王国の業に魂をこめる
1 仕事はほんとうに賜物です。価値に疑問のあるような賜物ではなく,その価値を実証されている賜物です。ほどよい身体労働が身心両面に多様な益をもたらすことはよく知られています。普通の仕事についてこれが言えるなら,永久に続く結果をも生み出す王国の業についてはなおのこと言えるでしょう。ここに,ひときわ優れた賜物があるのです。
2 そうです,宇宙の主権者に献身した者となり,その割当てを受けて良いたよりを宣べ伝えて弟子を作る最終的な業に加われることはなんという特権ではありませんか。(マタイ 24:14; 28:19,20)この業こそ,わたしたちが魂をこめて携わるべきものです。(コロサイ 3:23)そうした業によって,わたしたちは自分のために天に宝を蓄えるのであり,また,他の人の益となるという面でもこれに勝る業がどこにあるでしょうか。
3 1月から4月までの4か月の間,わたしたちは「ものみの塔」の予約をすすめる業に携わります。1月には幾つかの特別号があり,これらは人々の関心を高めるうえで特に価値あるものとなるでしょう。
4 「ものみの塔」の予約を得,あるいはたとえ一冊の雑誌を配布する場合でも,それによってどんな道が開けるでしょうか。西アフリカ,シエラ・レオネで働く宣教者の一姉妹はこう書いています。「ある土曜日,雑誌の業をしているさいに,普通の仕事から引退しているひとりの紳士に会い,その人はわたしの提供する雑誌を喜んで受け取りました」。彼女の手紙の結びの節はこう記しています。「彼は進歩して今ではすべての集会に出席するようになりました。彼の次の段階は野外宣教です。彼は最近,12月に開かれる地域大会でバプテスマを受けたいとの願いを表わしたからです」。雑誌をできるだけ多くの家庭の中に入れることは価値のある目標です。
5 あなたは街頭での雑誌の業に加わっていますか。オランダの一開拓者はこう述べています。「雑誌を手にしていつも駅のそばに立っていると,同じ人たちが仕事に通う様子を見ることができます。そうした人たちに家から家の業で会うことも珍しくありません。ある婦人は,わたしが駅のそばに立っているのを知っていると言いました。彼女はとても友好的で,二冊の雑誌を受け取りました。次の月曜日,雑誌を持って立っていると,彼女が近づいて来て,娘が聖書についてもっと知りたがっているので日曜日の朝家に寄ってもらえないだろうか,と言いました。……今その娘さんはよく進歩しています」。
6 あなたは他の人を幸せにすることに楽しみを持っていますか。では,一冊の「目ざめよ!」誌が,悲しみに沈んでいたある人にもたらした喜びについて考えてください。その女の人はジャマイカからこう書いています。「わたしが真理を探し求めることは,自分の姉妹が自動車事故で死んだ1971年6月に始まりました。初めてわたしは静かに座り,生きることやその意味について深く考えました。葬式はわたしになんの答えも与えてくれず。わたしは自分の失ったもののゆえに深い悲嘆にくれました。1972年6月のある土曜日,家に帰ったわたしは,戸を開けしなに何かの紙を踏みました。そこには,『目ざめよ!』誌と王国会館で次の日に開かれる集会への招待状がありました。『なぜ若い人たちまで死ななければならないのですか』という記事に,わたしは躍り上がるほどの喜びを感じました。わたしのすべての質問に対する答えがそこにあったのです。その晩,わたしは翌日の集会に出席するための洋服を整えました。日曜日はその『目ざめよ!』誌を読んだのちに休養を取り,午後6時にわたしの最初の集会に出席しました。ひとりの若い姉妹が家庭聖書研究を望まないだろうかと尋ね,わたしは喜んでそれに応じました。『真理』の本を終えてすぐ,わたしは1973年4月7日にバプテスマを受けました。今,わたしにとって,生きることはほんとうに意味と目的に富むものとなっています。そして,復活のさいわたしの姉妹に再び会うとの希望をいだいています」。あなたが1月に行なう雑誌や予約の業の幾らかがこうした喜ばしい結果を見るかもしれません。
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見いだせる間にエホバを探し求めるよう他の人を助ける