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目ざめよ! 1974
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神の勝利を待ち望む人びとの大会

世界はどこに向かっているのでしょうか。人類のかかえている山のような諸問題は解決できるでしょうか。世界じゅうの人びとがこうした事がらに関心を持っています。

しかし,一般の人びとがいだいている厭世観にもかかわらず,エホバの証人は確信を持って将来を望んでいます。エホバの証人が全世界で「神の勝利」国際大会を開催した理由はそこにあります。昨年の6月20日から24日にかけて,5日間にわたるこうした大会の最初のものがアメリカ,ミシガン州デトロイト市で行なわれました。その後の3か月間に,アメリカ,ヨーロッパ,およびアジアの39都市で開かれた大会に143万3,078人が出席しました。

143万3,078人とはなんと大ぜいの人びとなのでしょう! 中には,国全体の人口がこれに満たない国さえあります。これほど莫大な数の人がどこで集まったのでしょうか。

巨大な施設

北米の非常に大きな11の野球場を含む,利用できる最大規模の施設が使用されました。そして多くの場合,これらの会場は収容能力いっぱい ― あるいはそれを超えるほど ― の人びとで埋まりました。

たとえば,大会の公開講演のさいには,ニューヨークのヤンキー・スタジアムは7万9,256人の人びとでぎっしり埋まり,ヒューストンのアストロドーム(丸屋根スポーツ競技場)は6万158人の群衆であふれ,デトロイトのタイガー・スタジアムには5万2,349人の群衆が集まり,オークランド・アラメダ・スタジアムには5万2,390人が押し寄せ,アトランタ・スタジアムは4万9,684人の群衆でふくれあがり,フィラデルフィアのベテランズ・スタジアムは5万879人の人びとで満たされ,シカゴのホワイト・ソックス・パークには4万7,339人がつどい,カンザスシティーのロイヤルス・スタジアムでは3万8,225人が集まり合い,ピッツバーグのスリー・リバーズ・スタジアムでは4万4,564人が話に耳を傾け,モントリオール万国博の会場ジャリ・パークには2万8,007人が集まりました。また,ロサンゼルスのドジャー・スタジアムで週をたがえて開かれた2つの大会の最終日の出席者の合計は,4万3,720人と5万4,381人にもなりました。

しかしここにあげた会場は,使用された巨大な施設のほんの一部にすぎません。大きなホールや広々とした競馬場も用いられました。ヨーロッパやアジアでも同様の場所が利用されました。その中には,昨年の夏にオリンピックの開かれたドイツのミュンヘンの競技場も含まれていました。これらの大会の後数か月にわたって,中南米,南太平洋,およびアフリカの諸都市でも引き続き「神の勝利」国際大会が開かれました。

1973年8月2日付のグラスゴー・ヘラルド紙は「神の勝利」と題する大会の主題について解説を加えこう報じました。「昨日,約3万人の喜びにあふれた人びとがエジンバラのマーリフィールド・スタジアムに集まり,勝利を祝った。……彼らにこうした喜びを与えている勝利は,イングランドに対するスコットランドの勝利のような浅薄なものではない」。それでは,エホバの証人が待ち望んでいる勝利とはいったいどんな勝利でしょうか。

全人類に影響を及ぼす勝利

1973年7日27日付のモントリオールの新聞,ラ・プレスは社説の中でこう述べました。「彼らは地上の諸政府に取って代わる神の政府を待ち望んでいる」。また,ベルギーの雑誌チャックは1973年8月19日号の中で,ブリュッセルで開かれた大会について報じ,次のような見出しを掲げました。「『世の終わり』と神の勝利の近いことを,喜びのうちに祝う5万人のエホバの証人」。

そうです,エホバの証人は神の勝利が間近であるゆえに,つまり神がまもなく地上から現在の邪悪な事物の体制を一掃されるゆえに喜ぶのです。使徒ペテロは現在の世界の滅びについて予告し,次いでこう書きました。「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。(ペテロ第二 3:13)エホバの証人は神のこの約束を心底から信じています。

