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  • 「神の平和」地域大会 ― わたしたちがまさに必要としていたもの!
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1987
塔87 1/15 26–31ページ

「神の平和」地域大会 ― わたしたちがまさに必要としていたもの!

「その大会は多くの人の心を動かし,その態度にも影響を及ぼしました」。「エホバはたくさんのすばらしい料理の宴を催されました」。「数々の話は率直で明確でした」。「まさに今のわたしたちの必要にかなっていました!」「わたしたちがまさに必要としていたものでした!」

これらの言葉は,エホバの証人の1986「神の平和」地域大会に対する多くの感謝の言葉の代表的なものです。そのような言葉はどれも,出席した人々が大会司会者の話と大会最初の「聴いて,その意味を悟りなさい」という話を通して与えられた優れた助言を心に収めていたことを証明しています。

平和という語は聖書中に300回余り出ており,平和というテーマは神の言葉の中で非常に目立っていますから,それをわたしたちの1986年の地域大会のテーマにするのは極めてふさわしいことでした。事実,ローマ人への手紙から啓示の書までの霊感による手紙のうち18通は,その書き出しに,「過分のご親切と平和があなた方に増し加えられますように」といった言葉が記されています。ヘブライ語聖書において「平和」と訳されている語はシャーロームで,これには戦争や争いのない状態という意味だけでなく,健康,繁栄,幸福などの意味が含まれていることは注目に値します。―ペテロ第一 1:2。

プログラム全体を通して,平和ということが繰り返し強調されました。基調をなす話の中で力説されたとおり,エホバは「平和の神」また「平和を与えてくださる神」です。神のみ子は「平和の君」であり,ご自分の追随者に平和を約束なさいました。(フィリピ 4:9。ローマ 16:20。イザヤ 9:6。ヨハネ 14:27; 16:33)基調をなす話の話し手は,エホバの証人の享受している平和が,外部の状況に左右されないという点で特異なものであることを説明しました。それは,わたしたちが権威に対する敬意を抱いていることによるのです。世に平和がない理由はそこにあります。つまり,世は最高の権威を有しておられるエホバ神に対する敬意を抱いていないからです。イザヤの記した次の言葉は至言です。「ああ,あなたがわたしのおきてに実際に注意を払いさえすれば! そうすれば,あなたの平安は川のように……なるであろうに」― イザヤ 48:18。

神の平和をいっそう十分に享受するうえで役立つ提案の一つは,業を続行するために各集会から助言の実際的な点を一つずつ学び取る努力をするようにということでした。この講演では,平和を作り出す者となるには平和を好むだけでは十分でないということが説明されました。わたしたちは平和のために進んで譲歩し,平和のために努力しなければなりません。

平和の良いたよりの装備をはいた足

わたしたちの伝える音信を「平和の良いたより」とはよく言ったものです。(エフェソス 6:15)わたしたちはこの平和の良いたよりを他の人々に知らせる方法に関して優れた助言をたくさんいただきました。宣教に関係した3部から成るシンポジウムは,その目的を果たす面でたいへん助けになりました。最初の話し手は,家から家を訪れて行なう宣教がエホバの証人のトレードマークとなったことを話しました。この宣教は楽な業ではありませんから,わたしたちは宣教に携わることによって神と人とに対する愛を実証します。本当に効果的に行なうには,良心的であると同時に機知を働かせ,正確な記録を保ち,すべての人に伝えることができるよう異なった時間に訪問するようにしなければなりません。

2番目の話し手は,弟子を作るには関心のある人々を続けて訪問し,しかも積極的な態度でそうしなければならないという点を説明しました。自分が訪問する人々に個人的な関心を持ち,最初の訪問で,家の人が関心を示す事柄に注意を払うことが大切です。そして訪問する度に家の人が必ず何か新しい事柄を学ぶようにします。

3番目の話し手が指摘したのは,見解を知る質問をして聖書研究生の心を動かすなら,エホバの証人になるようその人を助けることになるということでした。わたしたちは研究生を神の組織に導き,集会に出席できるよう助け,研究以外の時にも訪問し,また自分の家に招くことさえして,研究生に純粋の関心を示したいと思います。聖書研究の数はこれまでの35年間を見ると10倍に増加しています。

