景でしょう。もし,あなたがこのような騎兵隊の突撃の標的にされるとしたら,どのように反応なさるか想像してみてください! その様子を見ただけで,心は恐怖でおびえることでしょう。それにしても,この騎兵隊が先に現われたいなごと大変よく似ていることに気づかれましたか。いなごは馬のようでした。一方,騎兵隊の中には馬がいます。ですから,両方とも神権的な戦いに関係しています。(箴言 21:31)いなごにはライオンのような歯がありました。一方,騎兵隊の馬にはライオンのような頭があります。ですから,両方とも勇敢なユダ族のライオン,イエス・キリストと結びつけられています。この方は彼らの指導者,指揮官,ならびに手本であられます。―啓示 5:5。箴言 28:1。

      8 いなごと騎兵隊は両方ともエホバの裁きの業にあずかります。いなごはキリスト教世界に対する災いと破壊的な火を予示する煙の中から出てきました。一方,馬の口からは火と煙と硫黄が出ています。いなごには,義に対する不屈の専心によって彼らの心が守られていることを表わす鉄の胸当てがありました。一方,騎兵は,馬の口からほとばしる致命的な裁きの音信の火と煙と硫黄を表わす,赤と青と黄色の胸当てを着けています。(創世記 19:24,28; ルカ 17:29,30と比較してください。)いなごには責め苦を与える,さそりのような尾がありました。一方,馬には人を殺す,蛇のような尾があります! これは,いなごによって始められた事柄が,騎兵隊によって一層激烈な仕方で完全に遂行されることを示しているようです。

      9 騎兵隊は何を象徴していますか。

      9 それでは,この騎兵隊は何を象徴していますか。ちょうど油そそがれたヨハネ級の人たちが,『刺したり,痛めたりする』権威をもって,キリスト教世界に対する神からの復しゅうに関するエホバの裁きのラッパの音のような宣言を開始したのと同様,生きているその同じ人たちのグループは「殺す」業にも,すなわちキリスト教世界とその僧職者が霊的に完全に死んでおり,エホバから捨て去られ,永遠の滅びの「火の燃える炉」に入れられようとしていることを知らせる業にも用いられることが期待できるでしょう。実際,大いなるバビロンはすべて滅びうせなければなりません。(啓示 9:5,10; 18:2,8。マタイ 13:41-43)しかし,同世界の滅びの予備的な処置として,ヨハネ級の人たちはキリスト教世界の死のような状態を暴露するのに「霊の剣,すなわち神の言葉」を用います。四人のみ使いと馬の乗り手たちは,このように「人々の三分の一」を比喩的に殺す指図を与えます。(エフェソス 6:17。啓示 9:15,18)これは,王国をふれ告げる人々の畏怖の念を起こさせる集団が戦おうとして突撃する際,主イエス・キリストの監督のもとに物事が正しく組織され,神権的な指導がなされることを示唆しています。

      万の二万倍

      10 騎兵はどのような意味で万の二万倍もいるのでしょうか。

      10 この騎兵の数はどうして万の二万倍もいるということがあり得るのでしょうか。万は1万のことですから,万の二万倍は2億です。a 幸い,今や王国をふれ告げる人々は何百万人もいますが,その数は何億にはとても及びません! しかし,民数記 10章36節の次のようなモーセの言葉を思い起こしてください。「エホバよ,どうかお戻りください,イスラエルの千万のもとに」。(創世記 24:60と比較してください。)これは字義通りには,『お戻りください,イスラエルの幾千万のもとに』という意味だったようです。しかし,モーセの時代のイスラエルの人数はわずか二,三百万人でした。では,モーセは何を言おうとしていたのでしょうか。明らかにモーセは,イスラエル人が数えられるどころか,「天の星のように,海辺の砂の粒のように」数えられなくなることを考えていたことでしょう。(創世記 22:17。歴代第一 27:23)それで,モーセは「万」という言葉を用いて,特に明示されていない大きな数を指していました。ですから,「新英訳聖書」はこの節を,「お休みください,イスラエルの数えきれない幾千もの[民の]主よ」と訳しています。これはギリシャ語やヘブライ語の辞典にある「万」という言葉の二番目の「無数の群衆」,あるいは「群衆」という定義と合致します。―「セア編,新約聖書希英辞典」。ゲゼニウス編,「旧約聖書ヘブライ語-英語辞典」,エドワード・ロビンソン訳。

      11 ヨハネ級の人たちは,象徴的な意味にせよ,万になるには,何が必要だったでしょうか。

      11 とはいえ,なお地上に残っているヨハネ級の人たちの人数は,文字通り1万人より少なくなっています。どうして彼らを数え切れない幾千の騎兵になぞらえることができるのでしょうか。象徴的な意味にせよ,彼らが万になるには,増強される必要があったのではないでしょうか。確かにその必要があったので,エホバの過分のご親切により,彼らはその必要なものを受け入れました! それはどこから来ましたか。

      12,13 1918年から1935年までの歴史的などんな出来事が,ヨハネ級の人たちを増強するものとなった人々の源を示唆していますか。

      12 ヨハネ級の人たちは1918年から1922年にかけて,「現存する万民は決して死することなし」という幸いな見込みを苦悩する人類に差し伸べました。また,1923年には,マタイ 25章31節から34節の羊は神の王国の治める地上で命を受け継ぐことが知らされました。1927年の国際大会で発表された,「諸国民のための自由」と題する小冊子(英文)の中でも,同様の希望が差し伸べられました。1930年代の初期に廉直なヨナダブ(エホナダブ)級の人たちと,キリスト教世界の悲しむべき霊的な状態のゆえに「嘆息し,うめいている者たち」とは,地的な命の見込みを持つ,象徴的な羊と同一であることが示されました。(エゼキエル 9:4。列王第二 10:15,16)1934年8月15日号の「ものみの塔」誌(英文)は,現代の避難都市に逃れる道をそのような人々に教えて,こう述べました。「それらヨナダブ(エホナダブ)級の人たちは神のラッパの響きを聞き,警告に留意して神の組織に逃れ,神の民と交わってきました。彼らはそこにとどまっていなければなりません」。―民数記 35:6。

      13 1935年には,このヨナダブ級の人たちが米国ワシントン特別区でのエホバの証人の大会に出席するよう特に招かれました。5月31日,金曜日,J・F・ラザフォードはその大会で,「大なる群衆」と題する有名な話をし,その話の中で,啓示 7章9節(ジェームズ王欽定訳; 日本聖書協会発行,文語聖書)のこのグループがマタイ 25章33節の羊と同一であること,つまり地的な希望を抱く献身した人たちのグループであることをはっきりと示しました。その大会では,来たるべき事柄の前兆として,840人の新たな証人たちがバプテスマを受け,その大半が「大群衆」の者であることを表明しました。b

      14 大群衆は象徴的な騎兵隊の突撃に加わったでしょうか。1963年には,どんな決意が表明されましたか。

      14 この大群衆は,1922年に開始されて,1927年のカナダのトロント大会で特に強調された騎兵隊の突撃に加わったでしょうか。四人のみ使い,つまり油そそがれたヨハネ級の人たちの指導のもとで,確かにそうしてきました。1963年に世界を一周した「永遠の福音」大会で,それらの人々はヨハネ級の人たちと共に感動的な決議に加わりました。その決議文は,世界が「かつて一度も経験したことがないような,全世界を悩ます地震に直面しており,世界の政治上の制度や現代の宗教的なバビロンはすべて揺り動かされて粉砕される」ことを宣言しました。そして,「わたしたちは神のメシアによる王国と,神の敵にとっては災厄のようであっても,霊と真理をもって受け入れられる仕方で創造者なる神を崇拝したいと願う人々すべてを解放するために執行される神の裁きとに関する『永遠の福音』を引き続き,えこひいきすることなく,あらゆる国の人々に宣明いたします」という決意が表明されました。この決議は,地球を一巡して開かれた24の大会で,合計45万4,977人の大会出席者により熱意を込めて採択されました。それら大会出席者の優に95%を上回る人々は大群衆に属していました。

      15 (イ)2005年の時点で,大群衆は,エホバが野外で用いておられる働き人の総数の何%を占めていますか。(ロ)大群衆とヨハネ級の人たちとの一致は,ヨハネ 17章20節と21節のイエスの祈りの中でどのように表現されていますか。

      15 大群衆は災厄をキリスト教世界に注ぐ点でヨハネ級の人たちと無条件で一致していることを宣言し続けてきました。2005年の時点で,この大群衆は,エホバが野外で用いておられる働き人の総数の99.8%以上を占めています。その成員はヨハネ級の人たちと心から一致しています。イエスはこのヨハネ級の人たちに関して,ヨハネ 17章20節と21節でこう祈られました。「わたしは,これらの者だけでなく,彼らの言葉によってわたしに信仰を持つ者たちについてもお願いいたします。それは,彼らがみな一つになり,父よ,あなたがわたしと結びついておられ,わたしがあなたと結びついているように,彼らもまたわたしたちと結びついていて,あなたがわたしをお遣わしになったことを世が信じるためです」。油そそがれたヨハネ級の人たちはイエスの導きのもとで率先する一方,熱心な大群衆は全人類の歴史上最も破壊的な騎兵隊の突撃に彼らと共に加わります! c

      16 (イ)ヨハネは象徴的な馬の口や尾についてどのように述べていますか。(ロ)エホバの民の口は奉仕のためにどのように整えられてきましたか。(ハ)『その尾は蛇に似ている』ということに対応するのは,どんな事柄ですか。

      16 その騎兵隊には戦いのための装備が必要です。それで,エホバは何とすばらしい仕方でそれを備えてくださったのでしょう。ヨハネはそのことをこう述べています。「これらの馬の権威はその口とその尾にあるからである。その尾は蛇に似ていて頭があり,それによって損なうのである」。(啓示 9:19)エホバは,献身してバプテスマを受けた奉仕者たちをこの奉仕のために叙任されました。神はみ言葉を宣べ伝える仕方を神権宣教学校や会衆の他の集会や学校を通して,これらの奉仕者に教えてこられたので,彼らは「教えられた者たちの舌」をもって,権威ある仕方で話すことができます。神はその言葉を彼らの口に置き,彼らを遣わして,ご自分の裁きを『公に,また家から家に』知らせてこられました。(テモテ第二 4:2。イザヤ 50:4; 61:2。エレミヤ 1:9,10。使徒 20:20)ヨハネ級の人たちと大群衆は,何年もの間に配布した何十億冊もの聖書や書籍,ブロシュアーや雑誌に収められている,その尾に対応する,人を刺す音信を後に残してきました。『損なわれる』ことがエホバから来ることを知らされる敵対者たちにとって,それらの騎兵隊の数は確かに万の二万倍のように思えるでしょう。―ヨエル 2:4-6と比較してください。