そうした事がらを信じることなど愚かだと考えている人は確かに少なくありません。しかしだれひとりとして,聖書が現在の体制の終わりを予告していることを否定できません。(マタイ 24:3-14。ヨハネ第一 2:17。ペテロ第二 3:3-13)そのうえ,現在の体制が急速に崩壊しつつあり,聖書が述べるとおり,まさにその終わりの直前にあることを示す数多くのしるしが現実に見られないでしょうか。エホバの証人は,自分たちの信条を支持する具体的な証拠もなしに災いが来ると騒ぎたてている無知な人びとにすぎないのでしょうか。

エホバの証人のことをそのように考えている人は少なくありませんが,「神の勝利」大会を訪れた人びとは思わず考えさせられるような証拠を目にしました。たとえば,8月5日付のロンドン・サンデー・テレグラフ紙はこう報じました。

「水曜日以来,トウィックナムの競技場の観客席は5万人を超すエホバの証人で毎日いっぱいになっている。……『終わりが近い』ことを宣明している人びとの間に伝統的に見られる陰うつさが全く感じられないことは確かである。終わりは近いのかもしれない。話は変わるが,そこに集まっているすべての人はまじめで高潔なまた敬神的な態度ではあるが,とても明るくその場を楽しんでいるように見える。……

「その仕事ぶりは印象的である。もし現在の世界の秩序がほんとうに崩壊しようとしているのであれば,トウィックナムのエホバの証人は新しい秩序を効果的に組織することができるように思える」。

神が約束した新秩序の中核を成す民として,神がこうした人びとをお用いになることは,考えられることではありませんか。もしそうなら,証人たちは一団として,今日ではほとんど見られない神に似たりっぱな特質を表わすことにより,人類社会の残りの人びとから分けられ,彼らと著しい対照をなすことでしょう。「神の勝利」大会は,ともに生活し,働き,勉強している百万人以上のエホバの証人を十分に知る機会を提供するものとなりました。どんな事がらが観察されたでしょうか。

注目に値する相違

その相違に気づかなかった人はひとりもいませんでした。そして,多数の新聞記者がそのことについて報道しました。1973年7月27日付のジュルナール・ド・モントリオール紙は,「上品で,思いやりの深い,行儀のよい人びと」という見出しのもとにこう報じました。

「エホバの証人はきわめて洗練された人びとである。礼儀正しさは彼らの生活に密着している。身だしなみの良さ,清潔さ,上品な態度についても同じことが言える。そして,こうしたことは彼らの開く大会で容易に目につく。……だれかに足を踏まれるということもないし,自分の足で紙くずを踏みつける心配もない。完璧と言ってよいほど掃除が行き届いている。紙くずや食べかけのホットドッグなど,すべてのごみはごみ箱に入れられる。……

「平和的で,なごやかな,くつろいだふん囲気がかもし出されているため,まるで楽園にでもいるかのような錯覚に捕われる。慎しみに欠けた服装をしている人はひとりもいない。まただれも,野球選手のように見えをはったり,人の注意を自分に引き付けようとしたりすることはない。

「そして,特筆すべき点は差別のないことである。あらゆる人種の人びとが互いの友情を楽しんでいる。ひそかな動機をいだいていたり,いわくありげな態度を取る人はひとりもいない。

「エホバの証人の行状から大きな教訓を得られることは明らかである。エホバの証人を注視する人の中には,アメリカは変化したと考える人さえいるかもしれない」。

エホバの証人の間に見られる,注目に値するこうした相違は,すべての大会に関連して繰り返し指摘されました。たとえば,イタリア,ローマの新聞パエセ・セラは1973年8月9日付の紙面でこう報じました。

「彼らが柔和であるということに疑問の余地は全くない。しかも柔和であると言うだけでなく,彼らは親切で,礼儀正しく,互いに対して深い関心を払っている。……地面には何も落ちていない。紙くずあるいはすいかの皮ひとつ目に入らない。しかも彼らは,少なくとも3万食分のサンドイッチを食べたのである。

「そこに漂っている空気でさえ何か普通のものと異なっているが,初めはそれが何であるかを指摘できない。ここフラミニオ競技場でサッカーの試合がある時に通常漂うにおいとは別のにおいがする。約5万人の出席者がいるが,だれひとりとしてたばこを吸っていない。……

「汚染が地球全体に及ぶのを避けるために,われわれは子どもじみた文明について説く代わりに,さらに多くの人びとがエホバの証人になるように説くべきなのかもしれない」。

もし,すべての人がエホバの証人と同じようにふるまうなら,結果として,人類のかかえている重要問題はほんとうに解決されるでしょうか。全世界に真の兄弟愛と安全が見られるようになるでしょうか。「神の勝利」大会を訪れた人びとは実際にそうした印象を受けましたか。

重要問題に対する解決策?