このシンポジウムに続いて,平和の良いたよりを伝えるには,可能な所ではどこでもどんな状況のもとでも,熱意を表わす必要のあることが強調されました。老齢は障害ではありません。幼い子供たちも90歳を超えている人たちも宣べ伝える業を続けています。全盲の人でも開拓者すなわち全時間伝道者になっています。耳の聞こえない開拓者もいれば,車いすから離れることのできない体で開拓奉仕をしている人もいます。ある開拓者の夫婦は6人の幼い子供を抱えていますが,子供たちを連れて野外奉仕を行なっています。

「全時間奉仕にあずかることにより,最善を尽くしなさい」という勧めは非常に適切でした。全時間奉仕は最も満足のゆく,最も報いの多い生き方です。開拓奉仕を始めた人たちは全時間奉仕を続けるために最善を尽くすよう勧められました。

前回の大会の時と同じように,わたしたちは長年良いたよりを宣明してきた人たちの経験を聞きました。その中には30年ないし70年の長きにわたって奉仕してきた人もいました。その人たちは良いたよりを宣べ伝える際の喜びについて語りました。その人たちがどのように障害を克服して宣教を続けてきたか,それを聞くのは本当に励みになりました。例えば,ある兄弟は1か月も休まずに43年間野外宣教にあずかってきたのです。

家族の成員に対する助言

この邪悪な事物の体制下ではクリスチャン家族に脅威となるものがあるゆえに,家族の成員に対する優れた助言が大いに必要とされていました。若い人たちに対しては,「霊的に進歩していますか」という問いかけがなされました。今日,多くの若者は開拓者またベテル奉仕者として全時間奉仕をしています。しかし,さらに多くの若者がそれを行なえるでしょうか。霊的に進歩するとは,生活の中で神のご意志を第一にするという意味です。また,良い研究の習慣を保ち,会衆の活動や野外奉仕に定期的にあずかること,そしてもちろん年長の人たちとの良い関係を保つことをも意味しています。さらに,神の言葉が禁じている事柄には喜びを感じないという意味でもあります。

3部から成るもう一つのシンポジウムの第1部の主題は,「あなたの家庭は安らぎと平和の場所ですか」という心を探る質問になっていました。エホバの証人で王国の関心事を第一にしている人,神の霊の実を明らかに示している人を配偶者として選ぶことは,そのような家庭を築くための基礎となります。家庭を安らぎと平和の場所とするためには,夫は霊的な物事に率先し,妻を自分の体のように愛さなければなりません。妻は夫の支えになり,夫に対して深い敬意を抱くべきです。また,共に祈り,悪魔にすきを与えないようにすることも必要不可欠です。子供たちは従順で協力的であることにより,家庭を平和な安らぎの場所にするのに貢献できます。家族のきずなは,聖書や聖書文書を一緒に研究することによって強まります。―詩編 34:11。

次に行なわれた,「別居は結婚関係を平和にする道ですか」という講演はたいへん必要とされていた話でした。その答えはどのようなものだったでしょうか。別居は世の人のやり方かもしれませんが,エホバの証人の方法ではないということです。エホバの証人にとって別居は,苦しい結婚生活から逃れる楽な方法などではありません。夫婦は結ばれたままでいるようにというのが,結婚に関する神の助言の全体の趣旨です。別居をすれば必ずといっていいほど子供たちに有害な影響が及びますし,そのほかにも悪い実を結びます。率直に言えば,別居は夫婦の一方か双方が霊の実を表わしていないことを認める行為です。―ガラテア 5:22,23。

「未婚の人は自分が不完全だと思うべきですか」という講演を通して独身のクリスチャンに優れた助言が与えられました。独身者は決してそう思うべきではありません。宣教が生活の中心なのですから,わたしたちは独身であろうと結婚していようと完全であり得ます。実際,パウロが説明しているとおり,独身のクリスチャンはある意味で有利な立場にいます。彼らは満足するという精神を培うことにより,独身の賜物を楽しむことができ,その立場を最大限に活用できます。―コリント第一 7:32-34。