      17 業が禁止されているために文書を配布できない国々のエホバの証人は,騎兵隊の突撃に幾らかでも加わっていますか。説明してください。

      17 この騎兵隊のたいへん熱心な分隊の一つは,エホバの証人の業が禁止されている国々の兄弟たちで成り立っています。それらの兄弟たちはおおかみのただ中にいる羊のように,『蛇のように用心深く,しかもはとのように純真で』なければなりません。兄弟たちはエホバに従順に従うので,自分の見聞きした事柄について話すのをやめるわけにはいきません。(マタイ 10:16。使徒 4:19,20; 5:28,29,32)それらの兄弟たちには公に配布する印刷物がほとんど,あるいは全くないので,騎兵隊の突撃に少しも加わっていないと結論しなければなりませんか。決してそうではありません! 兄弟たちにはその口と,聖書の真理を述べるのにそれを用いる,エホバからの権威とがあります。兄弟たちは非公式の方法で,しかも説得力のある仕方で真理について語り,聖書を用いる研究を設けて,「多くの者を義に導いて」います。(ダニエル 12:3)兄弟たちは強烈な内容の文書を後に残すという意味で,その尾で刺してはいないかもしれませんが,迫り来る,エホバの正しさを立証する日について,巧みに,また思慮深く証しをする時,象徴的な火や煙や硫黄が彼らの口から出ます。

      18 この騎兵隊は災厄をもたらす音信を載せた印刷物をどれほど多くの言語で,またどれほどの部数配布してきましたか。

      18 他の場所では,王国の文書が引き続きキリスト教世界のバビロン的な教理や方法を暴露し,同世界を比喩的に損なっていますが,同世界はそうされるに値します。このおびただしい人数の騎兵隊は最新の印刷方法を用いて,2005年までの68年間に地上の450以上の言語で,幾十億冊もの聖書や書籍,雑誌やブロシュアーを配布することができました。その部数は文字通り,万の二万倍のさらに幾倍にも達します。それらの尾は何という大変な刺し傷をもたらしてきたのでしょう。

      19,20 (イ)災厄をもたらすこの音信の特定の標的となってきたのはキリスト教世界ですが,同世界からはるかに離れた国々のある人々は,どのようにこたえ応じてきましたか。(ロ)ヨハネは一般の人々の反応について,どのように述べていますか。

      19 エホバは,災厄をもたらすこの音信で「人々の三分の一」を殺すことを意図されました。ですから,その特定の標的となってきたのはキリスト教世界です。しかし,その音信は,キリスト教世界の諸宗教の偽善が広く知られている,同世界からはるかに離れた国々にも達してきました。それらの国々の人々は腐敗した宗教組織が災厄で苦しめられているのを見た結果,エホバに一層近く引き寄せられてきましたか。まさしく多くの人々が引き寄せられてきました! キリスト教世界の影響を直接受けている領域の外の地域に住んでいる,柔和な愛すべき人々の間で,すぐにこたえ応じる人たちが見いだされてきました。しかし,ヨハネは一般の人々の反応についてこう述べています。「しかし,これらの災厄によって殺されなかった残りの人々は自分の手の業を悔い改めず,悪霊たち,また金・銀・銅・石・木でできた,見ることも聞くことも歩くこともできない偶像に対する崇拝をやめようとはしなかった。また,殺人,心霊術的な行ない,淫行,盗みをも悔い改めなかった」。(啓示 9:20,21)そのような悔い改めようとしない人々のいる世界の改宗が行なわれる訳ではありません。自分の邪悪な道をあくまでも進もうとする人々はすべて,エホバがご自分の正しさを立証なさる大いなる日に,エホバからの不利な裁きに直面せざるを得なくなります。しかし,『エホバの名を呼び求める者はみな安全に逃れることになり』ます。―ヨエル 2:32。詩編 145:20。使徒 2:20,21。

      20 ここで論じてきたことは第二の災いの一部分にすぎません。これから後の章で見てゆきますが,この災いが過ぎ去らないうちに,さらにほかの災いがやって来ることになっています。

      [脚注]

      a ヘンリー・バークレイ著,「黙示録に関する注解」は,「万の二万倍」という数に関してこう述べています。「これは膨大な数なので,文字通りの成就を見いだしようがない。これに続く描写は,この結論を支持している」。

      b 前の119-126ページや,エホバの証人が1932年に発行した,「証明」(英文)と題する本の第3巻,83,84ページもご覧ください。

      c いなごとは異なり,ヨハネの見た騎兵隊は,「金のような冠と思えるもの」を着けていません。(啓示 9:7)これは,今日,騎兵隊の大半を構成している大群衆が神の天の王国で統治することを望んでいないという事実と調和しています。

  • 甘いと同時に苦い音信
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 24章

      甘いと同時に苦い音信

      第6の幻 ― 啓示 10:1–11:19

      主題: 小さな巻き物の幻。神殿での経験。第七のラッパを吹き鳴らす

      成就する期間: 1914年にイエスが即位された時から大患難の時まで

      1,2 (イ)第二の災いはどんな結果をもたらしましたか。この災いはいつ終わったと宣言されますか。(ロ)ヨハネは今やだれが天から下って来るのを見ますか。

      第二の災いは破壊的な影響をもたらしました。それはキリスト教世界とその指導者たち,つまり「人々の三分の一」を悩ましてきました。こうして,彼らは霊的に死んだ者であることが暴露されています。(啓示 9:15)ヨハネはその後,第三の災いは一体何をもたらし得るのだろうかといぶかったに違いありません。しかし待ってください! 第二の災いは,啓示 11章14節に記されている時点になるまで,依然として終了してはいません。その前に,ヨハネは自らも積極的にあずかる新しい事態の展開を目撃しようとしています。それは畏怖の念を起こさせる光景で始まります。

      2 「それから,わたしは別の強いみ使いが天から下って来るのを見た。雲で身を装い,頭の上には虹があり,顔は太陽のようで,足は火の柱のようで(あった)」― 啓示 10:1。

      3 (イ)「強いみ使い」とはだれのことですか。(ロ)この方の頭の上の虹には,どんな重要な意味がありますか。

      3 この「強いみ使い」とはだれのことですか。その方は,別の役割を持つ,栄光を受けられたイエス・キリストであると思われます。この方は目に見えないことを示す雲で身を装っておられますが,その雲はヨハネがイエスについて以前に述べた,「見よ,彼は雲と共に来る。そして,すべての目は彼を見るであろう。彼を刺し通した者たちも見る」という言葉を思い起こさせます。(啓示 1:7。マタイ 17:2-5と比較してください。)この方の頭の上の虹は,「見たところエメラルドのような虹」がかかっているエホバの王座に関するヨハネの以前の幻を思い起こさせます。(啓示 4:3。エゼキエル 1:28と比較してください。)その虹は神の王座の周りの静寂さと平安を暗示しています。同様に,そのみ使いの頭上のこの虹は,その方の実体が特別の平和の使者,つまり予告されたエホバの「平和の君」であることを明らかにしているようです。―イザヤ 9:6,7。

      4 (イ)強いみ使いの顔が「太陽のようで」あること,(ロ)そのみ使いの足が「火の柱のようで」あることは,何を意味していますか。

      4 その強いみ使いの顔は「太陽のよう」でした。ヨハネは以前,神聖な神殿におられるイエスに関する幻の中で,イエスの容ぼうは「力いっぱいに輝くときの太陽のようであった」と述べました。(啓示 1:16)「義の太陽」であられるイエスは,エホバのみ名を恐れる人たちを益するために,その翼にいやしを伴って輝き出てくださいます。(マラキ 4:2)このみ使いは顔だけでなく,その足も『火の柱のように』輝いています。そのどっしりとした物腰は,エホバから「天と地におけるすべての権威」を与えられた方の物腰のようです。―マタイ 28:18。啓示 1:14,15。

      5 ヨハネは強いみ使いの手に何があるのを見ますか。

      5 ヨハネはさらにこう述べます。「[その]手には開かれた小さな巻き物を持っていた。そして,右足を海の上に据え,左足は地の上に据えて(いた)」。(啓示 10:2)もう一つの巻き物ですか。そうです。しかし,今回のは封印されていません。それで,さらにその内容が明らかにされる胸の躍るような光景を間もなく見られることをヨハネと共に期待できます。しかし,まず,次に起ころうとしている事柄の背景が示されています。

      6 (イ)イエスの足が地と海の上にあるのは,どうして適切なことですか。(ロ)詩編 8編5節から8節はいつ完全に成就しましたか。

      6 イエスに関する描写に戻ってみましょう。その火のような足は地と海の上に置かれていますが,この方はその地と海に対して全権力を行使しておられます。それは預言的な詩編の中で次のように述べられている通りです。「あなた[エホバ]はまた,人[イエス]を神のような者たちより少し劣る者とし,次いで栄光と光輝を冠としてこれに添えられました。あなたはこれにご自分のみ手の業を支配させ,すべてのものをその足の下に置かれました。小家畜や牛,それらすべて,さらに,原野にいる獣,天の鳥,海の魚,海路を通って行くものを」。(詩編 8:5-8。ヘブライ 2:5-9もご覧ください。)この詩編は,イエスが神の王国の王として就任して,終わりの時が始まった1914年に,完全に成就しました。ですから,ヨハネがここで幻の中で見ている事柄は,その年から適用されます。―詩編 110:1-6。使徒 2:34-36。ダニエル 12:4。

      七つの雷

      7 強いみ使いはどのような仕方で叫びますか。その叫び声にはどんな重要な意味がありますか。

      7 すると,ヨハネがこの強いみ使いについて考えるのをそのみ使い自身がさえぎります。「[み使いは]ライオンがほえるときのような大声で叫んだ。そして,彼が叫んだ時,七つの雷がその声を発した」。(啓示 10:3)それほど強力な叫び声でしたから,それはヨハネの注意を引き,イエスが確かに「ユダ族の者であるライオン」であることを確証するものとなりました。(啓示 5:5)ヨハネはまた,エホバが「ほえる」と何度か言われていることも知っていたようです。エホバが預言的な意味でほえられるのは,霊的なイスラエルを再び集めることや壊滅的な「エホバの日」を告げ知らせることを指しています。(ホセア 11:10。ヨエル 3:14,16。アモス 1:2; 3:7,8)ですから,この強いみ使いのライオンのような叫び声は,海と地に生ずる同様の重大な出来事の前兆です。その声は,七つの雷に話すよう求めます。

