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    ものみの塔 1954 | 11月15日
    • の持つ強くて屈しない忠実に多く驚いています。ある人は,ヱホバの証者について次のように書き,その驚きを表しました。

      21 『初めてヱホバの証者を研究し始めた時,幸運なことにアメリカの民事自由組合の一顧問から素晴らしい援助をうけることができた。その調査についての紹介の言葉として,その顧問は実際にこう言つたのである「その宗教的な確信のために,本当によろこんで死のうとする人を恐らく見たことはないであろう。事柄を行うときの我々のごまかしの仕方とか,また絶体の必然を取り扱うことなどがないように見える我々の心意からして,我々現代人は,人間の生命を与えるべき程のものは何もないと考える。しかし,証者たちと会うとき,その宗教的な信仰のためによろこんで迫害をうけ,そして殺されることをも辞さない人々と,恐らくは初めて会うことになる。」そのとき,私はそのことを十分に信じなかつたが,いまでは信じている。』この世は,ヱホバの証者の忠実になぜそんなにも驚いていますか? この世の人々は,なぜ曖昧な希望や,『絶対の必然を決して取り扱うことなどがないように見える心意』を持つのですか? なぜならば,この世は『希望を与える神』ヱホバを知らないからです。

      22 (イ)残れる者と『他の羊』の期待を述べなさい。(ロ)ハルマゲドン前に死が生じようと,希望は生残者たちにとつて,どのように力となりますか?

      22 ヱホバの御旨にしたがつて,油注がれた残れる者はハルマゲドンの後でもある期間のあいだ地上で奉仕し,そして他の羊は,ハルマゲドンでこの組織制度の終る時から,さらに新しい世で永遠の時にわたつて,ずつと死ぬことがなくヱホバに奉仕すると期待されております。しかし,ハルマゲドン前でも自然の原因やまたは忠実を守るために,死が生ずるでしよう。忠実な残れる者たちにとつて,死は天的の希望を直に得ることを意味します。他の羊にとつて,死は「生命のよみがえりに」出てくるまでの短い眠りを意味します。(ヨハネ 5:29,新世)どちらの場合にしても,よみがえりの希望の力は,この世によくある悲しみや,またヒステリーのような悲哀というものをなくしてしまいます。『兄弟たちよ,死んで眠つている者たちについて無知ではないようにと願う。それは,希望のない他の人々のように,あなた方が悲しまないためである。』(テサロニケ前 4:13,新世)それで,霊的な残れる者の善意者の仲間である『大いなる群集』は,ハルマゲドンの戦争を死ぬことなく生き抜けようと,またはハルマゲドンの後に死からよみがえされようと,完全な人間として神の完全な像と状に達するという約束を固く希望いたします。

      23 希望は是非必要なものですか? 説明しなさい。

      23 神の言葉の正確な知識を得,そして過去と現在における神と神の御業を十分知ることにより,信仰の上に正しく基礎づけられる希望は,本当に力であります! 希望は,生命の与え主,ヱホバに対する私たちの愛を富まします。希望は,苦しみの時に慰めを与えます。希望は,『人々が地上に来らんとする事柄を心配し予期するために気を失う』ときに,心の平和を与えます。(ルカ 21:26,新世)希望は,私たちに強くすすめて忠実を保たせます。希望は私たちの究極の救いをもたらすものです。『私たちはこの希望で救われた。』希望は是非必要なものです。私たちは,希望なしで,生活することはできません。もし生活できるならば,パウロはクリスチャンにとつて必要なものを基礎的な二つのもの,すなわち信仰と愛に減じたことでしよう。しかし,だめです! パウロは希望もまた欠くことのできない必要なものであると知つていました。『信仰・希望・愛・この三つが残る。』(コリント前 13:13,新世)使徒は信仰をひきのばして,希望の内容を信仰の中に含ませようとはしなかつたのです。使徒は,忍耐の試験が将来にあると知つており,希望は私たちをして忍耐せしめることのできる強い力であつて,『見えるものではなくして,見えないものに目を注がせる』ものであると知つていました。―コリント後 4:18,新世。

  • 希望による忍耐
    ものみの塔 1954 | 11月15日
    • 希望による忍耐

      『前にある希望をいだいて大いによろこびなさい。患難の下にあつても忍耐し祈りのうちに耐えなさい』― ロマ 12:12,新世。

      1 どんな気持を持つことによつて円熟したクリスチャンは未熟な伝道者と違うのですか? それで,希望の力から誰が利益を十分に得ますか?

      円熟したクリスチャンは前を見ます。円熟したクリスチャンは,現在の世の組織制度の先きを見,ヱホバの御意を行おうと努め,そしてその心は新しい世の生活に適応しております。円熟していないクリスチャンは,この世の組織制度の中で興味を感ずるものを多く見ます。そのようなクリスチャンは,まだ自分勝手な我儘の道を欲します。その心は,自分自身の利害に適応しています。永遠の生命

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