清い生活に関する,必要にかなった助言

この世の道徳の風潮はますます悪くなっており,その結果,エホバの証人でありながら悪い行ないをしたために戒めを受ける人や排斥される人さえ少なからず出ています。ですから,行ないの問題に関して率直な助言が与えられたのは時宜にかなっていました。神の平和を享受するには,常に行ないに気をつけていなければなりません。このことは例えば,「社交的な娯楽に潜むわなを避けなさい」という講演ではっきりと述べられました。パーティーはとても楽しいものかもしれませんが,注意していないとすぐに神権的な活動の妨げとなり,汚れた行ないにつながることになりかねません。不完全な人間の心は欺まん的で,不道徳をもてあそぶ機会をとらえようとしています。特に,大がかりなパーティーでは重大な危険が生じます。また,良くない音楽も同様に危険です。―コリント第一 15:33。

神の平和を享受し続けるためには,『この世の,死をもたらす「空気」を避ける』必要があります。わたしたちが呼吸する空気のように,世の利己的で不従順なこの霊はいたる所にあります。その講演では,死をもたらすこの空気を吸うと現われる九つの兆候について取り上げられましたが,その兆候の中には,不道徳をもてあそぶ,服装や身繕いが極端になる,飲食に節度を欠く,スポーツに夢中になる,人種的な誇りを抱く,などがありました。この空気を吸い続けるなら霊的に死んでしまいます。

この問題については,「あなたはあらゆる面で清さを保っていますか」という講演によっていっそう深く銘記させられました。いい加減な態度をとるなら,偽善者の罪を免れません。正しい良心を持つには,身体的,精神的,道徳的,霊的な清さを保たなければなりません。そのために,『悪を憎み』,「邪悪なことは憎悪し」なければなりません。これには,背教した組織を憎悪することも含まれます。―詩編 97:10。ローマ 12:9。

「エホバの懲らしめは平和な実を生み出す」という優れた講演はこれと関係があります。エホバは優れた訓練を施す方で,わたしたちを愛するがゆえに懲らしめてくださいます。懲らしめを必要としない人はいません。神のみ子でさえそうでした。(ヘブライ 5:8)懲らしめとは基本的には訓練を意味しており,必ずしも懲罰ではありません。ですから,神が様々な方法で与えてくださる懲らしめから益を受けるには,自分自身に正直でなければならず,また常に謙遜でなければなりません。

「互いに築き上げることを続けてゆきなさい」という講演は,話し方に関する優れた助言でした。わたしたちは無思慮な言葉,批判的な,あるいは不平を言うような話し方によってどんなに多くの害を及ぼすことでしょう。実際,舌は御しがたいものです。ですから「互いのことを悪く言うのはやめ」るべきであるという助言は時宜を得たものでした。(ヤコブ 4:11)兄弟愛を抱いていれば,注意深くなります。そして,何かを話す前に,「それは真実だろうか」,「それを話さねばならないだろうか」,「築き上げることになるだろうか」と自問するでしょう。

預言を取り上げる

講演は相次いで諭しと訓戒のために霊感による預言を取り上げました。例えば,「神の裁き ― 世にとって人気のないもの」という講演では,わたしたちのなすべき業は,楽園についての良いたよりを伝えるだけでなく,エレミヤのように,来たるべき神の裁きについても宣明することであるという点が強調されました。(エレミヤ 6,7章)エレミヤは当時の宗教指導者たちの偽りの教えや不正行為を大胆に暴露しましたが,わたしたちもそうするようにと言われています。

「試みられ,ふるい分けられる時」という講演は,マラキ 3章1節から3節が現代にどう当てはまるかを明らかにするものでした。確かに,エホバの民は偽りのバビロン的な教理や慣行を除かれ清められてきました。神権秩序が設けられたことと家から家への宣教の重要性が認識されたことなどの点が他の点と共に明確に述べられました。

ダニエル書の11章と12章を扱った優れた講演もありました。その講演は,「封印を解かれた神聖な奥義は,平和の確かな希望を与える」という主題でした。北の王と南の王の対立のために世界は引き続き不安な状態にあります。ダニエルの預言を調べると,これらの王たちの対立関係は決して解消されないことが理解できます。永続する平和をもたらすことができるのはミカエルだけです。