      8 『七つの雷の声』とは何ですか。

      8 ヨハネは以前,まさしくエホバの王座から出る雷鳴を聞いたことがあります。(啓示 4:5)昔のダビデの時代に,文字通りの雷鳴は「エホバの声」と言われたことがありました。(詩編 29:3)イエスが地上で宣教に従事しておられた当時,エホバがご自分のみ名に栄光をもたらすというご自身の目的を人々に聞こえるようにふれ告げられた時,それは多くの人々に雷鳴のように響きました。(ヨハネ 12:28,29)ですから,『七つの雷の声』はエホバご自身による,ご自分の目的の表明であると結論するのは,妥当なことです。「七つの」雷があったということは,ヨハネの聞いた事柄は完結していることを示唆しています。

      9 天からの声は何を命じますか。

      9 しかし,お聴きください! もう一つの声が鳴り響きます。それはヨハネにとって不思議に思えるに違いないことを命じます。「さて,七つの雷が話した時,わたしは今にも書き記すところであった。しかし,天から出る声が,『七つの雷が話したことをかたく封じ,それを書き留めてはならない』と言うのが聞こえた」。(啓示 10:4)今日,ヨハネ級の人たちが,エホバがご自分の目的を明らかにして出版物に載せることができるようにしてくださることを切望してきたのと同様,ヨハネも雷鳴のようなそれらの音信を聞いて,しきりに書き記したいと思ったに違いありません。そのような啓示は,エホバのご予定の時が来て初めて与えられるのです。―ルカ 12:42。ダニエル 12:8,9もご覧ください。

      神聖な奥義の終わり

      10 強いみ使いはだれを指して誓いますか。そして,どんな宣言に関してそうしますか。

      10 一方,エホバはヨハネのためにもう一つの使命を持っておられます。七つの雷が鳴り響いた後,強いみ使いは再び話します。「そして,海と地の上に立っているのをわたしが見たみ使いは,右手を天に上げ,限りなく永久に生きておられ,天とその中にあるもの,地とその中にあるもの,また海とその中にあるものを創造した方を指してこう誓った。『もはや猶予はない』」。(啓示 10:5,6)強いみ使いはだれを指して誓いますか。栄光を受けられたイエスは,ご自身ではなく,万物の最高の権威者,つまり天と地の不滅の創造者であられるエホバを指して誓われます。(イザヤ 45:12,18)このみ使いはそのような誓いをもって,神はこれ以上猶予なさらないことをヨハネに請け合います。

      11,12 (イ)「もはや猶予はない」ということは,何を意味していますか。(ロ)何が終わりに至りますか。

      11 ここで「猶予」と訳されているギリシャ語の言葉は「クロノス」で,字義通りには「時」を意味しています。ですから,み使いのこの宣言は,わたしたちの知っている時間には終わりがあるかのように,「もはや時はない」と訳すべきだと考えた人々もいます。しかし,「クロノス」という言葉は,ここでは定冠詞なしで使われています。ですから,それは一般的な時ではなく,むしろ「ある時」,または「ある期間」を意味しています。言い換えれば,これ以上エホバの認められる期間(もしくは,猶予)はないということです。ヘブライ 10章37節でも,「クロノス」から派生したギリシャ語の動詞が使われており,この節でパウロはハバクク 2章3節と4節を引用し,「来たらんとする者は……遅れることはない」と書いています。

      12 「もはや猶予はない」― これは今日の年取ったヨハネ級の人たちの心に何と訴える言葉でしょう。どんな点で猶予がないのでしょうか。ヨハネはわたしたちにこう教えています。「第七のみ使いが吹き鳴らす日,彼がラッパを吹こうとするその時に,神が預言者なるご自分の奴隷たちに宣明された良いたよりに基づく神の神聖な奥義は,確かに終わりに至る」。(啓示 10:7)今やエホバがご自分の神聖な奥義の喜ばしい最高潮を輝かしい仕方で成功裏にもたらされる時となりました!

      13 神の神聖な奥義とは何ですか。

      13 この神聖な奥義とは何ですか。それにはエデンで最初に約束された胤が関係しており,その胤はおもにイエス・キリストであることが分かりました。(創世記 3:15。テモテ第一 3:16)それはまた,その胤を生じさせる女の実体とも関係しています。(イザヤ 54:1。ガラテア 4:26-28)さらに,それには胤級の二次的な成員や胤の統治する王国も含まれます。(ルカ 8:10。エフェソス 3:3-9。コロサイ 1:26,27; 2:2。啓示 1:5,6)この特異な天の王国に関する良いたよりは,終わりの時の間に全地で宣べ伝えられなければなりません。―マタイ 24:14。

      14 第三の災いはどうして神の王国と結びつけられているのでしょうか。

      14 確かに,これはまさに最善の知らせです。ところが,啓示 11章14節と15節では第三の災いが,その王国と結びつけられています。なぜでしょうか。なぜなら,人類の中でサタンの事物の体制のほうを好む人々にとって,神聖な奥義が終わりに至る ― すなわち,神のメシアによる王国が来ているという良い知らせをラッパで伝えるのは,災いの知らせだからです。(コリント第二 2:16と比較してください。)それは,そのような人々が大変好ましく思っている世界の取り決めが,近い将来に滅ぼされようとしていることを意味しています。あらしに関する,そのような不吉な警告を含む,七つの雷の声は,エホバの大いなる復しゅうの日が近づくにつれて一層明確になり,一層音量を増しています。―ゼパニヤ 1:14-18。

      開かれた巻き物

      15 天から出る声と強いみ使いはヨハネに何を告げますか。ヨハネはどんな影響を受けますか。

      15 ヨハネは,この第七のラッパが吹き鳴らされて,神の神聖な奥義が終わりに至るのを待っている間に,さらに別の割り当てを受けます。「また,天から出るのをわたしが聞いた声が,再びわたしと話してこう言う。『行って,海と地の上に立っているみ使いの手にある開かれた巻き物を受け取りなさい』。それでわたしはそのみ使いのところに行き,その小さな巻き物をわたしにくれるようにと言った。すると彼はわたしにこう言った。『これを取って食べてしまいなさい。それはあなたの腹を苦くしても,あなたの口には蜜のように甘いであろう』。それでわたしはみ使いの手からその小さな巻き物を受け取って,それを食べてしまった。すると,それはわたしの口には蜜のように甘かった。しかし,それを食べてしまった時,わたしの腹は苦くなった。そして彼らはわたしに言う,『あなたは,もろもろの民・国民・国語,また多くの王たちに関して再び預言しなければならない』」― 啓示 10:8-11。

      16 (イ)預言者エゼキエルの経験はヨハネのそれとどのように似ていましたか。(ロ)小さな巻き物はヨハネにとってどうして甘い味がしましたか。しかし消化すると,どうして苦くなりますか。

      16 ヨハネの経験は,バビロニアの地で流刑の身となっていた預言者エゼキエルのそれとかなり似ています。エゼキエルもまた,口の中で甘い味のする巻き物を食べるよう命じられました。しかし,彼はそれで腹を満たすと,反抗的なイスラエルの家に対する苦い事柄を予告する責任を負わされました。(エゼキエル 2:8–3:15)栄光を受けたイエス・キリストがヨハネにお与えになる,開かれた巻き物も,同様に神聖な音信です。ヨハネは「もろもろの民・国民・国語,また多くの王たち」に関して宣べ伝えなければなりません。ヨハネはこの巻き物を食べると,甘く感じます。なぜなら,それは神聖な源から来るからです。(詩編 119:103; エレミヤ 15:15,16と比較してください。)ところが,消化すると,それは苦くなります。なぜなら,それは以前のエゼキエルの場合のように,反抗的な人間に対する不快な事柄を予告するものだからです。―詩編 145:20。

      17 (イ)「再び」預言するようヨハネに命じておられるのは,どなたですか。これは何を意味していますか。(ロ)ヨハネの見た劇的な描画は,いつ成就することになっていましたか。

      17 再び預言するようヨハネに命じておられるのは,確かにエホバ神とイエス・キリストです。ヨハネはパトモス島で流刑の身となっていましたが,それまでに啓示の書に記された情報から,もろもろの民,国民,国語,ならびに王たちに関してすでに預言してきました。「再び」という言葉は,ヨハネが啓示の書に記される情報の残りを書き記して公表しなければならないことを意味しています。しかし,ヨハネはここで実際には預言的な幻に加わっていることを忘れないでください。彼が記録する事柄は,実際,強いみ使いが地と海をまたいで立つ1914年以後に成就する預言なのです。では,この劇的な描画は,今日のヨハネ級の人たちにとって何を意味していますか。

      今日の小さな巻き物

      18 主の日の初めごろ,ヨハネ級の人たちは啓示の書に対してどのような関心を抱いていましたか。

      18 ヨハネの見る事柄は,主の日の初めごろのヨハネ級の人たちの経験を驚くべき仕方で予示しています。当時,七つの雷の意味を含め,エホバの目的に関する彼らの理解は不完全なものでした。それでも,彼らは啓示の書に深い関心を抱いており,チャールズ・テイズ・ラッセルは存命中,その書の多くの箇所に関する注釈を述べました。1916年にラッセルが亡くなった後,その多くの著作が収集され,「終了した秘義」と題する本として発行されました。しかし,やがて,その本は啓示の書の解説書としては不満足なものであることが分かりました。キリストの兄弟たちの残りの者は,霊感によるその記録の書の正確な理解を得るために,幻が成就し始めるまで,もうしばらく待たねばなりませんでした。

      19 (イ)七つの雷の声が十分広く伝えられる前でさえ,ヨハネ級の人たちはエホバによりどのように用いられていましたか。(ロ)ヨハネ級の人たちは,開かれた小さな巻き物をいつ与えられましたか。それは彼らにとって何を意味しましたか。

      19 しかし,彼らはヨハネのように,七つの雷の声が十分広く伝えられる前でさえ,エホバに用いられていました。彼らは1914年以前の40年間,熱心に宣べ伝え,また第一次世界大戦中は活発な状態を保とうとして苦心しました。主人が到着した時,彼らは召使いたちに時に応じて食物を与えているところを見られた者たちであることを示しました。(マタイ 24:45-47)ですから,1919年当時,彼らこそ,開かれた小さな巻き物,すなわち人類に宣べ伝えるべき率直な音信を与えられた人たちでした。エゼキエルのように,彼らには不忠実な組織,つまり神に仕えていると主張しながら,実際には仕えていないキリスト教世界に対する音信がありました。彼らはヨハネのように,「もろもろの民・国民・国語,また多くの王たち」に関して,ある事柄をもっと宣べ伝えなければなりませんでした。