興味深いことに,カナダ,ケベック州のトロアリビエール市にあるラジオ放送局CJTRは,1973年7月30日の論説番組の中でこう伝えました。

「モントリオールの種々の新聞の報道によると,エホバの証人の大会は他に類例を見ない独特のものである。出席者が多いためではなく,広大な球技場全体にあふれているふん囲気や兄弟愛の精神ゆえにそう言えるのである。

「大会会場を訪れた何人かの新聞記者は,大戦後もはや行なわれなくなったとわれわれが考えていた,子どもを懲らしめている光景……に気づいて驚かされた」。

また,特約寄稿家であるアンドレー・ルフィアングは,何年か前にケベック州で起きたエホバの証人に対する不当な迫害に注目すると同時に,この大会についてこう書きました。

「不祥事は何ひとつ生じることなく,不快なでき事もなかった。2万人の群衆を制するためには,1人の警察官がいれば十分であっただろうし,その警察官でさえ堅くなってたいくつしたことであろう。……

「もちろん,わたしはエホバの証人ではない。しかしわたしは,エホバの証人たちが能率よく働くことと適正なふるまいを保っていることを自ら証ししている,という事実を証しする証人である。証人たちのだれかひとりでも腹をたてるのを見たことがあるだろうか。しかも彼らは,面と向かって浴びせられる数限りない侮辱に耐えなければならなかったのである。彼らはほんとうに良い人たちだ。もし世界じゅうに彼らだけがいるなら,夜ドアに差し錠を掛けたり,防犯警報装置を備えたりする必要はないであろう」― 1973年7月30日付。ジャーナル・ダ・モントリオール紙。

世界じゅうの大会開催都市で同様の報告がなされました。新教徒とカトリック教徒が互いに争っているアイルランドでは,1973年7月14日付のアイリッシュ・タイムズ紙が,「異なる国籍や人種の人びとの間に作り出されている,兄弟愛に基づく大会の平和なふん囲気」に人びとの注意を引きました。

3万1,000人以上が集まった大阪では,1973年7月29日付の朝日新聞がこう報じました。『万博会場跡地は,万国博以来のにぎわいをみせた。聴衆の間には暖かいふん囲気がみなぎり,……互いに「ブラザー」という親しみのこもったことばで呼び合っていた』。

ベルギーのブリュッセルで開かれた「神の勝利」大会に関して,ある雑誌記者はこう語りました。

「わたしはこれまでに多くのものを見てきたが,この大会のようなものは見たことがない。……騒ぎ立てることも押し合うこともなく,かえってとても幸福そうな顔をしている。会場のどこに行っても親切にあふれた行ないが目につき,他の兄弟姉妹のために自分の席を譲っている人もいる」― チャック誌,1973年8月19日号。

1973年7月28-29日付のドイツの新聞ズィートドィッチェ・ツァイトゥングはこう報じました。

「水曜日から6万人近い人びとが[デュッセルドルフに]集まっている。それは,博覧会の都市デュッセルドルフでこれまでに開催された最大の大会である。しかも,この大会は独自の習慣に従って行なわれる大集会である。われわれはこれほど秩序正しく,これほど道徳的に清く,これほど修練を積んだ人びとが,これほど大ぜい集まっているのを見たことがない」。

フィンランドの雑誌ウウシ・マアイルマは1973年8月15日号の論説記事の中でヘルシンキでの大会に関し,「ここに集まっている何万もの人びとは……穏やかで,きわめて模範的にふるまっている」と報じました。

フィラデルフィア・デーリー・ニューズ紙の特約寄稿家ラリー・マクマレンは1973年7月20日付の同紙上でこう語りました。

「わたしは次の点を証言することができる。つまり,4万人の群衆の中で,わたしは火のついているただ1本のたばこも,また座席の下に置かれているわずかひとつのウイスキーの空びんも見ることはなかった。エホバの証人は戦争をしないし,犯罪を犯して刑務所に入れられることもない」。

