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  • 『すべての国の民への証言』
    ものみの塔 1968 | 5月15日
    • の言うには,自分はこの宗教に全く興味を覚えないが,19になる娘が聖書のことを知りたがっているとのことでした。2人がそろって汽車を降りた時,姉妹は母親を迎えに来ていたその娘に招介され,かいつまんで聖書の話をしました。その少女の大きな関心を認めた姉妹は,彼女が自分の村のエホバの証人と会えるようにとりはからい,実のある研究が始められました。家庭の難しい問題が起こりましたが,彼女は1年間学んでバプテスマを受け,いまでは二つの家庭聖書研究を司会しています。「国々の宝」が神の組織に携えられてくるというエホバのお約束の成就を見ることは,大きな喜びです。

      東ドイツ

      東ドイツの伝道者の状態はほとんど変わっていません。1965年11月の全国的な手入れで逮捕された15人の兄弟のうち,最後の3人が1966年12月にハレ市で刑を宣告されました。13か月間にわたる拘留ののち,彼らが受けた刑はそれぞれ10年,8年,5年でした。当局は兄弟たちを罪に定める証拠を得ることに困難を覚えたようです。クリスチャンであり,信仰に生きたというだけの理由で,これら15人の兄弟たちに宣告された刑期は平均7年4か月になります。以前のように肉体的な拷問がなくなったのは事実ですが,時に甘言や見せかけの親しさを示して転向を促すことはあっても,なお非情な手段によって伝道者たちの信仰を砕こうとする当局の決意は,だれの目にも明らかとなりました。

      偶然の証言は伝道の大きな分野です。ある姉妹は,寄付箱を持って新教の教会の資金集めをしていた婦人から往来で寄付を求められました。その伝道者は,お互いに神に仕えることを望んでいる以上,このような寄付についての神のことばを一緒に調べ,神のみこころを知るべきではなかろうかと尋ねました。その結果,訪問の約束がとりきめられ,いまこの婦人はエホバのみこころを学ぶために聖書研究をすることを喜んでいます。

      昨年の春,ひとりの伝道者は,庭にたくさんのハッカを植えた家の前を通りかかりました。株をいくらか分けてもらうために家の人と話している時,家の人はいま教会で主の夕食に参列してきたところですと語りました。そこで姉妹は記念式について,またパンとぶどう酒にだれがあずかるかについて,家の人の聖書からしらべることをすすめました。以来,姉妹はこの婦人と家庭聖書研究をしておりその人は真理を見いだしたことを大変喜んでいます。彼女は夫,むすこ,そして孫に神のことばを教えはじめました。また友だちのひとりも彼女のすすめで聖書を研究しています。

      困難な事態の下で10年以上も開拓奉仕をつづけているひとりの人は,その間いつもエホバの豊かな祝福を味わったことを喜んでいます。30人以上の人をバプテスマにまで導いたこの開拓者は,次のように語っています。「これはエホバの助けと保護によってのみ可能でした。エホバはその敵を盲目にさせます。預言者マラキのことばによって,神は,『わたしを試み,わたしが天の窓を開いて,あふるる恵みを……注ぐか否かを見なさい』と言われます。そのことばどおり,神の祝福を日毎に感じます」。

      初めて訪問した家で2人の姉妹は女の人に招じ入れられ,椅子をすすめられました。しかし彼女は部屋から走り出て外からかぎをかけてしまったのです。女の人が秘密察警に電話をかけているのが,部屋の境のとびら越しに聞こえました。2人の姉妹は,エホバの助けと力を祈り求めました。すると,かぎをおろした戸が突然に開いたのです。学校から帰った少女がはいってきて,「ママはどこ?」と尋ねました。「ママはお隣りで電話をかけています」と,姉妹たちは答えました。「お待ちできませんから失礼しますと,伝えてください。ママによろしく。さようなら」。

  • 「バビロン」から離れ去る
    ものみの塔 1968 | 5月15日
    • 「バビロン」から離れ去る

      ● エホバのみことばは,バビロン的な教会の一部の指導者をさえ解放させ得るほど強力です。ある時,チリーのペンテコスト派の一指導者が,ものみの塔協会の一小冊子,「聖書の話の筋書」を借りました。そして初めて,今まで教えていた多くの事柄が聖書に反していることを知ったのです。その後,家に訪れたひとりの証人から,「失楽園から復楽園まで」と題する本と何冊かの小冊子を求めました。そして教会の次の集会では,聖書を自分で研究して学んだ事柄に基づき,「地獄」について教えはじめました。しかし,彼はそのために教会を追われました。そこで,御国会館の集会に出席し,またエホバの証人とともに定期的に研究しはじめ,その後まもなく,自分の学んでいる事を,そのペンテコスト派の教会で自分の後任になった人をも含めて友人や隣人に語るようになりました。そしてその後任者も,「エホバの家のめぐみに」満たされるには,教会から「離れ去」らねばならないということを悟るようになりました。―エホバの証人の1968年度年鑑より

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