      20 ヨハネがその巻き物を食べ尽くしたことは,何を表わしていましたか。

      20 ヨハネがその巻き物を食べ尽くしたことは,イエスの兄弟たちがこの割り当てを受け入れたことを表わしていました。今や彼らは霊感による神のみ言葉のこの部分と結びついており,そこから養分を取っていると言えるほどに,その巻き物は彼らの一部となりました。しかし,彼らが宣べ伝えなければならなかった事柄には,人類の中の多くの人々にとって口当たりの悪い,エホバの裁きの表明が含まれていました。実際,啓示 8章で予告されている災厄が含まれていました。しかし,そのような裁きについて知り,それを宣明するのに再びエホバに用いていただいていることを悟るのは,それら誠実なクリスチャンにとって甘い事柄でした。―詩編 19:9,10。

      21 (イ)小さな巻き物の音信は,どのように大群衆にとっても甘いものとなりましたか。(ロ)反対する人々にとって,良いたよりがどうして悪い知らせなのでしょうか。

      21 この巻き物の音信はやがて,キリスト教世界で行なわれている忌むべき事柄を見て嘆いている状態で見いだされた,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た……大群衆」にとっても甘いものとなりました。(啓示 7:9。エゼキエル 9:4)それらの人たちもまた,羊のようなクリスチャンのためのエホバの驚くべき備えについて,慈しみのある甘い言葉で語って,良いたよりを精力的にふれ告げます。(詩編 37:11,29。コロサイ 4:6)しかし,これは反対する人々にとって悪い知らせです。なぜでしょうか。それは,そのような人々の信頼している体制 ― それらの人々に一時的な満足をさえもたらしてきたかもしれないその体制が取り除かれなければならないことを意味しているからです。彼らにとって,良いたよりは滅びを意味しています。―フィリピ 1:27,28。申命記 28:15; コリント第二 2:15,16と比較してください。

  • 二人の証人を生き返らせる
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 25章

      二人の証人を生き返らせる

      1 強いみ使いは何をするようヨハネに要請しますか。

      第二の災いが最後に過ぎ去る前に,強いみ使いはもう一つの預言的な情景を紹介し,それにあずかるようヨハネに要請します。その情景は神殿と関係があります。(啓示 9:12; 10:1)ヨハネはこのように伝えています。「それから,杖のような一本の葦がわたしに与えられ,その際に彼はこう言った。『立って,神の神殿の聖なる所と祭壇とそこで崇拝する者たちを測りなさい』」― 啓示 11:1。

      神殿の聖なる所

      2 (イ)どんな神殿の聖なる所は,現代に至るまで持ちこたえていますか。(ロ)その神殿の聖なる所の大祭司はどなたですか。その至聖所とは何ですか。

      2 ここで言及されている神殿は,エルサレムのいずれかの文字通りの神殿ではあり得ません。というのは,そのような神殿の最後のものは西暦70年にローマ人により破壊されたからです。しかし,使徒パウロはその破壊が生じる前でさえ,現代に至るまで持ちこたえられる,別の神殿の聖なる所が出現していることを示しました。それは,幕屋やエルサレムに建てられた後代のそれぞれの神殿が示した預言的な予型を成就した,大いなる霊的な神殿でした。それは「人間ではなくエホバの立てた真の天幕」で,その大祭司はイエスです。パウロはこの方がすでに,「天におられる威光のみ座の右に座し」ておられると述べています。この神殿の至聖所は天そのものの中のエホバのおられる場所です。―ヘブライ 8:1,2; 9:11,24。

      3 幕屋の(イ)至聖所を聖所から隔てている垂れ幕,(ロ)動物の犠牲,(ハ)犠牲の祭壇は,それぞれ何を表わしていましたか。

      3 使徒パウロの説明によれば,至聖所を聖なる仕切り室から隔てている,幕屋の垂れ幕は,イエスの肉体を表わしています。イエスがご自分の命を犠牲にされた時,この垂れ幕が二つに裂けて,その肉体はもはやイエスが天のエホバのみ前に入るのを妨げる障害ではなくなったことが示されました。忠実を保って亡くなった,イエスの油そそがれた従属の祭司たちもまた,イエスの犠牲に基づいて,やがて天に入ります。(マタイ 27:50,51。ヘブライ 9:3; 10:19,20)パウロもまた,幕屋で絶えずささげられた動物の犠牲は,イエスご自身の完全な人間としての命のただ一つの犠牲を前もって指し示していたことを指摘しています。中庭の犠牲の祭壇は,エホバがご意志にしたがって「多くの人」のためのイエスの犠牲を受け入れる,ご自分の備えを表わしていました。その「多くの人」とは,「自分の救いを求めて切に彼[イエス]を待ち望む」油そそがれた者たちと後代のほかの羊のことです。―ヘブライ 9:28; 10:9,10。ヨハネ 10:16。

      4 (イ)聖なる所,および,(ロ)奥の中庭は,それぞれ何を象徴していますか。

      4 神からの霊感によるこの情報から考えて,幕屋の聖なる所は,最初にキリストが享受なさり,次いで14万4,000人の王なる祭司の油そそがれた成員が「垂れ幕」を通って入る前,なお地上にいる間に享受する聖なる状態を象徴していると結論できるでしょう。(ヘブライ 6:19,20。ペテロ第一 2:9)それは,神が西暦29年にヨルダン川でバプテスマを受けられたイエスをご自分の子として認められたのと同様,それらの成員が神の霊的な子らとして養子にされたことをよく表わしています。(ルカ 3:22。ローマ 8:15)また,祭司ではないイスラエル人が見ることのできた幕屋の唯一の部分で,犠牲がささげられた場所であった奥の中庭についてはどうですか。それは,イエスご自身にその命を人類のためにささげる資格を付与するものとなった,人間としてのご自分の完全な立場を表わしています。それはまた,イエスの犠牲に基づいて,油そそがれた追随者たちがこの地上にいるあいだ享受できるよう,聖なる者として有しているとみなされる義にかなった立場を表わしています。a ―ローマ 1:7; 5:1。

      神殿の聖なる所を測る

      5 ヘブライ語聖書の預言の中では,(イ)エルサレムを測ること,および,(ロ)エゼキエルの幻の神殿を測ることは,それぞれ何を意味しましたか。

      5 ヨハネは「神の神殿の聖なる所と祭壇とそこで崇拝する者たちを測りなさい」と命じられます。これは何を意味していますか。ヘブライ語聖書の預言の中では,そのように測ることは,エホバの完全な規準に基づいて公正が行なわれることを保証するものでした。邪悪な王マナセの時代に告げられた,エルサレムを測ることに関する預言は,その都に対する変更し得ない滅びの裁きの証拠となりました。(列王第二 21:13。哀歌 2:8)しかし,後日,エレミヤはエルサレムが測られるのを見ましたが,それはその都が再建されることを確証するものとなりました。(エレミヤ 31:39。ゼカリヤ 2:2-8もご覧ください。)同様に,エゼキエルが幻の中で目撃した神殿が大規模な仕方で詳しく測られたことは,バビロンで流刑の身となっていたユダヤ人にとって,故国で真の崇拝が回復されることを保証するものとなりました。それはまた,イスラエルがそれ以後,自分たちの誤りゆえに,神の聖なる規準にかなわなければならないことを思い出させる助けとなりました。―エゼキエル 40:3,4; 43:10。

      6 ヨハネが神殿の聖なる所とそこで崇拝を行なう祭司たちを測るよう命じられていることは何のしるしですか。説明してください。

      6 ですから,ヨハネが神殿の聖なる所とそこで崇拝を行なう祭司たちを測るよう命じられていることは,何ものも神殿の取り決めやその取り決めと関係のある人たちに関するエホバの目的の成就を阻止できないこと,またその目的の最高潮が迫っていることを示すしるしです。今や,すべての物事がエホバの強いみ使いの足の下に置かれてきましたから,今は「エホバの家の山」が『もろもろの山の頂より上に堅く据えられる』ようになる時です。(イザヤ 2:2-4)キリスト教世界が何世紀にもわたって背教してきた後の今,エホバの清い崇拝は高められなければなりません。今はまた,イエスの忠実な兄弟たちの中の亡くなった人たちが復活させられて,「聖の聖なる所」に入る時です。(ダニエル 9:24。テサロニケ第一 4:14-16。啓示 6:11; 14:4)そして,「わたしたちの神の奴隷たち」の中で地上にいる,証印を押された最後の人たちは,霊によって生み出された神の子たちとして神殿の取り決めの中の恒久的な場所を得るため,神の規準に基づいて測られなければなりません。ヨハネ級の人たちは今日,その聖なる規準について十分知っており,それにかなうよう決意しています。―啓示 7:1-3。マタイ 13:41,42。エフェソス 1:13,14。ローマ 11:20と比較してください。

      中庭を踏みにじること

      7 (イ)ヨハネはどうして中庭を測らないように命じられますか。(ロ)聖なる都市はいつ42か月のあいだ踏みにじられましたか。(ハ)キリスト教世界の僧職者は42か月の間,エホバの義の規準をどのように擁護し損ないましたか。

      7 ヨハネはどうして中庭を測ることを禁じられましたか。彼はそのことについてわたしたちにこう語ります。「しかし,神殿の聖なる所の外側にある中庭は,これをまったくほって置き,そこを測ってはならない。それは諸国民に与えられているからである。彼らは聖なる都市を四十二か月のあいだ踏みにじるであろう」。(啓示 11:2)奥の中庭が,霊によって生み出されたクリスチャンの地上における義にかなった立場を表わしていることには,すでに注目しました。これから見てゆきますが,ここでは,クリスチャンであると唱える人々すべてが厳しい試みを受けた,1914年12月から1918年6月にわたる,文字通り42か月の期間に言及されています。それらの人々は戦時中の何年かの間,エホバの義の規準を擁護したでしょうか。大半はそうしませんでした。キリスト教世界の僧職者はおしなべて,神の律法に対する従順よりも,国家主義を優先させました。おもにキリスト教世界で行なわれたその戦争の敵味方両方の側の僧職者たちは,ざんごうに入って戦うことを説教の中で若者に勧め,何百万もの人々が殺されました。1918年に裁きが神の家から始まった時までに,米国もその流血行為に加わっており,全キリスト教世界の僧職者は,今なお神の復しゅうを叫び求めている流血の罪を負うことになりました。(ペテロ第一 4:17)それら僧職者が捨てられたことは,永久に取り消すことのできない事実となりました。―イザヤ 59:1-3,7,8。エレミヤ 19:3,4。