霊感による預言を取り上げたもう一つの講演は,「『平和の君』のもとで得られる世界的な安全」という題の講演でした。これはイザヤ 9章6,7節とそれらの節の背景に関するもので,その預言がいかによくイエスに当てはまるものであったかが説明されました。講演者は話の結論の部分で,ミカエルは『ご自分の輝かしい生涯をハルマゲドンにおけるこの勝利をもって飾ることになり,その勝利はとこしえに色あせず輝き続けることでしょう。それでは,エホバの証人の皆さん,神とその統治しておられる王なる「平和の君」に対する全き信頼を抱いて,かつてなかったほど一層世界的に際立った存在となって,前進してください! 現在の世界的な陰謀に対して決して恐れを抱いていないことを示してください。……皆さんすべてが,しるしと奇跡となる方を支持して,エホバの誉れとなりますように』と述べました。本当にこれはこの大会の講演の中でも特に鼓舞される話でした。

指導の任に当たっている人たちに感謝する

「平和の関心事に仕える監督たち」という主題の2部から成るシンポジウムによって,わたしたちは指導の任に当たっている人たちに感謝するよう実際に助けられました。最初の話し手は,旅行する監督たちの役割について述べ,彼らはその多くの務めゆえに2倍の誉れに値するということを説明しました。その務めの中には,講演を行ない,問題を抱えている人に援助を差し伸べ,証しの業で兄弟たちを訓練し,身体的あるいは霊的に病気の人を訪問することなどが含まれています。確かに,旅行する監督は皆,わたしたちから十分な協力を得,ルデアのしたようなもてなしを受けるに値する人たちです。―使徒 16:15。

2番目の話し手は,長老たちの務めと会衆内で平和を促進するその役割をはっきり説明しました。長老たちは,集会の準備をして司会し,牧羊の訪問を行ない,審理問題を扱い,野外奉仕に率先し,振る舞いや家族生活の点でりっぱな模範を示すことなどによって,その務めや役割を果たせます。言うまでもなく,わたしたちは皆,ヘブライ 13章17節の助言のとおり,柔順でよく従うことにより,任命された長老たちに感謝を示したいと思うはずです。

「とらえようと努め,りっぱな立場を得る」という講演は,エホバの証人が大きな増加をみていることから長老の資格をとらえる必要のあることを痛感させる講演でした。その講演を通して,献身した兄弟たちで長老となっていない人すべてに,どうすれば一層大きな特権をとらえられるかが説明されました。とりわけ,資格はあるものの一層十分に仕える必要を理解していなかった人たちは,「なぜ自分はしりごみしているのだろう」と自問するよう促されました。

その他の霊的なごちそう

「あなたはエホバの霊的備えに満足していますか」という講演は大変感謝されました。神が設けてくださった霊的な備えに感謝した者たちと感謝しなかった者たちの聖書中の実例が挙げられました。わたしたちは霊的な必要を意識すればそれだけエホバの備えに満足し,またその満足感を表わすはずです。どのようにでしょうか。個人的な聖書研究のための時間を買い取ること,また集会中にそこから最大限の益を得られるよう自己訓練をすることによってです。

わたしたちの霊性にとってもう一つの挑戦とも言える事柄が,「あなたの祈りはどれほど意味深いものですか」という講演の中で述べられました。自分の祈りは繰り返しの多い,型にはまったものになっているだろうか,あるいは,忙しすぎて神との対話は十分に行なえないかのように祈りを急いで終わらせているだろうか,と自問してみるよう提案されました。わたしたちは祈りによって宇宙で最も偉大な方に近づきます。祈りが意味深いものとなるためには,自分にとって神は真に現実の存在でなければなりません。祈りは心のこもった,具体的なものでなければならず,よく考えておく必要があります。