もしあらゆる人がエホバの証人と同じようにふるまうなら,夜ドアに鍵をかける必要もなく,また戦争もなくなるだろうという結論を大会を訪れた人びとが,下したことに疑いはありません。しかし,エホバの証人の間に見られる,注目に値するそうした相違はどうして生じるのでしょうか。

なぜ違いが生じるのか

簡単に言うなら,それは,エホバの証人が神のみことば聖書に確固とした信仰を持っており,聖書の原則を自分の生活に適用しているからです。ブリュッセルの大会について報じたジュルナール・ド・ヨーロップ誌の記者は1973年8月14日号の同紙上でこう書きました。

「『家から家』に出かけて行くこれらの熱心な信者たちは,彼らの大会の主題となっているこの類例を見ない宣伝活動を初めから計画していたわけではなかった。……彼らは世間騒がせなことをしようとしたり,何かの苦しみを加えて異教徒を駆り立て,無理に改宗させようとしたりはしない。……それどころか,彼らの弟子を作る仕事ははるかに根気強く,また真剣に,確かにきわめて真剣に行なわれている。わたしがインタビューしたひとりの人は,30分ほどの間に少なくとも10の聖句を章と節をあげて引用した。彼らは非常に実直な神学者をさえしのぐほどに,聖書を心で知っている。聖書は彼らの枕頭の書,あるいはそれが適切な表現でないとすれば,彼らの唯一の座右の書と言える。そして,資格にかなう人びとだけがバプテスマを受ける」。

実際,「神の勝利」大会は5日間にわたる集中的な聖書教育の場でした。そのプログラムは全部で31の聖書の話と,初期の聖書時代のでき事を織り込んだ4つの聖書劇から成っていました。これらのプログラムは,神の勝利が近いことをクリスチャンの思いにしっかり留めている必要性を強調しただけでなく,互いに対する自分たちの愛をよりいっそう完全なものにし,また自分の生活を神のみことば聖書の示す,高い道徳の原則に十分調和したものにしている必要性も強調しました。

ミュンヘンで開かれた大会のプログラムに,真剣な注意を傾けて聞き入っている聴衆の態度を見て驚嘆したフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙の記者は,1973年8月4日付の同紙上でこう報じました。「一見したところ,オリンピック競技場はジャーナリストでいっぱいのように見えるかもしれない。というのは,大会参加者はほとんど毎秒のように忙しく要点を記録しているからである」。

また,日本の一流日刊新聞,朝日新聞の記者も感動してこう語りました。

「赤ん坊を背負った大ぜいの母親が自分の聖書に見入っている。……わたしは,この大会会場で,出席しているすべての人の顔が喜びに輝いているのを見るとき,聖書がわたしたちの将来について述べている事がらを知るために,わたしも聖書を勉強すべきではなかろうかと考えざるを得ない」。

大会の興味あるプログラムとその反響

「神の勝利 ― 苦悩する人類にそれが意味するもの」と題する,広く宣伝されていた講演はプログラムの最高潮を成すものでした。その話は大会の主題に焦点を合わせており,「地を所有する神の権利を無視する,宗教上および政治上のあらゆる権力に対して」神の勝利がもたらされることを断言しました。「神の勝利の近いことを知る,もっともな理由があります」と,講演者は力を込めて話しました。

聖書劇もプログラムの最高潮でした。そしてこれらの劇も,神の勝利に,また滅びをのがれるよう他の人びとを助けることの必要性に焦点を合わせていました。カリフォルニア州のオークランドで開かれた大会で,あるクリスチャンの長老は,エリコの町の崩壊を描いた聖書劇に関してこう言いました。「ラハブは,自分の身だけではなく自分の全家族に対して,また父母だけにではなく家族の全員に対して関心をいだいていました。町に逃げ込んで結局は死んでしまったひとりの人をさえ救おうとする誠実な願いがありました」。今日生きている人びとに対する同様の関心を示すことの重要性を,出席者全員はこうして強く印象づけられました。