      8 第一次世界大戦中,聖書研究者の多くは何を悟っていましたか。しかし,何を十分に認識してはいませんでしたか。

      8 しかし,聖書研究者の少数の集団についてはどうですか。神の規準を固守したことで,1914年に直ちに測られるべきでしたか。いいえ。彼らもキリスト教世界の自称クリスチャンと同様,試されなければなりませんでした。彼らは厳しく試され,迫害されるため,『まったくほって置かれ,諸国民に与えられ』ました。彼らの多くは出かけて行って仲間の人間を殺すべきではないことを悟っていましたが,クリスチャンの中立の立場を十分に認識してはいませんでした。(ミカ 4:3。ヨハネ 17:14,16。ヨハネ第一 3:15)中には諸国家から圧力を受けて,妥協した人々もいました。

      9 諸国民によって踏みにじられた聖なる都市とは何ですか。だれが地上でこの都市を代表していますか。

      9 しかし,どうして聖なる都市はそれら諸国民によって踏みにじられたのでしょうか。その都市が,啓示の書が書き記される25年余り前に滅ぼされたエルサレムを指しているのでないことは明らかです。それどころか,その聖なる都市は啓示の書のあとの箇所で述べられている新しいエルサレムのことで,それは神殿の奥の中庭にいる油そそがれたクリスチャンの残っている人たちによって,今,地上で代表されています。それらの人たちもやがて聖なる都市の一部となります。ですから,これらの人々を踏みにじるのは,その都市そのものを踏みにじるのも同然です。―啓示 21:2,9-21。

      二人の証人

      10 エホバの忠実な証人たちは踏みにじられていても,何をすべきですか。

      10 それら忠節な人たちは,たとえ踏みにじられていても,エホバの忠実な証人であることをやめたりはしません。ですから,預言はさらにこう続きます。「『そしてわたしは,わたしの二人の証人に,粗布を着て千二百六十日のあいだ預言させる』。これらの者は,二本のオリーブの木,また二つの燭台によって象徴されており,地の主の前に立っている」― 啓示 11:3,4。

      11 油そそがれた忠実なクリスチャンが「粗布を着て」預言することは,何を意味していましたか。

      11 これら油そそがれた忠実なクリスチャンには,忍耐という特質が必要でした。というのは,「粗布を着て」預言しなければならなかったからです。これは何を意味しましたか。聖書時代の粗布は多くの場合,嘆き悲しむことを象徴していました。それを着るのは,当人が悲しみ,もしくは苦悩に陥っていることのしるしでした。(創世記 37:34。ヨブ 16:15,16。エゼキエル 27:31)粗布は,神の預言者たちがふれ告げなければならなかった滅び,もしくは不幸に関する痛ましい音信と結びつけられていました。(イザヤ 3:8,24-26。エレミヤ 48:37; 49:3)粗布を着ることは,神からの警告のゆえにへりくだったり,悔い改めたりすることを示唆する場合もありました。(ヨナ 3:5)二人の証人の着た粗布は,二人が謙遜に忍耐してエホバの裁きを告げ知らせたことを示唆しているようです。その二人は,諸国民をも嘆き悲しませる神の復しゅうの日をふれ告げた証人たちのことでした。―申命記 32:41-43。

      12 聖なる都市が踏みにじられようとしていた期間は,どうして文字通りの期間だと考えられますか。

      12 ヨハネ級の人たちはそのような音信を明示されていた期間,つまり1,260日,もしくは42か月,すなわち聖なる都市が踏みにじられようとしていたのと同じ長さの期間宣べ伝えなければなりませんでした。それは文字通りの期間と考えられます。というのは,それは二通りの異なった仕方で,つまりまず月数で,次に日数で表現されているからです。その上,主の日の初めごろ,神の民の遭遇した辛い経験と,ここで預言されている出来事とが合致する,3年半の顕著な時期がありました。その時期は1914年12月から始まって,1918年6月まで続きました。(啓示 1:10)彼らはキリスト教世界とこの世に関する「粗布」のような音信を宣べ伝えました。

      13 (イ)油そそがれたクリスチャンが二人の証人で象徴されていたことは,何を示していますか。(ロ)ヨハネが二人の証人を「二本のオリーブの木,また二つの燭台」と呼んでいることから,ゼカリヤのどんな預言が思い起こされますか。

      13 彼らが二人の証人で象徴されていたという事実は,その音信が正確で,根拠が確かなことを確証しています。(申命記 17:6; ヨハネ 8:17,18と比較してください。)ヨハネはそれらの証人を「二本のオリーブの木,また二つの燭台」と呼び,彼らは「地の主の前に立っている」と言っています。これは明らかに,七枝の燭台と二本のオリーブの木を見たゼカリヤの預言に言及した言葉です。そのオリーブの木は「二人の油そそがれた者たち」,つまり「全地の主の傍らに立つ」総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアを表わしていると言われていました。―ゼカリヤ 4:1-3,14。

      14 (イ)二本のオリーブの木,および燭台に関するゼカリヤの幻は,何を示唆していましたか。(ロ)第一次世界大戦中,油そそがれたクリスチャンは何を経験することになりましたか。

      14 ゼカリヤは神殿を再建する時代に生きていたので,二本のオリーブの木に関するその幻は,ゼルバベルとヨシュアが再建の業を行なうよう民を強める点でエホバの霊によって祝福されることを意味していました。燭台に関するその幻は,エホバの目的は成し遂げられるゆえに,『小さな事の日を侮ったり』すべきでないことをゼカリヤに思い起こさせました。それは,「『軍勢によらず,力にもよらず,ただわたしの霊による』と,万軍のエホバは言った」とある通りです。(ゼカリヤ 4:6,10; 8:9)第一次世界大戦中,真理の光を人類に根気強く伝えたクリスチャンの少数の集団は,同様に再建の業にも用いられることになりました。彼らはまた,励ましの源ともなり,ごく少数でしたが,小さな始まりの日を侮ることなく,エホバの力に頼ることを学びました。

      15 (イ)油そそがれたクリスチャンが二人の証人として描かれていることはまた,何を思い起こさせますか。説明してください。(ロ)二人の証人には,どのようなしるしを行なう権限が与えられますか。

      15 これらの人々が二人の証人として描かれていることはまた,変貌を思い起こさせます。イエスの使徒たちの中の三人はその幻の中で,王国の栄光を受けて,モーセとエリヤを同伴しておられるイエスを見ました。これは,イエスがそれら二人の預言者により予示されていた業を成し遂げるため,1914年に輝かしい王座に座されたことを予表していました。(マタイ 17:1-3)適切にも,その二人の証人は今や,モーセとエリヤがしたことを思い起こさせるようなしるしを行なう様子が見られます。例えば,ヨハネはその二人についてこう述べます。「そして,彼らを損なおうと思う者がいれば,火が彼らの口から出て,その敵たちをむさぼり食う。彼らを損なおうと思うような者がいれば,その者はこのようにして殺されねばならないのである。彼らには,天を閉ざして,その預言するあいだ雨を降らせないようにする権威があ(る)」― 啓示 11:5,6(前半)。

      16 (イ)火と関連のあるしるしは,イスラエルでモーセの権威が挑戦を受けた時のことをどのように思い起こさせますか。(ロ)キリスト教世界の指導者は聖書研究者たちをどのように侮り,第一次世界大戦中,どのように彼らのために厄介な問題を引き起こしましたか。彼らはどのように抵抗しましたか。

      16 これはイスラエルでモーセの権威が挑戦を受けた時のことを思い起こさせます。この預言者は火のような裁きの言葉を述べ,そしてエホバは反抗者たちを滅ぼし,そのうちの250人を天からの文字通りの火で焼き尽くさせました。(民数記 16:1-7,28-35)同様に,キリスト教世界の指導者は聖書研究者たちを侮り,神学校を卒業した者は一人もいないと非難しました。しかし,神の証人たちには奉仕者としての一層崇高な資格証明書があります。それはすなわち,聖書に基づく証人たちの音信に聞き従った柔和な人たちです。(コリント第二 3:2,3)聖書研究者たちは1917年に,啓示の書とエゼキエル書に関する力強い注解書である「終了した秘義」(英文)と題する本を発行しました。それに続いて,「バビロンの倒壊 ― なぜキリスト教世界は今苦しまねばならないか ― 最後の結果」と題する主要な記事を載せた4ページの冊子,「聖書研究者月刊」(英文)が1,000万部配布されました。米国では,憤慨した僧職者が戦争による恐慌状態を口実として利用し,その本を発禁処分に付させました。この本は他の国々でも検閲を受けました。にもかかわらず,神の僕たちは,火のような知らせを載せた「王国ニュース」という表題の4ページの冊子を使って抵抗し続けました。主の日が経過するにつれて,ほかの出版物もキリスト教世界の霊的に死んだも同然の状態を明らかにしました。―エレミヤ 5:14と比較してください。

      17 (イ)エリヤの時代のどんな出来事が干ばつや火と関連していましたか。(ロ)二人の証人の口からどのように火が出ましたか。どんな干ばつが関係していましたか。

      17 エリヤについてはどうですか。イスラエルの王たちの時代に,この預言者はバアル崇拝を行なっていたイスラエル人に対するエホバの憤りの表明となる干ばつが起こることをふれ告げると,それは3年半続きました。(列王第一 17:1; 18:41-45。ルカ 4:25。ヤコブ 5:17)後日,不忠実な王アハジヤが兵士たちを遣わしてエリヤを強制的に王室の自分の前に来させようとした時,この預言者は天から火を呼んで兵士たちを焼き尽くさせました。軍の一指揮官が預言者としてのエリヤの地位に対する正しい敬意を表して初めて,エリヤはその指揮官に同行して王のもとに行くことに同意しました。(列王第二 1:5-16)同様に,1914年から1918年までの間,油そそがれた残りの者はキリスト教世界の霊的な干ばつに大胆に注意を引き,「エホバの大いなる,畏怖の念を抱かせる日」が来る時に行なわれる火のような裁きについて警告しました。―マラキ 4:1,5。アモス 8:11。

      18 (イ)二人の証人にはどんな権威が与えられますか。それはモーセに与えられた権威とどのように似ていますか。(ロ)二人の証人はキリスト教世界をどのように暴露しましたか。

      18 ヨハネはその二人の証人についてさらにこう言っています。「[彼らには]また,水を制してそれを血に変え,あらゆる種類の災厄をもって何度でも望むだけ地を撃つ権威がある」。(啓示 11:6[後半])エホバはファラオを説得してイスラエルを解放させるため,モーセを用いて,水を血に変えることを含め,種々の災厄をもって圧制的なエジプトを打たせました。何世紀も後に,イスラエルの敵だったフィリスティア人はエジプトに対するエホバの処置をよく覚えていたため,次のように叫びました。「だれが我々をこの威光のある神の手から救えよう。この方こそ,荒野で,あらゆる殺りく[「災厄」,「改訂標準訳」(英文)]をもってエジプトを打つ者となった神だ」。(サムエル第一 4:8。詩編 105:29)モーセは,1世紀当時の宗教指導者に対する神の裁きを宣告する権威を持っておられたイエスを写し出した人でした。(マタイ 23:13; 28:18。使徒 3:22)そして,第一次世界大戦中,キリストの兄弟たち,つまり二人の証人はキリスト教世界が同世界の羊に供給していた「水」は死をもたらす性質のものであることを暴露しました。

