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  • 「野獣」崇拝 ― 真のクリスチャンがそれを拒否する理由
    ものみの塔 1977 | 2月1日
    • に対する答えは簡単です。野獣にはそのような崇拝を受ける資格がないからです。求められている行為がいかにささいなことに見えても,クリスチャンがそのような崇拝とかかわり合いを持つなら,それは神とキリストに対して不忠節になっていることを意味します。真のクリスチャンはむしろ,命の与え主,およびそのみ子の王国に対して破ることのできない専念を示します。

  • 愛されたヨハネは愛について書く
    ものみの塔 1977 | 2月1日
    • 愛されたヨハネは愛について書く

      イエスご自身は,一個人として,『自分の畑にりっぱな種をまきました』。しかし,時がたつにつれて,そのキリスト教の小麦畑は雑草の畑のように見えてきました。(マタイ 13:24-43)圧制的なおおかみが群れの中に入ってきて,混乱を引き起こしていたのです。このことは使徒たちの活動 20章29,30節のパウロの言葉を思い起こさせます。そうです,使徒ヨハネは,西暦一世紀の終わりごろ,自分の周囲にすでに多くの反キリストが現われているのを見たのです。それは,地上の純粋なキリスト教の組織に関して言えば,当時が確かに「終わりの時」であったことを証明していました。―ヨハネ第一 2:18。

      それは,聖書を書くよう聖霊がキリストの弟子の一人に初めて霊感を与えた時から50年以上後のことでした。ヨハネは元々筆の立つ人ではなかったかもしれません。そして使徒たちの活動 4章13節に述べられている,無学な普通の人の一人であったヨハネが,マタイやマルコやルカがしたように,イエスの生涯に関する福音書を書くなど思いもよらなかったかもしれません。

      ところがイエス・キリストのための囚人としてパトモス島にいた際,ヨハネは啓示を書くよう特別な指示を受けました。こうして書くことを直接命じれたヨハネは大いに力付けられ,福音書と三通の手紙をも書くように促されたものと思われます。

      ヨハネがこれら三通の手紙の最初の手紙を書いた(手紙自体はそのように述べていないが)ことに疑問の余地はありません。ヨハネが筆者であることはごく初期の時代から認められてきました。そして内面的証拠は一層強力なものです。聞き慣れた声を電話で聞くとき,「どなたですか」と尋ねる必要はありません。それと同じことがヨハネの第一の手紙に関しても言えます。わたしたちはヨハネの福音書に精通していればそれだけ,この手紙の中でもヨハネが筆者であることを感じ取れます。そしてこのことは,構文や語いなどヨハネが用いた文体と,その主題の両方についても言えることです。例えば,イエスを指して「ことば」という語を用いているのは,ヨハネの記述だけです。―ヨハネ 1:1。ヨハネ第一 1:1。啓示 19:13。

      ヨハネはその最初の手紙をいつ書いたのでしょうか。ヨハネは多くの反対者や反キリストが起こったことについて述べていますから,その時期はかなり後期のことであったに違いありません。この手紙を啓示と比較してみることは,手紙が書かれた時期を知る上で助けとなります。ヨハネが啓示の書を西暦96年ごろに書いたとするかなりの

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