他の人びとに神の目的を教えるさいの助けとして,「真の平和と安全 ― どこから得られるか」という本が,英語,フランス語,ポルトガル語,ドイツ語,スペイン語,オランダ語,デンマーク語,フィンランド語,スウェーデン語,日本語およびイタリア語の11か国語で発表されました。これはなんときわだったプログラムだったのでしょう。「この本はまさに現在の世代の人びとのために準備されたものです」と,カナダのある巡回監督は語りました。疑いなく,この本の勉強を通して大ぜいの人びとが真理を学ぶ助けを得られることでしょう。

また,大会出席者は「神の千年王国は近づく」という416ページの本を受け取り,大いに喜びました。その本は,『終わりの時』に関するイエスの預言を詳細に論じています。すべての大会において,大会出席者は,この本が発表されたプログラムのさいに次のような決議を熱意を込めて採択しました。「わたしたちは人間より神に従い,キリストを通して与えられた神の命令,すなわち,滅びに定められたこの事物の体制の終わりが到来する前に『王国のこの良いたよりを,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えよ』という命令を遂行するうえで決して手をゆるめることはありません」。

聖書研究のための別の重要な出版物,つまり1,280ページからなる「新世界訳聖書総合語句索引」も大会で発表されました。こうした,聖書研究の助けとなるすぐれた出版物を用いているのですから,エホバの証人が聖書を非常によく知っているのも不思議ではないでしょう。

プログラムの最高潮のひとつは,一連の新しい冊子,「王国ニュース」の最初のものが発表され,それを用いて全世界で特別な業が行なわれるとの知らせがなされた時でした。今年の9月までに,こうした冊子が5億冊も配布されるものと期待されています。「その冊子のことを聞いた時,わたしはまるで,聖書を基礎にして作った爆弾を人びとのただ中に投下するような感じを受けました」と,あるクリスチャンの長老は述べました。

こうしたすぐれたプログラムに対して,驚くほどの反響が見られました。たとえば,イリノイ州マツーンから来たある訪問者はこう語りました。「わたしは母からカンザスシティーの大会まで車で送ってほしいと頼まれました。わたしはそれを承知しましたが,送り届けたらすぐに家に帰るつもりでした。しかし,車が故障してしまったため,わたしはローヤル・スタジアムで行なわれている幾つかのプログラムに出席しました。わたしは日を追って,プログラムの内容にいっそう関心を引かれるようになりました。3日めに,わたしは清掃部門の受付に行き,大会後の清掃の仕事を自発的に助けました。そして,わたしたちが家に戻った時,わたしは自分の町のエホバの証人に,いっしょに聖書を勉強してほしいと頼みました」。

カナダのウィニペグで開かれた大会に100㌦(約2万6,000円)の寄付が寄せられました。その寄付をした人は同封の手紙の中にこう書きました。

「わたしはこのウィニペグの大会で真理を知ったばかりです。そして,手遅れにならないうちに大いなるバビロンを出る招待を差し伸べてくださったことを,エホバに感謝しています。……

「わたしはすでにエホバの証人と連絡を取り,今日から聖書研究を始めています。わたしはこの研究によって,バプテスマを受けるに足る十分の知識を得て,エホバの意志を行なうべく完全に献身する備えをしたいと願っています。わたしは,この霊の大きな宴に出席できたことをほんとうに幸せだと思っています。エホバの愛がどこに留まっているのかを知り,またそれを明確に理解することはすぐにできました。確かに,エホバの愛はご自身の民の間にのみあります」。

エホバの証人のこうした大会のひとつに出席することは,ほんとうに貴重な経験となります。非常に大ぜいの人びとが,大会会場に行くためにきわめて大きな努力を払う理由はまさにそこにあります。

大会出席を阻む障害を克服する

10人あるいはそれ以上の子どもがいるなら,大会に出席するのは不可能だと考える人がいるかもしれません。しかし,そうではありません。19人もの子どものいるある夫婦は,ハランデールの大会に自分たちふたりだけでなく,子どもたちすべてを連れて出席したのです! フロリダ州,ウォチューラの彼らの家では,家族全員が参加する家族の聖書研究が行なわれています。