      二人の証人は殺される

      19 啓示の書の記述によれば,二人の証人が証しを終える時,何が起きますか。

      19 キリスト教世界に臨んだこの災厄はあまりにも厳しかったため,二人の証人が粗布を着て42か月間預言した後,キリスト教世界は同世界のこの世的な影響力を行使して,それらの証人を『殺させ』ました。ヨハネはこう書いています。「そして,彼らが自分たちの証しを終えた時,底知れぬ深みから上る野獣が彼らと戦い,彼らを征服して殺すであろう。そして,彼らの遺体は,霊的な意味でソドムまたエジプトと呼ばれる大いなる都市の大通りに置かれるであろう。彼らの主もそこで杭につけられたのである。そして,もろもろの民・部族・国語・国民から来た者たちは三日半の間その遺体を見るが,遺体を墓の中に横たえることを許さない。また,地に住む者たちは彼らのことで喜び,また楽しみ,互いに贈り物を交わすであろう。これら二人の預言者は地に住む者たちを責め苦に遭わせたからである」― 啓示 11:7-10。

      20 「底知れぬ深みから上る野獣」とは何ですか。

      20 啓示の書は野獣に37回言及していますが,この箇所はその最初の例です。この箇所と他の箇所の獣については,やがて詳しく調べますから,今は,「底知れぬ深みから上る野獣」とは,サタンの考え出した,現行の政治上の事物の体制であると述べるだけで十分でしょう。b ―啓示 13:1; ダニエル 7:2,3,17と比較してください。

      21 (イ)二人の証人の宗教上の敵は戦争という情勢をどのように利用しましたか。(ロ)二人の証人の遺体が葬られずに放置されたことは何を示唆していましたか。(ハ)三日半という期間はどのように考えるべきでしょうか。(脚注をご覧ください。)

      21 諸国家は1914年から1918年まで第一次世界大戦に没頭しました。国家主義的な感情は高まり,1918年の春,二人の証人の宗教上の敵は当時の情勢を利用しました。それらの敵は司法機関を動かし,聖書研究者の責任のある奉仕者たちを偽って扇動活動のかどで投獄させました。忠実な同労者たちはぼう然とさせられ,王国の活動はほとんど止まってしまいました。それはあたかも宣べ伝える業が死んだかのようでした。聖書時代には,記念の墓に葬られないことは,恐るべき侮辱でした。(詩編 79:1-3。列王第一 13:21,22)ですから,二人の証人が葬られずに放置されるのは大変な恥辱でした。パレスチナの暑い気候の時期に遺体が広々とした路上に文字通り三日半置かれたら,実際死臭を放つようになるでしょう。c (ヨハネ 11:39と比較してください。)そのようなわけで,預言のこの詳細な点は,二人の証人が忍ばなければならなかった辱めを示唆しています。投獄された上記の人たちは,上訴が行なわれたのに,保釈さえ認められませんでした。彼らは「大いなる都市」の住民にとって悪臭を放つものとなるのに十分なほど長い間,公衆の目にさらされました。それにしても,この「大いなる都市」とは何ですか。

      22 (イ)大いなる都市とは何ですか。(ロ)公の報道機関はどのように僧職者と一緒になって,二人の証人を沈黙させたことを大いに歓びましたか。(囲み記事をご覧ください。)

      22 ヨハネはある手がかりをわたしたちに示しています。彼はイエスがそこで杭につけられたと言っています。ですから,わたしたちはすぐエルサレムのことを考えます。しかしヨハネはまた,大いなる都市がソドム,ならびにエジプトと呼ばれているとも言っています。実際,文字通りのエルサレムはその汚れた習慣のために,かつてソドムと呼ばれました。(イザヤ 1:8-10。エゼキエル 16:49,53-58と比較してください。)それに,最初の世界強国だったエジプトは,この世の事物の体制を表わしていると考えられる場合があります。(イザヤ 19:1,19。ヨエル 3:19)したがって,この大いなる都市は,神を崇拝すると唱えながら,ソドムのように汚れて罪深い状態に陥り,またエジプトのようにこのサタンの世の事物の体制の一部となった,汚れた「エルサレム」を表わしています。それは,不忠実なエルサレムの現代版で,その組織の成員が不気味な宣べ伝える業を行なう二人の証人を沈黙させた時,大いに歓ぶべき実に多くの理由を持っていた,キリスト教世界を表わしています。

      再び起こされる!

      23 (イ)三日半の後,二人の証人はどうなりましたか。彼らの敵はどのような影響を受けましたか。(ロ)啓示 11章11節と12節と,エホバが乾いた骨のある渓谷に息を吹きかけられることに関するエゼキエル書の預言は,いつ現代の成就を見ましたか。

      23 公の報道機関は僧職者と一緒になって神の民のことをあしざまに言い,ある新聞は,「『終了した秘義』はおしまいだ」と述べました。しかし,これほど真実からかけ離れたことはありませんでした! その二人の証人は死んだままにされてはいませんでした。こう記されています。「それから三日半の後,神からの命の霊が彼らに入り,彼らは自分の足で立ち上がった。そのため,大いなる恐れが彼らを見ている者たちに臨んだ。そして彼らは,天から出る大きな声が,『ここに上って来なさい』と自分たちに言うのを聞いた。それで彼らは,雲のうちにあって天へ上って行き,敵たちは彼らを見た」。(啓示 11:11,12)ですから,彼らは,エゼキエルが幻の中で訪れた渓谷の中の乾いた骨と同様の経験をしました。エホバがその乾いた骨に息を吹きかけられると,それらの骨は生き返りました。この出来事は,イスラエル国民がバビロンに70年間捕らえられた後に再生することを表わしていました。(エゼキエル 37:1-14)エゼキエル書と啓示の書のこれら二つの預言は,エホバがご自分の“死んだ”証人たちに命を得させ,活発に行動するよう回復させてくださった1919年に現代の著しい成就を見ました。

      24 二人の証人が生き返った時,その宗教上の迫害者たちはどのような影響を受けましたか。

      24 迫害者たちにとっては何と大きな衝撃だったのでしょう。二人の証人の遺体は突然生気を取り戻し,再び活動するようになったのです。それは当時の僧職者が飲まされた苦い薬でしたが,彼らのたくらみのために投獄されたクリスチャンの奉仕者たちが再び自由にされ,後に無実の罪を完全に晴らされて以来,それはいよいよ苦い薬となりました。聖書研究者たちが1919年9月に米国オハイオ州シーダー・ポイントで大会を開いた時,その衝撃はなお一層大きなものだったに違いありません。刑務所から釈放されてなお日の浅いJ・F・ラザフォードはその大会で,啓示 15章2節とイザヤ 52章7節に基づく,「王国を告げ知らせる」と題する講演をして,大会出席者を奮起させました。ヨハネ級の人たちはまたもや「預言する」,つまり公に宣べ伝える業を開始しました。彼らはしだいに力を増してゆき,キリスト教世界の偽善を恐れることなく暴露しました。

      25 (イ)二人の証人はいつ,「ここに上って来なさい」と命じられましたか。そのことはどのように起きましたか。(ロ)二人の証人が回復されたため,大いなる都市はどんな衝撃的な影響を受けましたか。

      25 キリスト教世界は1918年当時の勝利を繰り返そうと再三試みました。同世界は暴徒による襲撃行為,司法機関の操作,投獄,さらには処刑などの方法に訴えましたが,そのすべては無駄でした! 1919年以後,二人の証人の霊的な領域はキリスト教世界の手の届かないものとなりました。その年に,エホバはそれらの証人に,「ここに上って来なさい」と言われたので,彼らは高められた霊的な状態に上り,その敵は彼らを見ることはできても,彼らに触ることはできなくなりました。ヨハネは,彼らが回復されたために大いなる都市が受けた衝撃的な影響についてこう述べています。「そして,その時刻に大きな地震が起こり,その都市の十分の一が倒れた。また,七千人の人がその地震によって殺され,そのほかの者たちは恐れ驚いて天の神に栄光を帰した」。(啓示 11:13)宗教の領域には確かに重大な動揺が生じました。再び生気を与えられたクリスチャンのこの一団が仕事をし始めると,既成の諸教会の指導者たちの足下の地面は動かされたように見えました。彼らの都市の十分の一,つまり比喩的に言って7,000人の人々が大変な影響を受けたため,彼らは殺されたと言われています。

      26 啓示 11章13節の「都市の十分の一」と「七千人」という言葉は何を表わしていますか。説明してください。

      26 「都市の十分の一」という表現は,イザヤが古代エルサレムに関して,十分の一が聖なる胤としてその都市の滅びを生き残ると預言したことを思い起こさせます。(イザヤ 6:13)同様に,7,000人という数は,エリヤがイスラエルでただ一人自分だけが忠実な者として残っているのだと感じた時,エホバが彼に,実際には,バアルにかがまなかった者がなお7,000人もいると言われたことを思い起こさせます。(列王第一 19:14,18)1世紀に使徒パウロは,これら7,000人がキリストに関する良いたよりにこたえ応じたユダヤ人の残りの者を表わしていると述べました。(ローマ 11:1-5)これらの聖句は,啓示 11章13節の「都市の十分の一」と「七千人」が,回復された二人の証人にこたえ応じて,罪深い大いなる都市を捨てる人たちであることを理解するのに役立ちます。これらの人々はキリスト教世界に対しては,あたかも死にます。彼らの名は同世界の教会員名簿から取り除かれます。彼らは同世界に関する限りもはや存在しません。d

      27,28 (イ)どのように『そのほかの者たちは天の神に栄光を帰し』ましたか。(ロ)キリスト教世界の僧職者は何を認めざるを得ませんでしたか。

      27 しかし,「[キリスト教世界]のほかの者たち」は,どのように「天の神に栄光を帰し」ましたか。彼らの背教した宗教を捨てて,神の僕になってそうしたのでないことは確かです。むしろ,ビンセント編,「新約聖書の用語研究」の中で,「天の神に栄光を帰した」という表現について論じた箇所で説明されているような仕方で,そうしたのです。その箇所はこう述べています。「この句は改宗でも,悔い改めでも,感謝することでもなく,聖句の中のその普通の意味である,認めることを意味している。ヨシュア 7章19節(七十人訳)と比べよ。ヨハネ 9章24節; 使徒 12章23節; ローマ 4章20節」。キリスト教世界は無念にも,聖書研究者たちの神が彼らを回復させて,クリスチャンとしての活動をさせる偉大な働きをなさったことを認めざるを得ませんでした。