「献身とバプテスマを通して神との平和を得る」という主題によるバプテスマの話もすばらしいものでした。バプテスマは極めて厳粛な時であると同時に非常に喜ばしい時でもあることが示されました。わたしたちはバプテスマを受けることによって神との平和を得,エホバの証人という叙任された奉仕者となります。献身は単なる公約ではありません。というのは,わたしたちは同時に多くの公約をし,またそれらを履行することができるからです。ですから,献身するということはむしろ,神たる方,エホバ神に対し自分を全くささげるという意味です。

大会のプログラムの中で一番人気のあったものの中に二つの聖書劇がありました。「飢きんの時に命を保つ」と題する劇は,ヨセフとその兄弟たちに関する感動的な物語を扱ったもので,多くの涙を誘いました。ヨセフの寛大で寛容な精神は,わたしたちすべてが見倣うべきりっぱな手本です。その物語には預言的な意味も含まれています。「生き残るために神の義を求めなさい」と題する2番目の劇により,わたしたちのうちの若い人の抱える問題に関し,強力で効果的な助言が与えられました。その劇では,自分の行ないに気をつけ,王国の関心事を第一にする必要,また他の人の動機を性急に裁いてはならないという点が強調されました。

「神が語られる時 ― ついに実現する平和!」という主題の公開講演は,まさに大会のテーマと一致していました。最初に,核兵器を備蓄していること自体の愚かさと人間的な観点から見た世界の絶望状態とが暴露されました。神の王国だけが真の希望を差し伸べます。神が語られる時に耳を傾けるとはどういう意味でしょうか。それは,神の言われることを注意深く聴き,理解するということだけでなく,神の言われることについて何かを行なうという意味です。そうすれば,「平和だ,安全だ」という欺きの叫びにだまされることはないでしょう。

大会に出席した人は皆,「そのご意志を行なうよう,平和の神によって備えられる」という結びの話を聞いた後,四日間楽しんだ霊的な宴のすべてを心に楽しく感じながら家路につきました。確かに,この大会のおかげで,神のご意志を行なうためにこれまでになくよい備えができました。では,「何を行なう全き決意を抱いて前進しましょうか。わたしたちの神の平和とそれがわたしたちに意味するすべての事柄をほんとうに認識しつつ,王国を宣べ伝えるという壮大な業において前進しましょう!」

米国では65か所の異なった会場で11の言語によって135の大会が開かれました。出席者最高数は127万6,578人で,バプテスマを受けた人は1万2,603人でした。ニューヨーク市のヤンキー野球場で開かれた三つの大会には最高9万5,091人が出席し,1,110人がバプテスマを受けました。

[30ページの囲み記事]

「神の平和」大会で発表された出版物

最初に発表されたのは,「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」という小冊子の改訂版でした。それは「すべてのものを新しくする」という主題の講演の終わりに発表されました。こんどは大きな文字で印刷され,追加の情報も含められた4色刷りのブロシュアーになっています。このブロシュアーは家庭聖書研究を始めるのに理想的と言えます。

「世界中で一致して神のご意志を行なうエホバの証人」。これは雑誌サイズの4色刷りのブロシュアーで,2番目に発表されました。このブロシュアーは,他の人にエホバの証人の種々の活動をよく知ってもらうための優れた資料で,エホバの証人の歴史に関して多くの情報を提供しています。

3番目に発表されたのは,初めから会衆の書籍研究で用いることを意図した,聖書研究用の192ページの手引き書でした。それは,「『平和の君』のもとで得られる世界的な安全」という表題の本です。

「王国の調べ」第7巻は4番目に発表されましたが,その調べの一部が放送されたとき,大会出席者はみな喜びました。

結びの話に耳を傾けていた時,「ものみの塔出版物索引 1930-1985」(英文)が9月1日から入手できるようになることを知って,みんな大喜びしました。熱心な聖書研究生にとってなんという祝福でしょう!

[31ページの図版]

1. 米国における韓国語の大会で演じられた劇の,ヨセフが兄弟たちに売り飛ばされる場面

2. 大会に出席した聴衆に話をする,ものみの塔協会の会長,F・W・フランズ

3. ニューヨーク市のヤンキー野球場で話に耳を傾ける聴衆の一部

4. 幾千人もの人々がエホバ神に対する献身の象徴としてバプテスマを受けた

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