極度の病気も,大会出席を阻む障害とみられることがあるかもしれません。しかし,テリー・ウォルターと彼の家族にとってはそうではありませんでした。1971年に,当時15歳だったテリーは骨のがんにかかっていることが明らかになりました。絶えず酸素吸入を施す必要があったにもかかわらず,テリーは何にもまして「神の勝利」大会に出席することを望みました。そこで,カンザスシティーのローヤル・スタジアムに酸素吸入装置を持ち込む取決めがなされました。こうして,テリーは大会のプログラムを楽しむことができました。翌週,トペカ・ステイト・ジャーナル紙は,「予想より長く生きた若者,ガンで死亡」という見出しのもとにテリーについて報じました。

仕事も大会に出席することを阻む現実の障害のように見えることがあります。しかしたいていの場合,問題を克服する道が見い出されるものです。犬の飼育場を経営しているある証人は,自分の飼っている57匹の犬をおりをめぐらした大型の,空調装置付きの貸物自動車に乗せて,ハランデールに向かいました。彼は同市で「どんなペットの持込みも可」と書かれた表示の掲げられているモービル・パークを見つけて,そこに駐車することができました。こうして,その証人は大会に出席しました。

別の証人は雇用者から,大会に出席しないように圧力を加えられました。というのも,他の従業員がやめたため,人手が不足していたからです。雇用者はその証人に,「もしわたしが,行ってはいけないと言ったらどうするか」と質問しました。「いずれにしてもわたしは行くでしょう」という返事が返りました。雇用者は少し考えてからこう尋ねました。「乗り物は何を使うつもりかね」。自動車で行く予定であることが知らされると,その雇用者は,それでは時間がかかりすぎるので,証人と彼の家族全員がオークランドの大会に飛行機で行けるように700㌦(約18万2,000円)を特別に支給すると言いました。そのうえ,大会に行っている間の給料も払うし,帰ってきたなら給料を上げるつもりだ,とまで言いました。証人が,なぜそのようにするのかと尋ねたところ,雇用者はこう答えました。「あなたはわたしにとって見習うべき良い模範でした。そのうえ,あなたは良い従業員です。もし,他のエホバの証人を雇うことができるのなら,わたしはすぐに雇います。エホバの証人は信頼の置ける唯一の人びとです」。

神の新秩序の先触れ

神を真に愛し,また互いに愛し合っている何千人もの人びとが一同に会するその集まりは,神の勝利に引き続いて地上のいたる所で見られるようになる生活の先触れと言えます。

たとえば,正直な人びとだけになる時,どんな状態が見られるかをあらかじめ経験することができます。ハリファクスの大会でのことですが,ある青年は710㌦(約18万4,600円)入りの札入れを見つけ,それを大会の遺失物部門に届けました。こうしてそのお金は,遺失物部門にそれを探しに来た持ち主の手にそっくりそのまま戻りました。別の大会で,1枚の20㌦紙幣が届けられました。後に,ひとりの婦人のエホバの証人がやって来て,ある場所で20㌦をなくしたと言いました。同じ場所で見つかった20㌦紙幣が差し出されたとき,彼女はそれを受け取りませんでした。というのは,彼女が失った紙幣は,10㌦紙幣1枚,5㌦紙幣1枚,1㌦紙幣5枚の合計7枚の紙幣だったからです。

人びとが俸給のためにではなく,他の人に対する愛ゆえに彼らのために何かをすることは,なんと気持ちのよいことなのでしょう。1973年8月2日付のグラスゴー・ヘラルド紙はエジンバラの大会についてこう報じました。このことは,エホバの証人のすべての大会についても言えます。

「すべてが,自発的な働きによって行なわれる。5,000人を超す人びとが,熟練を要する機械の管理からサンドイッチの販売までのさまざまな仕事を行なうことを自発的に申し出た。

「訪問者が到着する前に,自発奉仕者の一隊が競技場をきれいに清掃し,必要な個所にはペンキまで塗った」。

ヘルシンキでは,フィンランドじゅうから大会に集まる幾千人もの人びとの宿舎だけでなく,スウェーデンからやって来る1万4,000人以上の人びとの宿舎を準備するためにも,エホバの証人は自発的に働きました。大会出席者の宿舎を備えるために,約22万平方㍍の敷地に,テントを建てた大きな都市が建設されました。そこでは街路も整備されていましたし,洗濯をしたりアイロンをかけたりする設備もありました。また,トイレは市の下水に接続されていました。検査に来た市の保健局員はこう語りました。「すべてが非常によく組織されている。こんなことがあるのだろうか,わずか5日間のためにこれだけの大仕事をするとは,信じられないことだ!」。

