人々が自分の教会に関して語っている事柄
キリスト教世界の諸教会に見られる混乱ぶりは,盛んに世のニュースをにぎわすようになりました。教会の問題点をさらけ出している,意見の分裂にあなたもきっと気づいておられることでしょう。司祭は,自分たちより上位の僧職者を激しく攻撃します。教会の教えの正否ならびに,長年施されてきた教会の方策の妥当性に対して,公然と異議が唱えられています。毎月,地位の上下にかかわりなく,多数の僧職者と,多くの修道女が,教会の職を離れています。神学校の報告によると,志願者の数は減少する一方です。
そうした混乱の結果,教会の影響力は大幅に弱体化されました。多くの場所で,教会の出席者数は減少の一途をたどっています。財政面での支持も,極端に低下しました。多くの教会,また教会の運営する学校や大学は,閉鎖せざるをえなくなっています。教会のこうした実情を前にして,教会出席者は非常に困惑しています。特に,ローマ・カトリック教徒の多くは,教会に起こっている事柄を見て,驚がくしています。そして,人々は,この事態について意見を述べています。どんなことを語っているのでしょうか。
変革のもたらす混乱
エホバの証人は,この問題に解答を与えうる立場にあります。なぜなら,聖書の研究を勧めるために,人々の家庭を定期的に訪問し,人々が教会に関して話していることを聞く絶好の機会を持っているからです。証人の報告によれば,多くの人々が教会の実情にどれほど動揺させられているかがわかります。
たとえば,カナダのニューファンドランドでは,教会内で起こっている数々の変化に関して,カトリック教徒は,自分の意見をはばからずに公にしています。中には,こう言う人もいました。「教会内の変革には全く混乱させられます。もう,何を信じてよいのかわからなくなりました」。
ニューヨーク市に住む,ひとりのスペイン人のカトリック教徒は,みじめな気持ちで次のように話しました。「わたしは自分の教会のことで,すっかり混乱させられました。はじめから学び直すには年を取りすぎています。どうしたらよいでしょう」。この誠実な人が聖書を学べるよう,エホバの証人が親切に援助を申し出たところ,それは受け入れられ,無償の聖書研究がその人の家で始まりました。
その理由に関する意見
人々の家庭で話し合う際,多くの人は,教会で見られる問題の理由に関して,自分の意見を述べる,とエホバの証人は報告しています。
福音教会に出席している,ある夫婦の意見は次のとおりです。「わたしたちの教会がこれほど混乱している理由は,各人が自己流に聖書を解釈したがることです」。
ニューヨークのあるユダヤ教徒の婦人は,ユダヤ教界における多くの混乱を説明し,「わたしたちには,けんそんさが不足しています」と自分の考えを述べました。
年輩の,ある男のカトリック教徒は,教会の変革を非常に憂えていることを認めて次のように語りました。『それは,教会に弱点があることを明らかにしています。わたしに取って,教会は死んだも同然です』。
「多くの混乱は,今の教皇のせいだと思います」とニューヨーク市に住んでいるひとりの若い婦人は語りました。「教皇は,聖人の中の非常に多くの者を取り去ってしまい,なにもかも変えてしまいました。そのため,わたしはもう何を信じてよいのか,全然わかりません。なにがなんだかわからなくなったため,毎週,精神病の医師にみてもらっているほどです。他の宗派の教えを調べています。このすべての事態に対する解答がきっとあるはずですから」。
教会の実情に対する人々の反応
教会の最近の実情に対する,人々のさまざまな反応に注目するのは興味深いことです。エホバの証人が現在経験していることですが,かつて教会や聖書について話したがらなかった多くの人々が,今では自分から進んで意見を述べるようになっています。
金曜日に肉を食べることに関して尋ねられた,年輩のある男のイタリア人は,こう答えました。「教皇がなんと言おうと,わたしの知ったことではありません。わたしは従来どおりの規定を守ります」。
こうした態度とは別の態度を,ニューヨーク市のブロンクスの,ある家の戸をたたいたエホバの証人は目撃しました。60代の男の人が戸をあけましたが,そのエホバの証人は,家の壁にかかっている,聖水用のさかずきに注目せざるをえませんでした。明らかに,そのさかずきは別の新しい用途に使われていたのです。その中は,たばこの吸いがらでいっぱいでした。
あるスペイン人のカトリック教徒は,こう述べました。「わたしの家にある像を取りはずそうと思います。わたしには真理がないことを知っているからです」。さらに,別の婦人は語りました。「わたしはカトリック教徒ですが,教会には二度と再び出席しません」。なぜですか。『教会は政治と深いかかりあいを持っているからです』。
エホバの証人が尋ねた人々のたいていの者が,教会のことなどなんとでもなれ,というようなことを言う区域さえありました。驚かれるかたがあるかもしれませんが,彼らは,教会が早くなくなってしまえばよいとも言っています。
金を集める方法に嫌悪をいだく
教会に対して,最もひんぱんに述べられる不平は,お金に対する,飽くなき追求に関連したものでしょう。多くの人は,このことにいや気を催しており,飽き飽きしています。
ひとりの婦人のルーテル教徒は,教会は一種の大事業であると語りました。監督派教会の,ある年輩の会員は,こう不平を述べました。「わたしの教会では,お金のことが強調されすぎてます。教会の前に,教会名のサインを掲げる代わりに,“寄付”と書いた大きなサインを置いたほうがよいと,司祭に話しました」。
ある主婦は,教会のカレンダーを指さしながら,それに類した物を毎月受け取り,かつ,それに対して寄付を迫られる,と説明しました。そして,こう付け加えました。「ブック(本)・クラブではなくて,バック(ドル札)・クラブに所属しているようです」。
プエルトリコのある婦人が,最近アメリカに移りました。そして,さっそく教会に出席することにしましたが,教会に着いてみると,そこではビンゴ・ゲームの最中でした。次に出席した時,司祭は,立候補しているある政治家に投票するよう会衆に語ったほか,教会に対する寄付を要請しました。次いで,さらに寄付金を募るため,教会の地下室でパーティーが開かれるという発表がありました。重たい心臓をかかえながら,それでも,忠節心からその婦人はパーティーに行きました。しかし,途中で去り,それ以後,教会には出席していません。今では,彼女もその夫も,エホバの証人の差し伸べる援助を受けて,聖書の中に示されている真理を学んでいます。
これと同様の,家庭における無償の聖書研究は,あなたにもご利用いただけます。そうすれば,次のような質問に対して,満足のゆく答えを得ることができます。死んだ人はどこにいますか。神はなぜ今日まで悪を許してこられましたか。将来に対する希望はありますか。この無償の奉仕を利用したいとお考えなら,お近くのエホバの証人に連絡するか,本誌の発行者あてに手紙を書いてください。