      28 僧職者たちはただ頭の中だけで,あるいはただ自分自身に対してだけそのように認めたようです。確かに,二人の証人の神を公に認めるという態度を明らかにした僧職者は一人もいませんでした。しかし,ヨハネを通して与えられたエホバの預言は,彼らの心の状態と1919年に彼らが経験した屈辱的な衝撃を察知するのに役立ちます。その年以来,キリスト教世界がその羊をしっかり捕まえておこうと断固として努力したにもかかわらず,「七千人」が同世界を去ったので,僧職者は自分たちの神よりもヨハネ級の人たちの神のほうが強いことを認めざるを得ませんでした。それから何年も後に,僧職者たちはそのことを一層はっきり悟ったようです。それは,彼らの羊の中のさらに多くの者が離れて,エリヤがカルメル山上でバアルの宗教家たちに対して勝利を収めた時に人々が語った,「エホバこそまことの神です! エホバこそまことの神です!」という言葉を響き渡らせるようになったからです。―列王第一 18:39。

      29 ヨハネは,何が速やかに来ると言っていますか。キリスト教世界はさらにどのように揺り動かされることになっていますか。

      29 しかし,お聞きください! ヨハネはわたしたちに,「第二の災いが過ぎた。見よ,第三の災いが速やかに来る」と告げています。(啓示 11:14)もしキリスト教世界がこれまで起きた事柄で揺り動かされているなら,第三の災いが告げ知らされ,第七のみ使いがラッパを吹いて,神の神聖な奥義が最後に終了する時,同世界はどうなるでしょうか。―啓示 10:7。

      [脚注]

      a この偉大な霊的な神殿について詳細に論じた資料を調べたい方は,「ものみの塔」誌,1996年7月1日号の「エホバの偉大な霊的神殿」ならびに1973年3月1日号の「崇拝を行なうための唯一の真の神殿」と題する記事をご覧ください。

      b 「底知れぬ深み」(ギリシャ語,アビュッソス; ヘブライ語,テホーム)は,無活動の場所を象徴的に指しています。(啓示 9:2をご覧ください。)しかし,文字通りの意味では,それは広大な海を指すこともできます。このヘブライ語はしばしば「水の深み」と訳出されています。(詩編 71:20; 106:9。ヨナ 2:5)ですから,「底知れぬ深みから上る野獣」を,『海から上る野獣』と同一視することができます。―啓示 11:7; 13:1。

      c この時期の神の民の経験を調べると,42か月は文字通りの三年半を表わしているようですが,三日半は文字通りの84時間の期間を表わしていないことに注目してください。多分,三日半という特定の期間は,その前に述べられている実際の三年半の活動と比べて,ごく短い期間であることを強調するために,2回(9節と11節で)指摘されているようです。

      d ローマ 6:2,10,11; 7:4,6,9; ガラテア 2:19; コロサイ 2:20; 3:3などの聖句の中の「死んだ」とか,「生きている」などの言葉の用法と比較してください。

  • 神の神聖な奥義 ― その輝かしい最高潮!
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 26章

      神の神聖な奥義 ― その輝かしい最高潮!

      1 (イ)ヨハネは神聖な奥義が確かに終わりに至ることをわたしたちにどのように知らせていますか。(ロ)み使いたちの軍勢はどうして大声で話すのでしょうか。

      啓示 10章1節,6節および7節に記録されている,強いみ使いが誓って宣言した言葉を思い起こせますか。そのみ使いはこう述べました。「もはや猶予はない。第七のみ使いが吹き鳴らす日,彼がラッパを吹こうとするその時に,神が預言者なるご自分の奴隷たちに宣明された良いたよりに基づく神の神聖な奥義は,確かに終わりに至る」。その最後のラッパを吹き鳴らす,エホバのご予定の時は到来しました! では,どのようにして神聖な奥義は終わりに至るのでしょうか。ヨハネはそれについてわたしたちに知らせることを大変喜んでいます! それで,こう書いています。「また,第七のみ使いがラッパを吹いた。すると,大きな声が天で起きてこう言った。『世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった。彼は限りなく永久に王として支配するであろう』」。(啓示 11:15)それらみ使いたちの軍勢には大声で,雷鳴のような声をさえ上げて話すべき理由があります! この歴史的な発表は,宇宙的な重要性を持つものだからです。それは生ける創造物すべてにとって極めて重大な事柄なのです。

      2 神聖な奥義はいつ,またどんな出来事と共に堂々たる終わりを迎えますか。

      2 神聖な奥義は喜ばしい最高潮に達します! それは,主エホバがご自分のキリストを共同の王として即位させられる1914年に,輝かしい壮大な仕方で堂々たる終わりを迎えます。み父の代理を務めるイエス・キリストは,敵対する人類の世のただ中で,現に効力を持つ支配権を引き継がれます。約束の胤であるキリストは,蛇とそのやからを無に帰せしめ,楽園<パラダイス>の平和をこの地に回復させるために,王国の権力をお受けになります。(創世記 3:15。詩編 72:1,7)メシアなる王であるイエスはこうしてエホバのみ言葉を成就し,主権者なる主として「限りなく永久に」支配しなければならない「とこしえの王」であられる,み父の正しさを立証されます。―テモテ第一 1:17。

      3 エホバ神は常に王であるにもかかわらず,どうして他の主権が地上に存在するのを許してこられましたか。

      3 しかし,どのようにして,『世の王国はわたしたちの主[エホバ]の王国となった』のでしょうか。エホバ神は常に王であられませんでしたか。その通りです。というのは,レビ人アサフが,「神は昔からわたしの王」と歌っているからです。また,もう一人の詩編作者は,「エホバ自ら王となられた!……あなたの王座は昔から堅く立てられており,あなたは定めのない時からおられます」と言明しました。(詩編 74:12; 93:1,2)ところが,エホバはその知恵のゆえに,他の様々な主権が地上に存在するのを許してこられました。こうして,人間は神なしで自らを治めることができるかどうかに関してエデンで引き起こされた論争が十分試されてきました。人間による支配は惨めにも失敗しました。神の預言者の言葉はまさしく真実です。「エホバよ,地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」。(エレミヤ 10:23)わたしたちの最初の二親が背いて以来このかた,人の住む全地は,「初めからの蛇」であるサタンの支配下に置かれてきました。(啓示 12:9。ルカ 4:6)今や,劇的な変化の起きる時となりました! エホバはご自分の地位の正当性を立証するため,ご自身の選定したメシアによる王国を通して,新たな仕方でご自分の主権を行使し始められます。

      4 1922年にラッパが吹き鳴らされ始めた時,何が前面に出されましたか。説明してください。

      4 1922年に七つのラッパが吹き鳴らされ始めた時,米国オハイオ州シーダー・ポイントにおける聖書研究者の大会で,J・F・ラザフォードは,「天の王国は近づきたり」という聖句に基づいた特筆すべき講演を行ないました。(マタイ 4:17,「ジェームズ王欽定訳」)ラザフォードはその講演の結びとして次のように述べました。「では,至高の神の子の皆さん,野外に戻りなさい。自分の武具を身につけなさい。冷静にし,油断なく警戒し,活発に働き,勇敢でありなさい。主の忠実な真の証人でありなさい。バビロンが跡形もなく荒廃するまで戦いで前進しなさい。音信を遠く広く告げ知らせなさい。世界は,エホバが神であり,イエス・キリストが王の王,主の主であることを知らねばなりません。今はあらゆる時代のうちで最も重大な時代です。ご覧なさい,王は統治しておられます! あなた方は王のことを広く伝える代理者です。それゆえに,王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」。キリスト・イエスの治める神の王国のことが前面に出され,これが契機となって,み使いの七つのラッパすべてが吹き鳴らされて告知された裁きを含め,王国を宣べ伝える業が大波のように高まり始めました。

      5 1928年には,第七のラッパの音を目立たせた,聖書研究者の大会で何が起きましたか。

      5 第七のみ使いのラッパの音は,1928年7月30日から8月6日まで米国ミシガン州デトロイト市で開かれた聖書研究者の大会の目立った点の中に反映されていました。この時,107の放送局がつながれて,ニューヨーク・タイムズ紙の評した,『歴史上最も大規模で,最も費用のかかったラジオ放送網』が設けられました。その大会では,サタンとそのよこしまな組織がハルマゲドンで打ち倒され,義を愛する人々すべてが解放されることを指摘した,「サタンに反対し,エホバを支持する宣言」と題する強力な決議が熱意を込めて採択されました。大会では,「神がご自分の油そそがれた王を1914年にその王座に就けられた」ことを示す最も明確な証拠を掲げた,「政府」(英文)と題する368ページの書籍が発表され,神の王国の忠節な臣民はその本を入手して喜びました。

      エホバが力を執られる

      6 ヨハネは,キリストが神の王国で即位されたことに関する発表をどのように伝えていますか。

      6 キリストは神の王国で即位されました ― この発表は何と大きな喜びをもたらすのでしょう。ヨハネはこう伝えています。「すると,神の前で自分の座に座っている二十四人の長老がひれ伏し,神を崇拝してこう言った。『今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです』」― 啓示 11:16,17。

      7 (イ)象徴的な24人の長老の地上にいる残りの者,および,(ロ)象徴的な24人の長老のうち,天の自分たちの地位に就くよう,すでに復活させられた人たちは,それぞれどのようにエホバ神に感謝をささげましたか。

      7 エホバ神にそのように感謝をささげるのは24人の長老たちです。これらの長老は天的な地位に就けられた,キリストの油そそがれた兄弟たちを象徴しています。1922年以来,それら14万4,000人の油そそがれた者たちの地上にいる残りの者は,ラッパの音によって開始させられた業に忙しく携わってきました。彼らはマタイ 24章3節から25章46節のしるしの持つ意味を十分悟るようになりました。しかし,主の日のもっと初めのころでさえ,すでに『忠実であることを死に至るまでも示した』,彼らの仲間の証人たちは,天の自分たちの地位に就くよう復活させられていたので,ひれ伏してエホバに敬意を表する14万4,000人のグループ全体を今や代表することができました。(啓示 1:10; 2:10)これらの人たちは皆,自分たちの主権者なる主がご自分の「神聖な奥義」を最高潮に持っていって終わらせるのを遅らせたりはなさらなかったので,どんなにか深く感謝していることでしょう。

      8 (イ)第七のラッパが吹き鳴らされると,諸国民はどんな影響を受けますか。(ロ)諸国民はだれに対して憤りを表わしてきましたか。

      8 一方,第七のラッパが吹き鳴らされても,諸国民には少しも喜びがもたらされません。諸国民にとっては,エホバの憤りを経験する時が来ました。ヨハネはこう述べます。「しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にもその報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が到来しました」。(啓示 11:18)1914年以来,世の諸国民は互いに対して,また神の王国に対して,とりわけエホバの二人の証人に対して憤りを激しく表わしてきました。―啓示 11:3。

      9 諸国民はどのように地を破滅させてきましたか。神はそのことに関して何を行なうよう決意しておられますか。

      9 諸国民は歴史を通じて絶えず戦争を行なってきましたし,また管理の仕方も悪かったので,地を破滅させてきました。しかし1914年以来,この破壊は増大し,驚くべき程度に達してきました。貪欲や腐敗のために砂漠は広がり,肥えた土地は恐るべき度合いで失われています。酸性雨や放射能のある雲のために広大な地域が損なわれ,食糧源も汚染されてきました。わたしたちが吸う空気や飲む水も汚濁しています。工業廃棄物は陸や海の生物を脅かしています。かつて超大国は核により全人類を絶滅させて完全な破滅をもたらす恐れがありました。幸い,エホバは「地を破滅させている者たちを破滅に至らせ」ます。地球の悲惨な状態に対して責任のある,高慢で不敬虔な人々に裁きを執行なさいます。(申命記 32:5,6。詩編 14:1-3)ですから,エホバはそのような悪行者たちを罰するために第三の災いをもたらされるのです。―啓示 11:14。

      破滅をもたらす者たちは災いです!

