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先生としての経験ものみの塔 1954 | 9月15日
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も経験によつて学びました。彼は,経験によつてその智識をえましたが,そのために新しい世にあつての生命の機会を失うことになりました。すべてのことを経験してから,そしてそれからその価値をきめようということは,必要なことでなければ,またかしこいことではありません。罪とはなんであるか自分の身でもつて知ろうとおもつて,罪にふけることは,まつたくいちばんおろかなことです。
ノアの時代のときの嘲笑者たちは,ただ経験によつてのみ学ぼうと欲しました。ノアを通してつたえられた神のおとづれは,良いものではありませんでした。彼らは,自分たちのいのちという価をはらつて,教えをうけました。経験は,いちばん悪い先生でした。イスラエルは神のいましめを無視して,おろかにもその敵のひどい攻撃や圧迫をうけるようになりました。それはみな,イスラエルが神の教えにしたがわうとはしなかつたからです。イスラエルは,くりかえし同じまちがいをして,ひじようにつらい時を経験しました。それでついに,イスラエルは国家としてくつがえされました。経験は,イスラエルに永続する利益を教えませんでした。
いまのクリスチャンは,にかよつたまちがいをして,気持の良くない経験をいたします。しかし,もし高ぶらずに,かしこいものであるならば,ヱホバからの愛あるこらしめから益をうるでしよう。私たちを教えるのは,これらのむずかしい経験ではありません。私たちを教えて,正義に訓練するものは,ヱホバのこらしめであり,ヱホバのいましめです。
現在の世界は良くない生徒?
今日の世界は,経験はいちばん良い先生であると誇るかもしれませんが,もしそうならば,世界はひじようにできの悪い生徒です。世界の人々は,いままで幾千年という年のあいだ,罪を経験しましたが,その罪を避けることを学んではいません。不道徳や,冒瀆を経験してきましたが,彼らはますますそのようなことに深くはいつて,悪い習慣にこりかたまり,現在では終りの日について予言されているとおりの堕落した状態になつています。この古い世は,いくたびもいくたびも流血の戦争や,憎むべき犯罪をくりかえしています。汚い歴史は,各時代ごとにくりかえされています。しかし,この経験から世界はなにも学んではいません。この世紀にあつては,二つの無益な世界大戦がおこなわれ,そして第三次世界大戦にそなえているほどです。世界は,経験こそいちばん良い先生ですと言いますが,泥地にもどる豚のごとく,またその吐いたものにころがる犬のように,この世界は経験からなにも学んではいません。ハルマゲドンのときに,その『いちばん良い先生』は,世界のいちばん悪い経験,すなわち死をもたらすでしよう。
しかし,神にたいして善意の心をもつ人々は,道徳をよく知るために故意に罪を経験することは必要であるとか,いのちの価値を知るために死ぬことは必要で,またヱホバは力を持つておられるというのを確信するために,ハルマゲドンで彼らにたいして示されるヱホバの力を感ずることはひつようであるなどとは信じません。彼らは,いちばんよい先生として,ヱホバ神とキリスト,イエスにたよりもとめます。私たちは,ヱホバ神とキリスト,イエスの果てしない智恵と知識を必要とします。サタンのワナをさけて行くのには,いちばん良い先生の教えはひつようです。神とキリストは,そのようないちばん良い先生です。聖書は,その教科書です。聖書を研究しなさい。聖書の教えにしたがい,そして生きなさい。
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台湾からの報告ものみの塔 1954 | 9月15日
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台湾からの報告
(1954年度のヱホバの証者の年鑑より)
ここ17年の間,ヱホバの聖霊はアミ種族の谿谷で非常に強く活動して居ります。この17年の間中,初めて真理の側に立つた兄弟達は迫害を受けましたが,忠実を保ち続けました。それでその兄弟達はすべての人々から関心を持たれ,見られて居ました。日本人からの辛い迫害に対しても,また後には中国人からの迫害に対しても,これらの兄弟達はひるむことがありませんでしたので,アミ種族谿谷自体が刺激を受けて奮起し,研究し,今ではヱホバの証者は正しいということを幾千という人は確信して居る程です。政府は,ヱホバの証者を禁止し,抑止しようと努めました。しかし,真理を抑止することは出来ません。真理は,迸り広まらねばなりません! この17年の長い年月の間中待つていた増加は,組織された御国の奉仕の中にあつて,急速に始まり進歩しつつあります。
全世界のすべての場所と同じく,台湾に於ても家から家への奉仕は,その中心の活動です。しかし,研究をする時には,口頭の方法でしなければなりません。大部分の人々は読むことが出来ません。それにしても,台湾の政府は協会の文書を許可せず,台湾に入ることを禁止して居る次第です。それで,伝道する際には
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