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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1961
塔61 3/1 147ページ

「卑しむべき者」

ローマの歴史家スエトニウスは,12人のカイザルの歴史を書きました。スエトニウスは,ローマ騎士の息子であったので,最悪のカイザルについての資料を目撃者たちから多く得ることができました。彼自身もカイザルの支配下に30年くらい生活し,皇帝や元老院の記録保存所に出はいりすることができたのです。テベリオ・カイザルについてのスエトニウスの記述は興味あるものです。このテベリオ・カイザルはその悪い性質のゆえに「卑しむべき者」と聖書中に預言的に述べられています。(ダニエル 11:21,新口)スエトニウスは,「十二人のカイザル」(ロバート・グレイブズの英訳)という著作の中で,この卑しむべき者について次のように書いています,

「テベリオの持っていた残忍性と峻厳な性格のいくらかは,その少年時代のときでもはっきり表われていた。彼に修辞学を教えたガダレン人セオドラスは,最初の先生であったように見える。彼はテベリオを叱りつけたとき「血まみれの者」と彼を呼んだ。テベリオが皇帝になってのち,中庸という表看板をかがけて人の歓心を買おうと努力していたときでも,セオドラスの言葉が正しかったことにはすこしの疑いもない……

「将軍は,大反逆罪を調べるために法廷を開くべきであると,テベリオに上申した。テベリオは,法律の施行を命じ,極めて残虐な仕方でその法律を施行したのである。ひとりの男は,アウグストの像の頭を切り取ってそのかわりに別の頭をつけようとしたと,告訴された。この男の裁判は,元老院の前で行なわれたが,その証拠は矛盾反対するものであった。それでテベリオは,証人たちを拷問にかけて調べさせるようにした。その非行者は,死刑を宣告された。これは行き過ぎの告訴の前例になった。人々は……アウグストの像の近くで礼服を着変えるなら,アウグストの頭のついている指環や硬貨を便所や淫売屋に持ちこむなら,あるいはアウグストの語ったことや行なったことについて批判するなら,処刑された。最高潮はこうだ。ひとりの男は,名誉がアウグストに投票されたと同じ日に,自分の住む町会から名誉を受けるようにしたため処刑された。

「彼がカプリに来て数日後ひとりの漁師はとつぜんひとりだけでいた彼のところにはいってきて,大きなボラ1匹を献上した。この漁師は島のうしろにある人跡未踏のがけのところでこのボラを釣りあげたのだ。テベリオは非常におそれ,護衛兵にボラで漁師の顔をこすれと命じた。ウロコは漁師の顔の皮膚をひきむいた。そしてこの可愛想な男は苦悶のあまり,『お助けを! 私は捕えた大きなカニをカイザルに献上したのではありません』と叫んだ。テベリオは人をつかわしてそのカニを持ってこさせボラのときと同じようにそのカニで彼の顔をこすらせた。……

「程なくしてテベリオはあらゆる種類の残忍な行為をはじめ,犠牲者が足らないということは一度もなかった。犠牲者は,最初彼の母親の友人や,懇意でない知合たちで……ついにはセジャナス〔プラエトリアン護衛隊の司令官。彼も処刑された〕の犠牲者たちであった。セジャナスを処刑してからは,テベリオの残虐さは度を加えたのである。それで,セジャナスがテベリオをたきつけて,非行をさせたというある人々の考えはまちがいであることが分かる。セジャナスは,テベリオの要求する機会を準備したにすぎない……

テベリオの残忍な行為の詳細なリストをつくるには長時間を要するであろう。私は二,三の例だけで満足することにする。たとえ聖日であろうとも,処刑のない日は1日もなかった。……男性の犠牲者の多くは告訴されて,その子供たちとともどもに罰せられた ― ある者たちは,実際に自分の子供たちによって罰せられたのである ― そして,親族の者たちが嘆き悲しむことは禁ぜられた。特別な御ほうびが,彼らを告訴する通報者たちに与えられ,特定な場合には証人たちにも与えられた。通報者の言葉はいつでも信ぜられた………

処刑されてからの屍は,みな嘆きの階段に投げられ,かぎでもってテベル川までひっぱって行かれた ― 女や子供たちをふくめて1日に20人もいた。言伝えによると,処女を絞め殺すことは禁ぜられた。それで,少女の絞殺が宣告されと,刑執行者たちは少女を凌辱してから絞殺した。………人々は,カプリのがけの頂上にある場所を今でも示す。テベリオはそこに立って,犠牲者たちが海に投げこまれるのを見ていた……

「たくさんの証拠は現存している。それらは,テベリオに対する憎しみだけでなく,彼自身が恐怖のうちに生活したこと,および彼に対する侮べつを示す。……彼が死んだという最初の知らせは,ローマ市民を大いによろこばせ,人々は『テベリオをテベル川に投げこめ』と叫びまわった。他の者たちは大地と地獄の神々に祈りをささげて,のろわれた者の中にテベリオを住まわせるよう願った」。

ほんとうにテベリオ・カイザルは卑しむべき者だったのです。

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