      10 (イ)第三の災いとは何ですか。(ロ)第三の災いはどのようにして責め苦以上のものをもたらしますか。

      10 さあ,それでは,第三の災いです。それは速やかに来ます! それは,エホバがご自分の「足台」,つまりわたしたちの住んでいるこのすばらしい地球の神聖さを汚す者たちに破滅をもたらす手だてです。(イザヤ 66:1)その破滅はメシアによる王国,つまり神の神聖な奥義によって開始されます。神の敵たち,それも特にキリスト教世界の指導者たちは,おもにいなごの災厄と騎兵隊のもたらす最初の二つの災いで責め苦に遭わされてきましたが,エホバの王国そのものによって加えられる第三の災いは,責め苦以上のものをもたらします。(啓示 9:3-19)それは破滅をもたらす人間社会とその支配者たちを排除する死の一撃となります。これはハルマゲドンにおけるエホバの裁きの最高潮の際にもたらされるでしょう。それはダニエルが預言した通りです。「そして,それらの王たち[地を破滅させている支配者たち]の日に,天の神は決して滅びることのないひとつの王国を立てられます。そして,その王国はほかのどんな民にも渡されることはありません。それはこれらのすべての王国を打ち砕いて終わらせ,それ自体は定めのない時に至るまで続きます」。神の王国は堂々とした山のように,輝かしい所となった地を支配するようになり,エホバの主権の正しさを立証し,人類にとこしえの喜びをもたらすでしょう。―ダニエル 2:35,44。イザヤ 11:9; 60:13。

      11 (イ)この預言は,進展中の一連の喜ばしいどんな出来事について述べていますか。(ロ)どんな過分のご親切が実現されますか。どのように,まただれによって実現されますか。

      11 第三の災いは,主の日の間じゅう漸進的に展開してゆく,進展中の一連の喜ばしい出来事を伴っています。その日は,『死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たちにもその報いを与える』時です。それは死人の中からの復活を意味します! すでに死の眠りに就いている,油そそがれた聖なる者たちにとって,それは主の日の初めごろに起きます。(テサロニケ第一 4:15-17)やがて,残っている聖なる者たちも瞬間的に復活させられ,それらの人たちに加わります。他の人々もまた,報いを与えられることになります。その中には,神の古代の預言者なる奴隷たちや,大患難を生き残る大群衆であれ,キリストの千年統治の期間に生き返らされて命を受ける『死んだ者たち,大なる者や小なる者』であれ,エホバのみ名を恐れるようになる人類のほかの人々すべてが含まれます。神のメシアなる王は死とハデスのかぎを持っておられるので,王国でのその支配により,この貴重な備えにあずかろうと努める人々すべてに永遠の命を与える道が開かれます。(啓示 1:18; 7:9,14; 20:12,13。ローマ 6:22。ヨハネ 5:28,29)それが天における不滅の命,あるいは地上でのとこしえの命のいずれであれ,この命の賜物はエホバからの過分のご親切によるものですから,それを受ける人々は各々まさしく永久に感謝することでしょう。―ヘブライ 2:9。

      ご覧なさい,神の契約の箱です!

      12 (イ)啓示 11章19節によれば,ヨハネは天で何を見ますか。(ロ)契約の箱は何の象徴でしたか。イスラエルがバビロンに捕らわれの身となった時,契約の箱はどうなりましたか。

      12 エホバは支配しておられます! ご自分のメシアによる王国を通して,人類に対して驚くべき仕方で主権を行使しておられます。ヨハネが次に見る事柄はこのことを確証しています。「また,天にある神の神殿の聖なる所が開かれ,神の契約の箱がその神殿の聖なる所の中に見えた。そして,稲妻と声と雷と地震と大きな雹が生じた」。(啓示 11:19)啓示の書の中で神の契約の箱に言及されている箇所はここだけです。契約の箱は,エホバがその民イスラエルと共におられることを示す,目に見える象徴でした。それは幕屋の,また後にはソロモンの建立した神殿の至聖所に置かれました。しかし,イスラエルが西暦前607年にバビロンに捕らわれの身となった時,エルサレムは荒廃し,契約の箱は消失しました。ダビデの家の代表者が『エホバの王座に座す』時代が終わったのは,その時のことでした。―歴代第一 29:23。a

      13 契約の箱が天の神の聖なる所の中に見えるという事実は,何を示していますか。

      13 2,600年余りたった後の今,契約の箱がもう一度見えます。しかし,ヨハネの幻の中では,その箱は地上の神殿の中にあるのではなく,天の神の聖なる所の中に見えるのです。エホバはもう一度,ダビデの王統の王によって支配を行なわれます。しかし,この度は,王なるキリスト・イエスが天のエルサレムで ― そこからエホバの裁きを執行する,高められた有利な場所で ― 即位されます。(ヘブライ 12:22)啓示の書の後の章は,これらの点をわたしたちに明らかにしています。

      14,15 (イ)古代のエルサレムでは,だれだけが契約の箱を見ることができましたか。それはどうしてですか。(ロ)天の神の神殿の聖なる所では,だれが契約の箱を見ることができますか。

      14 古代の地上のエルサレムでは,契約の箱は一般のイスラエル人だけでなく,神殿で奉仕する祭司たちにさえ見えませんでした。というのは,その箱は聖所から垂れ幕で仕切られていた至聖所の中にあったからです。(民数記 4:20。ヘブライ 9:2,3)ただ,大祭司だけが年ごとの贖罪の日に至聖所に入る際,それを見ることができました。しかしながら,天の神殿の聖なる所が開かれると,象徴的な契約の箱はエホバの大祭司であられるイエス・キリストだけでなく,ヨハネを含め,その14万4,000人の従属の祭司たちにも見えます。

      15 天に復活させられた最初の人たちは,この象徴的な契約の箱を近距離から見ます。というのは,それらの人たちは24人の長老の成員としてエホバの王座の周りに位置を占めているからです。また,地上にいるヨハネ級の人たちは,エホバがご自分の霊的な神殿におられることを理解するよう,その霊によって啓発されてきました。同時に,一般の人類にもこのすばらしい出来事に注意を喚起させるため,しるしが現われました。ヨハネの幻では,稲妻や声や雷や地震,および雹のことが述べられています。(啓示 8:5と比較してください。)これらのものは何を象徴していますか。

      16 どのように稲妻や声や雷や地震,および雹が生じましたか。

      16 1914年以来,宗教の領域では恐るべき激変が起きてきました。しかし,幸いにも,この「地震」は,樹立された神の王国に関する明確な音信を述べる,献身した人々の声を伴ってきました。聖書からの雷鳴のような“暴風雨警報”が鳴り響いてきました。神の預言的なみ言葉に関する洞察のひらめきは,稲妻のように現われており,一般に伝えられてきました。神の裁きという,打ち当たる硬い「雹」は,キリスト教世界と一般の偽りの宗教に対して放たれてきました。このすべては人々の注意を引いてきたはずです。しかし,悲しいことに,大多数の人々は,イエスの時代のエルサレムの人々のように,啓示の書のこれらのしるしの成就を認識できませんでした。―ルカ 19:41-44。

      17,18 (イ)七人のみ使いたちのラッパが鳴り響いたため,献身したクリスチャンはどんな責任を負うようになりましたか。(ロ)クリスチャンは自分たちの使命をどのように果たしていますか。

      17 七人のみ使いたちは引き続きラッパを鳴り響かせて,この地上の歴史的な出来事を知らせる合図を出しています。献身したクリスチャンにはそのような発表をこの世界に対して引き続き告げ知らせる大きな責任があります。それらの人々は何と大きな喜びを抱いてその使命を果たしているのでしょう。それは,1986年から2005年までの20年間に,宣教の業に毎年費やす時間が,6億8,083万7,042時間から12億7,823万5,504時間へと2倍近くに増加したことからも分かります。確かに,「良いたよりに基づく神の神聖な奥義」は,「人の住む地の果てにまで」知らされています。―啓示 10:7。ローマ 10:18。

      18 神の王国に関する目的は引き続き明らかにされてゆくので,今やほかの幻がわたしたちを待ち受けています。

      [脚注]

      a ローマの歴史家タキツスは,エルサレムが西暦前63年に攻略され,クネイウス・ポンペイウスが神殿の聖所に入った時,中はからだったと伝えています。その中に契約の箱はありませんでした。―タキツス著,「同時代史」,5章9節。

  • 神の王国が誕生する!
    啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
    • 1 啓示 12章から14章までに述べられているしるしの意味を理解することは,わたしたちにとってどのように役立ちますか。

      神の神聖な奥義は明らかにされました。(啓示 10:7)エホバのメシアによる王国は今や強力な現実となりました。その王国は支配しています! この王国が存在していることは,サタンとその胤にとっては滅びを意味しますが,神の天の組織の胤にとっては輝かしい勝利を意味しています。しかし,第七のみ使いはラッパを吹き鳴らすのをまだ終了していません。というのは,そのみ使いには,第三の災いについてわたしたちに明らかにする,もっと多くの事柄があるからです。(啓示 11:14)啓示 12章から14章までに述べられているしるしは,その災いと神の神聖な奥義を終わらせることに関係する事柄すべてに対する認識を広くするのに役立ちます。

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