人は,彼らを動かしてこうしたりっぱな行為をさせた,神と仲間の人間に対する愛を生まれつき持っているわけではありません。こうした愛は,神のみことば聖書を勉強することにより培われるのです。

神の勝利を待ち望むようになった新しい人びと

ある期間エホバの証人と聖書を勉強した後,神が人類のために行なってくださった事がらに対する感謝の念に心を動かされた人びとは,エホバ神に仕えるべく献身します。水による浸礼の式によって,彼らは神に対する自分の献身を公に証しします。北アメリカ,ヨーロッパ,そしてアジアで開かれた「神の勝利」国際大会におけるだけでも,こうした新しい人びとが3万9,313人も水のバプテスマを受け,神に対する自らの献身を象徴しました。

こうした人びとの中には,あらゆる生活を送っていた人びとが含まれています。以前に,麻薬常用者やヒッピーや犯罪者だった人も少なくありません。また中には,同性愛者だった人もいます。しかし,こうした人びとのすべては自分の生活を変化させて,神のご意志に完全に調和するものにしました。バプテスマを受けた人びとの中には裕福な人もいましたし,貧しい人も少なくありませんでした。中には非常に高齢の人もいました。インジアナ州ハモンドの大会では,91歳と92歳の婦人がそれぞれ浸礼を受けました。大ぜいの若い人びともバプテスマを受け,今では,神の勝利と新秩序が近いことを宣明する,全時間の宣教奉仕に携わっています。

今や全世界で優に170万を数えるこれらエホバの証人は,この古い体制がまもなく滅びるさいに保護される唯一の組織,つまり真のクリスチャンの組織を構成しているのでしょうか。ベルギーの一報道関係者はこの可能性を深く考慮しました。1973年8月11日のベルギー・ラジオ・テレビ放送で,同記者はブリュッセルの大会に関しこう伝えました。

「エホバの証人は……ヘイセルの大ホールを人口5万人の町に変えてしまった。その町では,すべての事が滞りなく行なわれ,……人びとは,言語の違いという障壁をさえ取り除いてしまう明るい笑顔を浮かべながら,互いに兄弟愛を示している。

「ジャーナリストであれば,こうした事がらすべての根底にある理由がいったい何であろうか,と自問せざるをえないだろう。なぜなら,もしわれわれがエホバの証人の熱意に動かされて彼らを賞賛するのであれば,結局のところわれわれは,こうした熱意の根底にあるもの,つまり彼らと同じ見解を取らないすべての人はまもなく神の勝利によってこの惑星から除去されるという,彼らの持つ確固とした信念のことをも念頭に置かなければならないからである」。

確かにこの地球は,神の意志にそぐわないすべての人が取り除かれ,浄化される必要があるのです。それでは,わたしたちは次の問いを真剣に考慮せざるをえないのではありませんか。エホバの証人は,神の新秩序が始まるとき,神に保護され,生きている人びとでしょうか。ご自身でお調べになってはいかがですか。お近くの王国会館で毎週開かれている集会に出席なさるようお勧めします。エホバの証人の行状をよくご覧になってください。そして,彼らの信仰を吟味してください。あなたのおいでを歓迎いたします。

[14,15ページの写真]

わずか3か月間に39都市で開催された,エホバの証人の「神の勝利」国際大会。利用できる最大規模の施設を埋め尽くした,合計143万3,078人の聴衆

2万3,955人が出席したコペンハーゲンの大会

5万879人が出席したフィラデルフィア

7万8,792人が出席したミュンヘン

3万8,225人が出席したカンザス

5万3,199人が出席したブリュッセル

5万2,390人が出席したオークランドの大会

[18ページの写真]

エホバの証人は将来の地上の楽園について語り,同時に現在きれいに清掃することの価値を認めている

[19ページの写真]

喜びのある生活と国際的な真の兄弟愛 ― このことは,エホバの証人の大会出席者の間に明らかに見られた

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